【 秋田城の外郭東門など 】

秋田城跡(あきたじょうあと)は、奈良時代から平安時代にかけて、出羽国秋田に置かれた城柵の跡です。

政庁跡、外郭東門、鵜ノ木地区などの発掘が行われ、外郭東門が復元されています。

ここでは外郭東門と、その外側にある鵜ノ木地区をご案内しています。
鵜ノ木地区からは大規模な建物群や、井戸跡、沼跡さらに全国的な例を見ない古代の水洗式の厠舎(便所)跡が発見されました。


(2011年10月9日訪問)
 
11:12頃、復元外郭東門を背にして、「秋田城跡出土品収蔵庫」(建物は、画像左側に少しだけ写っています)方向です。
振り返って、復元された外郭東門方向です。
復元された外郭東門と築地塀(ついじべい)です。
門の近くにあった模型です。
不定形に灰色で囲んであるのが外郭で、その中の四角い灰色が政庁跡です。
外郭の右側、外郭上に設けられているのが外郭東門です。
正面から、外郭東門です。
別角度です。
11:18頃、外郭東門を出たところから、鵜ノ木地区の井戸(建屋で覆われています)、沼跡方向です。
上の画像から、少し右に回り込んだ形で、築地塀です。
外郭の外側から写した、外郭東門です。
鵜ノ木地区の沼跡(水が貯められています)と、その向こうは大規模な建物群跡です。
手前の砂利敷きの遊歩道を右方向に進んで、井戸に向かいます。
井戸に向かう途中で写した、外郭東門と築地塀です。
11:21頃、井戸に着きました。画像右上側は外郭東門です。
下の方で、井戸跡の画像が出てきますが、この井戸と井戸跡は別です。
井戸です。
井戸は、平安時代に作られたものです。
遺構は、厚い板を3〜4段井籠組にし、その外側に板を縦に2〜3重に立て並べた簡単なものです。
板材には、井戸と関係のない切込みがあることから、再利用の材料であることが分かります。
周辺の地形は、平安時代も現在と大きな変化がないことから、当時から浅い井戸だったと思われます。また、水は古代から涸れることなく今もこんこんと湧き出ています。
<上の画像ぬ写っている石碑の案内文>
井戸の中を写しました。
鵜ノ木地区の案内板です。
11:23頃、鵜ノ木地区の掘立式建物跡です。
上の画像を写した所で振り返って、沼跡・外郭東門方向です。
11:27頃、場所を移動して、2つ上の画像の奥方向に写っている場所に来ました。
外郭東門・井戸の覆屋を参考にして、位置をご想像ください。
2つ上に写っている掘立柱跡とこの掘立柱跡は別のものです。
井戸跡です。
上の画像左側に写っている案内板です。
井戸跡と、外郭東門です。
11:30頃、復元された水洗式の厠舎(便所)跡です。
排管が3本あり、その先は沈殿槽です。
別角度です。
別角度(入口側)です。
入口です。
排管が3本あったように、用を足す場所も3カ所ありますが、ここは右側の部屋です。
どのように使うのかは想像がつきますね。
「実際に使用しないでください。」といった注意書きは目につきませんでしたが、まともな人は使用しないと思います。もちろん戸も無いし。
上の画像の「落ちると危険です・・・」の警告を背にして写しています。
この画像右上に写っている木の棒を解説したのが次の画像です。
籌木(ちゅうぎ)は、用便のあと、しりをぬぐう木片のことだそうです。
「現在のトイレットペーパー」という解説ですが、使い方はずいぶん違うんでしょうね。
きれいに拭うことはできるんだろうか・・・?。
これも、水洗厠の沈殿漕から見つかったものだそうです。
真ん中の部屋の様子です。ここは踏み板はありません。
左側の部屋の様子です。
復元された厠舎(便所)側から、排管と沈殿槽方向です。
沈殿槽側に下りました。
真ん中の排管です。
右側の配管です。
11:40頃、外郭東門方向へ戻り、その後は政庁跡に向かいます。

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