【 唐招提寺 】

唐招提寺は唐の僧・鑑真により天平宝字3年(759)に創建された、南都六宗の1つである律宗の総本山です。

以前ここを訪れたのは30年ほど前のことでした。その時の様子はほとんど覚えていないのですが、国宝の仏像が無造作においてあったような印象があります。

(2008年1月13日訪問)


薬師寺を後にして徒歩でやってきました、南大門です。

南大門をくぐると正面に金堂が建っているはずなのですが、修理中でした・・・、残念。
金堂は素屋根(解体修理中の建物を風雨から守るカバー的な建物)に覆われています。

国宝の金堂は、平安・鎌倉・江戸・明治時代と過去4回の大修理が行われ、天平文化の面影を伝えてきました。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災や平成10年(1998)の世界文化遺産への登録を踏まえて、その保存に対する重要性の機運が高まる中、「国宝唐招提寺金堂保存修理事業専門委員会」が結成され、 2年間に及ぶ建物調査が実施されました。
これらの調査結果を踏まえて、平成12年(2000)から奈良県教育委員会の主導による10年を要する「金堂平成大修理事業」がはじまりました。 2009年の秋に完成の予定です。(パンフレットから)

修理の様子をガラス越しに見学できるようになっているようですが、訪問当日は日曜日ということもあってか作業はやっていませんでした。

ガラス越しに写してみました。
真っ暗で何が写っているか分からなかったのですが、明るさを調整してみると金堂の柱でした。

南側から写した、戒壇。

金堂の北側にある講堂と鐘楼。この画像右側が金堂(素屋根が少し写っています)です。

南東側から写した講堂です。

旧開山堂。

鑑真和上御影堂(中には入れなかったので写っているのは屋根だけです)。
国宝鑑真和上像を安置するために、昭和37年、旧興福寺一乗院門跡の建物を移築復原したものである。
(案内板から)

御影堂前から、少し東へ進むと鑑真和上廟を囲む塀と、門が見えてくる。

上の画像に写っている門から、廟方向の画像。

綺麗に整備された境内、苔も青々としていました。

廟の前。

廟の西側から写した画像です。

校倉造りの経蔵。
唐招提寺創始以前、新田部親王の邸宅があったころの遺構で、756年成立の正倉院宝庫よりも古く、わが国最古の校倉です。(パンフレットから)

礼堂



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