【 鎌原観音堂 】

長野原町の鎌原観音(かんばらかんのんどう)です。
天明3年(1783)7月8日、浅間山が大爆発を起こしました。火口から約13Kmのところにあった鎌原村は火砕流に襲われ、土石の下に埋まってしまい、447名の死者を出したが、この観音堂に避難した93名は奇跡的に助かったのだそうです。

昭和54年の発掘調査の結果、石段は50段あったことが判明したという。現在の地上部分は15段であり、その少し下で女性2名の遺体が発見されたという。
観音堂へ逃げようとしたが、あと数段の所で間に合わなかったのであろう・・・・。

2008年6月7日訪問

参道入口。
地上に見えている石段は15段だが、朱塗りの橋の下には数段の石段が発掘された状態になっている。
境内に掲示してあった、昭和54年の発掘調査の様子。
踏みしめながら石段を上ります・・・。
観音堂。
堂内。
観音堂に向かって左側にある、水子供養の地蔵堂

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