【 勝連城跡 】

勝連城(かつれんじょう)跡は、うるま市にあるグスク(城)で、阿麻和利(あまわり)の城として知られています。

国の史跡であり、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産にも登録されています。(登録名称は勝連城跡)。登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクとされています。
<案内板から>

(2010年5月14日訪問)
 
現地にあった模型です。
現在はこのような全体像ではなく、右半分にある三の郭跡、二の郭跡、一の郭跡部分を見ることが出来ます。
現地にあった案内図です。
上にも書いたように、現在では東の郭や西の郭などは見ることが出来ません。
11:10頃、城跡を目指します。
11:08頃、城跡に着きました。
下から見上げた三の郭跡を取り囲む石垣です。
三の郭に続く石段を上ります。
画像上部中央に確認できる開口部から、三の郭跡を写したのが次の画像です。
三の郭跡です。
上の画像を写したところで振り返って、上ってきた石段・木道を写しました。
2つ上の画像に写っている案内板付近から、二の郭(数段の石段を上った所)・一の郭(一番上部の石垣に囲まれている所)方向です。
上の画像を写した、「現在位置」にあった案内板の絵図です。
三の郭の解説文です。<案内板から>
勝連の按司の、伝承の上での系譜
伝承ではこのグスクの城主は英祖王系2代目「大成王」の五男勝連按司だったと伝えています。
この王統は5代まで続きましたが世継ぎが無かったことから、養子縁組により伊波グスク「伊波按司」の六男を迎えたと伝えられています。その後、交代の理由ははっきりしませんが、7・8代目が「浜川按司」、9代目は「茂知附(もちづき)按司」といいます。茂知附按司は圧政を敷いたことから人々の信望を失い、やがて阿麻和利(あまわり)にとった代わられたと言われています。

按司(あじ、または、あんじ)は、琉球諸島に存在した琉球王国の称号および位階の一つです。
<案内板から>
三の郭跡から、二の郭(数段の石段を上った所)と一の郭(一番上部の石垣に囲まれている所)方向です。
5つ上の画像に写っている石段を上った所で写した、二の郭跡です。
上の画像を写したところで振り返って、三の郭跡を写しました。
二つ上の画像に写っている案内板にあった、二の郭にあった殿舎跡を記した図と、説明文です。
ウシヌジガマです。
ウシヌジガマの紹介文です。
二の郭から一の郭に向かう石段です。
画像左上に写っている開口部から写した一の郭跡の画像が次の画像です。
一の郭跡です。
上の画像を写したところで振り返って、二の郭跡・三の郭跡方向です。
一の郭跡にあった(「現在地」のところ)案内図です。
別角度(上り口と反対側から写しています)で一の郭です。
上の画像の案内板が、画像右上に写っています。

一の郭は1965年(昭和40年)から数回にわたって発掘調査が行われ、いろいろなことがわかりました。岩盤を削って大がかりな土木工事を行い、瓦葺の建物があったことがわかっています。多くのグスクの中で瓦葺の建物があったのは、現在のところ勝連城のほかには首里城と浦添城だけです。
出入り口の門付近から唐草様の浮き彫りのついたアーチ石の一部が発見されていて、装飾を施した豪壮なアーチ門であった可能性があります。
<案内板から>
一の郭跡から、南方向です。
上の画像を写したところで、中城湾方向です。
上の画像を写したところで、北方向です。
上の画像を写したところで、東方向、金武湾方向です。
上4枚の画像部分を動画で映しました。
一の郭跡から、県道16号線沿いの勝連城休憩所(赤い屋根の建物)方向です。
あの駐車場に車を置いてきました。

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