【 神橋しんきょう) 】


大谷川に架かる朱塗りの橋、神橋を渡りました。

− 構造 −
神橋は、山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられています。
中禅寺湖から華厳の滝を落ちて流れる大谷川に掛けられ、長さ28m、幅7.4m、水面からの高さは10.6mあります。
奈良時代にはじめて掛けられ、江戸時代初期に現在の形になりました。乳の木(ちのき)と呼ばれるケヤキ材の橋桁を両岸の地面や岩盤に埋め込んで、鳥居の形をした石の橋脚で支え、両岸から伸びたケヤキ材を別の1本でつないでその上に橋板を渡しています。両端と中央にそれぞれ3本ずつ計9本の乳の木で構成されています。また、雨や雪などから守るために橋桁に小屋根が掛けてあり、その上に橋板が置かれています。

− 歴史 −
奈良時代の末、下野の人「勝道上人(しょうどうしょうにん)」は、深く尊崇する霊峯二荒山(男体山)の登頂によって鎮護国家、人民利益のための大願をたてました。
天平神護2年3月(766年)勝道上人一行は大谷川のほとりにたどりつき川を渡ろうとしましたが、大谷川の激流のため渡る方法がなくこまりはてました。上人が手を合わせて一心に祈ると、川の北岸にひとりの神人が現われました。
その姿は夜叉のようで、右手に二匹の蛇をまき、上人に向って「我は深砂大王(じんしゃだいおう)である。汝を彼の岸に渡すべし」といいながら手にもった赤と青二匹の蛇を放つと、、たちまち川の対岸とを結び、虹のように橋をつくり、蛇の背に山菅(やますげ)が生えたので、上人一行は無事に渡ることができました。ふり返って見ると、神人も蛇橋もすでに消え失せてしまっていたので、上人は合掌して深砂大王の加護に感謝し、それ以来この橋を「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」と呼んだといいます。
<パンフレットから>

2008年9月22日訪問
 
神橋
7:53頃、国道120号から神橋の画像です。
大谷川に架かる神橋
神橋の下は大谷川です。画像の奥側が下流方向です。
左岸側から右岸の橋脚です。
左岸の橋脚です。
左岸下流側からの画像です。
左岸側から、橋の上を写しました。
ここから下は11:08頃に再来した画像です。
上の画像を写した辺りからの画像です。
この「神橋」交差点から、画像右方向が群馬県沼田方面の国道120号で、画像左方向が日光橋・国道119号です。
神橋の下を流れる大谷川(だいやがわ)
国道119号の日光橋の上から、神橋の画像です。
画像向こう側が、大谷川の上流方向です。
画像右側は国道119号で、右上の橋は「日光橋」です。橋を渡って左方向は国道120号です。
もう少しバックして写したのが、次の画像です。
二荒山神橋の石碑と、チケット売場(左側の建物)。
神橋を渡るには、通行料を支払います。
鳥居をくぐってすぐ左では、平成の大修理の様子を紹介していました。
平成9年から8年間にわたって、
行なわれた平成の大修理は、
総工費約8億円をかけて
平成17年3月に竣工したのだそうです。
改修工事の様子が写真で紹介されていました。
「なで石 気持ちをこめてこの石をなでると、心が丸く豊になり夢がかなうといわれている。」
右岸下流側からの画像です。
では、神橋に向かいます。
神橋(しんきょう)
橋のたもとまで来ました。
橋板の歩行部分には橋板の保護板が敷かれています。
では、渡ります。
神橋の上から大谷川上流方向の画像です。
左岸側・国道120号側に行きます。
ただし、そのまま通り抜けることは出来ませんので、Uターンして通行券売場(国道119号沿い)の所まで戻ります。
国道120号の向こう側にある社は、深沙大王をまつった深沙王堂(じんしゃおうどう)です。
Uターンして、国道120号を背にして写しました。
神橋の上から大谷川下流方向と、国道119号「日光橋」の画像です。
渡り始めの所に戻りました。正面に見える祠は次の画像です。
橋姫社
旅行の安全と2人の縁を結ぶ神様です。<案内板から>
対岸の深沙大王と共に男女一対になり橋の守護神として橋の恒久的な安泰と橋を渡る人々の安全を祈っています。
神橋を後に国道119号に戻ります。


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