中央鉄道学園(当時とその後)

 


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昭和62年頃の中央鉄道学園(赤い記しは遺跡跡)
写真には写っていませんが、上のほうに中央線側で左が西国分寺方面です。
3面のテニスコートの二つ右の白い屋根は食堂、その右隣の細長い建物は線路側から2番目の寮です。
「寺地」と記入された所の青い屋根の建物は下の写真でも確認しやすいでしょう。
国分寺市遺跡調査会設立25周年事業「武蔵国分寺跡を探る」から


平成12年頃の中央鉄道学園跡地
上の写真と大体同じ部分を表示してあります。この写真では上のほうに中央線の線路が写っていますね。
武蔵国分寺公園の泉地区の円形広場の造成が進んでいます。
国分寺市の「西国分寺地区住宅市街地整備総合支援事業」パンフレット


中央鉄道学園跡地の利用計画
この絵も上の写真と大体同じ部分を表示してあります。
利用計画によると、学園跡地は、公園以外の部分は都営・公団などの住宅地等になったんですね。
国分寺市の「西国分寺地区住宅市街地整備総合支援事業」パンフレット


跡地利用計画のうち公園部分
東京都公園協会西部支社パンフレット



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