【 佐原の町並み(さわらのまちなみ) 】


「佐原の町並み(さわらのまちなみ)」は香取市佐原の市街地にある歴史的な建造物が残っている町並みです。
重要伝統的建造物群保存地区に選定されているそうです。
佐原市(さわらし)は、2006年3月27日に香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、香取市になりました。

利根川図志(づし)(1855年)に「佐原は、下利根附(しもとねつき)第一繁昌(はんじょう)の地なり、村の中程に川ありて新宿(しんじゅく)・本宿(ほんじゅく)の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚げさげ、旅人の船、川口より此処まで、先をあらそい両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし」と記してあります。
江戸時代の佐原は「小江戸」と呼ばれ、この周辺の町並みには国指定史跡伊能忠敬旧宅や県指定有形文化財小堀屋本店店舗などの古い商家があります。
また、関東三大祭りの一つとして数えられる「佐原まつり」は豪華絢爛を競い山車で奏される県指定無形民俗文化財「佐原囃子」は水郷情緒を代表するものです。<現地の案内板から>

私にとって「佐原囃子」といえば、三波春夫の「大利根無情」の台詞で馴染みがありました。

<大利根無情:一番とそれに続く台詞>
利根の利根の川風 よしきりの声が冷たく身をせめる これが浮世か 見てはいけない西空見れば 江戸へ江戸へひと刷毛あかね雲
台詞 「佐原囃子が聴えてくらぁー 想い出すなぁ お玉ヶ池の千葉道場かぁ。ふふふ・・・平手酒造も今じゃやくざの用心棒、人生裏街道の枯落葉かぁ。」


2008年11月24日訪問
 
佐原三菱館(さわらみつびしかん)は大正3年(1914)に建てられた旧三菱銀行の建物で煉瓦造り、現在千葉県の有形文化財に指定されているそうです。
県道55号線沿いに、
古い建物が点在しています。
新築する家も昔風に建てるんですね・・・。
小野川に掛けられた、県道55号線にある「忠敬橋」です。
画像右側が下流方向です。
忠敬橋の上から、小野川の下流側です。直線距離で1Kmほどのところで利根川に通じています。
忠敬橋の上から、小野川の上流方向の画像です。
忠敬橋から100mほど上流方向の右岸側にある国指定史跡伊能忠敬旧宅です。
伊能家旧宅案内図
店舗・正門・炊事場・書院・土蔵からなります。伊能忠敬が17歳で伊能家に婿養子に入り、主な家業である酒造業を営んだ家です。昭和20年代まで伊能家の住居として使われていました。
江戸時代当時から比べると、家の規模が縮小していますが、商いを行なった『店舗』は、土蔵だった建物を店に作り変えています。<案内板から>
上の画像の現在地から、店舗の帳場・座敷の画像です。
伊能忠敬旧宅の前には樋橋(とよはし)があります。
左岸上流側から見た樋橋(とよはし)です。
樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。
もともとこの橋は人を渡すために造られたものではなく、後に大樋を箱型に造り、丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。
橋の名は、大樋で造られたので樋橋(とよはし)といい、また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので「ジャージャー橋」とも呼ばれました。昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。
<現地にあった案内板から>
左岸下流側方の画像です。
伊能忠敬旧宅のほぼ対岸にある「伊能忠敬記念館」です。
入館はしませんでした。


PAGE TOP