目次
はじめに 3
第一章 朝日の正しい読み方教えます
米国は「原爆で日本人虐殺」を誇りに思っている 19 / 朝日に載る「権威」はここまでウソだらけ 23 / 米国が自在に憲法改正できる理由 27 / イランが憧れる日本の「強さ」とは 31 / 朝日が絡む学者はロクなもんじゃない 35 / 白人による「日本は残虐」はバカの一つ覚え 40 / 沖縄はなぜ“あの国”に似るのか 44 / 海外生活をハナにかける特派員のデタラメ 48 / やっぱり朝日の社説は奥が深い 52 / 新聞が「投書欄」を巧みに使っているのを御存知? 56
第二章 本当にズルい国を見分けるために
「8月9日」を米国人はどう思っているか? 63 / 安倍談話に噛みつく輩の本音 67 / 「日支もし戦わば」を朝日が解釈すると…… 71 / 真珠湾を飛んで初めて分かったこと 75 / 日本ほど難民対策に心を砕いた国はない 79 / 朝日は天にも見放されている? 83 / ハリウッドが作る「侮日映画」のあさましさ 87 / 自国の黒人兵を皆殺しにした米国の大罪 91 / “あの国”でまともな商売ができると思うな 95 / 英国の狡さをもう少し認識しませんか 99
第三章 朝日が書かない本当の歴史
京都に原爆が落ちなかった本当の理由 105 / 今こそ真珠湾攻撃から学ぶこと 109 / フランスがISの標的になった真相 113 / アジアで期待が集まる日本の“海軍力” 117 / 「日本はダメになった」と言っているのは日本人だけ 121 / そのユダヤ人は恩を仇で返した 125 / 朝日が捻じ曲げた中越関係の真実 129 / これがフィリピンと日本の「正しい関係」 133 / だから朝日を読むのが止められない 137 / イランとイエスの歪んだ関係 41
第四章 お隣の国も相変わらずで……
日本人にあって韓国人に絶対ないもの 147 / 裁判所が認めた「米国の権威は他国の主権を超える」 151 / 切り取った耳で首輪を作る米国人 155 / 羽田空港に意外な使い道が…… 159 / キリスト教徒はどうして意地悪なのか 163 / 「支那」と言って何か悪い! 167 / 「海外留学」で学ぶことは泥棒 171 / マッカーサーの威厳が濡れた 175 / 今の支那は明に似ている 178
第五章 とかくこの世は嘘ばかり
フジモリ娘が大統領になれなかったのは 185 / 聞いた話だけで記事を書くとこうなる 189 / 今こそ零戦の素晴らしさを世界に伝えよう 193 / EU脱退だけじゃない英国の悩み 197 / テレビでエラそうな奴ほど実態は狡い 201 / 舛添が墓穴を掘った朝日の「発案」 205 / 白人は風呂ぐらい入れ! 209 / ならず者が世界遺産を申請する「華僑虐殺」 213 / 「進化論」は白人の自己正当化のためにある 217 / ヒロシマの想いを邪魔している意外な人物 221
解説 藤岡信勝
はじめに
実を言うと新聞記者時代、朝日新聞の記者に取材され、総合面トップの記事で叩かれたことがある。しかも実名で。
思い出したくもない話を思い出すと、入社10年目ごろだったか。全日空のベテラン機長を取材していて話がたまたま全日空機東京湾事故に触れた。
昭和41年2月4日、千歳発のボーイング727型機は木更津上空を午後7時過ぎに通過して羽田に進人中に墜落した。最後の交信から30秒後だった。
状況から操縦士の高度の読み違いと見られたが、途中から変にこじれ出した。東大の山名正夫が怪しげな機体欠陥説を持ち出し、それに朝日新聞が乗った。
あの新聞は思い込んだら一途だ。原発と同じ。やめちまえ。それ以外は許さん。このときもひたすら機体欠陥で押した。乗客の一人が普段はしないロザリオを首にかけていた。それが機体欠陥説の証拠にされた。欠陥があって機が落ちていく。最期を悟ってロザリオを取り出したと柳田邦男が書いて賞までもらった。操縦ミスで決まりかけた事故原因はそのあおりで「不明」にされてしまった。
ベテラン機長はその事故の背景を語った。腕に自信のある操縦士は計器飛行をキャンセルして有視界飛行で早駆けするのを楽しんでいた。「昔の飛行機なら乗員の腕で操れた。今は違う。高性能化した飛行機を操ろうなんて不遜だ」と。乗員の思い上がりをたしなめる言葉は操縦ミスを示唆していた。
事故から10年経っていた。ある雑誌に機体欠陥説は集団妄想だと書いた。新聞まで思い込んじゃあお終いだと。ついでに機長の謙虚な思いも紹介した。
それで朝日の記者が来た。最初からこう言わせたいという思いが質問の端々に窺えた。一体、どういう趣旨かを尋ねた。その数日後の朝日の紙面に答えが載った。平たく言えば「朝日と違う主張は許さない」ということだった。逆らうやつは紙面を使って叩く。
腹が立ったが、世の中面白いもので朝日新聞の記事にモノ申す機会がやってきた。
朝刊デスクのとき、社会部遊軍の石川水穂が原稿を持ってきた。少し前の朝日の一面に出た「これが毒ガス作戦だ」の記事も写真もいんちきだという。記事では「南昌で毒ガスを使った」とあるが、正しくは洞庭湖近くの「新牆河(しんしょうが)」で、写真に十数条、立ち上っているのは毒ガスでなく「煙幕」。例によって朝日が嘘っぱちでまた日本軍を中傷しているという。
朝日と違って石川記者は裏取りも証拠資料もきっちり取りそろえていた。
当時、他社の記事の批判はタブーとされたが、この「嘘の自虐ネタ」は悪質が過ぎる。で、社会面トップで派手にやった。朝日が一面で嘘を書いたと。誓って報復とか私怨とかではなかったつもりだ。
翌朝、仮眠室で気分よく寝ていたら「朝日新聞の部長」からの電話が取りつがれた。電話口から怒声が飛び出した。あのインチキ記事の出稿責任者、佐竹昭美学芸部長だった。「そっちに行く。編集局長なり、責任者に伝えておけ」と来意を伝えてきた。
他社の社会部に殴り込みとはいい度胸だ。みんなで袋叩きにしますかと編集局長に伝えると、残念だな。用事がある、応接は局次長に頼んでくれ。
いつも暇な局次長に事の次第を伝えると二人ともアポイントがあった。社会部長でいいだろう。その社会部長も急な用事で出かけてしまった。
結局、一人で佐竹部長を迎えた。彼は記事も写真もインチキと報じられてホントに逆上していた。来客用のソファに座ると「どういう了見か」と叱責口調できた。「毒ガスは天に上らない」と答えた。佐竹部長は青筋を浮かべた。「産経風情が朝日に盾突く気か」「いや、そちらと違って事実を大切にしたいだけで」「なんだと。謝らない気か。いい度胸だ」「有難うございます」「褒めたんじゃねえ」
最後の文句は「産経など潰してやる」で、席を蹴立てて帰って行った。気がついたら若い記者たちが遠巻きにこっちを見ていた。
この一件で朝日新聞が内情はともかくとして新聞界に隠然たる力をもっているのを初めて知った。編集局長や社会部長も朝日とはコトを構えたくないと思っている。だから逃げた。佐竹部長もよその新聞社に一人で殴り込んでいける、朝日はそれほど偉大だったらしい。それを不覚にも自分だけが知らなかった。
そう言えば60年安保のとき、樺美智子が死んだ。一挙に革命ムードに突入したとき朝日の笠信太郎が在京新聞社を集めて同じ文面の社説を全社に載せさせた。「暴カデモはやめろ」と鎮静化を呼び掛けたものだ。他社の社説も牛耳る。それはどの威光があった。
しかしその威光もこの毒ガス騒ぎでひびが入ったと思う。朝日が数日後、誤りを認めて訂正を出した。佐竹部長があれだけ豪語したのに産経新聞も潰せなかった。
各紙はそれを見て、もしかしたら朝日新聞は単に新聞界の裸の王様だったのではと思い始めた。名文家、記者の鑑と言われた荒垣秀雄が女のスカートをめくって警察の世話になったとかの風説が流れたのもこのころだった。
追い打ちをかけたのが朝日自作自演の珊瑚落書き「KY」事件だった。裸の王様、一柳東一郎のクビがとんだ。朝日の過去が掘り返され、本多勝一から吉田清治まで暴かれていった。
自分の体験で言うと朝日の正体は一つに裏付けのない傲慢、もう一つが知的障害になるか。自虐ものがいいと言われたらもう猿のなんとかみたいに後先考えずに擦り切れるまで自虐ものに耽る。慰安婦の嘘、毒ガスの嘘がその典型だろう。慰安婦像が世界に広まって「えっ、僕の責任?」ときょとんとする。
日本の恥部がどう振る舞っているか、本編で理解を深めてもらえれば幸いだ。
二〇一六年 夏
高山正之
沖縄はなぜ“あの国”に似るのか
支那を囲む国々は気が向くと万里の長城を越えて支那を蹂躙しにいった。
匈奴は漢を脅して食糧を貢がせ、ついでに四大美女の一人、王昭君も得た。
鮮卑は中原を制して唐王朝を建てた。チベットこと吐蕃はその唐の都、長安を攻め落として荒らした。
モンゴルが征服にきて、暫く後に満州族も侵略してきて支那人を奴隷支配した。
支那人に言わせれば日本も彼らを文化的に支配したらしい。彼らの憲法に遣う言葉の75パーセントは日本がつくったものだからだ。
そういう周辺の「四夷八蛮」がそれぞれに支那を支配した経験を持つのに、一番近い「我が朝鮮だけは中原を支配できなかった。何と情けない国か」と朝鮮人儒学者の林白湖は嘆いた。
理由はある。朝鮮が歴史に顔を出した途端、日本や支那に支配され続けた。
並みの国は戦争して奴隷を得るが、朝鮮は勝ったためしがないから自国民を奴隷にした。結果、世にも不思議な「自給自足的奴隷国家ができた」(黄文雄)。
奴隷は人口の40パーセントを占める。女も奴隷と似たような境遇で、日帝支配まで彼女たちは名も与えられず、男児を産むと両の乳房を露出する奇習に生きてきた。
資源も人材もない「見捨てられた国」の評判はあまりよくなかった。「民は無能で見栄っ張りで、努力を嫌う」(ゴンチャロフ)。だから山野は荒れるがまま。この国をさらに貧しくした。
「自らを改革する能力に欠けて」(イザペラ・バード)いるくせに気位だけは高く、妬みは世界で一番強いときている。
格下の日本から独立を促されると支那に擦り寄って日清戦争の原因を作った。
日本が勝って、朝鮮を独立させると、今度はロシアを呼び込んだ。嫉妬に加え、この国の生来の腰巾着根性が地域の不安定化を促し続けた。
それで日本はロシアとも戦う羽目に陥った。
セオドア・ルーズペルトは太平洋を挟んだ日本について、「深刻な脅威と感じる」とアルフレッド・マハンに書き送っている。
その日本が日本海海戦でロシアに大勝するのを見て、彼は1週間後に日露の講和を仕切ると言い出した。
彼は「脅威の日本」がこれ以上強くならないようロシアから一銭の賠償金も寸土の割譲もないポーツマス条約を押し付けた。
彼は「朝鮮を日本に押し付ける」(C・ショー『朝鮮独立を破壊した外圧』)ことも思いついた。
厄介な国を背負い込ませれば日本は困惑し、疲弊するだろう。事実もその通りになった。国家予算の2割をつぎ込んで近代化してやったのに感謝するどころか、逆に「千年の恨み」を口にし、今も日本人の神経を逆なでし続ける。
沖縄は朝鮮に似る。かつての琉球王朝は北朝鮮と同じで、共産主義独裁を敷き、民を苦しめ、農地を荒廃させた。
見かねた島津藩が介入し、悪政を廃し、民は喜んだ。
明治維新後、鍋島公が県知事で赴任すると、琉球王は清に救援を乞い、英国にも直訴した。朝鮮併合のあと、ハーグ万国平和会議に直訴した李氏朝鮮と同じことをその30年前にやっていた。
先の戦争で米軍は沖縄を太平洋戦略拠点として総力を挙げて占領した。アマーコストはその重要性を「宝石」に替えた。
日本は懸命に守った。特攻を繰り出し、戦艦大和も出した。それでも「捨石にされた」と恨み言をいう。被害者意識は朝鮮の言う「七奪」より酷い。
第3代の沖縄高等弁務官ポール・キャラウェーは沖縄を「日本も羨む高所得地域にする」と金融を支援し、医療環境も改善した。
しかし支援した沖縄の銀行が選んだ融資先は身内や地元の顔役だけ。いい医薬品は日本本土にみな横流しした。
米国の善意は特権と腐敗しか生み出さなかった。
無能で見栄っ張りで努力もしない。そのくせ□では自治拡大を叫ぶ。キャラウェーはぶち切れて「沖縄の自治など神話だ」と言った。
気付けば日本は五輪を開くほど復活していた。「脅威の日本」の再来を見た米国はふとセオドア・ルーズペルトを思い出しか。そうだ。厄介者は日本に押し付けよう。日本は困惑し、朝鮮の時と同じように疲弊するだろう。
翁長は朴槿恵に似て、米国の期待によく応えている。
(2015年8月13日・20日号)
ハリウッドが作る「侮日映画」のあさましさ
もはや戦後ではない昭和30年代初め、「戦場にかける橋」が封切られた。
頭のいい英国人捕虜アレック・ギネスが頭の悪い日本軍にクワイ川に架ける橋の作り方を教えてやるといったストーリーだ。
実際はタイとビルマ間約400キロの鉄路建設は1万5000人の鉄道部隊が設計施工した。橋はクワイ川のほか600もあった。
この工事のお手伝いをしたのが約7万の連合国軍捕虜だった。開戦直後、自分たちの盾にしたインド兵らがやられるとすぐ降伏し、収容所でただ飯を食ってきた連中だ。
お礼奉公と思えばいいのに「キリスト教では労働は罰」とか言い、日本人にやらされたのを今でも恨んでいる。
早川雪洲以下の日本人はひたすら愚鈍で残忍に描かれたが、映画はなぜか日本で当たった。街には随分長い間クワイ河マーチが流れたものだ。
同じころ封切られたユル・ブリンナーの「王様と私」が王家を侮辱しているとタイで上映禁止になり、ジョデイ・フォスターのリメイク版も含め、いまだに禁が解かれていないのと好対照を見せる。
日本でのヒットは米国の10州分の興収に相当するからハリウッドも喜んだ。
おまけに侮日ものは欧州でも喜ばれる。欧州諸国はあの戦争で植民地を失い、昔の貧乏国に逆戻りさせられた。英国はわずかなカネを貰うために王室も総出で習近平を大歓迎する屈辱にも耐えている。
で、ハリウッドは「戦場にかける橋」を書いたピエール・ブールに続編を頼んだ。それが猿、つまり日本人がゴリラ(黒人)を部下に白人を奴隷にするという「猿の惑星」だった。
日本人は他人が悪意を持つなどとは考えもしない。無邪気にこの映画を楽しみ、11州分もの興収を上げた。
その流れが「パール・ハーバー」で少し変わったと言われる。映画はいつも通り「野蛮な日本軍機」が病院を爆撃したり逃げる民間人を殺したり。
しかし日本軍機は逃げる民間人を撃たない。逃げる石原慎太郎少年に機銃掃射したのは米軍操縦士だったではないかと。ネットにこの映画のスレッドが立ちに興収は米国の1州分にも達しなかった。
それでも欧州市場を考えれば侮日ものはほしい。
ハリウッドが次に目を付けたのがローラ・ヒレンブランドの小説『Unbroken(アンブロークン)』だった。
捕虜になった元米国五輪選手が金属のバックルで殴られて失神するとか丸一日収容所仲間に殴り続けられるとか際限ない苛めを受ける。
そして終戦。帰国する旅の途次、列車の窓から焼け野原の広島を見て「心からの清涼感」を感じる。
しかし日本兵のズボンは紐でとめる。下士官でやっとズックのバンドがつくがバンド止めはアルミ製でバックルなどない。
いやそれが嘘かどうかは米国人にはどうでもいい。ただ彼らは日本人が残忍であればいい。小説はニューヨーク・タイムズで14週もベストセラーを続けたし、原爆も正当化できる。
映画化が望まれ、なんとアンジェリーナ・ジョリーがメガフォンを取ることが決まった。「猿の惑星」並みのヒットが予感された。
撮影は快調だった。南太平洋をゴムボートで漂流する主人公を鮫が襲い、さらに零戦が繰り返し機銃掃射を加える。
日本人はプリンス・オブ・ウェールズの乗員を助ける僚艦を攻撃しなかった。駆逐艦「雷(いかづち)」はスラバヤ沖海戦で沈めた英駆逐艦乗員422人を救助した。
恩を仇で返す描写だが、零戦はゴムボートに穴すらあけられず消えていく。
馬鹿な描写は捕虜収容所でも続く。収容所長は佐官級なのに軍曹が所長を務める。この軍曹がさんざ酷いことをしながら戦犯にもならない。牛蒡を食わせたとかで死刑を宣告された者もいるというのに。
日本人への偏見と嘘で固めた彼女の映画は昨年、米国などで封切られたが、日本では前評判付き映画としては史上初の上映なしで終わった。
朝日新聞が「来年、反日専門館で公開」と嬉しそうに伝えたが、日本人も少しは他人の悪意に気がつくようになったようだ。
ブルース・ウィリスも支那製の反日映画に出る。夢は見ない方がいい。
(2015年11月5日号)
フランスがISの標的になった真相
パリのテロのあと、米市民からパリ市民宛に粋なエールがあったと朝日新聞論説主幹大野博人が嬉しそうに日曜コラムに書いていた。
エールにいわく。「フランスはイスラム狂信者が憎むものすべてをもつ。ワインを飲み、短いスカートをはいて不倫を楽しみ、聖職者すらもからかう」
イスラムではそのすべてが禁忌の作法になる。
あんなテロがあったって「あなたたちは闇の力に負けず、再び笑い、歌い、セックスして……」「人生を楽しむことがあなたたちの本質だから」と。
ルモンド紙も満足そうに紹介したという。
でもフランス人が人生を楽しむために過去、彼らに何をしてきたかはこの米市民は触れていない。大野も書いていない。
例えば侵攻するドイツ軍に備えて危ないアルデンヌの森の前にはアルジェリアやセネガルの植民地兵2万人を並ばせた。侵攻した独機甲師団が彼らを一人残らず殲滅した。
フランス人はそれを見て白旗を上げた。マレーでインド兵が壊滅するのを見てパーシバルが降伏したのと同じ形だ。
以後、フランス人は周りが戦争している中、ワインを飲んでセックスして楽しんでいた。マルセル・カルネがドイツ軍に媚びて占領地のあちこちをロケする許可をもらい、「天井桟敷の人々」を製作したのもこのころのことだ。
ヒトラーがユダヤ人の処理を始めると、フランス人は喜んで協力した。今回のテロの根拠地サンドニ近くに収容所を建ててユダヤ人を押し込んだ。
そこからアウシュビッツに直通列車を走らせ、計7万8000人を運び、殺させた。
フランス人はホロコーストの確信的共犯者だった。
やがて連合国軍が反撃に出る。英国に逃げたド・ゴールが自由フランス軍を創り、再びアルジェリア人ら植民地人をかき集めてノルマンディに上陸させた。
再び万単位の植民地兵の屍の山が築かれ、フランスは解放された。
しかし、犠牲は報われなかった。アルジェリアもベトナムも戦後はみな「フランスの栄光の復活のため」(ド・ゴール)に元の植民地の地位に戻され、戦前と同じ搾取に喘いだ。
日本に刺激されたベトナム人がまず反旗を翻し、アルジェリアもチュニジアもそれに倣って独立のためにフランスと戦った。
フランスは主人のために働くのを拒んだ植民地人に残忍に報復した。ギロチンが植民地の町ごとに持ちこまれた。
かつてフランス人アレクシ・ド・トクビルが米国の大らかな民主主義を褒め称えるエールを送った。
「米国人とその下で働く黒人とインディアンは人間と動物の関係に似る。主人のために働き、従わねば殺していい」と。
アルジェリア人もベトナム人も動物並みにクビを落とされた。
中東でも同じだ。今のシリアとイラクの上半分を仏領にし、石油を取ってはフランスの栄光のために使った。シリアの民のために学校一つ建てなかった。
先日のAPがイスラム国(IS)で行われた同性愛者の突き落とし刑を伝えた。目隠しされた男が4階建てのビルから落とされ「瀕死の男に住民が石をぶつけて止めを刺した」。
大野はその残忍さを「不条理」と言うが、元々イスラム教徒はそこまでの残虐さを持たなかった。最初にフランスの十字軍が来て女子供を殺して食う残虐さを教えた。
第4次十字軍がコンスタンチノープルでやった突き落とし刑は、目隠しではなく目を抉ってガラタの塔から突き落としている。
何もかもキリスト教徒がお手本を示してきたことだ。
対してアラブ世界では例えばサダム・フセインが立って民に教育を与え、女を宗教の軛から解放して近代化を図った。ユネスコからそれで表彰もされた。
カダフィもベン・アリも同じ。それはお前らには似合わないと白人国家がアラブ近代化を悉く潰して今の混乱を生んだ。
ISは追い詰められた彼らの開き直りではないのか。
日本はイスラムにも十字軍にも贔屓はない。
なのになぜ大野は白人キリスト教徒の視点でしかモノを書かないのか。
(2015年12月17日号)
日本人にあって韓国人に絶対ないもの
その国の名を聞くといろいろな思いが浮かぶ。
例えばロシアだと昔は松前藩藩士の目を潰した野蛮人という印象だったが、最近はザゴルスクのマトリョーシカ博物館を思い出す。
ロシア人はあれで律儀な一面があって、マトリョーシカは「この箱根の入れ手細工を真似して作りました」と博物館に並べて飾っている。
新幹線のノウハウを日本から教わったくせに「すべて支那のオリジナル」と開き直る国とは大違いだ。
従って支那と言えば高架からぶら下がる「新幹線もどき」がすぐ浮かぶ。
韓国はというと……。何も出てこない。強いて挙げれば半世紀前に走ったソウルから仁川への道か。雨模様で、フロントガラスは撥ねた泥ですぐ視界が奪われた。ウインドウォッシヤーなんて気の利いたものはない国だ。少し走っては車を道端に停めて運転手が窓を拭いていた。
何回目かに停めたときに傍らに川があった。川床も土手も砂利とか砂とかも一切なかった。岩肌を清流が下っていた。その清冽さとほかのすべての汚さと。
印象がそこで止まっているのは、それを差し替えるいい記憶がその後、何もなかったからかもしれない。
日本がせっかくいい国にしてやったのに。朝日新聞の創った慰安婦の嘘を嘘と知りながら騒ぎ立てる。果ては戦争もしないのに日本海軍の旭日旗は侵略の象徴とか言って騒ぎ出す。実に鬱陶しい。
それを映してか韓国中央日報紙のアンケートでは「日本人の14パーセントが韓国に好感を持つ」とあった。言い換えれば86パーセントが韓国嫌いということだ。
週刊ダイヤモンドがビジネスマン6000人をアンケートしたら79パーセントが韓国を嫌い、同じく77パーセントが仕事上も韓国など「なくていい」と答えている。
朝鮮半島がなくなった地図を想像してみる。日本海は途端に大きくなって清々しさすら感じさせる。
日韓両国の思いはこの点でほぼ一致するから付き合いをやめればいいと思うが、そう言いながら韓国人には昔から日本人への強い憧憬がある。
例えば立原正秋。日本に帰化すると長身痩躯の彼は着流しに総髪というまるで時代劇に出てきそうな日本人のスタイルを好んだ。
彼と親交のあった文芸記者の金田浩一呂から聞いた話だが、それが日本人より様になっていたという。
金田記者のコラムに鎌倉の立原の家に寄ったときの話がある。
「話をしている問、応接間の隅の丸椅子に和服姿の夫人が端然と腰を下ろして用を待って微動だにしなかった」
日本人の亭主で自分の奥さんにそこまでやらせる者はいない。ただ杉山元元帥の夫人啓子ならそういう挙措が似合ったかもしれない。
彼女は終戦の日、疎開先の山形から喪服をもって帰京した。生きたまま出迎えた杉山に「まだ自決していなかったのですか」と問うている。
杉山は夫人にせっつかれて3週間。やっと司令宮室で拳銃自殺する。しかし果たせず、部下が青酸カリを飲ませて全うさせた。
夫人はその報を電話で受けたあと喪服に着替え、裾が乱れぬように下帯で膝を縛ったうえ、懐剣で胸を一刺しにして自決した。
正秋のごとく、日本人になりたかった一人に新井将敬がいる。
政界に入って有望視されながら証券会社に対する恫喝疑惑が出て、国会で逮捕許諾決議が可決される。
明日は逮捕状が執行されるという夜、彼は品川のホテルで縊首した。
家に着替えを取りに帰っていた夫人は戻ってきて部屋の外でその異変を察知したという。「思いを遂げさせるために30分待ってドアを開けました」
日本人の男は本当は夫人が仕切って初めてちゃんと居住いが正せる。そういうことが案外知られていない。
もう一つ。日本人は慎み深さを大事にする。韓国人が日本名を名乗るときもそれを心がけねばならない。
例えば瑞穂。日本人は畏れ多いから、名前にするときは水穂とか当て字にする。
そういう慎ましさに欠けると「やっぱり」とか思われる。
(2016年2月25日号)
テレビでエラそうな奴ほど実態は狡い
あのときの「マルコポーロ」誌の発売日は阪神大震災と同じ日だった。
問題の記事「ガス室はなかった」はまあまともではなかった。ガス室に使われた青酸剤に疑問があるという部分はともかく、死の収容所は「ユダヤ人をソ連に集団移住させる途中の待機場所だった」と書いている。ホロコーストは考えられていなかったと。
とは言え、怯えた子供の映像とか、7トンにも及ぶ髪の毛だとか。生き証人の体験談もある。骨一本出てこない「南京大虐殺」とはかなり趣が違う。
アウシュビッツ送りにはオランダ人もフランス人も協力した。アンネ・フランクも含めて10万以上が確かに送り出された。
それが単に強制移住の準備行為だったら、せこいオランダ人が対独戦時賠償を放棄するはずもない。
ユダヤ人淘汰計画は確かにあった。
薄い読後感だったが、これにロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が秒速で反応した。
発売日の翌日、駐米日本大使に「原爆投下はなかったというのに等しい暴論」と抗議した。東京のイスラエル大使館からの抗議よりも早かった。
ピコ大通りのSWCには何度か行ったことがある。主張は「不寛容」だ。
ユダヤ人をステレオタイプ化したデマがあのホロコーストを生んだ。その手の論調をもう笑って見過ごさないという意味だ。
発刊元の文春は「反論の誌面を提供します」と申し出たが、それがロスに届く前にSWCはもう次の手を打っていた。
大使への抗議の翌日付けで三菱自動車、マイクロソフトなど大手スポンサーに同誌への広告を差し止めるよう厳命した。
スポンサーは右に倣えし、文春は同誌の廃刊に追い込まれた。
しかしSWCは手を緩めなかった。文藝春秋社の幹部をロスに呼びつけ、学習会が聞かれた。文春側から同センターの言いなりにかなりの額の維持協力費が支払われた。全面降伏だった。
他のメディアも震えた。江川紹子が「広告を止めるのは民主主義のルールを踏み越えた」と反論したくらい。他はみんな沈黙した。
テレ朝「サンデープロジェクト」の田原総一朗はこの一大事に一言も触れなかった。関口宏は触れたけれどTBS報道部長は怯えてコメントもしなかった。
ホロコーストに同じような疑問符をつけてきた本多勝一は掌を返した。おっしゃる通りです。文春が悪いと。私は強い者には言いなりですから。
SWCは以降、「週刊ポスト」やテレ朝、さらに「バターン死の行進は風邪気味の私でも歩けました」と「文藝春秋」誌に書いた笹幸恵のルポにも文句をつけ。
その都度スポンサーの広告差し止めを仄めかせた。
バターン死の行進は南京大虐殺、マニラ大虐殺と並ぶ米国製でっち上げシリーズの一つだ。ユダヤ人絡みでもない。ホロコースト問題とは背景も違う。
そんな戦時デマまで文句をつけて歴史に定着させようとするSWCの意図がよく判らない。
そこまでやられても日本のメディアはただ沈黙し、テレ朝も徳間書店も文春もみな深々と謝罪した。
「私、偏向しています。それがなにか」というTBSキャスターの岸井成格。
その傲岸に呆れたすぎやまこういちら有志が岸井の番組スポンサーにそれでいいのですかと問う運動を起こした。
そしたらTBSが声明を出した。不見識を詫びるのかと思ったら違った。「スポンサーに圧力とは表現の自由への重大な挑戦」とこちらも開き直った。
偏り仲間の朝日新聞も社説で数人の有志の発言を「これは見過ごせない言論の自由への圧力」と大鉈でぶった切ってきた。
さらには岸井に加えて田原総一朗やら大谷昭宏やらが「私怒っています」と揃い踏みまで披露した。
こう言っては何だけれど、ここで怒って見せる人たちはTBSも含めその昔、SWCからの再三のスポンサー脅しがあったとき、きれいに口をつぐんできた御仁ばかりだ。
表現の自由を叫ぶのは相手が弱そうなときに限るのかしらん。
(2016年6月2日号)