【 佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ) 】

佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)です。

伊豆蛭ケ小島(ひるがこじま)に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵を促し、その時期を啓示しました。
平家討伐を果たし後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられています。
幼少のころ佐殿(すけどの)といわれていた頼朝を助けたので「佐助」の名を付けたといわれています。
<案内板から>

( 2009年7月18日訪問)

鳥居の手前にある佐助神社下社です。
下社のそばにある「縁結び十一面観世音菩薩」の堂です。
徳川時代、足柄郡の尼寺から縁あって当地に安置された木造十一面観は、良縁にうすく諦めて仏門に入られた美しい姫君赤松幸運が、この世の若い男女に良縁あらんことを祈りつつ彫られたと伝えられています。<案内板から>
では、佐助稲荷神社へ向かいます。
稲荷神社には付き物といってもいい、赤い鳥居が・・・
並んでいます。
石段の上に石の鳥居と社殿が見えてきました。
石段を上りきったところから振り返って、赤い鳥居のトンネルです。
拝殿です。
拝殿の傍には小さな祠が並んでいます。
拝殿の後ろにある石段。石段の上にあるのは本殿だと想像します。
石段の上の、本殿だと思われる社。
上の画像を写した所から拝殿方向の画像。
拝殿から50mほど離れたところにある、霊孤泉(れいこせん)です。

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