2002年12月、国分寺駅〜西国分寺を歩きました。 国鉄には中央鉄道学園という施設がありました。その施設は国分寺駅と西国分寺駅の中間ほどの所にあったのですが、国鉄の民営分割と債務返済の一環で取り壊され、広大な土地は売却されました。 今回その学園当時のクラス会が、飯田橋で開催されたので、国分寺まで足を伸ばしたというわけです。 あれから20年、記憶が薄れているなかで開発が進んだ町並みを見た時、知らない町に立っているかのように感じました。しかし、歩き進めていくうちに少しずつ残っている当時の面影を見つけることが出来ました。 赤いラインは12月7日、青いラインは12月8日に歩いたものです。 ホントは国分寺駅の南口からスタートなのですが、誤って北口に歩き出していました。 途中コンビニの人に尋ねて間違っていることに気づき、再スタートでした。 |
泉町公園、国分寺泉町宿舎、ゆかり四番街、ゆかり弐番街、トミンハイム国分寺泉町、いずみプラザといったあたりは中央鉄道学園の施設があったところです。 |
西国分寺駅から西恋ヶ窪方面にも行ってみました。 |
国分寺駅は駅ビルになっていた。
国分寺駅から泉町方面を望む。
学園の跡地の一部は「都立武蔵国分寺公園」になっている
公園内にある動輪のモニュメント
モニュメントの足元に刻まれた当時の学園の様子 |
動輪の裏側「中央鉄道学園歌」を刻んだ金属板 |
ふれあい橋の上から府中街道方面を眺める。
当時もあった桜の木は残されたいた。 府中街道「泉町交差点」から300mくらいの所から交差点を振りかえる。
「史跡の町国分寺市」だけあって工事に際しては発掘調査が欠かせないんですね。
西国分寺駅はほぼ当時のままであった。
しかし、駅の周りはすっかり変わってしまっていた。