日本人が知らない最先端の「世界史」不都合な真実編
福井義高さんの「日本人が知らない最先端の「世界史」不都合な真実編」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
著者はまえがきで「日本の行く末を考えるうえで、歴史に学ぶことは重要」とお書きですが、その通りだと思います。
福井義高さんの「日本人が知らない最先端の「世界史」不都合な真実編」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
まえがき 3
文庫版刊行に寄せて 6
序章 深遠な議論と平凡な事実 13
マックス・ウェーバーの不可解な足し算 14
宗教と資本主義の精神 / ウェーバーの「推測的過去」論法 / 足し算が不得手なウェーバー / 資本主義の精神柄はなく就活 / 高尚な議論の前に先ず足し算
Ⅰ 満州におけるソ連情報機関と日本
第1章 張作霖爆殺・ソ連犯行説を追う 34
ソ連犯行説を裏付ける「証拠」 / 伝説の工作員エイチンゴン / なぜ、河本大佐は「自白」したのか
第2章 日本を手玉にとった「ロシア愛国者」 48
冷戦最前線としての満州 / 反ソ白系ロシア人セミューノフ / セミューノフの最期 / 明かされた愛国者の真実 / セミューノフは、なぜ亡命しなかったのか / ソ連ではなく、祖国ロシアのために
Ⅱ 「スペイン内戦」の不都合な真実
第3章 「ゲルニカ神話」の虚妄 70
「コラテラルーダメージ」という軍事用語 / ゲルニカ神話の誕生 / 定着した虚構のシンボル
第4章 無差別爆撃の創始者は誰か 80
第二次大戦前の国際法と空爆 / 重慶空爆は、連合軍が行なったような無差別爆撃ではなかった / 「一般市民を軍事目標とみなす」決意 / ドレスデン空襲、チャーチルの場合 / 広島・長崎への原爆投下、トルーマンの場合
第5章 「人民戦線=善玉」説の大いなるカムフラージュ 95
「スペイン内戦」にはびこる根強い通説 / そもそもスペイン内戦は、なぜ起こったのか / 決して民主的ではなかった「人民戦線」 / フランコの勝因はモロッコ駐屯軍の本土空輸 / スペイン情勢についてのヒドラーの思惑 / ソ連の傀儡と化した人民戦線政府 / コミンテルンの掌で踊る進歩的文化人 / 「お人よし」文化人の代代表アインシュタイン / 「確信犯」だったヘミングウェイ / 「大いなるカムプラージュ」
Ⅲ「憲法フェティシズム」の果て
第6章 ワイマール体制とナチスの誕生 128
日本の憲法議論、米国の憲法議論 / 「ヒトラーは議会を無視して独裁政権を作った」のか / ワイマール共和国の政治体制 / 共和国安定の象徴、シュトレーゼマン外相 / ヒンデンブルク大統領の登場
第7章 合法戦術を貫いたヒトラー 146
1930年、ナチスと共産党の躍進 / ヒトラーの大領選立候補 / 暴力事件の最大の被害者はナチスだった / 誰がナチスを支持したのか / ナチスと共産党の共闘
第8章 「憲法絶対主義」が作ったヒトラー政権 165
ワイマール共和国最後のチャンス / 大統領はなぜ、非常大権を発動しなかったのか / 「憲法フェティシズム」に屈した「憲法の番人」 / ヒトラー暴走を抑えるための画策 / ヒトラー独裁に利した国会議事堂放火事件 / 国会の圧倒的多数で可決された「授権法」 / 敗者たちのその後の運命
Ⅳ 「欧州共同体」という大いなる幻想
第9章 「欧州連合」の原点 186
EUの外様・英国の退場 / 英国は、もともと欧州の一員にあらず / EUの誕生、空想から現実へ
第10章 幻のヒトラー汎欧州構想 198
欧州統合の盟主は、フランスかドイツか / 道徳的に圧迫されつづける戦後のドイツ / ドイツ主導の欧州連合構想 / 幻の欧州経済共同体・国家連合構想
Ⅴ 「不戦条約」と日本の運命
第11章 「日本=戦争犯罪国家」論の根拠 214
安倍談話が触れた「不戦条約」とは / 「戦争を終わらせるための戦争」 / 「自力救済」と「自衛」は、どう違うか / 「攻撃戦争」と「防御戦争」 / 国際連盟の戦争観 / 戦争廃絶に向けての不戦条約案 / 骨抜きにされた条文
第12章 「不戦条約」をめぐる列強のご都合主義 235
「モンロー王義」に固執する米国 / 条約をめぐる米国の公定解釈 / なぜ米国の武力干渉は許されるのか / 米国法学会の不戦条約解釈 / 政策論より、違憲論争に明け暮れる日本 / 満州事変後の日本に降りかかる運命 / 不戦条約は、法的には無効
第13章 満州事変と国際連盟 253
満州事変の「意外なる大波紋」 / 国際連盟を除名された侵略国ソ連 / 国際連盟に制裁された侵略国イタリア / 突如参入する「オブザーバー」米国 / 日本外交の宿痾 / 巻き返しに成功する日本 / 日本の運命を狂わせた上海事変 / 元に戻らなかった歯車
第14章 国際連盟脱退は必要なかった 280
リットン調査団派遣を主導したのは日本 / 日本の脱退は、英国にとっても外交的敗北 / なぜ日本は、脱退したのか / 日本にとっても悪くなかったリットン調査団の報告 / 国内で高まる強硬論 / 日本の外交的敗北 / 米国も、日本との対立は望んでいなかった / 「智的狭隘性」を暴露した日本
終章 アジアの孤児 日本 303
東アジアでは女性が消えている……。科学の進歩で広がる選択的中絶 304
女性尊重は日本の伝統 / 「消えた女性」と「息子偏重」 / 息子だけ欲しい…中韓台の出生事情 / 「男尊女卑」アジアの孤児
主な参照文献 333
まえがき<一部>
日本近現代史をめぐる議論が、あまりにも日本中心であること。昨年上梓した『日本人が知らない最先端の「世界史」』と同じく、これが本書執筆の動機である。
そこで前著に引き続き、歴史認識の鎖国状態を打破すべく、日本の来し方に決定的とも言える影響を及ぼした世界政治に関する海外の研究成果を取り入れ、日本があくまで脇役として参加した20世紀世界史をめぐる、重要なしかし我が国では見過ごされがちな論点を、日本に直接関係ないものも含め取り上げる。
日本の行く末を考えるうえで、歴史に学ぶことは重要であり、本書もその一助となることを願っている。ただし、右であれ左であれ、現在の政治的立場に都合よく過去を利用しようとすれば、それこそ歴史に復讐されるであろう。暗中模索のなか、ぎりぎりの決断を余儀なくされた先人たちを、後知恵で安易に断罪することは厳に慎まねばならない。筆者もそうした後生の傲慢に知らず知らずのうちに陥っているに違いない。自戒を込めて記した次第である。
今でも知識人の間で根強い戦前暗黒史観によれば、獄中から転向声明を発し、共産党指導者から反共の闘士となった鍋山貞親は、断罪されるべき代表的敵役であろう。しかし、彼ほど世界における日本の在り方について考え抜いた日本人は少ない。その鍋山は、戦後、「相当な悲劇でありますけれども、戦争に負けたからといって滅びた民族はまだ歴史上にない」としたうえで、こう述べている(『鍋山貞親著作集下巻』)。
軍事的、政治的敗北という火傷か、外傷のようなものが、手当を間違ったがために内臓疾患まで併発して、道徳的、精神的敗北になったならば、これがなおるのは容易でない。しかも精神的、道徳的敗北には自覚症状がないのが常であります。自分は正しいと思う。自分の考えが受け入れられたというふうに、かえって敗戦の悲劇から自分を引き離して、そうれ見ろ、俺が言った通りではないかというようなことで、いい気になるのが、これが一番おそろしい精神的、道徳的敗北である。
<以下略>
第11章 「日本=戦争犯罪国家」論の根拠
戦争は不可欠な制度である ヨーゼフ・クンツ
安倍談話が触れた「不戦条約」とは
2015年8月15日に公表された安倍晋三首相(当時)の戦後七十年談話をめぐっては、当然ながら賛否両論が巻き起こった。とはいえ、安倍前首相を「歴史修正主義者」として批判し警戒する国内外の勢力からすれば、意外なほど「穏当」な内容で、拍子抜けであったようにもみえる。
一方、安倍支持層からみれば、これまでの歴代の首相談話に比べれば「改善」されたものの、基本的に東京裁判史観の枠内にとどまっていることに、失望した向きも多かったに違いない。
安倍談話は、第一次大戦後の国際情勢を次のように描く。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
戦間期日本が世界の大勢を見失い、国際秩序に対する挑戦者となったという安倍談話の歴史観は、確かに戦後世界の正統史観である連合国戦勝史観に沿ったものであることは間違いない。
ここで、この談話に出てくる「不戦条約」という言葉に注目してほしい。
東京裁判とニュルンベルク裁判において、日独指導者が侵略戦争を行なったと断罪する法的根拠とされ、安倍談話によれば世界の大勢を体現したとされたのが、ほかでもなく、1928年に日本も原締約国として調印した、この不戦条約であった。条約成立に尽力した当時の米仏両国外相の名を冠して、「ケロッグ‐ブリアン条約」と呼ばれることも多い。
しかし、不戦条約とその背景にある国際情勢についての当時の欧米での認識は、連合国戦勝史観に沿った今日の通説とは、実は大きく異なっていた。不戦条約ひいては戦争そのものに関する当時の考え方を知ることなしに、国際社会において独立のプレーヤーとして行動した戦間期日本の対外政策を、客観的に把握し、その是非を冷静に判断することはできないであろう。
「戦争を終わらせるための戦争」
安倍談話にもあるように、第一次大戦は「一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争」であり、それまでの戦争とは比較にならない大きな犠牲をもたらした。しかし、大戦の特異性は、その巨大な人的物的損害という物理的側面に限定されるものではない。その心理的側面においても、第一次大戦は、従来とは異なった様相を呈した。
宗教戦争の悲惨な体験を経て、近代欧州では、戦争とは、対等な主権国家どうしのルールに基づいた紛争解決手段であって、お互いの立場を認め合ったうえでの、一種の「決闘」であった。ところが、第一次大戦では大衆を巻き込んでの宣伝合戦が繰り広げられ、とくに英仏側から、正義と悪の戦いという構図、具体的には平和を愛する英仏デモクラシーと、世界征服を狙うドイツ軍国主義という対立図式に基づく、強烈かつ効果的なプロパガンダが行なわれた。
その過程で一世を風靡したスローガンが、H・G・ウェルズが広めた「戦争を終わらせるための戦争」(the war to end war)である。ドイツという悪の元凶を倒せば、戦争の原因はなくなり、永久の平和が訪れる。英仏は戦争を根絶するための歴史上最後の戦争を戦っているというわけである。
英国にとってこの情報戦の最大の成果は、米国の参戦であった。英仏にとって幸いなことに、当時の米大統領はメシア的性格の持ち主ウッドロウ・ウィルソン。再選された1916年の大統領選で中立厳守を公約に掲げていたにもかかわらず、ウィルソンは1917年4月、参戦を決断し、議会の承認を求めるに際し、「世界をデモクラシーにとって安全な場所にせねばならない」(The world must be made safe for democracy )と高らかに宣言した。
第一次大戦は、世界をデモクラシーの「楽園」とするための最終戦争として、近代以前の宗教戦争あるいは十字軍に先祖返りした、正義が悪を滅ぼす正(聖)戦として戦われたのである。
こうした正戦観は戦後も継続する。パリ講和会議の後に締結されたベルサイユ条約は、第227条で、国際道義と条約の神聖を犯したとして、ドイツ皇帝ヴィルヘルムニ世を戦争犯罪人として訴追すると規定した。亡命先の大戦中立国オランダが引き渡しを拒否したため実現しなかったものの、国家元首を戦争犯罪人として処罰するという発想は、前代未聞であった。
さらに、正義が悪に勝利したという戦争観を反映して、条約は「戦争責任条項」(War Guilt Clause)と呼ばれた第231条で、ドイツとその同盟国の《aggression》に強いられた戦争の結果生じた連合国の全損害の責任が、ドイツとその同盟国にあり、ドイツもその責任を承認すると規定し、巨額の賠償金を科した。いわゆるドイツ「単独責任」論である。
ただし、当時の国際法の理解を反映して、今日では「侵略」と訳される《aggression》に、我が外務省は定訳で「攻撃」という中立的訳語を当てている。第一次大戦を契機とする戦争違法化の流れは、まだ始まったばかりだったのである。
骨抜きにされた条文
米国の強硬な主張で「純粋さと単純さ」を保った本文とは別に、米英主導で条文解釈をめぐる交換公文が取り交わされ、本文は完全に骨抜きにされる。
条約案を提案した直後の1928年4月28日、ケロッグ国務長官は、フランスの懸念を払拭する重要な講演を行なう。このときの発言は6月23日の交換公文に引用され、国際法上の留保の性格を与えられた。
不戦条約の米国案には、いかなる意味においても自衛権を制限し、損なうものは存在しない。この権利は各主権国家に固有のものであり、すべての条約に暗に含まれている。すべての国家は(略)攻撃または侵入(atack or invasion)からその領土を守る自由があり、状況が自衛のために戦争に訴えることを必要としているか否かを決定する権限は、個々の国だけにある。(略)条約が自衛の法的概念を定めることは、平和のためにならない。なぜなら、承認された定義に沿うよう事態を作りあげることは、無法者にとって極めて容易だからである。
こうして、自衛権が主権国家固有の権利であり、何が自衛と見なせるのか、またその行使の是非についても自らの判断に任せることが確認され、「侵略」を定義することは、明示的に否定された。
英国のオースチン・チェンバレン外相(のちの首相ネヴィルの異母兄)は5月19日の交換公文で、4月28日のケロッグ講演を引用したうえで、自衛権をさらに拡大解釈する、英国版モンロー主義宣言を行なう。
世界には、その繁栄と保全が我が国の平和と安全に特別かつ死活的利害を構成する一定の地域が存在する。帝国政府は従前より、これらの地域への干渉を容認しないことを明らかにすべく努めてきたところである。これらの地域を攻撃(attack)から守ることは、英帝国にとって自衛手段である。英帝国政府はこの点に関して、その行動の自由を阻害することはないという了解のうえで、新条約を受諾する。
この英モンロー主義宣言では、世界のどの地域が「特別かつ死活的利害を構成する」のか明示されなかった。どこがそれに当たるかは、英国白身が決めるということである。チェンバレンは自国だけが「悪者」にならないよう、次のように続ける。
合衆国政府は、他国がそれを無視すれば非友好的行動とみなすと宣言する、類似の利害を持っている。したがって、帝国政府は自らの立場を明確にすることで、合衆国政府の意向と見解を表明するものと確信している。
中南米を対象とする米国の「本家」モンロー主義に対して、お互い様というわけである。英国は、さらに7月18日の交換公文でも、再度、英モンロー主義に言及し、それが認められたという了解のうえで不戦条約を受諾すると明記する念の入れようであった。
米国は不戦条約の交換公文で自国のモンロー主義に一切言及しなかった一方、米モンロー主義にわざわざ言及した英モンロー主義宣言を、あえて否定もしなかった。
不戦条約は、上記の英米の交換公文を国際法上有効な留保と了解したうえで、調印・批准され成立した。
こうして、「理想主義」の米国と現実主義の英国の連携プレーにより、当時、柳沢慎之助か指摘したように、「アングロサクソンニ大強国は不戦条約に拘はらず事実上地球の四分の三に対して『利害関係ある地方の防衛』てふ名義の下に、勝手に武力的干渉を行ひ得る結果とな」った(『外交時報』1928年9月1日号)。
不戦条約とは、極論すれば、戦間期で最も国際関係が安定していた状況の下、英米本位の現状維持を承認したうえでの、世論向けパフォーマンスに過ぎなかったのである。