【 金沢城公園 】
金沢城(かなざわじょう)は、石川県金沢市丸の内にあった城で、加賀藩主前田氏の居城でした。
明治以降は軍によって使われたり大学のキャンパスになりましたが、平成8年に石川県が国から金沢城祉を取得し、金沢城址公園として整備をしています。

(2009年5月8日訪問)
現地にあった金沢城公園の案内図です。
上の案内板があった辺りから、石川門方向の画像です。
石川門は桝型門で、表門、多聞櫓、渡り櫓、菱櫓、太鼓塀から構成され、その全体が石川門というんだそうです。
天明8年(1788年)に建築されたもので、国の重要文化財に指定されています。
石川郡の方を向いていたのでその名が付いたのだそうです。<案内板から>
この場所(金沢城と兼六園の間)は、かつて百間堀のあったところです。
佐久間盛政の時代(天正8〜11年)に作られ、前田利家の入城後、その子利長によって改修されたと言われています。
小立野台と金沢城を分断する、防衛上重要な水堀で、長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4mありその大きさから百間堀の呼び名がついたとされています。
明治43〜44年の道路工事により現在のような姿になりました。<案内板から>
案内板にあった、水掘であった頃の絵図です。
案内板にあった、明治30年頃の百間堀の様子。
石川門に向かって歩きましょう!。
この「一の門(表門)」をくぐって、右に折れると・・・、
二の門(櫓門)です。
二の門(櫓門)をくぐってから、振り向いて写しました。
橋爪門続櫓(はいづめもんつづきやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・菱櫓(ひしやぐら)の復元作業が平成13年7月に完成しました。
画像中央の櫓が橋爪門続櫓、そこから右方向に続いているのが五十間長屋、残念ながら画像には写っていませんが、それに続いて菱櫓が建っています。
橋爪門続櫓と3層3階の菱櫓を、2層2階の五十間長屋でつないでいる格好になります。
これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫でした。<案内板から>
橋爪門続櫓です。
上の画像を写した場所の反対側に来て五十間長屋・橋爪門続櫓方向を写しました。
五十間長屋の上に出ている屋根が橋爪門続櫓の屋根です。
五十間長屋の内部です。


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