【 万田坑 】

平成9年(1997年)3月30日に閉山した万田坑(まんだこう)には、三井三池炭鉱(みついみいけたんこう)の坑口(こうぐち)がありました。
三井三池炭鉱は、福岡県大牟田市・三池郡高田町(現・みやま市)及び熊本県荒尾市に坑口を持っていた炭鉱です。
万田坑は1998年に国の重要文化財(第二竪坑巻揚機室・第二竪坑櫓・倉庫及びポンプ室・安全燈室及び浴室・事務所・山ノ神祭祀施設 )に、2000年に国の史跡に指定されました。

(2010年8月19日訪問)
11:35頃、展示室・受付がある、万田坑ステーションに着きました。
画像右側に第二竪坑櫓(だいにたてこうやぐら)が見えます。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の「万田坑施設全体図」です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の「三池炭鉱の坑口と専用鉄道図」です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の写真「第二竪坑櫓(だいにたてこうやぐら)」。
1908年竣工、作業員の昇降のための施設です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の写真「倉庫及びポンプ室(旧扇風機室)」。
1905年竣工、倉庫や坑内の排水のための施設です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の写真「事務所(旧扇風機室)」。
1914年竣工、作業員更衣室及び事務室です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の写真「第二竪坑巻揚機室」。
1909年竣工、巻揚機等の機械類を置くための施設です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の写真「安全燈室及び浴室(旧機械室)」。
1905年竣工、安全燈と浴室のための施設です。
万田坑ステーションの前にあった、案内板の写真「山ノ神祭祀施設」。
1916年竣工、安全祈願のための施設です。
万田坑ステーションです。
ステーション内にあった、当時の様子を再現した模型です。
別角度です。
現在は、煙突とその向こうに2棟並んでいる建物(汽罐場)はありません。左2本の煙突の台座が残っています。
別角度、中央の建物から左側の建物は残っていません。
別角度、線路も残っていません。
別の表現をすると、現在残っているのは、この画像左上の第二竪坑櫓付近の建物だけです。
ステーション内の展示物です。
ステーションを後に、施設の方向へ向かいます。
ズームで写した画像は、煙突の台座です。
沈殿池です。
11:19頃、旧正門(手前側)のところに来ました。
この門のところを右に折れると「桜町トンネル」があります。
当時の様子を再現した写真に示された、桜町トンネルの位置です。
<案内板から>

案内板にあった、桜町トンネルの解説とトンネル入口(荒尾市側)の写真。
トンネル入口(荒尾市側)です。
網目の間から写した、トンネル内の状況です。
旧正門から見た、正門・第二竪坑巻揚機室と第二竪坑櫓方向です。
現在地にあった案内図です。
正門と、画像左側は第二竪坑巻揚機室と、その後ろに第二竪坑櫓です。
第二竪坑巻揚機室です。
この画像右下が次の画像の、
山ノ神祭祀施設です。
上の画像を写した場所で振り返って、坑内で使う機械・工具類の修理を行った施設だと思います。
別角度で、ズームです。
国指定重要文化財「倉庫及びポンプ室」です。
1905年(明治38年)の建設当初は、坑内の換気を行うための扇風機室でした。当時(1906〜1914年)は、蒸気を動力とする扇風機が備えられていました。
その後、予備の消火器などを置くための倉庫、坑内から汲み揚げられた水を送水するためのポンプ室として利用されました。<パンフレットから>
上の画像を写したところで、第二竪坑櫓です。
倉庫及びポンプ室の(向かって)右側は、国指定重要文化財「安全燈室及び浴室(旧扇風機機械室)」です。
1905年(明治38年)頃の建設当初は、扇風機を動かす機械室として利用していました。<パンフレットから>
上の建物の内部、浴室です。
第二竪坑巻揚機室の反対側から見た、国指定重要文化財「第二竪坑櫓(だいにたてこうやぐら)」です。
石炭を運ぶトロッコ、「炭函(たんがん)」です。
これは他所で使っていたもので、万田坑で使っていたものではないそうです。
これは万田坑で使っていた炭函だそうです。
この画像上に見えるアーチ状のものが下の画像です。
炭函の線路がその下を通っていて、炭函に石炭を積んだのだと思います。
第二竪坑櫓(だいにたてこうやぐら)の下部です。
第二竪坑櫓は、炭鉱マンの昇降や機材などの搬入・搬出及び坑内の換気や排水を行うための施設です。
櫓は、高さ18.9mの鉄製で1908年(明治41年)に完成しました。坑口(こうぐち)から坑底(こうてい)までの約264mを約1分間でケージ(エレベーターのかご)が昇降していました。<案内板から>
画像右に写っているのは、炭鉱マンや資材を運んだケージです。
櫓の直下です。
別角度です。
ケージ(エレベーターのカゴ)用のレールが2条敷かれています。
振り分け荷物のように、ワイヤーの両端にケージが取り付けられていたそうです。
現在、坑口(こうぐち)は塞がれています。
坑口信号所は、ケージの安全運行を行うために第二竪坑巻揚機室と連絡を取りあう施設です。
ケージを吊るす器具です。
坑口の上部です。
このベルは、以前、ケージから坑口信号所に合図を送るために使っていたそうです。
さらに上部です。
案内板にあった、ケージの写真です。
炭鉱マンが乗っているケージと反対のケージ(向かって左)は坑底(こうてい)に降りている状態だと思います。
案内板にあった、第二竪坑櫓(だいにたてこうやぐら)の立面図です。
第二竪坑櫓の位置を示した、当時の様子を再現した写真です。
<案内板から>
第二竪坑巻揚機室の入口です。
1909年(明治42年)に建設された2階建の施設(機械室)です。
2階に上がります。
巻揚機です。
別角度です。
別角度です。
別角度です。
巻揚機のモーターです。
第二竪坑巻揚機室2階から見た、煙突の台座です。
第二竪坑巻揚機室2階から見た、選炭場跡方向です。
第二竪坑巻揚機室2階から見た、汽罐場跡(きかんばあと)方向です。
こちらは、機材の搬入・搬出を行うための巻揚機です。
汽罐場跡(きかんばあと)です。
1898年(明治31年)に建設された煉瓦造りの汽罐場がありました。汽罐場とは、石炭を燃やし蒸気を発生させる施設で、坑内の各施設に蒸気を送っていました。最も多い時期には3箇所の汽罐場がありましたが、動力が蒸気から電気へと移っていくにつれ、規模を縮小していきました。
<案内板から>
上の画像の下部に少し写っている案内板です。
案内板の写真「ランカシャー製汽罐」です。
案内板の当時の写真、汽罐場です。
汽罐場跡付近から写した、第二竪坑巻揚機室と第二竪坑櫓です。
別角度です。
別角度です。
第一竪坑櫓跡(だいいちたてこうやぐらあと)です。
画像両端のコンクリート壁は、当時(1899年)東洋一の規模を誇った高さ30.7mの櫓の基礎部分です。
櫓は昭和29年(1954年)に北海道の三井芦別炭鉱に移設され、再利用されました。
<パンフレットから>
坑口跡です。
採掘された石炭を地上に引き上げるための坑口で、坑底までの深さは271mでした。
<パンフレットから>
別角度で、第一竪坑櫓跡です。
選炭場跡(せんたんばあと)から見た、第二竪坑巻揚機室と第二竪坑櫓です。
上の画像から、右回りに「ぐるっと」映しました。
配電所(変電所)です。
選炭場跡(せんたんばあと)です。
1903年(明治36年)に建設された選炭場がありました。選炭機2台が備え付けられ、第一竪坑から搬出された石炭を大きさや質ごとに分けていました。石炭は貨車に積み込まれ、三池炭鉱専用鉄道で九州鉄道万田駅(現JR荒尾駅)や三池港を経由し、国内外へと運ばれました。
<案内板から>
案内板の、当時の様子を再現した写真。
<案内板から>
選炭場と専用鉄道の写真です。
<案内板から>
選炭作業の様子です。
<案内板から>

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