部落問題入門

本書を読んで、部落問題に関する認識を深めることができました。

部落問題入門

 大人になるまで「部落問題」というものがあるなんて全く知りませんでした。地域の呼び名も、〇〇部落・△△部落だったし、学校でも「〇〇部落子供会」のようにごく普通に使われていました。
 「部落問題」のことを知ったのは、県外の企業に就職して、そこで「同和教育」を受けたことがきっかけでした。

 本書を読んで、これまで見聞きしてきた「部落問題」はけっこう偏ったものであったと思いました。

 全国部落解放協議会さんの「部落問題入門」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

部落問題入門 全国部落解放協議会


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目次

 本書について

 第一章 部落問題とは何か
「部落」とは何か 7  / 「部落民」とは何か 11  / どのような場面で部落問題に直面するか  14 / 差別の実態とは 17  / 部落はどのようなところか 19  / 部落問題にまつわる言説 24  / 「同和タブー」とは 28

 第二章 部落の歴史
部落・部落民の起源 32  / 奈良時代の賎民 38  / 平安以降の賎民 40  / 江戸時代の賎民 42  / 賎民の職業 46  / 賎民と神道 48  / 部落と白山信仰 50  / 部落と宿神信仰 52  / 賎民と仏教 52  / 差別戒名 53  / 賎民と宗派 54  / 部落政治起源説 55  / 明治維新と解放令 60

 第三章 部落解放運動
部落解放運動団体の系譜 63  / 融和運動 67  /全国水平社 69  / 部落解放同盟とは 73  / 全日本同和会・自由同和会とは 76  / 全国地域人権運動総連合とは 80  / その他の部落解放運動団体 82  / オールロマンス事件と行政闘争 85  / 「朝田理論」とは 87  / 部落解放同盟VS日本共産党 91  / 八鹿高校事件 94  / 部落地名総鑑事件の衝撃 97  / 狭山闘争と狭山同盟休校 102  / 「差別糾弾」とは 105  / 「言葉狩り」と表現規制 108  /「えせ同和」とは 114  / 在日と部落と被差別統一戦線 117

 第四章 同和対策事業
融和事業 120  / 同和対策審議会答申と同和対策事業特別措置法 123  / 莫大な予算がつぎ込まれた同和対策事業 127  / 同和地区はどのように指定されたのか 130  / 隣保館と教育集会所 134  / なぜ同和地区にはニコイチが多いのか 136  / 同和教育と解放教育 139  / 個人給付的事業 141  / 窓口一本化 144  / 同和事業にからむ不祥事 147  / 地域改善対策協議会意見具申 150  / 未指定地区 153  / 同和行政に関する組織 155  / 同和事業の終了 160 / 今も残る同和事業  162  第五章 部落差別解消の推進 どうやって部落差別を解消するのか 165  / 今なお残る「部落差別」とは 168  / 「結婚差別」とは 171  / 部落差別の原因とは 176  / 誰が問題の当事者なのか 179  / 行政の主体性の回復と部落の自立 181  / えせ同和の排除 184  / 部落研究の自由の必要性 186  / 部落差別が解消された状態とは 189
 


本書について

  本書は部落問題(あるいは同和問題)について、初めて知ろうとする方のために書かれた本です。本書を手に取ったきっかけは、人によって様々であると思います。例えば、次のようなことがあったとしましょう。
・会社で「同和問題研修」が行われており、研修の担当を任されることになった。
・出版関係の仕事に就いて、「差別用語」に気をつけないといけないと言われた。
・ある時、会社に「部落解放」あるいは「同和」と名乗る団体がやってきた。
 おそらく、多くの人にとっては「理解を超えた」事態であると思います。しかし、結論から言ってしまえば、部落問題について完全に理解している人は皆無です。それは、この問題についてはもともと学問として解明されていない点、政治的な立場によって様々な見解があり、一定した見解がない点が多く見られるからです。
 代々、会社の「同和問題研修」を行ってきた社員は、外部の団体や「識者」に言われるがまま、言ってみれば惰性で研修を行ってきただけに過ぎないことが多いでしょう。
 「差別用語」なるものも、ある場面では非常にデリケートな扱いをされる一方で、別の場面では躊躇なく使われることもあります。何が差別用語なのか明確な基準があるわけでもないですし、文脈や、誰が言うのかによって差別用語として扱われるかどうかが変わるのが実情です。
 「部落解放」あるいは「同和」と名乗る団体も、自分の政治的立場に沿った主張をしているに過ぎません。実際は多くの「部落解放」団体、「同和」団体があり、それぞれ主張は異なり、互いに矛盾していることもあるし、「偽(えせ)」の場合もあります。
 だから、何も理解していないからと言って恐れることはないし、恥ずべきことでもないし、責められることではありません。本書は、部落問題について解説するだけでなく、何が解明されていないのか、何について見解が定まっていないのかということについても解説します。
 部落問題について書かれた本はいくつかありますが、本書の特徴はあらゆる制約を取り払って説明していることです。多くの出版社は、「差別用語」という制約を課せられていますが、本書を出版する「示現舎」は、そのような制約を乗り越えるための出版社です。また、本書の著者・編者である「全国部落解放協議会」は、匿名の部落問題研究者、企業、団体、行政関係者そして一般市民により組織された草の根団体です。なぜ匿名なのかと言えば、部落問題について自由に議論することが「弾圧」されている現状があるからです。
 しかし、我々を信頼してください。本書は、部落問題に関する多くの書物の中でも、あらゆる政治勢力や利権から最も遠いところにあり、そして最も書くべきことを書いた本であると自負しています。本書が一人でも多くの人に読まれ、部落問題解決の一助となれば幸いです。


「部落」とは何か

 どこが「部落」なのか。この疑問は部落問題の一番の核心であり、部落問題を知れば最初に疑問を持つことであると思います。
 まず、部落問題における「部落」とは何を指すのでしょうか。「部落」とは本来は「集落」と同じ意味です。もちろん、現在でもそのような意味で使われます。例えば、田舎に住んでいる方であれば「部落会」「部落長」「部落対抗リレー」といった言葉を今でも使ったことがあるかも知れません。
 実は、部落問題における「部落」は一種の略語です。携帯電話を「携帯」と略すようなものです。では、略される前の言葉は何なのかというと、一つではありません。
 おおむね明治から昭和初期にかけて、「特殊(特種)部落」あるいは「細民(さいみん)部落」といった言葉が使われていました。前者は、他の部落と比べて特殊な部落という意味で、後者は細民つまりは貧乏な人が多く住む部落という意味でした。「特殊部落」という言葉は「差別用語」として批判の対象になることがありますが、当時は行政用語としても使われており、差別用語だと言われるようになったのはずっと後のことです。
 一方、民間の部落解放運動団体では「被虐(ひぎゃく)部落」「被圧迫部落」「未解放部落」「被差別部落」といった言葉も使われました。しかし、長らくはどの言葉も定着しませんでした。ただ、「部落問題」という言葉は、前述のとおり様々な呼ばれ方をした部落に関する問題を指す用語として定着することになりました。
 また、「同和地区」という言葉があります。これは戦中から戦後にかけて使われるようになった行政用語です。これも文脈によっては、省略して単に「地区」といわれることもあります。また、「もはや同和地区は存在しない」という政治的立場からは「旧同和地区」と呼ばれることもあります。逆に、同和地区として指定されなかった部落が「未指定地区」と呼ばれることがあります。そして、「同和問題」は「部落問題」と同じ意味の行政用語です。
 どの言葉を使うのかは、政治的な問題が関わってきます。本書では単に部落と呼ぶことにしますが、この言葉も完全に政治的に中立とは言えないかも知れません。それが、部落問題をややこしくしています。
 ちなみに、「同和地区」や部落の対義語としては「一般地区」(あるいは単に「一般」)や「地区外」がよく使われます。
 さて、部落とはどこのことを指すのかというと、実は明確な定義はありません。ただ、一般的には「穢多」「非人」と呼ばれた、江戸時代の被差別身分(賤民)による集落が部落とされ、1969年に「同和対策事業特別措置法」(同対法)という法律が制定された際に、行政によってそのような地域が「同和地区」として指定されました。もちろん、憲法で「法の下の平等」「居住移転の自由」が定められているので、法律上は部落に住んでいるからといって特別なことはなく、そこに住むのも出て行くのも自由です。
 非常におおまかに言えば、部落には「隣保館(りんぽかん)」「人権センター」と呼ばれる行政の施設があり、二世帯が対になった「二戸一(にこいち)」形式の公営住宅があり、民間の部落解放運動団体である「部落解放同盟」(本書では「解放同盟」と呼ぶことにします)の支部があることが多いです。実際、それらは特定の地域が部落かどうかを判別する手がかりになります。そして、部落が全国にいくつあるのか正確には分かりませんが、数千単位で存在することは間違いありません。分かっているのは、北関東、長野県、そして愛知県から西の地域に部落が多いということです。逆に沖縄県、北海道には部落はないとされており、東北地方にもほとんどありません。
 
「一般人」が、どこが部落なのか解放同盟に問い合わせたり、どこが同和地区なのか行政に問い合わせたりしても、答えてもらえることはあまり期待できません。それどころか、現在では部落の場所を問い合わせることが、しばしば「差別事件」として扱われることがあります。「部落の場所を聞くということは、差別するために違いない」というわけです。
 しかし、図書館には部落の地名が書かれた本が置かれていることがしばしばあります。顕著な例としては『部落問題・水平運動資料集成 補巻一』(三一書房)があります。この本は、都道府県立等の大きな図書館には置かれていることが多く、その211ページ、228ページには部落の地名が列挙されています。ぜひ図書館の蔵書検索で確認し、実際に読んでみてください。これはごく一例で、部落の地名が書かれた図書は無数にあります。
 2016年1月には、1936年3月に政府の外郭団体である中央融和事業協会が全国の5367箇所の部落の情報をまとめた本である『全国部落調査』がインターネットで公開されました。同書はインターネットで検索すれば容易に見ることができます。
 部落の場所については言わば「頭隠して尻隠さず」「裸の王様」「王様の耳はロバの耳」の状態にあるわけです。奇妙なことですが、それが現状です。
 ただ、繰り返しになりますが何をもって部落と言えるのか明確な定義はありません。ある地域が部落と言えるのか、歴史学的に明確でない場合もあります。また、歴史学者が部落だと言っても、当の住民が否定することもあるし、行政によって「同和地区」に指定されなかったケースもあります。逆に前述の『全国部落調査』に掲載されていたり、「同和地区」として指定されたりした地域であっても、詳しく歴史を調べると、本当に部落と言えるのか疑問符がつく場合もあります。
 例えば、静岡県袋井市岡崎は、民間陰陽師と呼ばれる宗教者を起源とする村であり、穢多・非人とは関係ありません。
 また、三重県熊野市有馬町のように、『全国部落調査』に掲載されているものの、戦後の歴史研究で戦国時代に活躍した雑賀党(さいかとう)と呼ばれる武士の一種を起源としていることが分かり、住民自らが部落であることを否定した例があります。
 埼玉県加須市内田ヶ谷は戦後に政府が詳細な現地調査をしていますが、非人を起源とする説と、ただ貧しい人が多く暮らしていたので部落として見られるようになったという説があり、いずれも解明されていないとしています。
 このように部落問題は、どこが部落かという点から既につかみどころのない問題ですが、未だに日本の行政、政治、経済、出版、放送、司法など様々な分野に強い影響を及ぼしています。
 
なぜそのような事になったのか、理解するためには部落の歴史、部落解放運動、そして同和対策事業(同和事業)について知る必要があります。経緯は複雑ですが、根気よく本書を読み進めてください。


部落解放同盟とは

 数ある運動団体の中でも、圧倒的な存在感を持っているのが解放同盟です。解放同盟は、差別糾弾による自力救済という、初期の水平社運動の精神を濃厚に受け継いできた運動団体と言えます。そして、政府と交渉する主要な運動団体の中では唯一水平社運動のシンボルであった荊冠旗を掲げています。ただし、解放同盟が全水の後継団体を標榜する唯一の運動団体というわけではありません。
 戦前の全水は天皇の下での平等を目指していましたが、解放同盟は綱領に「身分意識の強化につながる天皇制および天皇の政治的利用への反対」と明示している点が異なります。また、もう一つの異なる点は、全水には多数の共産党員が参加していましたが、現在の解放同盟は共産党員を排除し、共産党と対立関係にあることです。
 解放同盟は政治的には日本社会党と密接な関係がありました。1996年に社会党が崩壊して以降は、社会民主党と民主党(現在の民進党)と近い関係にありました。特に民主党からは解放同盟幹部の国会議員を国政に送り出していました。しかし、部落解放同盟中央本部副委員長であった松本龍が2012年の衆議院議員選挙で落選してからは、国政における解放同盟員の議席はなくなりました。最近は与党の自由民主党に接近していると言われており、特に和歌山県では長らく解放同盟が二階俊博衆議院議員を支援しています。
 また、解放同盟は1980年代までは、文字通り非合法的な差別糾弾を行っていました。しかし、さすがにそれらの行為は、法律的な観点では強要、脅迫、傷害という犯罪であり、実際に逮捕者が出て、裁判で有罪判決を受けるということが相次ぎました。そのため、現在の解放同盟は「遵法闘争路線」に転じており、むしろ法律を差別糾弾の手段として用いるようになりました。例えば、部落差別を法律によって政府に取り締まりをさせるために、「人権救済法」を制定するように国会に働きかけています。
 解放同盟の組織は、東京都中央区に「中央本部」があり、各都道府県に「連合会」があり、そして各部落に「支部」があるという三層構造になっています。地域によっては市や郡などの範囲で「協議会」を組織していることもあります。一見すると中央集権的な組織に見えますが、ほとんどの場合は支部や連合会がそれぞれ独自に動いており、むしろ地方分権的な組織です。
 これは、解放同盟の利点でもあり、弱点でもあります。差別糾弾は多くの場合は支部が行いますが、事案によっては連合会、中央本部が対応します。解放同盟の運動のやり方は「交渉は団体で、不祥事は個別で」ということが言えます。行政などと交渉を行う場合は、なるべく団結して行いますが、不祥事があればせいぜい連合会か、支部、あるいは個人の問題として済ませようとします。
 水平社宣言は「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」で始まりますが、それとは裏腹に解放同盟の会員は非常に「地元意識」が強いのが実情です。ほとんどの活動は支部か、せいぜい連合会単位で行うので、解放同盟員は地元以外の地域がどのような活動をしているのか、ほとんど知らないことが多いです。
 解放同盟の会員になるきっかけは、現在では解放同盟の支部が存在する部落の住民が加入するケースがほとんどでしょう。「同盟加入登録申請書」を支部に提出すると、その写しが連合会と中央本部に送られて、登録が決定されると解放同盟員ということになります。加入が認められる要件は支部によってまちまちで、古くからの住民の子か配偶者でなければ認められない支部もあれば、その部落の町内会と解放同盟支部がほぼ一体となっていて、その部落に移住して町内会に加入すれば自動的に解放同盟にも加入させられる部落もあります。
 解放同盟の加入要件は原則として部落民ということになっています。ただ、あくまで原則なので、解放運動に何らかの貢献をした人が部落民でなくても解放同盟に入ることはあり得ます。それどころか、「商売上の理由で」明らかに部落とは関係ない人を加入させている支部もあります。
 部落民にとっての解放同盟がどのようなものかは、それこそ地域によってまちまちです。政治団体という面もあれば、町内会という面もあり、互助会という面もあります。また、解放同盟本体は特に行政に対して何の届け出も行っていない任意団体ですが、関係団体として登記されたNPOや社団法人、株式会社等が存在します。


同和地区はどのように指定されたのか

 同対法(同和対策事業特別措置法 1969年~1982年)には「同和地区」という言葉は出てきません。法律の条文では「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域」とされ、「対象地域」という言葉が使われましたが、実務上は「同和地区」と呼ばれました。
 では、具体的にどのように同和地区の場所が把握されたのかと言うと、これは難しい問題です。詳細な資料が残っておらず、仮に残っていたとしてもほとんど目にする機会がないからです。そこで、断片的な資料から推測するしかありません。
 1974年2月26日の衆議院の内閣委員会で、共産党の東中光雄議員が、大阪市長が住民に知らせないまま浪速区大国町の一部を同和地区指定したことを批判し、「地区指定は、実際はどういうふうにされるのですか」と政府担当者に質問しました。それに対し、担当者は「地区指定があると申しましたのは、事実上ということで、地区の指定という概念は法律上出てまいりません」と回答しました。確かに法律上は同和地区指定の手続きは定められておらず、手続きを定めた政令や規則も存在しません。ただ、実務的には市町村が同和地区指定を行っていたと考えられます。
 また、融和事業の項で述べた通り、明治時代には既に府県単位で同和地区を把握することが行われていました。国の融和事業が始まった後、1921年に内務省社会局が全国の同和地区を調査して『全国部落統計表』を作成しました。おそらく、その頃までに府県単位で作られていた資料を、内務省が府県から収集したものと考えられます。さらに、1935年には中融協が『全国部落調査』を作成しました。これは、全国の同和地区を網羅的に把握した文書の中では、現在我々が直接目にすることができる唯一のものであると考えられます。『全国部落調査』には「本協会が各府県に照会して最近に於ける部落の調査報告を受け」との説明があります。
 同和事業が融和事業の延長線上にあるものと考えると、国は府県を通して同和地区を把握しており、府県は市町村から報告を受けていたと考えられます
 戦後は1962年、1967年、1971年、1975年、1985年、1993年に全国的な同和地区の調査が行われました。また、1983年から1987年にかけてのごく一時期だけ、毎年府県から国に対して同和地区数、世帯数、人口が報告されていたとされます。そして、報告の度に同和地区の数は増減しました。また、北海道と東北六県、東京都、富山県、石川県、沖縄県下の市区町村では全く同和地区指定がされなかったことが分かっています。
 次のような事例があります。滋賀県八日市市(現在の東近江市)御園町には1963年に同和事業として隣保館か設置されました。1969年に同対法が施行されると、農業振興、道路整備などの事業が行われました。しかし、1971年5月に住民239名の署名を添えた「同和対策事業辞退申請書」が市長に提出されました。申請書は同年6月に市長から滋賀県知事あてに提出され、7月に知事から市長に対して「今後同和行政対象地区外として取り扱うこととした」との通知があったとされています。
 おそらく、同様の問題は全国各地で起こっており、そのために調査の度に同和地区数が増減していたと考えられます。「同和対策事業辞退申請書」なる文書が提出されたということも興味深いですが、これはあくまで滋賀県の事例であって、同和地区指定の具体的な方法は府県ごとにまちまちであったと考えられます。
 ただ、共通していたのは同和地区の場所をリアルタイムで把握していたのは府県で、直接的に同和地区に対する施策を行ったのは市町村でした。また、国に対して報告されたのは同和地区の地名、人口、世帯数程度の情報であって、具体的な同和地区の区域まではおそらく報告されませんでした。国にとっては、市町村内部で行われていることはブラックボックスであって、市町村による同和地区指定が妥当かどうかまで判断することはできなかったでしょう。ただ、滋賀県の事例から考えると、府県は市町村が行う同和地区指定について、ある程度の管理監督はしていたと言えます。
 では、市町村はどのような基準で同和地区指定をしたのでしょうか。これは、戦前に融和事業の対象となっていた部落をそのまま同和地区とした例が最も多いと思います。『全国部落調査』に掲載された部落の位置と、同和事業で作られた隣保館の設置場所がかなり一致しているからです。
 明らかに部落ではなかった場所が同和地区指定された例もあります。例えば岐阜県大垣市の日の出町には明治期に、滋賀県犬上郡甲良町の呉竹部落からの移住者により形成された「スラム」があったとされますが、1941年ごろに市の政策で住民が分散させられた状態になっていました。しかし、市内に分散した住民を同和対策事業の対象とするために、1972年に日の出町だけでなく、分散後の住民の一部が住んでいた若森町、南若森町も含めて同和地区指定がされました。
 実態はほとんど明らかになっていませんが、このように明治以降の移住者により形成された集落や、明らかに部落と関係ない場所まで同和地区指定されることは、各地で起こっていたと考えられます。また、住民の増加や区画整理のために集落が広がることがあり、もともとの部落からはみ出た地域も同和地区指定されることもあり、滋賀県等では「にじみ出し」と言われました。
 一方、富山県は『全国部落調査』によれば233ヶ所もの部落があったとされるのに、全く同和地区指定をしませんでした。これは、県としてそのような方針だったためで、府県が市町村による同和地区指定を管理監督していたという説を裏付けています。府県は国に対して同和地区指定の状況を報告していたのだから、市町村の地区指定を止めてしまうか、逆に指定を行うように圧力をかけられたはずです。
 また、戦後の部落史研究により、融和事業が行われなかった部落が掘り起こされ、そこに解放同盟支部が組織され、市町村に地区指定が要求されることがありました。また、逆に市町村が地区指定を行って国からの財政措置を受けるために、部落に運動団体を組織するように住民に働きかけることもありました。このように、市町村は上下から突き動かされて同和地区指定を行ったのです。


地域改善対策協議会意見具申

 1981年の北九州土地転がし事件を期に、同和事業の弊害が政府の審議会でも指摘されるようになりました。
 同対法の制定に伴って設置された同和対策協議会(同対協)の1981年12月10日意見具申では、「同和関係施策の実施に当たって行政機関のなかにはややもすると民間運動団体の要望に押されてそれをそのまま施策として取り上げるものがあり(中略)そこに摩擦が生じてきたことも見過ごすことのできない問題になってきた」と、指摘されました。
 1982年に同対法が失効して地対法(地域改善対策特別措置法 1982年~2002年)が制定されたことに伴い、同対協に代わる審議会として地域改善対策協議会(地対協)が設置されました。この地対協は、その後の意見具申で同和事業の弊害について、さらに突っ込んだ指摘をしました。
 1984年6月19目地対協意見具申は、不均衡な同和事業によって「同和地区及び地区住民に対する「ねたみ意識」が各地で表面化してきた」ことを指摘しました。さらに、同和問題について自由な意見交換が阻害されている状況があることを指摘し「意見の潜在化傾向については、民間運動団体による行き過ぎたいわゆる確認、糾弾がその原因となっていることは否定できない」と、暗に解放同盟の確認・糾弾を批判しました。そして、「地域的な差異はあるものの、「同和」を名乗る団体の中には、その活動が同和問題の解決を阻害しているとしかいいようのないものがあり」と指摘し、これを「えせ同和団体」と呼びました。ただし、この頃までは同対協意見具申にしても地対協意見具申にしても、未だに結婚差別、さらには1975年に発覚した「部落地名総鑑事件」のような就職差別が存在することを認め、そのような差別の是正を求めることが主な内容でした。
 しかし、1986年12月11日地対協意見具申は、今までのものとは様相がことなっており、もっと深い領域に足を踏み入れたものでした。この意見具申は、「これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題は、同和問題に対する根強い批判を生み、同和問題の解決を困難にし、複雑にしている」「因習的な差別意識は、本来、時の経過とともに薄れゆく性質のものである(中略)しかし、新しい要因による新たな意識は、その新しい要因が克服されなければ解消されることは困難である」と述べています。平たく言えば、「今や同和行政や部落解放運動こそが部落差別の原因となっている」という鋭い指摘です。そして、この「民間運動団体」とは、明らかに解放同盟を念頭に入れたものでした。
 1986年の意見具申は特に解放同盟にとって衝撃なものでした。なぜなら、部落差別の責任は全て「差別者」の側であるとしてきた解放同盟の理論に真っ向から対抗し、「被差別者」の側に部落差別の原因があるとの主張を行っていたからです。当然、解放同盟は「国の責任を運動団体に転嫁するものだ」「部落解放運動の弾圧だ」として激しく反発しました。
 一方で、解放同盟の内部からも反省を求める声が出されました。解放同盟に近い立場にあった岐阜大学元教授の藤田敬一は1987年に「同和はこわい考」を出版し、部落問題解決のための活動に市民は嫌々参加しているのが実態で国民的課題になっているとは言えないのではないか、部落解放運動自体が「同和はこわい」という意識を生じさせているのではないかといった趣旨の、様々な問題提起を行いました。これに対しても解放同盟は反発しましたが、解放同盟内部でも藤田氏に同調する者が少なからずいました。
 この後も、地対協は意見具申の中で、同和事業や運動団体のあり方を批判しました。例えば1996年5月17日意見具申では「いたずらに「禁句」にとらわれることにより、意識の中に建前と本音の乖離が生じ、問題の本質の正しい理解が妨げられることのないよう、特に留意すべきである」として、「言葉狩り」を暗に批判しています。
 
同和事業に関する政府の審議会による意見としては1965年8月11目の同対審答申だけがクローズアップされ、同和事業が行われた時代に出された意見具申はほとんど無視されているきらいがあります。しかし、同和事業の最盛期の生々しい問題に直面していた関係者が作り上げた意見具申を読むと、当時の人々が驚くほど赤裸々に議論し、現在にも通じる問題を提起していたことが分かります。
 当時の意見具申はインターネット上でも研究団体によって公開されているものが見られるので、ぜひ 検索してみてください。


部落差別の原因とは

 問題を解決するためには、問題の原因を取り除かなければなりません。しかし、何が部落差別の原因なのかということも、推進法の制定の過程では明らかにされていません。
 1965年8月の同対審答申は、部落差別の意識の面での原因の一つとして「昔ながらの迷信、非合理的な偏見、前時代的な意識」を挙げています。また、物質的な面で見られる劣悪な生活環境が意識の面での差別を生み、意識の面での差別が劣悪な生活環境を生むという悪循環論が唱えられていました。
 しかし、同和事業や日本全体の経済発展により部落の環境が改善し、教育・啓発によって前時代的な意識も薄れてくると、前述のような前提は成り立たなくなっていきました。それでも部落差別がなくならないとすれば、当然、別の原因があるということになります。
 現代における部落差別の原因を明らかにし、なおかつ公的な見解として発表された唯一の文書は、第四章でも取り上げた1986年12月11日地対協意見具申でしょう。地対協意見具申は部落差別の「新しい要因」として次の四つを挙げています。

 第一は、行政の主体性の欠如である。現在、国及び地方公共団体は、民間運動団体の威圧的な態度に押し切られて、不適切な行政運営を行うという傾向が一部にみられる。このような行政機関としての主体性の欠如が、公平の観点からみて一部に合理性が疑われるような施策を実施してきた背景となってきた。また、周辺地域との一体性や一般対策との均衡を欠いた事業の実施は、新たに、「ねたみ意識」を各地で表面化させている。このような行政機関の姿勢は、国民の強い批判と不信感を招来している。
 第二は、同和関係者の自立、向上の精神のかん養の視点の軽視である。同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上が達成されなければならないが、これまでの対策においては、同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点が軽視されてきたきらいがある。特に、個人給付的施策の安易な適用や、同和関係者を過度に優遇するような施策の実施は、むしろ同和関係者の自立、向上を阻害する面を持っているとともに、国民に不公平感を招来している。
 第三は、えせ同和行為の横行である。民間運動団体の行き過ぎた行動に由来する同和問題はこわい問題であり、避けた方が良いとの意識の発生は、この問題に対する新たな差別意識を生む要因となっているが、同時に、また、えせ同和行為の横行の背景となっている。えせ同和行為は、何らかの利権を得るため、同和問題を口実にして企業・行政機関等へ不当な圧力をかけるものであり、その行為自体が問題とされ、排除されるべき性格のものであるが、このような行為は、これまでなされてきた啓発の効果を一挙にくつがえし同和関係者や同和問題の解決に真剣に取り組んでいる民間運動団体に対する国民のイメージを損ね、ひいては、同和問題に対する誤った意識を植え付ける大きな原因となっている。行政機関は、えせ同和行為が横行しているという事態を深刻に受け止めるべきである。
 第四は、同和問題についての自由な意見の潜在化傾向である。同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは、差別意識の解消の促進を妨げている決定的な要因となっている。民間運動団体の行き過ぎた言動が、同和問題に関する自由な意見交換を阻害している大きな要因となっていることは否定できない。いわゆる確認・糾弾行為は、差別の不合理性についての社会的認識を高める効果があったことは否定できないが、被害者集団によって行われるものであり、行き過ぎて、被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。また、何が差別かということを民間運動団体が主観点な立場から、悠意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている。
 この意見具申が出されてから既に30年余りが経過していますが、これら四つの要因を排除するための取り組みが十分に行われたとは言えません。同対法により同対審答申が完全実施されたように、推進法では地対協意見具申の完全実施が求められていると言えるでしょう。


誰が問題の当事者なのか

 同対審答申は、部落問題の解決を「国民的課題」と位置づけました。1871年の解放令以来、部落民・一般民という法律上の区別はありません。同対法もそのような対立を前提とはしていません。また、法務省人権擁護局が挙げる人権課題では、女性、高齢者、アイヌの人々…といった特定のグループを指す項目があるのに対して、部落については「同和問題」という呼び方をしており、「部落民」あるいは「同和関係者」のような区分けはしていません。
 しかし、実際には部落問題が「国民的課題」というよりは、「部落民」と「一般民」との対立という捉え方がされてきたことも事実です。
 第三章で説明した朝田理論は、人権連の立場からは「部落排外主義」として批判されてきました。そして、地対協意見具申が出された際は解放同盟内部からも排外的な運動団体のあり方を批判する動きがあり、現在では表立って朝田理論が主張されることはなくなりました。
 しかし、現在でも特に解放同盟に近い立場の人々は、「自分は被差別の立場だ」ということをことさら強調したり、運動団体のあり方についての批判に対して「被差別者責任論だ」として聞く耳を持たなかったりする傾向があることは事実です。1970年代に解放同盟が提唱した「被差別統一戦線」も、「差別者・被差別者」という対立構造を前提としたものです。
 一方、解放同盟以外の主要運動団体は誰が部落民かということを曖昧にしています。人権連は「国民融合論」という考えがあり、誰が部落か一般かということを区分けすることが、イデオロギーにそぐわないということが背景にあります。また、全日本同和会・自由同和会は「融和団体」であるため、事実として部落とは関係ない人々を公然と運動に受け入れてきました。
 第一章で説明した通り、そもそも誰が部落民かということが非常に曖昧なことです。また、部落の住人になれば、直ちに「被差別の立場」という属性が付いて回ることもありません。部落の住人だからと言って「一般民」と何か違う感覚を持つということはありません。そもそも部落が何なのかよく分からない、なぜ「部落民」なのかも分からない、運動団体や同和事業のあり方には問題があるのではないか、しかしタブーだから怖くて言い出せない、そのような感覚が「一般民」にあるように「部落民」にもあります。
 部落問題は、対等な国民の間での問題ととらえる必要があります。自らが「被差別の立場」であるという主張は、それ自体が部落を特別視する考えであり、警戒しなければなりません。
 また、「部落」という全国的な集団があるわけではなく、各地の部落はそれぞれ別のものです。ある部落に対する「差別」が、全国の部落に対する「差別」ということにはならず、個別の問題の当事者は特定の部落ないし個々人であるととらえなければなりません。
 「部落民」や「被差別の立場」を自称する人が目の前に現れた時、あらゆる意味で一貫して、対等な国民として見ることが重要です。さらに踏み込んで言えば、「部落民」は存在しないと考えても全く差し支えありません。


行政の主体性の回復と部落の自立

 地対協意見具申が述べる「行政の主体性」「同和関係者の自立」は、特措法が期限切れとなった現在では、名実ともに同和事業を終わらせることを意味します。
 特に同和地区のランドマークとなってしまっている隣保館・教育集会所、立ち並ぶニコイチのような、目に見えるものは速やかに片付ける必要があります。これらの物件は「ここは特別な地区である」と主張するようなもので、意識の面での差別の要因になり得るからです。
 その際、重要なのは協力する相手を間違えないことです。決して運動団体に協力を求めてはいけません。大阪市などの同和事業を終了させた自治体に視察に行き、ノウハウを学ぶのも良いでしょう。最もよい方法は、同和事業を終了させた自治体の担当者を招き入れることです。 部落の自立を実現するために、特に解放同盟などの運動団体への公金の支出は速やかに止めるべきです。団体補助金だけでなく、相談事業費、機関紙や書籍の購入費用など、あらゆる名目での支出を止める必要があります。行政の審議会等にも運動団体の肩書を持つ人物を委員に入れてはいけません。
 「差別だ」と反発される可能性もありますが、その場合はなおのこと排除が必要でしょう。百歩譲って別の理由であればまだ耳を傾ける余地があるかも知れませんが、「差別」を持ち出す時点で「同和問題を口実に」する行為に他なりません。それに屈することは、えせ同和の排除にも反することです。
 たとえ正論のように聞こえることであっても、特定の考えを押し付けられ、威圧的な態度を取られたり、逆に泣き落とされたりするのは不愉快なことです。一見して正しいことのように見えても、何の生産性もないことに費用や労力を割かれることは無駄なことです。不愉快なこと、無駄なことを避けたいと思うのは、ごく普通の感覚であって、それは差別ではありません。
 運動団体から恫喝されたり、同和事業にからむ不適切な事象が発覚したりするようなことがあれば、それはピンチではなくチャンスと捉えるべきです。だからこそ、同和事業を廃止すべきであるという根拠となることでしょう。
 貸付金の回収といった業務も、運動団体に頼らず、行政が主体的に取り組むことが重要です。
 難しいのは解消法(部落差別の解消の推進に関する法律 2016年~)に定められた相談、教育・啓発、調査です。相談は運動団体に委託し、講演会などは「システムブレーン」などの講師派遣業者に依頼しているのが多くの自治体の実態です。理想的には自治体職員自らが行うことですが、外部の人間に依頼するにしても色のない人選をするために、インターネットでその人の名前で検索する等し(当然デマもあり得るため別の視点での裏付け調査も必要です)、特定の政治勢力や運動団体に偏っていないか、慎重な事前調査が必要です。
 実態調査にしても、個人情報保護がらみのリスクを避けるために安易に外部団体に委託してしまうということが起こり得るでしょう。個人情報保護がらみのリスクとは、具体的には部落の実態調査対象者自らが役所に「個人情報開示請求」を行い、結果的に「部落民証明書」のようなものを役所が作ってしまうことです。それを避けるために、国勢調査の小地域別集計を利用し、あくまで属地的な調査に留めることです。
 最もよいことは、早く同和事業を終わらせ、同和地区指定を解消することです。そもそも「相談、教育・啓発、調査」が不要な状態にするに越したことはありません。
 これは部落問題に限らないことですが、一人や少数で問題を抱え込まないことが大切です。なるべく同調者を増やし、どのような小さな問題であっても、複数人で対応しましょう。


えせ同和の排除

 何がえせ同和で、何がえせ同和でないのか、これは明確な定義はありません。しかし、国の同和事業が終結した現在では、「部落問題を理由とした、不愉快または無駄なあらゆる事象」ととらえて差し支えないでしょう。
 企業や団体であれば、同企連(人企連)のような組織からは、即座に脱退するべきでしょう。職場で部落問題に関わる出版物を購入しており、それらがほとんど読まれていないのであれば、無駄なので買うのを止めるべきです。
 部落問題に関する研修や講演が、不愉快か無駄だと感じれば、出席せずにその時間を別の有意義なことに活用しましょう。前述のとおり、不愉快と無駄を避けたいと思うことは、決して「差別」ではありません。
 えせ同和は、たとえ主要四団体によるものや、法務局や自治体のような行政機関によるものであっても、えせ同和です。なぜなら地対協意見具申は、えせ同和について一貫して「えせ同和行為」との用語を用い「行為自体が問題」としており、誰が行うかということを問題にしていないからです。むしろ、民間運動団体がえせ同和の原因となっており、行政機関にもえせ同和が横行している事態を深刻に受け止めるように求めています。
 えせ同和の原因となる、行き過ぎた行いをしてきた運動団体に協力してはなりません。そのために、例えば、職場、日常生活、地域活動などあらゆる場面で解放同盟を排除して無視することが考えられますが、無論これは部落差別ではありません。解放同盟=部落ではないからです。
 たとえ解消法が掲げる、相談、教育・啓発、調査に名を借りたものであっても、不愉快または無駄なものであれば徹底排除すべきです。もっともらしいからこそ「えせ」と呼ばれる所以なのです。しかし、えせ同和を排除するための有意義な相談、教育・啓発、調査には大いに協力するべきでしょう。
 そして、ここでも重要なのは一人や少数で問題を抱え込まないことです。歴史に学べば、以前の章で述べた通り、全日本同和会による交渉要求を拒絶した宮崎県高鍋町役場や愛媛県庁では、職員がピケを張り一致団結して要求をはねのけました。えせ同和の排除にはそれだけの覚悟が必要であるし、また「やれば出来る」ということです。
 職場等でえせ同和を見かけた時は、「あれは不愉快で無駄だよね」という意識を、役職に関わらずなるべく多くの人で共有しましょう。
 なお、よく誤解されますが部落民でない者が部落民を自称することは、えせ同和ではありません。地対協意見具申を読めば、それは明らかです。そもそも、部落民という身分は解放令により廃止されており、歴史的社会的に特定の人が部落民であるかどうかを論ずることも水掛け論です。従って、えせ同和に対抗するために部落民を自称することは正当な方便と言えます。この場合、自信を持って最初から最後まで「自分は部落民である」と主張しましょう。


部落差別が解消された状態とは

 さて、何をもって「部落差別が解消された」と言えるのでしょうか。解消法制定時の議論においても、どのようなゴールを目指しているのか疑問が呈されましたが、うやむやにされています。
 運動団体においては、この議論は比較的以前からなされてきました。
 全解連は1986年3月の第16回定期大会で「部落問題の解決すなわち国民融合とは、部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会で受け入れられない状況がつくりだされること、部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること、地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること、である」との決定がされました。全解連が人権連に改組した後も、これが人権連の見解となっています。
 一方、解放同盟は2011年3月の第68回部落解放全国大会で、ようやく「部落解放が実現された状態とは、部落民であることを明らかにしたり、歴史的に部落差別を受けた地域が存在していても、何らの差別的取り扱いや排除・忌避を受けることなく人間としての尊厳と権利を享受し、支障なく自己実現ができる社会環境になることである」との決定をしました。
 しかし、両団体の見解を見ても、多くの人はピンとこないのではないでしょうか。特に解放同盟の見解は、「部落民であることを明らか」にできることを要件としており、解放令と矛盾しているように見えますし、解放同盟が『全国部落調査』の出版禁止を申し立てたこととも矛盾しているように見えます。
 政府の見解はどうかと言えば、部落差別が解消された状態について明確に述べたものはありません。しかし、原因を取り除くことが問題の解決と考えるならば、先述の地対協意見具申に挙げられる四つの要因が排除されることが部落差別の解消と言えるでしょう。
 つまり、行政機関からの運動団体の完全排除を実現し、同和事業を名実ともに完全に廃止して部落の自立を実現しなければなりません。
 そして、えせ同和を完全に排除するために、部落問題を理由に不愉快、無駄な行為が行われることについて、はっきりと嫌だと言える雰囲気を醸成しなければなりません。
 もっとも重要なのは、部落問題についての自由な意見交換です。現状のように、部落の地名や、同和事業や運動団体への批判を、声を潜めてしか言えない状況は克服されなければなりません。
 いずれにしても、部落差別の解消は、ある日突然全国一斉に実現するというものではありません。過去の様々な社会問題がそうであったように、個別の地域で徐々に解消されていき、気が付いたらいつの間にかなくなっていた、ということになるでしょう。

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