佐藤正男 オーラル・ヒストリー

東京大学社会科学研究所編「佐藤正男 オーラル・ヒストリー」、「国鉄中央学園の講師として」の節を、当時を懐かしく思い出しながら拝読しました。

佐藤正男 オーラル・ヒストリー

 オーラル・ヒストリー (oral history) あるいは口述歴史(こうじゅつれきし)とは、「歴史研究のために当事者・関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめること。またその歴史資料。」だそうです。

 佐藤正男さんは日本国有鉄道・東日本旅客鉄道などで勤務された後、2001年から東北福祉大学教授をお勤めになり、現在では退任していらっしゃいます。
 私も、佐藤正男さんが国鉄中央鉄道学園で講師をしていた時に、大変お世話になった一人です。
 

 「佐藤正男 オーラル・ヒストリー」の中の「国鉄中央学園の講師として」の節を、当時を懐かしく思い出しながら拝読し、コピペさせていただきました。

佐藤正男 オーラル・ヒストリー 大高未貴


●国鉄中央学園の講師として

中村:中央学園に行かれてからのお話をお聞かせいただきたいですが、当時、学生でいらっしゃった頃と、先生になって戻っていらしたときと、学園の雰囲気は変わっていましたか。

佐藤:それは学長も変わってましたしね。私が、学生として学園にいた頃の学長は、田宮新平(たみや しんぺい)さんっちゅってね、非常に、まさに学長らしいひとで、学生と一緒にいるのが一番生き甲斐みたいな・・・。ところが講師になって行ったときの学長は、非常にきちんとしたひとなんですよ。あまりふざけたりしないっていうか。しかも時代はますます職場規律を規制しようっていう方向に行くわけです。そうすると学園も、大学課程の連中も・・・きちんとしようってなるわけですよ。
そうすると、我々の学生だったときは授業をさぼって空手やったりしてたわけですからね、あるいはその辺で飲んだくれてたりね。私としては・・・学生たちを規律で縛るような教育の仕方は、違うんじゃないかと思ってたんですよ。つまり私か赴任した当時の学長と、合わなかったですね。学長とだいぶやりあったしね。ええ。あの・・・気まずい思いもしましたね。
学級主任会議があって学長も出るわけで、そこで学長は「学級主任は現場長なんだ」っていうわけですよ。それで「私は現場長なんかじゃありません!」となるわけです。「ここは現場じゃないんです。高等教育を受けて学問を深めて、それで現場に行ったときにはきちんとできることが大事であって、今は切磋琢磨して、議論して色々深めなくちゃないのに、学級主任が現場長のつもりになって、規律を押しつけて、それで現場と同じような学校にするのは、どうも納得できません」と。「現場と大学課程の全寮制の生活は全く違うべきである」というようなことを、多分私は述べたんですね。

中村:それは先生になってからですね。

佐藤:ええ。学生の頃はこんなこといいませんから、講師になってからです。何回か学長と衝突しました。

中村:なるほど。学生の性格というか質というのは、佐藤先生が学生としていらした頃とはちょっとやはり違っていましたか。

佐藤:学生の傾向としては全体的に、少しやっぱり小粒になっているというか。やっぱり・・・国鉄全体がそういうふうな職場規律、是正しなくちゃないというような雰囲気になってきたから、かつて私なんかがやってたように・・・授業をさぼったりその辺で飲んだくれてきたり、色々・・・学生として、自由気ままな行動が時としてあるわけですよね。
ところが私か赴任してみると、当時の学生たちはそういうのはできなくなっていた。できないというか、真面目になったというか・・よくいえば。生徒が小粒になり、真面目になったと。

中村:先生が学生の頃には、たとえば労働組合上がりの学生もいっぱいいて、すごくフェアに選抜されてきていたので、本当にいろんなひとがいたというお話が以前あったと思います。この時期になると、もうそれはなくなっているんですか。

佐藤:いや、それは変わらずですね。学長は騒いでいるけども・・・私か講師で行ったときの学長はね。だけど学園全体としては、そういう伝統というか雰囲気はまだまだ残ってたと思うんです。だから学長が騒いでいるんだろうと思うんですけどね。

中村:ああ、これじゃいかん、というわけですね。

佐藤:ええ。

堀田:学園で学ばれたときは、あまり学生同士で現場に関する議論みたいなものはなくて、だから空手をなさったりしていたということだったと思いますが、講師としていらしたこの当時でも、やっぱり学生の間で、現場について議論が交されるという感じではなかったんでしょうか。

佐藤:ないですね。全くの学生と、同じですね。

堀田:では、淡々と勉強するという・・・

佐藤:勉強も大してしてないんだけど、でも現場がこうだ、ああだっちゅうのはあんまり・・・ただ新聞とかなんかで職場規律の是正問題とかですね、色々・・・自民党の部会とかできますから、そうすると話題には多少はなってたかもしれないけど。しかし講師の立場である私としては、そういう話題を議論しているのを聞いたことも見たこともないし、私は空手部の顧問になって・・・(一同 笑)もうルンルン気分でしたから。一番楽しい・・・学生と一緒に空手もやったりしてね。はい。

水町:授業自体は、労働法の講義と演習を持たれていたんですか。

佐藤:演習っていうのは実は・・労働法の先生、部外の小西先生が労働法と演習と両方やってて、私は卒業間近の三年生、これを国鉄内の労働法っていうことで担当していたんです。だから私はこの先生の授業はずっと聴講してましたけど。学生からは嫌がられたけど。

水町:佐藤さんがお書きになった、『鉄道会社の労働法と職場経営論』というご本がありますね。あれは講義なされた内容をまとめたものということでしょうか。

佐藤:・・・ではないんですね。あれは・・・一つは学園に行ったら沢和哉(さわ かずや)先生がいまして、学生50人を2クラスに分けてたんですよ。科目によっては1クラスでやるんですが。で、私が2組で、その沢先生が1組で。沢先生は有名なひとで、鉄道史とか・・・こないだも電話で話しだけど、国鉄本社の修史課・・・『鉄道百年史』かなんか・・・

中村:『日本国有鉄道百年史』ですね。

佐藤:はい。この難しい仕事を責任持ってやったひとで、なかなかのひとなんですよ、そういう意味では。その先生と組んでですね。・・・学生からは・・「あ、佐藤先生と沢先生は全然、合わないようだけど大丈夫かなあ」なんて心配されたりするんだけど、非常にこれが、性格は違うんだけど信頼関係があるんです。
それで57年に行って、58年の2月から・・これが最初かな・・・この『フォアマン』っちゅうのがあって、(原物を見ながら話している)これはまあ国鉄だけじゃなく、私鉄なんかも・・・鉄道関連の管理者のための雑誌なんです。まあときどき話してましたから、「佐藤先生、ぜひこれに書いた方がいいなあ」ってなりまして、で、小泉さんっていったかな、フォアマンの編集長にいったらしいです。それで「ぜひ書いてほしい」っていうことになって、8年ぐらい書いたんです。
これの3分の1くらいが、本の元になったと思います。特に最初の方は、現場の助役やってた経験を生かして。これを書くときに、読んだ助役さんはどういうふうになるかっていうのが、いつも私の頭にはありましたから・・・労働法の普通の論文などではあんまり書かないような、現実に使える労務管理的なことを書いたんです。助役さんを応援するための文章なんてすね。
だから2~3行書くのに、一晩かかっても書けないときもありましたよ、悩んで。「こういうことを書いたら、助役さんなんて思うんだろう」と。激励になんないんではないかと思ったりして、前に進めなかったということありましたけど。でも、元になったことは確かです。

水町:たとえば授業のなかで、指揮命令権の行使のことであるとか、時季変更権の行使のことなど、職場を律するための法律関係についてお話しされるときに、学生の反応というのは特にないですか。大学でずーっと話して、学生はそれを間いているだけですか。

佐藤:だいたいですね、どうも・・・「現場に帰って助役やるぞ」とか、そういう「国鉄を何とかしよう」とかそういう気構えが、私から見たら薄いんですよ。

水町:学生さんたちはだいたい20代ですか。

佐藤:一番下で、22~23歳ですかね。多くて30・・・32~33歳ぐらいまで大学課程を受けられるんです。だから・・・薄いんですよね。それから気構えがというか・・根性がないっていうか。だから学級経営のなかで、ボクシング・グローブとヘッドギア買って、ボクシングさせましたよ。そうしたら、学長に「止めろ」いわれてね。その割りにはラグビーさせてるんですよ。だからいったんですよ。「ラグビーよりずっと安全ですよ」って。ヘッドギアはしてるし、私かレフリーするんだから。 これは田尾さんが英国に行ったと・・・英国では小学校か中学校か分かりませんが、ファイティングとかいう科目かあるというんですよ。ああ、なるほどなあと。まあ小学生ではないかもしれないけど、私も助役やってたときに・・・これから助役になるかもしれないから、かわいい・・・真面目にやってる部下、社員を助けるためにはそういう根性もないとだめなんだと。闘争心が。

水町:それは授業の時間のなかでやっているんですか。

佐藤:授業の時間のなかです。

水町:学級経営?

佐藤:学級経営というのがあるんですよ、たまに。

水町:それは担任か何かになられて、その・・・

佐藤:担任です。

水町:担任の先生の、ホームルームのような・・・

佐藤:そうですね、ホームルームみたいなものですね。当初は周囲からブーブーいわれたんですよ。

水町:学生は楽しんでやっていたんですか。

佐藤:やる前は反対ですね。大学まで行ったのも入ってますから、「大学も行ったけど、そんなのやらされたことない」と。もう・・・「おかしいんでないか」と反対されたんですけど。「やれっ!」っちゅって、やらせました。で、今その一人が高校の先生やってましてね。そして少林寺拳法の顧問やってます。(一同 笑)

堀田:では、やり始めたら・・・

佐藤:やってみると、「スカッとした」とか好評だったですね。沢先生は反対したんです。

中村:学生のことですが、担任として一クラス持たれたら、たとえば学生がそこで学ぶ3年間、ずっと同じクラスで同じ担任なんでしょうか。

佐藤:私の場合は、行ったときは2年生を担任したんです。で、2年、3年と。ただ3年生は配属とか人事を扱うんで、本来ならば指定職っていう管理職・・・管理職になってる、その指定職になってる先生が、通常は3年生の担任になるんですけども、私は特別3年も持ち上がりで担任やりましたね。

中村:学生さんとは、かなり密な関係になりますか。

佐藤:ああ、私の場合は密にしました。自宅にも何べんも連れてきたし、それから全寮制ですから私も何度も泊まって・・・月に2~3回泊まってたんじゃないですかねえ。で、私は議論ふっかけて。学生の・・同じ部屋で寝るようにしますから・・何人か集まってきてね、それで2時、3時まで議論したりしましたね。

中村:そのときの学生さんとは、今でもお付き合いされているのでしょうか。

佐藤:ええ。もう・・同期会・・・分割民営化してから3年にいっぺんとかになってるんですけども、毎回呼ばれるんです。

堀田:授業の内容で、小西先生が労働法一般の講義と演習で、佐藤先生は国鉄固有のお話をされていたというようなことと思いますが、これも現場の助役さんたちを応援するような・・いずれ助役になるだろうひとたちを、応援するような感じの内容が多かったんでしょうか。

佐藤:いや、講義では管理者を応援するとかじゃなくてですね。もちろん実体験を踏まえてっていうことはありますけれども、応援とかじゃなくてきちんと労働法を現実に沿って講義したんです。60時間、年間。

一同:60時間もですか。

佐藤:ええ。小西先生は演習が40時間、労働法が60時間か70時間。

一同:多いですね。

佐藤:多いんです。

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