NHK解体新書

NHKの番組制作に協力し、裏切られ、NHKを訴え、「口止め料を払うから黙れ」との和解条件?を拒否して・・・、NHKの実態を示してくれる有馬哲夫さんの著書です。

NHK解体新書

 私も「NHKは民営化かスクランブル化して欲しい。そのための法改正をして欲しい。」と思っています。→ Aべのちょっと考察「NHKは民営化かスクランブル化して欲しい」
 公共放送・国営放送が必要なら、放送内容はニュースや気象情報等に絞って、受信料(受信税)は現状NHK受信料の5%くらいにすべきだと思う。
 また、それを請け負う企業として、今のNHKにはその資格が無い。
 

 NHKの番組制作に協力し、裏切られ、NHKを訴え、「口止め料を払うから黙れ」との和解条件?を拒否してNHKの実態を示してくれている有馬さんの著書を読んで、NHK解体の必要性を一層痛感しました。
 

 有馬哲夫さんの「NHK解体新書」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

NHK解体新書 有馬哲夫



目次

 はじめに NHKから国民を守るためにすべきこと 3
「N国党」結党目的に追加すべきもの  / NHKの田島道治「拝謁記」スクープは先行研究の「盗作・盗用」  / 学者ならクビになりかねない倫理違反をNHKはした  / 学者なら「先行研究」に触れないNHKに忖度してはいけない  / 教員・研究者なら懲戒免職、学生なら停学、NHK職員なら?

 第1章 私はなぜNHKを訴えたのか 23
私は詐欺にあった  / 最初は、床に額をなすりつけるようにアプローチしてきた  / 「米国立第二公文書館」に行ったことがあるのか?  / 「監修」という条件で引き受ける  / 「監修」と「取材協力者」との違いとは  / NHKに「約束」という言葉はない  / 「釣った魚にはエサはやらない」ということか  / 出演していないのに「出演料」でごまかすNHK  / 追い詰められたNHKは「上から目線」に豹変した  / 泣き寝入りはしないぞとNHKを訴えた  / NHK法務部は消耗戦に持ち込んできた  / 「三百代言」を繰り返すNHK側の弁護士  / NHK法務部への反論  / 「口止め料を払うから黙れ」との和解条件?  / 「組織暴力の資金源」は「受信契約者のみなさま」の受信料

 第2章 NHKの「盗作・盗用」はやりたい放題 63
NHKは裁判敗北後も私の著作を盗作  / 他人のアイデアをあたかも自分のものと主張するのは盗作・盗用  / コンピュータの「類似度判定」で盗作か否かは判定可能  / NHK番組は「類似度判定」でアウトになった  / NHKが開発した「原作かくし」のテクニック  / 歴史研究に対する許しがたい冒涜を繰り返すNHK取材班  / NHKは『原爆 ―― 私たちはなにも知らなかった』を読んでいた  / まだまだある・・・盗作・盗用のオンパレード  / 歴史番組で「ドラマ仕立て」にするのは背信行為  / 「原作かくし」で「著作権NHK」のクレジットを正当化  / NHK番組製作スタッフの皆さん、「まともな人間」になってください

 第3章 戦前・戦中は軍部、戦後は占領軍に盲従 93
NHKだけが明確にしていない「戦争責任」  / 戦中は大本営発表、戦後はWGIPをたれ流し  / 保身のためなら何にでも乗り換える  / WGIP的DNAはいまも残っている

 第4章 「原爆」を「平和」に変えた 107
「8月6日」は広島では「平和祭」をやる日たった?  / なぜ「原爆」を「平和」と置き換えるようになったのか  / 置き換えに決定的役割を果たしたのはNHK  / 戦争犯罪(残虐行為)をなかったことにする「WGIP」の洗脳工作

 第5章 NHKは放送法違反を繰り返す 119
またしても「放送法違反」を繰り返したNHKの原爆番組  / 「賛成派」と「仕方なかった派」ばかりを紹介  / アメリカでは「原爆投下は正当だった」回答が激減している

 第6章 日本人の「歴史認識」をミスリードしている 129
間違った歴史観を植え付ける  / 「作るべき歴史番組」をなぜ作らないのか  / 奇をてらって歴史をねじ曲げるのがお得意  / NHKが捏造した「ヤルタ緊急電」  / アメリカにあるものをイギリスから見つけても「新資料」とはならない  / NHKは「字幕と吹き替え」を使って歴史を捏造する  / 贔屓の学者を使って手間をかけずに安直に作る  / 思いつきの「番組企画」にあわせて歴史をねじ曲げる  / またしても「原作かくし」  / ETV特集「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」も盗作・盗用  / 「ハイエナNHK」への提言

 第7章 「偽りのヒーロー」をでっちあげるのがお好き 161
ポツダム宣言を黙殺した鈴木貫太郎はヒーローではない  / 鈴木は日本を破滅に導こうとしていた  / グルーはポツダム宣言を捨てようとしていた  / 最も重要な「皇室維持条項メモ」を完全に無視  / 歴史をお手軽に脚色するな

第8章 「エリートが作ってやくざが集金する」組織か 175
「NHK集金人」の恐るべき受信料徴収の論理  / 占領軍はNHKの廃止を考えていた  / NHKの独占を打破するために民間放送を作った  / 受信料規定は「放送法の父」でさえ反対だった  / 日本文化のためにも今のNHKは廃止すべし

 おわりに NHKを解体するための処方箋 187
「NHKをほとんど見ていないという実態」を直視せよ  / 公共の電波を使う放送局はみな「公共財」  / 日本のテレビ番組は先進国のなかでも最低レヴェル  / 「メディア公社」設立の勧め  / 「日本版FCC」の設置のすすめ

 巻末資料 200

 初出一覧 205


「N国党」結党目的に追加すぺきもの

 第25回参議院通常選挙(2019年7月21日)において、NHKから国民を守る党(以下N国党とする)が比例区において98万7885票(1.9%)、選挙区において152万1344票(3.02%)を獲得し、一議席を得て立花孝志が当選した。これについてマスコミがいろいろ書きたてているが、まずはNHKの存在が国民の議論の対象になり、継続的に論じられる見通しになったことを喜びたい
 N国党は党規約の第二条で党の目的を次のように挙げている。
 1.NHKの受信料制度について、多くの国民及び視聴者が真剣に考える機会を提供すること。
 2.受信料制度に疑問や不満を感じている国民に、同制度に関する法律や条例を制定または改廃する機会を提供すること。
 3.本会の目的を実現するため政治家を志す者に対し、その志を実現するための機会を提供すること。
 4.本会の目的に共感し志を同じくする国民及び視聴者が協力して行動できる機会を提供すること。
 5.強い正義感と責任感から内部告発をした者及び内部告発をしようとする者や、同じく内部告発に関わることによって精神疾患となった者が、その正義感や責任感が正当に評価され、その評価に相応しい職場環境での労働が実現するために最大限の援助をすること。
 6.上記1ないし5の実現を目指すことにより、国政の発展と国民生活の向上を図り、あわせて会員相互の親睦を深めること(NHKから国民を守る党のホームページから引用)。
 私はこの党の目的に異論はないし、また、異論を唱える立場にもない。ただ、5のあたりに次のような二項目を加えていただきたい。
 5-1.NHKの番組製作スタッフの盗作・盗用、その他の著作権侵害、およびそれらに関連する不正や不法行為やハラスメントを監視し、見つけたときは告発し、関係者に対する厳罰と氏名の公表を要求することによって、NHKが再びこのような行為に走らないようにすること。
 5-2.NHKの番組が数千万人の視聴者に影響を与えていることに鑑みて、データや資料の捏造・改竄、過度の誇張や省略によって、番組視聴者が誤った知識や歴史認識を植えつけられることがないよう監視し、見つけたときは告発し、関係者に対する厳罰と氏名の公表を要求することによって、NHKが再びこのような行為に走らないようにすること。
 この二項目を加えるならば、「NHKから国民を守る」という党のテーゼがより明確になるし、これまでN国党を支持してこなかった層にも支持を広げることができるのではないだろうか。


「口止め料を払うから黙れ」との和解条件?

 このなかでNHKに効き目を顕したのは、「(3)被告は三部からなる『未解決事件 File 05 ロッキード事件』のすべてのエンドロールに「監修 早稲田大学 有馬哲夫」と入れるべきだったのに、入れなかった旨の謝罪広告をすべての全国紙と地方紙に掲載せよ」だった。
 また、ほとんど結論がでているにもかかわらず、ただ意味なく引き延ばそうとするNHKに対して裁判官の心証も次第に悪くなっていて、さすがのNHK側の弁護士もそれは察していた。
 そこで、裁判官が和解してはどうかと提案すると、NHKも折れてきた。このようなときの裁判官の提案は重い意味を持つ、拒否すれば、そのあとで拒否した側に不利な判決がでる可能性があるからだ。
 とはいうものの、裁判官は中立なので、金額などについてあまり具体的な提案はしない。それでも、さまざまな話し合の結果、NHKは30万円の支払いを提示せざるを得なくなった。これは満額ではないが、最初から満額など取れるはずはないと思っていたのだから、これはのめる提案だった。なにより裁判官が私と同じように考えていたとわかったのでうれしかった。私は、それまでの訴訟の経験から、裁判官は常識を知らない人間だと思っていたのでなおさらだった。
 最後に問題になったのは30万円の名目だった。NHKは依然として「取材協力費」だと言い張り、私も「監修料」だと譲らなかった。だが、裁判官が「では和解金30万円でどうですか。30万円という金額は事実上NHKが監修だと認めたことにもなりますから、和解金でもいいでしょう」というので折れた。
 これで終わったとほっとしたのも束の間、NHKは守秘義務をいい出した。つまり、この詐欺のことは黙っていろというのだ。こんなことをするほうが悪いのだから、「黙っていろ」はないのだが、和解する場合、相手のことをこれ以上非難しないという意味もあって、双方とも裁判のあとは、他の人に裁判のことであれこれいわないというルールがある。私は前にも裁判を経験したことがあるので、このようなルールがあることは知っていた。
 しかし、この守秘義務は拒否した。
 「NHK受信契約者のためにも、日本国民のためにも、NHKが何をしたのか将来何らかの形で公表するつもりだ」と断言した。するとNHKは「それなら15万円で名目は和解金だ」といってきた。私は「では、先はどの30万円の内訳は、口止め料が15万円で和解金が15万円だったということか。公共放送で報道機関であるNHKが自らのスキャンダルを隠蔽するために、たかだか15万円の口止め料を払って私を黙らせるつもりだったということになるが、その理解でいいか」と切り返した。
 この「口止め料」という表現を聞いて裁判官は苦笑したが「では、和解をやめにして、裁判を続けますか」といった。その声の調子は、私の守秘義務の拒否を支持していないように聞こえた。たしかに、互いに歩み寄って和解しようとしているのだから、「それでもNHKのペテンのことは公表する」という私の主張は、せっかくの裁判官の和解の斡旋を無にするものと取れる。
 とはいえ、このような話のあとで、「では、30万円をもらって守秘義務を守ります」といったら、それこそ15万円の口止め料で黙ることになってしまう。


「組織暴力の資金源」は「受信契約者のみなさま」の受信料

 2018年10月22日、私は「解決全15万円」を受け取り、守秘義務は負わないことを選択した。これ以上貴重な時間を失いたくなかった。これは、守秘義務を拒否したのだから、本当の意味での「和解」ではなかった。だから、こうしてことの顛末を書いている次第だ。
 この「事件」から私は次のことを学んだ。
 NHKに感謝という言葉はない。
  NHKに誠実という言葉はない。
  NHKに正直という言葉はない。
  NHKに良心という言葉はない。
  NHKに謝罪という言葉はない。
  NHKは約束を守らない。
  NHKと約束するときは、NHKがそれを破ることを前提として違約金を決めておかなければならない。
 NHKは訴訟の相手が個人の場合、潤沢な資金を使って辣腕弁護士を雇い、長期の消耗戦に持ち込むという常套手段を使う。
 この「組織暴力の資金源」は「受信契約者のみなさま」から集めた受信料である。


「原作かくし」で「著作権NHK」のクレジットを正当化

 ここで、NHKを初めとするメディアの取材や協力の要請に対する私の基本的考え方を述べておきたい。私は自分の研究の成果を一般の人々に知ってもらうことを大切なことだと思っている。まして、私が外国の公文書館で公文書を収集して本や論文が書けるのは、文部省科学研究費補助金や日本学術振興会科学研究費補助金、はやく言えば国民から集めた税金のおかげである。渋るどころか、国民に知ってもらうためにあらゆる手段を講じる義務を負っている。ではなぜ、NHKはだめなのか。
 その第一の理由は、すでに繰り返し述べているが「制作統括 ○○○○(NHKのプロデューサーの名前が入る)著作権 NHK」としかエンドロールに出さないからだ。つまり、すべてNHKとプロデューサーのものだとしてしまうことだ。
 これまで見たように、私の著作物がNHK番組で使われているのに、私の著書も、私の名前もでてこない、でてくるのはNHKのプロデューサーやディレクターの名前と「著作権 NHK」というテロップだけだ。これによって私の著作物は盗まれたのだ。
 研究費補助金を受けた研究者は、研究成果物に「○○年度日本学術振興会科学研究費補助金を受けた研究です」と断ることになっている。だが、NHKのやりかたでは、この義務すら果たせない。
 かつてNHKは、番組のエンドロールにながながと出典や参考文献を並べていた。ご記憶の方も多いだろう。前にも述べたように盗作・盗用だといわれないためにはそうしなければならないからだ。だが、いまはしていない。つまり「原作かくし」という盗作・盗用を常套的にしている。
 どんな番組でも、それまでに書かれた本や論文に依拠しない全くオリジナルなものであることはない。そんなことはあり得ない。なのにNHKの番組では、あり得るとされ、番組に使われたすべての知識や知見がNHKの著作物だとしているのだ。これがとくにNHKに研究成果を投げ与えたくない理由だ。
 なぜNHKではダメかという第二の理由は、民間放送のディレクターとは違って、どういう勘違いか、自分を専門家だと思い込み、虚心坦懐に私のいうことを聞かずに、自分の解釈にこだわり、そちらを番組に反映させようとすることだ。結果、視聴者をミスリードしたり、彼らに間違った知識を与えたりする番組になってしまう。このような番組のエンドロールに名前がでるのは迷惑を通り越して名誉棄損だ。
 さらに、NHK番組に出演して、知らぬまに研究倫理上の問題をおかしているケースもある。NHKに協力することは研究者にとってとても危険なことなのだ。
 もし、このままNHKの「原作かくし」を放置すれば、どのようなことになるかを述べたい。
 ① NHK番組に出演して、自分の独白意見ではないのに、NHKのもとめに応じてコメントした人物は、盗作・盗用の共犯になってしまう。
 ② 原作をかくしているNHK番組は、視聴者から、原作を読んで正しい、十分な知識を得る機会を奪っている。
 ③ 原作かくしをしたNHK番組を学生がレポートや論文に引用したり、参考文献としてあげたりすると、本人の知らないままに盗作・盗用者になる。
 ④ ③に当たる学生が留学していた場合には、事情を説明するのが難しいので、停学または退学になるケースがでてくる。


NHK番組製作スタッフの皆さん、「まともな人間」になってください

 締めくくりとしてNHK番組製作スタッフにこのように呼びかけたい。
 この章や前の章で私に告発されたプロデューサーやディレクターは世間で立派だといわれている大学を出ているはずだ。あなたたちの出身大学の教員は、今あなたたちが常習的に行っていることを絶対してはならないことであり、それを犯せば厳しく処分すると教えたはずだ。なのにNHKに入るとどうしてこのようなことを平気でするのか。NHKとはまともな人間をまともでなくする組織なのか。
 あなたたちを大学に入れるためにご両親は大変な御苦労をし、犠牲も払ったはずだ。そのご両親があなたたちのしていることを知ったらどれだけ悲しむだろう。親としての自分が至らなかったため、人さまに迷惑をかけてしまったとさぞ心を痛めるだろう。
 それからあなたたちの子供だ。将来あなたたちのしたことを知ったら、ショックを受け、他の子供たちの顔をまともに見ることができなくなるだろう。心の拠り所を失い、人間不信に陥ってしまうかもしれない。
 あなたの奥様にしても、御両親やお子さんほど非難しないかもしれないが、「こんな悪いことをしてまでNHKに勤めることはない、さっさと辞めて」というだろう。
 NHK番組製作スタッフのみなさん。どうか、ご両親、お子さん、奥さんに胸を張ることのできるような仕事をしてほしい。また、あなたたちのうちの誰かがこのようなことをしたとき、組織ぐるみで告発者にハラスメントするのではなく、むしろあなたたちも内部告発をして罪を犯した者を組織がら排除し、まだ自浄作用を働かせることはできるということを受信契約者に示してほしい。


NHKだけが明確にしていない「戦争責任」

 NHKは毎年8月6日から15日の前後までいわゆる「戦争番組」を連日放送する。そのなかで、日本がどのように戦争に突き進んでいったか、その戦争でどんな被害を与えたか、日本兵やその家族がどんな悲惨な目に遭ったかを描く。これは、いいことであり、しなければならないことだ。
 私が白けるのは、まるで日本放送協会、すなわち戦前・戦中のNHKは、こういったことと関係がなかったかのようなスタンスを取っていることだ。だが、戦前・戦中は日本国民を戦争に駆り立て、戦争に入ってからは連日大本営発表を垂れ流して国民を騙し続け、日本兵とその家族が塗炭の苦しみを味わう原因を作ったのは、日本放送協会ではなかったか。
 戦時中は紙が配給になり、新聞などの発行がままならなかったのだから、紙なしで国民に情報を伝える日本放送協会の役割は、他のメディアに比べものにならないくらい大きかった。つまり、どのメディアよりも日本放送協会の「戦争責任」は大きいのだ。
 それなのにNHKは、「戦争番組」で自分以外のあらゆるものを批判し、非難し、攻撃するが、自らのしたこと顧み、反省し、国民に謝罪することはしない。みずからの「戦争責任」について検証することもない。「自分たちはつねに正しく、問違っていたのは自分以外の人々や機関だ」という意識が表れている。
 NHKが「公共放送」だというのなら、その前身の日本放送協会が、あの戦争に踏み込んでいくうえで、どんな役割を演じたのか、戦争に入ってからはなにをしていたのか、そこにどんな「戦争責任」があったのか、それが二度と起こらないよう戦争のあと何をしたのか、それらを客観的に検証する番組を反省の意味も込めて毎年放送するのが筋ではないか。
 その際は、次のような前置きを入れなければならない。

 「NHKの前身である日本放送協会は、戦前・戦中、軍部(NHKの好きな言葉)に協力し、国民の皆さまを欺き、戦争に駆り立てました。本協会はこのことを深く反省するとともに、国民の皆さまに心から謝罪します。これからお届けする番組は、その反省と謝罪の上に立ってNHKが製作したものです」

 戦前・戦中に軍部の走狗になっていたのは、もちろん日本放送協会だけではなかった。新聞や通信社も同じことをしていた。しかし、これらのマスメディアは戦前・戦中に彼らがしたことを反省し、かつ、彼らにそれを強いた経営者たちを追い出し、終戦前の「軍国メディア」とはまったく違う「左派的、反日的」マスメディアに生まれ変わった。その代表格が朝日新聞と毎日新聞だ。
 また、両者とも、とうてい十分とはいえないが、自分たちがあの戦争においてどんな役割を果たしたか、そこにどんな責任があったかを、検証する特集を出したことがある。まだなのは、NHKだけだ。このような自己検証番組を作るのに、アメリカ第二国立公文書館へもイギリス国立公文書館へも行く必要はない。いままで国民の前に明らかにしなかった内部資料を一挙公開するだけでいい。
 NHKが戦前・戦中に犯した大罪を暴きたいが、このように資料が公開されていないので、アメリカ側に大量に残っている公文書をもとに戦後の罪を白日のもとに晒していこう。


「8月6日」は広島では「平和祭」をやる日だった?

 8月6日は「原爆の日」である。日本のみならず世界中のメディアがこの日に原爆投下についてなにかしらのニュースを流す。
 しかし、今日、この日を「平和の日」と呼べ、そして「お祭り」をしろと誰かに命じられたらどうだろう。歴史的事実は、ある時期に広島で、「原爆の日」を「平和の日」と呼び、歌あり、踊りありの「お祭り」をしていたことを示している。
 そして、これが8月6日を「広島平和記念日」と呼び、原爆の被害の資料を集めた施設、爆心地近くに建てられている原爆被害者慰霊の鐘、これらがある公園をそれぞれ「平和記念館」、「平和の鐘」、「平和記念公園」と呼ぶ「慣習」のもととなっている。
 歴史的事実として、NHKはこういったことに決定的に関わっていた。そして、WGIPに加担し、「原爆」を「平和」と呼び変える、あの「奇習」を作りあげるうえで中心的役割を演じた。
 この大罪をダグラス・マッカーサー・記念アーカイヴズとアメリカ国立第二公文書館に残るWGIP関連文書によって明らかにしていこう。
 1949年6月16日付で当時の広島市長浜井信三は連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーに次のように願い出ている。

 26万人の広島市民を代表してご挨拶申し上げます。
 閣下の優れた政治手腕のおかげをもちまして広島は、他の日本と同じく、目覚ましい復興と民主化を遂げております。
 閣下に当地で8月6日に開催される平和祭(peace festival)が近づいていることをお知らせするのは大きな喜びとするところです。広島平和記念都市建設法の国会通過によって国際的平和活動の場で真の成果を示す舞台がいまや整ったように思われます。そして、私たちは、この機会に世界の人々に平和のために戦争放棄を訴えたいと願っております。
 この希望に満ちた展望に立ちまして、広島市民を代表いたしまして、閣下に平和の日(peace day)に読まれるメッセージをお寄せいただくようもう一度お願い致します。過去に2回いただいたお心がこもったメッセージは、今なお深く心に残っており、私どもの日々の務めに光と力を与えて下さっているということを申し添えさせていただきます。(後略)」

 この書簡を読んで、まず、原爆が投下された8月6日に「平和祭」が開催されていたということに驚く(festivalはmemolial ceremony つまり原爆犠牲者慰霊式の間違いではないかと思ったが、実際に原爆犠牲者への黙とうのあと盆踊りや仮装行列が続いた「お祭り」だった。しかも、文中にもあるように、すでに過去2回行われ、この年が3回目だった。


なぜ「原爆」を「平和」と置き換えるようになったのか

 この書簡と同じファイルからは 児童雑誌『銀の鈴』発行者松井富一がマッカーサー夫人に宛てた1948年8月6日の手紙がでてくるが、このなかでは同日を「原爆の記念日(anniversary of A bomb)」と呼んでいる。松井がこう呼んでいるということは、少なくとも1948年までは「平和の日」の呼称は一般的ではなかったことを示している。
 このように「原爆」を「平和」と置き換えることは、この当時日本全国で起こっていたことではなかった。被爆地、とりわけ広島に局地的に見られた現象だった。これは、中国新聞と全国紙を比較調査した法政大学理工学部准教授川口悠子が「戦後初期の原爆報道:ローカル、ナショナル、トランスナショナル」で指摘している。
 「平和祭」が開催されるようになってから、なにか、異常なことが広島で起こっていたことがわかる。
 それを引き起こしたファクターの一つが文中に言及されている広島平和記念都市建設法だった。この特別法は1949年の5月4日にGHQが承認している。なんと広島を復興するのに原爆を落とした側の承認が必要だったのだ。
 こののち、同年5月10日に衆議院、翌日に参議院を通過して、公布・施行されたのは、またしても8月6日だ。つまり、原爆が投下された日に広島の本格的復興が開始されることになった。これは、日本人が考え、望んだことだったのだろうか。そもそも、この「原爆」と「平和」の置き換えはいつから始まったのだろうか。
 広島国際大学工学部教授石丸紀興は、「広島における計画思想としての平和記念都市の形成過程その変遷・変容」という論文のなかで、「平和への記念都市」という考え方をはやくも1945年12月19日に当時の広島県知事楠瀬常猪がこのように表明していたことを明らかにしている。
 「私はこの広島が戦争終結をもたらした平和への記念都市となるために今世界の有志から復興資金、資材を募りたいと思う。瀬戸内海大観光地帯のセンターポイントとして広島を永世中立の一大文化都市としたい」
 楠瀬が自らこの「平和への記念都市」というアイディアを思いついたのか、知事としてGHQ幹部と接するうちに摺り込まれたのかは、わからない。いずれにしてもポイントは、「世界の有志から復興資金、資材を募りたいと思う」というところだろう。
 「世界」とあるが、アジアもヨーロッパも戦争の後遺症に苦しんでいたのだから、アメリカ以外広島を援助できる国はなかっただろう。また、広島だけでなく、日本中の都市が廃墟となっていたのだから、日本政府をあまりあてにできないとも思っていたはずだ。もちろん、資金や資材を集めたところで、GHQの承認がなければ広島の復興事業ができないことも、彼は立場上知っていたに違いない。つまりは、アメリカ・GHQへの忖度から「平和への記念都市」という概念は生まれたと考えられるのだ。
 しかし、石丸論文は、このあとの1946年になっても「原爆による廃墟を残す」、つまり原爆被害を前面に出す、という考え方も根強く、しばらく両者が並立状態にあったとしている。


またしても「放送法違反」を繰り返したNHKの原爆番組

 私は「またか」と呆れてしまった。NHKは、何度放送法違反をすれば気が済むのだろうか。これからも、広島・長崎、そして日本国民に対して大罪を犯し続けるのだろうか。私がいっているのはNHKが2018年8月12日に放送した「BS1スペシャル▽“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」のことだ。日本への原爆投下をテーマにしたこの番組は、放送法違反レベルのものだと言わざるをえない。具体的には放送法第4条「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に明らかに違反している。簡単に言えば、完全にアメリカ側の原爆投下を正当化する見方に則った内容なのだ。
 実はNHKにはこの分野ではすでに「前科」がある。2016年放送のNHKスペシャル「決断なき原爆投下 米大統領 71年目の真実」(以下「決断なき原爆投下」とする)がそれだ。この番組については第二章でも触れたが、もう少し内容を詳しく見てみよう。
 この番組では、ハリー・S・トルーマンが大統領に昇格したばかりで原爆のことをよく知らないことに付け込んで、当時の「軍部が独走して」広島・長崎に原爆を投下した、トルーマンは「女子供に原爆を使うな」と命令した慈悲深い大統領だったと主張していた。
 これはまったく「真実」ではない。実際には、原爆と原子力利用について大統領に諮問する暫定委員会という組織が当時、アメリカには存在していた。そして、陸軍上層部も科学者たちも大勢は、広島、長崎のように一般市民が住む都市に、警告もなく投下することに反対をしていたのだ。これは数多くの公文書などに記録として残っている。こうしたプロセスについては、拙著(『原爆 私たちは何も知らなかった』)で詳述した。
 簡単に言えば、トルーマン大統領とその側近が原爆を大量殺戮兵器として使用することを決断した「主犯」であることは、動かしようのない事実だ。ところが、NHKはどういう意図があるのか、「決断なき原爆投下」において、あたかも大統領が慈悲の心にあふれていたかのように描いていた。
 
こうした問題点について、これまでも私は論文や著書『こうして歴史問題は程造される』(新潮新書2017年)で度々指摘してきた。そうした私の批判を受けて、2018年の「悪魔の兵器」では、暫定委員会の存在については触れている。その点は多少の進歩と言えるかもしれないが、それなら私の著書を出典として挙げた上で、2016年の放送を正式にお詫びして訂正すべきではないか。放送法第9条には訂正放送についてこのように定めている。
 ……その放送をした事項が真実でないかどうかを調査して、その真実でないことが判明したときは、判明した日から2日以内に、その放送をした放送設備と同等の放送設備により、相当の方法で、訂正又は取消しの放送をしなければならない。
 NHKはこの第9条の訂正放送の規定にも違反している。本書のなかでも多くのNHKによる「真実でない報道」を指摘してきたが、これらはまったく訂正放送されていない。私が『新潮45』、『正論』、『WILL』など月刊誌で何度も指摘してきたにもかかわらず、である。


間違った歴史観を植えつける

 朝日新聞の「従軍慰安婦」をめぐる誤報騒動(2014年8月5日付け朝刊で、慰安婦強制狩りをしたとする吉田清治証言をかつて肯定的に報じたものの、それが虚偽であったので取り消す云々)は大きな社会的問題となった。公称六百万部の大新聞が、長期にわたって間違った歴史認識を読者に植え付けてきた責任はきわめて重い。
 だが、NHKが製作している歴史番組は、これまでの章で論じてきたように、誤った歴史認識を数千万の受信者に植え付けているのだからもっと罪が重いといえる。
 民間放送と違って、NHKはほとんどの国民から税金同然の受信料を徴収している。お金を払って、間違った歴史認識を押し付けられたのではたまらない。しかも、NHKの歴史番組の量は、この分野で競争力を失っている民間放送局と比べて各段に多い。それに、民間放送局の場合は娯楽性を前面に出しているが、NHKの場合はいかにも歴史番組という体裁をとっている。したがって、視聴者がミスリードされれば、誤った歴史認識を持ってしまう危険性は民間放送局よりも高い。
 そこで改めて、NHKの歴史番組について論及したいが、私がNHKの歴史番組で問題だと思うのは次の4点だ。
①無理にオリジナリティーに執着する
②お気に入り「学者」を多用する
③企画が先行する
④「原作かくし」 ―― つまり盗作・盗用をする。したがって出典・出処を示さない。
 以下でこれら4項目がどういうことかを説明していこう。


ポツダム宣言を黙殺した鈴木貫太郎はヒーローではない

 歴史上の人物を評価することはむずかしい。大統領の座に連続4回就き、大恐慌と世界戦争と最も困難な時期にアメリカの舵取りをしたフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトはアメリカ人にとっては偉大な指導者だろう。
 一方、日本側から見ると、彼は1941年の4月から11月までの約7ヵ月間をかけて、日米が戦争回避のため歩み寄っていたのに、突如日本側が飲めるはずのないハルノートを突き付けて和平交渉を破綻させた政治家である。ドイツの敗戦が目前になってきた時期には、日ソ中立条約がまだ有効であることを知りながら、自国のものでもない南樺太、千島、そして満洲での利権と引き換えに、ソ連に対日参戦を求めるということもした。
 この大統領をどう評価するかといわれれば、それぞれの立場から、肯定的な面と否定的な面の両方について述べるしかないだろう。してはならないことは、肯定的な面のみ取り上げて彼をヒーローにすること、また、否定的な面にのみ焦点を当てて悪者にすることだ。このような大衆迎合的単純化が歴史認識を誤らせる。
 これはNHKの歴史娯楽番組「歴史ヒストリア ―― 天皇のそばにいた男・鈴本貫太郎 太平洋戦争最後の首相」(2015年2月25日と8月5日放送)についてもいえる。この番組では2・26事件で瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、昭和天皇の懇願により、小磯國昭から内閣を引き継ぎ、「日本を終戦に導いた宰相」として描かれていた。しかし、鈴木は日本が終戦に向かうプロセスを混乱させ、原爆投下とソ連の参戦を招いてしまった人物でもあった。
 まず、彼はポツダム宣言(1945年7月26日)の2日後の記者会見で、日本軍の士気の低下を招くので、これに応じない態度を表明すべきであるという陸軍強硬派の圧力に屈し、「政府としては何ら重大な価値ありとは考えていない。ただ黙殺するだけである。我々は戦争遂行に邁進するのみである」と不用意な発言をした。「黙殺」の英語訳が正確だったかどうかを問題にするむきもあるが「戦争に邁進するのみ」といったのだから拒絶ととられてもしかたがない。
 『終戦史録4』(外務省編、北洋社1977年)によれば、記者会見の前日の7月27日に外務大臣東郷茂徳が天皇に「なお直にこれを拒否するが如き意志表示を成すときは重大なる結果を惹起すべきと共に戦争終末につきソ連に申し出中なる関係もあるによりこの辺を見定めたる上措置すること可なりと思考する」と内奏していて、そのあとの閣議でも、英米側に即答することはせず、ノーコメントを貫くと決定していた。とりあえずは態度保留とし、ソ連による仲介の見込みなしとわかれば、ただちに国体護持のみを条件としてこの宣言を受諾し、戦争を終結させるつもりだったのだ。
 アメリカは原爆投下を正当化する理由の一つとして、この宣言の拒絶を挙げている。ソ連が参戦する際も「ポツダム宣言の拒否」を理由としている。のちに東郷は「だからいわぬことではない」といって口惜しがった。「コロンビア大学オーラルヒストリー」でも、国務長官代理ジョゼフ・グルーの部下ジョセフ・バランティーンが鈴木の「黙殺」発言を聞いて、歯ぎしりして悔しがったといっている。彼もまたグルーとともに原爆投下もソ連参戦もない終戦のために努力していたからだ。
 ただし、原爆投下の指令が出されたのは宣言の前日の7月25日であり、ソ連の参戦も8月11日に予定されていたので、たとえノーコメントを貫いても、即時受諾でない限り、広島・長崎の惨劇も満洲侵攻も防げなかった可能性がある。だが、この方針を貫いていれば、少なくとも、アメリカの原爆投下とソ連の対日参戦は、これまで以上に正当性が疑われ、国際世論の非難を浴びることになっていた。そして戦後の日本のアメリカをはじめとする旧連合国に対する立場も今ほど不利にはなっていなかっただろう。


「NHK集金人」の恐るべき受信料徴収の論理

 NHKの受信料徴収が大きな社会問題となっている。インターネット上でこれに関する無数の罵詈雑言と苦情を読むことができる。
 受信料徴収のしかたは大問題だ。ある学生が私に驚くべき実態を話してくれた。ある日、NHKを名乗る人物からケータイに電話があり、受信料が数年間滞納になっているので払ってもらいたいといってきたそうだ。聞けば学生が簡単に支払える金額ではない。自分は入学したころはテレビを持っていたし、受信料も払っていたが、その後授業と勉強で時間がなくなるし、見たい番組もないのでテレビは捨てた、とその人物に答えた。したがって、テレビを捨てるまでの一年間の受信料は払うつもりはあるが、それ以後については払いたくないと伝えた。件の人物は、いつ捨てたのか、それを証明するものを業者からもらったかと聞いてきた。ここで押し問答となる。
 恐ろしいのはこのあとだ。数日たって、例の人物がインターホーン越しに今そちらのアパートのオートドアの前にいるので降りてきてほしいという。前に受信料を払っていたので住所を知っていることはわかっていたが、ケータイで話したことの繰り返しになるのになぜ自宅まで押しかけてくるのか、そんな必要はないではないかと思ったという。要するにNHKはプレッシャーをかけようというのだ。今は、ちょっと手が離せないのでと断ると、また来ますといったという。
 数日後、別の人物が取りたてにやってきた。なぜ、前回とは違う人なのですかというと、その人物は驚愕すべきことをいい放った。
 「私はNHKの委託を受けている別の業者なので、前の人とは違うのです」
 つまりNHKは複数の業者に受信料徴収の業務を委託していて、複数の業者に受信契約者の住所や電話番号などの個人情報を与えているということだ。これは学生にとって恐怖だった。本人の同意なしにこのようなことをしてもいいのだろうか。これらの業者が個人情報を流用したり転売したりしないという保証がどこにあるのだろうか。
 「新聞はエリー卜が作ってやくざが売る」とよくいわれる。現状のNHKなら「エリートが番組を作ってやくざが金を集める」と言い換えようか。ただ、新聞は営利目的の私企業だが、NHKは公益目的の特殊法人だという大きな違いがある。
 NHKの態度は「受信料を払うのは日本国民の義務だ。払わない人間は絶対許さない」ということらしい。その際に、彼らが錦の御旗として掲げるのが放送法だ。歴史を知らない彼らは、自分たちの存在と権利を守るのがこの法律だと思い込んでいる。
 歴史に照らしてみるとこれはまったく逆だということがわかる。もともと放送法はNHKによる放送の独占を破り、民間放送を育成し、両者のバランスによって健全な情報と文化を国民が享受できるように作られたものだ。端的にいえば、民間放送を育てるために、NHKを弱体化させることが目的だったのだ。ところが時はめぐって現在、巨額の受信料を徴収し肥大化するNHKが広告収入の頭打ちで衰退する一方の民間放送を圧倒して、独り勝ちを収めている。まさしく。かつて放送法によって是正しようとしたNHKによる放送の独占を現在は放送法(その受信料規定)が助長するという矛盾におちいっている。
 
そこで以下では占領期までさかのぼって、そもそも放送法はどのような状況のもとでなんのためにつくられたのか、なぜ、こんな逆転が起こってしまったのかを明らかにしたい。


「NHKをほとんど見ていないという実態」を直視せよ

 「はじめに」でも述べたように、私はN国党の結党目的に賛成するが、とりわけ次のものを重視したい。
 ・NHKの受信料制度について、多くの国民及び視聴者が真剣に考える機会を提供すること。
  ・受信料制度に疑問や不満を感じている国民に、同制度に関する法律や条例を制定または改廃する機会を提供すること。
  ・本会の目的に共感し志を同じくする国民及び視聴者が協力して行動できる機会を提供すること。
 現在のところN国党は、NHK放送のスクランブル化をして、受信料を払いたくない人に見ない自由を保証するというわかりやすいシングル・イッシューを前面に打ち出している。だが、これを達成するためには、実は放送のあり方、メディアのあり方について複雑な議論を行い、他の党とも提携したうえで、現在の放送法を改定する必要がある。
 そこで「おわりに」では、まず放送法を改訂し、「NHKを解体する」ことがなぜ必要なのか、現在の日本のメディア産業が抱える問題点を指摘しつつ、はっきりさせよう。その上でそれらの問題を解決するためにどうすればいいのかを提案しよう。
 問題の第一は「テレビ離れ」だ。これは若者だけに見られる現象であるかのように思われているが、実はそうではない。私はもう20年以上前から早稲田大学社会科学部の「マスメディア研究ゼミ」で「メディア接触調査」を行ってきた。これは、ゼミ生およびその父兄はどのメディアにどのくらい接触しているか(新聞なら読む、テレビなら視聴するということ)を定点観測するというものだ。
 この調査を始めた当初からすでに「テレビ離れ」は顕著に見られた。つまり、今に始まったことではなく、ずっと前から始まっていて、現在もそのままの下落が続いているのだ。直近のデータをあげると、総務省の平成30年(2018年)度通信白書によれば、2017年度の60代の一日の平均テレビ視聴時間はおよそ4時間30分だったのに対し、10代のそれはその三分の一にも満たないおよそ1時間20分だった。これは自分白身調査を行っている私の実感からいうと、実際よりかなり高い数値に思える。
 テレビ視聴習慣はいったん失われればもとに戻らないので、これは現在10代の若者が60代になればテレビを見るようになるということではない。テレビ視聴習慣がない10代の若者が、そのまま20代、30代と年齢を重ね、60代になるということだ。
 実際、私のゼミ生に関しても、大学に入ってからテレビを見なくなったという学生が次第に増えてきている。これは、授業や勉強が忙しいというよりは、ただ単に「観たいとは思わない」というだけだ。
 考えても見て欲しい。今の20代、30代の若者がどれだけの間テレビの前にじっと座っていられるだろうか。現代は「絶えざる交信の時代」であり、携帯電話、SNS、Eメールでひっきりなしに情報をやりとりしているので、じっくり見ている暇がない。もちろん情報は新聞やテレビなどではなく、インターネットからリアルタイムで得ている。
 したがって、テレビを見るときも「ながら視聴」(携帯電話やタブレット端末を使いながら視聴すること)が多い。もともと、「つけるだけ視聴」(テレビをつけているだけで、ちゃんと見ていないこと)が多いのだが、これに「ながら視聴」が加わる。
 玉ねぎの皮を剥くように「つけるだけ視聴」と「ながら視聴」の部分を剥いていくと、芯にはほとんど実が残らないというのが「テレビ視聴」の現実だ。そして、この芯の部分を、NHKのもっている地上波、BSの4チャンネルと受信料を取らない民間放送局4局の地上波、BSの合計12チャンネルと分けあっている。
 この「NHKをほとんど見ていないという実態」を見ると、NHKが金を払えというほうが無理なことがわかる。「NHKは公共財だから守れ」という文化人や法曹人はどれだけ、このような実態を知っているだろうか。


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