日本よ、カダフィ大佐に学べ

我々日本人、「世界は腹黒い」という現実を見ようとせず、お花畑状態のままで大丈夫なのでしょうか・・・。

日本よ、カダフィ大佐に学べ<変見自在>

 本書の解説で馬渕睦夫さんが『本書の全編を貫く一本の糸は、「世界は腹黒い」である。しかし、世界を腹黒いと見做すことこそ、先の大戦で敗北したわが国が国を挙げて決してしようとしなかったことなのである。』とお書きです。
 全くその通りだと思いますし、本書に限らず高山さんのご著書や発言の根っこには「世界は腹黒い」という現実があると感じます。それだけに説得力があるのだと。

 そのような現実から目を背け『「よその国はみな平和を愛する」いい国ばかりで、その「公正と信義に日本は寄り掛かって生きていく」と憲法前文にある(本書の「はじめに」)』というように、お花畑で夢を見ているのが日本人なんだと思います。
 このままで大丈夫のでしょうか?
 本書を始め「変見自在」シリーズを手に取って、現実を直視し、考えてみたいものです。  

 高山正之さんの「日本よ、カダフィ大佐に学べ」 を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

日本よ、カダフィ大佐に学べ 変見自在 高山正之



目次

 はじめに ―― 世界情勢は新聞で学べない ――  3

 第一章 世間は今日もウソでいっぱい
黒死病の元凶はやっぱりあの国 19 /  「反基地」の裏で浪費される防衛予算 23 /  「表現の自由」は無制限ではない 27 /  日本は“被虐待児心理”から抜け出せ 31 /  平気でウソを書く「害人記者会」のルーツ 35 /  サダム・フセインは信長の生まれ変わり 39 /  たかり屋国家のこすい手口 43 /  シンガポールは支那人の島 47 /  「犯罪者」と「告発者」の自伝は次元が違う 51 /  米国を知り、己を知らば、百戦危うからず 55

 第二章 もう大新聞は信用しない
性犯罪者の餌食にならない方法 61 /  事業仕分けは公開処刑と変わらない 65 /  原発問題が長期化する本当の理由 69 /  朝日がはしゃぐとロクなことがない 73 /  底意地の悪い「NYタイムズ」日本中傷の手口 77 /  新聞記者ならもっと勉強しろ 81 /  復興を妨げる真の悪者 85 /  百回言ってもウソはウソ 89 /  自衛隊と政治と裁判の醜い関係 93 /  ウソつき国家は壊し屋文化 97

 第三章 劣悪国家を支える醜い面々
日航機長は感動した 103 /  盗人がエラそうな事を言うな 107 /  カン違いリーダーが招く不幸 111 /  菅はスターリンとここまで似ている 115 /  インド航空は世界一? 119 /  EDと死刑の奇妙な関係 123 /  漁民と海、どちらを守るのが大切か 127 /  朝日の記事は「逆」に読むべし 131 /  大事故に死者、支那“震撼線”には乗るな 135 /  ペルシャ風頂門の一針 139

 第四章 白人ほど低劣な人種はない
アフガンに善意は届かない 145 /  米国人は大統領でも信用できない 149 /  植民地政策のルーツは聖書にあり 153 /  被害者ヅラする米国が生んだ「テロ連鎖術」 157 /  “ニセモノ”報道は朝日のお家芸 161 /  NHKは支那と変わらない 165 /  人体実験国家のあさましい実態 169 /  本当の英語力は喋りだけでは分からない 173 /  日本よカダフィ大佐に学ベ 177

 第五章 非道国家にだまされないために
国士舘よ、かつての学風に戻れ 183 /  米国が密かに狙う「次の国」 187 /  オランダ人の卑劣 191 /  TPPが「第三の開国」とは笑わせる 195 /  国際紛争は白人国家の都合で起こる 199 /  米国発の“オイシイ話”にはご用心 203 /  囚人管理も日本は最先進国 207 /  エジソンは本当に偉い人? 211 /  支那と北朝鮮が「安定」するなんてトンでもない! 215 /  歪んだ歴史を放置すると 219

 解説 馬渕睦夫  


はじめに ―― 世界情勢は新聞で学べない ――

 新聞社の特派員でロサンゼルスにいたころ、高校生の娘から今晩クラスメートのスザンヌが遊びに来る、心してと連絡があった。
 いぎたない恰好で帰ってくるな、という警告だった。
 健康ではちきれそうな金髪の女子高生がくるならとSee'sのチョコを手土産に帰宅したら韓国人のスザンヌだった。あちらでは喜んでハングル名を捨て横文字の創氏改名をやっている。その節操のなさにちょっと驚いた。
 ロス暴動の火がやっと治まったころだった。あの騒ぎの背景には黒人少女が韓国女に射殺されたラターシャ事件があった。裁判の結果は民族性剥き出しの悪意ある故殺なのになぜか執行猶予付きで刑務所にも入らなかった。黒人層にモヤモヤがたまっていた。
 だから黒人青年を袋叩きにした白人警官に無罪判決が出たのをきっかけに起きた口ス暴動では、怒れる黒人の矛先はコリアンタウンだけに向けられた。「尊大で、粗暴で。白人以上に黒人を差別する韓国系の性格」が怒りの対象だった。
 娘によればスザンヌは「その割には珍しく性格がいいし、趣味もいい」。友達選びはちゃんと調査の上だという。
 人付き合いだってこれくらい神経は遣う。まして戦争に巻き込まれる可能性もある国家同士の付き合いはより慎重な調査が求められる。素行はどうか、喧嘩っ早くないか。
 それで米国はCIA、英国はM16を用意し、支那は一等書記官兼スパイの李春光(りしゅんこう)を送り込んでその国の弱みや利用価値を探る。友達選び以上に真剣だ。
 ところが日本は戦後このかた相手国の素行すら調べなくなった。

 なぜなら外交はひたすら「友好」で、外交政策もただカネをばらまくだけ。相手国が何ものか知る必要もないからだ。
 理由ははっきりしている。「よその国はみな平和を愛する」いい国ばかりで、その「公正と信義に日本は寄り掛かって生きていく」と憲法前文にある。支那が嘘を捏ねて尖閣を騙し取ろうとしているとか疑惑を持つこと自体が憲法違反になるからだ。
 だから外務省は相手国の調査などは絶対やらない。それどころか国民を裏切ってでも各国との友好のために動くこともある。
 東西冷戦のころの話だが、日本は各国公館の無線通信を禁じていた。しかしCIA要員が電電公社から暗号文を送るわけにもいかない。「数か国の公館が違法な無線交信をしている」と愛知揆一外相が国会でたびたび遺憾の意を表してもいた。
 そんなときに日本赤軍がハーグの仏大使館を占拠する事件が起きた。現地にいた日本の外交官が館内と無線交信をした。知り合いの安否を確かめるというほとんど私用通信だった。
 しかし外交は互恵主義だ。各国がそれを見逃すわけもない。日本に文句を云い、政府は昭和57年、各国公館に無線免許を与える結果になった。
 おかげで狸穴(まみあな)のソ連大使館屋上はアンテナの森と化した。外務省はむしろ各国に喜んでもらえたと自慢している。
 そんな外務省では困る、相手国の思惑を知るための情報機関がいると第一次安倍政権のときに初めて声になったが、外務省も朝日新聞も反対し潰された。
 しかし相手国が何を考えているかを探るのに手がないわけではない。日本は鎖国していたときも情報集めはやっていた。シドッチが密入国してくれば新井白石が自ら調べた。林子平は松前藩のデータや長崎で集めた情報で露西亜(ロシア)の危なさを説いた。
 それで日本人は阿片戦争も知っていた。本文にあるようにペリー艦隊が石垣島で逃亡苦力を殺しまくったことも知っていた。彼が、開港を拒むなら江戸を火の海にする、そのときにこれを使えと白旗を置いていったが、それは日本の集めた情報と寸分たがわぬ米国人像だった。
 日本人のすごいところはこんな性悪国家との付き合いが将来にも及ぶと察知し、漢籍も蘭学も捨ててすぐさま蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で英語の研究を始めたことだ。相手が何ものか、それをまず知らねば危ないと。
 このときに日本人が相手国情報のいろはとしたのがその国の歴史だった。歴史にはその国の素行が表れているからだ。
 例えば米国を見る。独立後、この国はまずメキシコと外交をもち、最初に要求したのがテキサスヘの入植だった。米国人入植者がどやどや入って、その数が在住メキシコ人を超えたところで「住民投票でテキサスの独立を決めよう」と言い出し、多数決でテキサス共和国の独立を宣言した。
 在日が対馬に棲みつき、日本人住民より多くなったから住民投票で対馬独立を宣言するというのと同じだ。メキシコ政府は兵を出してアラモに籠った米国人入植者を叩いた。
 米政府はアラモが全滅すると途端に「リメンバー・アラモ」を新聞に書かせ、正規兵を義勇兵の名で送り出して、メキシコ軍をやっつけ、テキサスを併合してしまう。
 米史にはほかにも「リメンバー」がある。キューバ紛争中にハバナに寄港した米戦艦メインが停泊中に乗員ごと爆沈する。米紙がまず「スペインの陰謀」「リメンバー・メイン」を叫んで米西戦争が始まる。結果は米国がキューバを保護領にし、ついでにフィリピンとグアムを取ってハワイとともに太平洋戦略ラインを構築した。自国民の犠牲、新聞の世論づくり、そして領土拡大の構図は「アラモ」に通じる。
 そして三つ目の「リメンバー」が真珠湾だ。歴史を見るとその前年の40年5月、日本の軍事的脅威を口実にルーズベルトは米太平洋艦隊の基地を突如、真珠湾に移した。ここでは兵員の休暇も補給も大変だし、なにより日本軍の作戦行動圏内に入っている。
 しかし彼はあえて艦隊を「あたかも標的のように」(ロバート・スティネット)ハワイにとどめ置き、徴兵制を復活し、とどめに日本への石油輸出を絶った。あとはアラモやメインと同じ、戦艦五隻を生贅に「リメンバー・パールハーバー」の合唱隊が出番を待っていた。
 それほど歴史はその国の素行と性癖を浮き出させるものだ。
 支那は空母ももった。それに合わせるように沖縄の米海兵隊がグアム、豪州に退く方向にある。理由は朝日新聞によると支那の「軍事的脅威」の高まりだと書く。米国は同じ理由で米西岸から真珠湾に出てきた。今度は同じ理由で遠くに逃げる。 新聞は書かないが、歴史は今のところ米国が支那と干戈(かんか)を交える気のないことを示 している。
 今起きている世界情勢は新聞では解説されない。歴史を繙く方がまだましだが、さてどこを読むか、本書が少しでもその助けになれば幸甚と思います。
   2012年初夏     高山正之


サダム・フセインは信長の生まれ変わり P39

 織田信長は生涯の半分を比叡山の僧兵や一向宗との争いに費やした。
 彼は信徒を操って政治に口出しする宗教者を許せなかった。比叡山ではすべての仏閣を燃やし、信徒数千人を皆殺しにした。
 一向宗にも情け容赦はなかった。長島では二万人に火をかけ、越前では数万を殺した。
 塩野七生(しおのななみ)はこの狂信者の皆殺しを「信長が日本人に与えた最大の贈り物」と評価している。
 おかげで日本では宗教者が分をわきまえ、日本だけは宗教戦争から無縁で来られたからだ。
 それもあって信長のあと秀吉は宣教師が日本人を奴隷に叩き売るのを知って伴天連追放令を出し、家康もまた高山右近らキリシタン大名が神社仏閣を打ち壊すのを見てその狭量さに呆れてキリスト教を禁制にしている。 三代将軍家光は天草・原城に拠ったキリスト教徒を信長方式で粉砕した。
 こういう後継者がたくさんいたからこそ「宗教心を政治的に操るのはアンフェア」という見方が固定したともいえそうだ。
 だから信長的人材が出なかった支那では太平天国、義和団が暴れまわり、パレスチナでは今も同じ神を仰ぐユダヤ教徒とイスラム教徒が辛辣に対立を続ける。
 旧ユーゴスラビアでは同じキリスト教のカソリックと東方正教会がそれぞれ「神は我にあり」と言って殺し合った。
 両者はミサのとき信者に含ますパンが種なしかふっくらパンかの違いだけで千年いがみ合ってきた。
 こんな愚かを繰り返しているうち、たまに信長と同じ思いをもつ者も出る。
 イランのパーレビ国王もその一人で、彼はイスラムより穏健なバハイ教徒を重用して近代化を図った。
 宗教には宗教をという狙いだが、宗教は過激な方が強い。逆にホメイニ師にやられ、彼は追放され、ホメイニ師を支持したイラン人自身、酒も恋もご法度の戒律社会で呻吟している。
 イラクのサダム・フセインはその点、ストレートの信長流で、世俗政権を立ち上げて、イスラムを政治舞台から追い出した。
 イスラム側は狂信者を差し向けて彼の暗殺を十回も謀った。サダムは信長の如く振舞って狂信者集団を圧殺した。
 結果、宗教者は引っ込み、サダムはイスラム世界の真ん中にあって女からチャドルを脱がせるのに成功した。
 髪をなびかせた女性が普通に通りを歩き、学校に通い、という日本と変わらない街角をバグダッドに現出させた。

 イスラムのくびきを脱したイラクはすぐ中東の強国にのし上がった。
 サダムはイスラムよりアラブ民族の血の団結を訴えた。その証に同じイスラム国家だが、民族の違うイラン(ペルシャ)に戦争を仕掛けた。
 イランの石油地帯フゼスタン州は実はアラブ人が棲む。民族の団結でそこを併合するという狙いだった。戦い(イ・イ戦争)の旗印は「カーディシーア」。アラブ人が初めてペルシャ人に勝った戦場の名だ。
 イ・イ戦争は引き分けに終わったが、アラブ諸国は黙って油を売っていればいいと思っていた米国は妙な民族主義を鼓吹するサダムに不快感を示した。
 米国は「サダムの圧政下にあるイラクの民を解放し、民主化を図る」名目でイラク戦争を起こした。
 米国はサダムを捕らえるとイスラム勢力に彼を引き渡した。信長の身柄を一向宗に預けるようなものだ。
 かくて人々を宗教のくびきから解き放ったサダムはあっさり吊るされた。
 米国の後ろ盾を得た宗教勢力はいっぺんに復活し、シーア派だ、スンニ派だとまた殺し合いを始めた。
 元副首相のタリク・アジズはイスラム宗教政権の下、キリスト教徒ゆえに死刑が宣告され、ローマ法王が慌てて助命をお願いしている。 元の木阿弥のイラクについて朝日新聞は社説で「これからはイラク人自身が宗教を超えて力をあわせるしかない」と書く。
 何をばかを言うか。「宗教を超えて」いけなかったからイラクは千年混迷してきた。やっとサダムが超える道を見つけたのにそれも潰した。 改めて信長の知恵を世界が学ぶときだ。
     (2011年2月10日号)


百回言ってもウソはウソ P89

 ゲッベルスは小児麻痺の後遺症で背は150センチと低く、跛行(はこう)も残った。
 しかし頭の回転は速く弁舌もたけて、それでナチの宣伝相にまで上りつめた。
 彼は舌先で国を操り、国民を踊らせ、ホロコーストの惨劇まで実行させた。
 彼はその極意について、嘘の名人チャーチルを引き合いに出して「嘘をつくなら大嘘がいい。言い出したら徹底して嘘をつき通すがいい。嘘はいつの間にか真実になる」と語っている。
 後に簡略化され「嘘でも百回言えば本当になる」につづまったが、これを実践したのが江沢民だった。
 彼は天安門事件直後に党総書記に就任した。あの事件で支那は総スカンを食い、おまけに共産党仲間のソ連も東欧も消滅してしまい、政治的だけでなく経済的にも窮地に立っていた。
 彼はそれで日本に接近し天皇皇后両陛下の支那ご訪問を実現させた。
 これで支那懲罰の一角が崩れると、江沢民は掌返しで南京大虐殺の嘘を百遍言い立てた。これに朝日新聞も加わり、嘘は二百遍にも膨れ上がった。
 かくて江沢民はODA三兆円をせしめ国家経済を立て直すのに成功した。
 彼はこれが自慢で「日本には歴史問題を繰り返せ」(『江沢民文選』)、そうすればいくらでもカネが入ると教示している。
 しかしそんな江沢民でも嘘の大きさ、執念深さでは米国に及ばない。
 この国は忌まわしいインディアン虐殺まで「フロンティア精神」とか美し気に言って世界を騙してきた。
 「嘘で国家再建」もとっくにフランクリン・ルーズペルトがやっている。
 彼はニューディール政策に失敗し「見捨てられた指導者」(W・ルクテンバーグ『ローズヴェルト』)だった時期、経済再建の解決策として白人国家の敵、日本との戦争を企てた。
 日本を白人が第三世界を植民地支配する「国際秩序を破壊する疫病」(彼の隔離演説から)と位置づけた。
 彼はまず蒋介石を白人国家側に寝返らせて「支那を侵略する日本」像を創り上げ、それを百回言って真実に仕立て、経済封鎖をやり、国際機関から追い出し、真珠湾を実現させた。
 あの戦争で株価は大恐慌前の水準に回復し、米国は大国に伸し上がった。
 米国の凄いところは戦後も「日本は疫病」政策を続けていることだ。
 最近でも三菱自工のセクハラ騒ぎを創り「日本の女に人権はない」と百遍唱え、次にマイク・ホンダは「日本軍はアジア女性二十万人を性の奴隷にした」を百遍。運輸長官ラフードはトヨタは欠陥車と百遍。それが嘘とバレると次にローラ・ヒレンブランドの『Unbroken』を持ち出してきた。
 ニューヨーク・タイムズ・ペストセラーリストで6週連続トップとなった本の内容は日本兵の米国人捕虜虐待の告発だ。
 ハイライトは日本兵が「ベルトを鞭のようにしならせバックルで捕虜の顔を殴り気絶させる」シーン。
 実在の人物の体験と称するが、日本兵の軍袴(ぐんこ:ズボン)は紐で締める。戦闘時にはベルトをするが、それもズック製でバックルは針金みたいなものだ。鞭のようにはしならない。
 嘘くさい捕虜生活は日本の降伏で終る。
 解放された捕虜は列車で広島を通る。14万人が焼き殺された広島は何もない焼け野原だったが、米国人たちはそれを「清々しい美しさ」だと言った。悪い日本に相応しい懲らしめだと。
 そして「広島には三度も原爆を落とすと警告があった。無視した日本人が悪いのだ」と続く。
 東京裁判のオランダ人判事レーリンクは五百年後に宛てたタイムカプセルに入れる広島原爆の記録映画を観た。
 映画では「米国が事前に広島市民に原爆投下を警告したと三度も強調していた。大嘘だ。事前警告はなかった。米国の残虐行為について五百年後の人々を騙すための嘘が封じ込められた」と著書にある。
 米国では一介の小説家もこまめに歴史的嘘を創る。
 この本が日本で大して宣伝されなかったのは今度の大震災にもろ当たったためだ。
 今ヒロシマの嘘はまずいと思ったか。嘘もタイミングが大事のようだ。
     (2011年5月5日・12日号)


日航機長は感動した P103

 一昔前になる。熊本県水俣市で鉄砲水が出て19人が死んだ。
 それを伝える共同通信の記事は「もっと捜して」の見出しで「(身内が埋まっているから自衛隊員に)もっとその辺を捜せと言ったのに」と視察に来た県知事に不満を訴える被災者の言葉を取り上げていた。
 記事には横隊で泥沼の中を遺体捜索に当たる自衛隊員を手前から中年の女性二人が手持無沙汰にしゃがんで見つめている写真が添えられていた。
 何とも違和感が残る。
 身内が埋もれているなら自分たちで捜すのが家族というものだ。少なくとも日本人はそうしてきた。
 そこに災害派遣の自衛隊員が来てくれた。語る言葉はまず「有難う」だろう。そしていっしょに泥沼を懸命に捜す。
 しかし共同の記事は違う。ご主人様は被災者で、自衛隊員に泥まみれで仕事をさせている。それが写真の構図。そのご主人様がここを掘れと言っているのに言うことを聞かない。「奴隷のくせに許せないと不平を洩らす被災民」としか読めない。
 朝日新聞と共に共同が常々張ってきた自衛隊蔑視キャンペーンはこうした一般記事にもさり気なく盛られ、ある種サブリミナル効果として人々の心に浸透させていったように思える。

 それが端的に出たのが今回の3・11大震災だ。
 新聞には毎日、震災死者数と行方不明者の数が載る。死者数は増え、その分不明者が減るのは遺体が新たに発見されるからだ。
 だれが発見するのか。被災者の身内ではない。彼等の中には「外は臭くて」(朝日新聞)とか言って日がな一日避難所に龍ったままの者もいた。
 ここも水俣市と同じ。泥沼を、そして逆巻く波の打ち寄せる海岸を捜索しているのは自衛隊員で、彼等は二か月以上休暇なしの連続勤務に耐え、風呂も被災民に譲って汚れた体のまま雑魚寝を続ける。共同の主張は被災地に根付いていた。
 自衛隊蔑視論は官僚世界にも根を張っていた。
 90年代半ば、ルワンダ内戦で難民が出ると外務省はその救済に自衛隊員派遣を言い立てた。
 難民キャンプにも武装ゲリラが出没する。エイズは流行る。危険千万で、内戦に責任のある西欧諸国も尻ごみしていた。
 で、米国が安保理常任理事国入りを餌に日本に派遣を要請してきた。
 外務省は喜び、派遣部隊に被害が出ればより外交効果があると読んで、装備は小銃のほか機関銃一丁とほとんど丸腰で送り出した。
 自衛隊はそんな悪条件下でも任期を無事務め上げたうえ、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけた。
 外務省には期待外れだった。お前らは死ねばいいのに、なに勝手をやるのか。共同も朝日新聞も自国民救出など自衛隊の越権行動だと非難した。
 期待に背いたことへの報復は陰険だった。任務終了後、帰国には民間機を利用し、その際は制服の着用は仰々しいので認めない。各自私服で帰れと。
 お前らは目立ってはいけないという意味だ。
 誰もましな着替えなど持っていない。年の押し詰まった12月27日、ロンドンから日航機に搭乗したとき周囲の乗客はひどい身なりの集団にちょっと驚いた。
 それが異郷の地で頑張り抜いた自衛隊員と知るのは機が公海上に出てからの機長アナウンスでだった。
 「このたびは任務を終え帰国される自衛隊員の皆さま、お国のために誠に有難うございました。国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。当機は一路日本に向かつております。皆さま故国でよいお年を迎えられますよう」
 異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内一杯に広がって行った。
 機長は乗客リストを見てPKOを務め上げた自衛隊員の帰国を知り「日本人として当然のことをしただけ」と語る。
 成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し機長に向かって敬礼した。
 被災地はともかく日本人はまだまだ一杯いる。
     
(2011年6月9日号)


米国人は大統領でも信用できない P149

 フランクリン・ルーズペルトは類い稀な深謀遠慮のヒトだった。ただ根性が悪すぎて、後世に禍根しか残せなかった。
 彼は日本に仕掛けた戦争の結果を見ずに終戦の四か月前に脳卒中で死んだ。
 墓は支那風で、それも彼の深慮からだった。
 祖父ウォーレン・デラノは中国に阿片を売って、そのカラ船に苦力を詰め込んで財をなした。いわば支那人の膏血でルーズベルトはいい暮らしをしてきた。
 それがあったので支那には最大級の好意を示し、墓のデザインも決めた。
 蒋介石も宋美齢も大喜びしたが、それも彼の遠謀だった。蒋に日本と絶縁させ、白人国家の手先として日本に立ち向かわせた。
 白人が黄色人種相手に血を流せるか。
 蒋は言われるまま盧溝橋で日本軍を挑発し、通州で日本人居留民を虐殺し、さらに上海で大山中尉を殺して上海事変を起こした。日本は立って悪い支那を叩いた。
 これを待ってルーズベルトはシカゴで「日本は狂犬国家だから隔離しろ」と演説した。悪いのは日本で、支那は被害者だと。
 南京が落ちるとニューヨーク・タイムズ記者とベイツら米人宣教師が「日本軍は南京市民三十万人を虐殺した」とデマを流した。それも大統領の差金だった。
 満州はその名の如く昔から満州人のものだが、ルーズベルトは「満州は支那人(漢人)のもの」と言い出し、蒋も「そうです。日本が侵略しました」と口裏を合わせた。

 米国はそれで日本に経済制裁を発動した。
 彼の目論見通り真珠湾が攻撃されると、彼はもう日本の処理を考えていた。
 ただ米国という国はインディアンを皆殺しにし、黒人奴隷を使い、彼の祖父は苦力で儲けた。ハワイは恫喝で乗っ取り、フィリピンは独立を餌に武力で植民地にした。どこをとっても不道徳の極みが米国の姿だった。
 対して日本は奴隷も残忍さもペテンもない。米国がいくら日本は狂犬だといっても説得力はなかった。
 それならでっち上げればいい。彼はカイロ会談を開いて「日本は朝鮮人を奴隷支配した」と言い出した。
 翌年8月、彼は再び「アジアの民は日本の奴隷になるのを望んでいない」と演説した。朝鮮は税を免除され、学校と鉄道を作ってもらい、初めて文化を知った。そのどこが奴隷だったのか。

 しかし白人の発言がすべてに勝る時代だったのだ。朝鮮人が終戦後「あたかも奴隷解放後の黒人のように」(ヘレン・ミアーズ)傍若無人に振舞いだしたのはその明らかな効果だった。
 日本の占領政策にはもう一つ彼の遠謀があった。大政翼賛会のメンバーとして追放中の松本治一郎が召し出され、日本に差別があった証左として重用された。
 日本は「朝鮮人を奴隷にし、国内では激しい差別をし、南京やバターンで残忍さも披露した」米国より悪い国に仕立てられていった。
 だから米国は原爆を落とし、再び侵略を始めないよう軍隊を取り上げても構わないのだと日本人にも刷り込んでいった。
 死せるルーズベルトが生ける日本の息の根を止めるような構図になるか。
 ただ実際に日本に入ってきたのは奴隷を使いインディアンを殺してきた生のままの米国人だった。
 彼等は民家に押し入って女を漁り、金目のものを奪い、殺しもやった。調達庁の調べで占領期間中に二千五百人の日本人がそれで殺された。
 マッカーサーは彼等の犯罪報道を検閲で封じ、犯罪米兵の逮捕も裁判も認めない治外法権を強要した。
 かくて十数万件の強姦と殺人は封じ込められた。

 表向き米軍犯罪がゼロだった占領時代をジョン・ダワーは朝日新聞に「マッカーサーのカリスマ性と米軍人のモラルの高さ」(05年7月25日)と解説した。こんな嘘つき学者も珍しい。
 米国はこの治外法権を講和条約後も続けたいと日本政府に要求してきた。
 日本政府はやむを得ず呑んだ。それを示す公文書が見つかったと先日の朝日が報じた。この愚かな新聞は「密約だ」と非難したが、そうでなくてルーズベルトを含めた米国人の傲慢とたちの悪さを問題にするところだろう。
     (2011年9月15日号)


オラオランダ人の卑劣 P191

 孫文は清朝を倒す運動を最初、造反と呼んだ。
 でも日本の新聞に「孫文の支那革命」とあるのを見て「これだ。今後は我らの行動を革命と呼ほうと言い出した」と産経新聞の上海特派員電にあった。
 孫文は日本にカネだけでなく智恵までたかっていた。
 ただ本人は智者のつもりで「民は屑だから、智者が仕切る専制政治がいい」と革命後の中国の国の形をそう公言していた。
 彼を継いだ蒋介石もこの「民は屑」をしっかり引き継いだ。
 彼は日本に喧嘩を売っては負けて逃げるパターンを繰り返したが、逃げるときトーチカに兵士を鎖で縛りつけて日本軍の進撃を死にもの狂いで防がせるのもパターンにしていた。兵士を屑、使い捨てと見ているからこその戦法だった。
 これは同じ支那人同士のことだから、彼らの勝手でいいが、オランダ人はそれを統治するインドネシア人にやった
 以下は先の大戦で昭和17年1月、セレベス島に上陸した海軍陸戦隊の報告だが、目標のメナドヘの道を6基のトーチカが阻んでいた。
 制圧して驚いた。中には足枷をつけられたインドネシア人兵士がいた。
 オランダの支配は過酷の一語に尽きる。水田を潰してタバコなど輸出作物を作らせ、ために多くの餓死者が出た。監獄につなぐと「食べ物が貰える」と喜んだという記録もある。
 そこまで虐げた現地民に銃を持たせて自分たちを守らせる。それだけでも呆れるのに、なおトーチカに鎖でつないで戦わせる。
 それを命じたのが陸軍大佐F・W・M・ティウオンだった。
 彼は陸戦隊と呼応してメナドの飛行場に落下傘降下した部隊に命乞いして捕虜になっている。どこまでも卑劣な男だった。
 因みにこれが日本初の落下傘降下作戦で、指揮官は海軍中佐堀内豊秋。「空の神兵」のモデルになった陸軍部隊のパレンバン降下はその一か月後になる。
 堀内は三か月間ここにとどまり、現地人兵士を故郷に帰し、オランダが課した塩税を廃止し、逆に塩の作り方も教えた。家ごとに救急箱も与えた。彼が離任するとき、村民が総出で見送った話が残る。
 戦後、日本人は再びティウオンの名を聞いた。彼は捕虜収容所を出るとセレベスのBC級戦犯を裁く判事を買って出た。
 彼は部下を検事役にして降伏した日本軍兵士を現地人虐殺など捏造した罪で告発し、12人に死刑を宣告した。
 堀内はそれを聞き、部下の潔白を証明するためメナドに戻っていった。
 ティウオンは捕虜の辱めを味わわせた日本人を直ちに勾留した。
 昭和23年1月、堀内はオランダ人虐待などのほか村民30人に毒を盛って殺害した罪で起訴された
 弁護人の井出諦一郎の調べで、堀内が村人に贈った薬箱を「毒薬配布」に仕立てたことが分かった。
 しかし井出の申し立てはすべて却下され、オランダ人9人の一方的な証言だけで死刑が求刑された。
 証拠は何もない。いい加減な証言だけでなぜ立派な軍人を死刑にするのかを井出が問うと、ティウオンは「なぜなら堀内が日本人だからだ」と答え、判決を前に井出を職権でメナドから強制退去させた。
 同年5月、ティウオンは堀内に死刑判決を下した。
 かつて海軍軍令部におられた高松宮がこの判決を知って、即位を前にしたオランダ王室のユリアナ王女に堀内の助命を嘆願した。
 同じインドネシアのスマランでは決起したインドネシア人に捕らえられ、処刑寸前だったオランダ女性八百人が日本軍に救出されてもいる。
 しかしティウオンの祖国だ。王室も性格は同じだった。高松宮の願いは聞き流され、堀内は同年9月25日、メナドで銃殺刑に処された。
 ユリアナ女王が即位して三週間後のことだった。
 そのオランダに船籍をもつ反捕鯨団体シーシェパードについて先日、同国政府は彼らの日本捕鯨船に対する嫌がらせは「国民の多数が支持している」(産経新聞)という理由で船籍剥奪を見送った。
 いかにもこの国らしい。
     (2011年12月1日号)


解 説     馬渕睦夫

   文章は書き手の性格の表れであり、人生観を映し出す証人でもある。高山正之氏の「変見自在」を読むたびに、タブーに怯まず真実に迫ろうとする高山氏の真摯な生き方が、一行一行の文章の間から飛び出してくる。その含蓄のある筆遣いに思わず引き込まれながら、これまで多くの読者が世界の真の見方を教えられてきた。だからこそ、「変見自在」はロングセラーを続けているのだ。

 フェイクニュースの欺瞞がばれた
 昨年(2017年)の流行語を一つ挙げるとすれば、迷うことなく「フェイクニュース」になる。トランプ大統領がアメリカの主流メディアの反トランプ・フェイクニュースに正面から挑戦している。その姿を見て世界がメディアの欺瞞に気づいてしまった。わが国でも昨年の偽造された「モリカケ」報道は、メディアが自壊を始めた歴史的事件として語り継がれることになろう。ところが、今日の時流よりもはるかに先んじてフェィクニュースの欺瞞に警鐘を鳴らしてきたのが、高山氏の「変見自在」なのだ。
 昨年の年頭に高山氏と対談する機会に恵まれた。その内容は『日本人が知らない洗脳支配の正体』(ビジネス社)として出版に至ったが、対談を貫くテーマはメディアによる洗脳であった。フェィクニュースは何故横行するのか、メディアは何故真実を伝えないのか、その答えはメディアもまた巨大な利権である点にある。自らの既得権益を守るために、メディアの権威に挑戦するものを許さない傲慢な姿勢にある。メディアの欺瞞を鋭く抉る高山氏の主張に説得力があるのは、氏がメディア界の出身者であるからだ。自らが足で取材した経験に基づいた主張であるから、批判された側も反論できない。この点が机上の評論家と決定的に違う点だ。
 本書から学ぶべき教訓は「はじめに」に集約されている。いわく、「今起きている世界情勢は新聞では解説されない」から、「歴史を繙く」ことが必要だと読者に促している点である。著者は本書が歴史を読み解く際の参考になることを期待しているが、一般読者のみならず専門の歴史学者にもぜひ本書の指摘を参考にして、従来の所謂正統派歴史観の欺瞞に挑戦してほしいと願っている。なぜなら、メディアが真実の報道を意図的に行ってこなかったのと同様に、左翼イデオロギーという既得権益を遵守するため真実の歴史研究を怠ってきた歴史学界にも、自滅の危険が追っているからである。フェィクニュースの積み重ねがフェィクヒストリーである。2018年以降はフェィクヒストリーによる洗脳が明らかになり、これまでの正統派歴史観が修正される時代になると確信している。

 ポリティカル・コレクトネスという言葉狩り
 フェィクニュースはポリティカル・コレクトネスに拠っている。ポリティカル・コレクトネスは「政治的公正さ」と説明されているが、誰にとって公正なのかが問われていない。この点に巧妙な洗脳があるのだ。要するに、少数派に配慮することがポリティカル・コレクトネスというわけだ。これは立派に差別主義だが、この点を指摘することはポリティカル・コレクトネスに抵触すると逃げを打つのがメディアである。さらに言えば、ポリティカル・コレクトネスは差別主義にとどまらず社会を分断する結果を齎している。例えば、ヘイトスピーチ規制は多数派が少数派を憎悪(ヘイト)すれば非難されるが、少数派が多数派をいくら非難してもヘイトにはならないのである。まさしく、多数派と少数派を分断し、対立させる口実としてヘイトスピーチ規制は悪用されているのだ。その背景には少数派は善、多数派は悪との勝手な決めつけがある。これ以外にも、社会的弱者は善、強者は悪も同様である。この勝手な思い込みに従ってさえいれば、いちいち取材しなくても記事が書けるのである。逆に高山氏が指摘するように、実態を取材してもポリティカル・コレクトネスに反する記事は認められないのだ。とすると、ポリティカル・コレクトネスとは言論弾圧になる。私たちが接する報道はフィルターを通した虚偽に満ちたものであることが理解されるではないか。
 本書のタイトル『日本よ、カダフィ大佐に学べ』に言うリビアの指導者カダフィ大佐は、2011年「アラブの春」といういわゆる民主化運動で虐殺された。表題のコラムは、ポリティカル・コレクトネスの欺瞞性を暴いた好例であり、「アラブの春」の不都合な本質を言外に言い当てていて興味深い。私たちはメディアによって、チュニジアから始まり、エジプト、リビア、シリアに飛び火した反政府運動は「民主化運動」だと洗脳されてきた。しかし、実態は民主化運動ではなくまともな世俗政府の転覆を図った暴力クーデターに過ぎなかった。私たちはメディアによってカダフィ大佐は「中東の狂犬」とのあだ名を持つ変人と教えられてきたが、事実はイスラム教のくびきから国民を解放し、女性の社会進出を進めた開明的な指導者だったのだ。
 しかし、それ故に欧米はイスラム教国リビアの近代国家づくりが許せなかった。イスラム国家は近代化すべきでないと言わんばかりだった。そのカダフィを見世物的に虐殺したリビアはその後どうなったか。イスラム過激派が跋扈する無法国家になり果ててしまった。無秩序の混乱状態を逃れて、身の危険も顧みず地中海にゴムボートで漕ぎ出し、ヨーロッパを目指すリビア難民が後を絶たない。世界のメディアはこのようなリビアの悲惨な現状を何も報じないのだ。メディアが報じなければ事件は終わり、人々の関心は消えてしまう。「アラブの春」という暴カクーデターを陰で演出した勢力を、メディアは一切追求しない。よって、そのような勢力は存在しないことになってしまう。
 因みに、リビアのほか「アラブの春」のターゲットになったチュニジアもエジプトもシリアも極めてまともな世俗国家であった。つまり、イスラム過激派の影響下にはなく国民はそれなりに自由な生活を享受していたのである。これらの国で暴力クーデターの後何か起こったかを観察すれば、「アラブの春」の欺瞞が一層明確になる。アラブ諸国の中で最も西欧化され社会が安定していたチュニジアでは、日本人観光客が過激派テロの犠牲になった。エジプトではムバラク世俗政権の後に、イスラム過激派による政権が誕生して国内対立が激化した。シリアのアサド大統領はイギリスで教育を受けた開明派であったが、イスラム過激派各勢力による反体制武力闘争によって国土は荒廃してしまった。大量のシリア難民がEUに押し寄せるようになって2年がたつ。「アラブの春」が残したものは、これら諸国の無法化であった。

 腹黒い世界に対処するために
 本書の全編を貫く一本の糸は、「世界は腹黒い」である。しかし、世界を腹黒いと見做すことこそ、先の大戦で敗北したわが国が国を挙げて決してしようとしなかったことなのである。その元凶は日本国憲法前文にあると氏は嘆く。即ち、「日本国民は、恒久の平和を念願し……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のだから、世界は皆平和を愛する人々だと。腹黒い国家や国民がいるなどと疑うことは憲法違反になってしまうというわけなのだ。このようなお花畑的平和主義にどっぷりつかった日本人に対して、覚せいを促してきたのが一連の「変見自在」シリーズだ。氏が暗に期待するところは、憲法改正である。正面から憲法改正問題を取り上げなくても、本書を読めば、読者は日本人を現実離れした空想世界に縛り付けているのが憲法であることに気づくはずである。
 世界には「平和を愛する諸国民」しか存在しないとなると、「敵」という概念もなくなってしまう。長年の平和憲法教育の結果、この世界に敵はいないと多くの日本人が無意識的に信じてしまっているのではないだろうか。このような認識は、国益のぶつかり合いである世界の情勢を的確に読み解くことを不可能にする。「彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」と孫子も教えているではないか。それにも拘らず、他国の事情を調べることは後ろめたいと遠慮してきたから日本は外交で負け続けてきたのだとの氏の指摘には、外務省出身の私も反論できない忸怩たる思いがある。氏は的確な外交をするために情報機関の必要性を指摘するが、戦後70年以上たったにもかかわらずまだ実現できない。その理由は、どの省庁の下に情報機関を置くかという役所につきものの権限闘争の問題もあるが、政治家も国民も情報機関の必要性を切実に感じていないことが最大の障害である。
 しかし、日本を取り巻く情勢の深刻さを考えれば、もはや一刻の猶予も許されない。北朝鮮の核開発やミサイル発射、中国による尖閣領海侵入や南シナ海の人工島の軍事基地化を見てもわかるように、いつわが国の近辺で軍事衝突が発生してもおかしくないほど事態は緊迫している。読者が本書を手にされる頃は、内外の情勢がさらに悪化していることが危惧される。ならばわが国として生き残るために何をなすべきか。本書が言うように、カダフィ大佐に学ぶことだ。つまり、日本の自立である。
 腹黒い諸国の対日態度を改めさせようとしても、残念ながらほとんど無理である。だとすれば、現実の世界をありのままに見ることができるように、私たちが変わればよいのだ。私たちが変われば相手も変わらざるを得なくなる。戦後、私たちは自らの歴史を知ることをGHQに禁じられた。代わって、メディアや日教組教育によって平和主義と自虐史観を刷り込まれた。その呪縛から解き放たれる時がいよいよやってきたのである。それによって初めて、私たちは精神的自立をすることができる。本書はそのための格好のテキストだ。
   (平成30年1月、元駐ウクライナ大使)


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