【 手宮洞窟 】

手宮洞窟(てみやどうくつ)は小樽市手宮1丁目にある洞窟です。小樽市総合博物館の駐車場の傍にあります。


<小樽市のサイトでは次のように紹介されています。>
手宮洞窟は1866年(慶応2年)相模国(現在の神奈川県)小田原から、朝里地区のニシン番屋の建設に来ていた、石工の長兵衛によって発見されました。
手宮洞窟周辺は、小樽軟石と呼ばれる凝灰岩が露出しているところで、長兵衛は建築用の石を捜している途中で偶然洞くつ内の岩壁にさまざまな文様が刻まれていることを発見しました。この彫刻はジョン・ミルン(イギリス人:地震、地質学者)によって初めて学術的な観察と報告がなされました。また、開拓使(現在の北海道庁)、渡瀬荘三郎などによって次々と調査が行われました。
1921年(大正10年)には、その価値が認められ、国指定史跡となり、1949年(昭和24年)にはブロンズによる模刻と保存覆屋の整備を行いました。
しかし、発見以来120年以上がたち、風化、剥落の進行を防止し、貴重な文化財である手宮洞窟を後世に伝えるために、昭和61年から保存修復事業を開始し、約10カ年の歳月を要し、平成7年に手宮洞窟陰刻面を保存する「手宮洞窟保存館」を完成させました。

(2013年8月25日訪問)
 
手宮洞窟保存館です。
画像左側の灰色の扉が入口です。
手宮洞窟保存館の案内図です。
12:16頃、入口を入って、右側にあるドアです。
上の画像のドアを開けたところから、階段・洞窟方向です。
洞窟内の案内板です。
洞窟内の案内板です。
洞窟内の案内板に当時の写真が掲示されていました。
いくつかをアップで写しました。
昭和天皇の視察の様子です。
開拓使による模写図です。
ジョン・ミルンによる模写図です。
ショイベ博士による模写図です。
菊池幽芳による模写図です。
大正末期から昭和初期の様子です。
画像右側が保存カプセルで、ガラス越しに陰刻面を見学できます。
陰刻面です。
現地にあった陰刻面の表示です。
保存カプセルの左側は、
洞窟壁から沁み出るであろう水を処理する設備のように思えました。

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