【 倉敷アイビースクエアー 】

倉敷美観地区に接したところに「倉敷アイビースクエアー」があります。
そこにあった案内板に書いてあった「この地のいわれ」によると次のような要旨です。

この地のいわれ   −倉敷代官所跡・倉紡発祥の地−

関が原の合戦で東軍が勝利を得てから、この地は徳川幕府の天領となった。
寛永19年(1642)には倉敷代官所がおかれた。
明治になり政府は倉敷浅尾騒動で焼けた代官所跡に倉敷県庁を置いたが、明治4年に倉敷県庁が廃止されてからは放置されたままになっていた。
その後、地元の先覚者たちによって明治21年3月9日、代官所跡に倉敷紡績所(倉敷紡績株式会社)が創立され、以来倉敷紡績の隆盛は倉敷の発展に寄与するところとなった。
倉敷紡績では、この地が古くから倉敷発展の中心地であるのみならず、会社発祥のの由緒ある地であることにもかんがみて、記念保存地区とした。

アイビー:蔦(つた)類の総称

(2005年2月13日訪問)

案内板にあった平面図。
「倉敷アイビースクエアー」入り口。
代官所跡のモニュメント(記念碑)。
明治22年(1889)に建設された、倉敷紡績の発祥工場。

<画像に写っている案内板にあった説明文の要旨>
純英国風といわれる鋸型の屋根、赤いレンガの外壁、半円形の窓など当時の面影をそのままとどめている。
この工場は昭和20年(1945)終戦とともに長年に亘る操業(綿紡績など)に終止符を打ち、休止工場として保存されていたものを昭和49年(1974)に改装したものである。
上の画像の奥手に進んで、同じ建物を写しました。
ツタの葉が茂っている状態も見てみたいですね!。
別角度で、同上の建物。
別角度で、同上の建物。
この建物は「アイビー学館」と名づけられ、近代西洋絵画の歴史、流れを理解出来るように、世界の名画の複製100点あまりを展示しているます。
ひろば。
ひろばのホテル棟側の壁。

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