サンデルよ、「正義」を教えよう

サンデル教授はハーバードの教授だそうで、「NHKは彼の授業風景を流し、朝日新聞は激賞し、世界の知性のように言う」けれど・・・。

サンデルよ、「正義」を教えよう<変見自在>

 巻末の解説で日下公人さんが『昭和ヒトケタ生れの人には戦前・戦中・戦後を比較する力がたくさんあるのに、それがどんどん消えてゆくのは残念なことです。でもこの本のおかげでそれを記録として残していけることに感謝しています。』とお書きです。
 また『(高山さんの文章は)昭和の後半フタケタにも、さらには平成の人たちにも、納得していきやすく、高山さんの説いている「白人の正体はこうだ」という考えもいずれは消化されてそういう若い人々の身になっていくだろうと思います。』とも・・・。

 昭和半ばのフタケタである私も、高山さんが説いている「白人の正体はこうだ」を心に留めていきたいと思います。これからその恨みを晴らすかどうかは別問題ですが・・・。

 高山さんの『変見自在 サンデルよ、「正義」を教えよう』 を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

変見自在 サンデルよ、「正義」を教えよう 高山正之



目次

 はじめに ―― 因縁記事に御用心 ―― 3

 第一章 ウソつき新聞は今日も健在
白人が慄く「航空日本」の実力 19  / この程度で大学教授とは恐れ入る 23  / 「仕分け人」の正体 27  / 朝日は変質者と変わらない 31  / 白人が理解できない日本人の美徳 35  / 国民総背番号制に賛成 39  / 凶悪犯より性質が悪い官僚 43  / 剛腕政治家の中身を解剖すると 47  / タイガー・ウッズは好色漢か 51  / 米トヨタをハメた非国民記者 55

 第二章 真実は歴史を知ることで見えてくる
全日空はシャイロックだ 61  / なぜ「湾岸」戦争か 65  / 「鯨は人間の友達」とは笑わせる 69  / 米国が今も続ける沖縄占領 73  / 性悪米国人への効果的対処法 77  / 硫黄島の英霊をなおざりにした国会議員 81  / だから朝日の支那報道は信用できない 85  / 麻薬大国を持ち上げる朝日の不見識 89  / どこまで日本の真似をする気か 93  / 知財泥棒に長けた二大国 97

 第三章 恥を知らない人々
お前はどこの国の記者なんだ! 103  / 在日特派員はクズばかり 107  / 美談「テディペア」の大ウソ 111  / 非道国家に屈しないベトナムの底力 115  / 白人と結婚するのは止しなさい119  / イルカ漁批判なら、アザラシ殺しは? 123  / 後世まで消えないロシアの戦争犯罪 127  / 「国家機密」の意味を知らない無能政治家 131  / 伊丹空港が生んだ「たかりシステム」 135  / 都合よく何にでも化ける支那人 139

 第四章 美談はまず疑ってかかれ
それでも受信料を払いますか 145  / 米・支お得意の“日本騙し”の手口 149  / 官僚の体質は国際社会でも変わらない 153  / 役人の気まぐれが日本を滅ぼす 157  / 支那の飛行機には乗るな 161  / 鳥がいない国はロクなもんじゃない 165  / 女で滅びる? イラン宗教政権の末路 169  / 朝日はどこまでマッカーサーを崇めるのか 173  / 尖閣問題を拗らせたもう一つの要因 177

 第五章 悪人ほど「正義」を気取る
だから日本は世界からナメられる 183  / 米が盗みまくった日本の技術 187  / “英国人”スーチーの果した偉業 191  / 特許庁の大罪を許すな 195  / 検察の体質はロッキードから変わらない 199  / 米が言う「核不拡散」はウソだらけ 203  / サンデルよ、「正義」を教えよう 207  / 「虐殺」で稼ぐ支那人の強かさ 211  / 朝日をダメにした張本人 215  / バターン死の行進のお粗末 219

 解説 日下公人  


はじめに ―― 因縁記事に御用心 ――

 駆け出しの記者をトロッコという。「まだ記者(汽車)にもなっていない」という駄洒落だが、その時代に記者は原稿の書き方と取材の心得を徹底的に叩きこまれる。
 事件が起きる。殺人事件なら現場はどこで被害者は何者かから取材が始まる。そういうデータは「目で確かめ、耳で確かめろ」。必ず再チェックしろということだ。
 新宿署サツ回りのときに子が母を刺す事件があった。まだ刑法200条、尊属殺の規定が生きていた頃の話で、再婚して幸せに暮らす母の許に前夫との間にできたぐれた息子が突然訪ねてきた。まるで人生相談みたいな展開で、母はうろたえ「知り合いの牧師がいる聖エース教会に逃げ込むところを刺された」と戸塚署の刑事官が発表した。「エースは江戸のエに江戸のエに隅田川のスだ」。
 エースなんて宗派はない。茨城は笠間出身の刑事官に文字で確かめた。案の定エースでなくイエスだった。本人は「井戸のイに江戸のエ」と言ったつもりが、少し訛っていた。
 二つ目が「早とちりするな」。YS11が伊丹空港に着陸後、滑走路を飛び出し、タクシーウェーに突っ込む事故があった。毎日新聞の記者はtaxi way(誘導路)をタクシー専用道路と勝手に解釈し「幸い通行中のタクシーはなく、大事故は避けられた」という原稿を送り、そのまま活字になった。笑いものにされた毎日は記者を編集からどこかに配転したと聞いた。
 そういう心得の中で最も大事なのが「自分の意見を押し付けるな」。記者の仕事は右か左かの判断材料を提供すること。だから言い分か対立すれば双方の意見を載せる。殺人犯を捕まえた。彼は「やってないと言っている」という記事がある。あれは伊達や酔狂で載せているわけじゃあない。
 ところが、これが結構、守られない。平成元年4月、朝日新聞は「KY」と落書きされたサンゴの写真を載せ「80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の」と「日本人」に小言を垂れる。新聞に説教されて吃驚していたら落書きしたのは当の朝日の記者と分かった。
 自然を大事にしない日本人はきっとサンゴに落書きしているはず。それで潜ったのに落書きが見つからない。しょうがない。記事を書くために自分でやったという。
 それがばれて社長は辞任したが、日本人に濡れ衣着せて悪口言ったことは謝罪しなかった。手段が悪かっただけで新聞が日本人に教育指導するのは正しいことと本気で思っているらしい。
 今度の福島原発問題も、事実の報道より自分の意見の押し付けと説教が優先している。例えば朝日の竹内敬二編集委員は「格納容器のガス放出弁は装備されていなかったが、海外の動きに押されて導入した。当初の事故想定がいかにも甘かった」と書く。
 素直に読めば原子炉は国産で、安全性に関心のない企業はガス放出弁(ベント)もつけなかったが、米国など先進国からの注意もあって渋々取り付けたということになるが、問題を起こした原子炉は米国GE社製で、ベントはなかった。日本側がつけた方が安全とGEに逆って取りつけた。
 こんな嘘を書くのはそれで東電の無責任に小言を垂れる材料にし、「原発廃止」(若宮啓文主筆)という朝日の意見を押し付ける一助にもなるからだ。
 東電攻撃には「経産省がせっかく開発した無人ロボット」を東電が採用しなかったことも挙げ、これも「事故の想定の甘さ」にしている。東電は当時、この無人ロボの性能が低すぎると指摘、現に仙台に保管されているのに事故後も現場に投入されていない。
 事実はどうでもいい。因縁をつけて東電を悪者に仕立てればいいというのではサンゴ落書き事件とまったく同じではないか。
 それに乗って反原発が妙な広がりを見せれば、そしてそれに政治も迎合すれば、日本から活力は消える。
 日本は二度のオイルショックの教訓からエネルギー政策の柱に原発を据えた。
 1980年代、おかげで日本は原発で全エネルギーの3割を生み出し、化石燃料に振り回されずに済む体制を作り上げた。
 どこの原発も地元市町村がたかる。福島原発だって東電は県に七千億円を、地元の市町村などには予算の9割を出し、原発で使う鉛筆一本まで地元企業が法外な利幅を載せて独占納入している。原発城下町はどこも町村合併をしない。それほどたかって、東電はなお火力発電以下のコストで電気事業を続けてきた。
 その日本のエネルギー政策のゆとりが世界の歴史も動かした。旧ソ連は石油、天然ガスなど化石燃料販売で生計を立てようとしていた。売り手市場だと彼等はふんぞり返り、あのアフガンの泥沼にも化石燃料を売ればなんとかなると思っていた。
 ところが、その顧客リストのトップと当てにしていた日本がそっぽを向いた。別にソ連のご機嫌を取ってまで買う気はありませんと。それでソ連崩壊が始まった。
 日本のエネルギー政策は世界の超大国さえ笑って潰せるほどの威力がある。
 それを今のジャーナリズムはどこかのアホな市民運動上がりと一緒になって、捨ててしまえと偉そうに言う。
 彼らが何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか、メディア・リテラシーとまでは言わないけれど、本書がそれを考える材料になれば幸せだ。
    2011年初夏
             高山正之


この程度で大学教授とは恐れ入る P23

  その昔ベトナム史について学界の泰斗という明治学院大学教授を取材した。
 泰斗は「日本軍の長い占領時代に」とか「日本軍の支配下で」とか、句読点代わりに言う。
 日本嫌いなのはしょうがないとして、気になるのがさかんに遣うベトナムの「長い占領時代」という表現だ。
 長いと言ってもフランスに比べればほんのちょっとでしょうとたしなめる。
 「確かに短い。しかしその4年間が問題なのだ」
 4年間?
 「そう。北部仏印進駐からだから」
 いや日本軍の支配は昭和20年3月に仏軍を追っ払ってからの五か月間だけど。
  「えっ、ウソ」
 日本はずっと居候。フランス統治が続き、フランス人たちは昭和18年にサイゴンに四階建てのチーホワ刑務所を完成させている。
 「戦場にかける橋」を書いたピエール・ブールは脱走罪でここに収容された。彼が描いた「残忍な日本軍捕虜収容所」のモデルはこの刑務所だった。残忍な拷問をやったのはフランス人で、やられたのは抗仏のベトナム人だった。明学の泰斗はそれも知らなかった。
 後藤乾一早大大学院教授はインドネシア学の権威だそうだが、これも同じ。「日本軍はスマトラの底なしの穴に原住民三千人を突き落として殺した」とやった。
 調べたら穴には底があったうえ骨一つ出てこなかった。大嘘だった。
 一橋大教授の藤原彰は空に立ち上る真っ黒な煙幕を「日本軍の毒ガスだ」と朝日新聞で断言した。毒ガスは無色で空気よりやや重いことはオウムのサリン部隊だって知っている。
 そんな程度でも自虐史観に立っていれば朝日新聞が使ってくれる。
 ではまともな学者はというと産経新聞に載るのが相場だったが、最近は少し変わったらしい。
 先日は法政大の田中優子が産経新聞に書いていた。この人は授業に貧農史観漫画『カムイ伝』を使っていますと前に書いていた。
 そのときはちょっと驚いたが、今回はちょっと呆れた。
 民主党政権のやった「仕分け」に引っ掛かる無駄が江戸時代にもあった。それは「武士階級、今で言う官僚機構だ」というのだ。
 「村や町の治安や自治は村人や町人がやった」からその上に立つ武士は少しでいいのに大勢いた、それが無駄なのよと。
 この人は漫画は読んでも文字ばかりの中村彰彦の著作は読まないらしい。
 あの時代、武士の数は少なく仕事はやたら多かった。東京湾に流れ込んでいた利根川を今の銚子に流し、あの辺に良田を作ったのは関東郡代だ。
 千曲川も多摩川も最上川もそう。治水や新田開発は武士がやった。百姓はそれでできた田んぼを貰った。
 百姓はこっそり田を広げ、藍や煙草などを作って儲けた。十分金持ちだった。代官が検地をし直すというと、一揆を起こすと百姓が逆に脅した。江戸時代、だから検地はほとんどなかった。百姓につく形容詞は「貧しい」ではなく、「こすい」だった。
 町人も例えば江戸は原則無税、大店は多少の運上金で済んだ。他所の街では間口で税金が決められ、だから間口に比べ奥行きの深い鰻の寝床みたいな街並みができた。 それでもよかった。いい時代だった。
 田中教授は知らないらしいが、治安は武士がやった。百万都市の江戸はたった250人の与力同心が警察から裁判までやった。
 それで働き頭の同心は三十俵二人扶持、年収200万円にもならなかった。
 日本は清貧を旨とする武士が官僚を兼務した。だから世界で稀有の汚職のない施政が実現した。
 今の官僚と違って汚職をしないから武士は貧しかった。それでアルバイトをした。
  大館の曲げわっぱも豊橋の筆も秋田の樺細工も二本松の萬古焼もみな貧乏武士の副業だった。 町人や百姓は金に飽かして遊び、それが浮世絵やら根付けやらの結構な文化を生んだ。それもまた日本のよさだった。
 日本を貶めるのが学者の役割だと思っているような者は朝日新聞に書いていればいい。
 産経新聞も余計なバランス感覚などいらない。もう後もないのだから日和ることなく、まともな新聞の形を見せてほしい。
     (2009年12月10日号)


「鯨は人間の友達」とは笑わせる P69

   インディアンを好きに殺して西海岸に達した米国人は次に太平洋で鯨を殺し始めた。
 メルヴィルの『白鯨』では、のたうつ抹香鯨(まっこうくじら)の頭をかち割り、中から脂を汲み出し、胴体は吊るして「オレンジの皮を剥くように」皮下脂肪層をはぎ取り、赤裸の胴体はそのまま海に捨てた。
 支那人が鮫を捕ってはヒレだけ切り落として捨てるのと同じことを米国人はずっとやっていた。品性を含め、よく似た国民性だ。 
 米国の鯨狩りは石油から灯油(ケロシン)が取れるようになって大きく減ったが、それでも酷寒でも凍らない潤滑油として1960年代までオレンジの皮むき式捕鯨は続けられた。
 それも合成油にとって代わられ、残忍さで世界一のヤンキー・ホエーラーもやっと姿を消した。
 日本は米国と違って鯨は蛋白源だった。彼らが灯油にした部分はベーコンにして食べていた。
 それを見て米国人の根性悪が頭をもたげた。
 支那学の草分けジョン・フェアバンク・ハーバード大教授が自己批判したように「米国人は自分のことはさておき自らを道徳的高みに置いて他を見下したがる」。
 それを捕鯨に持ち込んで「鯨は高い知能を持つ人間の友達。捕鯨をやる日本は野蛮人」と言い出した。
 日本で言えば昭和の御代までアボリジニを銃で狩っていたオーストラリア人がそれに乗り、今の首相ラッドは殺人罪で日本の捕鯨を国際法廷に告発した。殺人犯が何を言うか。
 これを受けてシー・シェパードのポール・ワトソンが出てきた。
  彼は「日本人見下し」という本質をごまかすため一度ノルウェー船も攻撃した。
 ノルウェー船は彼を捕まえ半殺しにして妨害のお返しをした。ワトソンはこれ以降、絶対手向かってこない日本船だけを狙うことにした。
 標的を日本にしたのは彼が単に卑劣漢というだけでなく俳優のショーン・ペンなど日本嫌いが喜んで資金援助してくれるからだ。
 ワトソンは集った金で旧ソ連の潜水艦を買い入れたほどで、いかに日本叩きがおいしい商売か想像がつく。
 この「自らを道徳的高みに置く」米国人の国民性は実に根強い。とくに相手が品性で敵わない日本となると本気で燃え立つ。今や鯨もイルカも海の哺乳類を大事にするのが文明人の証に仕立ててしまった。
 和歌山・太地町のイルカ漁を隠し撮りし、それをアカデミー賞候補に推すのも文明人の形だと彼らは信じている。
 かくて米国は水生哺乳類の天国になった。サンフランシスコ湾はアザラシであふれ返り、フィッシヤーマンズ・ワーフには魚の影もなく、ダンジネスクラブはほぼ消滅した。
 シアトル近くのスカリド川は毎年数万尾の鮭が遡上するが、河口に体重一トンものトドの群れが棲みつき鮭を喰い漁りだした。
 しかし文明人ぶった手前トドを処分できない。一度は群れを捕獲して南氷洋に捨てたものの「一週間後には戻ってきた」と当時のロサンゼルス・タイムズにあった。おかげでその年に遡上した鮭は「120匹」(同紙)に減った。
  今はトド被害を聞かない。なぜならもはや遡上する鮭がいなくなったからだ。
 先日フロリダでショーのさなかシャチが女性調教師を襲い、殺してしまった。
 前歴を洗ったらカナダでも調教師を溺死させ、迷い込んだ一般人がこのシャチのプールで水死していた事件もあった。
 米動物保護団体は「鯨類が人間を襲った例はない」「彼らは人間の友達。じゃれていただけ」と三件の殺人容疑に無罪を叫ぶ。
 ここまで事実に目をつぶるのは「鯨類が実は獰猛な野生動物でした」では「鯨は人間の友達」という日本苛めの主張が崩れてしまうからだ。
 朝日新聞が福岡で一家四人を殺した支那人犯罪者について「彼らはごく普通の日本人の友達」と動物保護団体みたいな口ぶりで肩入れしていた。だから温情をと。
 鯨に限らずヒトを何人も殺すのは獰猛な獣性ゆえで、そういうのを友達とは呼ばない。素直にけだものと呼ぶ。
    (2010年3月18日号)


後世まで消えないロシアの戦争犯罪 P127

  浦塩はウラジボストーク(東方の征服者)の日本語表記になる。
 セオドア・ルーズペルトが悪意の仲裁をしなければ東郷平八郎の日本艦隊はここにきたはずだった。
 それに備えて湾口のルースキー島には巨大な要塞砲群が築かれ、今にその威容をとどめているが、さてそれで浦塩を守れたか。
 その要塞でロシア人に日露戦争について聞いてみた。暫しの沈黙のあと「あれは辺境の些細な小競り合いだった」と答えた。
 なにが些細だ。有色人種国家に負けたロシア帝国は農奴にも馬鹿にされて間もなく革命が起きて滅んでしまったではないか。
 実はこのロシア人は朝鮮系だ。それでもここまで負けしみを言う。
 ましてロシア女性が憧れた「黒い瞳」のグルジア人の思いはロシア人と変わらない。 その一人のスターリンはいつか日露戦争の仇を取りたいと思っていた。
 最初の報復の機会がノモンハンだった。
 スターリンはジューコフを司令官に、密かに戦車440台、航空機1300機と6万の精強部隊を送り込んで日本軍に挑ませた。
 日本軍は航空戦でソ連機を残らず撃墜し、地上戦でも戦車の過半を破壊し、ソ連軍将兵の3割、二万数千人を死傷させた。
 司馬遼太郎が口を極めて罵った「ノモンハン惨敗」が実は日本の勝利だったことは、93年にグラスノスチで史料が公開されるまで日本人は知らなかった。
 しかしスターリンとジューコフは敗北を知っていたから、彼らは以後ひたすら日本軍を恐れ続けた。でも怨念は晴らしたい。
 それで日本が陸海軍のすべてを失い、原爆を落とされ、もう降伏という終戦一週間前になってスターリンは今度こそ勝てると踏んで満洲と千島に150万の軍隊を送り込んできた。
 スターリンは満洲のすべてを収奪し、北海道を取ってやっと日露戦争の恨みが晴れるとヤルタで語っていた。
 北海道侵攻はカムチャツカから千島列島沿いに下っていって網走辺りに上陸する手順だった。
 手始めは千島の最北端占守島だった。日本軍はアリューシャン伝いに来るだろう米軍に備えて二個師団を置いていた。
 8月18日、つまり玉音放送から3日後、守備隊は降伏を知って砲台から砲を外すなどもう武装解除を始めていた。そこに突如のソ連軍の攻撃だった。
 ロシア人の性悪は知っていた。彼らが本土を狙っていることも理解できた。
 兵士たちは生きて妻子の許に戻ることを諦め、無法の敵と戦う道を選んだ。命が大事という鳩山由紀夫みたいな臆病者は一人もいなかった。
 楽勝のつもりのジューコフの軍隊は僅か一日の戦いで3000人が殺された。ノモンハン以上の大敗北だった。
 スターリンは慌てて日本に降伏を再確認させ、占守の兵に戦闘中止を命じさせた。ソ連軍は全滅を免れた。
 この躓きで北海道侵攻が大幅に遅れ、国後にソ連軍が来たのは八月下旬。ミズーリ号で降伏調印が行われている9月2日になってもソ連軍は歯舞に着いてもいなかった。
 スターリンは公然、火事場ドロをやった。そこまで恥知らずをやっても北海道占領には至らなかった。
 彼は腹いせに日本人60万人をシベリアに拉致して酷使した。北海道を救った占守の兵士も拉致され、大方が報復で殺された。
 今国会でこのシベリア虜囚の人々に対する特措法が成立した。
 戦争に乗じて悪の限りを尽くしたのはロシアだ。ロシアが悪うございましたと頭を下げ、賠償するのが筋だが、鳩山一郎が日本の国連加盟のために、勝手にロシアに譲歩して賠償請求権を放棄してしまった。
 だから日本政府が代ってロシアに苦しめられた人々を補償するという趣旨だ。
 しかし請求権は放棄しても、ロシアの犯罪行為が消えたわけじゃない。日本は占守の守備隊への感謝とともにロシアの犯罪を後世に伝えねばならない。
 ところが朝日新聞は元虜囚に「国が謝罪したことが嬉しい」と言わせた。馬鹿な鳩山一郎も草葉の陰で呆れている。    (2010年7月1日号)


米・支お得意の“日本騙し”の手口 P149

 劉備が曹操と赤壁で戦っていたころ、その上流の武漢に三層の楼が建てられた。
 壁に描かれた鶴が宴の賑わいにつられて踊りだすと言われ、その美しいたたずまいとともに黄鶴楼の名で人々に親しまれた。
 唐代には李白が孟浩然の送別の宴を持ち「故人西のかた黄鶴楼を辞し……」の詩を詠んでいる。
 孟浩然は「春眠暁を覚えず」を詠んだ人だ。
 支那の建築物は例えば秦の阿房宮のようにそれが華麗なほどすぐ壊される。
 何でもぶち壊す支那人の特性のためで、珍しく長生きした黄鶴楼も清代の末には壊されてしまった。
 百年後、日本のODAで潤った江沢民が支那の文化財再建第一号としてこの楼の復元を思い立った。
 ところがああいう民族だから「三層で各層に破風の入った」楼の設計図も資料も何も残っていない。
 結局、日本人が撮った写真を提供し、それをもとに再建したが、出来上がってみたら三層ではなく五層の塔。その方が見栄えがいいと思ったのか。彼等は復元という言葉の意味も分ってない。
 そんな支那人と米国人は双子のようによく似る。
 彼等が初めて米大陸にきたとき数千万頭の野牛と二億三千万羽の旅行鳩が天地にあふれ、一千万人のインディアンが平和に暮らしていた。
 米国人はそれをたった200年でぶち壊した。旅行鳩は一羽も残らず、野牛もほぼ絶滅の際にある。
 インディアンも「白人国家の優れた力を思い知らせ、戦いを挑んだことを悔やむように兵士もその家族も徹底的に殺す」(ウィリアム・シャーマン将軍)ことで、こちらもほぼ絶滅させられた。
 「米国は砂漠だった」と福田恆存は言ったが、正確には米国は「米国人が砂漠にした国」が正しい。
 米国は先の戦争でこのジャーマン戦法を採用した。日本軍とは戦場で戦わずに銃後の街を爆撃した。
 名古屋には一度に450機のB29爆撃機が飛来して街を焼いた。
 お濠と松の緑に包まれた名古屋城は空から見ると絵のように美しい。それでも米軍機は繰り返し焼夷弾の雨を降らしてとうとう焼いてしまった。
 彼らはひたすら壊す。文化財を守るなどという意識はこれっぽっちもない。
 フランクリン・ルーズベルトはシャーマンの言う「白人国家の優れた力」を原爆で示そうとし、投下都市を選んだ。
 第一候補は京都。人口86万。盆地状。梅小路操車場上空500メートルで爆発させれば50万は死ぬと読んだ。
 彼は原爆の威力を正確に測るため京都市街への通常爆弾による空襲を禁じた。
 しかし最終段階で京都は後回しにされた。スティムソン陸軍長官の心変わりと言われるが、結果的に京都は通常爆弾の空襲もなく終った。
 人口6万の奈良はもともと空襲の対象リストにはなかったからこちらも無傷で残った。
 こすい米国はこれを見逃さなかった。GHQは朝日新聞を呼んで「ラングドン・ワーナーが日本の文化財リストを出して戦火から守れと米政府を説得した。おかげで京都、奈良は爆撃を免れたと書け」と命じた。
 朝日は言われるまま報道し、奈良市もGHQに媚びてワーナーの像を法隆寺の外に建てた。ワーナーのリストには名古屋城が入っていたが、細かい詮索はGHQが許さなかった。
 お人好し日本人はころり騙された。戦災のなかった鎌倉もきっとワーナー様のリストのお陰と鎌倉駅西口にワーナー記念碑を建てた。
 本郷の東大が戦火を免れたのも右に同じと語られている。
 かくて日本人は米国人は文化を大事にするいい人で京都、奈良を守ったと本気で信じるようになった。
 北京政府が「京都、奈良の爆撃を止めさせた梁思成の銅像を奈良市に贈った」と産経新聞が報じた。氏素性も怪しい。何より彼が米政府にとやかく言える立場にもなかったと記事は伝える。北京のいい子だった「平山郁夫」が話の出どころというから何とかの浅知恵の産物だろう。
 米国の騙しのテクニックに倣って日本人の心証をよくしようという狙いらしいが甘く見られたものだ。
   (2010年8月12・19日号)


“英国人”スーチーの果した偉業 P191

 昔は奴隷船を仕立ててアフリカから黒人を運び込み、農園なりで働かせるのが形だった。
 しかし手間かけて運ぶのも面倒だ。どうせなら現地で奴隷を働かせた方が合理的だと考えるようになった。
 植民地帝国主義の誕生である。例えばビルマだ。北のアッサムにお茶の木が見つかり、南のイラワジ河口が売れる作物コメ作りに適していると知って、英国はここを占領して植民地にした。
 ただ、この国には歴史ある国王がいて、英国の横暴に対して臣民が団結して抵抗する危険があった。
 それで英国は国王をインドに流し、王子を殺し、王女はインド人兵卒に払い下げて王家の血筋を絶やした。ついでにマンダレーの王城は監獄に作り替えた。
  「ビルマ人の国ビルマ」も作り替えた。イスラム教徒のインド人を入れ、華僑も入れ、周辺の山岳民族もキリスト教に改宗させて山からおろして多民族多宗教国家に変えた。
 改変されたビルマではインド人が金融を、華僑が商売を、そして山岳民族が軍と警察を握り、この国の主だったビルマ人は最下層の農奴にされ、イラワジデルタでコメを作らされた。
 英国にズタズタにされたビルマはだから戦後、独立を回復すると英国的なものすべてを排除した。
 まず大英連邦から脱退し、英国式の左側通行も、英語教育もやめた。
 国連を通して英国がビルマから奪ったものの返還も訴えた。
 英国は奪った国王の玉座や宝石を渋々返したが、ビルマは英国の植民地統治の責任も国連の場で糾弾を始めた。
 その中にはアウンサンの暗殺もあった。表向き彼は元首相ウ・ソーに殺されたことになっているが、国民の多くは英国が仕組んだことを知っていた。
 ビルマがそうやって騒ぎ続ければ、他の元植民地国家もやがて騒ぎだす。欧米による奴隷支配が明るみに出れば、東南アジアで残虐行為をやったのは日本ではなく、白人国家だったことがばれてしまう。
 かくて白人国家は目配せし合ってビルマ非難を始めた。苛めにはアウンサンの娘スーチーを使った。
 彼女は父を英国に殺された。本来なら反英のシンボルになるはずの15歳の少女を元ビルマ総督が英国に連れ出し、英国人として教育し、英国人の夫まで与えて手なずけた。
 スーチーは、父を殺し祖国を破壊した英国に忠誠を誓い、英国に背く祖国を非難し「植民地支配の糾弾」事業を潰した。
 米英はビルマ政府を軍事政権と非難し、厳しい経済制裁を科してビルマの口を封じた。白人国家に楯つけばどうなるかという見せしめだった。
 先日、そのビルマを訪ねた。経済制裁はこの国の歩みを完全に止めた。街の景色は20年前と同じ。おんぼろトラックの荷台に鈴なりの客を乗せたバスが雨の中、泥水を蹴立てて走っていた。
 貧しさに負けて90年代、議長のタンシュエは制裁に加わっていない支那に支援を乞うた。反対した良識派のキンニュンやエーベルは追放された。
 雪崩のように入り込んだ支那人は金融も商売も独占し、マンダレーは大声でわめき、痰を吐き散らす彼らに占領されていた。
 支那の支援で水力発電所ができたが、電気は支那に送られ、ビルマは毎日のように停電している。
 支那の悪弊、賄賂も普及した。例えばパスポートを取るには入管事務所の周りに屯する口利き屋に頼むのが形になった。口利き屋が事務所から役人を連れ出し、申請者と役人と口利き屋の3人で日本なら幾ら、米国は幾らと賄賂額が折衝され、やっと旅券が出る。
 政治も支那化した。間もなく民主化を謳う総選挙があるが、ポスターはどこにもない。代わりに選管事務所の役人が戸別訪問し期日前投票させる。投票用紙の候補者名は空欄で有権者はただサインするだけだ。
 支那に国を売ったタンシュエ一派の全員当選がもう決まっている。
 ビルマは腐り切った。もはや欧米植民地支配を糾弾する覇気も力もない。
 英国人スーチーはその役割を十分に果たした。

   (2010年11月4日号)


サンデルよ、「正義」を教えよう P207

 ハーバード大に学ぶ日本人が少なくなった、支那人の方が多くなったと同大の女生学長がこの春、日本にやってきて言った。
 そこの留学生数で国のレベルが決まるみたいな口ぶりだが、さてそんな立派な大学なのか。
 早い話、そこの先生だ。その一人、ヘンリー・ゲーツ教授が「米国は黒人奴隷問題を恥じる必要はない」とニューヨーク・タイムズに書いていた。
 読んでびっくりだ。だって黒人奴隷はアフリカ人が売っていた、米国人はただそれを買っただけだと。
 覚醒剤は持っているけど悪いのは上野で売っていたイラン人だというのと似てないか。
 誰が奴隷を売ったかではなく、奴隷制度が悪いことをこの教授は知らない。
 こんな外れもたまにはいると善意に解釈したら、もっと変なのが出てきた。
 「正義」について語るマイケル・サンデル教授だ。
 彼は「ハリケーンに遭ったニューオーリンズで屋根の修繕屋が50倍の料金を吹っ掛けた」ケースを紹介し、これは人の弱みにつけ込んだ悪徳商人か、供給が増えず需要が大きくなれば必需品は高くなるので当然の商行為かと問う。
 日本人は戸惑う。日本では例えば中越地震のとき。道が崩落し救援物資も届かない山村のスーパーが、とりあえず必要な食品や野菜2000円分を詰め合わせた袋を400円で売った。
 「こういう時はお互い様ですから」と店の主は答えていた。
 阪神大震災のときは山口組が炊き出しをやった。
 「アウトローは略奪するものだろう」とロサンゼルス・タイムズのサム・ジェイムスンが驚いていた。
 日本では儲けどきに安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。
 だから日本人はサンデルのこういう問いが発生すること自体、理解できない。
 彼はまた南北戦争のときの徴兵制を取り上げている。
 みんな兵士となって戦場に出るが、ただカネを出せば身代りが認められた。後には300ドル出せば召集は免除されるルールもできた。
 法の前の平等を説く米国もこの辺は堂々と貧しい者を差別してきた。
 サンデルはそれを非難はしない。米国人に限らず人は生きたいのだからと。
 第一次大戦はキール軍港の水兵の叛乱で終るが、これも根は同じだ。
 ドイツは最後に残存艦隊の出撃を計画した。意気の高さを見せて停戦条件を有利にする気だった。
 それに「もう少しで生きて帰れる水兵が反発した」(川ロマーン恵美『ベルリン物語』)。「最後の捨て駒にされてたまるか」というわけだ。ドイツ帝国はこのキール軍港の叛乱によって崩壊した。
 この「自分だけは死にたくない」行動について問われても日本人は戸惑う。
 先の戦争で日本が降伏したあと、ソ連軍が千島列島に武力侵攻してきた。
 ポツダム宣言に沿った進駐でなく、武力で占領する意図だった。
 米国が沖縄を占領したように我々も北海道まで武力占領した。だからその領有権は我々にあると言うための侵攻だった。
 ソ連軍はまず北の占守島を攻めた。もうお国が降伏したあとだ。そこの日本人将兵はどうしたか。
 これが徴兵も金で済ます米国人だったら金を積んででも命乞いをしただろう。
 キール軍港の水兵も降伏が決まっているから、喜んで手を上げただろう。
 ただ日本人は違った。降伏後だから捕虜になっても形はつく。生きて故郷にも帰れるが、それで火事場ドロ以下のソ連軍に祖国を好きに蹂躙させるなど日本人として許せなかった。
 だから一旦置いた銃を再び取って戦いに臨んだ。
 日本側は700人が戦後に戦死したが、ソ連側は数千人の死傷者を出し、計画は頓挫して北海道侵攻は不能となった。
 モスクワは日本政府に文句を言って占守島の将兵に銃を置かせた。
 サンデルの頭にこうした日本的な正義はない。商売は阿漕に、金持ちは命を惜しむ。それを何とか正義で包みたい。
 あの大学に支那人が増えるわけだ。
   (2010年12月2日号)


解説    日下公人

 高山正之さんが週刊新潮に白人の強引なアジア侵略とその自分勝手な正当化についてどんどん書きはじめられたとき、書く高山さんと書かせた週刊新潮を大いに尊敬しました。それからその問題について日本にたくさんの読者がいることを知ってこれも嬉しく思いました。
 連載がつづいて本となり、また文庫本となって広く読まれるのは日本の新しい変化であり、世界を自分の目でみる目ざめでもあると喜びました。
 市ヶ谷のグランドヒルで出版祝賀会があったとき私はこんな挨拶をしました。
 「今日、出席すると私とよく似た考えの人にたくさん会えるなと思いましたが本当にその通りでした。嬉しい限りです」
 そのとき目の前には当時休養中の安倍首相の姿がありました。着席するとき高山さんに、「週刊新潮を読んでますよ。最初に!」  と声をかけられたので、自分と同じような考えの人のトップはこの人だったかとますます嬉しくなりました。
 その日は大盛会でした。同じ気持ちの人がたくさんいると確認できて出席者はみるみるうちに明るい顔をとりもどしていました。ご自分の顔になられてゆくのです。
 日本人の顔です。そう思いました。
 今までは大メディアの朝日新聞やNHKや日教組の偏向に打ち消されていた日本人の気持がようやく表面にでてきたのです。
 これから日本は変るぞと感じました。
 実際そうなりました。
 何ごともそうですが、変化の前には驚天動地とか異端邪説と思ったことが、そうなってみれば当然のことだったという体験をそのときもたくさんしました。今もそうです。自分の体の中に昔の日本が残っているのです。
 昭和ヒトケタ生れの人の考えていることは一般と少し変っています。戦争体験の量と質がぜんぜんちがっているのです。
 高山さんはフタケタに生れながら、ヒトケタと同じ経験を戦争特派員などやって積んでいて、彼が説いているたとえば白人の正体についての考え方は我々ヒトケタ族と共有できるし、その筆致というか、感性は昭和の後半フタケタにも、さらには平成の人たちにも、納得していきやすく、高山さんの説いている「白人の正体はこうだ」という考えもいずれは消化されてそういう若い人々の身になっていくだろうと思います。であればこそ、それを異端邪説と考えていた自分と、それをいつの間にか納得している新しい自分を見つけたときはその変化を一度再考しておくことが必要です。
 昭和ヒトケタ生れの人には戦前・戦中・戦後を比較する力がたくさんあるのに、それがどんどん消えてゆくのは残念なことです。
 でもこの本のおかげでそれを記録として残していけることに感謝しています。
 いくつかの例をあげてみます。
 第一は白人崇拝です。昔は今以上に白人を崇拝したようにいわれますが、そんなことはありません。
 第一次世界大戦では戦勝国の中に入っていた日本は「欧米に肩を並べる日本」と「欧米に負けない古来の日本」と「もう追いこしている日本」の三つが併存していました。そこで1920年から1940年へかけての日本は東西文化と文明が一度に花をひらいた賑やかな国でした。
 が、その話が多くの日本史ではぬけています。戦前の日本はすべて否定する風が戦後の日本には強く吹いていましたが、そうではなく、たとえばテレビの高柳健次郎や農林10号を開発した稲塚権次郎、ディーゼル小型化の山岡孫吉などなど。本書では「米が盗みまくった日本の技術」に詳しい。むしろ日本が世界をリードし、貢献した。世界を先取りした日本人が山といた。そういう日本の明るさ、未来的な日本があったからこそ戦後の日本は爆発的な発展をして「戦後の高度成長」を実現したのです。それを高山さんは掘り出してきてヒトケタの人たちに思い出させ、若い人たちに本当の日本の良さを提示してきた。
 が、しかし残念ながらそれをGHQが消し、その功績はデータを独占する官庁がとってしまいました。データがないと何も書けない「戦後の日本人」というインテリがたくさん登場して、戦前の日本の成功に関する明るい話を消してしまいました。戦後を「奇蹟」の一語ですませましたが、簡単なグラフをかけばその間違いが分ります。
 GDPでも鉱工業生産高でも戦前の上昇線は戦中の破線をとびこえて戦後の高度成長線にピッタリつながります。高山さんが指摘するように日本経済と日本人は健在だったことがこれで分ります。日本の経済官庁や学者はこれをかくすために「奇蹟の高度」説を書きまくっています。これは詳しくグラフをかけばいっそうハッキリします。戦後の日本経済の復興はヤミ市といわれた流通の「自由化」からはじまっていますが、それを書く人はもういません。生産の回復はそのあとです。進駐軍といわれたアメリカ兵、それから三国人と総称された韓・台・中の人達の駅前商店街や焼跡の土地泥棒などが一段落したあとのことです。
 そのあとには消費の自由化と日本経済の大発展が登場して、日本人は再びアメリカ文明と文化は日本以下だと考えるようになります。
 白人のアジア侵略説をきいてもあまり驚かなくなります。人種で考えるより経済力や技術力や文化力で勝負がつくと考える日本人にその頃からなっていたとは幸福なことです。
 こうした世界観や歴史観や文明・文化観を総合して考えられる日本と日本人を自覚し、世界に説明できる日本人になることがこれからの日本人の務めです。
 世界もそれを待っています。
 トランプを超える日本からの発声が待たれます。

 日本人は相互理解が難しい国際問題でも、相手を性善と信じ、礼をもって接し、相手を理解するところから始めます。相手が悪意を持っているのではといった吟味はあまりしません。相手を疑ってかかるのは日本人には難しいのです。
 中国のいくつかの都市で日本企業を狙い撃ちにした焼き討ちデモがあっても「中国人は北京政府に文句を言えません。そのはけ□に日本企業が狙われた」と新聞が解説し、日本人は納得します。彼らの悪意を考えない。日本人らしい思い込みですが、それは結構根深い。
 高山さんはそうじゃあないとはっきり言う。すごいのは、どんなケースでも史実を徹底して調べ、情緒を立ち入らせない説得力のある例証を並べるのです。これはかなり難しい技です。
 この本のタイトルにもなったサンデル教授はハーバードの教授です。それだけで日本人は彼の言うことは正しく、偏見もない、まして無知でもないと思い込んでしまいます。だからNHKは彼の授業風景を流し、朝日新聞は激賞し、世界の知性のように言う。
 高山さんはサンデルを冷静に見下ろして「お前なあ、世界はそうせこい考えで固まってはいないんだ」「もっと見識を広めなさい」と言う。そしてサンデルたち白人が思いもつかない日本人の形を示して、読者に「白人の偉い先生」という思い込みが単に思い込みなのだと理解させています。
 その項を読めば分かりますが、説得力ある材料は実はみな新聞に載っていた話で、読んで思わず膝を叩きたくなります。そういうデータをきちんと頭に入れている。
 舶来品という言葉があります。
 日本人は海の向こうから来れば、それが仮に北京の汚い空気が生んだ汚物でも、何となしにありがたがって、ときには熱中しました。コカコーラが来た時もそう。何で消毒薬みたいな飲み物が売れるのか、首を傾げながら飲みました。そのうち日本人は日本人の本来の感性に目覚めてコーラのブームは潮が引くように消えて行ってしまった。アメリカでは何かとてつもない陰謀があったのではと思うくらい、日本人は背を向けました。
 代わりに日本人は日本茶をボトルに詰めて飲んでいます。甘くもない。刺激的でもない。向こうが首を傾げ、しかしやがて世界の半分が悔しいけれどその良さに気が付いています。
 悔しいから彼らはよく日本の悪口を言うのです。
 ともあれ、日本文化と日本文明の海外進出及びそれを受けいれた先方国との関係や白人と日本人の衝突について高山さんが書かれたことの意味は大きい。日本人は「最後は日本の勝ち」と信じて品位を保ちつつ全面勝利の日がくるのを期して待ったのです。本書は日本人が個人として頑張った話の集成でもあります。
      (平成29年7月、評論家)


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