【 みもすそ川公園壇ノ浦古戦場跡) 】

壇ノ浦古戦場跡」は「みもすそ川公園」として整備されています。
源平合戦の最後の舞台となった壇ノ浦に面し、国道9号と関門海峡に挟まれた立地です。


2008年8月24日訪問
 
御裳川(みもすそがわ)碑です。
みもすそ川公園
別角度で御裳川碑と関門橋、源義経・平知盛像です。
御裳川はこの場所で関門海峡に注ぐ小さな河川でしたが、現在の河口は公園と国道9号の下に隠れているのだそうです。国道9号には橋の欄干のモニュメントがあります。
別角度です。画像向こう側が赤間神宮・唐戸市場方面です。
源義経と平知盛の像
壇ノ浦古戦場跡に相応しく、源義経と平知盛の像は、義経は八艘跳び、知盛は錨を担いだ姿です。
源義経・平知盛の像の傍らにある「安徳帝御入水之処碑」です。
二位尼(にのいのあま)と称される、平清盛の正室である平時子(たいらのときこ)の辞世「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」が刻まれています。
碑の傍に、2005年のNHK大河ドラマ「義経」で平時子を演じた松坂慶子さんの手形がありました。
源平合戦の最後の舞台となった関門海峡壇ノ浦は・・・、
何事も無かったかのように、穏やかな波が岸壁を洗っていました。
馬関開港百年記念碑
碑文ですが、後で読もうと思って写したものの、読めません^^;)。
復元された長州砲<八十斤加農(カノン)砲>です。

文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。翌年8月米・英・仏・蘭の四国連合艦隊17隻が報復のために下関にやってきました。海峡の最も狭いところに築かれたこの壇ノ浦砲台は前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、全ての砲台が占領・破壊されました。外国の進んだ軍備に目覚めた長州藩は、攘夷から開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。この大砲は幕末に多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。<案内板から>
復元長州砲の隣にありました。
紙芝居を演じている人がいました。


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