2019年2月24日、晴天に誘われて自宅(越後岩沢駅付近)から越後川口駅まで歩いてみました。 距離は約10Kmで、所要時間は2時間半くらい、歩数計の数値は約15,400歩でした。 |
歩いた経路の概略です。 12:00頃スタートしました。 |
12:10頃、画像左端に写っているのは国道117号で、右に分岐するのが県道58号です。 県道58号を進みます。 |
12:21頃、県道58号と県道196号の分岐点です。 案内板にある大崩・池之平方面が県道58号で、越後川口駅方面は直進で県道196号です。 |
12:40頃、川井の真皿地区を通過中です。 |
12:49頃、県道196号(越後川口駅方向)は直進です。 ここを左に行くと川井大橋を渡って国道117号に出ます。 この画像の右方向にあるのが次の案内板です。 |
上の画像を写した付近の案内板です。 妙高寺の「愛染明王」は「国宝保存法」時代は国宝だったのですが、その法律が廃されて現在の「文化財保護法」になってからは、文化財保護法の規定による国宝ではないのだと思います。 ウィキペディアでは次のように解説しています。 国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)は、日本の文化財保護に関する、廃止された法律。1929年(昭和4年)7月1日施行。 古社寺保存法 (こしゃじほぞんほう、明治30年6月10日法律第49号)を引き継いで制定され、1950年(昭和25年)8月29日、文化財保護法施行に伴い廃止された。 文化財保護法施行に伴い、国宝保存法時代の「国宝」は、文化財保護法の規定による重要文化財に指定したものとされた。文化財保護法の規定による国宝との混同を避けるため「旧国宝」といわれる場合がある。 ですから、下の画像の昭和10年に作られた石柱に「国寶」とあるのは、わざわざ削るまでもないのかもしれませんが、新たに作る看板などには「旧国宝」「重要文化財」とするのが正直であり親切なことだと思います。 当事者にしてみれば残念でしょうし、その気持ちは分かりますが・・・。 お寺さんが「不妄語戒(ふもうごかい 五戒の一つで、嘘をついてはいけないという戒)」を破ってはいけないと思う。 |
「国寶愛染明王参道」の石柱です。 |
石柱の裏面には「昭和拾年八月建設」と刻まれています。 当時は国宝保存法によって指定された国宝だったのです。 |
12:53頃、川井の新田地区を通過中です。 |
13:00頃、出発してから1時間が経過しました。 |
13:18頃、高場山地滑り災害で使用できなくなったスノーシェッドの残骸です。 <ウィキペディアの解説> 1970年(昭和45年)1月22日 越後岩沢 - 内ケ巻間にあった高場山トンネルが地すべりにより崩落、その後ルートを山の奧側に変更し、同年11月29日に新しいトンネル(新高場山トンネル)が開通した。 |
13:32頃、内ヶ巻地区を通過中です。 |
13:39頃、長岡市(川口地区)に入ります。 |
13:47頃、何時廃業したのか分かりませんが、ラブホテルだった建物です。 |
14:00頃、出発後約2時間が経ちました。 |
14:03頃、飯山線の内ヶ巻駅方面から越後川口駅に向かうキハ(内ヶ巻駅14:00発)を映しました。 |
14:13頃、魚野川に架かる川口橋です。 |
14:15頃、川口橋の上から写した、その上流に架かっている飯山線の鉄橋です。 |
14:18頃、越後川口駅(14:15発)から内ヶ巻駅へ向かうキハがわたっていきます。 |
14:20頃、国道17号に架かる歩道橋が見えてきました。 |
上の画像に写っている歩道橋の上、川口駅方向です。 |
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。 国道17号、魚沼市方向です。 |
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。 魚野川方向です。 |
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。 国道17、号新潟方向です。 |
上の画像4枚のところ、ぐるっと映しました。 |
14:26頃、国道17号の山側に通っている道路です。 ここを300m位進んで右に曲がると次の画像です。 |
14:30頃、駅前通りに出ました。 画像奥方向突き当りが越後川口駅です。 |
14:32頃、越後川口駅に到着しました \(^_^)/ 。 飯山線の発車時刻まで大分時間がありますが、駅の待合室で休むことにします。 |
15:58発、飯山線十日町行きで越後岩沢に帰ります。 |