安倍晋三回顧録
安倍晋三総理が暗殺されたことについて、山上単独犯行説に疑問を呈しているジャーナリストなどがいますが、私もそう考えます。
真相究明を期待したいところですが、こうしたジャーナリスト達の解説を聴くにつけ、得体の知れない何かがそれを阻止しようとしているように思います。
本書は、政治の世界でも裏で暗躍する勢力があることを示唆してくれます。
安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘では財務省がどういう存在なのかを解説し、『私は密かに疑っているのですが、森友学園の国有地売却問題は、私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない。』ともお書きです。
「ディープステート・闇の政府」は陰謀論だとする考えがありますが、そんなことはなく、財務省や官僚組織はDS名のではないでしょうか。
トランプ大統領を毛嫌いする人は少なくないようですが、私はトランプと安倍晋三の良好な関係が日本にとっても良かったと思うし、これまでのトランプを支持します。
本書では、トランプの誠実さなども紹介しています。
安倍晋三さんの「安倍晋三回顧録」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
なぜ『安倍晋三回顧録』なのか――「歴史の法廷」への陳述書 1
第1章 コロナ蔓延 ダイヤモンド・プリンセスから辞任まで 21 < 2020 >
プロローグ 23 / 新型コロナウイルス ギブ&テイクの邦人退避 24 / ダイヤモンド・プリソセスを「病院船」と位置付ける 27 / 進まぬPCR検査 目詰まりの正体は何か 32 / 厚労省と医師会が動かなかったワケ 36 / リスクを取った一斉休校 39 / 中国全土の入国制限、法解釈がカベに 42 / 五輪、延期へ 45 / アペノマスクは需給を安定させた 46 / 緊急事態言言 48 / 迷走の末に決まった一律10万円給付 50 / 北朝鮮による拉致問題と横田滋氏の死去 53 / 批判広がり、検察庁法改正案を断念 55 / 河井夫妻逮捕 58 / 防衛省のミスでイージスアショアは頓挫 59 / 公明党との連立の意義 63 / 持病の再発、弱気になった瞬間の辞任決断 65 / 総裁選 68
第2章 総理大臣へ!第1次内閣発足から退陣、再登板まで 71 < 2003―12 >
宰相を目指すまで 73 / 第1次内閣発足 靖国と尖閣は「冷凍庫路線」で乗り切る 78 / 全面突破の政権運営 81 / 相次ぐ閣僚の問題発言と不祥事 84 / 参院選惨敗と退陣 87 / 臥薪嘗胆 89 / ミニ集会で足元を固める 91 / 日銀と財務省の誤りを確信する 93 / 総裁再登板へ 95
第3章 第2次内閣発足 TPP、アペノミクス、靖国参拝 103 < 2013 >
第2次内閣発足 105 / TPPで突っ込む 政権の体力があるからこそ 107 / アベノミクス始動 111 / 内閣法制局長官交代、集団的自衛権の憲法解釈変更へ 115 / 五輪招致決めた皇室の力 118 / 焦点となった特定秘密保護法 120 / 靖国参拝 122
第4章 官邸一強 集団的自衛権行使容認へ、国家安全保障局、内閣人事局発足 125 < 2014 >
国益重視の国家安全保障会議(NSC) 127 / TPP巡るオバマ大統領との応酬 131 / 集団的自衛権の行使容認へ憲法解釈を変更 133 / 官邸一強の象徴? 内閣人事局発足 138 / 日朝交渉 期待外れのストックホルム合意 140 / ロシアのクリミア併合 制裁巡り不協和音のG7 142 / 増税延期を掲げた「奇襲」の衆院解散 146
第5章 歴史認識 戦後70年談話と安全保障関連法151 < 2015 >
「イスラム国」による日本人人質殺害事件 153 / 米議会上下両院合同会議で演説 155 / キーワード網羅した戦後70年談話 160 / 自民参考人か安全保障関連法案を「違憲」と指摘する事態 163 / 岸、池田内閣に学び、支持率回復へ 168 / 裏切られた慰安婦合意 90
第6章 海外首脳たちのこと オバマ、トランプ、メルケル、習近平、プーチン 175
1時間半もの長電話 米国トランプ大統領との会話 177 / 秋田犬「ゆめ」とともに安倍氏を出迎えたロシアのプーチン大統領 181 / 自信を深めていった中国の習近平国家主席 185 / 中国を重視したドイツのタルケル首相 188 / 英国のキャメロン、メイ、ジョンソン 3人の首相のこと 190 / フランスのオランドとマクロン、両大統領との思い出 192 / EU首脳の前で俳句を詠むことに…… 195 / 豪州のアボット首相に助けられる 198 / ドゥテルテ大統領にネタニヤフ首相 「猛獣使い」と呼ばれて 202 / 台湾の李登輝総統の国家観に感銘を受ける 205
第7章 戦後外交の総決算北方領土交渉、天皇退位 209 < 2016 >
衆参同日選の思惑 211 / 被災地支援は「プッシュ型」へ 213 / 北方領土交渉を加速へ 215 / 伊勢志摩サミット 219 / オバマ大統領の広島訪問 222 / 増税先送りへ 223 / 小池百合子氏が初の女性都知事に 227 / 自民党幹事長に二階俊博氏 228 / 天皇陛下が退位を示唆 230 / 米大統領選でトランプ氏当選 233 / 安倍氏の本籍地、山口県長門市で日露首脳会談 239 / 真珠湾訪問 242
第8章 ゆらぐ一強 トランプ大統領誕生、森友・加計問題、小池新党の脅威 243 < 2017 >
ゴルフ外交と北朝鮮のミサイル発射 245 / 森友学園問題が浮上 249 / 党則を改正し、総裁任期を延長 252 / 憲法9条改正に意欲 255 / 加計学園の獣医学部新設問題も浮上 256 / 天皇退位の特例法成立 259 / 東京都議選で自民惨敗 261 / 小池氏は「ジョーカー」 263 / 二度目の衆院解散 267 / 解散で財務省も財政健全派も黙らせる 270 / トランプ大統領が初来日 274
第9章 揺れる外交 米朝首脳会談、中国「一帯一路」構想、北方領土交渉 277 < 2018 >
社会の認識変えた働き方改革 279 / 厚労省の資料改竄 281 / 森友問題再燃、財務省による決裁文書の改竄 285 / 北朝鮮情勢の転機は平昌冬季五輪 289 / 史上初の米朝首脳会談へ 揺らぐ圧力路線 292 / 中国の「一帯一路」とAIIB構想 298 / オウム真理教事件、13人の死刑執行 302 / 石破氏との一騎打ち、自民党総裁選 304 / 安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘 310 / 自由で聞かれたインド太平洋 313 / 7年ぶりの訪中 中国との付き合い方 318 / 徴用工裁判 324 / 北方領土交渉打開へ 2島返還に舵 326
第10章 新元号「令和」へ トランプ来日、ハメネイ師との会談、韓国、GSOMIA破東へ 333 < 2019 >
新元号「令和」に 幻の「万和」と「天翔」 335 / 毎月勤労統計の不適切調査 341 / 桜田五輪相、塚田国交副大臣の失言 344 / トランプ大統領、国賓来日 345 / イランのハメネイ師、ロウハニ大統領との会談 350 / G20首脳会議 353 / 老後2000万円問題 356 / 参院選、憲法改正の争点化狙う 357 / 日米貿易交渉が決着 359 / 通算在任日数が桂太郎首相を抜き歴代最長に 362 / 桜を見る会 363 / 韓国、GSOMIA破棄へ 日韓関係は悪化の一途 365 / 自衛隊を中東に派遣へ 368
終章 憲政史上最長の長期政権が実現できた理由
第1次内閣の挫折こそが最大の糧 377
ともに挫折を経験した人たちと 379 / リーダーは育てるものではない 382 / 保守派論客の支持 383 / 経済最優先が国民のニーズだった 385 / 政権か揺らぐのは、自民党内の信頼を失う時 388 / 動画、ツイッター、インスタグラム 392
謝辞 395
相次ぐ閣僚の問題発言と不祥事
――第1次内閣では、柳澤伯夫厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」など閣僚の失言も相次ぎました。
柳澤さんの発言は、女性蔑視ではなく、少子化問題を分かりやすく言おうとしたのですよね。
私も結構、際どい話をするのだけど、いわゆる失言はしていない。危険なのは、たとえ話とジョークです。たとえ話で分かりやすくすることによって、政治的に正しくなくなってしまう危険性かあります。ジョークは、毒を持たなきゃいけないから、危険です。女性と子ども、高齢者と障害者に関する発言は、とにかく口に出す前に、頭の中で一回、考え直してみろと若手議員には言っています。
久間章生防衛相の「原爆投下はしょうがない」というのは、日本人の感覚として、そうやって自分に言い聞かせるしかなかった、という意味なんてすね。柳澤さんにしても久間さんにしても、それまで不適切な発言などしたことがないベテランでした。
こういう流れになると、何かに憑かれたように悪いことが連続して起こってしまう。松岡利勝農相が自ら命を絶つという悲しい出来事もあった。年金記録問題も発覚しました。
年金記録問題は、発覚したのか安倍内閣だったのですか、まるで安倍内閣の時に起きたかのようにされてしまった。さらに赤城徳彦農相の絆創膏問題ですね。事務所費の扱いに問題があったが、なぜか不自然に顔に貼り付けた絆創膏に焦点が当てられてしまった。
――赤城氏を更迭した理由は何だったのでしょうか。
事務所費の問題です。実家を主たる事務所と届け出ていたが、実態がないと言われ、説明できなかった。だから、まずは事務所を立て直した方がいいんじゃないの? という話をしました。様々な負の連鎖を止められなかった。いかんともしがたい状況だった。
――第1次内閣は経済への目配りができていなかったのではないでしょうか。
経済政策は弱かったですね。あの当時は景気が良く、税収もあったからですが、本当は、もう少し経済に照準を当てておけば良かった。そうすれば、様々な面で成果を上げている、というふうに感じてもらえたのでしょう。今思えば、戦後レジームの脱却に力が入りすぎていた面がありました。
――「お友達内閣」とも批判されました。
誰が友達なの? ということですよ。例えば、塩崎恭久官房長官や根本匠首相補佐官は友人関係ですが、松岡さんは、お友達という付き合い方はしていなかった。久間さんだって柳澤さんだって伊吹文明文部科学相だって、全然違うではないですか。要するに、ネーミングによってレッテルを張られた。
ちなみに、過去の政権を振り返れば、首相は官房長官には気心の知れた人を置いています。例えば大平正芳首相だって、無二の親友と言われた伊東正義氏を初入閣で官房長官にした。これもお友達ですよ。要は、その友達が良い友達なのか、悪い友達なのかということだと思います。
――根本氏や小池百合子氏を首相補佐官に起用した狙いは何だったのでしょう。
首相官邸の政治家が、首相、官房長官、官房副長官2人の計4人だけでは少ないでしょう。党側との調整も難しい。だから増やそうとしたのですが、残念ながら機能したとは言えませんね。
第2次内閣以降は、いわゆる「官邸官僚」という言葉が批判的に使われましたが、官邸で時の政権のために仕事をする官僚も必要です。いわば安倍政権の官僚。もちろん国の官僚だけど、どこかの役所に属しているから、役所に戻った後のことを考えて、常に出身省庁に情報を上げて、顔色をうかがっている。それでは重要な仕事を成しえない。今この政策をやる、ということに殉じる人がいないと、難しい政策は実現しないのです。
――様々なことを決めるに当たって、滑り出しの時も含めて誰かに相談しましたか。
森喜朗元首相には相談しました。中曽根元首相にも心構えを教わりました。中曽根さんは、「総理大臣というのは一回弱気になったらもう駄目だ、自分が正しいと確信がある限り、常に間違ってないんだという信念でいけ」と仰っていた。「常に前方から強い風が吹いてくる。それに向かっていくという信念があって、初めて立っていられる」と最初に言われました。そうなのかなと思ったら、実際そうでした。
参院選惨敗と退陣
――――2007年7月29日に行われた参院選で、自民党は改選64議席に対して37議席しか獲得できず、歴史的な惨敗を喫しました。宇野宗佑内閣の1989年参院選での36議席に次ぐ大敗を、どう総括していますか。
消えた年金問題や、政治家の事務所費の問題がクローズアップされる中で参院選を迎えましたが、序盤は世論調査でも十分に勝てる数字が出ていたのです。しかし、だんだんと厳しくなっていった。
ただ、地方で選挙遊説をすれば、人が集まっているから、それなりに盛り上がるのです。だから、そんなに負けるはずはないとどうしても思ってしまう。結果は、非常に厳しい37議席となってしまった。選挙戦の最中は何とか立て直したいと思っていましたが、かないませんでした。
――参院選後の代議士会では、石破茂元幹事長や中谷元・元防衛相から辞任を迫られました。身内から退陣を求められても、続投しようと思った理由は何ですか。
政権選択の選挙は衆院選ですから、参院選で首相が交代していたのでは、政治が安定しないと思ったのです。野党からではなく、仲間から、しかも多くの議員の面前で辞めるように言われたのは精神的に苦しかった。ですが、この局面ではやり続けなければいけないと考えていました。
日本の首相は、野党ではなく、党内抗争で倒されるのです。第2次内閣の時に英国のテリーザ・メイ首相と、大統領制と議院内閣制の違いについて話したことがあるのです。「大統領は反対党によって倒され、首相は、与党から倒される」。そう話したら、彼女は、その通りだ、と言っていました。彼女自身も、自らが所属する保守党に倒される形となりました。
――参院選後、インド訪問で体調を崩したと言われています。
体調が悪くなったと感じたのは、2007年8月上旬です。8月19日から25日の日程で、インドネシア、インド、マレーシアを訪問し、帰国して2日後の8月27日には内閣改造を行うという非常にタイトなスケジュールになっていました。
訪問先2か国目のインドに行った頃から体調を大きく崩しました。下痢と胃腸障害が酷く、持病の潰瘍性大腸炎を悪化させてしまった。
改造後の9月7日からアジア太平洋経済協力(APEC)のためにシドニーに行き、10日の朝6時に帰国して、公邸で3時間休んだ後、臨時国会初日の所信表明演説を行った。とにかく厳しい日程だったのですね。
他方、臨時国会の焦点は、11月1日で期限切れとなるテロ対策特別措置法の延長でした。テロとの戦いのため、海上自衛隊がインド洋で米軍などに補給活動をしていた。この根拠となるテロ特措法を延長するには、直前の参院選で参院第1党になった民主党の協力が必要だったわけです。だから、職を賭す考えをシドニーでの記者会見で述べ、民主党の小沢一郎代表に党首会談を申し込んだのですが、残念ながら理解を得られなかった。辞任表明は9月12日でしたが、11日の段階で、麻生太郎幹事長には、これは続けられないかもしれない、という話をしていました。
――なぜ病気を隠して辞任を表明したのか。きちんと病状を言えば、投げ出したという批判を招かなかったのではないですか。
当時は国政のトップが肉体的な弱みを見せるべきではないと考えたのです。結果として大変厳しいお叱りをいただきました。
――誰かに相談していましたか。
政治の世界では、辞めるかもしれないという相談をした段階で、辞めることになります。だから相談はしにくかったのですか、支えてくれていた当時の井上義行政務秘書官には話していました。妻の昭恵は、その体調では一目も早く辞めた方がいい、と言っていました。
――8月27日に内閣改造・党役員人事を行い、麻生氏を幹事長に、与謝野馨氏を宮房長官に据えました。
もう一度巻き返そうとしたのです。麻生さんは幹事長を望んでいたし、与謝野さんの起用は、内閣の安定感が増すことを期待しました。お友達内閣と言われていたから、そのイメージを変えるために、ベテランに党と内閣に座ってもらおうと思ったのです。
靖国参拝
――2012年9月の自民党総裁選で勝利した後、第1次内閣で靖国神社を参拝しなかったことを「痛恨の極みだ」と述べていました。そして13年12月26日、首相に返り咲いてちょうど1年後に参拝し、「二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをした」と語りました。8月15日の終戦記念日や、春、秋の靖国神社の例大祭を避けた理由はあったのですか。
総理大臣が、国のために戦い、尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表する。これは国家の基本だと思うし、私の信念ですから。外交的に摩擦を引き起こしても、行くべきだと思いました。本当は、神様が集まってくる春季、秋季の例大祭に参拝すべきですが、この時は、現実の国際政治を考えて最も影響がない時期にしようと考えたのです。それが政権発足から1年後の年末だったというわけです。今井尚哉首相秘書官には、参拝するならば秘書官を辞める、とまで言われました。官邸内は大騒ぎでした。
――中国や韓国だけでなく、米国も「失望」を表明しました。
でも、一度は通らなければならない道だったんですよ。私は、これでやるべきことか果たせたと思いました。総理在任中の二度目の参拝はできない、と思っていました。あの時、中国は私に、二度と行かないことを約束しろ、と水面下で言ってきたのです。私は、絶対に約束はしない、と断ったのです。首脳会談ができないのであれば、できなくていい、と答えました。
――先の大戦で亡くなった人の死を悼む気持ちはみんな持っていますが、1978年に東條英機元首相らA級戦犯が合祀されたため、靖国参拝が問題視されてしまっています。
靖国参拝が、いわゆる戦犯を崇拝する行為だというのは、矮小化した見方に基づいた批判です。そもそもA級、B級、C級という区別は、公式に行われていたわけではありません。極東軍事裁判所で審理された戦争犯罪人を、そう呼ぶようになっただけでしょう。
合祀は、福田赳夫内閣の時代に行われましたが、その後、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の3代にわたって首相が参拝しています。でも、中国はクレームを付けていませんでしたよ。歴史問題を外交カードとして使おうと思ったから、問題提起をしてきたのでしょう。
キーワード網羅した戦後70年談話
――戦後70年談話に向けては、2月に設置した「21世紀構想懇談会」(20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会。座長・西室泰三日本郵政社長)が、計7回の議論の結果をまとめた報告書を8月6日に提出しました。満州事変以降の日本の歩みについて、「大陸への侵略を拡大」して「無謀な戦争」を行ったと位置づけていました。「先の大戦への痛切な反省」も盛り込まれていました。有識者と首相の考えは近かったのですか。
私を支持してくれる保守派の人たちは、常に100点満点を求めてきますが、そんなことは政治の現場では無理なんですよ。だから、ある程度バランスをとるために、21世紀構想懇談会を設置して有識者の意見を聞いたのです。その意味では、政治史に詳しい北岡伸一国際大学長がふさわしいだろうと考えて、座長代理という立場でとりまとめをお願いしました。
70年談話では、まず村山談話の誤りを正すこと。その上で、国民的なコンセンサスや国際的な了解を得られるものを狙おうとしました。
――2015年8月14日、戦後70年の安倍首相談話を閣議決定しました。日本は戦争の加害者という側面の一方で、東京大空襲や原爆で一般人を大量に殺され、敗戦後は占領されました。にもかかわらず、なぜその後何十年も反省やおわびを繰り返さなければならないのか、という考えも、安倍さんにはあったのではないですか。
侵略、おわび、植民地支配、痛切な反省、というキーワードがありましたが、例えば侵略については、日本は過去何度もおわびしてきましたよ。「何回謝らせれば済むんだ」という思いはありました。だから、70年談話では「我が国は(中略)繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」とか「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」という表現にして、私がおわびします、とは言わなかったのです。いろんな書きぶりを戦略的に打ち出したのです。今井尚哉政務秘書官や佐伯君と、連日、七転八倒しながら考えて、こうした表現にしました。
村山談話の間違いは、善悪の基準に立って、日本が犯罪を犯したという前提で謝罪をしていることです。日本という国だけを見て、すみません、ということなのです。では、当時の世界はどうだったのか、という視点がすっぽり抜けている。
70年談話は、日本は国際社会の潮流を見誤ったという、政策的な現状認識の誤りに基づいているのです。ここが決定的に違う。さらに、時間軸を100年前まで戻し、ここから未来に向けてどうしていくか、という視点を入れたのです。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、(中略)もう二度と用いてはならない」や、「植民地支配から永遠に決別」という表現も、世界がそういう決意をしている、日本もそうだ、という書きぶりにしたのです。4月のバンドン会議での演説で、普遍的な考え方を引用する形で過去の過ちに言及しましたよね。国際社会は同じ間違いを犯しました、だから、普遍的な価値を共有していきましょう、と。この引用の仕方を70年談話でも生かしたわけです。
村山談話は、日本だけが植民地支配をしたかのごとく書かれている。戦前は、欧米各国も植民地支配をしていたでしょう。人種差別が当たり前の時代、アフリカで残虐なことをしていた国もある。ベルギーの国王が、残虐行為をしたとしてコンゴ共和国に謝罪したのは、2020年ですよ。日本は過去、繰り返し中国や韓国、東南アジアに謝罪し、政府開発援助(ODA)などを通して実質的に賠償までしてきたでしょう
――今の時代の価値基準で、過去の侵略や植民地支配を断罪するのは無理がある、という考え方ですか。
19年のフランス・ビアリッツでのG7サミットで、ロシアによるクリミア半島の併合問題を議論している時、ある首脳が「クリミアを侵略したという一点をもって、ロシアを非難しなければならない」と言ったのです。これにボリス・ジョンソン英首相は反対しました。ジョンソンは「侵略という言葉を軽々に使わないでほしい。英国は歴史上、今の世界の4分の1の国を侵略したんだ」と言っていました。歴史学者のジョンソンはさすがですよ。
――70年談話にすべてのキーワードが入ったことで、保守派から相当批判されました。
戦後の節目で出す談話は、政治文書であって、歴史ではないのです。だから、戦略的なものだと私の支持者には説明したのですが、「なんだ、安倍晋三は。気骨かないじゃないか」とさんざん怒られましたね。ただ、時か経ち、もう一度談話を読んでみると、いかに練られた文章だったかと分かってくれる学者もいます。リベラルな人は、元々、私に対する期待値が低いから、ここまでやってくれたのか、と当時評価されました。付言すれば、「期待値を上げすぎない」ということは政権運営の要諦だと思っています。
ゴルフ外交と北朝鮮のミサイル発射
――2017年2月に米ワシントンで行われたトランプ米大統領との初の首脳会談では、麻生太郎副総理とマイク・ペンス米副大統領をトップとする経済対話を新設することで合意しました。トランプ氏はそれまで、日本との自動車貿易などを問題視し、為替についても通貨安誘導だと批判していました。どういう想定で会談に臨んだのですか。
トランプは常々、日米の貿易バランスは不均衡だと言い、トヨタの名前を挙げて、円安批判をしていました。環太平洋経済連携協定(TPP)も離脱すると。前年にトランプ・タワーで会った時には、TPPから出ていかないように説得しましたが、これは無理でした。
ホワイトハウスでの首脳会談に臨む作戦としては、日米の貿易交渉を進めるのであれば、ある程度、成熟した関係の中でやった方がいいと判断しました。ペンスは政治家としての経歴が豊富なので、ペンスと麻生副総理に任せようとしたのです。だから私からトランプに、麻生・ペンスの枠組みでやりたいと伝えて、トランプに了解してもらいました。麻生さんを見て、トランプは「タフそうな男だな」と言っていましたね。しかしながら、結果的には、ペンスは交渉相手になることを拒否したのです。通商交渉をどうまとめていいのか。まとめた結果、どういう評価を受けるか分からないと警戒したのでしょう。
気にかけていたのは、首脳会談後の共同記者会見です。記者会見でトランプに、日本は円安に誘導していると言われたり、貿易赤字の問題を持ち出されたりしたら、日米関係か悲惨なことになってしまう。だから、会見場に行く前にオーバル・オフィス(執務室)で2人きりにしてもらって、話したのです。
まず、「特定の企業の名前を挙げて非難するのはやめてくれないか。これは企業にものすごいダメージを与えるし、そうした批判をやめれば、日本企業も米国に投資しようと考えるでしょう」と言いました。また、為替の話もやめてほしいと説得しました。「為替が乱高下すれば、米国径済にもマイナスになる」と言ったのです。
その後、彼は4年間、企業の固有名詞を出して批判することも、為替を持ち出すこともなかった。信頼関係を守ってくれました。
――この会談後に発表した共同声明では、「核及び通常戦力の双方による」と明示して、米国による拡大抑止が盛り込まれました。軍事力を高め続けていた中国を念頭にした日米合意は、日本側の意向が強く反映されたと言えます。
この共同声明は画期的ですよ。拡大抑止については、1968年の佐藤栄作首相とリンドン・ジョンソン米大統領の声明で婉曲的に触れていますが、ここまで明確にしたのは初めてでした。また、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約5条を尖閣諸島にも適用する方針も盛り込まれました。オバマ米大統領はロ頭で約束してくれていましたが、日米首脳間の合意文書に位置づけたのは初めてです。共同声明には、条約と同じような政治的重要性があります。こうしたメッセージを繰り返し出すことが大切です。
――当時、トランプ氏は経済にばかり関心が向いていて、安全保障には興味がなかったのではないですか。
トランプは会談前まで、貿易赤字に強い不満を繰り返し表明していたので、通商に焦点が当たっていましたね。拡大抑止について、トランプは会談で言及しませんでした。確かに関心は薄かったかもしれません。事務レベルの調整段階で日本に寄り添う形になったので、本番の会談でトランプが異論を挟まないか不安がありましたが、大丈夫でした。
――「米国第一」を掲げたトランプ氏は、国際社会から厳しい評価を受けることが多かったが、安倍氏から見たトランプ氏の実像とはどんなものでしたか。
現実問題として、日本が彼の標的になったら、国全体が厳しい状況に陥ってしまいます。トランプは常識を超えています。だからこそまず、話し合える環境をつくることか重要でした。米紙ニューヨーク・タイムズには、「安倍はトランプにおべっかを使ってばかりで情けない」とさんざん叩かれました。だけど、「あなたは立派だ」と口頭で褒めることですべてがうまくいくならばそれに越したことはありません。大上段に構えて「米国の政策は間違っている」と文句を言い、日米関係が厳しくなっても、日本にとって何の利益にもならないでしょう。
森友学園問題が浮上
――2月17日の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却問題が取り上げられました。2016年に森友学園に払い下げられた国有地は、不動産鑑定士が出した土地評価額が9億5600万円でしたが、近畿財務局はゴミの撤去費用として約8億円を値引きし、1億3400万円で契約しました。昭恵夫人が学校予定地を視察し、小学校の名誉校長に就任予定だったことで、首相の関与も疑われました。答弁では「私や妻が(売却に)関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める」とまで述べ、政治生命を賭けた主張でしたが、この答弁が、後に官僚の忖度につながり、決裁文書の改竄を招いた、という受け止めが広がりました。この問題をどう総括していますか。
私は、寵池泰典学園理事長という人物に一度も会ったことがないので、潔白だという自信があったのです。だからああいう答弁になった。昭恵が小学校設立に賛同していたのは事実ですが、そのことがなぜ私の関与に直結するのか。財務省に働きかけなんてするはずがないですよ。私の妻が賛同していることを理由に、財務省が土地代を値下げするはずもない。だから「何を言っているのか」となったのです。
私と麻生さんの地元で、山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ下関北九州道路(第二関門橋)の構想がありますが、何年たっても構想段階から進んでいませんよ。そんな利益誘導、私たちはやらないのです。
国有地の売却価格を値下げした理由は、豊中市の売却予定地にゴミが見つかったことなど様々な理由がありました。背景か根深いのは事実でしょう。
18年に国有地売却の決裁文書の改竄が明らかになりますが、財務省の佐川宣寿理財局長は17年に「政治家の関与は一切ない」「価格を提示したこと、先方からいくらで買いたいと希望かあったこともない」と答弁していました。この答弁と整合性を取るために、財務省が決裁文書を書き換えてしまったのは明らかです。野党から連日追及され、財務省は本来の仕事ができないから、野党を鎮めるために改鼠してしまったわけです。
正直、改竄せずにそのまま決裁文書を公表してくれれば、妻が値引きに関わっていなかったことは明らかだし、私もあらぬ疑いをかけられずに済んだわけです。官僚が安倍に忖度した、というように結論づけられてしまっていますが、財務官僚が私のことなんて気にしていなかったことは、その後、明らかになった文書からもそれは明白です。自分たちの組織を守ることを優先していたのです。
この土地交渉は、財務省近畿財務局と国土交通省大阪航空局のミスです。15年に汚染土やコンクリートが見つかり撤去したのに、16年に新たなゴミが見つかった。ところが、近畿財務局と大阪航空局が打ち合わせをして、学園側には黙っていた。これを知った籠池理事長が怒り、損害賠償を求める構えを見せたので、財務局が慌てて一気に値下げしたわけです。大阪航空局も、いろいろと問題があった土地だから、早く売ってしまえと財務局を急かした。様々なミスにつけ込まれたのです。でも、官僚には無謬性の原則があって、絶対に間違いは犯していない、という立場を取るのですよね。だから後から整合性を取ろうとして、国民の理解できないような行動をとってしまう。
本来なら、国土交通相と財務相が答弁すべきなのだけれど、野党は私の関与を強調したいあまり、本質と外れた質問をずっと繰り返していましたよ。
――3月23日には衆参両院の予算委員会で籠池理事長に対する証人喚問が行われ、昭恵夫人との親密な関係を強調し、安倍さんからとして100万円の寄付を受け取ったと述べました。
理事長は独特な人ですよね。私はお金を渡していませんが、もらったと言い張っていました。その後、息子さんが、私や昭恵との100万円授受を否定しています。この話が虚偽だったことは明確でしょう。理事長は野党に唆されて、つい「もらった」と口走ったんでしょ。理事長夫妻はその後、国や大阪府などの補助金を騙し取ったとして詐欺などの罪に問われました。もう、私と理事長のどちらに問題かあるのかは、明白でしょう。
――それでも首相夫人として昭恵さんが軽率だったという批判は免れられません。
致し方ない面もあるんですよ。昭恵の友人の娘が、森友学園の幼稚園に通っていて、その友人から誘われた話なのです。私か昭恵から森友学園の話を最初に聞いた時は、運営する幼稚園で園児に教育勅語を素読させているし、日本初の神道理念に基づく小学校の建設を目指すというから、なかなかのやり手だなと思ったのです。ところが、小学校名は安倍晋三小学校にしたいという話があったので、それはやり過ぎだと断ったのです。昭恵の名誉校長も実は断っているのです。にもかかわらず、籠池氏側は、その後も勝手に、安倍晋三小学校だ、昭恵が名誉校長だと吹聴していた。私の名前を利用して、寄付を集めようと思ったのでしょう。
安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘
――2018年10月15日の臨時閣議で、消費税率を19年10月1日に8%から10%に引き上げる方針を正式に決めました。中小小売店での買い物でキャッシュレス決済を利用した消費者に、2%の増税分をポイントで還元する制度をつくる方針も示しました。消費増税は二度の延期があり、ようやく社会保障と税の一体改革に盛り込まれた10%への道筋が付いたことになります。財務省との暗闘は、政権の体力を奪いましたか。
消費税率は14年4月に8%、19年10月に10%になったわけですが、10%への引き上げは、二度の延期を経たわけです。最初の増税見送りは、14年11月の衆院選で、二度目の見送りは16年参院選でした。
14年に見送りを決めたのは、8%に増税したことによる景気の冷え込みか酷過ぎたからです。財務省は、8%に引き上げてもすぐに景気は回復する、と説明していたけれど、14年の国内総生産(GDP)は、4~6月期、7~9月期と2四半期連続でマイナス成長でした。財務官僚は、私が増税見送りを表明する直前の11月、私が外遊から帰国する際の政府専用機に、麻生副総理兼財務相に同乗してもらって、私を説得しようとしたわけです。しかしその機内で7~9月期の速報値が判明し、「とてもじゃないが増税できない」と私が麻生さんに説明し、納得してもらったわけです。
この時、財務官僚は、麻生さんによる説得という手段に加えて、谷垣禎一幹事長を担いで安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策したのです。前述しましたが、彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない。谷垣さんは12年に一体改革の合意を決めた当時の総裁だし、「合意を守るべきだ」と谷垣さんに言ってもらおうと。谷垣さんは財務相経験者だし、主張は増税派に近い。けれども、財務省の謀略には乗らなかったのです。政治の不安定化を招くようなことを嫌ったのだと思います。
二度目の増税延期を決める前の15年に、生活必需品などの税率を低くする軽減税率の導入を巡って、財務省はまた策を弄しました。
公明党が14年の衆院選公約で、軽減税率導入を掲げていたので、実現はやむを得ないと判断していたのでしょうが、財務省は軽減額をできるだけ小さくしたかった。与党協議が秋から冬に行われて、公明党は、痛税感の緩和と景気への配慮から「酒類を除く飲食料品」などを対象に軽減額を1兆3000億円に、と主張していたのです。一方、財務省は自民党の財政再建派の議員と組んで、まず4000億円の範囲で対象品目を絞ると掲げ、結局、5000億円を落としどころにして決着させようとしました。
この財務省の手法に、菅義偉官房長官が激怒したのです。そして公明党の主張をおおむね呑んで、1兆円規模に引き上げました。この時も財務省の抵抗はすさまじかった。
官邸内では、14年の財務省の謀略は夏に始まっていたので「夏の陣」、冬に決着した15年の軽減税率を巡る運動を「冬の陣」と呼んで、財務省は怖い、という話をしていました。結局、16年の参院選で二度目の増税見送りを決めるので、軽減税率導入は19年10月からになりましたが。
――田中角栄や竹下登など歴代の首相は、旧大蔵省と良好な関係を築いて政権を運営してきました。首相が大蔵省を使っているのか、大蔵省に使われているのか分かりにくい面もありましたが、安倍内閣は、財務省との関係では異質でした。
小泉内閣も財務省主導の政権でした。消費税は増税しないと公約しましたが、代わりに、歳出カットを大幅に進めることにしたわけです。
私も、第1次内閣の時は、財務官僚の言うことを結構尊重していました。でも、第2次内閣になって、彼らの言う通りにやる必要はないと考えるようになりました。だって、デフレ下における増税は、政策として間違っている。ことさら財務省を悪玉にするつもりはないけれど、彼らは、税収の増減を気にしているだけで、実体経済を考えていません。
財務省は常に霞が関のチャンピオンだったわけです。ところが安倍政権では、経済産業省出身の今井政務秘書官が力を持っていた。財務省にとっては、不愉快だったと思いますよ。
財務省の幹部は、参院のドンと言われた青木幹雄元参院幹事長や、公明党の支持母体である創価学会幹部のもとを頻繁に訪れて、安倍政権の先行きを話し合っていたようです。そして内閣支持率が落ちると、財務官僚は、自分たちが主導する新政権の準備を始めるわけです。「目先の政権維持しか興味がない政治家は愚かだ。やはり国の財政をあずかっている自分たちが、一番偉い」という考え方なのでしょうね。国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです。
でも、考えようによっては、財務省にとって、安倍政権ほど素晴らしい政権はないとも言えます。結局、消費税を二度増税し、経済成長で税収も増やしたわけですから。
――財務省との暗闘が7年9か月の安倍内閣の間中、続いていたということですか。
財務省と、党の財政再建派議員がタッグを組んで、「安倍おろし」を仕掛けることを警戒していたから、増税先送りの判断は、必ず選挙とセットだったのです。そうでなければ、倒されていたかもしれません。
私は密かに疑っているのですが、森友学園の国有地売却問題は、私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない。財務省は当初から森友側との土地取引が深刻な問題だと分かっていたはずなのです。でも、私の元には、土地取引の交渉記録など資料は届けられませんでした。森友問題は、マスコミの報道で初めて知ることが多かったのです。
トランプ大統領、国賓来日
――トランプ米大統領が5月25~28日の日程で国賓として来日した。天皇陛下が即位後、初めて会見する外国元首となりました。トランプ氏に来日してもらうという段取りはいつ頃から考えていたのですか。
2018年秋にニューヨークのトランプ・タワーで2人で食事をした時です。9月21日の私の誕生日をちょっと過ぎたくらいで、トランプがいきなり部屋の電気を落として、ろうそくの立ったケーキを持ってきて、ハッピーバースデーを歌い出したのです。そこで、新しい天皇陛下の最初の国賓としてお迎えしたい、と打診したのです。
――トランプ氏は19年4月、日本を訪問することについて、米プロフットボールNFLの頂点を決めるスーパーボウルを引き合いに出し、「即位はそれより100倍大事な行事だ」と安倍さんから言われて決めたと言っていました。そう言って説得したのですか。
その発言はちょっと大げさです。トランプが「スーパーボウルと比べて、どのくらい大事な行事なのか」と聞いてきたので、「スーパーボウルは毎年やっているでしょう。即位は違います。日本の歴史上、126代の陛下ですよ」と答えたのです。「英国の王室とどちらが長いのか」と聞かれて、「遥かに長い。日本は万世一系、ワンブラッドだ」と言ったら、トランプは驚いたのです。米国にはそういう歴史や伝統がないからでしょう。
――5月27日、東京・元赤坂迎賓館で開かれた日米首脳会談では、貿易協定交渉の成果を8月にまとめる方針で一致しました。貿易協定は、実際はこの年の9月に最終合意し、共同声明に署名しましたが、8月に成果を出すという点は、7月の参院選を意識したからですか。
首脳会談の冒頭、トランプにテレビカメラの前で「8月には非常にいい発表ができるだろう」と言ってもらいました。参院選の前に交渉をまとめるとなると、当然、日本も強硬な姿勢で臨まなくてはならない。それよりは、冷静な形で合意した方がいいと思ったので、トランプに頼んだのです。
首脳会談の時点では、まだ厄介な交渉か残っていました。米国産牛肉の関税率は38.5%でしたが、これを引き下げるにしても、環太平洋経済連携協定(TPP)に参加するカナダやニュージーランドなどと同じ9%の水準にとどめなくてはなりません。割安な商品が増えて消費者は恩恵を受けますが、農業や畜産業への影響も考慮しなければならないですから。また、米国が日本車にかけている関税(乗用車で2.5%)も、追加関税は何とか避けたかった。そういう交渉を控えていたので、トランプも一定の時間がかかることは理解してくれました。
――野党は国会審議で、日米で何かしらの密約を結んでいるのに、参院選への影響を考慮し、隠しているのではないかと疑っていました。
密約を結べるくらいなら楽だったでしょうけど、茂木敏充経済再生相と米通商代表(USTR)のライトハイザーの交渉は、結構なガチンコ勝負になっていました。野党も、密約があるというならせめて何かしらの書類でも示すべきですよ。内容がどうなっているのか、日本はどこまで妥協しているのか、こっちが野党に聞きたいくらいでした。
――首脳会談に先立ち、皇居で天皇、皇后両陛下とトランプ大統領夫妻との会見が行われました。
大統領には何かアドバイスしましたか。
トランプは権威を尊重しますよ。陸軍関連の学校に通っていた影響もあるかもしれない。天皇陛下にお会いする前も、「シンゾウは私と会う時、いつもスーツのボタンをしているけれど、私もした方がいいか」と聞いてきたので、「私の前ではしなくていいから、陛下の前ではボタンをしてくれ」とお願いしました。会見の冒頭では忘れていたみたいだけれど、その後、しっかりボタンを留めていました。
前日の26日は大相撲夏場所の千秋楽を一緒に観戦しました。トランプは表彰状を読み上げて、特注トロフィー(アメリカ合衆国大統領杯)を優勝した朝乃山関に渡しましたが、その直前まで「アサノヤマ・ヒロキ(朝乃山広暉)、レイワ・ワン(令和元年)」という発音を控室で繰り返し練習して、私も驚いたくらいです。
――トランプ氏は、迎賓館で拉致被害者家族会と面会したほか、神奈川県の海上自衛隊横須賀基地で護衛艦「かが」に乗艦しました。安倍さんとのゴルフや炉端焼き店での会食もあり、日米の親密さをアピールしました。
拉致被害者家族会とトランプの面会は、17年に続いて二度目でした。この時は、拉致被害者の有本恵子さんの父親の明弘さんが代表として話をしましたが、話が長くなりました。大統領のお付きの人が、「大統領にも次の日程があるのでそろそろ」と打ち切ろうとしたら、トランプがこの人にとってとても大切なことを話している。最後まで聞こう」と言って、十分に時間を取ったのです。その後、トランプが移動するのですが、有本さんが「私は実はまだ言い足りないんだ」と言う。そこで有本さんからトランプに手紙を書いてもらうことにしたのです。
その後、首脳会談の時にトランプに手紙か渡され、帰国後、トランプは有本さんに直筆で返信を寄越したそうです。「私はあなたのために頑張っている。安倍首相もそうだ。あなたは必ず勝つ」と英語で書かれていたそうです。トランプの誠実さを感じました。
トランプはとにかく型破りでした。大統領専用車ビーストに海外で同乗したのは私か初めてでした。大相撲観戦後、六本木の炉端焼き店に行く時に乗ったのですが、大統領の車列は30台くらいあるので、私と別々の車だと店に到着する時間がずれてしまうのです。だから外務省幹部が米側に、大統領専用車に私を乗せるよう頼んだ。ところが当日の朝、「シークレットサービスが反対している。海外で大統領専用車に外国の首脳が一緒に乗った例はない」と却下されたのです。外務省幹部は「総理からトランプに直接お願いしてみてください」と言う。「え、その調整、俺がやるのかよ」とは思いましたが、昼間、ゴルフ場でトランプに頼んだら、OKと言う。
彼の車で発進すると、歩道にいた大勢の人が手を振ってくれていたのです。トランプがそれを見て、「みんな手を振っているけど、シンゾウに振っているのか? それとも私に振っているのか」と聞いてきたので、「車に星条旗がたなびいているのだから、あなたに振っているんですよ」と答えた。すると嬉しそうにトランプも手を振るわけです。「でも、向こうから車内か見えないだろう」と言って、車内のライトをつけた。すると前に座っていたシークレットサービスが「ダメだ、電気を消して」とたしなめるのです。ビーストは2台で走っていて、どちらに大統領か乗っているか分からないようにしているのですが、その意味がなくなっちゃうというわけです。
するとトランプは「シンゾウ、大丈夫だ。この車は200発の弾丸を同じ場所に撃ち込まれても、貫通しないから」と自慢するのです。それに対して同乗していたメラニア・トランプ夫人が「201発目が来たら、どうするの?」と聞いて、みんなで笑いました。やはり時間を共有するということは、大事なんです。
――いろいろと趣向を凝らしたことに対して、歓待しすぎだという批判も出ました。
でも、あの時は天皇皇后両陛下のお客様という立場ですから、政府かしっかり対応するのは当然でしょう。