ヒルビリー・エレジー

アメリカ副大統領になったJ・D・ヴァンスの半生記、興味深く拝読しました。

ヒルビリー・エレジー

 本書は2025年にアメリカ副大統領になったJ・D・ヴァンス(ジェームズ・デイヴィッド・ヴァンス)が2016年に発表した回想録です。
 政治家としては、2022年の中間選挙でオハイオ州選出の上院議員となり、さらに2024年7月にドナルド・トランプの副大統領候補に指名されたことから、アメリカ副大統領になりました。

 誰かの自叙伝を読んだことは無かったように思います。
 拝読して、ヒルビリー(ヴァンスが取り上げたスコッツ=アイリッシュ)の一端を知ることが出来ました。
 渡辺由佳里さんの解説は2016年の選挙段階のもので、その時にもトランプはヒルビリーやラストベルトの人達たちに支持されたのですが、2024年の選挙でも同様だったと思います。
 

 J・D・ヴァンスさんの「ヒルビリー・エレジー」を紹介するために、以下に目次と渡辺由佳里さんの解説をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

ヒルビリー・エレジー J・D・ヴァンス



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目次

 はじめに

 第1章 アパラチア ―― 貧困という故郷 28 /  崇拝すべき男たち、避けられる不都合な事実

 第2章 中流に移住したヒルビリーたち 50 /  1950年代、工場とそして豊かさを求めて

 第3章 追いかけてくる貧困、壊れはじめた家族 75 /  暴力、アルコール、薬物……場違いな白人たち

 第4章 スラム化する郊外 90 / 実を見ない住民たち

 第5章 家族の中の、果てのない諍い 112 /  下がる成績、不健康な子どもたち

 第6章 次々と変わる父親たち 144 /  ―― そして、実の父親との再会

 第7章 支えてくれた祖父の死 175 /  悪化する母の薬物依存、失われた逃げ場

 第8章 狼に育てられる子どもたち 203 /  生徒をむしばむ家庭生活

 第9章 私を変えた祖母との3年間 219 /  安定した日々、与えてくれた希望

 第10章 海兵隊での日々 259 /  学習性無力感からの脱出

 第11章 白人労働者がオバマを嫌う理由 301 /  オハイオ州立大学入学で見えてきたこと

 第12章 イェール大学ロースクールの変わり種 329 /  エリートの世界で感じた葛藤と、自分の気質

 第13章 裕福な人たちは何を持っているのか? 348 /  成功者たちの社会習慣、ルールのちがうゲーム

 第14章 自分のなかの怪物との闘い 372 /  逆境的児童期体験(ACE)

 第15章 何がヒルビリーを救うのか? 392 /  本当の問題は家庭内で起こっている

 おわりに 413

 謝辞 429

 原注 434

 解説 渡辺由佳里 436  


解説 渡辺由佳里

~前略~

(2016年のアメリカ大統領選の時)
 ニューヨーク生まれの富豪で、貧困や労働者階級と接点がないトランプが、大統領選で庶民の心を掴んだのを不思議に思う人もいる。だが、彼は、プロの市場調査より、自分の直感を信じるマーケティングの天才だ。長年にわたるテレビ出演や美人コンテスト運営で、大衆心理のデータを蓄積し、選挙前から活発にやってきたツイッターや予備選のラリーの反応から、「繁栄に取り残された白人労働者の不満と怒り」、そして 「政治家への不信感」の大きさを嗅ぎつけたのだ。
 トランプを冗談候補としてあざ笑っていた政治のプロたちは、彼が予備選に勝ちそうになってようやく慌てた。都市部のインテリとしか付き合いがない彼らには、地方の白人労働者の怒りや不信感が見えていなかったからだ。そんな彼らが読み始めたのが、本書『ヒルビリー・エレジー(田舎者の哀歌)』だ。

 無名の作家が書いたこのメモワール(回想記)が、静かにアメリカのベストセラーになっている。
 著者のJ.D.ヴァンスは、由緒あるイェール大学ロースクールを修了し、サンフランシスコのテクノロジー専門ベンチャー企業のプリンシパルとして働いている。よく見かけるタイプのエリートの半生記が、なぜこれだけ注目されるのかというと、ヴァンスの生い立ちが普通ではないからだ。
 ヴァンスの故郷ミドルタウンは、AKスチールという鉄鋼メーカーの本拠地として知られる、オハイオ州南部の地方都市である。かつて有力鉄鋼メーカーだったアームコ社の苦難を、川崎製鉄が資本提携という形で救ったのがAKスチールだが、グローバル時代のアメリカでは、ほかの製造業と同様に急速に衰退していった。失業、貧困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延するヴァンスの故郷の高校は、州で最低の教育レベルで、しかも2割は卒業できない。大学に進学するのは少数で、トップの成績でも、ほかの州の大学に行くという発想などはない。大きな夢の限界はオハイオ州立大学だ。
 ヴァンスは、そのミドルタウンの中でも貧しく厳しい家庭環境で育った。両親は物心ついたときから離婚しており、看護師の母親は、新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返す。そして、ドラッグの抜き打ち尿検査で困ると、当然の権利のように、息子に尿を要求する。それで拒否されたら、泣き落としや罪悪感に訴えかける。
 母親代わりの祖母がヴァンスの唯一のよりどころだったが、十代で妊娠してケンタッキーから駆け落ちしてきた彼女も、貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。小説ではないかと思うほど波乱に満ちた家族のストーリーだ。
 こんな環境で高校をドロップアウトしかけていたヴァンスが、イェール大学のロースクールに行き、全米のトップ1%の裕福な層にたどり着いたのだ。この奇跡的な人生にも興味があるが、ベストセラーになった理由はそこではない。
 ヴァンスが「Hillbilly(ヒルビリー)」と呼ぶ故郷の人々は、トランプのもっとも強い支持基盤と重なるからだ。多くの知識人が誤解してきた「アメリカの労働者階級の白人」を、これほど鮮やかに説明する本は他にはないと言われる。

 タイトルになっている「ヒルビリー」とは、田舎者の蔑称だが、ここでは特に、アイルランドのアルスター地方から、おもにアパラチア山脈周辺のケンタッキー州やウェスト・ヴァージニア州に住み着いた「スコッツ=アイリッシュ(アメリカ独自の表現)」のことである。  ヴァンスは彼らのことをこう説明する。
 「そうした人たちにとって、貧困は、代々伝わる伝統といえる。先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、その後はシェアクロッパー(物納小作人)、続いて炭鉱労働者になった。近年では、機械工や工場労働者として生計を立てている。アメリカ社会では、彼らは『ヒルビリー(田舎者)』『レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)』『ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)』と呼ばれている。だが私にとって、彼らは隣人であり、友人であり、家族である」
 つまり、彼らは「アメリカの繁栄から取り残された白人」なのだ。
 「アメリカ人の中で、労働者階層の白人ほど悲観的なグループはない」とヴァンスは言う。黒人、ヒスパニック、大卒の白人、すべてのグループにおいて、過半数が「自分の子どもは自分より経済的に成功する」と次世代に期待している。ところが、労働者階級の白人では、44%でしかない。「親の世代より経済的に成功していない」と答えたのが42%だから、将来への悲観も理解できる。
 悲観的なヒルビリーらは、高等教育を得たエリートたちに敵意と猜疑心を持っている。ヴァンスの父親は、息子がイェール大学ロースクールへの合格を知らせると、「(願書で)黒人かリベラルのふりをしたのか?」と尋ねた。彼らにとっては、リベラルの民主党が「ディバーシティ(多様性)」という言葉で守り、優遇しているのは、黒人や移民だけなのだ。知識人は、白分たちを「白いゴミ」としてばかにする鼻持ちならぬ気取り屋であり、白分たちが受けている福祉を守ってくれていても、それを受け入れるつもりも、支持するつもりもない。
 彼らは「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが悪い」と言い訳する。

 そんなヒルビリーたちに、声とプライドを与えたのがトランプなのだ。
 トランプの集会に行くと、アジア系の私か恐怖感を覚えるほど白人ばかりだ。だが、列に並んでいると、意外なことに気づく。
 みな、楽しそうなのだ。
 トランプのTシャツ、帽子、バッジやスカーフを身に着けて、おしゃべりしながら待つ支援者の列は、ロックコンサートやスポーツ観戦の列とよく似ている。
 彼らは、「トランプのおかげで、初めて政治に興味をいだいた」という人たちだ。「政治家は票が欲しいときだけ甘い言葉で騙す」「政治家はマイノリティや外国人ばかりを『ポリティカル・コレクトネス』で優遇する。損をしているのは自分たちだけだ」という不信感や不満を抱いてきたのだが、政治には関心を抱かなかった。目を輝かせ、ウキウキとした口調でトランプを語るタイプには、「投票するのは今回が初めて」と言う人がとても多かった。
 なぜ彼らがこれほど情熱的になるかというと、トランプが、自分たちにわかる言葉でアメリカの問題を説明してくれたからだ。「悪いのは君たちではない。イスラム教徒、移民、黒人、不正なシステムを作ったプロの政治家やメディアが悪い」というメッセージも、ふだん自分たちが家族や仲間うちで語っていたことと一致している。
 「トランプの支持者は暴力的」というイメージがあるが、それは外部の人間に向けての攻撃性であり、お互い同士は、とてもフレンドリーだ。トランプの「言いたいことを隠さずに語る」ラリーに参加した人は、大音響のロックコンサートを周囲の観客とシェアするときのような昂揚感を覚える。ここで同じ趣味を持つ仲間もできる。しかも、このロックコンサートは無料なのだ。
 この場で得た印象は、スポーツ観戦とも似ていた。特に「チーム贔屓」の心境が。 ボストン・レッドソックスのファンは、自分のチームをとことん愛し、ニューヨーク・ヤンキースとそのファンに強い敵意を抱く。この感情に理屈はない。いったん忠誠心を抱いたファンは、ヒーローのミスに寛容だ。だから、彼らはトランプの度重なるスキャンダルを、「人間は完璧ではないから」と許したのだ。
 こういったトランプの支持者たちから直接話を聞いてきたので、ヴァンスの本を読んでいて、「同じ人々だ」と思った。私が会ったのは、東海岸北部であり、ヴァンスが生まれ育った中西部とは異なる。だが、古い産業が廃れ、失業率が高くなり、ヘロイン中毒が蔓延しているアメリカの田舎町では、同じようなトランプ現象が起こっていた。

 ヴァンスは家族や隣人として彼らを愛している。だが、「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが悪い」という彼らの言い訳を否定する。社会や政府の責任にするムーブメントにも批判的だ。
 というのも、ヴァンスは自分がアルバイトしているときに、職を与えられても努力しない白人労働者の現実を目撃したからだ。遅刻と欠勤を繰り返し、解雇されたら、怒鳴り込む同僚もいた。教育においても医療においても、政府の援助を受けずには自立できないのに、それを与える者たちに牙をむく隣人たちも見てきた。そして、ドラッグのための金を得るためなら、家族や隣人から盗み、平気で利用する人たちも。
 本書に出てくる、困難に直面したときのヒルビリーの典型的な対応は、怒る、大声で怒鳴る、他人のせいにする、困難から逃避する、というものだ。
 ヴァンスはこう言う。「統計資料によれば、私のような境遇に育った子どもは、運がよければ公的扶助を受けずにすむが、運が悪ければヘロインの過剰摂取で命を落とす。昨年、私の故郷の小さな町でも何人もが亡くなったように」と。
 彼がアイビーリーグ大学のロースクールに行って弁護士になれたのは、彼がずば抜けた天才だったからではない。幸運にも、愛情を持って援助してくれた人たちがいたからだ。また、海兵隊に入隊したのも、人生を変えるきっかけになった。ヴァンスは、海兵隊で初めて、ハードワークと最後までやり抜くことを学び、それを達成することで自尊心を培った。
 「将来に希望を抱くことができない」。それは人の生きるエネルギーを殺す。
 周囲の大人が、「努力しても無駄」と思い込んでいる場所で育った子どもが、希望を抱けるはずはないし、努力の仕方を学ぶこともできない。
 ヴァンスのように幸運でなかった者は、「努力はしないが、ばかにはされたくない」という歪んだプライドを、無教養と貧困とともに親から受け継ぐ。
 この問題を、どう解決すればいいのだろうか?
 ヴァンスは、ヒルビリーの子どもたちに、安心して学べる環境や、自分のようなチャンスを与えるべきだと考える。そして、悪循環を切るのだ。だが、その方法については「私にも答えはわからない」と言う。
 「(だが)オバマやブッシュや企業を非難することをやめ、事態を改善するために自分たちに何ができるのか、自問自答することからすべてが始まる」

 残念なことに、白人労働者が情熱的に応援したトランプ大統領は、就任後2週間にして、すでに労働者たちを裏切っている。
 たとえば、トランプ候補は、通称「オバマケア」と呼ばれる医療保険改革制度(Affordable Care Act)を、「もっと素晴らしいものに取り替える」と公約したが、トランプ大統領と共和党が支配する連邦議会がオバマケアを廃止した後には、多くの国民が健康保険を失うことになる。その大部分は、ヴァンスが本書で紹介しているような、トランプを応援した低所得のヒルビリーたちだ。
 また、トランプ大統領は、「メキシコとの国境に壁を作り、その費用をメキシコに払わせる」と公約したが、膨大なコストを「メキシコからの製品に20%の関税をかける」ことで賄うと提案した。しかし、それはメキシコに払わせるということにはならない。アメリカの消費者が負担するということだ。アメリカは特に冬場の野菜や果物を、メキシコからの輸入に頼っている。実現したら、野菜だけでなく、すべての製品に影響が現れるだろう。即座に打撃を受けるのは、無職や低所得の国民ということになる。
 都市に住む知識階級のリベラルは、すでにこの裏切りに気付いているが、そこを指摘しても、分断したアメリカの溝を埋めることはできない。現在のアメリカは、海外との交流以上に、都市と地方との交流が必要になっているのかもしれない。

 50年後のアメリカ人が2016年のアメリカを振り返るとき、本書は必ず参考文献として残っていることだろう。

 2017年2月






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