嘘だらけの日米近現代史

アメリカとの付き合い方を考えるうえで日米近現代史を把握しておくことは大切だと思います。

嘘だらけの日米近現代史

 倉山さんが本書で選ぶ歴代アメリカ大統領ワースト3は、アメリカの国益を損ねたという意味で、1位がウィルソン、2位がF・ルーズベルト、3位がクリントンだそうです。
 F・ルーズベルトのことは他の書籍などでも目にしていましたので、1位だろうと思ったのですが違っていました。
 ウィルソンに触れた、第三章第一節世界史的災厄をもたらしたウィルソンを興味深く読みました。

 “おわりに”に示された、日本の対米方針(さらには対中方針)に関する倉山さんのお考えは私もほぼ賛同です。
 ただ「番犬様の足を引っ張らないような体制づくり」だけで済むのかというところが不安です。倉山さんも少し触れていますが、その番犬様が弱っている・・・。
 また、本書が執筆されたのはトランプ登場前ですが、トランプは番犬であることを止めたがっているようでもあります。
 番犬なしでもやっていけるような体制づくりを目指さなければならないと思います。

 倉山満さんの「嘘だらけの日米近現代史」 を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
 ただ、紙の本は増刷されていないのか、楽天もアマゾンも電子書籍版のみを販売していますね・・・。


嘘だらけの日中近現代史 倉山満


 <紙の本は増刷していないのか・・・?、楽天もアマゾンも電子書籍版です。>
 



目次

 はじめに 4

 第一章 握造だらけのアメリカ建国神話 1775~1865
第一節 ワシントンは架空の人物? 12
第二節 かたちばかりのモンロー主義 19
第三節 ただの極悪人だったリンカーン 24

 第二章 知られざる日米の蜜月 1839~1908
第一節 小国アメリカからの使者ペリー 34
第二節 ハワイをめぐる攻防戦 45
第三節 アメリカと見た「坂の上の雲」 48

 第三章 世界大戦の勝者はソ連だった 1908~1945
第一節 世界史的災厄をもたらしたウィルソン 60
第二節 日英米の「恨み」の三角関係 72
第三節 笑いが止まらないスターリン 81

 第四章 敗者としてのアメリカ 1945~1960
第一節 GHQは“落ちこぼれ”の吹き溜まりだった 96
第二節 朝鮮戦争で翻弄されるアメリカ 105
第三節 民主主義は二の次だったアメリカ 113

 第五章 冷戦期の“お利口さん” 1960~1990
第一節 ケネディが火をつけたキューバ危機とベトナム戦争 123
第二節 「負け犬」カーターと「闇将軍」角栄 135
第三節 冷戦に勝利したレーガンとブッシュ 142

 第六章 アメリカよ、世界を返せ! 1991~2011
第一節 アメリカ・コンプレックスの正体 150
第二節 おい、クリントン、世界を返せ! 152
第三節 実は何もできなかったブッシュJr. 161
第四節 「テキトー」なオバマ 165

 おわりに 172
 付録 176


はじめに 番犬様との付き合い方を考えよう!

 われわれ日本人が生きていくうえで、アメリカというものをどのように考えればいいのでしょうか。アメリカはわれわれ日本人にとって、切っても切れない厄介な存在です。幸か不幸か、間違いなく当分は。
 確かに、「好きで好きで仕方がない」という人には眉をひそめたくなります。でも現実には「嫌いだから遠ざける」というわけにもいきません。
 そこで、アメリカとの付き合い方を考えようというのが本書の目的です。
 ところで、アメリカ合衆国、あるいは在日米軍のことを「番犬様」と呼ぶのをご存じでしょうか。これはなんと、日本政府の公式見解です。国会の議事録には次のようにあります(第51回国会 衆議院外務委員会 第5号 昭和41年3月18日)。

<椎名国務大臣> 核兵器のおかげで日本が万一にも繁盛しておりますというような、朝晩お灯明をあげて拝むというような気持では私はないと思う。ただ外部の圧力があった場合にこれを排撃するという、いわば番犬 ―― と言っちゃ少し言い過ぎかもしれぬけれども、そういうようなものでありまして、日本の生きる道はおのずから崇高なものがあって、そしてみずからは核開発をしない。そして日本の政治の目標としては、人類の良識に訴えて共存共栄の道を歩むという姿勢でございます。ただ、たまたま不量見の者があって、危害を加えるという場合にはこれを排撃する、こういうための番犬と言ってもいいかもしれません、番犬様ということのほうが。そういう性質のものであって、何もそれを日本の国民の一つの目標として朝夕拝んで暮らすというような、そんな不量見なことは考えておらないのであります。

 わざわざ、「番犬ではなく番犬様」と言い直しているのです。皆さんはこれをどうお感じになるでしょうか。
 最近は地方都市や都市ですらない片田舎にまで中国語や韓国語があふれていますから、「外国といえばアメリカ」という感覚は少し薄れてしまったかもしれません。
 また、最近の大学生は日本とアメリカが戦争をしたことすら知らないそうですから、その昔に比べるとアメリカに対する感覚は相当違ってきているのかもしれません。とはいえ、「世界最強の大国」というイメージは根強いですし、「日本を支配しようとする悪い国」という陰謀論も大変人気があります。アメリカと利害が一致する事柄、特に安全保障についてまともな意見を言う人に対しても「アメポチ」といった左翼のようなレッテル貼りをする自称「真正保守」の人たちがいるのも事実です。やはり、まだまだ日本人の潜在意識には「外国といえばアメリカ」というコンプレックスが刻み込まれていて、どうしても「嫌米」「反米」とか、逆に「拝米」「媚米」のように、極端に流れてしまいがちなのかもしれません。
 アメリカとはTPPなどのような個別の問題でもめることはあっても、最終的には「人間の自由は大事だ」という価値観を共有している相手ですし、あらゆる意味で最大の友好国であり、同盟国です。その点をよく考えれば、「アメポチ」とか、「嫌米」といった稚拙な感情論がいかに無意味で、危険なものであるかは明白です。それこそ椎名外相が、軍事的には守ってもらいながらも、精神的には媚びないどころかむしろ「番犬様」と余裕を見せたように、私たちもこの問題について現実的にアプローチしていく必要があります。
 ところが、実は、日本人は意外とアメリカ合衆国のことを知りません。なぜなら、日本の歴史教育において、「アメリカ史」は存在せず、世界史の中でも建国から1920年ごろまでのアメリカの扱いは極めてマイナーな存在でしかないからです。
 そこで、本書では、アメリカとはどんな国なのか、これまで日本とどんな付き合いをしてきたのかについて、その歴史を中心に紹介していきたいと思います。アメリカという国には、強迫神経症のように繰り返す一定の歴史のパターンがあります。それさえ知ってしまえば、実は「番犬様」のコントロールはそれほど難しいものではありません。戦前にもこの点を見切って対米関係に関して卓越した意見を持っていた政治家や官僚たちがいました。本書ではこういう人々の知見も紹介しようと思っています。
 さて、本書は次のように構成されています。
 第一章では、「日本人が知らない等身大のアメリカ」をご紹介します。結論から言うと、アメリカ合衆国は引きこもりがつくった国です。
 第二章と第三章では、日本とアメリカが出会ってから、世界はどうなったのかを見ていきます。アメリカだって最初から世界一の大国だったわけではありません。日本人が自覚していないだけで、引きこもりだったアメリカにとって、日本という国との出合いは決定的に大きかった。そこで「日本の対外政策とアメリカ」を見ていきます。
 第四章から第六章は、現代の話です。今度は逆に、日本が引きこもりになっていく時代です。「アメリカの世界政策のもとでの日本」を知り、今の世界と日本がどうなっているのかを読み取っていきます。
 本書をとりあえず一読してください。通説、つまり、「日本人が信じている、教科書的アメリカ史」がいかに嘘にまみれているかがわかると思います。
 そして、3つのコアメッセージさえ理解できれば、アメリカとの関係はそう難しくありません。
その1.アメリカはバカ!
その2.アメリカはヘタレ!
その3.でも、やるときはやる!
 映画『メジャーリーグ』をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか。『メジャーリーグ2』と『3』ではとんねるず石橋貴明がハリウッドデビューしたあの映画です。「バカでヘタレだけど、やるときはやる」アメリカ人たちが、ダメ野球球団を栄光へと導く物語です。まさにアメリカ合衆国という国の、いいところと悪いところを象徴するかのような映画でした。
 極端に美化されたり、あるいは悪魔化されたアメリカではなく、等身大のアメリカ合衆国の歴史から何かを学ぼう。それが本書の狙いです。
 日本人は間違った歴史認識にとらわれているので、正しい処方箋が見つけられないでいる。だから正しい歴史を知らなければならない、との想いで私はこれまで何冊かの本を書いてきました。
 現代日本は明らかに病んでいます。政治にしても経済にしても、問題だらけです。
 本書でアメリカという最も身近で、しかも少し厄介な隣人との付き合い方を考えることを通して、読者の皆さまが日本の外交と安全保障における正しい処方箋を見つける一助になればと考えています。


ワシントンは架空の人物?

 本書では基本的に各節の冒頭でほとんどの日本人が学校で一度は習ったか、あるいはおぼろげながら抱いている通説を紹介し、実はそれらが歴史的事実から恐ろしくかけ離れているのだという記述スタイルで進めていきます。
 最初は、アメリカ合衆国の建国、特にジョージ・ワシントンから始めましょう。

<通説>  信仰心の篤い敬虔なクリスチャンたちがメイフラワー号という船に乗ってはるばるアメリカ大陸に渡り、厳しい自然や現地インディアンとの戦いなど幾多の困難を乗り越えてフロンティア精神で開拓したのがアメリカ合衆国の成り立ちだ。苦労をしながら開拓した土地からの利益を英国国王ジョージ三世は無情にも搾取したので、耐えかねたアメリカ人たちは独立戦争を起こし、独立を勝ち取って建国したのがアメリカ合衆国だ。

 本書で紹介するアメリカ史は一事が万事この調子で、どこから突っ込みを入れればいいのかわからないほど嘘だらけです。要するに、「英雄ジョージ・ワシントンが独力で大英帝国に真正面から挑戦し、勝利した」というのが、彼らの建国神話なのです。これが事実だったとしたら、日本の『記紀』の「神代編」だって全部史実です。何なら、手塚治虫のマンガだって実証主義になります。こういう「火の鳥の生き血を飲んだら永遠の命を得られる」級のSF話を信じこまされているから、日本人はアメリカ合衆国という国の正体がわからなくなるのです。
 通説の誤りを逐一指摘していきましょう。
 まず、イギリスの「落ちこぼれ」がアメリカ大陸へ流されたのがメイフラワー号です。何がどう落ちこぼれかを説明しましょう。当時のヨーロッパは三十年戦争の最中です。三十年戦争とは、ヨーロッパのすべての国がカトリックとプロテスタントの陣営に分かれ、殺し合いが行われた宗教戦争です。その中心であったドイツ地方では国土の三分の二が荒廃し、人口の四分の一が消滅したといわれます。この戦争を境にヨーロッパ人は「宗教はほどほどにしようね」というふうになっていくのです。具体的には、「火あぶり」「魔女狩り」「錬金術」「魔法」といった迷信の世界と最終的に決別し、大人の社会に成熟していくのです。これを「近代化」と言います。
 1620年にメイフラワー号に乗ってヨーロッパを離れた連中は、「近代化なんて嫌だ」という宗教原理主義者の皆さんです。実態はメイフラワー“サティアン”とでも言ったところでしょうか。
 彼らメイフラワー“サティアン”の連中は苦難の末にアメリカ大陸に漂流し、餓死しそうになります。そこでかわいそうに思った現地人(一時期は「インディアン」の呼称は差別的とかで「ネイティブ・アメリカン」と呼びました)が食べ物をくれたのでメイフラワー“サティアン”の皆さんは助かったというわけです。さて、問題です。ここで“サティアン”の皆さんは誰に感謝したでしょうか。
 彼らは「神様、このような幸運を与えていただき、ありがとうございます」と叫びます。彼らの信仰によれば、「神様は我々に試練を与えた。しかし、この絶体絶命の危機に、彼ら現地人を差し向けるように計算されていたのだ」ということになるのです。現地人になどまったく感謝しません。その後、“サティアン”の連中やその後にやってくる“自称”開拓者たちが、現地人を殺しながら土地を奪うのですから、恩を仇で返すとはこのことです。教科書的理解だとメイフラワー号の子孫だけでアメリカ大陸を開拓したかのように思えますが、彼らは食い詰め者のなかの一部にすぎません。結局、イギリス本国からのヒモ付き支援で東海岸を開拓し、それが13の植民地になるのです。
 ここで確認します。現代アメリカの支配層はWASP(White Anglo-Saxon Protestant)と言われます。これはイギリスが「白人で、アングロ・サクソンで、プロテスタント」の国ということに起因します。アメリカは先に入った移民が後から来た移民を差別する国ですので、WASPが威張っているのです。つまり、現代の我々が想像するアメリカ人とは、「イギリス人の落ちこぼれ」の子孫なのです。その“落ちこぼれ”が、こともあろうか本国に喧嘩を吹っかけたのが、アメリカ独立戦争です。
 1763年、七年戦争に勝利した大英帝国は世界の覇権国家となります。アメリカ大陸でもフランスやオランダを叩き出し、植民地をほぼ独占します。これは諸外国の反感と警戒心を買うことでもあります。だからイギリス本国は防衛費を現地に負担させようとしました。これに現地人は反発し、5人が殺された暴動事件を「ボストン大虐殺事件」と言ってプロパガンダを始めます。輸入品のお茶を片っ端から海に投げ捨てたことから「茶会事件」として教科書に書かれている事件です。
 この騒動に飛びついたのが、ヨーロッパ諸国です。特にイギリスヘの復讐を狙っていたフランスは、現地アメリカ人をそそのかします。こうしてイギリスの“落ちこぼれ”が敵国フランスの後ろ盾で1775年に始めたのがアメリカ独立戦争です。この戦争はイギリスでは「謀反」と呼ばれますが、こちらのほうが実態に近いでしょう。
 さて“落ちこぼれ”たちは独立戦争をしかけたはいいものの、連戦連敗です。当たり前です。西部劇に毛が生えたような連中が、世界最強の大英帝国に喧嘩を売って勝てるはずがないのです。せめてもの希望は、アメリカ大陸がイギリス本国から違いということだけです。物資の輸送をフランスなど他国が邪魔してくれることで、何とか持ちこたえていました。ちなみに、この“謀反”人たちは、いくつかの例外的な小競り合いを除いて、戦闘ではまるで勝っていません。ひたすら逃げ回るだけでした。ちょうど、のちのシベリア出兵の赤軍や支那事変の国民党と同じです。しかし、実はここに独立戦争が成功した秘訣があるのです。
 赤軍や国民党は、世界最強といわれた大日本帝国陸軍と真正面から戦うことをせずにひたすら逃げ回り、油断したところを後ろから不意打ちをして心理的に参らせる、という戦法を繰り返しました。独立戦争におけるアメリカ人も同じです。アメリカ合衆国は、ゲリラ戦で成立した国です。
 この時のヨーロッパでの主流戦法は密集隊形と呼ばれ、銃を待った軍隊が四角形に固まって太鼓の音に合わせて前進するというものです。なぜ密集するかといえば、当時の兵隊はカネで雇われた傭兵なので、いざとなれば逃げてしまう忠誠心ゼロの集団です。だから逃げられないように、密集させるのです。
 ただ、逃げられないということは、敵の弾をよけられないということです。逆にアメリカ“謀反”軍は、負けたら逃げる場所がないので必死です。逃げて散っても、仲間を裏切ることはありません。こうして生まれたのが散兵戦術です。アメリカ“謀反”軍は、敵に弾を撃っては逃げるという戦法を繰り返しました。自由自在に動けるアメリカ“謀反”軍に対し、イギリス傭兵軍は苦戦します。ちなみに、密集隊形のマヌケさを余すところなく描いた映画が『パトリオット』です。アメリカ“謀反”軍は、勝てないなりに粘り強く頑張っていました。
 そうこうしているうちにフランスなどがイギリスに宣戦布告してくれます。ほかのヨーロッパ諸国もイギリスに反感を抱いていますから、陰に陽にイギリスに嫌がらせをするので、物資や援軍がアメリカ大陸に届かなくなります。そして遂にイギリスはフランスに敗れ、1783年のパリ講和条約で、アメリカ合衆国(United State of America)の存在が容認されます。ここで晴れて“謀反”軍ではなくなりました。
 United State of Americaの初代President(現在の訳語は「大統領」)には、旧“謀反”軍の最高司令官だった、ジョージ・ワシントンが就任します。
 アメリカ人は「強大な帝国軍に対して自由を求める戦士が長く苦しい戦いを続けた末に独立を勝ち取った」と『スター・ウォーズ』のような話をしますが、実際はフランスが対英包囲網を敷いたおかげで勝利できたのです。真に受けては笑われます。
 むしろ特筆すべきは、アメリカ人に内輪もめをさせなかったワシントンの統率力でしょう。8年間ほぼ連戦連敗でありながらゲリラ戦を続け、勝利の日まで根性で頑張り続けたのですから。
 ところで、最近の日本史学では「聖徳太子は架空の人物だった」という学説が流行しています。その中身は「確かに、ウマヤドノミコという人物は実在したが、聖徳太子として伝わっている事跡はすべて100%の立証ができないものばかりだ。だから聖徳太子は架空の人物なのだ」というものです。よくわからない説ですが、学界では真面目に語られています。その筆法に従いましょう。
 アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは架空の人物です。
 どういうことでしょうか。もちろん、ジョージ・ワシントンは実在の人物です。しかし、「アメリカ合衆国初代大統領」がポイントなのです。
 確かに1783年にワシントンに率いられた13のイギリス植民地がUnited State of Americaをつくりました。この時のUnited State of Americaは今のEUのようなもので、一つの国家ではありません。そのような国家連合のPresidentは、文字通りの議長であって、大統領ではありません。また、“謀反”軍もNATOのようなものです。ついでに言うと、抜けぬけと「世界で最初の近代憲法を待った国」と威張っていますが、当時の「アメリカ合衆国憲法」は、13の州が結んだ条約です。
 このようにアメリカは、最初から歴史の捏造と記憶の改変で成立した国なのです。
 ということで、しばらくUnited State of Americaを「アメリカ連邦」と訳します。


世界史的災厄をもたらしたウィルソン

 よくある質問ですが、「アメリカが好きか嫌いか」と問われたら、困惑するしかありません。良いところと悪いところの両方がありますし、時期によっても態度が変わります。また、良い人も悪い人もいます。こういった質問はとても答えづらいものです。
 だから、設問を具体的に絞ってもらう必要があります。例えば、「ウッドロー・ウィルソンのアメリカが好きか嫌いか」といった感じです。
 ところで、「アメリカが嫌い!」という日本人に限って、「ウィルソンが嫌い!」、ましてや「許せない!」という人を聞いたことがありません。これほど日本にひどい仕打ちをしたアメリカ人はいないというのに。そもそもウィルソンが誰だか知らないのでしょうか。どうやら歴史教育に問題があるようです。例によって通説をみましょう。ほとんど聖人君子のような描かれ方です。

 <通説> ウィルソンという道徳的に素晴らしい大統領が第一次世界大戦を終わらせ、アメリカを世界の指導国へと導いた。彼の主張した、「勝利なき平和」「十四ヵ条宣言」「民族自決」は世界中に感銘と勇気を与えた。しかし、人類永遠平和の砦として自ら提案した国際連盟には議会の反対により加盟できなかったのが残念でならない。

 何の冗談でしょうか。ここまで正義と悪が倒錯した物語を私は知りません。しかし、日本の学校教育ではこのようなストーリーがまき散らされているのは確かですし、普通の人はそんなことを覚えていなくても、知識人にはこのようなイメージが固定観念としてこびりついているので困りものです。
 はっきり断言しましょう。現在に至る全人類の不幸は、ウッドロー・ウィルソンが根源です。
 ウィルソンの任期は、1913年から2期8年ですが、最初の7年間は人格異常者として、最後の1年間は精神障害者として大統領の仕事をしました。こう言っているのは、有名な精神分析学者のフロイトです。フロイトによれば、自分をキリストだと勘違いしていたのがウィルソンで、戦争に中立を保つか介入するかなど、すべての重要政策は「自分がキリストとして活躍できるか否か」だけで判断したというのです。日英仏のような関係国にとっては、訳のわからない綺麗事を言いながら国際秩序をかく乱するだけのトラブルメーカーです。それでいて、アメリカ大陸の弱小国に対しては帝国主義的な姿勢をむき出しにするから始末に負えません。
 まず、ウィルソン初期の対外政策は、中米諸国への軍事介入を繰り返しています。やっていることは保安官のギャング退治そのものです。ハイチやキューバといった国、とも呼べないような弱小国には問答無用で兵を送り、そして、ヨーロッパ諸国に対しては「モンロー主義」「アメリカ大陸のことはアメリカが決める」と一方的に宣言します。バルカン半島の緊張でそれどころではない欧州諸国は聞き流します。
 しかし、南の隣国メキシコ内戦には切歯扼腕するだけです。この時のアメリカ軍は、民兵に機関銃を持たせた程度なので、本気で殺し合いをしているメキシコ人と戦える状態にはありません。国境警備にかかりきりで、そもそも欧州戦線には介入したくてもできなかったのです。
 ただし、この時のアメリカは世界第三位の経済大国です。国際法の中立規定など無視して第一次世界大戦参戦各国に大量の武器や物資を売りつけ、さらに英仏など連合国に多額の戦費を貸し付け、「国家丸ごと死の商人」のように振る舞います。それでいながら、連合国とドイツ率いる同盟国の双方に「勝利なき平和」、つまり「喧嘩をやめようよ」と訴えていたのですから、大したツラの皮の厚さです。
 さらに戦争に疲れ果てたドイツが和議を申し出たときは「帝政をやめて共和国になれ」と、「勝利なき平和」どころか憲法改変まで要求しています。この場合の憲法改変とは「別の国に生まれ変わってこい」という意味です。これでは無条件降伏要求と同じです。ドイツは絶望的な(つまりヤケクソな)抵抗を続けます。
 そしてアメリカは1917年に大戦に参戦します。ドイツが「無制限潜水艦作戦」と称して、中立国であるアメリカの商船を撃沈したことへの抗議だと説明されます。しかし、戦争当事国に武器や物資を売ることこそ戦争加担行為で国際法違反です。中立国のアメリカを敵に回したくないので容認してきたドイツがとうとう堪えきれなくなって直接行動に出たというのが真相です。
 むしろアメリカの言い分として重要なのは安全保障上の問題です。参戦直前、ドイツはアメリカの仇敵であるメキシコを同盟国に引きこもうとしました。内戦中のメキシコを相手に何をしたいのかよくわかりませんが、とにかくこの工作が露見したのです(ツインメルマン電報事件)。これに激怒したウィルソンが米国民の総意を得て参戦したのです。メキシコ問題はアメリカの死活的利益ですから、総意を得られたのです。 はっきり言えば、ドイツもアメリカもどっちもどっちです。歴史リテラシーとして重要なのは、悪の帝国主義であるドイツに対して、人道主義のアメリカが正義の戦いを決意した、などと単純な構図で語らないことです。当然ですが、歴史とは複雑なものです。
 とにもかくにも、英仏米などの連合国はドイツなどの同盟国を倒しました。この戦いでのアメリカの貢献も検証する必要があります。大戦後のドイツ軍の教科書には「アメリカはわれわれの沈める以上の船を製造した。ただそれだけだ」と書かれています。これではあんまりなので、もう少し詳しく検討しましょう。アメリカ軍の優れた点は「一撃離脱戦法」をとったことです。戦闘機は、ただ一発だけ撃って、後は撃墜される前に逃げる。敵を倒せなくてもパイロットと飛行機は無事で、燃料など物資は無限大に近い感覚で補給できるので、大戦4年目で限界が来ているドイツ軍は疲弊していくという戦い方です。これにはさすがの精鋭ドイツ軍も苦しめられ、最後は降伏勧告を受け入れました。皇帝ウィルヘルム二世は亡命し、ウィルソンの望み通りドイツ帝国は崩壊しました。
 さて、連合国は戦争で崩壊した戦後の秩序をどうするかを話し合うために集まります。中心は、英仏米伊日の五大国です。ここでウィルソンは有名な「十四ヵ条」を宣言します。その主な内容は、「秘密外交の廃止」「航海の自由」「民族自決」「バルカン半島と中東の新秩序構築」です。日本人はこれだけ聞くと何が問題なのだろう、と思うでしょう。ところが当時の世界の人々にとっては、これは綺麗事どころか紛争要因だと一目でわかる危険な内容なのです。
 さすがに外交音痴で知られる日本の外務省も気づきました。ヴェルサイユ会議全権の牧野伸顕は「これはさすがに英国が黙っていないだろう」と即座に感想を漏らしましたし、外務省も「だったら英米の喧嘩にはかかわらず、黙っていよう」との方針を決めます。どういうことでしょうか。
 第一に「秘密外交の廃止」とは、大戦中に英仏伊日など主要国が結んだ約束を全部チャラにして、アメリカの要求に従って一から話し合いをやり直せという意味です。当たり前ですが英仏は激怒したので会議がもめにもめました。
 第二に「航海の自由」とは、7つの海を支配する大英帝国の縄張りをアメリカは無視して自由に航海させろとの意味です。ついでに海軍大国である日本への挑戦状でもあります。日本は大戦を白人の内輪もめだと見做して、外務省は不関与政策をとりました(「サイレントパートナー」と言われました)。しかし、大戦中にカナダから地中海までの広大な地域を守ったのは帝国海軍です。日本の前ではドイツ海軍など海の藻屑でした。だからウィルソンが何を言おうが無視して終了です。これは欧州の問題と違い、日本の国益にかかわることなので、受け付けません。日英VS.米の構図が鮮明になり、遺恨となります。
 第三に、「民族自決」とは、それまで世界中の「帝国」において少数民族として扱われてきた人々に、その意思と能力があるなら主権国家を持たせよう、という意味です。
 しかし、自分のことを自分で決めるというのは言葉は格好いいのですが、その「能力」はどのように判定するのでしょうか。武力しかありません。少数民族として弾圧されるのが嫌なら、自力で武器を持って立ち上がれ、勝てば国として認めてやる、ということになります。対象は敵だったドイツ帝国や大戦中に崩壊したロシア帝国だけではありません。味方のはずの英仏日にも向けられました。
 大日本帝国では台湾人はこれを無視しましたが、朝鮮人が本気にして呼応し、三・一独立運動を起こします。半植民地の中華民国でも五・四運動か起きます。ウィルソンの支援に勇気を得た中華ナショナリズム民族主義者は日本や英国などに見境なく喧嘩を売り始めます。世界中に植民地を抱える英国などは対応で必死になり、かえって民族弾圧を強めたりします。ウィルソンの主張は大英帝国の覇権に挑戦状をたたきつけ、ついでに日本にも喧嘩を売るという、危険な内容だったのです。
 第四に、「バルカン半島と中東の新秩序構築」とは、「ハプスブルク帝国は八つ裂き」「オスマン・トルコ帝国は抹殺」の意です。この両国から20もの国が独立していきました。現在ではこの両国の旧版図に50もの国がひしめきあっています。例えば、ハプスブルク帝国は、末期にハンガリーの自治権を認めたので「オーストリア=ハンガリー帝国」と国名を変えます。すると今度はハンガリーが少数民族のチェコ・スロバキア人を弾圧する、という有様です。ヴェルサイユ条約でチェコ・スロバキアの独立は認められましたが、現在は喧嘩別れしてチェコとスロバキアが別の国なのはご存じの通りです。
 結局、ウィルソンの綺麗事は世界中の過激派を狂喜乱舞させただけでした。
 極めつきが、ソ連邦の出現です。1917年、レーニンがロシアを暴力で乗っ取ってソ連という国を打ちたてます(正式建国は1922年)。レーニンの主張は、「世界中の政府を暴力で転覆せよ。そしてすべての金持ちを殺すのだ。そうすれば人類の理想郷が誕生する」です。これを「世界同時革命」と言います。危険極まりありません。
 英仏などは、こんな危険な主張をし、実際にロシアでその通りのことをやったレーニンを叩き潰そうとします。こうしてロシア革命干渉戦争が始まります。同盟国である日本へも出兵要請をします。西から英仏が、東から日本が攻め込めば、十分に勝機があったからです。
 ところが、これに待ったをかけたのがウィルソンです。「我が国は出兵しない」「いや出兵するから日本も協力せよ」「やはり日本の領土的野心が疑わしいので、兵力の上限は7万2千人とせよ」などと、次から次へと言を翻し、しかもそのすべてが意味不明なのです。
 これでは、ウィルソンの対ソ外交はレーニンヘの側面支援としか言いようがありません。しかも時の日本の最高実力者である原敬は、極端な拝米・媚米主義者でしたから、こんな要求をいちいち呑むのです。英仏はポーランド・フィンランド・バルト三国をソ連から切り離したところでヨシとして講和を結びますが、日本はウィルソンの気まぐれに付き合った挙げ句に延々と鬼ごっこのような無益な戦いを繰り返します。これが、干渉戦争における極東戦線の実態でした(シベリア出兵という)。こうして、建国当初の危機を乗り切ったソ連は、まんまと生き残りに成功したのです。
 そしてウィルソンはここまで世界中に紛争の種をまき散らしながら、「中南米は別だ!」と二重基準を徹底します。大戦で没落していた欧州諸国は自分のことに精いっぱいで手が回りません。正に第1章では単なる妄想に過ぎなかったモンロー主義がウィルソンの時代に完成するのです。
 さて、ウィルソンの行動原理に戻りましょう。「キリストになりたい」です。アメリカの大戦参加は十字軍そのものです(やられた側は大迷惑以外の何ものでもない、という意味でも)。そしてヴェルサイユ会議では「戦争根絶」「人類永遠理想の機関」として国際連盟の設立を訴えます。十四ヵ条宣言のほかの部分では現実を無視した強硬論を唱えるウィルソンも、「だったら、国際連盟の設置に賛成しないぞ」と、イギリス代表のロイド・ジョージやフランス代表のジョルジュ・クレマンソーに脅されると途端にシュンとなってしまい、逆に英仏のほうが調子を狂わせてしまうようなドタバタです。しかもこれほどの大騒ぎをしながら、自国アメリカ議会の反対で加盟できなかったのですから、もはやかける言葉もありません。
 こんなウィルソンに欧州諸国はどうしていいかわからないので、側近のエドワード・ハウス大佐を窓口とし、ウィルソンの真意を探るという右顧左眄ぶりです。ちなみに、なぜこのハウスなる元軍人が大統領側近かというと、選挙で多大な協力をした利権屋だったので外交担当ロビイストの地位を与えたということです。こんな一事をもってしても、ウィルソンが聖人君子などではなく、ただのでたらめな人間だとわかるでしょう。
 しかし、英仏など戦勝国も没落したのが第一次世界大戦です。たとえ「知能がない恐竜」であっても、恐竜は恐竜、その力は侮れません。地獄絵図の世界です。こうしたなか、見事に立ち回った人物がいます。石井菊次郎です。
 この石井菊次郎こそ、当時世界最高の外交官だったと言って良い人物です。石井は恐竜のごとく暴れまわるウィルソンの動きを止めました。日本外交史は、日清戦争の陸奥宗光と日露戦争の小村寿太郎で終わりであり、「日本は外交音痴」などと安易に結論付けられ ることが多いのですが、石井菊次郎という陸奥・小村に優るとも劣らぬ人物を忘れてもらっては困ります。大戦直後からの石井の動きを簡単にご紹介しましょう。
 第一次世界大戦勃発時、石井は駐仏大使でした。石井は日本随一のヨーロツパ通です(グレイ英国外相に七年戦争の故事を引くなど歴史的知見に基づいてロシア情勢を警告し、その通りになったという逸話が残っています)。1915年ロンドン宣言への加盟を強硬に主張し、東京の政府に認めさせました。つまり、英仏など連合国に黙ってドイツなど同盟国と和議を結ばないという宣言です。「最後まで付き合うぞ」という意味です。さらに 石井は日本で最も「欧州戦争にコミットすべし」と主張し続けた実務家です。こうした石井の姿勢があって、戦後のヴェルサイユ会議に日本が大国として呼ばれたのです。
 ところが、外務省の先輩である原敬は、全権には西園寺公望と牧野伸顕を送ります。その結果、日本は大国の地位は認められたものの「サイレントパートナー」と揶揄されました。石井は、はるか格下の駐米大使に差遣されます。
 ここで石井は教科書に載っている、石井・ランシング協定を結んできます。外交史では軽視されることが多いのですが、これは大変な協定です。アジア・太平洋における日本の国益をすべて認めさせたのです。ランシングは、ウィルソンやその側近との関係は険悪でした。しかし、現職の国務長官(外務大臣)です。世界の外交官の中で石井だけが、「ランシング国務長官こそが交渉相手だ!」と見抜いたのです。
 また、ウィルソンが言いだし放り出した格好になった国際連盟も、石井が引き受けることになります。国際連盟の実態はヨーロッパの紛争を解決する機関です。常任理事国は英仏伊日ですが、英仏はどこかの国の恨みを買っていますし、イタリアに至っては自分が数々の紛争の当事国です。だから、常任理事国などといっても欧州から遠く離れた日本以外に利害関係のない大国は存在しないのです。そして日本人はおそろしく生真面目ですから、自分の仕事を大真面目にこなそうとします。外務省からは石井をはじめ、エース級の優秀な人材が送り込まれました。佐藤尚武や松田道一などは外交史で特筆される人物です。五千円札の肖像だったことで有名な新渡戸稲造はこの時期の国際連盟次長です。彼らは、1920年代の欧州の紛争をことごとく捌いていきました(詳しくは海野芳郎『国際連盟と日本』を参照)。この時期の国際秩序は、まさに日本が支えていたと言っても過言ではないのです。
 さて、ウィルソンは任期最後の年の1920年には文字通り医学的な意味で発狂してしまうのですが、アメリカの暴走は止まりません。


笑いが止まらないスターリン

 満洲事変で日本は国際的孤立を深め、アメリカとの対立が激化し、遂には敗戦という悲劇に至ります。今に至るも、「歴史問題」として我が国が糾弾されているのは、この時代の話です。

<通説> 満洲事変以降、日本の中国侵略はとどまるところを知らなかった。日本の数々の国際法違反にアメリカは切歯扼腕していたが国内情勢から関与できず、経済制裁しか行えなかった。
 日本は、中国への背後からの支援を絶とうと、無謀にもアメリカに真珠湾攻撃をしかけ、敗戦への道をたどる。

 あえて、「侵略」「国際法違反」「無謀」など、日本の歴史学者がまったく定義しないまま使い、定着している表現でまとめてみました。このような通説を信じているとしたら、「日本人は謀略に弱い民族だ」との誹りを免れません。部分的に正しい事実は、まったくの嘘より恐ろしいのです。
 この通説だけですべてを説明できていると思っている方にお尋ねします。
 なぜソ連が出てこないのですか、と。
 大正から敗戦まで、日本の最大の仮想敵はソ連です。アメリカではありません。ソ連抜きに、この時期の日本をめぐる国際政治を語っているという時点で、ソ連の謀略にはまっているのです。「ソ連の謀略」と言っただけで、「陰謀論だ」とレッテル貼りをして議論をさせない人々が多くいます。そういう人たちに対しては逆に問いかけてください。
 「あなたはバカですか? それともスパイですか?」と。
 まず、「ソ連の謀略」という言葉を使うのが学問的ではないという前提に立ちましょう。では、ソ連は謀略を働いていなかったのでしょうか。ありえません。現に、当時から「ゾルゲ事件」のようなスパイ事件が発覚していました。もちろん、どの程度の意図で、どこまで成功したのかに関して、史料に基づいて議論するのは構いません。ただし、「謀略などあるはずがない」「陰謀論だ」と主張したいなら、それを証明してからにしてほしいものです。この手の人たちは「バカ」と決めつけていいでしょう。
 しかし、もしこのような通説の流布が巧妙に仕組まれていたとしたらどうでしょう。最近の研究では、ソ連は世界中にスパイを放ち、特に日本の近衛内閣とアメリカのF・ルーズベルト政権の中枢を固め、日米両国を戦争に向かわせて共倒れに持ち込んだということが明らかになっています(『ヴェノナ文書』)。日本人に「スパイなど昔も今もいるはずがない。そんなもので歴史を語るなどナンセンスだ」などと思わせ、右のような通説を信じさせていたとしたらどうでしょう。まさにスパイの所業です。
 歴史に興味を持つ人は、「なぜ日本はアメリカと勝てるはずのない戦争をしたのだろう」と考えたことがあるはずです。確かに、昭和16年(1941)の時点ではそうかもしれません。
 しかし、話を本題の満洲事変に戻しましょう。
 昭和6年(1931)に事変が勃発した際、大日本帝国は西太平洋から東アジアにかけて最強の国でした。日本列島よりはるかに大きい地域、北はカムチャツカの手前から、南は赤道近辺まで(パラオなど南洋諸島)が、版図でした。しかも世界最強の帝国陸海軍を擁しています。米ソ両大国すら怯える最強の国だったのです。
 そもそも日露戦争以来、満洲は南北で日露(ソ)が勢力圏を分けあっていました。満洲北部はソ連の勢力圏です。しかし、関東軍が本気で北部に進駐するとみるや、いきなり中立宣言をして北満州を捨てます。そして日本を非難する国際連盟には一切の協力を拒否します。しかも当の日本に不可侵条約の締結を拒否されるや、ウラジオストクとハバロフスクで防空訓練を始めるという怯えっぷりです。スターリンは本気になった帝国陸軍には勝ち目がないと知っていたのです。力の論理の信奉者は自分より強い相手とは絶対に戦いません。だからこのような反応になるのです。
 アメリカも同じです。満洲事変のさなかの1932年にルーズベルトが大統領に当選しました。政権発足後には早速、共和党政権が12年間も拒否してきたソ連の国家承認を行うような容共政権の誕生です。前任のフーバーとは打って変わって反日的姿勢を鮮明にします。ただし、中華民国には空軍顧問団を非公式に送っただけです(ジェント顧問団)。国際連盟からのラブコールに負けてオブザーバーとして参加しますが、条件は「一切発言しないこと」です。アメリカもどれだけ怯えていたかはこれでおわかりでしょう。
 ここで前節よりも細かく、日米の海軍軍人が何を考えていたか紹介します。一言でまとめると、日米もし戦えば、フィリピン沖で日本海海戦が再現されると思われていました。
 当時、世界中の軍人が日本海海戦でパーフェクトな艦隊決戦を演じた東郷平八郎元帥にあこがれていました。当時の海戦とは戦艦同士の対決のことですが、海戦は陸地を奪いたい側と阻止したい側かあって始まります。日本から最も近いアメリカ領は植民地フィリピンですから、ここを決戦場と考えるのが自然です。開戦初頭に日本がフィリピンを占領、奪い返しにくるアメリカ艦隊を日本軍が迎撃する。米海軍の射撃の命中率は7%と世界水準では高いほうなのですが、片や日本は21%と「練度三倍」です(黛治夫『艦砲射撃の歴史』)。もし戦いになったら、哀れ、アメリカ海軍など太平洋の藻屑と化す。こんな状態ではアメリカ世論が政権を許さない。これこそアメリカが怯えた最大の理由です。
 ただし、日本海軍はこうしたシミュレーションに満足して油断していましたが、アメリカはこうならないよう必死に研究していたという事実を付け加えないと不公平でしょう。戦艦同士で戦ったら負けるに決まっていますから、以後10年間、苦し紛れに航空機で軍艦を沈められないかを必死に研究したのです。
 さて、満洲事変は軍事的には日本の完勝で終わり、満洲には日本の言うことを絶対的に聞く満洲国が成立します。この国家の主な役割は、ソ連の脅威への緩衝(クッション。専門用語ではバッファーと言います)です。昭和8年(1933)に事変は正式終結しました。
 ところが、「スチムソン・ドクトリン」にこだわるアメリカは、日本と喧嘩をする勇気がないくせに対立姿勢を強めて、事あるごとに中華民国の肩を持ちます。
 そして昭和12年(1937)、支那事変が勃発します。時の首相は近衛文麿。首相側近にはスターリンのスパイが大量に入り込んでいたことが今では明らかになっています。ソ連に備えるために満洲事変を起こしてまで満洲国を創ったのに、なぜか帝国陸軍は南下して中華民国と戦い始めます。
 そして以後、8年間の泥沼の戦争に突入します。日本の世論は「支那の背後には英米がいる」「鬼畜米英をぶち殺せ」とエスカレートしていきます。イギリスが許せないからメリカを叩け、という主張です。どういう理屈でしょうか。本当の敵はソ連のはずなのに、中国やイギリスヘの憎悪を掻き立てているうちに、アメリカと戦争をする話になっているのです。といっても、民間世論が煽っているだけで、日本政府にはギリギリまでアメリカと戦争をする準備などありません。
 確かに東洋に多数の植民地と権益を有する英国とは、同盟が切れた後は利害が対立しました。しかし、アメリカはいつ捨ててもおかしくないフィリピン(満洲事変直後に独立を容認)以外、東洋に権益はないのですし、日本は太平洋の彼方、地球の裏側の国なのです。そもそも、中国問題以外に日米が戦う理由などないのです。
 ところが、F・ルーズベルト政権が、アメリカのほうからわざわざ日本に挑発をしかけます。挙げ句の果てには、経済制裁を発動します。日米対立は、「お呼びでない」はずなのに介入してきたアメリカに原因があるのです。日本政府に戦う意思もなければ準備もしていないのに、これでは日米開戦に向けて環境を整えているようなものです。
 もちろん、日本にまったく責任がないわけではありません。アメリカの経済制裁で石油の輸入が止められたら、戦争どころか生きていけません。だからインドネシアをはじめ南方に石油を獲得しようと始めたのが大東亜戦争です。
 ならば、インドネシアを有するオランダとだけ戦えばよかったのです。現実の戦いでもオランダ現地軍など9日で粉砕しています。それでも足りなければイギリスと戦うのはわかります。それで中華民国は経済的に日干しです。この時期の英国には東洋に援軍を送る余裕などゼロですから、アジア・太平洋地域に日本の敵は消滅します。これでアメリカはお手上げ、経済制裁の効果は消滅です。
何を考えてわざわざ自分から真珠湾を攻撃してあげたのかわかりません。当時の日本政府は錯乱していたとしか言いようがないのです。ルーズベルトの挑発に乗ってしまったのですから、おマヌケとしか言いようがありません。
 米国世論は第一次大戦で懲りていたことから、欧州であれ、アジアであれ、アメリカ大陸の外に軍隊を派遣することを嫌う風潮がありました。当のルーズベルト大統領が「戦争介入絶対反対」を公約に当選しているのですから、アメリカから戦いをしかけることなどできません。それをわざわざ、日本がアメリカに参戦の口実を与えてあげたようなものです。
 さて、昭和16年(1941)12月8日、帝国海軍はハワイ真珠湾の米太平洋艦隊を壊滅させました。アメリカ世論は激昂し、何か何でも日本と開戦したかったルーズベルトの苦労が報われます。飛行機で戦艦を沈められるという貴重な実験結果まで提供してあげたというオマケつきです。そして今に至るまで「だまし討ち」と言われます。
 
外交官の最後通牒が攻撃より遅れたことなど、どうでもいいです。とりあえず初級・中級・上級の三つのレベルで反論しておきましょう。
 初級。だったら、ベトナム戦争やイラク戦争でアメリカは宣戦布告をしたのか。
 中級。経済制裁やハル・ノートなど、先に挑発をしてきたのはどっちだ。
 上級。停戦協定が結ばれた後に敵を攻撃したアンドリュー・ジャクソンの国に言われたくない。真珠湾を理由に原爆を落としてよいなら、お前たちもだまし討ちにしたイギリスに核攻撃されても文句を言うな。
 この程度の反論もできない、我が国の外務省の無能に関しては何も言う気になりません。侵略戦争の定義は「挑発されないのに、先に手を出した」です。米国内日本人資産の凍結や石油禁輸などの経済制裁、「日本は中国から撤退せよ、満洲事変以降に日本がしたことは認めない」との内容を意味するハル・ノートなどは完全に挑発に当たります。中立国のくせに中国の肩を持ち「制裁」などと介入してきているのだから、完全に挑発です。 ハル・ノートの内容にしても、アメリカが逆の内容のことを言われたらどうでしょう。「ハワイをカメハメハ王朝に返せ」「アメリカ大陸を先住民に返せ」などと言われて、アメリカが黙っているでしょうか。
 しかし、それにしても、なぜ日米はこうまでして戦いたがったのでしょうか。アメリカがスチムソン・ドクトリンに拘泥したのもおかしな話です。スチムソンはソ連のスパイだったと言う説もないではないのですが、今後の研究により事実は明らかになるでしょう。
 ただし、現時点でも以下のことは言えます。
 日米戦争で得をしたのはソ連だけです。なぜかスターリンにだけ都合よく国際情勢が展開していったのです。
 日米戦争の起点となったハル・ノートは、当時のハル国務長官が日本に突きつけたかたちなのでこの名で呼ばれます。しかし、その文面を起草したハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイだったということが戦後に判明しています。日米戦争は、日本だけでなくアメリカにとっても悲劇であったとしか言いようがありません。どっちが悪いではなく、日米双方にとって「追い込まれた戦争だった」ことを検証する必要があるでしょう。さて、日本はかなうはずのないアメリカに喧嘩を売って、最初の半年は調子が良かったけれども、ミッドウェー海戦以後はズルズルと後退していったワンサイドゲームだったという評価が通説ですが、これこそ命がけで戦った双方の軍人に失礼な評価です。特筆すべきは、今や世界最優秀の軍隊の一つと言われるアメリカ海兵隊は、当時世界最強の日本陸軍に対抗するためにアメリカ人が知恵を絞って生み出した産物なのです。どれほど日本陸海軍が強かったか ―― この事実を無視して歴史の真実は見えません。
 そもそも、日米は対等の条件で戦ったのではありません。これまで見てきた通り、日本は「ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った」のであり、しかもそれでも勝ちそうになった、それくらい強かったのです。
 ミッドウェー海戦は、いまだに世界中の海軍がシミュレーション演習をして、日本側が負けるのが至難であるといわれるほど、日本にとって負けるはずのない戦いだったのです。それでも緒戦の優位を失い互角に戻っただけです。
 天王山はガダルカナル島で、日米はここに総力を注ぎ込みます。ところが、日本は兵力の逐次投入という最もやってはいけないことをやってしまいます。戦死者よりも餓死者のほうが圧倒的に多いという悲惨な補給状況です。そもそも、何のためにここで戦っているのか、国家の意思統一もできていません。日本の戦った範囲を地球儀で確認してください。地球の四分の一に及びます。南はガダルカナル、東はハワイ、北はアラスカの手前のアリューシャン、敗戦直前には西のインドにまで突撃しています。これでは負けるために戦っているとしか言いようがありません。
 ガダルカナルひとつとっても、アメリカは、同盟国の英領オーストラリアを守るべく、最大限の努力をします。アメリカは互角の戦力で戦ってはかなわないことを知っているからこそ、知恵を絞り、何倍もの兵力と武器が準備できなければ戦わないのです。圧倒的な海空戦力で、制空権を奪って空爆を加え、制海権を握って艦砲射撃を加え、さらに十分な火力の援護のもとに上陸し、占領するという戦法をとりました。個人の力量ではなく、組織戦闘で対処したのです。
 アメリカの勝因は四つあげられます。第一は圧倒的に優位な生産力、第二は戦時体制の構築による国家意思の統一、第三は敵を強いと認めたうえで合理的に戦訓を抽出する能力、そして第四は情け無用の国際法違反です。通商破壊で民間船舶だろうがなんだろうが沈め、無差別都市空爆で民間人を平気で殺傷しました。間違いなく戦争に負けていたら責任者は全員処刑です。特に原爆は非人道兵器の使用ですから二重の意味で国際法違反です。
 自分が国際法を守れば、相手も破るはずがないと甘えていた日本人とは大違いです。負けたくないなら、そこまでやるのがアメリカ人なのです。
 確かに帝国陸海軍は世界最強でした。当時の日本に一騎打ちでかなう国など存在しません。本来は負けるはずのない戦いであり、個々の軍人はよく戦いました。
 しかし、それでも負けてしまった国の政府や軍上層部とは何なのでしょうか。
 1907年から海軍は陸軍に対抗する必要から「アメリカが仮想敵だ」と呼号して巨額の予算をもらい続けました。地球の裏側のアメリカと本当に戦うなどとは思っていないから「あいつは敵だ」と、お役所作文的に絶叫していたのです。それが1940年になると、本当にアメリカと戦争になりかけます。ここで海軍が「今はアメリカと戦争できません」と言えば戦わなくてすんだものを、「30年以上、予算欲しさに嘘をついていました」とは言えず、メンツだけで対米開戦に突き進んでしまったのです。こういった体質は現在、直っていないのではないでしょうか。いくら兵が優秀でも将官が無能かつ無責任では勝てるはずがありません。
 その意味で日本は負けるべくして負けたのだと反省すべきかもしれません。
 一方、アメリカが日本との戦いで得たものは何だったのでしょうか。
 


アメリカ・コンプレツクスの正体

 国を滅ぼすのは簡単です。敵と味方を間違えればいいのです。ジョージ・ブッシュJr.は世界中から「おバカのブッシュ」と言われ、アメリカ国内でも「歴代最悪のアホ大統領」という声が根強いようです。とにかく、おバカの代名詞と化している感があります。

<通説> ジョージ・ブッシュJr.は史上最大のバカ大統領。ブッシュはやりたい放題をやって世界中をメチャクチャにした。それに追随した小泉純一郎はアメリカのポチ。

 しかし、本章ではこの評価に真正面から喧嘩を売りたいと思います。
 アメリカ人や他国の人がブッシュJr.をどうこう言うのは勝手です。日本人としてもブッシュJr.やその政権を批判するなとは言いません。特にブッシュの周りにいたネオコンと呼ばれる生意気な連中に従えなどという気はサラサラありません。しかし、ブッシュJr.を批判するなら、その2倍も。3倍も批判されてしかるべき人物がいるはずです。日本人の歪んだアメリカ観に基づく悪い癖があります。一つは反日的アメリカ人をありがたがる拝米主義です。いわゆるリベラルの立場の人たちがこういうことをやります。問題はこういう人たちが官庁や学界の中枢を占めていることです。もう一つは、親日的アメリカ人を見境なく攻撃する。“自称”「真正保守」の皆さんです。アメリカが憎いあまりに、「ソ連や中国と手を組め!」とすら言いだしかねません。この伝統はかなり根深く、戦前の帝国海軍でも、「アメリカに対抗するにはソ連との友好が必要だ」式の言説がまかり通っていました(特に斎藤実と加藤寛治!)。
 日本は誰の子分にもならず自主独立の国であるべきだ、という主張は当然です。“自称”「真正保守」の皆さんが小泉内閣を「アメポチだ」と呼びたくなる気持ちはわかります。しかし、時宜にかなっていない、しかも物理的に不可能な主張は有害でしかありません。本書で何度も強調した通り、アメリカを崇拝してはいけません。しかし、同盟国として抗議する話と、敵とつばぜり合いをする話をごっちゃにしてはいけないということです。
 ブッシュJr.の時代の大半は、日本では小泉純一郎内閣です。このあたりの時代の歴史評価が、今後の日本を考えるうえで重要になります。2001年から8年、日本では反ブッシュ・キャンペーン一色でした。リベラルはアメリカ単独行動主義を攻撃し、“自称”「真正保守はブッシュとの同盟を強化する小泉政権を「親米ポチ」と呼びました。
 リベラルの言説は無視しましょう。「単独行動主義と言うなら、ブッシュがアイク以上の行動をした例を出してください」という反論で終了です。第五章をお読みいただいた方はおわかりでしょう。問題は、保守ならばブッシュJr.と小泉を叩くべきだと信じて疑わない。“自称”「真正保守」の皆さんです。そういう人に問いかけたい。
 あなたは、ブッシュJr.の何倍クリントンを批判しましたか?
 クリントンよりもブッシュJr.を叩く、これこそ敵と味方を誤る最たる例です。
 


おい、クリントン、世界を返せ!

 表題の「おい、クリントン、世界を返せ!」は勿論、マイケル・ムーア監督の著書『おい、ブッシュ、世界を返せ!』に倣っています。ビル・クリントン大統領を一言で評価しましょう。クリントンこそ世界をムチャクチャにした張本人です。

<通説> クリントン時代のアメリカは経済が好調で問題がなかった。大統領個人の女性問題は物の数ではないし、中国びいきも目くじらを立てるほどではない。

 レーガンとブッシュが冷戦に勝利した後、経済政策だけを主張して大統領に当選したのがクリントンです。確かにクリントン時代のアメリカ経済は絶好調でしたが、日米関係を主題とする本書では関係ありません。問題は、クリントンがアメリカ大統領として行った 世界政策です。これは単に国際秩序を破壊しただけでなく、クリントンのせいでアメリカが世界中の恨みを買い続けることになったのです。ウィルソンやF・ルーズベルトもそうですが、彼らが批判されるべきはアメリカの国益を損ねたからです。クリントンを含めた この3人は確かに反日的な大統領でしたが、それでもアメリカの国益にかなっていたのならまだいいのです。アメリカにも日本にも世界にも迷惑をかけた、この点でこそ批判されるべきです。
 クリントンの主な世界政策を振り返りましょう。
 北朝鮮を空爆できずに核武装を許し、中国重視政策でその膨張を許し、ソマリア派兵をしたものの19人の死傷者が出た段階でみっともなく逃げ帰って大恥をさらし、スーダンとアフガンヘの不用意な空爆でアルカイダを怒らせ、イラクヘの中途半端な介入で中東情勢をこじらせ、ユーゴ問題への深入りであやうく世界大戦を起こしそうになり、中南米に秩序をもたらしてきたペルーのフジモリ政権を転覆させました。
 その中で、朝鮮とバルカンの二つの半島問題を取り上げましょう。
 クリントン政権期のほとんどの期間、日本の政治を闇将軍として牛耳っていたのは親中派政治家である竹下登です。前章最終節の時期に「闇将軍」だった田中角栄の地位に取って代わった人です。竹下の基本姿勢は、中国の利益の代弁者として日本を支配しつつ、アメリカにもいい顔をする、というものです。そもそも、クリントンが「ルック・チャイナ」で「ジャパン・パッシング」を行い、「バッシング」すらしてくれません。「バッシング」すなわち無視ですから、竹下の態度は問題になりません。ただ残念ながら、アメリカが日本を無視するのには理由がありました。
 1994年、北朝鮮の核開発に危機感を抱いたアメリカは、空爆による阻止を考えます。ところが、当事者である日本と韓国がこれに反対したのです。北朝鮮が核武装すればその矛先は日韓に向けられるはずなのですが、その当の両国が反対なのです。当然、アメリカが空爆をしようにも基地すら得られません。 このころの韓国は、北朝鮮に対する融和政策を進めていました。日本では反竹下の連立政権が成立していましたが、竹下の策動により内閣は崩壊してしまいます。
 こうして最大の危機を乗り切った北朝鮮は、核開発に成功します。日本人が北朝鮮のミサイルに怯えながら暮らすようになった発端です。
 日韓両国にも責任があるとはいえ、以後のクリントンは北朝鮮とその背後にいる中国のやりたい放題にさせました。特に南沙諸島に拡張し、ASEAN諸国の領土が取られていったのは、この時期です。
 もう一つ、世界の火薬庫といわれるバルカン半島です。「ノストラダムスの大予言」という終末論が流行し、「1999年7の月に恐怖の大魔王が空から降ってくる」つまり世紀末に人類を滅ぼすような核戦争が起こるのだ、と本気で信じる人が日本には大勢いましたが、実は1999年、本当に世界大戦が起きそうになっていたのです。
 このころ、バルカン半島の複雑な民族問題がこじれにこじれ、マスコミや広告会社のプロパガンダを信じたクリントンがよくわからずにユーゴスラビア(実態はセルビア)に介入を重ねていたのです。1995年にはボスニア問題で空爆まで敢行し、この1999年には「コソボからセルビア人は出ていけ」などと口出ししていたのです。
 セルビアは戦前の2月19日の段階で「民族衝突が起きないよう監視するというならば外国の軍隊がコソボに駐留するのは認める。しかし、NATO軍ではなく国連の平和維持部隊(PKF)であることが条件だ」と妥協案を提示しているのに、クリントンは聞きませんでした。当然、セルビアの後ろ盾であるロシアを怒らせることになります。
 この年の3月24日、アメリカ率いるNATO軍はコソボを空爆し、セルビアに戦いを挑みます。NATO軍はありったけのミサイルをぶち込み、現地の軍人たちが「もう攻撃目標がない」と嘆く事態になりますが、それでもセルビアは屈服しません。NATOに属するフランスのシラク大統領が米露両国の間を飛び回りますが、クリントンは空爆を続けるだけです。
 あまりにも無神経なクリントンに対し、4月9日にロシアのエリツィン大統領は、「核の照準を戻すこともある」と宣言しました。そして6月12日、プリシュティナ空港でアメリカ率いるNATO軍と、ロシア軍空挺部隊がにらみ合う一触即発の事態となりました。アメリカ人のクラーク最高司令官はロシア軍の進駐を実力で排除しようとしましたが、イギリス人のジャクソン司令官が「君のために世界大戦を起こす気はない」と止めたので断念したという一幕すらあったのです。世界大戦寸前の局面がいくつもあったのです。
 停戦後、セルビアは空爆を避けるために地下に隠していた戦車を中心に「戦勝パレード」を行っているのですから、アメリカは何をしたかったのかわかりません。
 大事なのは戦後への影響です。
 アメリカにメンツを潰されたエリツィンは、その年末に失脚します。エリツィンはソ連邦を解体してロシアを建国し、アメリカやヨーロッパ、日本のような自由主義諸国と協調できるような国づくりを目指していました。そのエリツィンの面目をクリントンは潰したようなものです(ロシア国内で最も親米親欧親日にして反中だったアレクサンダー・レベジも失脚、のちに謎の事故死をとげています)。エリツィンの後を継いだKGB出身のウラジミール・プーチンの強権的姿勢、旧ソ連の栄光を取り戻さんとするばかりの拡張主義はご存じの通りです。「バルカン半島の仇はコーカサスで」とばかりに、北京オリンピックに世界中が注目している隙にグルジアに侵攻して領土を掠め取ったのはまだ記憶に新しいでしょう。
 この空爆の最中に「駐ユーゴ中国大使館誤爆事件」がありました。アメリカは平謝りに謝りましたが、転んでもただでは起きないのが中国です。時の江沢民総書記は反米デモをテコに自己の権力誇示に利用したのです。それまで以上に江沢民は国内で強権的になり、近隣諸国に増長した態度を見せました。
 そしてプーチン政権成立後は、中露両国は接近を強めます。アメリカは敵をつくって結束させる名人だとしか言いようがありません。
 ついでに言うと、北朝鮮の金正日も開戦前日の3月23日、日本近海に不審船(英語名称はSpy ship。不審者の船だから不審船か)をよこしました。バルカン半島でアメリカが足をとられていると思って、偵察に来たというわけです。
 それにしても、世界最大の軍事力を持っているはずのアメリカの、この戦争指導のまずさは何でしょう。クリントンの特徴は、空爆しかできず、地上戦ができないことです。戦争の勝利とは目的を達成すること、戦闘の勝利とは目標を実現することです。戦闘における目標の達成とは、目標となる土地を占領することです。クリントンは地上戦をやらないので、戦闘目標も戦争目的を達成できないということになります。
 クリントンには二つの恐怖感があったといわれます。第一は、就任当初のソマリア派兵の失敗です。この派兵は戦闘直前に匍匐前進している兵士にテレビ局のレポーターがインタビューするという極めて緊張感に欠ける戦いでした。挙げ句の果てに19人の兵士が迂闊な作戦で死亡してしまい、世論の批判を恐れたクリントンはさっさと撤兵を決断します。
 何のためにわざわざアフリカ大陸まで軍隊を派遣したのか、意味がわからない結果になりました(この様子を美化して描いた映画が、『ブラックホーク・ダウン』です)。こうして空爆だけしていればアメリカ人が死ぬことは基本的にはありえない、世論の批判を気にしなくていいという考えに至るのです。
 第二は、バルカン半島で地上戦を行うことへの恐怖です。バルカン半島は常に三大勢力が角逐し、介入した多くの帝国が道を踏み外して亡国に至っています。第二次世界大戦でもバルカンの小国たちは人口の一割を減少させるまで戦いました。特にユーゴスラビアはゲリラ戦と内戦を繰り返し、あまりの残虐さにナチス・ドイツが尻尾を巻いて逃げ出したという有様です(泣く子も黙るSSのヒムラーがヒトラーに泣き言の手紙を送った記録が残っている)。そのうえ、1990年代の世界的ベストセラーだった『バルカンの亡霊たち』を読んで怯えたということです。
 アメリカの軍事力は、破壊力(destructive power)はあるのですが、占有力(occupational power)が極端に弱いのです。クリントン政権の空爆しかしない軍事介入は、この弱点がモロに出た格好で、国際秩序を破壊し、世界中の恨みを買っただけでした。ついでに言うと、クリントンの女性醜聞が問題化するたびに世界のどこかの地域を空爆するということを繰り返しました。ボスニアやスーダンやアフガンです。
 左右を問わず、ブッシュJr.を批判する論者で、クリントンの愚行に言及する日本人が皆無なのは不思議です。人格的にも、クリントンはいかがなものでしょうか。 なお、世界中で失敗したクリントンですが、失敗しなかった唯一の地域がマケドニアです。マケドニアは世界の火薬庫と言われるバルカン半島のど真ん中にある地域で、セルビアやギリシャなどすべての近隣諸国と軋轢を抱えているという最も危険な地域です。クリントンはユーゴ紛争開始当初からマケドニアに予防PKFを派遣していました。これにより何とか飛び火を防ぎ、世界大戦をかろうじて防いでいたのです。
 なお、コソボ紛争のときに飛びまわった高村正彦外相は、日本ではほとんど無名ですが国外で絶賛されています。特に、紛争中にマケドニアに飛んでいます。当時のマケドニアは台湾を国家承認していた数少ない国の一つですから、「火薬庫」のど真ん中に飛び込む だけでなく、中国への牽制の意味もあったのです。


実は何もできなかったブッシュJr.

 さて、現在の「拝米」「媚米」「アメポチ」の起源とされる、ブッシュJr.時代の評価です。再び、通説を繰り返しましょう。

<通説> ジョージ・ブッシュJr.は史上最大のバカ大統領。ブッシュはやりたい放題やって世界中をメチャクチャにした。それに追随した小泉純一郎はアメリカのポチ。

 ブッシュJr.本人は確かにバカだったかもしれません。ホワイトハウスを訪れた小学生に「ホワイトハウスつてどんなところ?」と聞かれて、「白いよ」と即答した映像が残っているくらいですから、個人の資質に関しては否定できません。ただし、人をフォローする達人だったという点は指摘しておきます。
 また、優秀な側近を集めていました。むしろ、8年間のクリントン政権のムチャぶりに対して、アメリカのエスタブリッシュメントが結集したような感がありました。そのブッシュJr.の任期は2001年からの8年間になります。
 ただし、その側近たちにしてもクリントンの後始末で精いっぱいでした。とてもビジョンなど出せない状況です。就任初年の9月11日にアルカイダによる同時多発テロが発生し、その事後処理にかけずりまわります。アルカイダの民間人無差別殺傷テロは完全な国際法違反です。伝統国際法によれば、アルカイダは「人類の敵」であり、発見次第、抹殺しなければならない相手ということになります。
 一方でアルカイダの主張を見てみれば、クリントン大統領の女性スキャンダルをごまかすためにミサイルを打ち込まれて殺されたカタキを討つ、ということになります。共和党のブッシュJr.としては、前任者の民主党のクリントンのやったことを引き受けねばならなくなったのです。アルカイダからすれば、民主党も共和党も関係なく「アメリカは許せない」の一言です。ブッシュJr.はアルカイダを匿ったアフガニスタン全土を空爆し、さらに地上軍を投入して、傀儡政権のカルザイ大統領を据えました。その後、現地ゲリラに悩まされ続けているのは、ご承知の通りです。
 こうしたなかで、唯一やりたいことがあったのはネオコンと呼ばれる人たちです。ネオコンとはもともと、アメリカ民主党最左派に属するキリスト教原理主義的色彩の強い思想集団でしたが、いつのまにか共和党に入り込んで最右派のような顔をして「世界をキリスト教化するのだ!」という妄想をまき散らしていました。ブッシュJr.政権でも影響力を発揮したのですが、政権のほかの人たちはクリントンが壊した世界、さらにアルカイダ対策で頭を抱えているなかで、―― 完全な妄想とはいえ ―― 明確なビジョンを打ち出したので説得力を持ったということです。アメリカに対し無差別テロを行ったアフガン戦争に関しては中国やロシアも反対しませんでした。ところが、ネオコン主導で敢行したイラク戦争に関しては同盟国のフランスまで反対に回りました。アフガンに加え、イラクでもアメリカは足をとられてしまったのはご存じの通りです。ネオコンの人たちは、破壊力だけを見て、占有力を見ないで国家戦略を考えるからこうなるのです。
 現実には、アメリカはすでに単独行動主義がとれなくなっていました。かつてのアイゼンハワーの時代は上り調子で、「2と2分の1正面作戦」などと「二つの世界大戦と地域紛争に対応できる」と威張っていたのも、ソ連との一騎打ちだけを考えていればよかったからです。当時の中国は内紛状態でしたから、無視できたのです。その後、アメリカはベトナム戦争などで国力が疲弊します。
 ブッシュJr.時代、もはや「2分の1正面作戦」が限界でした。アフガンだけでも大変なのに、イラクまで抱えてはどうにもなりません。台頭する中国や、まだまだ大国として侮りがたいロシアを相手にする力などありません。そもそも、戦費すら自前で負担できずに、日本に「矢銭」を求めてくるような有様です。 こうした弱りきったアメリカに手を差し伸べた格好だったのが、小泉政権です。それがいいか悪いかは別にして、「小泉・ブッシュJr.」の関係は、「桂・テディ」以来の強固な日米同盟になりました(忘れた人は第二章を読み直してください)。おそらく事実関係でこれに反対する人はいないでしょう。
 2002年、小泉首相は平壌に乗り込み、拉致被害者5人を取り返しました。この交渉の際に何かあったのか、真相は現代史のことなのでわかりません。しかし、この時のアメリカはまだまだ元気で、日本もアフガン戦争で憲法上可能な限りの支援をしているので、後ろ盾を期待できました。少なくとも客観条件でいえば、小泉首相はアメリカに恩を売り、その後ろ盾で拉致被害者を取り返したと言えるのです。
 ところが、イラク戦争以降は進展がありません。米軍がイラクで足をとられたからです。しかもブッシュJr.政権の最後の2年はレイムダックでした。議会の中間選挙で共和党が敗北し、ねじれ議会で何もできなかったからです。アフガンやイラクに増派しようとすると民主党が反対する、かといって民主党の撤退案には大統領が拒否権を行使する、と何も決められない2年間でした。この最後の2年間は、日本では安倍晋三内閣です。安倍内閣が弱体だった要因の一つは、アメリカ共和党の後ろ盾が期待できなかったからです。


おわりに ―― 神田うのは日本一の右翼か?

 もう10年ほど前になります。『ド・ナイト』という深夜番組で、アメリカかぶれの弁護士が「アメリカでは~」「アメリカでは~」を連発していました。
 これを黙って聞いていた、(おバカ)タレントの神田うのがとうとう一言。 「アメリカなんて、たかだか二百年の国じゃない」
 件の弁護士先生、ギャフンとして何も言い返せませんでした。
 いやはや、戦後日本の言論人のアメリカ・コンプレックスにまみれた言論は、神田うの以下だと認識していいでしょう。
 なお、本書第一章を読めば「二百年」も誇大広告だとわかるはずです。
 本書「はじめに」で提示した課題です。日本が国際社会で生き残るには、嫌でもアメリカと付き合わねばなりません。戦争で負けた相手と付き合うには、感情の整理が必要です。最も手っ取り早い方法はもう一度戦争をして勝つことですが、あまり現実的ではありません。少なくとも、今すぐやることではないでしょう。
 何より、その当のアメリカに守られ、そしてだんだんと相手にされなくなってきているのが現実なのです。まずは精神的自立から始めるのが筋です。
 精神的自立には、正しい歴史の勉強が最良の処方能です。そもそも、本書の内容がわからなければ、日本近代史は語れません。他国の前に自分の国の歴史がわからなければ、自立も何もありません。
 民族の生存を最終的に決するのは、歴史認識です。亡国の民となっても、強靭な精神力だけを頼りに復活した民族はいくつもあります。例えば、ポーランドやイスラエルがそうです。この強靭な精神力と結束力は歴史認識から発生する自信によるものです。
 その意味でアメリカ史などは、北朝鮮も真っ青の歴史歪曲のオンパレードです。しかもそれをアメリカ国民が信じているから自信につながっているのです。正しい歴史事実など、一握りのスーパーエリートさえ知っていればいいという徹底ぶりです。
 戦後、といってもそろそろ70年になります。それこそ昭和40年代まではアメリカのことを「番犬様」と呼ぶ心の余裕、心のどこかで「たまたま一回負けただけで、別に民族として我々が劣っているわけでもなんでもない」という意識が日本人の大半にありました。ところが、今や国そのものが戦力外通告のような状態です。まずは、番犬様の足を引っ張らないような体制づくりが急務でしょう。
 もちろん、アメリカにも中国にも媚びなくてすむ、自主独立が理想なのは当たり前です。しかし、現時点でいきなり「米中等距離」などと言いだしたら、親中にしかなりません。どんなに嫌いでも同盟国のアメリカと、歴史上一度も同盟を結んだこともなければイデオロギーも体制も国益もすべて衝突する中国とを同格に扱うなど、中国を喜ばせるだけです。アメリカに「日本が弱すぎて困る」などと言わせないだけの力をつけるのが第一です。
 今からアメリカや中国と張り合うのは無理だと思われるかもしれません。しかし、幕末の志士たちが大英帝国や大ロシア帝国と張り合おうと決意したとき、世界の一等国に、アジアと太平洋の最強の国として誰にも媚びなくても生きていける国にするなど、誰が本気で予想できたでしょうか。
 それに比べたら、たった一度、戦争に負けたくらいで縮みあがるなど、先人たちに申し訳ないではないですか。
 最後に、敗戦後も任務を全うしてフィリピンに潜伏し続けた陸軍軍人、小野田寛郎さんの言葉を借りて締めたいと思います。
 日本は戦争に負けたのではない。
 負けたフリをしていただけだ。
 この言葉を、そう遠くない未来の歴史書に書けるように、今を生きる我々は振る舞おうではありませんか。
 


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