【 弥彦神社 】


越後国の一宮、弥彦神社です。
弥彦神社は明治45年(1912)3月に、近隣民家の火災によって類焼し、本殿ほか多くの建物を焼失しました。
大正5年(1916)10月に新社殿が竣工しました。

(2008年3月9日訪問)

一の鳥居

一の鳥居をくぐってから左に目をやると、御手洗川に架かる御神橋「玉ノ橋」が見えます。

弥彦神社古記録によると、和銅4年(711年)勅命により宮殿が改められた境内建造物の中に、御池「玉ノ橋」が記載されている。古くから参道中程に「御神橋」があり、室町時代の境内古絵図にも描かれている。「玉ノ橋」について古伝には「今の人心の玉ノ橋を求めて神慮に通わしめて真の道を得る心なり。」とある。
明治45年、弥彦大火の際、社殿始め境内建造物を焼失した中で、明治29年に改築された「玉ノ橋」だけはその難をまぬがれた。その後境内拡張、社殿造替事業に際し外苑弥彦公園に一時移転されていたが、昭和60年の御遷座70年奉祝を機として、霊峰弥彦山の清流御手洗川に修理復元された。
<境内の案内板から>

近づいて写しました。

境内にあった「石油蒸留釜」

明治17年頃田代虎次郎(新潟出身)により考案された、わが国初の石油精製装置である。
二十石蒸留釜とも称され、原油を締め切った釜に入れ、下から熱し、原油から蒸発するガスをパイプで水中を通して冷やし、液体にする簡単なもの。わが国では2基しか現存しない。
奉納 日本石油加工株錐闕H場(平成13年3月)
<案内板から>

一の鳥居をくぐってから参道を100mほど進み、左に曲がると二の鳥居があります。
 

二の鳥居をくぐって進むと、隨神門の向こうに拝殿が見えてきました。

拝殿です。

拝殿脇の回廊は除雪機の車庫になっていました。
ちょっと興ざめ・・・。

拝殿の後ろに本殿の屋根だけが見えました。

隨神門の北東側に「境内社」(けいだいしゃ)を集めた場所がありますが、その一番奥(東側)に「十柱神社(とはしらじんじゃ)」があります。
入母屋造・妻入・茅葺、間口二間半・奥行三間の社殿で、元禄7年(1694)長岡藩主牧野氏によって奉納されたものです。
<案内板から>

上の画像を写した所から、「境内社」(けいだいしゃ)群を写しました。

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