【 金峯山寺 】

吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)は金峯山修験本宗の総本山です。

吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)といわれ、古代から広く知られた聖域であった。
白鳳年間(7世紀後半)に、この金峯山に役行者が修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得し、この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祀った。これが金峯山寺の開創と伝えられていまる。
明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され金峯山寺は一時期廃寺となるが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っている。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味だそうです。
(2005年10月9日訪問)

ビジターセンター側から、蔵王堂。
蔵王堂の前の「四本桜」。
蔵王堂(国宝)
金峯山寺の本堂で、重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34m、四方36m。三体の蔵王権現が本尊。
蔵王堂(国宝)、別角度。
仁王門(国宝)
仁王門から200mほど下ったところにある「銅(かね)の鳥居」
もとは東大寺大仏鋳造の余った銅で建立したともいわれる鳥居で、高さ約8m。
吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初で、「発心門」[ほっしんもん]と書かれた扁額を掲げている。修験者は鳥居に手を触れ、「吉野なる銅(かね)の鳥居に手をかけて弥陀(みだ)の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山する。

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