【 宇佐神宮(うさじんぐう) 】

宇佐神宮(うさじんぐう)は、宇佐市にある神社です。
全国四万四千社と称する八幡宮の総本社で、式内社、旧官幣大社です。正式名は宇佐神宮ですが、宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮とも通称されます。
祭られている神殿の順(神殿に向かって左から)に、応神天皇(おうじんてんのう/一の御殿)、比売大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(しんぐうこうごう/三の御殿)の三柱の神が上宮・下宮に祭られています。(メインは上宮ですが、上宮・下宮どちらも三柱全てを祀っています)。比売大神は宗像三神のこととされています。

宇佐神宮は全国八幡宮の総本宮、勅祭の大社であり、歴代天皇は伊勢の神宮につぐ宗廟、我朝(わがちょう)の太祖として御崇敬におなりです。また、私達の祖先は各地に宇佐の八幡宮を迎えて、氏神や鎮守の社としました。

神代に三神の比売大神(ひめのおおかみ)がご降臨になったこの宇佐の地に、約1400年前の欽明天皇32年、応神天皇のご神霊が始めて八幡大神(はちまんおおかみ)としてお現われになり、各地をご巡幸後この亀山にお鎮まりになりました。のち弘仁14年に、応神天皇の御母君であられる神功皇后をお祀りし、三殿のご鎮座となりました。
(案内板から)

2008年8月23日訪問
 
参道の入口にあった境内図(この続きは下にあります。)
赤い↓は下にお示しした案内図の↓に続きます。
12:58頃、表参道です。
左に見える赤い柵の向こう側は駐車場で、駐車場は国道10号に面しています。
上の画像に写っていた鳥居です。ここを通ってすぐ左側に、
宇佐参宮線26号蒸気機関車が展示してありました。
この機関車は明治24年(1891年)ドイツ・ミュンヘン市のクラウス社が製造、明治27年に九州鉄道株式会社(国鉄の前身)が購入し活躍しましたが、昭和23年機関車の大型化に圧され大分交通鰍ノ譲渡の後、宇佐参宮線の主役となりました。
宇佐参宮線は、大正5年(1916年)3月に開業し、昭和40年8月に廃止されました。
26号機関車は形式10、製造番号2550号、最大長7.509m、高さ3.616m、幅2.546m運転装備時重量23.36tで、実に71年間にわたり活躍しました。(案内板から)
寄藻川に架かる神橋です。
神橋を渡り切った辺りから、表参道(上宮方向)ですが、まだまだ先は長いです。
雨が降りそうだったので車から傘を持ってきましたが、この辺りから降り出しました。
この案内図の赤い↓方向から歩いてきて、表参道と記された左下「10祓所」と記されている施設が次の画像です。
この祓所がある辺りで表参道は左に折れ、更に進むと、
八幡鳥居とその向こうに西大門が見えてきました。
宇佐神宮 西大門
西大門です。
西大門から本殿方向。
この石畳の向こう側にお守りなどを販売しているところがありますが、そこから写したのが2つ下の画像です。
西大門を入ってすぐ左側にある神井。
本殿の拝殿で、左から一の御殿、二の御殿、三の御殿の前です。
応神天皇(おうじんてんのう)を祀る一の御殿です。
比売大神(ひめのおおかみ)を祀る「二の御殿」の前ですが、ここからでは中の様子が何も分かりません。
この向こうがどうなっているのかは、2つ下の画像でどうぞ。
神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る三の御殿です
上の画像を写した所から、カメラを左に向けて二の御殿方向です。
鮮やかな朱色の建物は拝殿でしょうか、その後にあるのが本殿だと思われます。
別角度(三の御殿側から)本殿の拝殿です。
マズイことに、雨が強くなってきました・・・・。
下宮に通ずる門です。
下宮も本殿と同じく、向こう側から一の御殿(応神天皇)、二の御殿(比売大神)、三の御殿(神功皇后)です。
雨、写真に写るくらいに大雨になりました・・・。
駐車場への帰路、神橋の隣にかかった橋を渡り、そこから神橋を写しました。
大分県のだんご汁
13:55頃、表参道入口にあった食堂で「手延べだんご汁(だんごじる)」を食べました。
手延べだんご汁
だんご汁は、大分県を中心に食される九州の郷土料理だそうです。

小麦粉で作った平たい麺(だんご=だご)を味噌(または醤油)仕立ての汁に入れたもので、汁にはごぼう、にんじん、しめじ、豚肉などが入りっています。ここで食べたのは味噌仕立てでした。
近くにあった別の店で、ねぎ焼きも食べました。
この店は、ネギの生産者が自ら作ったネギを使ってねぎ焼きを出しているんだそうです。


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