アメリカにおけるデモクラシーについて

トクヴィルも習俗の大切さを説いている

アメリカにおけるデモクラシーについて

保守思想家の一人とされるトクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』に触れてみたいと思い本書を手にしました。
西部邁さんのネット番組でもトクヴィルやバークの名が出ていたので、その点でも。
西部さんの話を聴いていて、トクヴィルは、無知な人民によるデモクラシーよりアリストクラシーの方が良いとする立場なのかと思っていましたが、そうでもないように感じました。
結びで「民主政における人民の意思は変わりやすく、その執行者は開明されておらず、その法制は不完全である。これは私も認める。しかし、まもなく、人民の支配と個人の圧制との中間がありえなくなるのが真実ならば、後者に唯々として従うより、むしろ前者に傾くべきではなかろうか」としています。

当然ながら、トクヴィルも習俗に一番の重要性を見出していると思います。
習俗について「習性、意見、慣行、信仰こそ、私のいう習俗でなくて何であろう(それにほかならない)」としたうえで、「合衆国のアメリカ人だけが、すべてのアメリカ大陸の住民の中でデモクラシーを保ちえたのは、とくに習俗によるのである。また、イギリス系アメリカ人のデモクラシーにも種々あって、規律と繁栄という点で多少の差が生じるが、そうさせるのも習俗である」と説いています。
 さらに「習俗の重要なことは普遍的な真理であり、研究と経験とを積めば、絶えずこの真理に帰っていく。習俗は私の思想において中心的地位を占めているように思われる。私は自分のすべての想念が、結局これに帰するのを認める」と書いています。

トクヴィルがイギリス系アメリカ人の偉大さを褒め、結びでは、その人々がロシアと世界を二分して行くだろうと書いています。
第二次大戦後の東西冷戦時代はそのとおりになりましたが、現在では様子が随分変わっています。
ロシアに代わって中国が台頭し、アメリカを追い越そうとしています。積極的に“超限戦”を仕掛けながら。
2020年のアメリカ大統領選でも中国の関与を指摘する人もいました。

結びの終わりの次の文章はロシアを中国に変えると、ある程度現代に当てはまるかもしれません。
 アメリカ人は自然の課した障碍と闘い、ロシア人は人間と争っている。一つは広野と未開と闘い。 他はすべての武器を身につけた文明と闘う。また、アメリカ人の征服は働くものの鍬によって行なわれるか、ロシア人は兵士の剣で征服する。その目的を達するのに、前者は個人利益にもとづき、個人の力と理性とを自由に活動させ、これを統制はしない。後者はすべての権力を、いわば一人に集中する。一つは自由を行為の主要な手段とし、他は隷従をとる。その起点は異なり、とる途は違うが、それでも、おのおの、秘められた天意により、いつの日かその手に世界の半分の運命を握るべく召されているかに見える。


『「アメリカにおけるデモクラシーについて」の構成』にあるように、本書では原初のうち序と第六章~第九章と結びが訳出されています。

 「アメリカにおけるデモクラシーについて トクヴィル(著) 岩永健吉郎(訳)」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

アメリカにおけるデモクラシーについて (中公クラシックス) アレクシ・ド・トクヴィル


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目次

 奇妙なリベラリズム? ―― 無力な個人の生きる術 高山裕二 1

 アメリカにおけるデモクラシーについて 1

 序 3

第二部
 第6章 アメリカの社会が民主政から引き出す真の利点は何か 23
「デモクラシーが支配的なアメリカにおける法制の一般的傾向と、それを適用する人々の本能とについて」23 / 「合衆国における公共の精神について」29 / 「合衆国における権利の観念について」34 / 「合衆国における法に対する尊敬について」38 / 「合衆国の政治全体にあまねく見られる政治活動、それが社会に及ぼす影響」40

 第7章 合衆国における多数(派)の万能と、その諸結果とについて 49
「アメリカにおいて、多数の万能はデモクラシーに本来ある立法と行政との不安定をいかに拡大するか」53 / 「多数の圧制」55 / 「多数の万能がアメリカの公務員の任意裁量に及ぼす影響」59 / 「アメリカにおいて多数が思想に及ぼす影響力について」60 / 「多数の圧制がアメリカ人の国民的性格に及ぼす影響、合衆国における廷臣的(追従の)精神について」65 / 「アメリカ共和政の最大の危険は多数の万能に由来すること」68

 第8章 合衆国において多数の圧制を緩和するものについて 75
「行政的集中(制)の欠如」75 / 「合衆国における法曹的精神について、また、それがいかにデモクラシーの平衡を保つに役立つか」77 / 「政治制度として見た合衆国の陪審について」88

 第9章 合衆国において民主的共和政を維持する傾向をもつ諸要因について 103 「合衆国において民主的共和政の維持に貢献している偶然、天与の原因について」104 / 「合衆国における民主的共和政の維持に及ぼす法制の影響について」117 / 「合衆国における民主的共和政の維持に及ぼす習俗の影響について」118 / 「政治的制度として考察した宗教について、いかにして宗教がアメリカにおいて民主的共和政の維持に強力に奉仕するか」119 / 「信仰が合衆国の政治社会に及ぼす間接の影響」124 / 「アメリカにおいて宗教を強力ならしめる主要な原因について」130 / 「アメリカの人々の文明、慣習、および実地の経験が民主的諸制度の成功にいかに貢献しているか」140 / 「合衆国における民主的共和政の維持に貢献しているのは、自然(の要因)よりも法制であり、さらに法制よりも習俗であるということ」145 / 「アメリカ以外で、法制と習俗とが民主的な諸制度を維持するのに充分であるか」151 / 「前述の所論がヨーロッパとの関連でもつ重要性」155

 結び 165

 略年譜 175  


「アメリカにおけるデモクラシーについて」の構成

 訳出した部分と全体との関連を明らかにするために、原書の目次を掲載したもの。

序(訳出)
第一部
第一章 北アメリカの地勢・風土 / 第二章 起点(ヨーロッパからの移住者の性格)と、イギリス系アメリカ人の将来に対するその重要性とについて / 第三章 イギリス系アメリカ人の社会状態 / 第四章 アメリカにおける人民主権の原理について / 第五章 連邦政府について語る前に、各州で行なわれているところを研究する必要 / 第六章 合衆国における司法権と、政治社会に対するその作用とについて / 第七章 合衆国における政治的裁判について / 第八章 連邦憲法について

第二部
第一章 どうして、合衆国において支配しているのは人民である、と厳密な意味でいえるか / 第二章 合衆国における政党について / 第三章 合衆国における報道の自由について / 第四章 合衆国における政治的結社について / 第五章 アメリカにおける民主政について(選挙、公務員、行政、財政、外交など) / 第六章~第九章(訳出) / 第一〇章 合衆国の領域に住む、三つの人種の現状と、その将来の推移に関する若干の考察 / 結び(訳出)


「合衆国における民主的共和政の維持に貢献しているのは、自然(の要因)よりも法制であり、さらに法制よりも習俗であるということ」

 

 アメリカ(大陸)のすべての人民は民主(平等)的な社会状態にある ―― しかし民主的諸制度はイギリス系アメリカ人の間でしか保たれない ―― 南アメリカのスペイン人は、イギリス系アメリカ人と同様、自然の環境に恵まれているが、民主的共和政を支ええなかった ―― メキシコは合衆国(と同様)の憲法を採用したが、民主的共和政を実現できない ―― 西部のイギリス系アメリカ人は民主的共和政を維持するのに東部の人より苦労する。その差の生じる理由

 合衆国が民主的な諸制度を維持できるのは環境と法制と習俗とによるといわなければならぬ、とすでに述べた。ヨーロッパ人の大半は、この三つの要因のうち第一しか知らず、これに実際より以上の圧倒的な重要性を与えている。
 たしかに、イギリス系アメリカ人は新世界に諸階層の平等をもたらした。彼らの間には平民も貴族も決して見られない。素姓による偏見は、職業からくる偏見と同様、ここではついになかったのである。社会状態は民主(平等)的で、デモクラシーが確立されるのに何の苦労もなかった。しかし、この事実は合衆国に独特では決してない。アメリカ人のほとんどすべての植民地は、すでに互いに平等な人々か、そこに住んで平等となった人々かによって樹立された。新世界で、ヨーロッパの人々がアリストクラシーを創立しえたところは一つもない。けれども、民主的な諸制度は合衆国でしか繁栄しなかった。
 アメリカの連邦には闘うべき敵がなかった。それは、大洋の中の孤島のように、広野の中に孤立する。しかし、自然は南アメリカのスペイン人をも同様に隔離した。そして、彼らが大きな軍隊をもつのを妨げなかった。彼らは、外国人がいないときには、相互に戦った。イギリス系アメリカ人のデモクラシーだけが今日まで平和に維持されえたのである。
 連邦の領土は人間の活動に無限の舞台を提供している。知恵があってはたらけば、汲めども尽きぬ資源がある。そこでは富に対する愛着が(政治的)野心にとってかわり、物的な満足が党派的熱狂を鎮める。しかし、南アメリカほど、地味の豊かな原野、大きな川、手つかずで無限の富のあるところが世界のどこにあるか。それでも、南アメリカはデモクラシーを支ええない。人民が幸福であるためには、宇宙の一隅に位置して無人の地に意のままにひろがりうるというので充分ならば、南アメリカのスペイン人は自分の運命をかこつことはない。合衆国の住民と同様の幸福は享受しなくても、少なくともヨーロッパの諸国民をうらやましがらせもしよう。しかし、地上に南アメリカの諸国民ほど悲惨なものはない
 こうして、自然的原因は南北両アメリカの人々に似かよった結果をもたらしえなかったばかりでなく、南アメリカの諸国において、ヨーロッパの事態に劣らないほどの成果を生み出すことさえできなかった。ヨーロッパでは自然が逆の(恵まれない)方向につくられているのに(このありさま)である。自然的な諸要因は、人が想像するほどには諸国民の運命に影響しない。
 ニューイングランドの人々が、楽な暮らしのできると思われる出生の地を捨て、広野に(産をなす)幸運を求めて出発しようとしているのに、私は出会った。また、その近くで、同じ広野が遠くないのに、カナダのフランス人たちが自分たちに狭すぎる土地に密集しているのを見た。合衆国の移住者が数日の労働の値で広大な土地を手に入れたのに、カナダ人はフランスに住んでいたときのような高い値を土地に支払っていた。
 このように、自然は、新世界の僻遠の地をヨーロッパの人々の手に委ねて、彼らがどう利用してよいかわからぬときさえある(ほどの大きな)財産を提供している。他のアメリカの国民にもイギリス系アメリカ人と同様の繁栄の条件があるが、イギリス系アメリカ人のもつ法制と習俗とが欠けている。それで、他のアメリカの国民はみじめである。イギリス系アメリカ人の法制と習俗とは、その偉大さをもたらす特別の理由であり、私の求める支配的な要因をなしている。
 アメリカの法制が絶対によい、と主張するつもりはない。それがすべての民主(平等)的な人民に適用できるとも信じない。その中には、合衆国においてさえ危険と思われるものがある。しかしながら、アメリカの立法全体をとれば、その支配下にある人民の精神と国土の性格とによく適応していることは否めまい。だから、アメリカの法制はよい。アメリカにおける民主政の成功はこれに帰せられるべきところか大きい。しかし、それが主要な原因であるとは思わない。法制がアメリカ人の社会的福祉に自然の環境より大きな影響をもつように見えても、他方、私には、習俗は(法制より)さらに影響が大きい、と信ずる理由かある。
 連邦の法律が、たしかに、合衆国の立法の最も重要な部分を形成している。メキシコはイギリス系アメリカ人の連邦と同様に恵まれた位置にあり、(連邦法と)同じ法制を備えている。しかも、民主政にはなじめない。だから、自然と法制とによらない理由があって、合衆国に民主政が行なわれうるようにするのである。
 しかし、ここに、なおいちだんと顕著な理由がある。連邦の領土に住むほとんどすべての人が、同じ血統から出ている。そして、同じ言語を話し、同じ仕方で神に祈り、同じ物質的要件に服し、同じ法に従うのである。それでは、彼らの間に見られる差違はどこから生じるのか。連邦の東部において、共和政が強固で、巧みに、そして緩やかに運営されるのはなぜか。そのすべての行動に賢明と持久という性格を与える原因は何か。反対に、西部では、(社会の)諸権能の行使が偶然に委ねられているかに見える。これは何に由来するのか。なぜ、西部に、何かしら無秩序、激情的で熱にうかされ、違い将来は全然わからぬとでもいうような空気が、事態の動きを支配しているのか。
 もはや、イギリス系アメリカ人を異国人と比較しているのではない。いまや彼らを互いに比べて、その相違の理由を求めているのである。ここでは、国土の状態や法制の違いを理由にするすべての議論はいっきょに無力になる。何か他に原因を求めなければならぬ。この原因を習俗より他に見出しえようか。
 東部において、イギリス系アメリカ人は民主政に最も長い経験をもち、その維持を最も好ましいとする習性ができ、そのような思想をいだくようになったのである。そこでは、デモクラシーがしだいに慣行、意見、(行動の)形式に浸透していった。それは法の中にもあらわれるが、社会生活の細部にまで見られる。東部においては、人民の知的教育と実地教育とが最も完璧であり、宗教が自由と最もよく融合している。これらすべての習性、意見、慣行、信仰こそ、私のいう習俗でなくて何であろう(それにほかならない)。
 これに反して、西部では、これらの利点の一部がいまなお欠けている。西部諸州のアメリカ人の多くは森の中に生まれ、父祖の文明に未開生活の観念と風習とを混入した。彼らの間では、感情はより激しやすく、宗教の訓戒はより力弱く、思想はより脆弱である。人々相互の間には何の規制も行なわれない。ほとんど面識がないからである。だから西部諸州の人々は、ある程度まで、生成途上の人民の無経験と常軌を逸した習性とをあらわしている。しかしながら、西部では、社会は旧い諸要素から形成されている。ただ、その組合わせが新しいのである。
 合衆国のアメリカ人だけが、すべてのアメリカ大陸の住民の中でデモクラシーを保ちえたのは、とくに習俗によるのである。また、イギリス系アメリカ人のデモクラシーにも種々あって、規律と繁栄という点で多少の差が生じるが、そうさせるのも習俗である。
 前にも述べたように、ヨーロッパでは、国の地理的な位置が民主的な諸制度の持続に及ぼす影響を過大評価する。また、法を過度に重んじ、習俗を軽視しすぎるこれら三つの要因が、疑いもなく、アメリカのデモクラシーを規制し、指導するのに役立つ。しかし、その貢献の程度を考えるとすれば、自然的要因は法制より劣り、法制は習俗に及ばぬと私はいおう。確信をもっていうが、最も恵まれた状況、最良の法制も、習俗に反して政治の基本構造(憲法)を守ることはできない。一方、習俗は最も不利な位置や最悪の法制をも利用する。習俗の重要なことは普遍的な真理であり、研究と経験とを積めば、絶えずこの真理に帰っていく。習俗は私の思想において中心的地位を占めているように思われる。私は自分のすべての想念が、結局これに帰するのを認める。
 この問題について私のいうべきことは、もう次の一言だけである。もし、アメリカの人々が法を維持していくうえに、その実地の経験、習性および意見、一語でいえば習俗がいかに重要であったかを、この著述のなかで読者に感じさせるに至らなかったら、著者は(自分の設定した)主要な目的を逸したのである。


「前述の所論がヨーロッパとの関連でもつ重要性」

 これまでの考究に手間をかけた理由は、たやすく明らかになる。私の提示した問題は、合衆国にとってのみならず、全世界にとって関心のあるものである。一国民ではなく、全人類が関心をもつ。社会の状態は、民主(平等)的な人民が広野に住むときにしか自由でありえないとすれば、人類の将来の運命に絶望しなければなるまい。人々は急速にデモクラシーに向かって進んでおり、広野には人が満ちていくからである。法制と習俗とでは民主的な諸制度を維持するのに充分でない、ということが真実だとすれば、一人による専制以外に、諸国民にいかなる頼みの綱があろうか。今日、多数の善意の人々がその(専制の)到来を危惧せず、自由であることに疲れて、この嵐から遠ざかって休息したいと思っているのは知っている。しかし、この人々には自分の向かっている港についての知識が乏しい。過去の思い出に気をとられて、絶対の権力をその過去によって判断し、それが今日とりうる様相を見ない。
 絶対の権力がヨーロッパの民主(平等)的な人民のもとで新しく樹立されるようなことになれば、必ずや新しい形態をとり、われわれの父祖の知らなかった性格のもとに姿をあらわす。ヨーロッパのある時代には、法によって、また人民の同意によっても、王にほとんど無制限の権力が付与された。しかし王がそれを使う事態はほとんどなかった。貴族の特権、最高法廷の権威、同業組合の権利、地方団体の特典など、権力の衝撃を緩和して国民の中に抵抗の精神を保ったものについては何もいうまい。これらの政治制度は、しばしば個人の自由には反したが、人々に自由への愛をいだかせる役を果たし、この関連で役に立ったことが明らかである。しかし、それとは別に、思潮と習俗とが王権に対して障壁をめぐらしていた。この障壁は、意識されることは少なかったが、力が弱かったわけではない。宗教、臣民の敬愛、君主の仁慈、栄誉、家の誇り、地方的偏見、風習、世論が、王の権力を制限し、その権威を目に見えぬ環の中に閉じこめていた。この時代には、諸国民の政治構造は専制的で、彼らの習俗は自由であった。君主は全能の権利をもっていたが、それを行使する力も欲もなかった。
 かつての圧制防止の障壁は、今日どんな状態にあるか。宗教は人の魂を支配する力を失ってしまい、善悪を区別していた最も明白な境界標が打ち倒された。道徳の世界では、すべてが疑わしく不確実に見え、王も人民もあてどなくさまよい、専制におのずとある限度、放恣の限界がどこにあるかを誰もいえないようである。長期にわたる変革が、国家の元首を取り巻いていた尊敬を破壊してしまった。公衆の敬意をうけるという重荷から解放されて、君主はそれ以後、恐れるところなく権力への陶酔に身を委ねた。
 王は、人民の心が自分のほうにひかれてくるのを見ると、寛大になる。自分が強いと感じるからである。また、臣民の(もつ)愛情を養い育てる。それこそ王座の支柱だからである。こうして、君主と人民との間に感情の交流が生じる。その柔和なさまは、家庭の内部(の睦まじさ)が社会に及んだような思いをさせる。臣民は主権者に対し(不平を)声をひそめてつぶやき、彼を不快にするのを遺憾に思う。主権者のほうは臣民を軽く叩いてたしなめ、あたかも父がその子にするかのようである。
 しかし、ひとたび王室の権威が革命の騒がしさの中に消え去り、また、王が相次いで王座について、人民の前に(支配の)権利の薄弱さと(支配の)事実の苛酷さとを次々と暴露すると、もはや誰も主権者を国の父とは見ず、(人民は)おのおのこれを(力による)支配者と認める。彼が無力ならば軽んじられ、強力なら憎まれる。主権者自身、怒りと恐れとでいっぱいになる。自分を自国の中の異邦人と見、臣民を被征服者として遇する。
 地方と都会とが、同じ国の中にありながら、それぞれに異なった国民を形づくって(対立して)いた事態では、おのおのが独立の精神をもち、それが隷従の精神一般に対抗していた。しかし、今日では一国のすべての部分が、その自主権、慣行、先入見、そして思い出と名前とまでを失ってしまい、同一の法に従うのになれている。こうなると、それを一括して圧迫するのも個別に制圧するのも同じで、困難はない。
 貴族に権力があった間はもとより、その権力が失われたあとも長く、貴族の名誉にもとづく個人の抵抗には特別の力があった。その時代には、無力であるにもかかわらず、なお、個人の価値を尊重し公権力の企図にあえて独り抵抗する人々が見られた。しかし、今日、すべての階層が融合してしまい、また、個人はますます群衆の中に埋没して、容易に自己を失い、おしなべて無名の人になる。今日、君主の栄誉は影響力をほとんど失って、しかもそれに代わる徳がないので、人間に自己を超越させるものはない。この時に当たって、権力の要求には際限がなく、(人民の)無気力もとどまるところを知るまい。
 家族の精神がつづくかぎり、圧制に対して闘っていた人々は決して孤立していなかった。彼の周囲には、庇護を求めるもの、代々の友人、近親がいた。この支えを欠いても、祖先に支えられ、子孫に激励されていると思っていた。しかし、家産が分割され、数年のうちに氏族の混合が行なわれると、家族の精神はいずこにあろう(風習も無力化している)。国民は面貌を一新し、さらにそれを絶えず変える。そして、すべての圧制の行為にすでに先例があり、どんな犯罪にも手本がある。そこには旧くてこわすのが恐ろしいようなものは何も見当たらず、新奇であえて行ないえないほどのことも考えられない。そんなところで風習に何の力があるか。すでに幾度も屈従を経験した習俗に、どのような抵抗ができるか(できまい)。(世論もまた無力である。)共通の絆で結ばれるものが二十人もなく、ある意見を代表し発動させる個人も、家族、団体、階級、自由な結社も見当たらないとき、世論といっても、それで何ができるか。各市民は一様に無力、貧困、孤独であり、この個人の弱さしか政府の組織された力に対抗させえないという事態では何ができよう(まさに無力だ)。
 われわれのところ(フランス)で、そのときに起こりうる事態に類似したものを考えてみるのに、われわれの年代史に頼るべきではない。おそらく、古代の遺蹟をたずね、ローマの専制の恐るべき世紀を参考としなければならないであろう。その時代には、習俗は退廃し、過去の思い出は消え、習慣は破壊され、意見は動揺して、法の中から追われた自由は、もはやどこに避難の場所を見出しうるかわからなかった。市民にはもはや何の保障も与えられず、また市民も自分の力で身を守りえないので、人々は人間性をなぶりものにし、君主は、臣民ががまんならなくなる前に、天のご慈悲の限りが来(て滅び)るような、ひどいありさまであった。アンリ四世やルイ十四世の(輝かしい)君主制の再現を考える人々は、事態に全く盲目なのだと思われる。私としては、ヨーロッパの諸国民の状態を考察し、そのいくつかがすでに到達している状況、他のすべてが示す傾向を見ると、まもなくヨーロッパにも、民主的な自由の体制か、ローマ皇帝の圧制かしかあるまいと信じたくなる。
 このようなことは考察に値しないか。人々が実際、すべての人を自由にするか、奴隷にするか、すべての人を権利において平等にするか、すべてから権利を剥奪するかの分かれ目に達するとしよう。またかりに、(社会の)支配者が、民衆をしだいに自己の位置まで引き上げるか、すべての市民を人間の水準以下に落とすかのうち一つをえらぶ立場に追いこまれたとしよう。そんな場合、多くの疑念を克服し、多くの良心を鎮め、進んで大きな犠牲を払わせるのに、これで充分ではないであろうか。
 そこで、民主的な制度と(それにふさわしい)習俗とを徐々に発展させることを、自由でありうる最善の方法としてではなく、唯一の方法として考察する必要はなかろうか。民主政を好まないとしても、現代社会の害悪に対して最も適用が可能で率直な匡正策として、これを採用する気にはならないであろうか。
 人民を政治に参与させるのはむずかしい。人民にその経験を与えて、よい政治を行なうのに必要な感覚を補充するのは、さらに難事である。民主政における人民の意思は変わりやすく、その執行者は開明されておらず、その法制は不完全である。これは私も認める。しかし、まもなく、人民の支配と個人の圧制との中間がありえなくなるのが真実ならば、後者に唯々として従うより、むしろ前者に傾くべきではなかろうか。そして、終局的には完全な平等に至らなければならないとしたら、自由によって平等となるほうが独裁者によるより望ましくはなかろうか。
 この書物を読んだのち、私がこれを書いて、イギリス系アメリカ人の法制と習俗とを民主(平等)的な社会状態にあるすべての人民にまねるように提議したかったのだと判断する人たちがあったら、その人々は大きな誤りをおかすことになろう。それは思想の実質を捨てて、形式に執着するものである。私の目的は、アメリカの例によって、法制、そして、とりわけ習俗が民主(平等)的な人民を自由のうちに存続させたという事態を示すにあった。なお、アメリカのデモクラシーの手本に従って、その目的の達成に奉仕した手段を模倣すべきである、と信じてはいない。国土の状態が及ぼす影響と憲法に先行する諸事実とを私は少しも閑却しないし、また、自由はどこにおいても同じ表現をとるとするなら、それは人類の大きな不幸と見るからである。
 しかし、われわれの間(フランス)において、民主的な諸制度が徐々に導入され、ついにはそれが築きあげられるという途をとらず、また、すべての市民に、まず自由の到来に備えさせてからその行使を許す、という観念と感覚とを与えるのが拒まれるならば、平民にも貴族にも、貧者にも富者にも、誰にも独立はなく、すべての人のうえに平等に圧制が訪れるであろう。もしわれわれの間に最大多数の平和な支配体制を時をたがえず建設することに失敗すれば、早晩、個人の無制約な権力が樹立されることになるであろう。


結び

 いまや終わりに近づいた。これまで、合衆国の命運について語るに当たって、努めて論題を種々の部門に分け、それぞれをいっそう周到に研究するようにしてきた。今度は、ただ一つの観点からすべてを総合したい。以下の所論は細部にはわたりえないが、確度の高いものとなろう。それぞれの対象をきわ立たせる点では弱いかもしれぬが、いっそうの確信をもって一般化が行なわれるであろう。あたかも、旅行者が大都市の城壁から出て、近くの丘に登ったのに似ている。遠ざかるに従って、いま別れてきた人々は見えなくなり、その住居も判別できなくなる。もはや市の広場も見えず、町並みだけが辛うじて見分けられる。しかし、市の概観は得やすくなり、はじめて、その形をつかむ。これと同様、新世界におけるイギリス人の全将来が、いまや私の前に見出されるように思われる。この大きな絵は細部が明瞭でないが、観察は全体をおおい、私は全体について一つの明確な観念をもっている。
 今日アメリカ合衆国が領有している地域は、地球上で人間が住む部分の二十分の一に当たる。この地域が広大であるとはいえ、イギリス系アメリカ人がいつまでもその中にとどまっていると考えてはならぬ。すでにそれをはるかに越えてひろがっている。われわれ(フランス人)もアメリカの広野に偉大なフランス人の国家(植民地)を創り、イギリス人と新世界の運命を分かちもった時期がある。フランスは、かつて北アメリカにヨーロッパ全体とほとんど等しい広大な領土をもっていた。そのとき、この大陸の三大河川の流域が、すべてフランスの法の支配下にあった。セソト・ローレンス川の河口からミスシッピー河ロデルタにわたって住んでいたインディアンの諸部族は、フランス語しか聞かなかった。この広大な地域に散在したヨーロッパ(の国)の植民地は母国を追憶させた。ルイブール、モンモランシー、デュケーヌ、サソ=ルイ、ヴァンサンヌ、ヌーヴェル=オルレアン、すべてフランスにとって親しい、聞きなれた名称であった。
 数え上げられないほど種々の事情が競合して、このすばらしい遺産が奪われた。フランス人が少なく、植民地経営のまずかったところからはみな、フランス人が消え去った。残りは狭い地域に集合し、他の法の支配下に移った。低部カナダの40万のフランス人は、今日、新しい国民の波の間に呑まれてしまい、先住の民の残骸のようになっている。彼らのまわりには異国人が絶えず増し、すべての方向にひろがっていく。昔その地の主人であった階層にまで浸透し、その町を支配し、その言葉をも汚してしまう。この人々は合衆国の住民と同一である。まさしく、イギリス人は連邦の域内にとどまらず、それを越えてはるかに北東(新しい英訳には北西とある)に進む、といってよい。
 北西には、何の重要性もないロシアの植民地がいくつかあるにすぎないが、南西にはメキシコがあって、イギリス系アメリカ人の進出に対して障壁となっている。こうして、真実のところ、今日の新世界には、これを相分かって対立する二民族、スペイン人とイギリス人とがあるのみである。この二民族を分かつ境界は条約によって定められている。しかし、この条約がイギリス系アメリカ人にいかに有利であろうと、やがて必ずや、彼らはそれをおかすことになるであろう。合衆国の辺境のかなた、メキシコの側に、いまだ無人の広大な地方がある。合衆国の人々は、このさびしい場所に、そこを占める権利をもつ人々より前に侵入していくであろう。そして土地をわがものとし、社会をつくり、正統の所有者があらわれたときには、荒野は沃土と化し、異国人が静穏に所有者の継ぐべき土地に定着しているのを見るであろう。
 新世界の土地は、最初に占有したものの手に帰し、その支配は、競争に勝ったものに対する賞品である。すでに人のはいった土地さえ、侵犯から守るのに苦労しなければなるまい。何がテキサス地方で起こっているかを前に述べた。毎日、合衆国の住民が少しずつテキサスに進入し、土地を得、すべて国法に従って、その言葉と習俗とを行きわたらせている。テキサス地方は、いまだメキシコの支配下にあるが、やがてメキシコ人は一人もいないといってもよい状態になるであろう。類似のことは各所に起こっており、イギリス系アメリカ人が他の人種と接触するところではどこでもすべてそうなる。
 イギリス人が新世界の他のすべてのヨーロッパ人に対し、きわめて優越的な地位を獲得したという事実を認めないわけにはいかない。文明においても、産業においても、勢力においても、非常にまさっている。その前に広野か人跡のまれな土地があれば、途上に大勢の人間が道をふさいでいて通れないのでないかぎり、イギリス人は絶えずひろがっていくであろう。条約で引かれた線でとまらずに、架空の関を越えて諸方にあふれ出るであろう。
 新世界におけるイギリス人の発展を驚くべく容易にするのは、その占める地理的位置である。北の国境を越えてさらに北に向かうと、北極の氷原に出会い、南の国境から数度下れば、赤道の暑熱(地帯)にはいる。アメリカのイギリス人は、大陸で最も気候のよい、住むのに最適の地帯に位置している。
 合衆国の人口が増加し大きな運動を始めたのは、独立以後にすぎないと考える人があるが、これは誤りである。植民地体制の下でも、現在と同様に、人口は急激に増加し、ほぼ22年ごとに倍加していったほどである。しかし、当時は千人台の住民が問題であったが、いまでは百万人台が問題になる。この事実は一世紀前には注目されもしなかったが、今日すべての人の注意をひいている。
 カナダのイギリス人は王に服従するが、これもその数を増し、合衆国の共和政の下に生きるイギリス人にほとんど劣らず、急速にひろがっている。独立戦争の8年間も人口は前掲の比率で増加していった。当時、西部の辺境に先住民の大部族があってイギリス人と連携していたけれども、西方への移住の運動は、かつて緩慢になったことはなかったといえよう。大西洋岸を敵が荒らしていた間に、ケンタッキー、ペンシルヴェニアの西部、ヴァーモント州およびメイン州には住民が満ちた。戦争につづいた混乱も、人口の増加を少しも妨げなかったし、荒野の中の漸進を止めなかった。かくして、法制の相違、平時と戦時、秩序と無秩序とにほとんどかかわりなく、イギリス系アメリカ人の累次の発展が行なわれた。これは容易に理解できる。これほど大きな領域のすべての地点に、同時に影響を感じさせるほどの一般的な理由というものはありえないのである。こうして、常に国の大きな部分が他の部分を襲う災厄から安んじて避難できる場所となり、損害がいかに大きくても、提供される補償のほうがさらに大きい。だから、新世界のイギリス人の飛躍を止めることが可能だと信じてはならぬ。この大陸に戦争を招いて、連邦が解体する場合、専制が導入されて、共和政が廃止される場合には、その発展をおくらせえようが、その天命がついには達成されることを妨げるのは不可能である。地上の権力で、移住者を肥沃な広野から締め出しうるものはない。広野はどこでも働き手を待っており、あらゆる困苦から逃れる場所を提供している。将来どのような事態が起ころうと、この気候、内陸湖、大河、沃土がアメリカの人々から奪われることはないであろう。悪法、革命、無政府状態によっても、彼らの間からしあわせの味、そして、この民族の特性と思われる敢為の精神を破壊することも、彼らを照らす文明の光を全く消し去ることもできないであろう。
 こうして、不確定な将来のうちに、少なくとも確かなことが一つある。ここでは国民(という有機体)の生命を問題にしているから(時間の単位が長い。その単位で考えれば)わりあい近い時期に、イギリス系アメリカ人は、彼らだけで北極の氷原と熱帯との間の広大な空間をおおうであろう。大西洋の砂浜から南の海辺までひろがるであろう。イギリス系アメリカ人の人種がひろがっていく地域は、ヨーロッパの四分の三に等しくなると思う。連邦の気候は、全体として、ヨーロッパよりよく、天然の利に多く恵まれている点では同等である。人口の比率も、その時には、われわれと明らかに均衡するにちかいない。ヨーロッパは数多くの国民に分かれ、たえず起こり来たる戦争と中世の暗黒とを経て、今日1平方マイル410人の密度をもつに至っている。合衆国がこの密度に達するのを妨げうるいかなる強力な要因があろうか。
 幾世紀もたてば、アメリカのイギリス人の子孫が種々に分かれて、共通の相貌を示さなくなるであろう。しかし、新世界に諸階層の恒久的な不平等が樹立される時期を予見することはできない。平和か戦争か、自由か圧制か、繁栄か貧困かによって、イギリス系アメリカ人という大家族の種々の末裔の運命にいかなる相違が生じようと、少なくとも、現在に似た社会状態が維持され、そこから流れ出る慣行と理念とを共有するであろう。
 宗教という絆だけで、中世においてヨーロッパにいた諸種族を同一の文明に結び合わせるに足りた。新世界のイギリス人はその他に数多くの紐帯をもっており、すべての人が人間の平等を求める世紀に生きている。中世は分裂の時代であった。各国民、各地方、各都市、各家族は強く個別化する傾向にあった。今日、反対の動きが感じられ、諸国民は統一に向かって進むように見える。知的な紐帯は最も遠隔の地方をも結ぶ。人々は、一日たりとも、お互いが見ず知らずではありえないし、世界のどんな片隅に起こる事件をも知らずにはいられない。また、今日、ヨーロッパの人々と新世界にいる彼らの子孫との間には、たとえ大洋によって隔てられていようとも、川でしか隔てられていなかった18世紀の都市の間(の相違)よりも差が見られない。この同化の運動が国を異にする人々を近づけるとすれば、まして同じ国民の末裔がお互いに見ず知らずになることがあろうか。
 ゆえに、北アメリカの人口が1億5千万人を数える日が来、そのすべてが相互に平等で、同一の家族に属するごとく、起点を同じくし、同一の文明、言語、宗教、慣習、習俗をもっているという状態か現出するであろう。また、そのとき思想は同一の形式で流布し、同一の色彩にいろどられるであろう。他のことはすべて疑わしいとしても、これだけは確実である。そして、これこそ世界の全く新しい事実である。想像をいかにはたらかせても、その意義を把握することはできないであろう。
 今日、地(球)上に二大国民があり、出発点を異にしながら、同一の目的に向かって進んでいる。それはロシア人とイギリス系アメリカ人とである。二国民とも知らぬ間に大きくなった。人々の眼がよそにひかれている間に、突如として諸国民の頂きに位し、世界がその生誕と強大さとを知ったのは、ほとんど同時であった。
 他のすべての国民は、自然の定めた限界にほとんど到達し、もはや現状を維持するほかないと見えるが、この両者は成長の途上にある。他のすべては成長がとまるか、力をふりしぼってしか前進できないのに、彼らだけがやすやすと、しかも急速に、その途を進む。この途の限界は誰の眼にもいまだわからないであろう。
 アメリカ人は自然の課した障碍と闘い、ロシア人は人間と争っている。一つは広野と未開と闘い。 他はすべての武器を身につけた文明と闘う。また、アメリカ人の征服は働くものの鍬によって行なわれるか、ロシア人は兵士の剣で征服する。その目的を達するのに、前者は個人利益にもとづき、個人の力と理性とを自由に活動させ、これを統制はしない。後者はすべての権力を、いわば一人に集中する。一つは自由を行為の主要な手段とし、他は隷従をとる。その起点は異なり、とる途は違うが、それでも、おのおの、秘められた天意により、いつの日かその手に世界の半分の運命を握るべく召されているかに見える。


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