日本は誰と戦ったのか
「ヴェノナ文書」という言葉を知ったのは、虎ノ門ニュースに出演した江崎道朗さんの解説を伺ったのがきっかけのように思います。
江崎さんは「おわりに」で『(アメリカ政府は)いわゆる「ヴェノナ文書」の公開に踏み切りました。この情報公開を契機に、アメリカの保守派の間で「第二次世界大戦の責任は、ルーズヴェルト民主党政権とその背後で暗躍したソ連・コミンテルンにもあるのではないか」という問題意識が再浮上し、第二次世界大戦を再検証する本が相次いで出版されています。そうしたアメリカの最新の議論を紹介しようとしたのが本書です。』とお書きです。
さらに「アメリカの保守派、それもきちんと歴史の勉強をしている保守派は、ルーズヴェルト政権が日本を追い込んで戦争に至らしめたということを理解しています」というアメリカの著名な作家の言葉を紹介しています。
「歴史修正主義」のレッテル貼りに負けず、間違った歴史は修正して当然だという態度を持ちたいものですが、本書はそのためにも良いと思います。
江崎道朗さんの「日本は誰と戦ったのか」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
はじめに 日本は誰と戦ったのか 3
序章 日米開戦はスターリンの工作だった ―― アメリカ保守派の歴史見直しはここまで進んでいる
●変遷する「リメンバー・パールハーバー」 38
●スターリンエ作説の誕生 44
●アメリカでルーズヴェルト批判がタブーだった 49
●ルーズヴェルト大統領、四つの大罪 53
●ヴェノナ文書研究が暴いたスターリンの戦争責任 59
●連邦議会でもソ連のスパイ工作が追及されていた 63
第一章 日米を開戦に追い込んだソルゲ
●無視されてきた「ソ連」という要因 74
●スターリン、三方面の秘密工作 80
●朝日新聞記者であった工作員・尾崎秀実 85
●敵はソ連か英米か 93
●米国議会で議論されていたゾルゲによる対日工作 100
第二章 「雪」作戦発動
●地下組織の工作員、ハリー・デクスター・ホワイト 108
●ナチス・ドイツの同盟国たったソ連 113
●ソ連のスパイが書いたハル・ノート原案 117
●「日米戦争をなんとしても回避せよ」 124
●日米和平案をなんとしても潰せ 134
●日米開戦へと追い込んだモーゲンソー私案 139
●過小評価される「雪作戦」 145
第三章 オーウェン・ラティモアの暗躍
●ハル国務長官が日米開戦へと舵を切った十一月二十六日 152
●蒋介石メッセージを仕組んだのは誰か 159
●ソ連の「隠された手」に操られた日米両国 166
●あまりに視野が狭い「二十一世紀懇談会報告書」 170
第四章 乗っ取られたホワイトハウス
●ソ連帝国の形成を容認したテヘラン・ヤルタ会談 178
●ソ連の侵略を「歓迎」しかルーズヴェルト大統領 185
●スターリンは「キリスト教徒的紳士」? 188
●相手の指導者をおだてて操れ 194
●病人だったルーズヴェルトは正常な判断力を失っていた 197
●ルーズヴェルト民主党政権内部へ浸透したウェア・グループ 204
第五章 ヤルタ会議を仕切ったアルジャー・ヒス
●親ソ派と素人だらけだったヤルタ外交団 214
●アルジャー・ヒス随行の謎 217
●一官僚に過ぎないヒスがヤルタ会談を仕切っていた 220
●国務長官も操り人形だった 226
●アジアをソ連に売り渡したヤルタ密約 230
●異常な密室外交 235
●ヤルタ密約文案を作成したのはソ連たった 241
●アメリカ憲法違反の「ヤルタ密約」 246
●最終的にヤルタ密約は無効になった 251
第六章 握り潰された「反ソ」報告書
●完勝だったスターリンのアジア戦略 258
●ソ連の対日参戦に反対したリーヒ、ニミッツ 263
●マッカーサーも対日参戦に反対していた 268
●握り潰された国務省の「反ソ」文書 274
●ヤルタ会談後も米軍はソ連の対日参戦を批判していた 283
第七章 ソ連の対日参戦まで日本を降伏させるな
●ソ連の利益を代弁した「過酷な和平派」 290
●コミンテルンと連携しようとしたIPR 295
●「過酷な和平派」による日本解体計画 305
●「天皇と皇族男子を監禁せよ」 310
●ソ連のアジア進出を防ごうとしたグルー国務次官 314
●早期和平を妨害したのは誰か 320
●ラティモアはソ連の工作員だったのか? 324
第八章 ソ連の対米秘密工作は隠蔽されてきた
●ラティモアやIPRは正義の士たった? 330
●ソ連の秘密工作を「アメリカの正義」と讃える倒錯 338
●「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす」 350
●独立国家の学問としてのインテリジェンス・ヒストリー 359
参考文献 364
おわりに ―― ソ連・コミンテルンという要因を踏まえた全体像を 374
第一回アパ日本再興大賞の受賞及び新書化にあたって 377
おわりに ―― ソ連・コミンテルンという要因を踏まえた全体像を
一九九五年、アメリカ政府が戦時中のソ連と在米スパイの秘密交信記録を傍受・解読した文書、いわゆる「ヴェノナ文書」の公開に踏み切りました。この情報公開を契機に、アメリカの保守派の間で「第二次世界大戦の責任は、ルーズヴェルト民主党政権とその背後で暗躍したソ連・コミンテルンにもあるのではないか」という問題意識が再浮上し、第二次世界大戦を再検証する本が相次いで出版されています。
そうしたアメリカの最新の議論を紹介しようとしたのが本書です。学校の歴史教科書やテレビが伝える日米戦争とはあまりにも違うので驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
戦争とは、多様な要因で起こるものです。
誤解をしないでいただきたいのですが、彼らアメリカの保守派は「ソ連・コミンテルンの工作だけが日米戦争の要因だ」と主張しているわけではありません。「日本が正しかった」と主張しているわけでもありません。いわゆる東京裁判史観に代表される、これまでの日米戦争論は、ソ連・コミンテルンという要因や、秘密工作というインテリジェンスを意図的に排除しており、あまりにも視野が狭いのではないかと、疑問を投げかけているのです。
日米戦争の全体像を把握するためには、少なくとも次の五つの視点が必要だと思っています。
第一に、ルーズヴェルト大統領の強い意向です。ルーズヴェルト大統領がソ連・コミンテルンの工作を「容認」した背景には、ルーズヴェルト大統領自身が戦争を望んでいた、という視点を軽視するわけにはいかないと思います。
第二に、ソ連・コミンテルンと中国共産党による対米工作です。本書では、コミンテルンの対米工作を中心に紹介しましたが、中国共産党による対米工作も今後解明していく必要があります。
第三に、イギリスのチャーチル首相による対米工作です。チャーチルは一九四〇年、アメリカの孤立主義・中立政策に傾倒していた国民世論を参戦へと転換させるためにウィリアム=サミュエル・スティーヴンスンを送り込み、一九四一年、MI6の出先機関、イギリス治安調整局(BSC)を設立しています。これを通称イントレピッド(intrepid)工作と呼びます。
第四に、蒋介石・中国国民党政権の対米工作です。よく言われているのが、蒋介石夫人の宋美齢による反日キャンペーンですが、それ以外にも、アメリカを対日戦争に引き込むために様々な工作を仕掛けています。
そして第五に、ソ連・コミンテルンの対日工作です。日本が対米戦争へと踏み切った背景にコミンテルンの影響があったわけですが、この点については『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)にて書きましたので、ご関心のある方はご高覧賜れば幸いです。
少なくともこれら五つの視点で、第二次世界大戦、大東亜戦争は何だったのか、再検証する必要があります。近現代史の見直しはまだ始まったばかりなのです。
第一回アパ日本再興大賞の受賞及び新書化にあたって
二〇一七年十二月に発刊した本書は発売後、すぐにAmazon「日中・太平洋戦争部門」で一位となり、直ちに増刷となりました。その後も雑誌や新聞などでも取り上げられ、順調に売れていたところ、翌二〇一八年十月二十五日、公益財団法人アパ日本再興財団が主催する、第一回アパ日本再興大賞の大賞を受賞しました。
アパ日本再興大賞は二〇一八年に第十一回となる「真の近現代史観」懸賞論文に加えて新たに創設された賞で、日本の成長発展に資する近現代史、国際関係、政治、政策等の優れた研究成果に対して贈られるものです。
この表彰式が二〇一八年十二月七日、東京・明治記念館で行われました。表形式に続く記念講演に先立ち、審査委員の先生方より次のようなご講評をいただきました(以下、ご発言はAPA COMPANY発行の月刊誌『Apaple Town』二〇一九年二月号から引用させていただきました)。
●東京大学名誉教授 伊藤隆先生
「私は日本史の専門家ですが、東京裁判史観に歯向かったために修正主義と見倣されています。日本の近現代史を日本の中だけでしか考えないことが蔓延しているのが問題であり、ぜひ多くの人に江崎道朗さんの本を読んで欲しいです」
●東京大学名誉教授 小堀桂一郎先生
「江崎道朗氏の仕事には以前から注目して、全著作を読んでいました。これまでの仕事全体に向けての評価として私は今回、大賞として江崎氏の著作を迷うことなく推しました。アパ日本再興大賞は、非常に幸先の良いスタートを切れたと思います」
●報知新聞社前会長 小松崎和夫先生
「江崎道朗氏の著作は、アメリカで歴史の見直しが始まっていると同時に、物事の本質を見極めることの大切さを教えてくれます。歴史は国際的な視野から検証すべきだということを、江崎氏の本を読むことで一人でも多くの日本人に感じて欲しい」
その後、私は「アメリカにおける近現代史見直しの動向」と題して次のような記念講演をさせていただきました。
○
二〇一六年、アメリカの大統領選挙がありましたが、この大統領選は共和党のトランプと民主党のクリントンの争いでした。このとき、トランプは「暴言王」などと批判され、苦戦していました。この苦戦していたトランプを応援すべきであると全米に檄を飛ばしたのがフィリス・シェラフリーという著名な作家で、日本で言えば櫻井よしこさんみたい方です。私は二〇〇六年に訪米した際にお会いしたのですが、このとき、シェラフリーさんはこう述べたのです。
「我々はなぜ中国共産党の軍事大国化に苦しまないといけないのか。我々はなぜ今、北朝鮮の核問題に苦しまないといけないのか。この中国や北朝鮮の台頭の原因を調べていくと、第二次世界大戦のとき、フランクリン・デラノ・ルーズペルト民主党大統領がアメリカの連邦議会に何ら諮ることなく、アジアをソ連に明け渡すヤルタの密約を結んでしまったことに行き着く。このルーズヴェルト民主党政権の外交的失敗が今の中国の台頭、北朝鮮の核開発の問題につながっているのだ」
それで、私はこう聞き返しました。
「では、戦前、ルーズヴェルト政権が日本を追い詰めようとしたことに対して、あなたはどう考えますか」
すると、シェラフリーさんはこう回答したのです。
「私たちアメリカの保守派、それもきちんと歴史の勉強をしている保守派は、ルーズヴェルト政権が日本を追い込んで戦争に至らしめたということを理解しています」
本当に驚きました。アメリカの保守派というのは、ルーズヴェルト民主党政権の対日圧迫外交に批判的であったのです。戦後、いわゆる東京裁判史観を押し付けたのはアメリカなので、アメリカでは誰もが「日本が悪い」と思っていると思い込んでいました。だが、アメリカは一枚岩ではなく、保守派の中には、東京裁判史観に懐疑的な方もいるのです。
そもそも世界的な視野から近現代史を見直す。このことを私か考えるきっかけの一つが今回、アパ日本再興大賞の審査委員長を務めている加瀬英明先生のご尊父、初代国連大使の加瀬俊一先生が終戦五十年にあたる一九九五年に、世界から見た東京裁判について研究しようと提案されたことなのです。
青山学院大学の佐藤和男先生と一緒になって国会図書館にある東京裁判や大東亜戦争に関する外国の有識者たちの論考を探し出しては邦訳し、『世界がさばく東京裁判』(明成社)という本にまとめました。発刊に際して加瀬大使から序文をいただくことになり、鎌倉のご自宅に伺いました。歴代のアメリカの大統領やインドネシアのスカルノ大統領などの写真が飾られている書斎で加瀬大使はこうおっしゃったのです。
「東京裁判を裁判せよ。それも世界的な視点から、東京裁判がいかにおかしいことなのかを明らかにすることが大事だ」
加瀬大使からお話を伺って感激した私はその後も、東京裁判と近現代史をめぐる世界の動向を追っておりました。
折しも戦後五十年にあたる一九九五年にアメリカ政府はヴェノナ文書を公開しました。戦時中にソ連とアメリカの工作員たちが行っていた秘密の交信をアメリカ陸軍がひそかに傍受し、苦労して解読した五千頁もの機密文書です。このヴェノナ文書の公開と研究によって、ルーズヴェルト民主党政権の内部で反日政策を推進していた人たちが実はソ連の工作員であったことが明らかになってきたのです。
このため現在、アメリカでは、反共保守派やインテリジェンスの専門家たちの間では、「第二次世界大戦においてアメリカは日本と戦ったけれども、実は日本と戦わされたのではないか。ルーズヴェルト政権内部に入り込んだソ連の工作員たちにうまく操られたのではないか」という議論が行われ、それに関する本が次々と出されているのです。このようにアメリカでは、次々とヴェノナ文書に係る研究書が出されているのに、それに関する本を邦訳・刊行したのは、京都大学名誉教授の中西輝政先生をはじめとする数人だけなのです。
世界的な視野で近現代史を見直そうとするとき、世界には、アメリカの保守派やインテリジェンスの専門家をはじめ多くの味方がいるのに、それに気づかないまま日本は孤立してしまっている。それはおかしいと考えて、アメリカにおける近現代史見直しの動きを紹介しようと、二〇一七年十二月に『日本は誰と戦ったのか』という本を上梓したわけです。
この仕事は一人でできるものではありません。膨大な史料の邦訳を担当していただいた、調査と翻訳のプロである山内智恵子さんと、編集を担当してくださった川本悟史さんと三人四脚で作り上げたものです。こういった同志に恵まれ、また今回さらにアパ日本再興大賞までいただきました。元谷代表理事がこういう賞をつくって、世界的な視野で日本の近現代史を見直し、よりよい日本を築いていこうという動きを支援してくださっていることに、心より感謝しております。
○
この表彰式での記念講演をもって新書化にあたっての一文とさせていただきます。
最後に新書化を引き受けてくださった株式会社ワニブックスに対し心から御礼申し上げます。
平成三十一(二〇一九年)年一月