イスラム教再考

イスラム教の実態を知ることはとても重要だと思います。

イスラム教再考

 

移民を受け入れるかどうかという判断の材料としても、イスラム教を知ることは大切だと思います。
飯山陽さんの「イスラム教再考」はとても勉強になりました。

 「イスラム的価値観は近代的価値観とは異なる」では次のようにお書きです。

理解すべきは、イスラム的価値観は、全ての人間に等しく自由や権利を認めるべきだとする近代的価値観とは全く異なるという事実です。私たちがイスラム研究者のウソに騙され、イスラム教を受け入れれば私たちの問題は全部すっかり解決され、理想的な世の中が実現されるなどと信じ込み、イスラム教を受け入れた後になって初めて、自由や人権を失ってしまったと気づいたのでは遅いのです。

イスラム教徒の「気持ち」やそれを大袈裟に書き立てるメディアの圧力に屈し、あるいは「配慮」し、次々と彼らの要求を受け入れるならば、日本は瞬く間に「第二のヨーロッパ」となるでしょう。

あなたたち日本人がイスラム教徒ではないこと自体がそもそも神の命令に反していると言われたら、私たちは全員イスラム教に改宗するのでしようか?

イスラム主義はテロの実行だけではなく、ポリコレを利用し、このようなやり方で世界をイスラム化しようとするイデオロギーでもあり、イスラム主義の浸透を許した西欧では実際にイスラム化が進行しているのです。

 飯山陽さんの「イスラム教再考」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

イスラム教再考 飯山陽


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目次

 はじめに ―― イスラム研究者が拡散させた「誤ったイスラム像」 …… 2
ヨーロッパで進む社会の「イスラム化」 / 拡散されるイスラム研究者の欺瞞 / 「リベラル」を自称する「活動家」たち / 「ポリティカル・コレクトネス」による社会の分断 / イスラム主義者と連帯するリベラル知識人 / 日本を「第二のヨーロッパ」にしないために

 第一章「イスラムは平和の宗教」か …… 25
「イスラム教は平和の宗教」論の広まり / 外務省「イスラム研究会」設立 / イスラム教における「平和」とは / ジハードは「聖戦」ではなく「努力」? / イスラム法におけるジハードとは / 大ジハードに啓示的根拠なし / 自爆攻撃は正当化されるか / 全ての人々が「アッラーの他に神なし」と言うまで戦え

 第二章「イスラム教ではなくイスラームと呼ぶべきか …… 51
「教」を付けずに呼ぶ「ルール」 / 「イスラームこそ解決」というイデオロギー / 「単なる宗教ではない」というイメージ戦略 / イスラム絶対体制イランの実態 / イランを賛美しタリバンを擁護するイスラム研究者 / 「イスラム国にもメンツがある」 / 政治信条やイデオロギーの投影の対象

 第三章「イスラムは異教徒に寛容な宗教」か …… 80
高校世界史の教科書にも描かれる「寛容さ」 / 宗教による差別を大前提とした「イスラム的共存」 / 異教徒は「殺すべき対象」 / 棄教者は死刑 / 『コーラン』の冒涜は許さない / ズィンミーヘの迫害 / イスラム的共存を認めてよいのか / 実際に異教徒を攻撃するイスラム教徒はほとんどいない

 第四章「イスラム過激派テロの原因は社会にある」か …… 108
「イスラム過激派テロの原因は社会にある」という論理 / 「イスラム主義との戦い」を宣言したフランス / イスラム過激派の実態 / イスラム教徒はテロリスト予備軍なのか / 啓示の一言一句全てが真理だと信じるイスラム教徒 / イスラム過激派テロをアメリカのせいにする陰謀論者 / イスラーム復興論 / テロの原因はイデオロギー自体にある

 第五章「ヒジャーブはイスラム教徒女性の自由と解放の象徴」か …… 36
ヒジャーブは「サラリーマンのネクタイのようなもの」? / ヒジャーブ着用は宗教的義務 / ヒジャーブ着用を法制化しているイラン / ヒジャーブ着用により女性は守られるか / 男性は理性で欲望をコントロールできない存在 / イスラム教におけるヒジャーブとは / 異教徒の女性は性奴隷 / ヨーロッパで続発するレイプ事件 / 性暴力を告発した被害者側への非難 / イスラム主義を広める「退行的左翼」 / ヒジャーブをしない自由も尊重されるべき

 第六章「ほとんどのイスラム教徒は穏健派」か …… 164
少なくないイスラム教徒がイスラム過激派を支持 / 身体刑の執行を支持 / 信教の自由、表現の自由を否定 / LGBTを否定 / 蔓延する子供への体罰・精神的虐待と児童婚 / 女性の価値は男性の半分 / 妻は夫に完全服従 / 名誉殺人に寛大 / イスラム教徒女性の実態を隠蔽するイスラム研究者 / イスラム教徒が「本当の穏健派」になることの困難さ

 第七章「イスラム教を怖いと思うのは差別」か …… 194
イスラム教を怖いと思うのは無知が原因? / イスラモフォビア(イスラム恐怖症)批判 / 政治的武器としてのイスラモフォビア / イスラム教を怖いと思っただけで犯罪認定 / イギリスで加速するイスラモフォビアヘの法規制 / 仏大統領を精神病扱い / 日本でも広がる「イスラム教は怖い=差別」の風潮 / イスラム・ファシズムとの闘い

 第八章「飯山陽はヘイトを煽る差別主義者」か …… 223
日本のイスラム研究業界の不文律 / 「ニセ学者」のレッテル / 論証①「『イスラム国』のイスラム教解釈は間違っていない」について / 論証②「インターネットで増殖する『正しい』イスラム教徒」について / 論証③「人口増加でイスラム教徒を増やす『ベイビー・ジハード』」について / 論証④「『地元のゴロツキ』が自爆テロに走るのは『洗脳されたから』ではない」について / 論証⑤「娼婦は認めないが女奴隷とはセックスし放題」について / 論証⑥「レイプの被害者は『姦通』でむち打ちされる」について / 論証⑦「手首切断も石打ち刑も世論の大半が支持」について / インターネット上の誹謗中傷 / アメリカ・イスラム関係評議会(CAIR)の手口 / 日本のイスラム研究者が本当に守りたいもの

 終章イスラム教を正しく理解するために …… 246
誤った固定観念が生む問題 / イスラム的価値観は近代的価値観とは異なる / イスラム主義の台頭を許した西欧の「罪悪感」 / ポリコレと多文化主義の見直し / イスラム諸国で進む人権擁護 / イスラエルとアラブ諸国の国交正常化がもたらすもの / 「アブラハム合意」を歓迎しないのは誰か / 日本のイスラム研究者とメディアが広めたウソからの脱却を

 [参考文献] …… 279
 


ヨーロッパで進む社会の「イスラム化」

 日本ではここ10年来、ヨーロッパではそのはるか以前から、メディアや「リベラル」を自称する知識人は「多様性のある社会」「多文化共生」という理念を掲げてきました。彼らは、「外国人移民や難民を多く受け入れれば、その社会はより豊かになり活性化し、持続的に発展する」とさかんに吹聴してきました。
 しかし、20世紀後半以降多くの移民、難民を受け入れたヨーロッパでは、「多様性のある社会」の代わりに「イスラム化の進んだ分断社会」が生まれ、伝統的社会は破壊されました。なぜなら新たにヨーロッパに住み始めた外国人の多数派がイスラム教徒であり、彼らの多くはヨーロッパの近代的価値観を受け入れることなく、イスラム的価値観を堅持したからです。
 メディアやリベラル知識人は、「イスラム教徒も近代国家に暮らせば必ず近代的価値観を受け入れる」「時が経てば宗教などという前近代的なものは棄て去り、その国の文化に同化する」と主張してきました。しかしそれはウソだということを、私は拙著『イスラム2・0』(河出新書、2019年)で論じました。実際にヨーロッパでは、メディアやリベラル知識人の楽観的見通しとは全く異なる現実が展開されています。
 なぜならイスラム教徒にとっての正しさの基準は、人間理性ではなく「神の意志」にあるからです。彼らは、神の意志を絶対とするイスラム的価値観は人間理性を絶対とする近代的価値観より優れており、ゆえにイスラム教徒は欧米人よりも道徳的に優位にあると信じています。ですからいつまで経っても宗教を棄て、神を棄てて「進歩」することなどないのです。
 イスラム教徒は私たちと「オンナジ」ではありません。「全然違う」のです
 ヨーロッパではイスラム教徒移民が増加するにつれ、二つの価値観の矛盾が様々な問題となって噴出し、並行社会が出現し、既存の社会の解体が進みました。治安の悪化により女性や子供が自由に外出することができなくなった地域もあれば、レイプ被害を避けるため露出の多い服を着たり、一人で外出したりしないよう女性に呼びかける自治体もあります。警察や行政はイスラム教徒の犯罪を取り締まることにより「ヘイトだ!」「差別だ!」とレッテルを貼られるのを恐れ、それを見逃したり隠蔽したりするようになりました。その結果、治安の悪化はますます加速し、自由が顕著に失われています。
 しかし日本ではいまだにリベラル知識人が、「多様性こそが発展と繁栄をもたらす」というスローガンを吹聴し続けています。その一翼を担うのがイスラム研究者です。


イスラム教における「平和」とは

 しかし政治的文脈から離れイスラム教の教義や歴史を検証すると、その信憑性が極めて疑わしいことが明らかになります。
 第一にイスラム教における「平和」は、私たちが通常考える平和とは全く異なります。
 一般的に平和というのは戦争のない状態を意味しますが、イスラム教は全世界がイスラム法によって統治された時に初めて平和がもたらされると考えます。平和という言葉は客観的な意味を持っており世界中どこでも共通だ、というのは幻想です。
 イスラム教の啓典『コーラン』第8章39節には、「騒乱がなくなるまで、そして宗教のすべてが神のものとなるまで戦え」と明示されています。イスラム教徒は、『コーラン』の一字一句を神の言葉そのものと信じます。これはイスラム教の根幹をなす教義であり、これを否定する者はもはやイスラム教徒とはみなされません。
 アヴェロエスの名で知られる中世イスラム世界の思想家イブン・ルシュド(1198年没)は、イスラム法学者(神の法とされるイスラム法を解釈する専門家)はこの章句に基づき、全ての多神教徒が戦いの対象である旨で合意していると述べています。高名なイスラム法学者イブン・タイミーヤ(1328年没)も、イスラム教徒は宗教の全てが神のものとなるまで不信仰者と戦い続けなければならないと述べています。
 全人類がイスラム教徒になるかイスラム統治下におかれれば平和になる、というのがイスラム教の論理です。ですからたとえ今現在戦争が行われていなくても、イスラム教による世界征服がいまだ実現されていない以上、イスラム数的には平和ではないのです。
 中田考は『一神教と戦争』で、「私自身としては戦争のない平和な世界がいいとは必ずしも思っておりません」と明言しています。さらに、「これまでのような戦争は絶対悪だという言い方ではなく、もっとリアルに現実を認めた上で、その中で適用可能な理念をもう一度再構築しないといけない」とも述べています。
 中田が目指すのはカリフ制再興、つまり「イスラム革命」です(詳細は第二章)。そのためには戦争が必要です。だから中田は戦争を肯定するのです。
 イスラム教を革命イデオロギーとみなす考えは、例えばインド生まれの思想家マウドゥーディー(1979年没)の著作にはっきりとみてとれます。『イスラム教におけるジハード』には、「イスラム教は全世界の社会秩序を変え、自らの教義と理想に沿って社会秩序を再構築しようとする革命的なイデオロギーである」といった革命思想が記されています。
 マウドゥーディーは、次のようにも述べています。

 イスラム教のジハードの目的は、非イスラム的なシステムの支配を排除し、イスラム的国家支配のシステムを確立することである。イスラム教は単一の国や少数の国々に限定された革命ではなく、普遍的な革命をもたらすことを目的としている。

 しかし中田は、マウドゥーディーのようなイスラム革命思想を唱え戦争を肯定する一方、2015年3月の「東洋経済オンライン」のインタビューでは「イスラームは好戦的ではない」と述べています。明らかに自己矛盾しています。
 中田をはじめとするイスラム擁護論者が、時と場合に応じて矛盾した言説を臆面もなく口にするのはおそらく、それは許容されると信じているからです。
 預言者ムハンマドは「戦争とは欺瞞である」と言ったと伝えられているように、イスラム教の教義は状況次第で信仰を隠したりウソをついたりすることを許容します。
 イスラム史上最大の思想家とされるガザーリー(1111年没)は、「話すことは目的達成のための手段である。(略)ウソをつくことによってある善い目的が達成されるが、真実を語ることによってでは達成されない場合、ウソをつくことは許され、その目的が義務である場合にはウソをつくことは義務となる」と述べています。
 イスラム法理論には、「目的は手段を正当化する」という重要な法諺もあります。
 『コーラン』注釈者や歴史家として知られるタバリー(923年没)も、「もしあなたがた(イスラム教徒)が彼ら(異教徒)の権威の下で自分の身を案じるならば、彼らに対して内心では敵意を抱いていても。舌では彼らに忠実に振る舞えばいいのである」と記しています。面従腹背も状況次第で認めるのがイスラム教です。
 第二に、イスラムという語は確かに平和を意味する「サラーム」という語と同じ三語根SLMから派生していますが、イスラムという語の中に平和の意味は全くありません。イスラムISLAMという語は動詞SALIMAの第四形ASLAMAの動名詞形です。ASLAMAは「自らを相手に完全に引き渡す、服従する」という意味であり、その動名詞形ISLAMは「自分の意志や考え、欲望などを全て放棄し、神に無条件的に服従する」という意味です。自分がどう思おうと神の言ったことが正しく、どんなに嫌でも神の命令には従わなければならない、というのがイスラム教です。


イスラム法におけるジハードとは

 『コーラン』においてジハードは、第9章73節「預言者よ、不信仰者と偽善者に対してジハードし、厳しく対処するがいい。かれらの住まいは地獄である」、第25章52節「不信仰者に従うな。彼らに対しては大いにジハードせよ」のように使われています。
 『コーラン』の中には異教徒に対して宥和的な章句もありますが、その全ては第9章5節「多神教徒を見つけ次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、またすべての計略(を準備して)これを待ち伏せよ」が啓示されたことによって「廃棄」された、というのがイスラム学上の支配的解釈です。
 ジハードという語はしばしば、「神の道におけるジハード」というかたちで用いられています。『コーラン』第4章74節には、「神の道において戦った者に対しては、殺害されようと勝利を得ようと、われ(神)は必ず偉大な報奨を与えよう」、第61章10~11節には「あなたがた信仰する者よ、われ(神)は痛苦の懲罰から救われる一つの取引を示そう。それはあなたがたが神とその使徒を信じ、あなたがたの財産と生命をもって神の道にジハードすることだ」とあります。
 ハディースでも、最善の行為とは何かと質問された預言者ムハンマドは、「神への信仰と彼(神)の道におけるジハードである」と答えています。また彼は天国での地位を百階級昇格させる行為は何かと質問され、「神の道におけるジハードだ」と答えています。神は「神の道におけるジハード」で殉教した者を天国に入れ報酬を与える、とも述べています。別のハディースは、「もし私が殺されたらどこに行くのでしょう」と質問されたムハンマドが「天国だ」と答えると、その男は食べていたナツメヤシの実を放り出し、殺されるまで戦い続けた、と伝えています。
 ムハンマドは「最高のジハードとは何か」という質問に対しては、「その者(ジハードに参加した人)の血が流され、彼の馬が負傷するものだ」と答え、「天国とは剣の影の下にあることを知れ」と言ったとも伝えられています。
 イスラム法の第一法源、第二法源は『コーラン』とハディースです。ですからイスラム法ではもっぱら、ジハードは血を流して行う異教徒との戦争であり、それはイスラム教徒一般に課せられた義務にして、最善の信仰行為だと規定されています。イスラム法の中に、内面的努力としてのジハードを義務づける規定はありません。
 イブン・タイミーヤは「イスラム法の定める戦争の基本はジハードである。その目的は、宗教が全て神のものとなり、神の言葉が至上のものとして崇められるようになることにある。それを妨げる者に対しては、戦争が仕掛けられねばならぬ旨でイスラム教徒たちの見解は一致している」「ジハードとその美徳が『コーラン』と預言者ムハンマドの慣行の中で讃えられている回数は数えきれないほどである。ジハードは人間が神に捧げる最高の奉仕の形である」と述べています。これが典型的な規範的ジハード認識です。
 ジハードが異教徒との戦争であることはイスラム諸国の教科書にも明記され、学校で子供たちに教えられている「常識」でもあります。NPO「学校教育における平和と文化的寛容の監視のための研究所(IMPTCA-se)」は2020年8月、カタールの学校教科書238冊を分析した結果として、ムスリム同胞団の思想の影響を強く受けており、ジハードで戦うことは義務、子供がジハードを愛するよう教えるのがよき母親であると教えたり、ジハードで死んだ殉教者を称えたりしており、ユネスコが定める「学校教育における平和と寛容」の基準を下回ると報告しました。


イスラム絶対体制イランの実態

 しかしイスラム教が世界を支配すれば、私たちのような異教徒にとっても「真に自由でグローバルな世界」が実現されるという中田の主張は、本当でしょうか。
 日本のイスラム研究者は、イスラム教による統治を行う主体を過度に賛美し擁護します。
 その代表格がイラン・イスラム共和国です。なぜならイランは、1979年にイスラム革命により近代を捨てイスラム絶対体制を確立した自他共に認める反米・反近代国家だからです。彼らにとってイランは、イスラームが近代のオルタナティブたりうることを証明した貴重な存在です。
 イランは憲法前文で、イラン軍を「全世界に神の法がうち立てられるまでジハードを戦い抜く」ためのものだと規定します。世界の「被抑圧者」と連帯してアメリカとイスラエルという「抑圧者」を打倒し、世界にイスラム革命をもたらすことによって被抑圧者を解放するというのがイランの国是です。
 ところがイラン議会の研究センターは2019年、まもなくイラン国民の23~40%が絶対的貧困ラインを下回る生活をすることになり、2020年にはさらに5700万人が貧困に陥るという予測を示しました。その一方でロイター通信によると、2013年11月時点でイラン最高指導者ハメネイは少なくとも950億ドル相当の資産を保有しており、そのかなりの部分が個人の家や企業、土地などを恣意的に没収したことに由来するとされます。
 2019年11月にはガソリン価格が一挙に3倍に引き上げられたことを受け、革命以来最大規模となるデモが全国で発生し、ロイター通信は参加者1500人以上が当局に殺害されたと伝えました。国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルは、拘束されたデモ参加者約7000人に対し極めて残虐な拷問が行われ自白が強要されている実態について2020年9月、報告書を公開しました。
 イランの体制は被抑圧者の解放を掲げつつ、支配者だけが富を独占し国民を抑圧しているのが実態です。ハメネイは2019年11月には、「被抑圧者とは貧者や弱者ではなく、全人類の指導者たるイマーム(イスラム教の指導者)だ」と演説しました。被抑圧者などという概念は、支配者のロジックでなんとでも解釈できるのです。
 また米国務省が2018年、イランはレバノンのヒズボラに年間7億ドル、ハマスやイスラミック・シハードに1億ドルを資金提供していると報告したように、イランはイスラム過激派武装組織を手厚く支援する一方、中国当局に迫害されているウイグル人イスラム教徒については言及すらしません。それどころか2020年には中国と25年間にわたる40兆円超規模の軍事、安全保障、経済等の包括協定を策定しました。イラン当局が支援するのは、自らのイデオロギーに都合のいい被抑圧者だけなのです。
 イランの法では、裁判における女性の証言は男性の証言の価値の半分とされ、女性が殺害された場合に請求できる「血の代償」も男性が殺害された場合の半額、相続においても女性は男性の半額とされています。異教徒は同じ罪を犯してもイスラム教徒より重い罰を受け同性愛行為はむち打ち刑に処されます。女性と異教徒、同性愛者に対する差別を法で規定するイランは、米国際宗教自由委員会(USCIRF)により、最も信教の自由の侵害がひどい「特に懸念のある国」に指定されています。
 イラン人として、およびイスラム教徒女性として初のノーベル賞(平和賞)受賞者である人権活動家シリン・エバディは2020年10月、イランは人権侵害のレッドカードに相当すると非難し、国際的な圧力をかけるべきだと呼びかけました。彼女自身も亡命を余儀なくされています。


実際に異教徒を攻撃するイスラム教徒はほとんどいない

 「イスラムは異教徒に寛容な宗教」ではありません。イスラム教の教義は信者に対し、異教徒を侮蔑し、差別し、敵とみなし、異教徒も異教の象徴も攻撃するよう命じています。これは全ての人の信教の自由、平等を旨とする近代的価値とは相容れません。このイスラム教の教義を許容することは、近代的価値の放棄、自由で民主的な社会の崩壊を意味します。
 カナダのトルドー首相は2016年にテレビ・インタビューで、「イスラム教は欧米の世俗的な民主主義と相容れないわけではない」と述べました。しかしこの発言はイスラム教の教義を全く反映していません。イスラム教やイスラム教徒を擁護することは一国の首相として価値ある大義ではありますが、価値ある大義に基づいて言ったことが必ずしも正しいとは限りません。
 そしてここでも重要なのは、教義で命じられてはいても、実際に異教徒を攻撃するイスラム教徒はほとんどいない、という事実です。
 私は長くイスラム圏に暮らし、多くのイスラム教徒と付き合ってきましたが、イスラム教徒がジハードを称賛したり殉教に憧れたりする言葉は、うんざりするほど聞かされましたし、個人的に「売春婦!」など侮辱的な言葉を浴びせられたり、身体を触られたり執拗に追いかけ回されたりした経験も無数にあるものの、幸いナイフや銃を向けられたり、殺されそうになったりしたことはありません。
 他方、1997年のルクソールでのテロ事件、2013年のアルジェリアのガスプラントでのテロ事件、2015年の「イスラム国」による邦人誘拐と処刑、チュニスの博物館でのテロ事件、2016年のダッカでのテロ事件など、異教徒であるがゆえにイスラム過激派によって殺害された日本人が多数いるのも事実です。
 イスラム諸国の多くで、異教徒がイスラム教徒から差別・迫害されているのも事実です。 
 どのような宗教や価値観、思想を持っていようと、他者に危害を加えない範囲であれば認められる、というのが私たちの社会の原則です。友人や仕事仲間、ご近所さんなどとして、イスラム教徒と一定の関係を構築することは可能です。しかしそのためには、イスラム教徒を特別扱いすることなく、法治を徹底する必要があります。
 たとえイスラム教的に正しい行為であろうと、日本では仏像の破壊、女性や子供、LGBTに対する人権侵害、暴力、殺人などは犯罪として徹底的に取り締まるべきです。それは彼らがイスラム教徒だからではありませんし、ましてや差別でもありません。イスラム教徒であろうとなかろうと、日本に住む以上は日本の法律を遵守しなければならず、違法行為を犯した者は平等に取り締まるのが法治の原則だからです。ポリコレや文化相対主義を理由に、「彼らには彼らの文化があるのだから、それを我々の価値観で判断してはならない」などと考え、彼らの違法行為を見逃したり、寛大な措置をとったりするならば、日本の法治体制は容易に崩壊し、治安は著しく悪化するでしょう。
 そうした事態を自ら招かないためにも、私たちは「イスラムは異教徒に寛容な宗教」などと思い込んで気を緩めたり、特別扱いしたりしてはならないのです。


テロの原因はイデオロギー自体にある

 イスラム研究者と歩調を合わせ、「イスラムは平和の宗教」でありテロとは無関係であって、「イスラム過激派テロの原因は社会にある」と喧伝し続けているのがメディアです。
 メディアにおいて「イスラム国」という名称が「IS」と変更されたのは、事実の歪曲の好例です。NHKはこれについて、「この組織が国家であると受け止められないようにするとともに、イスラム教についての誤解が生まれないように(2015年2月)13日夜から原則として『過激派組織IS=イスラミックステート』とお伝えすることにしました」と理由を説明しています。
 しかしいくらメディアがISと呼ほうと、今も「イスラム国」がイスラム教の教義に忠実に従い残虐行為を続け、勢力を拡大させている事実が変わることはありません。
 メディアとイスラム研究者は、ウソによって事実を歪曲したり隠蔽したりすることにより、私たちの目を事実から逸らせているだけではありません。私たちがイスラム教とテロは無関係でテロの原因は社会にあると思い込み、私たちさえイスラム教徒を寛容に扱えば彼らがテロを起こすことはないと勘違いすれば、それを利用してイスラム過激派は易々と勢力を拡大させることができます。メディアやリベラル知識人にコロッと騙されひたすら自省する私たちを見て、彼らはほくそ笑んでいるのです。
 お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光と多摩美術大学教授の中沢新一は、『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、2006年)で次のような対話をしています。

 太田 「ブッシュや小泉さんの『テロに屈しない』というセリフは、すごく勇ましいわけです。でも僕としては、そこでちょっとテロに屈してみてもいいんじゃないかと思ったりする。」

 中沢 「テロに屈する必要はたしかにある。」

 両氏はテロに屈する勇気を持とうと言い出せる「空気」が重要なのだとし、それこそが憲法九条の精神だと主張します。
 しかしイスラム過激派テロに屈すれば、日本という国家の権力が彼らよりも弱く、人質さえ取れば日本を平伏させることができると立証することになります。またそれは彼らによる支配を受け入れ、彼らのイデオロギーに服従することの証であり、自由や平等、民主主義といった私たちにとって重要な価値の完全なる喪失をも意味します。
 憲法九条を守る目的、あるいは奇を衒う目的で安易にイスラム過激派テロに言及し、憲法九条さえあればテロを恐れる心配などないかのように吹聴したり、テロの脅威を軽視したりすることも、多くの人々を誤解させて油断させ、結局はイスラム過激派を利することにつながります。
 メディアとそこに露出するリベラル知識人やイスラム研究者は、ウソによって人々や社会のイスラム過激派に対する警戒心や問題意識を失わせ、それによってイスラム過激派の勢力拡大に間接的に寄与しているのです。彼らには退行的リベラル、イスラム左翼主義の特徴がよく当てはまります。
 反ユダヤ主義の研究者A・H・ローゼンフェルトは、左翼がイスラム主義を応援するのは、イスラム教が反乱の急先鋒としてグローバル資本主義とのジハードに従事するのを見たいという革命的な目論見があるからだと述べています。イスラム研究者やメディアがイスラム過激派を擁護するのは、彼らを憎き資本主義、悪の化身アメリカに立ち向かうヒーローだとみなしているからでしょう。
 高橋和夫は『イスラム国の野望』で「イスラム国」について、「彼らの敵意は基本的に欧米に向けられている」「むしろ日本人に対しては、友好的な雰囲気すら感じられます」とまで述べ、だから「イスラム国に接近するジャーナリストや研究者の活動をあまりに縛ることは、情報面での優位を潰す結果になります」と結論づけました。しかし、この本が出版された2015年1月30日の直後に、イスラム国に拘束されていた日本人ジャーナリストが殺害されました。私たちはこうした事実無根も甚だしい噴飯ものの明白なウソをつく研究者に、疑惑の目を向けるべきです。
 UAEのアブドラ外相(当時)は2015年11月、「テロリズムを正当化することはテロリズムだ」と述べました。ムスリム世界連盟事務局長にしてサウジのムハンマド皇太子の宗教顧問でもあるムハンマド・イーサーは2020年10月、「イスラム過激派やテロリストをいかなる形であれ擁護する者は、彼らと同じである」と非難しました。彼らの言葉を借りるなら、日本のイスラム研究者やメディアは「イスラム過激派と同じ」であり、彼らの言動もまたテロ同然だということになります。
 シンガポールの建国の父リー・クアンユーは2012年、イスラム過激派テロについて、「戦う相手は飢餓や貧困ではない。もっと根源的なアラブやイスラムの誇りを復活させる運動であり、イスラムの時代が来たという信仰なのだ」と述べました。
 ブルッキングス研究所の研究員シャディ・ハミドは2015年11月、米ワシントン・ポスト紙への寄稿で「差別と偏見は世界中にあるが、それに対して自発的に武力行使で応じる個人を動員することのできる宗教やイデオロギーは少ない。もし差別と偏見がテロを生んでいるのであれば、なぜジハード主義だけがこれほど効果的に信者をテロに動員することができ、他の宗教はできないのであろうか」と述べ、「イスラム教徒自身がこのイデオロギーの問題に取り組む以外に、根本的な解決はないだろう」と結論づけました。
 「イスラム過激派テロの原因は社会にある」のではありません。イスラム教のイデオロギー自体にあるのです。私たちが見据えるべきは、この事実です。


異教徒の女性は性奴隷

 イングリッド・ビョルクマンら4人の研究者による『スウェーデン福祉国家の出口』は、1990年代から、スウェーデン人少女が移民の少年に服を剥ぎ取られ「売春婦」と呼ばれ嘲笑われるといった犯罪が増加したと指摘し、2001年にはスウェーデン第三の都市マルメで11歳から14歳の移民の少年集団が20件近くレイプを繰り返したこと、スウェーデン人女性を「売春婦」と呼ぶ習慣はイスラム教徒移民によって持ち込まれ他の移民男性にも広まったことなどについても記しています。
 スウェーデンのナイブロの街中では2016年、「ヒジャーブをしていない女はレイプされたがっている」「民主主義に反対。我々はイスラム教だけを欲する」と書かれたポスターが貼られているのが発見されました。民族学者のマリア・ベックマンはストックホルム郊外リンケビューでの調査に基づき、スウェーデン人の少女たちは金髪であることを理由に男たちに「売春婦」と呼ばれる経験をしたことが理由で髪を染めることがある、と記録しています。
 スウェーデン日刊紙スヴェンスカ・ダーダブラーデットは2020年2月、「外国の背景」のある若者の強盗団がスウェーデン人をターゲットに暴行、強盗を働くだけでなく、スウェーデン人を「奴隷」と呼び、足にキスさせたり尿をかけたり飲ませたりするという虐待にも及ぶケースがストックホルムやマルメで急増、少年がレイプされる事件も少なくないと報じました。
 ドイツのドルトムントでは2016年1月、イスラム教徒難民の集団がドイツ人女性をつけ回し、「ドイツ女はセックスのためだけにいる」と言い放ってレイプするという事件が起こりました。
 2019年3月にオランダのユトレヒトで発生した銃撃テロの犯人であるトルコ人イスラム教徒は、その数年前にテレビのインタビューで体のラインの見えるパンツをはいた女性レポーターを「売春婦」と罵り、「尻が見える服装をするなんて恥を知れ」と暴言を吐いていました。
 イギリスのロザラムで、パキスタン人の集団から100回以上レイプされてきた経験を持つ女性は、エラという仮名で2020年4月にインタビューに応じ、レイプ犯から「白人の売春婦」と呼ばれ続けてきたと明かしました。
 2020年6月にイギリスのレディングにある公園で、ビールを飲んでいたゲイ男性たちを次々とナイフで攻撃し、首を切るなどして3人を殺害し逮捕されたイスラム教徒難民の男は、過去に女性警官を「奴隷」と呼び、顔に唾を吐きかけるなどした行為で有罪判決を受けており、公判中にも女性判事に唾を吐きかけました。
 エジプトのイスラム学の殿堂であるアズハル大学教授スアード・サーレフは2014年9月、ハヤートTVに出演し、イスラム法上、イスラム教徒は異教徒との戦争で捕らえた敵方の女を奴隷として所有することができ、その女を辱めるためにその女と性交することが認められていると述べました。これはイスラム法の正統で古典的な規範です。
 現代のイスラム教徒が異教徒女性を奴隷女、売春婦と呼んで侮辱し、躊躇なくレイプすることがあるという事実と、異教徒の女は性奴隷にして構わないというイスラム教の教義の関連性を完全に否定するのは困難です。


ヨーロッパで続発するレイプ事件

 イスラム教徒移民が増加したヨーロッパ諸国では、レイプ事件が続発しています。UNHCRは2010年にノルウェーの首都オスロで報告されたレイプ犯は全員が非西洋人であり、この5年間に報告されたレイプ犯は全員が外国起源の人物だと報告しました。スウェーデン国営テレビは2018年、スウェーデンでレイプやレイプ未遂で起訴された男の58%は外国生まれだと報じました。デンマークでは2013年から2014年の1年間に発生したレイプの34.5%が移民によるもので、2016年1月から2017年5月までに発生したレイプ犯12入のうち10人が移民か、外国人か、移民のバックグラウンドのある人物でした。
 2019年4月にはアムネスティが、男女平等における先進地域として名高いデンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧4力国でレイプ事件が驚くほどの高水準にのぼっているという報告書を発表しました。
 ヨーロッパ諸国でこうしたレイプ被害を受けた女性の年齢層は10歳から87歳までと幅広く、被害者の中には車椅子に乗った身体障害者や精神障害者も含まれています。
 レイプ犯がイスラム教徒である場合には、当局やメディア、リベラル知識人が被害者である女性に責任を負わせる傾向も顕著です。
 ノルウェーのオスロ大学の社会人類学教授で、邦訳もされている『カイロの庶民生活』(第三書館、1986年)の著者でもあるウンニ・ヴィカンは2001年、イスラム教徒男性はノルウェー人女性の服装を挑発的だと感じるため、ノルウェー人女性の方がレイプの責任を負わなければならないと述べました。
 ドイツのケルンで2015年の年末から2016年の年始にかけてイスラム系移民の暴徒が1000人もの女性に性的暴行を加えた際には、同市のH・レッカー市長は女性に対し「来るべきケルンのカーニバルに備え、よく準備してください。私たちは若い女性が読んで準備するためのオンラインガイドを公開します」と呼びかけました。
 スウェーデンのウプサラで2019年8月、4日連続レイプ事件が発生し、地元警察が女性に対し「一人で出歩かず、よく考えて行動してください」と呼びかけた際には、人権活動家のマリエット・カディミは警察がレイプ犯を非難せず女性に対してレイプされないように注意しろというのは不当だと批判し、女性の自由と権利が構造的に失われつつあると警告しました。自由を至高理念としてきたヨーロッパの女性たちは今、「レイプされないため」という理由でその自由を失いつつあるのです。


信教の自由、表現の自由を否定

 第二に、イスラム教徒の多数派は信教の自由を否定します
 イスラム法はイスラム教信仰を棄てること(棄教)を死罪としており、2013年のピュー調査によると棄教者は死刑に処すべきだと考える人はエジプトでは86%、ヨルダンでは82%、アフガニスタンでは79%、パキスタンでは76%にのぼります(詳細は第三章)。
 世界人権宣言第18条や日本国憲法第20条は信教の自由を保障していますが、イスラム法はイスラム教に入信する自由だけを認め、棄数する自由は認めません。そしてそれを、多数派のイスラム教徒が支持しています。
 
第三に、イスラム教徒の多数派は、異教徒は地獄に行くと信じており、異教徒をサルやブタと罵ったり、二級市民とみなして蔑んだり迫害したりすることも稀ではありません(詳細は第三章)。
 第四に、イスラム教徒の多数派は表現の自由を否定します。自由社会では宗教や神、預言者を批判したり、風刺したりすることも表現の自由に含まれますが、イスラム教の教義はそうした行為は冒涜であり死罪に相当すると規定します(詳細は第三章)。
 イスラム法を普遍と信じる者にとっては、欧米など非イスラム諸国に生きる異教徒が預言者ムハンマドを風刺することも許されがたい冒涜と映ります。2005年にはデンマーク紙が預言者の風刺画を掲載したことに反発して、世界中でイスラム教従の暴動が発生し、200人以上の死者が出ました。
 2006年に英チャンネル4が実施した世論調査では、在英イスラム教徒の78%が風刺画の発行者は訴追されるべき、68%がイスラム教を冒涜した者は訴追されるべきだと回答しました。
 2015年には預言者の風刺画をたびたび掲載した仏シャルリー・エブド紙の事務所がアルカイダによって襲撃され、編集長や風刺画家ら12人が死亡しました。BBCラジオ4の調査によると、在英イスラム教徒の27%が襲撃者の動機に一定程度共感すると回答、24%が風刺画の発行者への暴力は正当化しうると回答しました。
 2020年9月にもシャルリー・エブドの元事務所前で2人が切りつけられるテロが発生、10月には授業で表現の自由を教えるために風刺画を見せたフランス人教師が18歳のイスラム教徒により斬首されるテロが発生しました。男は犯行後、切り落とした首の写真とともに「異教徒の指導者マクロンよ。ムハンマドを貶めたおまえの犬の一匹を処刑した」という声明をツイッターに投稿しました。
 マクロン大統領はこれをイスラム過激派テロと断定し、イスラム主義を広めているとされる組織の解体や過激思想の持ち主の強制送還などに着手しました。仏調査会社オドクサの調査によると、3歳からの義務教育導入、外国人イスラム教指導者受け入れ停止などを合むイスラム過激派対策の新法案には約8割の国民が賛同しており、フランス世論研究所の調査によると、授業で風刺画を使用することについても78%が妥当と回答しています。
 しかしトルコやイラン、パキスタンなど一部のイスラム諸国の指導者はこれを「西洋キリスト教VSイスラム教」という問題にすり替えて世界中のイスラム教徒の憎悪を煽り、各地でフランス製品の不買運動が発生、バングラデシュでは人々が「マクロンは世界最大のテロリスト!」と怒声を上げながらマクロン人形を燃やす数万人規模のデモが発生しました。
 さらに斬首テロから2週間経たぬ間に、21歳のイスラム教徒がニースの教会で老婦人を斬首するなどして3人を殺害、アビニョンでもイスラム教徒が警官を襲撃するなど、フランス各地でテロが同時多発的に発生、その数日後にはオーストリアのウィーンのユダヤ教会周辺で銃撃テロ、11月にはサウジで仏領事を狙った爆弾テロが発生し、「イスラム国」が風刺画に対する報復だとする声明を出しました。
 風刺画は、フランス共和国の法では守られるべき表現の自由の範躊とされています。ところが一部のイスラム教徒は、それは預言者ムハンマドに対する冒涜であり、地球上のどこであれ絶対に許されないと主張し、イスラム的価値を受け入れよと暴力を行使してでも迫ります。
 ここには折り合いをつけることなど全く不可能な価値の衝突、文明の衝突があるのです。


イスラモフォビア(イスラム恐怖症)批判

 近年、日本のイスラム研究者はそこからさらに一歩進み、「イスラム教を怖いと思うのは差別」であり、それはイスラモフォビアと呼ばれると喧伝しています。 笹川財団編『アジアに生きるイスラーム』は、冒頭で唐突に次のように述べます。

 イスラモフォビア ―― そんな言葉を耳にしたことはないだろうか? イスラーム恐怖症とも訳され、イスラームという宗教、またそれを信仰するムスリムたちを恐れ、そして忌み嫌う感情が、いま世界中に渦巻いている。それは(略)種々の報道によって日本にも伝播しているように思える。しかし、私たち日本人は、イスラームのことをどのように理解し、ムスリムのことをどれだけ知っているのだろうか。

 同書では、東南アジア諸国を専門とする研究者が各地に住むイスラム教徒について、寛容で、おおらかで、平和を愛していて、多様性を尊重していて、穏健で、温和で、友好的で、他者と融和的で、柔軟で、美しくて、おしゃれで、思いやりがあって、たくましくて、強くて、自由闊達で……、と言葉を尽くして賛美しています。
 しかし寛容でおおらかで平和を愛するイスラム教徒の実例をいくら多く挙げたところで、それはイスラム教という宗教の教義が寛容でおおらかで平和を愛しているということの証明にはなりません(詳細は第一章)。イスラム教という宗教とイスラム教徒個人を一体的にとらえるのは、非常に危険で問題のある誤謬です。
 内藤正典は『イスラム戦争』でイスラモフォビアについて、「イスラムに関する無知、先入観、偏見が幾重にも重なり合った挙げ句、相手がイスラム組織だと簡単にテロ組織にしてしまい、民主主義の敵、人権の敵と断罪することになります」と述べています。
 内藤は『となりのイスラム』では、ヨーロッパでテロをするイスラム教徒移民について「彼らをホーム・グロウン・テロリストと呼んで、自分の体内に巣食う病巣のように扱う人もいますが、なぜそういう病巣を生み出したのか、自分自身の言動に問題はなかったのかを省みなければ意味がありません」と、ヨーロッパ人の方に原因があると批判します。
 宮田律は『文藝春秋オピニオン 2020年の論点100』で、在日イスラム教徒の急増を受け、「では日本人は、特に文化や慣習にあまり馴染みがないムスリム移民や難民たちにどう向き合っていったらよいのだろうか」と前置きし、次のように述べています。
 ヨーロッパなどでムスリムの移民2世、3世がテロを起こすのは、社会的に疎外され、雇用の面などで差別を受け、貧困な状態に置かれるからだ。つまり日本は、入国管理を厳格に行うだけでなく、テロが起こらないためにも、日本で暮らす、あるいは日本で生まれたムスリムたちが疎外感をもたないよう日本社会に円滑に取り込んでいくことが求められている。
 こうした主張はいわゆる「教養本」でも確認されます。
 池上彰は『池上彰の世界の見方 中東』の冒頭で、イスラム過激派のニュースを見聞きして「イスラムは怖い」というイメージを持つ人も多いだろうが、「実は、これが過激派の手口なのです」と記し、次のように説明します。

 過激なテロが続くと、「イスラムは怖い」という偏見が広まり、一般のイスラム教徒に対する差別や抑圧が高まる可能性があります。すると一般のイスラム教徒の中に「なんで我々ばかり差別されるのだ」という不満が高まるでしょう。(略)こうして過激派を育てる土壌が広がっていくのです。「テロ」とは「恐怖」という意味。相手に恐怖を与えることで自分たちに有利な状況を作り出すことになるのです。ということは、「イスラムは怖い」と思ってしまうことが、テロに屈することになるのです。

 中田敦彦が2019年9月に公開した「中東の宗教『ユダヤ教・キリスト教・イスラム教』の歴史」という動画では同書が参考書とされており、再生回数は2020年11月時点で300万回を超えています。その影響力は甚大です。
 内藤、宮田、池上の三氏は、悪いのはテロリストではなくイスラム教を怖いと思うあなたの方だ、なぜならあなたがイスラム教を怖いと思うその気持ちが、無辜のイスラム教徒を追い詰め、テロリストにしてしまったからなのだ、と主張します。
 しかし第四章で論じたように、イスラム過激派テロの原因はイスラム教のイデオロギーであり、イスラモフォビアを原因とするのはイスラム過激派を擁護するための詭弁にすぎません。

 私たちがイスラム教を怖がりさえしなければテロは起こらない、というのはウソです。
 ロンドンでは2019年11月、ウスマーン・カーンという名のパキスタン系イスラム教徒がナイフで次々と人を突き刺し、2人を殺害するテロ事件が発生しました。カーンは2012年、19歳の時にアルカイダとつながりテロ計画を立てていたとして実刑判決を受けたものの、大幅に減刑され2018年12月に釈放されました。
 カーンがテロを実行したのはその1年後、ケンブリッジ大学主催の元受刑者向け更生プログラム参加のため、1日だけロンドン市内に入ることが認められたその日のことです。彼は当該プログラム参加中にテロ実行に及びました。殺害された2人は、同大学を卒業し元受刑者の社会復帰支援事業に取り組んでいた、23歳の女性と25歳の男性でした。
 カーンが異教徒に対して強い憎悪と敵意を抱いていることは、2012年段階ですでに明らかになっていました。釈放後、彼はその憎悪を、彼の更生を今まさに一緒にその場で考えてくれている、イスラモフォビアとは最も縁遠い人々に向けたのです。「イスラム国」はのちに、カーンは「イスラム国」の戦闘員だったと声明を出しました。
 ロンドンでは2020年2月にも、テロ容疑で服役し早期に仮釈放された20歳のイスラム教徒スデシュ・アンマンが、ナイフで3人を突き刺すテロ攻撃が発生しました。MI5によって最重要危険人物に指定されていたアンマンは、仮釈放の数日後に当該テロを実行しました。
 2020年6月にはイギリスのレディングで、ビールを飲みながらピクニックを楽しんでいたゲイの集団を25歳のイスラム教徒難民ハイリー・サアダッラーが襲撃し、ナイフで首を切るなどして3人を殺害するテロ事件が発生しました。サアダッラーは、このテロ攻撃実行の17日前に刑務所から釈放されたばかりでした。
 事件後ハイリーの兄弟はフェイスブックで、「ハイリーは自衛しただけだ」と擁護し、彼が逮捕されたのはイギリスが差別主義者の国だからだ、と強い言葉で罵りました。
 こうしたテロの発生を受け、人々が「私たちがイスラム教を怖がったせいだ」などと反省することに、全く意味はありません。そもそもそれはテロの原因でもなんでもない上に、そんな反省をしてもテロはなくならないどころか「テロリストに優しい環境」が整備され、テロはますます増えることでしょう。


政治的武器としてのイスラモフォビア

 イスラモフォビアという言葉は、イスラムにフォビア(嫌悪)を合わせた造語です。20世紀初頭にはすでに使用例が見られますが、政治的「武器」として積極的に用いられるようになったのは、2001年の米同時多発テロ以降のことです。
 アメリカを拠点とするムスリム同胞団系組織「国際イスラム思想研究所(IIIT)」の元メンバーで、かつてモスクの導師でもあったアブドウッラフマン・ムハンマドはイスラモフォビアについて、「この『嫌な言葉』は、批判者を叩きのめす目的で作り出された思考停止のための決まり文句以外の何物でもない」と述べ、同胞団系組織がイスラモフォビアを「武器」として積極的に使い始めた意図を示唆しました。
 同胞団系組織は欧米に数多く存在し、テロ容疑で摘発された組織も複数あります。アメリカでは2001年12月、同胞団系の慈善団体「ホーリーランド財団(HLF)」がテロ組織指定され、2009年には設立者らに対し、イスラム過敞派テロ組織ハマスに約1200万ドルの資金を提供した罪で有罪判決が下されました。
 裁判の過程でHLFの共謀者であると名指しされたのが、同じく同胞団系の「アメリカ・イスラム関係評議会(CAIR)」です。CAIRは、アメリカにはイスラモフォビアが蔓延しイスラム教徒は不当に多くヘイト犯罪や差別の被害にあっている、と喧伝しているイスラム系ロビー団体です。
 しかし、CAIRの主張を鵜呑みにすることはできません。
 FBIによると、2016年にアメリカ国内で発生した宗教を理由とするヘイト犯罪は1538件で、イスラム教徒を標的としたものが381件、ユダヤ教徒を標的としたものが834件です。2017年には1679件と増加しましたが、イスラム教徒を標的としたものは314件と減少し、ユダヤ教徒を標的としたものは976件と増加しました。
 にもかかわらずCAIRはこの年、BBCの取材に対し、アメリカではイスラム教徒に対する偏見と憎悪が増加していると主張、イスラム教徒に対するヘイト犯罪は前年より50%増加したとコメントしました。
 アメリカ国内における宗教を理由とするヘイト犯罪の標的として最も多いのは、2001年以前も以降も一貫してユダヤ教徒です。アメリカで宗教を理由に最も多くヘイト犯罪の被害にあっているのは、イスラム教徒ではなくユダヤ教徒なのです。
 中東研究者のダニエル・パイプスとシャロン・チャダは2005年、CAIRはイスラム教徒に対するヘイト犯罪は毎年激増中だと報告しているが、そこには捏造されたものが多く含まれていると指摘し、イスラム教徒の食料品店が放火されたのは店主による自作自演であった、イスラム教徒所有の車に放火された事例は2年にわたり重複して記録されていた、モスクそばに白人が爆弾を置き爆発した事件が発生した証拠はないなど、事実の一端を明らかにしました。
 CAIRがヘイト犯罪を捏造してまでイスラム教徒が不当に差別されていると誇張し、イスラモフォビアを犯罪化すべきだと訴えるのは、被害者ポジションを先取りし「誰にも批判されない」特権を手に入れ、「世界のイスラム化」という同胞団の目標実現に貢献するためでしょう。
 現代の欧米社会では、イスラム教徒という属性は「交差性(インターセクショナリティ)」概念においても重要な位置を占めます。
 交差性とは、人種や民族、ジェンダー、宗教、国籍、性的指向、階級、障害といった差別や抑圧のモデルは互いに交差している、という考え方です。これは現実社会では、有色人種、女性、宗教的マイノリティ(特にイスラム教徒)、移民、性的マイノリティといった「被害者集団」に数多く属する人ほど、それらの「連動」により不公平な扱いを受けるため、社会正義義の実現のためにはそういった人ほど優先されるべきだ(例えば黒人のイスラム教徒性の意見は白人のキリスト教徒男性の意見よりも尊重されるが、黒人のイスラム教徒トランスジェンダーの意見よりは尊重されない)、というかたちで反映される傾向にあります。
 交差性理論は、こうした被害者集団は互いに連帯し、異性愛者の白人男性といった「特権階級」の抑圧からの解放を目指し共闘すべきだと促し、アイデンティティ政治(人種やジェンダーなど特定のアイデンティティに基づく反差別的指向の政治活動)の理論的支柱にもなっています。これにより被害者であるイスラム教徒は、同じく被害者であるフェミニストや性的マイノリティと、互いに相反するイデオロギーを掲げているにもかかわらず、連帯することができるのです。


日本のイスラム研究業界の不文律

 日本のイスラム研究業界には、イスラム研究者は反体制的でかつイスラム好きのイスラム擁護論者でなければならないという不文律があります。さもなければポストや予算を握る業界の権力者に認められず、権力者に認められなければ業界でポストを得て生き残るのは非常に困難です。生き残るためにはひたすら権力者に忖度しなければならないのです。
 これは深刻な問題です。なぜならこの業界では、業界のテーゼである「イスラームこそ解決」に対するいかなる異論も反論も認められていないからです。
 学問の自由、言論の自由は、憲法で保障された基本的人権です。健全で実りある学問・研究は、それなしには存在しえません。だから日本のイスラム研究は不毛なのです。
 日本各地の大学には、歴史、法、文化人類学、地域研究、国際情勢などの分野にイスラム教に関わる研究者が多数所属しています。彼らの多くは西洋近代に毒されていないイスラム教という理想的な包括的イデオロギーを知る専門家として、メディアやアカデミアに君臨し、地位や権威、利権を獲得してきました。その目的は体制の中に入り込みつつ、近代化を進め悪しきアメリカと同盟を組む日本の体制を批判し、日本が手本とすべきはイスラム教なのだというイデオロギーを広めることにあると思われます。
 初めから目的が決まっているのですから、何を研究しても「イスラムは平和の宗教」などイスラム教を賛美するものしか出てきません。金太郎飴さながらの不毛さです。
 彼らの多くにとってイスラム教は常に、自らの政治イデオロギーを投影するにふさわしい理想的な像を結んでいなければなりません。ゆえに彼らの中には、理想的イスラム像をわずかでも棄損する研究者に対し、自らの地位や権威を誇示してその言論を否定し、圧力をかけ、負のレッテルを貼り、執拗に人格攻撃をし、学問や言論の自由を奪い、社会的抹殺を図ろうとする者もいます。


イスラム的価値観は近代的価値観とは異なる

 私たちが第一に理解すべきは、イスラム的価値観は、全ての人間に等しく自由や権利を認めるべきだとする近代的価値観とは全く異なるという事実です。私たちがイスラム研究者のウソに騙され、イスラム教を受け入れれば私たちの問題は全部すっかり解決され、理想的な世の中が実現されるなどと信じ込み、イスラム教を受け入れた後になって初めて、自由や人権を失ってしまったと気づいたのでは遅いのです。
 第二に理解すべきは、イスラム教は世界征服を目指す政治イデオロギーであり、そのための行動を促すイスラム主義の蔓延を許すと亡国の危機に陥る可能性があるという点です。
 日本人は概して、「郷に入っては郷に従え」という考えをよしとします。ところがイスラム主義者は、移住先の国や地域をイスラム化することを目指します。イスラム教徒移民を多く受け入れた西欧諸国でイスラム化が進んだのは、彼らの多くがイスラム的価値に従い続けることを選択し、リベラル勢力がそれを擁護し、ポリコレを重んじる諸国がそれを容認したからです。
 実はイスラム諸国には、これを批判する指導者も存在します。2018年11月にエジプトで開催された世界若者フォーラムで、EUがイスラム教徒移民への門戸を閉ざしつつあることをどう思うかと質問されたエジプトのシシ大統領は、次のように答えました。

 なぜEUが我々への門戸を閉ざすのかと問うのではなく、なぜアフガニスタンの人々は自分の国を大切にしないのかと問うべきだ。なぜ彼らは40年間も殺し合いを続けているのか。(略)あなた方はヨーロッパに行きたいと言いつつ、「我々のやり方を認めろ、それが人権だ」と要求する。あなた方は自分たちの文化について妥協できないとも言う。だがもしあなた方が他国に行くなら、あなた方はその国の法律、習慣、伝統、文化に従わなければならない。そのつもりがないなら行くべきではない。行っても問題を引き起こすだけだからだ。

 ムスリム世界連盟事務局長でサウジのムハンマド皇太子の宗教顧問でもあるムハンマド・イーサーも2020年11月、「どの国に住む者もその国の法を遵守しなければならない、さもなければ立ち去るべきだ」と述べました。要するにシシやイーサーは「郷に入っては郷に従え」と主張し、非イスラム諸国のイスラム化を図るイスラム主義を戒めているのです。
 日本でもすでに、地元住民と在日イスラム教徒との間で価値や文化の対立する問題が発生しています。そしてイスラム研究者やメディアは日本人に対し、イスラム教徒に譲歩せよ、イスラム的価値、文化を受け入れよと迫り、そうしない日本人は不寛容だと示唆したり、「イスラム教徒は疎外されたと感じるとテロをする」と脅したりしています。
 しかし日本には日本の法があり文化がある、日本に暮らす以上それを遵守しなければならない、と言わなければならない場面もあるはずです。イスラム教徒の「気持ち」やそれを大袈裟に書き立てるメディアの圧力に屈し、あるいは「配慮」し、次々と彼らの要求を受け入れるならば、日本は瞬く間に「第二のヨーロッパ」となるでしょう。
 イスラム教は豚食を禁じるので豚肉販売も豚肉を出す飲食店も不快だ、給食には豚肉を使うなと言われたら、私たちは豚食文化を捨てるのでしょうか。イスラム教は飲酒を禁じるので飲食店や酒屋に酒が存在すること自体が我々の気持ちを傷つけると言われたら、私たちは飲酒文化も捨てるのでしょうか。
 我々イスラム教徒の目に髪や体を覆い隠していない女は売春婦や奴隷女と映り、欲望をかき立てられるので不快だと言われたら、日本人女性はヒジャーブと長衣を纏わなければならないのでしょうか。一人で外を歩く女は売春婦にしか見えないと言われたら、女性の一人歩きは禁じられるのでしょうか。
 我々イスラム教徒は、9歳の少女は性交可能であり女の結婚は早いほどよいと信じているので、日本の法が女性の結婚最低年齢を16歳(民法改正により2022年4月からは18歳)と定めているのは信教の自由に反すると言われたら、9歳の少女の結婚を認めるのでしようか。
 イスラム教は男女の混交を禁じるので、店も学校も職場も全て男女別にしなければ安心できないと言われたら、その要請に従うのでしょうか。イスラム教は同性愛行為を禁じるので同性愛者の存在を認めることはできないと言われたら、同性愛者を根こそぎ逮捕し、彼らの存在自体を禁じるのでしようか。
 イスラム教は音楽や絵画を禁じるので、我々の子供が通う公立学校にそうした授業があるのは不当だと言われたら、カリキュラムを変えるのでしようか。日本で教えられている歴史や生物の授業内容は我々の信仰と矛盾していると抗議されたら、全て修正するのでしょうか。
 我々の集団礼拝の日である金曜日に仕事や学校があるのは差別だと言われたら、休日を金曜日に変更するのでしょうか。
 あなたたち日本人がイスラム教徒ではないこと自体がそもそも神の命令に反していると言われたら、私たちは全員イスラム教に改宗するのでしようか?
 これは決して笑い話でも誇張でもありません。イスラム主義はテロの実行だけではなく、ポリコレを利用し、このようなやり方で世界をイスラム化しようとするイデオロギーでもあり、イスラム主義の浸透を許した西欧では実際にイスラム化が進行しているのです。


日本のイスラム研究者とメディアが広めたウソからの脱却を

 イスラム教は政治イデオロギーだからこそ、政治や社会からイスラム主義を排除していかなければならないというのは、多くのイスラム諸国における「常識」です。イスラム諸国がイスラム主義を許せば、行き着く先はイランであり「イスラム国」だからです。
 私の主張は日本では奇異と受け止められますが、自国を、そして世界をイランや「イスラム国」のようにしてはならないと信じる多くのイスラム諸国においては、極めて常識的なものとして受け止められます。
 私が他のイスラム研究者とは異なり、イスラム教を絶賛したり擁護したりしないからといって、私のことを「イスラム教へのヘイトを煽っている」「差別主義者だ」などと中傷する人は、イスラム擁護論を唱えることで既得権益を保持している人か、イスラム教に理解あるふりをすることでリベラル知識人を装いたい人か、日本をイランや「イスラム国」のようにしたい人です。彼らは日本の国益や日本人の利益のことなど、一切考慮してはいないのです。
 私たちは自分自身、そして日本という国の今と未来のために、日本のイスラム研究者とメディアが広めてきたウソの呪縛から脱却しなければなりません。そしてイスラム教を客観的に理解し、国内では日本の法と文化を尊重するイスラム教徒と、国外ではイスラム主義を退け、宗教の違いを乗り越え、世界の平和と安定を構築しようとするイスラム諸国と連携すべきです。
 私は日本で生まれ育った日本人として、日本が伝統文化の喪失と国家崩壊を免れ、日本の独自性を保ったままグローバル化と多様性の時代を生き抜くことを願ってやみません。




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