【 長谷寺(その1) 】

長谷寺は山号を豊山(ぷさん)といい、朱鳥元年(686年)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことに始まる。のち、神亀4年(727年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によって本尊十一面観世音菩薩を東の岡に祀った。
徳道上人は観音信仰にあつく西国三十三所観音霊場を開いた。長谷寺がその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、初瀬詣・長谷寺信仰は全国に広まった。(寺のパンフレットから)
(2008年1月12日訪問)


参道入口。たどり着いた時は雨でした・・・。

仁王門前にあった案内図。

仁王門
仁王門は平安時代、一条天皇の代に初めて建立された。現在の門は明治18年(1885)の再建で、上に掲げる額は後陽成天皇の宸筆(しんぴつ)です。(寺のパンフレットから)。

別角度で仁王門。

仁王門を入ると・・・。

すぐに、この登楼(のぼりろう)がある。登楼は下・中・上の楼が続いていて、ここは下楼です。
登楼は春日社司中臣信清が、観音様の霊験によってご子息の病気が回復したことのお礼に長歴3年(1039)寄進建立されました。現在の下・中楼は明治32年の再建です。(寺のパンフレットから)。

別角度で登楼と道明上人御廟所(画像右の石塔)。

道明上人御廟所。

登楼を登っていくと最初の曲がり角。

上の画像の曲がり角を曲がると、このように中登楼が続く。
ここを登りきったところに・・・。

蔵王堂。

蔵王堂の隣に「紀貫之 故郷の梅」
人はいさ心も知らず故郷の花ぞ昔の香ににほいける(古今集)

ここ蔵王堂のところにもう一回曲がり角がある。
蔵王堂を背にして、上を見ると上登楼が続いている。上登楼は下・中よりも古い。

同じ場所から、別角度。

登楼を登りきったところに鐘楼があります(画像左側)。画像右側が本堂です。
鐘楼は藤原定家に「尾上(おのえ)の鐘」と詠まれ、「未来鐘」とも称されている。(寺のパンフレットから)



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