【 越後岩沢駅(平成26年) 】

越後岩沢駅(えちごいわさわえき)は飯山線の駅で、新潟県小千谷市岩沢にあります。電報略号は「エサ」です。
国鉄があった時代、数か月間でしたがその駅で勤務させてもらったのでした・・・。

<その歴史についてWikでは次のように紹介しています>
1927年(昭和2年)6月15日 - 十日町線・越後川口駅 - 越後岩沢駅間開業の際に開設。
1927年(昭和2年)11月25日 - 十日町線・越後岩沢駅 - 十日町間駅開業。
1944年(昭和19年)6月1日 - 十日町線を飯山線に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
1992年(平成4年)10月1日 - 閉塞取り扱い中止。
1993年(平成5年)10月1日 - 無人化。

私は次の2行をそれに加えたいと思います。
1997年(昭和52年)1月1日 - 阿部職員配属。
1997年(昭和52年)4月1日 - 阿部職員小諸駅に転出。

(2014年11月30日訪問)

 

越後岩沢駅付近の地図です。

駅通り側から写した越後岩沢駅の駅舎です。

12:47頃、駅通りから写した越後岩沢駅の駅舎です。(国道117号側を背にして写しています)

斜め前から写した越後岩沢駅の駅舎です。

別角度(十日町駅方向から)で駅舎を写しました。

越後後岩沢駅の正面です。

正面側から越後岩沢駅を写しました。

越後岩沢駅の出入口です。

駅舎の出入口です。

越後岩沢駅の出入口に掲げてある駅名板です。

出入口に掲げられた駅名板も趣があります・・・。

越後岩沢駅の建物財産標です。

駅舎の正面に付けられている

ズームで写した、越後岩沢駅の建物財産標です。

建物財産標です。
昭和2年12月に鉄道省の財産として登録されたということだと思います。
当時の駅舎がどんなであった・・・、下に画像がありますよ。

越後岩沢駅の内部です。

越後岩沢駅の駅舎内です。
現在、画像右側に写っている引き戸の向こう側の空間には除雪機が置いてあります。
以前はその戸は無く、除雪機置場として仕切られている場所が待合スペースになっていて、壁に沿ってベンチが設けられ、冬はストーブが置かれていました。

越後岩沢駅の内部です。

駅舎内、上の画像左側の壁です。

越後岩沢駅の内部です。

以前(職員がいた頃)はこのベンチは無く、向かって左側に出札窓口が、右側に小荷物受付窓口がありました。

越後岩沢駅の出入口です。

改札口の引き戸を開けて、出入口から写しました。

これも越後岩沢駅の内部です。

駅舎内です。

これも越後岩沢駅の内部です。

駅舎内です。

越後岩沢駅の改札口があった場所です。

以前、越後岩沢駅の改札口があったところです。

越後岩沢駅の改札口の埒(らち)があった跡。

コンクリートで円形に塞がれているのは、改札口の埒(らち)があった跡です。
埒は「物の周囲に、また仕切りとして設けた柵。駅の改札口付近の柵など。」とされています。

以前の越後岩沢駅改札口の写真です。

越後岩沢駅の改札、以前はこのようになっていました(昭和52年の写真)。
ホーム側から写した写真です。

越後岩沢駅のホームと線路です。

埒(があったところ)を出て、ホームと線路です。
対面にもホームの跡がありますが、以前(平成4年10月に閉塞取り扱いを中止する前)は越後岩沢駅でも列車交換(列車の行き違い)が行われていました。飯山線は単線なので列車の行違いをする駅が必要なわけですが、列車本数が少なくなればなるほど、行き違い駅は不要になります。
ですから、現在はこちら側の線路しか使われていません。

四角くコンクリートで塞がれているところには、スライドして格納できる鉄板がありました。
普段はそれを引き出してあるのですが、乗客が向こう側の島式ホーム(十日町駅・長野駅方面の乗り場だった)に渡る際には格納することによって、こちら側の階段が利用できるようになっていました。

越後岩沢駅のホームと線路、内ヶ巻駅・越後川口駅方向です。

上の画像を写した場所で左を向いて写しました。
内ヶ巻駅・越後川口駅方向です。

越後岩沢駅のホームと線路、下条駅・十日町駅方向です。

上の画像と反対側、下条駅・十日町駅方向です。

以前越後岩沢駅にあった島式ホームから写した越後岩沢駅の駅舎です。

3つ上の画像に写っている、現在は使われていない島式ホーム跡に来て駅舎を写しました。

駅舎全体を写すには、この位置までさがる必要がありました。

今は使われていない島式ホームから写した越後岩沢駅の駅舎です。

少し近づきました。

上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。

上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。

上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。

上の画像4枚のところ、ぐるっと映しました。

島式ホーム跡の、十日町駅側から駅舎を写しました。

少し角度は違いますが、昭和初期の岩沢駅です。(写真集ふるさとの百年から)
一部増築されている部分もありますがご覧になってお分かりのように、また上の画像にある昭和2年12月の鉄道省財産票のように、岩沢駅は昭和初期の駅舎が使われているのです。
現在ではコンクリートで塗り込められている、島式ホームに渡る際に線路に降りるために使用した階段も確認できますね。

今は使われていない越後岩沢駅の島式ホームから写した駅舎です。

ズームです。

今は使われていない越後岩沢駅の島式ホームです。

上の画像を写した付近から、越後川口駅方向です。

今は使われていない越後岩沢駅の島式ホームです。そこにあった昔の待合室の後です

このホームにも待合室があったのですが、その跡です。

今は使われていない島式ホームから写した越後岩沢駅の駅舎です。

島式ホーム跡側から、別角度で駅舎を写しました。

越後岩沢駅のホームと駅舎です。

駅舎側のホームから駅舎を写しました。

越後岩沢駅のホームです。

駅舎側ホームの越後川口駅側終端から十日町駅方向です。

上の画像を写した場所で振り返って、越後川口駅方向です。
これから、向こう側に歩いてみます。

除雪車の格納庫へ除雪車を引き込むための施設です。
越後川口駅方向を向いて写しています。

上の画像を写した場所で振り返って、十日町駅方向です。
錆びた線路の先が除雪車の格納庫です。

少し越後川口駅側に移動して引き込み施設です。
通常のポイントとは構造が異なっています。

上の画像を写した付近で、現在使われている線路(手前)と、「以前行き違い用上り線として使われていた線路(奥方向)」を写しました。
画像左側が越後川口駅方向です。

「以前行き違い用上り線として使われていた線路」です。
越後川口駅方向を向いて写しています。

上の画像を写した場所で振り返って、十日町駅方向です。
この先に島式ホーム跡があります。

「行き違い用上り線として使われていた線路」の高さと、

現在使用されているレールの高さは、こんなに違います。
国鉄時代は上の画像と同じレールだったのですが、民営化前に重いレールに取り換えたのだったと思います。

十日町駅側の終端部から、越後川口駅方向を写しました。

13:12頃、越後川口駅方面からキハが着きます。
島式ホーム跡から映しました。

停車中のキハです。

十日町駅に向けて発車しました。

「計量管理事業所」、小荷物を取り扱っていたので秤が設置してあったのです。

改札口側から駅舎内を写しました。

上の画像に写っているこの駅名標、このページの他の写真にも写っていますね・・・。
今の駅舎が取り壊され、建て替えられることになっても、どこかに掲示して欲しいものです。

懐かしい旅を終えて、

駅舎を後にします・・・。

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