バチカンの狂気
バチカン・カトリックが凄いことになっていて驚きました。
「ラベンダー・マフィア(Lavender Mafia)と呼ばれる、カトリック教会の内部に存在するといわれているゲイの秘密組織」ですって!
カトリックの宣教師は、過去には植民地支配の先兵として日本にもやって来て、神社仏閣を破壊させ、奴隷貿易などもやっていたそうです。
布教と植民地支配は表裏一体であり、キリスト教を梃子にしたグローバル化を目論んでいたのだと思います。
それが叶わず、現在では「文化的マルクス主義」によるグローバル化の攻撃を受けて苦しんでいるということのようです。
キリスト教の侵攻を受けた日本の一員としては、「ざまあ見やがれ」と言いたくもなりますが、「文化的マルクス主義」による攻撃は日本でも行われているところであり、それに対抗するためには、心あるカトリックとの共闘も必要だと思います。
その前提として、他の宗教を心から認め共存するという立場を、教義として確立するなどして、明確にしてもらいたいものだ。
ジェイソン・モーガンさんの「バチカンの狂気」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
はじめに 3
第1章 カトリックの教えの模範は中華人民共和国?
法輪功修行者に対する残酷な仕打ち 21 / 中国の臓器狩りとカトリック教会の関係 23 / 本来、中国とカトリック教会は相容れないはず 26 / バチカンの手にあった権威を習近平に移した 29 / 香港と中国のカトリック信者は見捨てられた 32 / 交渉担当者・マカリック元枢機卿の弱み 37
第2章 イエズス会の歴史とグローバリズム
中国のグローバリズムを主導するバチカン 43 / ローマ帝国とは何だったのか 45 / 「人間は死んでも蘇る」と説く宗教 48 / ローマ教皇は新たな皇帝 53 / 宗教を理由にした新大陸への侵略 56 / 純粋だったイエズス会の初期の活動 59 / 日本の戦国時代とイエズス会 62 / 世界に進出するカトリック 65 / 啓蒙主義のとりこになったバチカン 68 / 「あらゆる邪教の総合」の悪夢 72
第3章 LGBTQと文化マルクス主義の持つ破壊力
おぞましい「LGBTQミサ」 77 / 反伝統派・マーティン神父の愚行 80 / イエスを冒涜する小笠原晋也氏 83 / 親LGBTQなアメリカの神父4人 88 / 2人の元ゲイ信者による教会非難 92 / ゲーガン司祭という小児性愛モンスター 96 / 刑務所で殺された性犯罪者 99 / 日本の教会でも児童に対する性的虐待が…… 102 / 私の関係者にも犯罪者がいたとは 105 / ラベンダー・マフィアと呼ばれる秘密組織 108 / バチカンにはびこる「男娼ビジネス」 112 / 文化的マルクス主義としてのLGBTQ 115
第4章 超世俗的なバチカンはマネー・スキャンダルに満ちている
数え切れない金銭的スキャンダル 121 / イタリアとホンジュラスでの金融事件 124 / バチカン銀行の改革を進めていた教皇を暗殺? 127 / 「神の銀行」の深い闇 131 / コロナ禍の「ワクチンビジネス」とバチカンの絡まり 134 / アメリカでは民主党系を支えるために寄付 143
第5章 バチカンと戦う聖職者たち
聖母マリアの名を持つビガノ大司教 149 / 『荒野の中の声』という話題書 152 / バチカンとビガノ大司教の攻防 155 / ディープ・チャーチとティープ・ステートの協力 162 / カトリック教徒の罪を罪として認めない日本人聖職者 166 / 教会の腐敗と戦う信者 171
第6章 グローバリズムに走るカトリック教会は、日本にとって危険
極右という暗黒啓蒙主義者 181 / かつてはファウスト的要素をキリスト教が抑止していた 184 / 悪魔に魅入られたグローバリズム 187 / 「憲法9条と神の国」というひどい説教 192 / カトリックの伝統を破壊するフランシスコ教皇 196 / 今や極左のためにだけ働いているイエズス会 203
第7章 日本の保守と伝統的カトリック信者は心が通じる
第二次世界大戦と日本の中絶問題 207 / カトリックの伝統が息づく日本社会 210 / 自分たちのことは自分たちで決める「講」 214 / 「みんなで」という発想の共通性 217 / 物ではなく心が大切 219 / アメリカの帝国主義がもたらした混乱 222 / 大怪我の治療薬のような役割 225
おわりに 231
謝辞 238
日本の戦国時代とイエズス会
ここで触れておかなければならない問題があります。それは、イエズス会は派遣先の政治問題に干渉する場合が少なくなかったということです。
イエズス会の人々が積極的に外国の政治に関わっていたのは、日本ではないでしょうか。この中にはもちろん、イエズス会の創始者7人のうちの1人であり、1549年8月15日に日本の地に足を踏み入れたフランシスコ・ザビエルがいます(およそ400年後の8月15日に、完全に世俗化したグローバリズムが日本に到着します)。実際の歴史や資料を見てもわかりますし、20世紀の著名な作家の1人である遠藤周作の『沈黙』の中でもその活動を描いていますが、当時のイエズス会の神父たちは、戦国大名や武将、商人と関わりを持ち、日本の政治状況がよくわからなかったにもかかわらずそれに干渉していきました。
しかし、その結果のすべてが悪かったとは断言できない部分もあります。例えば、洗礼を受けて誠実なカトリック信者になった戦国大名のユスト高山右近などを生んでいるからです。
実際に日本ではどうであったのかという議論が現在でも続いていますが、イエズス会がポルトガル商人とともに、日本人を含む人身売買などに携わっていたという可能性もあり、イエズス会がしたことは良いことばかりではなかったことは想像できます。日本におけるイエズス会士として有名なのはルイス・フロイス)です。彼が『イエズス会日本年報』や『日本史』を記したことはよく知られていますが、これらの中に日本の政治に関する記述が多く見られます。
また、ルイスは永禄12年(1569)に織田信長にも面会しており、貿易などポルトガルとの関係を重要視していた信長から、京都に教会を建設することや、信長の庇護のもとで布教する許しを得ています。ルイスは本能寺の変とその後の日本社会の動きについて、詳細にバチカンに報告するなど、日本の情勢に注意を払うことを怠りませんでした。そんな中、日本で最初のキリシタン大名となった大村純忠は、自身の領地の一部であった長崎などをイエズス会の領地として寄進しました。
このようなことから、当時バテレンと呼ばれた人々は、要注意人物と考えられるようになり、豊臣秀吉に始まるバテレンの追放や鎖国政策は、おそらくイエズス会士たちの行動から生まれた不信感の結果であったと思われます。
大航海時代という背景を考えると、イエズス会士たちが乗っていた船にとっては、宗教的な目的はほんの付け足しにしかすぎず、やはり奴隷売買を含む商業活動や植民地の獲得を主な目的としており、キリスト教の神父たちはそのようなヨーロッパの世俗の人々とともに世界の港を「巡礼」していたことは否定できません。
織田信長の場合、キリスト教への優遇措置を取ったのには、ポルトガルやスペインとの貿易による様々な利益を得るという目的がありました。同時に彼は、キリスト教が広まることは、彼に対抗する仏教の勢力に対抗する意味でも大変に有効であると考えていたと言われています。
しかし、信長の後を継ぎ、天下取りを目指した豊臣秀吉は違いました。彼は、天正15年(1587)にバテレン追放令を出し、その直後には、長崎のイエズス会の領地を召し上げています。この時には、キリスト教を全面的に禁止したわけではありませんでしたが、イエズス会が南蛮貿易から巨万の富を得、流通機構にも深く介入し、イエズス会の領地となった長崎を武装化し、軍事的にも力を得はじめた事などを警戒したのです。
秀吉の立場から見れば、なぜイエズス会を含む宣教師の活動を制限したのか理解できると思います。もし私か豊臣秀吉だったとしたら、同じ判断をしたかもしれません。彼はキリスト教に特に反対していたわけではありません。彼にとってはキリスト教は宗教ではなく、自分の国に対して外国人による侵略を可能にするイデオロギーであり、だからこそそれに気づいた時、野放しにしておくのは危険だと判断したのです。
<Aべの感想>
「その結果のすべてが悪かったとは断言できない部分もあります。例えば、洗礼を受けて誠実なカトリック信者になった戦国大名のユスト高山右近などを生んでいる」について、ウイキペディアには「右近は、領内の神社仏閣を破壊し神官や僧侶に迫害を加えたため、畿内に存在するにもかかわらず高槻周辺の古い神社仏閣の建物はほとんど残らず、古い仏像の数も少ないという異常な事態に陥った。領内の多くの寺社の記録には「高山右近の軍勢により破壊され、一時衰退した」などの記述がある。」との解説もあります。
これが一神教の恐ろしさ、誠実なカトリック信者はそういうこともしたのですね・・・。
カトリック信者である著者は「イエズス会がポルトガル商人とともに、日本人を含む人身売買などに携わっていたという可能性もあり、イエズス会がしたことは良いことばかりではなかったことは想像できます」や「当時バテレンと呼ばれた人々は、要注意人物と考えられるようになり、豊臣秀吉に始まるバテレンの追放や鎖国政策は、おそらくイエズス会士たちの行動から生まれた不信感の結果であったと思われます。」「大航海時代という背景を考えると、イエズス会士たちが乗っていた船にとっては、宗教的な目的はほんの付け足しにしかすぎず、やはり奴隷売買を含む商業活動や植民地の獲得を主な目的としており、キリスト教の神父たちはそのようなヨーロッパの世俗の人々とともに世界の港を「巡礼」していたことは否定できません。」と書くのが精いっぱいなのでしょう。
秀吉のバテレン追放令には「中国、南蛮、朝鮮半島に日本人を売ることはけしからんことである。そこで、日本では人の売買を禁止する」とも書かれているそうですから、そうだったのではないでしょうか。
「(秀吉にとって)キリスト教は宗教ではなく、自分の国に対して外国人による侵略を可能にするイデオロギーであり、だからこそそれに気づいた時、野放しにしておくのは危険だと判断したのです」は同感です。
啓蒙主義のとりこになったバチカン
この啓蒙主義に基づいた、理性を崇拝する、または理性を最善のものであり最優先にする動きは、カトリック教会の中にも忍び込み教会自体を変えようとします。政治的な理想が宗教の理想を蝕んで、教会の中でさえ、政治的な理性を中核に据えることになったのです。このような、理性に沿って宗教を考え直そうと言う動きは、カトリックにおける近代主義(Modernism)と言います。これは、キリスト教、すなわちイエスがお仰せになった言葉などを、時代時代に合わせて理解しなければならないと考えます。イエスの存在を啓蒙主義のために使う、という発想です。
このような動きに対抗するために、1907年、ローマ法王聖ピオ10世が「パッセンディ・ドミニチ・グレギスという回勅を発表し、その副題は「近代主義者の主張について」でした。聖ピオ10世はこの回勅の中で、近代主義について「あらゆる邪教の総合」と非難しました。その後一時期は、バチカンの命令でカトリック教会のすべての神父、司教などは「近代主義に反対する誓い」を宣誓させられました。しかし、このような動きも第2バチカン公会議(1963-1965)の終了後には、ほとんど消滅してしまいました。この数年、このような誓いをしている神父やカトリック組織が再び少しずつ増えてきていますが、バチカンこそが近代主義の虜となっていることに変わりはありません。
アメリカに置いては、この近代主義が、ピューリタニズムであるキリスト教の啓蒙主義化、教会の政治化と融合して、「アメリカニズム」という、もう一つの邪教に「発展」しました。そして、アメリカ人のジョン・コートニー・マレーというイエズス会の神父が、「宗教の自由」、「宗教の多様性」、「宗教と民主主義との関係」などを唱え、アメリカニズムを熱心にバチカンに押し付けようとしました。近代主義と同じく、彼の提唱するアメリカニズムは第2バチカン公会議に非常に強い影響を与えました。実際、第2バチカン公会議の重要な資料の一つである「信教の自由に関する宣言」は、大半をマレー神父が1人で書いています。彼は、民主主義を基本とした社会が発展したことで、新しい「道徳的な真実」を生み出したと主張します。つまり、アメリカの憲法や独立宣言などに基づいて存在するアメリカ合衆国の方が、道徳的に、イエスそのものであるカトリック教会をある意味上回っているのだというのです。
一時期、このアメリカから来たアメリカニズムがカトリック教会を制覇しました。そしてその後、習近平指導下の中華人民共和国が、アメリカが作ったグローバル社会を制覇しました。こう考えてみると、バチカンがよく言う「全世界の宗教の一致」とか、「地球温暖化の問題には至急対処しなければならない」など、なぜバチカンがキリスト教の教えとは全く関係のない、むしろキリスト教の教えに反対の立場となるナンセンスな提唱をし、グローバリズムという名の邪教につながる主張をするのか、という理由がもうおわかりに
なるでしょう。今やバチカンは、中国の思想的、政治的、金銭的な奴隷だからです。
今は、旧約聖書の創世記に登場するバベルの塔の時代から、人間が長い間夢見た「神は必要ない、人間中心の宗教」や、アメリカ人のカトリック信者だったフラナリー・オコナーが1952年に刊行した「賢い血」の中に出る人物が奇妙に唱える「キリストなしの教会」の世界を、バチカンと習近平が協力して実現しようとしているかのように見えます。オコナーは、とても鋭い皮肉で西洋の哲学者がよく提唱する「神様の死亡」のことを、川柳的に分析しています。言うまでもなく、キリスト教のない教会は無意味で、そもそも教会ではありません。そしてキリスト教のない、つまりカトリック教会のない世界は、とても暗い世界です。オコナーの意味は多分、進歩主義、人間の素晴らしさをよく言うモダーンの人間は天国を作ろうと思っているのに、実は、後に自分たちが落ちてしまう地獄を作り出している、との警報だと思います。
<Aべの感想>
「理性に沿って宗教を考え直そうと言う動きは、カトリックにおける近代主義(Modernism)と言います」「アメリカに置いては、この近代主義が、ピューリタニズムであるキリスト教の啓蒙主義化、教会の政治化と融合して、「アメリカニズム」という、もう一つの邪教に「発展」しました。そして、アメリカ人のジョン・コートニー・マレーというイエズス会の神父が、「宗教の自由」、「宗教の多様性」、「宗教と民主主義との関係」などを唱え、アメリカニズムを熱心にバチカンに押し付けようとしました。」は、カトリックを含めたキリスト教が一神教の不合理に気付きそれを改めようとするのであれば、一歩前進だとも思えます。
マレー神父の「宗教の自由・多様性」がそういうことなら、多神教の人々にとって歓迎すべきことかと・・・。
「習近平指導下の中華人民共和国が、アメリカが作ったグローバル社会を制覇しました。」そして「今やバチカンは、中国の思想的、政治的、金銭的な奴隷」であるという
「あらゆる邪教の総合」の悪夢
そしてまさに、オコナーが予言したことが今バチカンによって実現されています。教皇ピオ10世が厳しく非難した「あらゆる邪教の総合」こそが、現在、ローマ教皇と中国共産党の指導者が共同で行っている一大プロジェクトなのです。
毎年復活祭の前に行われる「十字架の道行き」は、非常に静粛な儀式です。イエスが十字架を背負い、エルサレムにあるゴルゴタの丘への道を歩まれたことを偲び、私たち人間が犯しているいくつかの罪を反省し黙想するものです。
しかし、驚くことに、今年2022年、バチカンは、この「十字架の道行き」をとり行うのをやめて、地球温暖化の危険を叫ぶグレタ・トゥーンベリを「列福する」行事を行いました。マイケル・ヴォーリスの「戦う教会」のサイトによると、トゥーンベリ以外にこの時聖人として扱われたのは、バイセクシュアルに関する活動家とか、左翼ジャーナリストとか、すでにアメリカ合衆国を侵略しているメキシコ国境からの大量の不法移民がアメリカ合衆国に不法に、しかしスムーズに入国できるよう手助けをしているメキシコ人神父のアレハンドロ・ソラリンデなどだったということです。
キリスト教からほぽ完全に歩み去ってしまったバチカンのしていることは、日を重ねるにつれ、中国の独裁者・習近平が唱えるグローバリズムと何か違うのか、ほとんど区別できなくなってきています。イギリス人の保守的なカトリック信者で、記者でもあるエドワード・ペンティン氏は、フランシスコ教皇と習近平の語る「グローバル・ビジョン」の類似性を指摘しました。習近平の発言とフランシスコ教皇の発言を比較すれば、ほぽ一致することが多数あり、この2人の考え方はかなり似ていて不思議だ、とペンティン氏は言っています。
さらに、ペンティン氏は彼らの不思議な類似点にも言及しています。2013年にホルヘ・マリオ・ペルゴリオがフランシスコ教皇になってから数時間後、習近平が中国共産党の主席になったことです。ペンティン氏はこの2人を見ていると、第2バチカン公会議で、バチカン当局がソ連と妥協するために、会議で共産主義を批判しなかった歴史を思い起こすようだとも言っています。
現在のバチカンは、グローバリズム、つまりアメリカから発生したこのまやかしの世界主義を引き継ぐ中国共産党の下僕に成り下がってしまっているのは明らかです。言動を見ても、行動を見ても、今のバチカンは、もはやキリスト教とは関係がなくなってしまっており、イエス・キリストの代わりに新しい主人に仕えているのがよくわかります。
ラベンダー・マフィアと呼ばれる秘密組織
ここで、神父による性的虐待を受けた被害者の1人である、マイケル・ヴォーリス氏のことをお話ししましょう。ヴォーリス氏はアメリカ人で、彼がゲイとして生活していた時期にも、彼の母は彼のために祈ることを止めることはなく、その後彼は教会に戻って罪を悔い改めることになったそうです。このような経験をした彼は、近年やっと表面化してきているカトリック教会における性的虐待問題は、それがわかっていながら放置した教会上層部の責任が重いと語っています。
ヴォーリス氏は聖マイケル・メディアを立ち上げたのと同時に、「Church Militant」では、バチカンをはじめ教会内部の腐敗を暴露するサイトを担当しています。ヴォーリス氏の報道によると、シカゴ大司教区の教区長であったジョセフ・バーナーディン枢機卿は、児童への性的虐待をしていた人間で、その虐待はサタンに捧げるある邪悪な儀式の一部であったそうです。被害者は具体的にそれがどのようなもので、何かあったのかをシカゴ大司教区に申し出ましたが、当然のように教区長のバーナーディン枢機卿がそれを隠蔽しました。シカゴ大司教区の内部告発者が、この主張を裏付ける資料をヴォーリスに提供しています。そして、現在のシカゴ大司教区の教区長であるスーピッチ枢機卿も、バーナーディン枢機卿の未成年者への性的虐待に関する資料を隠蔽していた容疑で、捜査の対象になっています。
神父、司教、大司教、枢機卿などの中にはゲイである人が数多く存在しています。先のバーナーディン枢機卿は、自身の葬儀のミサに特別なリクエストをしており、彼の葬儀ではいわゆる「ゲイ合唱団」が歌いました。カトリック教会内部には反カトリック教会の勢力があり、彼らの目的の一つが教会を内部から破壊することです。ただ、聖職者による児童への性的虐待とその隠匿が蔓延したとしても、教会が崩壊していくという保障はありません。それで、反教会派が使用している他の方法の一つが、いわゆる「女性神父」を認めることです。
2022年3月にドイツのエッセン司教区で、女性が洗礼を行っているというニュースが流れました。その理由として神父不足が挙げられています。これは、女性神父採用に対してのよく聞く「理由」です。しかし、考えてみてください。この「理由」は、説明ではなくて目的ではないかと思いませんか。
つまり、「神父が足りないから女性に神父をやってもらうしかない」ではなくて、「教会を破壊したいので女性が神父になれるようにして、神父の数を敢えて減らしていく、するとさらに女性『神父』が必要になり、反教会派はそれを通して、教会の教義の中でも最も重要な伝統の一つを破壊する」ことが可能になるわけです。
2004年アメリカの司教会議が、アメリカでの神父などによる性的虐待に関する調査を要求しました。この調査は、刑事司法と法医学に特化している公立大学であるジョン・ジェイ刑事司法大学の刑事司法学部が担当しました。そして、調査の結果、性的虐待をした神父など聖職者の8割以上が、少年または男性を虐待していたことが判明しました。
本書の他の章でも名前が出てくる、マラディアガ枢機卿が責任者になっているホンジュラスの神学校の神学生50人以上も、性的虐待とそれを肯定するような雰囲気に反対の声をあげています。カトリックの神学校は、当然教師のほとんども生徒も男性です。このような調査報告を見てもなお、神学校において、男子生徒は安全だと言えるのでしょうか。そうは思えませんが、フランシスコ教皇とバチカンは、教会内部に性的虐待の問題があるとしても、それは決して同性愛の神父たちによるものではないと言っています。
なぜ、このようにバチカンはこの問題を隠匿しようとするのでしょうか。それは、ラベンダー・マフィア(Lavender Mafia)と呼ばれる、カトリック教会の内部に存在するといわれているゲイの秘密組織と関係があるようです。そしてこの組織も、カトリック教会の破壊に深くかかわっているのではないでしょうか。なぜなら、どう考えてみても、カトリック教会の高位聖職者たちは教会の破壊を企んでおり、信者の信仰を粉砕することに非常に尽力しているようにみえるからです。
そして、それを実現するための強力な武器として使っているのが、児童に対する性的虐待です。これらの虐待のほとんどが同性愛者の神父などによって行われているにもかかわらず、教会の破壊を進めるためか、バチカンは嘘をついてまでこれらの虐待の事実を認めません。こうして、神の代理人である教皇が率いるバチカンは、罪をさらなる罪で塗り重ね隠そうとしているのです。
挙句、本当の信者が神学校に行きたがらなくなって、最後の一撃として「女性神父」が登場します。性的虐待やそれに関連するスキャンダルは、カトリック教会とカトリック信者たちに計り知れないダメージをもたらしました。そして、それはいまだ現在進行形で続いており、傷は深くなるばかりです。新たなスキャンダルの出現が終わる日がいつになるかなど予想はできません。恐ろしいことに、このようにカトリック教会が傷つくことを望んでいるのは、堕落した人間だけではなく、堕天使、つまりサタンではないでしょうか。
<Aべの感想>
日本でも寺院などで同性愛的な行動があったそうです。今では性的虐待の部類に入ることも行われていたのかもしれませんが、宗教的にそれを禁じていたわけではありません。
カトリックでは同性愛を認めず、そうした関係に対して死刑を宣告する時代もあったと聞きます。教義で禁止しているにも拘らず『神父、司教、大司教、枢機卿などの中にはゲイである人が数多く存在しています』というのですから、酷いものです。
しかも『ラベンダー・マフィア(Lavender Mafia)と呼ばれる、カトリック教会の内部に存在するといわれているゲイの秘密組織』まであるとは、開いた口がふさがりません、驚きです。
さらにその組織が、カトリック教会の破壊に深くかかわっているというのですから・・・、一体どうなっているのでしょう、またまたびっくり!
文化的マルクス主義としてのLGBTQ
これまでここに記したことは氷山の一角に過ぎませんが、このようなバチカンの性的スキャンダルと、バチカンにLGBTQを持ち込もうとしている人々のことを合わせて考えてみると、バチカンだけでなく一般社会においてもLGBTQイデオロギーを強烈に推進している人々の最終目的が見えてきませんか?
最近、日本で『ポリコレの正体』という大ベストセラーを出版した、ジャーナリストの福田ますみ氏が指摘されている通り、LGBTQは「文化的マルクス主義」そのものです。文化的マルクス主義というのは、経済の理論として失敗で終わったマルクス主義をマルクス主義者が再編して、経済を使って既存体制をぶち壊すことをやめて、ある社会の文化、社会の基本的な価値観などをターゲットにして既存体制を全壊する、という極めて悪質な「セオリー」です。しかし、セオリーどころか、実際に実現されている、全人類を危険に晒す運動なんです。
この文化的マルクス主義は、カール・マルクス本人が唱えた、経済に関するオリジナルのマルクス主義と何ら変わりません。文化的マルクス主義もオリジナルのマルクス主義も、既存の社会、健全な社会を壊すのを目的としているからです。
しかし、今ではこの反人道的イデオロギーをカトリック教会が認めてしまい、世界の人々へ推奨するイデオロギーの一つになってしまっています。そして、カトリック教会の指導者層の一部は、日本の中でも文化的マルクス主義のイデオロギーをひっそりと、しかし確実に推し進めています。繰り返しますが、日本のカトリック教会の一部が日本社会に、LGBTQイデオロギー、さらに、児童への性虐待を正当化し、伝統的な家族を破壊するような文化的マルクス主義そのもののイデオロギーに連なるものを持ち込み、浸透させようとしているのです。
ここで、カトリック教会の近くに住んでいらっしやる読者の方々に是非お願いしたいことがあります。その教会まで行き、神父さんと面談をして下さい。そして、その時、神父さんに直接お尋ね下さい。「あなたはLGBTQについてどのようにお考えですか?」と。そして、曖昧な返事、または「支持しています」という肯定的な返事、つまり「それは罪です」とキッパリした否定以外の返事が戻ってきた時には、私にご連絡をいただきたいのです。
そのような神父やカトリック教会は、日本社会にとって極めて深刻な脅威になっており、日本に住む子供たちを性的虐待の危険に晒しているからです。本書の読者が、カトリック信者でいらっしやるかどうかには一切関係なく、LGBTQのイデオロギーを日本に輸入しているカトリック教会と神父を見つけ出し、日本の社会に警鐘を鳴らすことへ協力をお願いします。
悪魔に魅入られたグローバリズム
このような構造の中に見えるのは、バチカンを虜にしてきた暗黒啓蒙主義やグローバリズムの信者たちが、ローマ教皇を腹話術の人形として使い、カトリックという伝統ある宗教を自らの利益のために利用しているということです。現在では、バチカンこそが、カトリック信者にとっての最大の脅威であると気がつきはじめたカトリック信者が、日々増えています。しかし、それに対し、フランシスコ教皇が問題なのであって教会自体は大丈夫なのだ、と反論する信者もたくさん存在しています。彼らは、暗黒啓蒙主義者が押し付ける「新しいミサ」、つまり、フリーメイソンのミサを支持しており、伝統派はかねてより行われてきた教会ラテン語を使うミサを支持するというように、カトリック信者たちも分裂してしまっているのです。
この分裂がどれほど深刻になっているかは、2022年4月3日に投稿されたある動画をご覧いただければわかると思います。この動画の中では、前にも紹介したミネソタ州に拠点を置くカトリック系の新聞『ザ・レムナント』の編集長マイケル・マット氏が、フランシスコ教皇はただのグローバリストに過ぎないではないか、と厳しく批判しています。私か特に面白いと思ったのは、マット氏が使う「グローバル」の英文字の綴り方です。普通「グローバル」は「Global」と書きますが、マット氏は「GloBA'AL」としました。ここで強調されている「BA'AL」というのは、旧約聖書の中にある「バアル」という悪魔の名前を意味します。悪魔に魅人られているグローバル主義というような意味でしょうか。そして、マット氏はさらに「フランシスコ教皇は、悪魔と踊っているのではないか」とも語っています。
「悪魔と踊る」と言うのは、英語のことわざで、悪魔の使者になる、悪魔の言う通りに従うというような意味で、「悪事を働く」ということです。フランシスコ教皇は、これまでの教皇にはないほどの権力を持っています。グローバリストたちに奉仕しているのですから、全世界を支配するシステムに深く関わることができているのです。
超グローバリスト的な行動には、例えば「持続可能な開発目標(SDGs)」と言う名の「新興宗教」があります。国連のSDGsの会長で、その信条を強く押し付けようとしており、中国共産党との深いつながりも指摘されているアメリカの経済学者にジェフリー・サックスという人物がいます。
彼は、フランシスコ教皇によって2021年10月にバチカンのローマ教皇庁社会科学アカデミーのメンバーに任命されました。サックス氏は、世界人口を大幅に削減するべきだと言う考えを支持しています。このような非常に反人間的で、カトリック教会と正反対の考え方を持っているにもかかわらず、フランシスコ教皇はこのような熱心なクローバリストを好んでバチカンに関わらせています。
このようなことは、キリスト教の信者が人口の数パーセント程度しかいない日本にとっては、どこか遠い国で起こっている出来事で、差し迫った危機ではないと感じる方も多いと思います。しかし私は、それは違うと思います。
例えば、この数十年の間、常に日本を悩ませている、いわゆる慰安婦問題は、カトリック教会と全く関係がないとは言えないのです。
私は、2018年の夏に、韓国の首都ソウルに行きました。その目的は、元日本大使館があった場所の歩道に、日本に対する嫌がらせ、そして辱めとして設置されている、いわゆる慰安婦像と呼ばれているものを巡る「水曜デモ」隊の人々と、それに関連する動きを観察し考察することでした。
「水曜デモ」隊の写真やビデオを見ると、時々カトリックのシスターや神父の姿をしている人を人混みの中で発見することがあります。これは不思議なことではありません。ジャーナリストのマイケル・ヨン氏が、2017年7月に「ジャパン・フォワードで連載した記事の中で、カトリック教会と「慰安婦問題と言う詐欺」との関わりについて指摘したように、カトリック教会はこの問題と深く関わっているのです。
ソウルにあるカトリック教会の一つを訪ねてみたところ、そこに、このいわゆる慰安婦像が設置してありました。教会の中に入ると、アメリカでもよくあるような現代版カトリックの雰囲気に満ちていました。モダンアートのような聖人の銅像やステンドグラスの窓などは、まるでカトリックの伝統を嫌っているかのように見える装飾の仕方でした。カトリック信者を見下しているような、そんな教会でした。この教会の事務所を訪ねてみると、慰安婦問題に関するハングルで書かれた本や、いわゆる慰安婦像についての情報など、慰安婦についての見事なプロパガンダ・コレクションを見せてくれました。
この件に関する更に大きな問題は、当時の韓国の大統領であった文在寅は、教皇フランシスコを支援するモダン・カトリック教徒でした。彼は、北朝鮮と韓国を統一したいと願っていることで広く知られている人物ですが、私の考えでは、彼の狙いは慰安婦問題を使ってフランシスコ教皇を朝鮮半島の政治問題に巻き込むことだと思います。もし慰安婦問題をうまく使えば、韓国と北朝鮮という現在では二つに分かれている朝鮮民族を一つにまとめる反日感情を煽ることが簡単にできるからです。それによって、朝鮮半島の統一がそ
の分だけ近づく可能性が高まります。
フランシスコ教皇は、そもそも米国嫌いですから、米国との関係が密な日本に対して嫌がらせができるのであれば、慰安婦問題を煽るのには何の異議もありません。極左の文在寅大統領にとっても、フランシスコ教皇にとっても、慰安婦問題は相互に利益をもたらす事柄なのです。
フランシスコ教皇にはもう一つの狙いがあります。それは、反日感情を煽ることで、移民や難民を十分に受け入れていないと彼が思っている日本に対して、お仕置きができるということです。彼は、国境にとらわれるべきではない、国境自体がキリスト教的ではないなどと、まさにグローバリスト的な発言を散々しています。日本のカトリックの聖職者の中には、左側に偏っている人々が多い気がしますが、フランシスコ教皇が言っている、国境無しの世界に親近感を抱いている神父も多いはずです。しかし、もし国境がなくなったら、日本にどのような人々が流れ込んでくるのでしょうか。