【 松代象山地下壕 】

2005年4月12日、松代町の「松代象山地下壕」を訪問しました。

<長野市のパンフレットから>
松代象山地下壕は、第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに大本営や政府各省等を松代に移すという計画の下に構築したものです。
着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の終戦まで、約9ヶ月の間に当時の金で約2億円の巨費と、およそ述べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められました。
食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。
松代象山地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に皆神山、象山の3箇所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10Km余りに及んでいます。全工程の75%の時点で終戦となり工事は中止されました。
戦後は、訪れる人も少なく忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため平成2年から見学できるようにセ維持したものです。
地下壕の現況 総延長:5,853.6m 概算掘削土量:59,635立方m 床面積:23,404平方

地下壕入り口にあった鳥瞰図。

上の鳥瞰図の下にあった案内図。
今回は時間が無かったので、2つ目の角のところ(ほぼ中間地点)まで行きました。

地下壕入り口。

入り口付近。

最初の角を曲がって、壕はまだまだ先に続く。

壁面に残る削岩機のロッド
削岩機はコンプレッサーから送られる圧縮空気を操作する搾手部と、回転する鉄棒のロッド部と、その先端についた岩を砕くビットからなっている。
当時はこの削岩機により岩に穴を開け、そこにダイナマイトを仕掛けて破砕した。このときに抜けなくなったロッドが壕内に数本あるそうですが、そのうちの一つです。。
削岩機のロッドによる穴跡は壁面に無数に残っている。

所々に連絡抗がある。


連絡抗。

二つ目の角のところ(突き当たり)まできました。
中心部に白く写っているのは、外から差し込んでいる明かりです。

上の画像を写した所から右方向の壕。

上の画像の壕と反対側の壕。
見学コースはまだ先まで(3つ目の直線部)あるのですが、今回は時間が無かったのでここでUターンでした。

壕内には、天井や壁に刺さったままの木材が数箇所残っているそうです。
これは、当時材木の先端にガイシをつけ、電線を通したものの跡だと言われているそうです。



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