保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで

保守・保守主義ってなに・・・、と改めて聞かれた時に、私もきちんとした答えができなかったと思う・・・。

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで

 保守主義とは何なのかをきちんと把握しておきたいと思いました。
 というのは、著者が「はじめに」で述べているように、私も保守や保守主義という言葉が曖昧に使われていると感じながら、私自身もそうしてきたからです。
  

 本書を手にしたのは、単に本の題名が良さそうだと思ったからにすぎませんでしたが、入門編としてとても参考になったと思っています。

 ちなみに、著者はあとがきで次のように書いています。

 あえてこの本の特徴を書くとすれば、類書の多くが保守主義者を自認する著者によって書かれているのに対し、本書の著者は必ずしも自らを保守主義者とは考えていない点を指摘できるだろう。

 保守主義者による本が、しばしば保守主義についての解説を超えて、自らの立場の正当化へと向かうのに対し、本書はそのような意図をもっていない。ただ、肯定するにせよ、否定するにせよ、保守主義について歴史的に理解することがますます重要になっていると考えているだけである。

濃淡はあるが、取り上げるに値すると著者が考えた思想家や本だけを取り上げており、けっして網羅的な解説であることを意図していない。

 宇野重規さんの「保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで 」 を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで 宇野重規


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目次

 はじめに 1
 序章 変質する保守主義 ―― 進歩主義の衰退のなかで 3

 第1章 フランス革命と闘う 21
Ⅰ エドマンド・バークの生涯
Ⅱ 英国統治システムヘの自負 ―― 帝国の再編と政党政治
Ⅲ 『フランス革命の省察』

 第2章 社会主義と闘う 63
Ⅰ T・S・エリオット ―― 「伝統」の再発見
Ⅱ ハイエク ―― 知の有限性と懐疑
Ⅲ オークショット ―― 「人類の会話」というヴィジョン

 第3章 「大きな政府」と闘う 109
I アメリカ「保守革命」の胎動
Ⅱ リバタリアニズム ―― フリードマンとノージック
Ⅲ ネオコンの革命 ―― 保守優位の到来

 第4章 日本の保守主義 153
I 丸山眞男と福田恆存 ―― その存在をめぐって
Ⅱ 近代日本の本流とは
Ⅲ 現代日本の保守主義とは

 終章 21世紀の保守主義 193

 あとがき 209   参考文献 215  


はじめに

 曖昧な「保守主義」
 保守主義とは何であろうか。21世紀の今日、保守主義を論じることにどれだけの意味があるのだろうか。
 なるほど、言葉としての「保守」や「保守主義」を目にしたり、耳にしたりする機会は少なくない。政治的立場を論じる場合、依然として、「保守」と「リベラル」(もしくは「保守」と「革新」)という対立軸が用いられるし、政治家に限らず、自らを「保守」と自認する人も多い。
 とはいえ、それでは「保守」とは何かとなると、実はかなり怪しい。男女平等やジェンダーフリー(性役割をめぐる固定的通念からの自由を求めること)の思想に批判的な人々を指すこともあれば、自国を愛し、外国人に対して警戒的な態度を意味することもある。時にアメリカでのように、「小さな政府」を目指す立場を「保守」と呼ぶことさえある。結局のところ「保守」といっても、「自分はリベラル(あるいは「左翼」)ではない」という、消極的な意味合いしかもたないのかもしれない。
 はたして、「保守」もしくは「保守主義」について、共通の理解や定義のようなものがあるのだろうか。それとも、ただ、それぞれの人が好きなように使っているだけの言葉なのだろうか。
 明確な定義もなく、人によってまちまちに使われているにもかかわらず、思わず人がそれを口にしてしまう言葉、そんな言葉をしばしば、「バスワード(buzzword)」や(プラスティック・ワード(plastic word)」という。こういった言葉は曖昧なだけに、むしろ何か意味があるように聞こえてしまう。あるいは「保守主義」もまた、現代における「バスワード」や「プラスティック・ワード」の一つなのだろうか。
 かつて、第二次世界大戦で英国を主導した首相のウィンストン・チャーチルは、次のような言葉をロにしたという。「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮か足りない(if you are not a liberal at twenty, you have no heart. if you are not a conservative at forty, you have no brain)」。
 若き日に自由や平等の理念に心動かされ、理想主義的になることが一度もないとすれば、それは感情の欠如である。かといって、いい歳になっても抽象的な理想を追い求めるばかりで現実を理解しようとしないのも、理性の欠如といわざるをえない、というわげだ。実をいうと、この言葉にはさまざまなバージョンかあり、いろいろな人が似たような言葉を残している。「リベラル」の代わりに「社会主義者」などを入れる場合もあるし、年齢についても微妙な違いかある。
 ともあれ、かつてであれば、「保守主義」とは、さまざまな人生経験を経た、それなりの年齢に達した人間の分別ある思想、というニュアンスがあった。逆に、若者であれば、「リベラル」であったり、「社会主義者」であったりするのが当然という含意も存在したのだろう。しかしながら、現在では、このような「思想の年齢モデル」は崩壊してしまったようだ。このことが、「保守主義」をめぐる曖昧さを加速しているように思われてならない。

 「進歩」理念の後退
 大きいのは、「進歩」という理念の後退かもしれない。
 かつて間違いなく、人々が「進歩」を信じていた時代があった。昨日より今日、今日より明日と、社会はより良いものになっている。もちろんつねに前進とは限らない。時に立ち止まったり、逆戻りしたりすることもあるだろう。とはいえ、長い目で見れば、個人や社会、そして人類全体は、前に向かって後戻りすることなく進んでいる。それはあえていえば、技術や科学の前進であり、経済や生活条件の改善であり、さらには自由や民主主義の発展である。
 このような信念を多くの人が共有していた時代に有力だったのは、進歩主義の思想であった。社会が「進歩」に向けて前進することは良いことであるし、未来には何かしらの理想の実現が待っている。しばしばその理想は抽象的な理念として捉えられ、そのような理念に基づく現実世界の変革か肯定的に語られた。
 もちろん、このような「進歩」に疑問をもつ人がいなかったわけではない。後でも述べるように、進歩主義には生誕時から、それを批判する立場、すなわち保守主義というライバルか存在した。
 仮に人間社会は本当に「進歩」しているとしても、ただ「進歩」のスピードを速めればいいというわけではない。急速な「進歩」、さらには「革命」によって失われるものもある。いや、むしろその方が大きいだろう。社会は過去からの連続性の上に、少しずつ進んでいくべきである。保守主義の思想は、楽天的な進歩主義を批判するものとして生まれ、発展していった。
 近代とはいわば、このような進歩主義と保守主義との対抗関係を軸に展開した時代ともいえる。そして、その場合に重要なのは、この対抗関係のなかでイニシアティブを握ったのが、つねに進歩主義であったということである。進歩主義があってこそ保守主義もまた意味をもつのであって、その逆ではない。進歩主義が有力であればあるほど、それを批判する保守主義もまた存在意義をもったのである。
 ところが今日、「進歩」の理念は、急速に失われつつある。経済や生活条件の改善は見えにくくなり、環境をはじめ、失ったものも大きい。原子力や遺伝子操作など、技術や科学の前進が手放しで讃えられるわけでもない。何より、単線的な歴史の発展図式は多くの人々にとって、受け入れがたいものになっている。人類が「自由」や「民主主義」に向かって進んでいると、どうして言い切れようか。現代人の一般的感覚を言い表せば、こんなところに落ち着くのではなかろうか。
 結果として、「進歩」の理念に基づく進歩主義の旗色は悪く、逆説的に保守主義もまた、その位置づけが揺らいでいる。進歩主義というライバルを失った結果、保守主義もまた迷走を始めているのである。
 冒頭で指摘した「保守主義」をめぐる理解の多様性もまた、その現れではなかろうか。「保守」を自認する人の多くは、「リベラル」や「左翼」について恣意的なイメージを描き、それを藁人形のようにしてたたくことで、自らの「保守」を正当化する。しかしながら、多くの場合、それは想像上の仮想敵を相手にした空回りに過ぎないようにも見える。
 関連して、保守主義はもはや「大人」の思想とはいえなくなっている。「若者の保守化」が語られて久しいが(もっとも、若者か本当に「保守」化しているのかについては議論がある)、「分別」に欠けた(あるいは、「若々しい」)高齢の保守主義者も多い。そもそも人間の「成熟」を論じにくい時代である。
 もし「保守主義」という言葉を、今日なお意味あるものとして使うとするなら、この言葉の来歴を踏まえ、現代的な再定義をすることが不可欠であろう。その際には、保守主義をより開かれたものとして捉え直すことが不可欠になる。
 保守主義とは何なのか、あらためて考えてみたい。


18世紀におけるバークの主張<序章の一部>

 このようなバークのエピソードから明らかなことがある。
 第一に、バークの保守主義という場合、念頭にあるのはまず政治制度をはじめとする、社会のさまざまな制度であった。この場合の制度とは、必ずしも法によって明示されているとは限らず、慣習や暗黙のルールのようなものも含まれる。とはいえ、人々の間で実効的かつ安定的に作用していることが重要で、抽象的な理念やイメージはそこから排除された。あくまで具体的な制度の体系を守ることか保守主義の主眼であった。
 第二に、そのような制度は歴史的に形成され、世代を超えて維持・継承されてきたものである。すなわち、バークか守ろうとした英国国制とは、あたかも伝統的な建物のように、いろいろな人がそこに暮らし、手入れをすることで培われてきた。もちろん、それぞれの時代の人間は、自分たちにとって住みやすいように改良を行う。その意味で、ただ古いままを保持したわけではけっしてない。とはいえ、建物の基本構造は維持される必要かあり、それが失われれば、保守は保守でなくなる。
 第三に、バークか英国国制を守ろうとしだのは、ただそれか古いからではなく、より重要だったのは、人々の自由を守ることであった。そのようなバークの最大の関心事は、権力の専制化をいかに防ぎ、歴史的に人々に認められた権利をどのように守るかに向かった。鍵は、権力の抑制均衡(チェック・アンド・バランス)を可能にするための仕組みにある。自由のための制度構想こそが、バークの保守主義にとってきわめて重要であった。
 最後に、バークの保守主義の裏側のテーマは民主主義への対応にあった。バーク自身、けっして有力な貴族の家系に生まれたわげではない。それどころか、当時、隷属的な立場にあったアイルランドの出身であり、活躍したのも下院、すなわち庶民院であって、貴族院ではなかった。その意味で、彼はけっして古い身分制をよしとしたわけではない。
 とはいえ、バークはフランス革命による急進的な改革には断固として反対したように、直接的な政治参加の急激な拡大に対しては、あくまで慎重な姿勢を保持した。社会や政治の民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的な変革を目指すのが、彼の保守主義であった。
 このように、もし保守主義という場合にバークに言及するならば、少なくとも、①保守すべきは具体的な制度や慣習であり、②そのような制度や慣習は歴史のなかで培われたものであることを忘れてはならず、さらに、③大切なのは自由を維持することであり、④民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革が目指される、ということを踏まえる必要がある。
 逆にいえば、①抽象的で恣意的な過去のイメージに基づいて、②現実の歴史的連続性を無視し、③自由のための制度を破壊し、さらには④民主主義を全否定するならば、それはけっして保守主義といえないのである。少なくともバーク的な意味での保守主義ではない。


宗教と「時効」 <第1章の  Ⅲ 『フランス革命の省察』 の一部>

 バークが偏見の一つとして尊重するのが宗教である。バークは教会制度を「我が偏見中第一のものであり、しかも理性を欠いた偏見ではなく、内に深遠広大な叡智を内包している偏見なのです」(『省察』)という。
 とはいえ、バークは宗教が政治を支配すべきとか、政教分離を放棄すべきであると説くわけではない。この点、バークの宗教諭は世俗化の時代以降の宗教諭であり、あくまで世俗社会の内部で政治秩序を正当化するにあたって、教会の機能に着目するだけである。
 バークは「国家と暖炉と墓標と祭壇」を強調する。人々の国家に対する親しみとは、家庭の親しみや先祖への敬意とあいまって、教会の力によって支えられている。人間とはそもそも「宗教的動物」であり、「宗教こそ文明社会の基礎であり、すべての善、すべての慰めの源泉である」(『省察』)以上、それは自然な帰結であるともいえた。
 人間の生の心配や不安が尽きることなく、それゆえに生きてゆくための欲求を心のうちに灯す何かがつねに必要である。そうである以上、宗教がなくなることはありえないとバークは説いた。そのためにも聖職者の職は独立であるべきであり、聖職者が毅然と頭を高く上げていることで、「国教制度による国家の聖別は、また自由な市民たちに健全な畏怖心を抱かせる」(同前)のである。
 バークのもう一つ興味深い概念に「時効(prescription)」がある。これは英国人の自由を「相続財産」と呼んだこととも関連するが、バークにとってあらゆる権利は歴史的に認められてきたものであった。
 人がある土地を占有し続けることによってその所有権が認められるように、王国もまた、その出発点が征服であったとしても、その後長く平穏に統治し、人々がそれに服従することによって正統性を得る。「時効こそ、草創においては暴力的だった政府を長年月の慣行を通して熟成し、合法性の中に取り入れて来るものなのです」(同前)。
 逆にいえば、時効によって認められてきた権利を、権力が恣意的に奪うことは暴力に等しい。フランスの新政府による財産の没収や、それを担保にしたアシニャ紙幣の発行は、そのような時効に基づく秩序を破壊することを意味した。
 バークの考えるところ、国家とは、いま生きているものだけによって構成されるわけではない。「国家は、現に生存している者のパートナーシップたるに止まらず、現存する者、既に逝った者、はたまた将未生を享ける者の間のパートナーシップとなります」(同前)。現役世代が勝手に過去から継承したものを否定したり、逆に将来世代を無視した行為をしたりしてはならないのである。
 いま生きている人間は、自分たちか生きている時代のことしかわからない。それゆえ現在という時間によって制限された人々の理性は、過去と未来の世代によって補われる必要がある。バークは現在の人間の視点を、時間軸に沿って拡大することによって補完しようとしたのである。
 以上のように、バークの保守主義は、すべてをゼロから合理的に構築しようとする理性のおごりを批判するものであり、一人の人間の有する理性の限界を偏見や宗教、そして経験や歴史的な蓄積によって支えていこうとするものであった。
 人間社会はけっして単線的に設計されたものではなく、むしろ歴史のなかでたえず微修正されることで適応・変化してきた。そうである以上、社会が世代から世代へと受け継がれてきたものであり、また将来世代へと引き継がれることを忘れてはならない。バークの保守主義はそのことを説き続けたのである。

<参考 偏見について サイト主の注>
「偏見」は一般的には「偏った見解」という意味ですが、バークによれば「偏見は諸国民や諸時代の共同の銀行・資本であり、そこには潜在的な智恵が漲っている。その偏見はより永く続いたものであり、広く普及したものである程好ましい。(ウィキペディア)」ということだそうです。


文人たちの保守主義<第2章の  Ⅰ T・S・エリオット ―― 「伝統」の再発見 の書き出し>

 18世紀の後半、エドマンド・バークによってその基礎が確立した保守主義であるが、時代の変化とともに新たな展開を見せることになる。その場合も、進歩主義に対する疑念や、抽象的な理念に基づく改革への慎重な姿勢が変わったわけではない。人間の理性に限界があること、また社会や文化が世代から世代へと継承されるものであることについての強調も同様である。
 しかしながら、保守主義には、新たなライバルが出現しつつあった。社会主義である。20世紀の保守主義は、一方でロシア革命によって実現した社会主義国家に対抗しつつ、他方で自由主義諸国において社会主義に親近感を示す知識人を批判するものとなっていく。その意味で、20世紀の保守主義を考える上では、ロシア革命の衝撃に着目することがもっとも重要な課題となる。
 ただし、20世紀の保守主義について考えるためには、狭い意味での社会主義批判より、もう少し射程を拡げる必要があるだろう。20世紀前半の保守主義は、(バークのときと同様に)英国をその主な舞台とするが、英国保守主義の基本的な問題意識を形成したのは、むしろ文学者、あるいは文人たちであったからである。
 文人たちの保守主義とは、奇妙に聞こえるかもしれない。しかしながら、バーク自身が美学批評から出発したように、英国の保守主義では、しばしば政治と文学か密接に結びついていた。「はじめに」で言及したウィンストソ・チャーチルが、『第二次世界大戦回顧録』を中心とする作品によってノーベル文学賞を受けたことはよく知られているが、彼に限らず、英国の歴代首相で文学作品を残したものは多い。一例をあげれば、ペンジャミン・ディズレーリは政治家になる前に小説家としてデビューしている。
 政治家だけではない。19世紀英国を代表する政治論として、ウォルター・バジットの著作『英国憲政論(The Englishe Constitution)』をあげる人も多いだろう。ロンドンの銀行家の家庭に生まれたバジョットは、政治や経済のみならず、文芸から人物まで幅広く論じる評論家としても著名であった。文学と政治のみならず経営までもが一人の人格のなかで深く結びついていたのである。
 ここで注意しなければならないのは、彼らが政治的な文学を書いたというわけではないことである。むしろ逆に、彼らは幼少時から文学に親しみ、文学や評論を読むことを通じて得られたメンタリティや思考法をもって、政治や社会に取り組んだというべきである。この政治と文学の間の独特な結びつきにこそ、英国の保守主義の一つの特質が隠されているのかもしれない。
 その意味で、20世紀英国の保守主義を論じるにあたって、まずは詩人・文芸評論家として名高いT・S・エリオット(1888-1965)の作品に触れてみることには意義があるだろう。アメリカに生まれ、イギリスで活躍したこの文人は、第3章で言及するように、現代アメリカにおける保守主義復興の立役者であるラッセル・カークの『保守主義の精神』のなかで、特別の比重をもって論じられている。
 ちなみにカークはあるとき、大統領であったニクソンにアドバイスを求められたことがある。外は泥沼化したベトナム戦争の終結に苦しみ、内はベトナム戦争へのプロテストをはじめ、さまざまな社会問題への対応を迫られていたニクソンは、カークに単なる政策的アドバイスではなく、より根源的な示唆を求めたのであろう。その際、「何か一冊の本を読むとすれば何か」を聞かれたカークが推薦したのが、エリオットの『文化の定義のための覚書』(1948年)であった(『追跡・アメリカの思想家たち』)。
 エリオットの保守主義を論じるにあたっては、同様に著名な評論「伝統と個人の才能」(1919年)にも触れる必要がある。両著を中心にエリオットの思想を振り返ってみたい。


アメリカの保守主義とは<第3章の I アメリカ「保守革命」の胎動 の書き出し >

 ここまで見てきたように、保守主義の伝統はバークとともに始まり、その中心は英国にあった。もちろん、それ以外の国に保守主義が存在しなかったわけではない。例えば、フランスでは、ド・メーストルやボナルドら反革命の思想が台頭し、ドイツでもミュラーやハラーなどの保守主義者がいた(ヘーゲルが保守主義者として理解されることもある)。しかしながら、革命を否定しつつも、社会の漸進的改革を主張する政治的立場として保守主義を理解するならば、やはりその本場は英国であった。名誉革命によっていちはやく「守るべき」正統な政治体制を確立し、その国制の「保守」と「改良」を掲げてきたのは、まさに英国の保守主義であったからである。
 これに対し、20世紀後半から21世紀にかけて、世界の保守主義の流れで中心的な位置を占めるようになったのはアメリカであった。1980年の大統領選におけるロナルド・レーガンの当選は「(新)保守革命」とも呼ばれ、以後、「小さな政府」を掲げる「保守主義」の主張はアメリカのみならず、世界的な影響をもつようになっていく。最終的には、ネオコソ(Neo Conservatism)主導のイラク戦争へと行き着いたように、現代アメリカの保守主義は文字通り、世界を動かしたのである。20世紀が「アメリカの世紀」であったように、保守主義もまた、その中心か大西洋を渡って、アメリカヘと移動したかのように見える。
 英国とアメリカは同じアングロサクソン諸国とはいえ、大きく異なる政治的伝統をもつ。とくにアメリカの場合、政治学者のルイス・ハーツが『アメリカ自由主義の伝統』(1955年)で強調したように、ヨーロッパの王制や貴族制の伝統がもち込まれることはなかった。結果として、「独立言言」に示されたジョン・ロック的な自由主義、すなわち個人の所有権から出発して、人民の信託によって政府が設立されたと考える発想が正統的な思想となり、民主化以前の伝統に固執するヨーロッパ的な保守主義や、それに対抗する社会主義か等しく根を下ろさなかったのかアメリカの特徴とされる。
 もちろん、アメリカ建国の父たちに代表されるフェデラリスト(連邦派)、すなわち連邦政府の権限を強化し、合衆国の一体性を強化しようとした人々の思想を、「保守主義」という視点から捉えることも可能である。実際、党派や派閥の存在を前提に精巧な権力分立の仕組みを構想したジェームズ・マディソンらの思考に、政治的ユートピアを断念し、むしろ人間性にひそむ悪を見据えて制度を構想する「保守主義」の一面を見出す論者は少なくない。
 また、1786年に発生した民衆蜂起であるシェイズの反乱を受けて、民衆の急激な政治参加の拡大に危惧を覚えた建国の父たちが、直接民主制に代えて代議制を重視し、さらに立法権の肥大化を厳格な三権分立によって抑制しようとした点に、「保守主義」の側面を見出すこともできる。さらには19世紀前半に活躍した政治家ジョン・カルフーンらに代表されるアメリカ南部の保守的伝統も、しばしば強調されるところである。
 にもかかわらず、20世紀半ばに至るまで、アメリカで「保守主義」が正統的な位置を占めることはなかった。保守党という名前の政党か発展することはなかったし、自らを保守主義者と自称する政治勢力も存在しなかった。むしろフランクリン・ローズヴェルト大統領によるニューディール政策の成功は、政府主導の下に社会の発展と個人の平等をはかる「リベラリズム」に対する幅広いコンセンサスをもたらした。進歩と改革が時代の基調となるなかで、保守主義が占めるべき位置はどこにもなかったのである。
 1950年代のマッカーシズムによる「赤狩り」も、冷戦の進行という外的環境などに起因する「病理的」現象と見る立場が、知識人たちの間で目立った。ダニエル・ベル編の『保守と反動(原題はThe New American Right)』(1955年)などが、その典型であろう。


英米圏以外の保守主義<第4章の I 丸山眞男と福田恆存 ―― その存在をめぐって の書き出し  >

 ここまでフランス革命と闘う保守主義、社会主義と闘う保守主義、そして大きな政府と闘う保守主義を見てきた。その中心となったのは、ラッセル・カークの『保守主義の精神』に描かれているように、英米のアングロサクソン両国であった。
 もちろん、他の国に保守主義者と呼ばれる人がいなかったわけではない。しかしながら、本書の冒頭で示したようにバークを基準にとるならば、保守主義とは、①具体的な制度や慣習を保守し、②そのような制度や慣習が歴史のなかで培われたものであることを重視するものであり、さらに、③自由を維持することを大切にし、④民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革を目指す。
 
その意味で、単に過去に価値を見出す思考がすべて保守主義と呼ばれるべきではない。まして知識社会学者のカール・マンハイムがいう、変化一般に対する嫌悪や反発としての「伝統主義」とは明確に区別されなければならない。保守主義はあくまで自由という価値を追求するものであり、民主主義を完全に否定する反動や復古主義とは異なる。保守主義は高度に自覚的な近代的思想であった。
 そうだとすれば、早くに保守すべき自由の体制を確立した英米の両国で、保守主義か先行して確立したのは不思議ではない。バークの眼前には名誉革命によって打ち立てられた英国国制があり、アメリカには王制や貴族制の過去がなく、むしろ自由主義を建国の思想とする独自の出発点があった。
 これに対し、伝統的な政治体制が長く存続し、むしろその打倒が政治的近代化の課題となった国々 ―― 世界史のなかでは、こちらが一般的であり、むしろ英米の方か例外的かもしれない ―― では、伝統を否認する政治的急進主義と、それに反発する勢力とか衝突し、自由な秩序の確立に向けて漸進的改革を主張する保守主義が確立する余地は小さかったといえる。
 実際、革命の国フランスでも、長らく「保守主義」は存在しなかった。フランス革命に反発し、ブルボン朝の昔に戻ろうとする「反動」や、これ以上の革命に対しブレーキをかけようとする「自由主義」の勢力は存在しても、現行の政治制度を自覚的に「保守」しようとする勢力はなかなか現れなかったのである。
 フランスで「保守主義者」と呼ばれる人の多くは、実際には、正統王朝主義者(ブルボン朝への復帰を願う人々)やカトリック主義者、さらにはナショナリストであり、彼らのほとんどは現行の政治体制への忠誠心をもたなかった。ちなみに、近年、フランスで『右派思想史』という本を書いた研究者がいるが、その著作の副題が「不可能なる保守主義」であったことが象徴的である。


政治は感情なのか<終章の書き出し>

 最後に、21世紀の今日、保守主義の現状と未来を考えてみたい。
 本書の冒頭で論じたように、進歩主義と保守主義とが競い合った時代を近代とするならば、いまや急速に、両者の対抗関係は見えにくくなっている。その主たる原因は、進歩主義の側にある。人類ははたして「進歩」しているのか。あらゆる社会が共通して目指すべき未来像が存在するのか。「革命」や「革新」といった言葉がかつてのような輝きを失った現在、進歩主義の旗色は悪い。
 逆に、行き過ぎた進歩主義にブレーキをかけてきた保守主義もまた、ライバルを見失うことで迷走しつつある。自分たちはいったい何を保守しようとしているのか。どのような伝統を尊重する必要があるのか。共通の認識を欠いたまま、「保守」を自認する人が増えているようにも見える。
 社会心理学者のジョナサン・ハイトは、アメリカ社会の左派と右派の分断について、イデオロギーや利害の対立ではなく、むしろ感情的な対立であるとして分析を試みている(『社会はなぜ左と右にわかれるのか』)。ハイトによれば、人々は自らの道徳や政治的立場を、理性に基づく熟慮によって決定しているわけではない。重要なのは感情による直観である。理屈づけや合理的説明は後からなされるが、最初からそのような理由で決めていると人々は錯覚してしまうのである。
 ハイトによれば、現代アメリカにおける保守主義の優位は、社会心理学的に説明できるという。すなわち、共和党のスローガンや政治宣伝、スピーチが単刀直入に直観に訴えるのに対し、民主党の候補者はむしろ理性的で冷たい印象を与えている。
 ハイトは道徳基盤を、〈ケア〉、〈公正〉、〈自由〉、〈忠誠〉、〈権威〉、〈神聖〉の6つに分類する。これらはいずれも、人類がその生き残りをはかるために発達させてきたものであり、「自ら身を守る方法をもたない子どもをケアすべし」、「他人につけ込まれないようにしつつ協力関係を結ぶべし」、「機会があれば他人を支配し、脅し、強制しようとする個体とともに、小集団を形成して生きていくべし」、「連合体を形成し維持すべし」、「階層的な社会のなかで有利な協力関係を形成すべし」、「グループの結束を強化するのに必要な、非合理的で神聖な価値を有すべし」という課題に応えるものである。
 ハイトの実験によれば、この6つの道徳基盤のうち、リベラルがもっぱら〈ケア〉と〈公正〉と〈自由〉を重視して、〈忠誠〉、〈権威〉、〈神聖〉を無視しがちなのに対し、保守の側は6つをほぼ等しく扱っているという。リペラルのなかではもっともバランスのとれた道徳感覚を備えているように見えたバラク・オバマにしても、やがては〈ケア〉と〈公正〉しか語らなくなってしまったとハイトは指摘する。


あとがき

 本書は保守主義についての概説書である。類書は多い。海外においてはラッセル・カークの『保守主義の精神』やロバート・ニスベットの『保守主義 ―― 夢と現実』、あるいはカール・マンハイムの『保守主義的思考』などがすぐに思い浮かぶ。日本においても優れた著作が少なくない。
 それなのに、なぜ屋上屋を架すように、新たに保守主義についての本を書いたのか。この本ならではの特徴やメリットはあるのか。そのような疑問がただちにわき起こっても不思議ではない。
 あえてこの本の特徴を書くとすれば、類書の多くが保守主義者を自認する著者によって書かれているのに対し、本書の著者は必ずしも自らを保守主義者とは考えていない点を指摘できるだろう。
 保守主義者による本が、しばしば保守主義についての解説を超えて、自らの立場の正当化へと向かうのに対し、本書はそのような意図をもっていない。ただ、肯定するにせよ、否定するにせよ、保守主義について歴史的に理解することがますます重要になっていると考えているだけである。
 他方で本書は、保守主義を批判しようとも考えていない。すなわち、保守主義を乗り越えるべき思想、あるいは克服すべき病理と考え、その発生と現状、および今後の対応を検討することを課題としているわけではない。むしろ、歴史的に振り返るならば、保守主義の思想には今日なお傾聴すべき英知か多く含まれ、そこで示された諸課題はいまだ十分に解決されていないことを認めるにやぶさかではない。
 要するに、本書は保守主義者による自らの思想の開陳でもなければ、批判的な立場からの保守主義の解明でもない。ただ、保守主義の思想について、歴史的な決算書をつくってみたいというのが、著者の素朴な願いであった。
 
背景にあったのは、過去に進歩主義のおごりや迷走を批判してきた保守主義であるが、いまはむしろ保守主義におごりや迷走が見られるのではないか、という問題意識である。近代という時代が進歩主義の時代であり、それゆえに進歩主義を批判することに意味があったとすれば、近代も折り返しを過ぎた現在、むしろ保守主義が優位する時代となっている。そうであるとすれば、かつて保守主義が進歩主義を厳しく吟味したように、今度は保守主義を批判的に再検討しなければならない。本書が目指したのは、そのような課題である。
 その場合、取り上げる対象のセレクションについて、特有の偏りがあることは否定しない。すなわち、数多くの保守主義者やその思想書について在庫整理を行い、あるものについては虫干しを行い、あるものについては部分的補修を行い、現代において私たちが知っておくに値する保守主義の思考を選び出そうという意図の下、本書は書かれている。その意味で、濃淡はあるが、取り上げるに値すると著者が考えた思想家や本だけを取り上げており、けっして網羅的な解説であることを意図していない。
 
一例をあげれば、本書で検討した人々のうち、もっとも貴族主義的な色彩の強い ―― 言い換えれば臭みの強い ―― T・S・エリオットについても、本書の著者は、いまだなお読むに値する優れた書き手だと思っている。現代アメリカの保守主義についても、ネオコンによるイラク戦争など批判すべき点は多いが、それでも思想的に見るべきところがないわけではない。
 また、日本の保守主義についても、伊藤博文以来の流れを無条件に擁護するつもりはないが ―― むしろ、アジアの植民地化など批判すべき点の方が多い、それでも近代日本における一定の政治的達成であり、批判するにせよ肯定するにせよ、一つの機軸となる伝統を残したと評価している。
 あえていえば、歴史的に振り返ったとき、現代のいわゆる「保守主義」が、過去の優れた保守主義の思想に対抗するだけの水準と内実をもっているのか、その点について疑問か残るというのが、著者の素朴な感慨である。むしろ現代において、保守主義のとめどない「劣化」が起きているのではないか。そのような危機感から本書は構想された。
 はたして、そのような大層なことをいう資格が本書の著者にあるのか、その判断は読者に委ねなければならない。ただ、保守主義者を名乗るのであれば、本書で書かれているようなことは最低限、押さえておいて欲しいし、保守主義を乗り越えようとするのであれば、ここで提示されている課題について、新たな視座を提示する必要がある。
 本書の執筆にあたっては、企画段階から校正に至るまで、中公新書編集部の白戸直人さんのお世話になった。白戸さんとのつきあいも長くなったが、ようやく宿題を提出できてほっとしている。また、本書の一部は、すでに雑誌『中央公論』(2015年1月号、「日本の保守主義、その「本流」はどこにあるか」)で、発表している。その際に、さまざまな支援を惜しまれなかった同編集部の吉田大作さんにもお礼をいいたい。みなさま、ありがとうございました。
 2016年春 相次ぐ自然災害からの復興を願いつつ  宇野重規





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