痛くない死に方
長尾和宏医師のことは、門田隆将さん(だったと思う)のツイートで知りました。
独自のコロナ対応で患者さんを救っているということで、それに共感が持てたのが本書を手にするきっかけになりました。
私も痛くない・苦しくない死に方を望んでいるので、本書のタイトルにも惹かれるものがありました。
読んでみて納得です。
長尾さんは「公益財団法人 日本尊厳死協会」の副理事長もお務めです。
同協会が発行している「リビング・ウイル(終末期医療における事前指示書)」の利用を検討しています。
長尾和宏さんの「痛くない死に方」 を紹介するために、以下に目次などをコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
プロローグ あれから4年、「日本人の死に方」は変わったのか? 2
第一章 大橋巨泉さんでも叶わなかった「痛くない最期」 11
用意周到だったはずの死の準備。しかし、思わぬ結末が・・・。 12
第二章 平穏死、尊厳死、安楽死 27
欧米の安楽死。日本では犯罪? 28
日本はいいよね! 自殺が許されているから!? 38
枯れて死ぬ=平穏死が、いちばん痛くない死に方 42
そもそも延命治療って何? 46
ハッピーな胃ろうとアンハッピーな胃ろうとは? 52
胸水・腹水は抜かずに利尿剤で「待つ」。そのほうが苦痛がない 56
お餅を喉に詰まらせたとき、救急車は呼ぶべきか? 60
痛みを和らげるために・・・医療用麻薬は怖くない! 66
今でも忘れられない、痛すぎた延命死 70
魂の痛みとは何か? 74
第三章 「長尾先生、思ったより楽に逝きました」・・・それが平穏死 79
がん終末期の場合 80
老衰の場合 84
臓器不全症の場合 86
認知症終末期の場合 88
人工透析と人工呼吸 90
自宅で生活するという「モルヒネ効果」 92
病院より家のほうが痛くない!? 94
趣味ざんまいの療養で痛みを軽減 96
痛みに合わせて麻薬を増量。最期は友人に囲まれて・・・。 98
第四章 おさらい! 平穏死10の条件 107
第1の条件 平穏死できない現実を知ろう 110
第2の条件 看取りの実績がある在宅医を探そう 114
第3の条件 勇気を出して葬儀屋さんと話してみよう 122
第4の条件 平穏死させてくれる施設/病院を選ぼう 126
第5の条件 年金が多い人こそ、リビングウィルを 134
第6の条件 転倒→骨折→寝たきりを予防しよう 138
第7の条件 脱水は友。胸水・腹水は安易に抜いてはいけない 142
第8の条件 緩和医療の恩恵にあずかろう 146
第9の条件 救急車を呼ぶ意味を考えよう 150
第10の条件 医師法20条を誤解するな! 154
「死の壁」・・・死ぬとき、人はどうなるのか?
160
むすび 164
プロローグあれから4年、「日本人の死に方」は変わったのか?
拙著『「平穏死」10の条件』が世に出てベストセラーになったのは、2012年6月でした。早いものでもう4年以上の時間が経過しました。
あの時はまだ、日本中のそこかしこに、東日本大震災の記憶が生々しく残っていました。そして日本人の死生観が少し変わったようにも思いました。
また、ロンドンからリオデジャネイロヘと、オリンピックを二度跨いだわけですが、この4年間で日本の終末期医療は何がどう変わったのでしょうか?
結論から言えば、市民の空気は少し変わったけれど医療者の空気はあまり変わっていないと感じます。具体的には、在宅看取りは決して珍しいことではなくなりつつあります。メディアの啓発もあり、「平穏死」という言葉を知る市民も増えました。
一方、病院医療は加速度的に進歩し、年々さまざまな延命治療が可能となり、どこが最期なのかよく分からなくなっています。4年前には行われていなかった医療として、たとえば90代の人にもカテーテルによる大動脈弁狭窄症の手術(TAVI)が普通に行われるようになりました。
がんの分野では、年間3500万円もする免疫チェックポイント阻害薬が画期的な効果があるとして、皮膚がんや肺がんなどに対して臨床現場で使われています(*2017年2月より半額になる予定)。
いずれも5年前にはまさに夢物語でしたが、確実に、医療の進歩で病状を一時的に改善できる範囲は拡大しています。
しかしそれでも、人はいつか必ず死にます。
死を少しだけ遠ざけることはできても、死を避けることは100%できません。どんなに頑張っても、人の寿命は120歳が限界であるというのが世界の研究者たちの大半の意見です。それでも医療の加速度的な進歩とは対照的に、4年前よりもさらに、「人生の最終章」(以下、「終末期」と略しますが)という言葉の意味が分からなくなってきているように感じます。
私の日常は、町医者としての外来診療と在宅医療です。
在宅患者さんのお看取りの半分は末期がんの方で、もう半分は老衰や認知症や神経難病などの、いわゆる“非がん”の方です。
がんであっても非がんであっても、在宅で死期が近づくにつれ、家族は肉体的にも精神的にもそれなりのご負担がかかります。
「最期はすごく苦しむのではないか」
「私たちに看取りなんてできるのだろうか」
そしてこうも訊かれます。
「先生、死ぬ時ってすごく痛いのでしょう? どんなふうに痛いの?」
どうなのでしょうか。
私はまだ死んだことがないので(棺桶には何度か入りましたが)、すごく痛いかどうかはわかりません。それに、「痛み」というのは身体や心などいくつかの種類があるし、個人差も1000倍以上あるものなのです。
だけど在宅医として、ご自宅で平穏死をされた方を見ると、どうやらそれほど痛くはなさそうです。ご自宅の臨終では、苦痛に歪んだ顔をして旅立たれた人を、私は見たことがありません。
末期がんの人は9割以上、非がんはその半分くらいの確率で家で看取ることになります。看取りの直後にご家族が必ず言われる言葉があります。
「先生、思ったよりずっと楽に逝きました。痛がらず苦しまず、眠るように逝きました。家で看取って本当によかったです。ありがとうございました」
「死」というのは、必ず「痛み」とセットであると誰もが考えています。すごく苦しいものであると。
しかし実際はどうなのだろう?
本書では、平穏死という視点から、「痛くない死に方」について、できるだけ分かりやすく、ご本人もご家族も一緒に読めるように書いてみました。
痛いのが怖い、すべての人に。
長尾和宏
むすび
本書の原型となった『「平穏死」10の条件』が世に出てベストセラーになった4年前。現在、3期目の日本医師会長であられる横倉義武先生が会長就任後、おそらく公にはじめて講演される機会が帝国ホテルでありました。
控室で『「平穏死」10の条件』を献本し、終末期医療について私と少し雑談をしてから登壇されました。講演の中で横倉先生はこのようなことを言われました。
「私は長尾君の言う平穏死には反対だ。かつて留学していたドイツの病院でも死を目前にしたがん患者さんには積極的な治療をしていなかった。私は患者を1秒でも長く生かすことが医師の使命だと思うので、長尾君やドイツの医師のような考えには反対だ」と。
果たして2016年9月、横倉先生は第13次生命倫理懇話会を発足させ「日本医師会は人生の終末期の医療のあるべき姿にさらに真剣に取り組む」旨を発言されました。その中で患者の意思の尊重やリビングウィルにも触れられていて、とても嬉しく思いながらその新聞を読みました。
この4年で確かに終末期医療を巡る空気は変わったのでしょう。いや、まだ変わりはじめと言ったほうが正確かもしれません。尊厳ある人生の終末期の医療を実現するためには、日本医師会と市民が同じ土俵で議論を進めるべきです。その意味で市民団体である日本尊厳死協会理事長の岩尾總一郎先生が、今回も委員として参加されていることは心強いことです。横倉先生には、4年前にお渡しした「「平穏死」10の条件』に代えて、本書をお渡しできればと思います。というのは、やはり4年という年月の間に変わったことがいくつかあります。その間に20冊以上の本を書いたので、私の考えも少しはバージョンアップされたはずです。前著をぎゅっとシンプルにし、かつ、「痛み」と「苦しみ」に焦点を当てた形で今回、リニューアルする機会を得たことは幸運でした。
最後にひとつだけ言わせてください。痛いことも苦しいことも、できれば避けて通りたい。しかし、「痛み」も「苦しみ」も、私たちは生きているから味わえるのです。生きているから、痛いし、苦しいし、泣けるし、笑えます。
皆さん、限りある生をどうか謳歌してください。
2016年の終わりに 長尾和宏