【 高知城 】

高知城は約400年前に初代藩主・山内一豊が作り始め、完成したのは二代藩主・忠義の時代。
八代・豊敷の享保12年(1727)に大火のため追手門を残しほとんどを焼失してしまったが、享保14年から再建に着手し宝暦三年(1753)に完了した。現在残っている天守閣はこのときのものである。

高知城のある大高坂山は一豊が「河中山(こうちやま)」と名を変えたが、忠義が「高智山(こうちやま)」と改めた。いつの頃からか「智」が「知」になったらしい。


2006年9月11日に訪問しました。

山内一豊・千代のキャラクター。言うまでも無く、やなせたかし氏の作だとわかりますよね。
このように、追手門(おうてもん)と天守閣が一枚の画像に納まるのは、高知城だけなんだそうです。
追手門は重要文化財。
追手門を入ってまもなく、板垣退助の像がありました。
千代と名馬の像。
「懐徳館」と名付けられた正殿と天守閣。
天守閣
高知城天守閣から市内の眺め。風が心地よかったです。
正殿内部
正殿内部
三葉柏(みつばかしわ)の家紋
一豊の父・盛豊が戦のおり、指し物(目印の旗)の代わりに柏の枝を使った。戦いに勝ったとき枝には葉っぱが三枚残っていたことから、縁起が良いとして家紋としたのだそうです。
石垣に設けられた石樋は、排水が石垣にあたって土台にしみこむことの無いように設けられたもの。

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