【 延暦寺 西塔エリア 】

延暦寺(えんりゃくじ)は、大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内としています。
平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称され、平安時代初期の僧最澄(767年-822年)によって開かれた日本天台宗の本山です。
境内は大きく東塔・西塔・横川エリアに分けられますが、ここでは西塔エリアをご案内しています。

(2009年11月22日訪問)
 
13:29頃、東塔地区を後にして西当地区へ向かいます。
13:31頃、比叡山ドライブウエイに掛かる陸橋を渡ったところにあった「山王院堂(さんのういんどう)」です。
詳しくは法華鎮護山王院堂といい、第六祖智証大師円珍の住房で後唐院ともいわれました。
円珍の死後100年、円珍派と慈覚大師円仁派の学僧の間に紛争が起こり、円珍派はここから円珍の木造を背負って大津の三井寺(園城寺)へ移住したと言われています。このお堂は歴史上きわめて重要なお堂です。
<案内板の記述>

どの宗教でもそうだが、分派するのは宗教の性であり、必然性だと言える。
急な石段もあるので、帰路が大変そう。
車で移動するべきだったかな・・・。
西塔エリアの案内図です。
13:37頃、浄土院御廟です。
13:43頃、親鸞聖人修行の地。
13:45頃、常行堂(じょうぎょうどう)は桁行5間、梁間5間、一重、宝形造(ほうぎょうづくり)栩葺(とちぶき)の建物で、正面に1間の向拝をつけています。
右隣の法華堂とは桁行4間、梁間1間、唐破風造(からはふづくり)の廊下でつながれています。
2つの同形式の堂と廊下の姿から、2つを合わせて「にない堂」と呼ばれています。
昭和30年(1955)6月に法華堂とともに国の重要文化財に指定されました。
廊下部分です。
画像左が常行堂で、右が法華堂です。
常行堂と同じ形式の法華堂です。
常行堂側から見た法華堂です。
にない堂の廊下部分です。
にない堂から、転法輪堂(てんぽうりんどう)方向です。
この石段の途中右側に見える石敷きの入口部分が次の画像です。
止観道場、西塔政所の看板が掛かっています。
転法輪堂(てんぽうりんどう)は釈迦堂とも呼ばれています。
仏足跡もありました。
13:54頃、転法輪堂(てんぽうりんどう)は桁行7間、梁間7間、一重、入母屋造栩葺(とちぶき)形銅板葺の建物です。
西塔の中心堂宇で、国の重要文化財、本尊は釈迦如来立像です。
信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)に秀吉の命により、貞和3年(1347)頃に建てられた園城寺(おんじょうじ)弥勒堂が移築されたもので、比叡山では最古の建築です。
<案内板から>
転法輪堂側からにない堂方向です。
鐘楼です。

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