日本人が知らない! 世界史の原理

世界史もそうですが、何度読み学んでも忘れてしまいます。懲りずに、本書で学び直そうと・・・。

日本人が知らない! 世界史の原理

 「日本人が知らない! 世界史の原理」(宇山卓栄・茂木誠 著)を読みました。世界史もそうですが、何度学んでも忘れてしまいます。懲りずに本書で学び直そうと・・・。

 宇山卓栄・茂木誠さんの「世界史の原理」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

世界史の原理 宇山卓栄・茂木誠

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日本人が知らない! 世界史の原理 [ 茂木誠 ]
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目次

 はじめに ―― 画期的な世界史通史の対談本! 宇山卓栄 3
 第1章 古代 ―― 東西の二大帝国と日本
 1 ユダヤ人の正体、中東危機の淵源(宇山)……16
 「約束の地カナン」 16  / バビロン捕囚とユダヤ選民思想 19  / キリストはなぜ、白人のビジュアルになってしまったのか 21  / 「ユダヤ人ハザール人説」、陰謀論か真実か 24  / ユダヤ人を迫害したのはナチスだけではない 28

 2 ローマ帝国、移民によって栄え、移民によって滅ぶ(宇山)……31
ローマ帝国が教える移民政策の光と影 31  / なぜ、ローマは覇権を握ることができたのか 33  / ゲルマン人という移民勢力 34  / 移民が国を乗っ取る 37

 3 中華帝国の権力構造を言語から読み解く(茂木)……42
皇帝とは、帝国とは? 42  / 中国から独立できる地政学的環境を持っていた日本 44  / 中国の不幸は巨大すぎること 46  / 法家統治の秦と儒家統治の漢 49  / 古文から白話、そして簡体字へ 52

 4 古代インド、アーリア人がもたらした宗教(宇山)……57
今も残る力-ストの身分制社会 57  / ヒンドゥー教とは「インド教」 60  / 女性を生きたまま焼き殺す儀式 62  / インド人とヨーロッパ人は同源なのか 65

 5 日本人と日本国の起源(茂木)……69
「日本国」という国号の初出はいつか? 69  / 「人種」と「民族」の違い 73  / 縄文人に一番近いのはチベット人 76  / 最大の謎、日本語の起源を考える 80  / 「日本人らしさ」は縄文人のDNA 82

 第2章 中世 ―― モンゴル帝国が与えたインパクト
 6 中国人はどのようにハイブリッド化されたのか(宇山)……88
「中国人=漢民族」ではない 88  / 半分以上が異民族の王朝 90  / 日本は「東夷」と侮蔑された 93  / 中華国家を標榜するならば 96

 7 ロシアというやっかいな隣人 ―― ウクライナ戦争の淵源(茂木)……99
実はいったん滅んでいるロシア 99  / モンゴル軍に蹊躍されたというトラウマ 102  / 多層な混血民族集団・コサックの登場 105  / ポーランドからの独立とロシアによる支配 107  / 「黒船ショック」で近代化に舵を切ったロシア、日本、清国 110  / ソ連時代、辛酸をなめたウクライナ人 112

 8 ヨーロッパの国々はどのように誕生したのか(宇山)……116
独仏伊、3国はいかに生まれたか 116  / 水上の交易ネットワークを独占したノルマン人 119  / アングロ・サクソン人とイギリスの歴史 122  / 東西分裂後、ローマ皇帝の帝位はこうして受け継がれた 126  / ヨーロッパには、皇室が三つある 129  / 古代ローマの理想を19世紀に蘇らせたナポレオン 131

 9 「イスラム」というグローバリズム(茂木)……134
「選民」ではないアラブ人の預言者 134  / グローバル一神教たるキリスト教とイスラム教の違い 138  / ムハンマドによるイスラム教の急拡大 141  / いまだルネサンスなきイスラム世界 144

 10 「先住民」の世界史(茂木)……149
「先住民」を意味する英語表記の変遷 149  / フランス人やイギリス人のルーツ、ケルト人 151  / イングランド、スコットランド、アイルランドの関係史 154  / エミシ・ミシハセはアイヌではない 158  / アイヌとはシベリア起源の北方民族と縄文系擦文文化人との混血 161  / 「アイヌ先住民決議」の過ち 164

 第3章 近世 ―― 世界的な「大戦国時代」
 11 大航海時代、新大陸先住民族のスペイン化と混血(宇山)……168
アメリカ先住民は古いモンゴロイドの子孫 168  / 騙され、人質にされて、殺されたインカ皇帝 170  / 20倍の数の先住民族と混血 174  / 中南米各国で異なる人々の容貌 176

 12 「国家」、「国民」はいつ生まれたのか?(茂木)……180
中世ヨーロッパの王は力があったか? 180  / 国王が神の代理人となり「国家」が現れる 183  / 天皇から将軍職を授与される徳川家 187  / フランス革命軍の強さの秘訣 189 明治維新は革命ではなかった 192

 13 朝鮮を独立させたのは誰か?(宇山)……196
「朝鮮人」は差別語なのか 196  / 李王朝が明の皇帝から与えられた「朝鮮」 198  / 朝鮮王が「陛下」ではなく「殿下」と呼ばれたワケ 200  / 日清戦争で清国から独立できた朝鮮国 202  / 「独立門」を勘違いしている韓国人 205

 14 明朝と清朝 ―― 絶対権力の腐敗と朝貢システム(宇山)……208
歴代、最も腐敗と無能を極めた明王朝 208  / 7回にわたる鄭和の「南海遠征」 211  / なぜ、アジア発の大航海時代が起こらなかったか 214  / 多民族国家・中国の原型を形成した清王朝 216  / 18世紀後半には統計人口が約5倍に増大 218

 15 徳川日本は世界有数の重武装中立国家だった(茂木)……221
火砲(大砲と鉄砲)の誕生 221  / 1000年続いたビザンツ帝国を滅亡させた力 224  / 鉄砲の量産体制に入った戦国日本の軍事力 226  / オランダ・イギリスは家康の天下統一に貢献 229  / パクス・トクガワーナを支えた情報力と軍事力 232

 第4章 近代 ―― 大英帝国と国民国家
 16 「市民革命」は、なぜ西欧だけで起こったのか(茂木)……236
「講座派」と「労農派」の日本資本主義論争 236  / カルヴァン派が発展させた資本主義 239  / ピューリタン革命と、元に戻った名誉革命 242  / フランス革命の狂気、そしてマルクスの共産主義へ 244

 17 イギリスの世界支配、覇権の構造(宇山)……247
覇権国家・三つの条件とは 247  / イギリスの悪辣なる収奪システム 250  / 「黒い積み荷」と「白い積み荷」 253  / インドのアヘンと中国の茶を結びつける三角貿易 256  / 軍産複合体ジャーディン・マセソン商会 258

 18 プーチンはなぜ、ロシア皇帝を敬愛するのか?(宇山)……260
イギリスに阻まれたロシアの野望 260  / 明治維新と同時期に進んだアレクサンドル改革 264  / 保守反動の専制政治に向かったアレクサンドル3世 267  / ビスマルクの均衡外交とその限界 268

 19 「大分岐」 ―― 「豊かな中国」が「貧しいヨーロッパ」に負けたのはなぜか(宇山)…… 272
中国の圧倒的優位が失われた1世紀半 272  / アダム・スミスが酷評。「産業資本が欠如した停滞社会」 274  / なぜ、産業革命は中国で起こらなかったのか 275  / 乾隆帝はイギリス使節を嘲笑した 279  / 金融業の解禁と殖産興業ができなかったイスラム世界 281

 20 日本はなぜ近代化に成功し、朝鮮は失敗したのか?(茂木)……285
江戸期日本の繁栄を見て感嘆した朝鮮通信使 285  / 日本人に対してのすさまじい差別意識 288  / 李氏朝鮮の権力の源泉は「中国と繋がっていること」 291  / 朱子学が生き続けている韓国・北朝鮮 295

 第5章 現代 ―― アメリカの世紀と共産党の野望
 21 「三枚舌外交」がユダヤ人とパレスチナ人の争いの元になったのは本当か(宇山)……300
バルフォア宣言で記された「national home」 300  / アラブ人とユダヤ人の共存が可能とされた 304  / イギリス政府は矛盾していなかったのか 306  / シオニストはカネとプロパガンダを利用した 308

 22 アメリカ民主党の偽善と腐敗の遺伝子「フランクリン・ルーズヴェルト」(宇山)……312
日本人に対する異常な人種差別意識 312  / ニューディール政策が世界恐慌を克服したという嘘 314  / ニューディール政策は共産主義化への手段 317  / 慣例を破って4選、選挙では大ホラ 319

 23 日米関係の世界史 ―― アメリカの残虐性の根源とは?(茂木)……322
アメリカの「太平洋ハイウェイ構想」 322  / 隣国になった日米が衝突し始める 324  / 露骨な人種差別主義者・アメリカ大統領ウィルソン 326  / アメリカが中国市場から日本を排除する 329  / フランクリンの異様な中国びいきと反動としての日本嫌い 331

 24 冷戦、NATOがロシアを追い込んだ ―― ウクライナ戦争の本質(宇山)……335
ウクライナ問題と台湾問題は関連しない 335  / NATOという名の軍事同盟 337  / プーチンを排除したいジョージ・ソロス 339  / ロシア包囲網となっている新NATO 342  / ウクライナ侵攻は冷戦以来続く歴史の必然 345

 25 中国共産党を生み出したもの(茂木)……348
コミンテルン、東アジアにおける活動開始 348  / 北一輝理論に影響された「赤い将校」 351  / 大陸に日本軍を引き込む中国共産党の策謀 353  / 残虐な通州事件は誰が行ったか 356  / 日米戦争へ誘導し、ソ連を救ったハリー・ホワイト 358  / 大本営はソ連の対日参戦を知りながら受け入れた 361

 おわりに 茂木誠 365  


エミシ・ミシハセはアイヌではない

 茂木 アングロ・サクソン人がブリトン人を西へと追い詰めていた頃、日本列島ではヤマト人がエミシ(蝦夷)を北へ追い詰めていました。
 7世紀、斉明女帝と中大兄皇子は、越(=北陸地方)を治める長官の阿倍比羅夫に軍船180隻を北上させ、陸奥のエミシと「渡島(わたりのしま)」のミシハセ(粛慎)の部族長たちを服属させた、と『日本書紀』にあります。
 このエミシとアイヌとを混同する人が多いのですが、アイヌが北海道(蝦夷地)に現れるのは13世紀の鎌倉時代なので、7世紀の記録に出てくるエミシ・ミシハセはアイヌではありません。寒冷地ゆえに弥生文化を受け入れなかった東北地方の縄文人の子孫がエミシ、と考えるのが自然でしょう。
 ミシハセについては欽明天皇紀の越の国からの報告に、「佐渡島の北の海岸に住む漁労民」と記されています。「佐渡の北」といえばロシアの沿海州ですから、沿海州と樺太の先住民であるギリヤーク人である可能性もあります。
 また、ミシハセが「ヒグマ2頭と毛皮70枚を献上した」という記録から、阿倍比羅夫の艦隊が到達した「渡島」はヒグマが生息する北海道あるいは樺太・沿海州、と考えることもできます。 「ヤマト人」は縄文人と弥生人との混血か、弥生文化を受け入れた縄文人です。(第1章5節参照)。彼らが純粋縄文系の狩猟民を指して、「エミシ」と呼んでいたのでしょう。
 奈良時代から平安時代にかけて、秋田県(秋田城)・岩手県(胆沢城)にまでヤマト(日本国)の城塞が築かれ、ヤマトの農耕民が移住しました。

宇山 エミシの最後の抵抗は、平安時代の初期に起こっていますね。宮城県の北上川流域の諸部族をまとめ上げたアテルイとモレという二人の部族長が蜂起したのです。桓武天皇の命を受けて鎮圧に向かったのが征夷大将軍・坂上田村麻呂でした。

茂木 アテルイの反乱は10年以上に及びました。戦法はエミシ側も朝廷側も弓矢と騎兵が中心でほぼ互角です。ただ兵力で朝廷側か圧倒し、アテルイとモレは降伏しました。
 田村麻呂は二人を助命して京の都まで護送し、「降伏したのだから故郷に戻し、現地を治めさせましょう」と提案しますが、「いつまた反乱を起こすかわからぬ」という理由により、朝廷は二人を処刑しました。
 降伏したエミシ軍は「俘囚」=捕虜としての扱いを受け、東国各地に土地を与えられて農耕生活に移りました。彼らは虐殺されることなく、日本人に同化していったのです。嵯峨天皇は「彼らはもはや帰順した。蔑称ではなく、その官職や姓名で呼べ」と勅令を出しています。
 彼らの戦闘能力は朝廷から高く評価され、戦時には動員されました。これがやがて東国武士団(陸奥安倍氏、出羽清原氏、奥州藤原氏)の源流となっていきます。

宇山 エミシは縄文人ですから、先住民というより日本人の祖先そのものです。弥生農耕文化を受け入れるのが、「ヤマト人」よりも少し遅かったというだけなのです。
 縄文人は、北海道にまで広がっていました。そのことは遺跡の分布から明らかで、東北と北海道は同じ文化圏でした。ただし寒冷な北海道には弥生文化は最後まで伝わらず、狩猟文化が続きました(続縄文文化)。飛鳥・奈良・平安時代には、表面をヘラで擦った擦文土器が出現します(擦文文化)。その担い手もエミシと同族の縄文系だったと推測されます。

茂木 一方、樺太方面からはクジラのほかアザラシ、ラッコなどの海獣を捕獲する海の狩猟民が北海道へやってきます(オホーツク文化)。彼らの正体ははっきりしませんが、沿海州の諸民族、ギリヤークや女真とも交易していたことが遺物からわかります。
 アイヌに関する最初の記録は意外にも新しくて、13世紀のモンゴル帝国の公式記録である『元史』です。「ギレミの民がフビライに訴えた。クイやイリウが毎年、侵入してくる」と。「ギレミ」は沿海州の先住民であるギリヤーク(ニヴフ)、「クイやイリウ」がアイヌであると考えられています。
 アイヌは樺太の先住民で土器を作らず、独自の狩猟文化を持っていました。樺太と沿海州とを隔てる間宮海峡は冬に凍結するため、歩いて渡ることができます。アイヌがここを渡って沿海州に侵入してくる、とギリヤークがモンゴル帝国に訴えたのです。
 これを聞いたフビライはギリヤーク支援のため、1264年にモンゴル軍を樺太へ侵攻させます(北からの元寇)。20年後の1280年代にも3度にわたる樺太遠征をおこない、アイヌを樺太から排除しました。逆に言えばアイヌは、モンゴル軍に4度遠征させるほどの軍事力を持っていたことになります。この間、フビライは日本を服従させるため北部九州へ出兵しますが、日本と樺太との位置関係はよくわかっていなかったようです。


アイヌとはシベリア起源の北方民族と縄文系擦文文化人との混血

 茂木 4度のモンゴル軍による攻撃を受けた樺太アイヌは北海道へと移住し、オホーツク人や擦文文化人と混血しました。これが北海道アイヌの起源です。のちにモンゴルが衰退すると、アイヌの一部は樺太に戻りました。
 すでに明らかになったと思いますが、北海道の先住民は縄文系の擦文文化人であり、アイヌは鎌倉時代に樺太から渡ってきた渡来人の子孫なのです。ヒグマを神として祀るアイヌの習慣は、オホーツク人とも共通しています。
 母系継承されるミトコンドリアDNAにY1という集団があります。ニヴフなどオホーツク諸民族に共通し、アイヌもこれを受け継いでいます。縄文人のミトコンドリアDNAはさまざまですが、Y1はほとんど持っていません。
 一方、父系継承されるY染色体を見ると、アイヌは縄文系のD1s2sを色濃く受け継ぐ一方、シベリアから北米に広がるc2も持っています。つまりアイヌとは、シベリア起源の北方民族と北海道の縄文系擦文文化人との混血と考えるのが自然でしょう。
 このようにアイヌは確かに縄文人の形質を受け継いでいますが、アイヌ語をはじめとするアイヌ文化は、縄文文化とはまったく異なるユニークなものです。遺伝的特徴と、文化としての民族意識とを混同すべきではありません。

宇山 オホーツク人とは樺太北部やアムール川下流域を原住地とした狩猟・漁労民で、先ほども述べられていたギリヤークつまりニヴフ人という少数民族を直接の共通祖先とすると考えられています。アイヌの起源ははっきりしませんが、言語や文化においてオホーツク人と混血同化していきました。樺太から北海道に渡ったあとは、縄文系擦文文化人と混血、同化していったのでしょう。
 今日、人工的あるいは政治的都合でカテゴライズされた「アイヌ民族」は日本に約1万3000人いるとされます。こうした人工的「アイヌ民族」が自治権や自治区の獲得に向けて、今後、政治闘争を仕掛けてくることも想定されます。
 
日本語は文法や語彙において、アイヌ語と部分的に類似性を持ちますが、全体として言語上の系統的関連性は乏しいとされています。しかし、一部の学者は両言語が同一の傾倒にあると主張しています。かつて哲学者の梅原猛は、日本語の多くの部分がアイヌ語を基礎に発展したと述べましたが、ほとんど根拠はありません。

茂木 本州各地にアイヌ語の地名が残っているという俗説も広まっていますが、本州にアイヌが住んでい たという確たる証拠は、考古学的にも文献学上もないのです。
 この俗説は「エミシ=アイヌ」、「縄文語=エミシ語=アイヌ語」という前提条件に基づいています。江戸時代に北海道を蝦夷地、アイヌを蝦夷と呼んでいたことがら、古代の蝦夷(エミシ)との混同が生じ、明治期に「アイヌ=縄文人」説も流布されました。
 誤解がないようにいっておきますが、アイヌは日本の少数民族です。独特の自然崇拝、絶滅寸前のアイヌ 語、壮大な叙事詩『ユーカラ』、独特の衣装デザインなどはすばらしいものです。日本文化の民族的多様性 を示す貴重な文化財として守っていくべきだと私も思います。しかしそのことと、科学的根拠に乏しい「アイヌ先住民説」とは別なのです。


「アイヌ先住民決議」の過ち

茂木 江戸時代に貨幣経済が浸透して貧富の格差が拡大し、明治時代には日本が帝国主義の時代を生き抜くために、アイヌの日本人化が強制されたのは事実です。民族の言葉を禁じられて悲しい思いをした人も多いでしょう。その一方で、日本人として懸命に働き、徴兵にも応じ、日本のために貢献してくれたアイヌの方たちもたくさんいます。彼らは日本人と混血し、いまでは完全に日本人になっているのです。江戸から明治にかけて、北米やオーストラリアで行われたことを見てください。

宇山 オーストラリア先住民アボリジニーは、白人開拓民によって狩猟の対象となりました。アボリジニー狩りというスポーツがあったのです。

茂木 幼い子供たちは親から引き離されて寄宿舎に入れられ、「文明人」となるべく英語を強制されました。カナダでも先住民に対して同じことが行われていました。オーストラリア政府とカナダ政府は、これらの非人道的行為を認め、謝罪しています。
 アメリカ合衆国では1830年のインディアン強制移住法によって、先住民が根こそぎミシシッピ川以西の「保留区」へ強制移住させられ、彼らの土地は白人開拓民によって分配されました。こののち「保留区」も廃止されてオクラホマ州となり白人開拓民に「開放」されました。いくつかの部族は抵抗しましたが、そのたびに合衆国軍が投入され、掃討されていきました。
 最後に抵抗したのはスー族でした。戦士の多くはすでに斃れ、抵抗した400人の大半が女性と子供、老人でした。武装解除の命令に抵抗した彼らに対し、アメリカ陸軍の第7騎兵隊が用意した4門の機関砲が火を噴き、300人を殺しました。
 この1890年のウンデッドニーの虐殺で先住民の組織的な抵抗は終わり、生き残った者はさらに奥地の「保留区」に押し込められ、彼らの子孫はいまもそこで暮らしています。彼らに市民権、参政権が与えられたのは、1964年の公民権法によってです。

宇山 アメリカ政府は先住民に対し、いまだ公式の謝罪をしていません。

茂木 「先住民族は世界のもっとも不利な立場に置かれているグループの一つを構成する。……現在少なくとも5000の先住民族が存在し、住民は3億7000万人を数え、5大陸の90力国以上の国々に住んでいる。多くの先住民族は政策決定プロセスから除外され、ぎりぎりの生活を強いられ、搾取され、社会に強制的に同化させられてきた。また自分の権利を主張すると弾圧、拷問、殺害の対象となった。彼らは迫害を恐れてしばしば難民となり、時には自己のアイデンティティを隠し、言語や伝統的な生活様式を捨てなければならない」
 これは、国際連合(UN)広報センターのHPからの引用です。
 北米やオーストラリアの先住民については、この国連声明の通りでしょう。彼らの権利と名誉は回復されなければなりません。しかしすべての先住民がこのような迫害を受けたわけではなく、ケルト人はイギリス人と、エミシは日本人と完全に同化しています。アイヌは鎌倉時代に渡来してきた少数民族であり、先住民という定義が当てはまりません
 2008年(平成20年)、日本の国会は全会一致で「アイヌ先住民決議」を行いました。当時の内閣は自民党の福田康夫内閣です。
 「同決議は、昨年9月、国連において『先住民族の権利に関する国際連合宣言』が採択されたことを受け、政府が早急に講ずるべき施策として、アイヌの人々を『独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること』及び『高いレベルで有識者の意見を聴きながら、これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと』を求めています」(参議院HP)

宇山 国連で決まったことだから日本でもやらなければならない。これだけの理由で、北海道を中心に莫大な公金投入が行われ、さまざまなハコモノが建てられ、様々な利権団体に公金がバラ撒かれました。同じことはLGBT理解増進法(2023年)でもいえるでしょう。

茂木 官僚・政治家が歴史を知らないと、こう。いうことになるのです。


ピューリタン革命と、元に戻った名誉革命

茂木 オランダに続いたのがイギリスです。贅沢を嫌い、禁欲的で質素(ピュア)な生活を送ることから、イギリスのカルヴァン派は「清教徒(ピューリタン)」と呼ばれました。一方、イギリス王ヘンリ8世は自身の離婚問題から、離婚を認めないカトリックを捨て、国王を指導者とする「イギリス国教会」を設立しました。国王が「神の代理人」となったのです。これは当然、カルヴァン派の教義に反します。
 イギリスは中世のマグナ・カルタ(大憲章)以来、王権と貴族との対立の中で除々に形成されてきた慣習法(コモン・ロー)によって王権が制限され、貴族・市民代表の議会が国政を担ってきました。このような伝統を守ろうとする議会と、王権神授説を盾に国教会を強制する国王チャールズ1世との対立が深まると、議員の多くは国教会からピューリタンに改宗し、国王との内戦(ピューリタン革命)に突入したのです。

宇山 ピューリタンの中には、国教会との妥協を図り、王政を存続させる「長老派」と、国教会の廃止と共和政を目指す「独立派」がいました。議席数では長老派が多数でしたが、独立派の軍人クロムウェルは国王チャールズ1世を捕虜にした上で、クーデターで長老派を議会から追放し、共和政を宣言します。そしてチャールズ1世に対して「国家反逆罪」を適用し、公開処刑しました。

茂木 クロムウェルは、イギリスをピュリファイ(浄化)して、「神の国」を建てねばならぬと信じ込む狂信者でした。反対勢力は「神の敵」と呼んで容赦なく虐殺し、やがて議会も停止してしまいます。イギリス共和国の実態は、クロムウェル独裁体制でした。
 
クロムウェルは「娯楽も贅沢も敵だ!」と信じていました。酒・タバコもオシャレも禁止、劇場も閉鎖され、讃美歌以外の歌を歌うこともダンスも禁じました。このような人間性に反する体制が長く続くはずがありません。クロムウェルの死後、長老派が軍と結んでカウンター・クーデターに成功し、フランス亡命中の王子を呼び戻して王政復古が実現します。
 政権に復帰した長老派は国教会に改宗し、国王と議会が共存する立憲君主政を目指しました。しかし議会を嫌う国王は、フランス王ルイ14世と軍事援助の密約を結び、議会を無視します。両者が衝突して2度目の革命(名誉革命)となり、議会は新教国オランダの支援を得て国王ジェームズ2世を追放し、オランダ総督夫妻をイギリス王に迎えます。オランダ総督夫人はジェームズ2世の娘だったので、血統的にも問題なかったのです。

宇山 ジェームズ2世はフランスヘ亡命しました。王の追放は戦わずして達成されたため、この革命は「名誉革命Glorious Revolution」と呼ばれますね。名誉革命で確立した立憲君主政は、今日に至るまで300年以上続く、世界で最も安定した政治形態となります。

茂木 狂信者クロムウェルの共和政はイギリス史における例外中の例外だったのです。中世以来の慣習法(コモン・ロー)の秩序、王と議会との共同統治の体制に戻したのが名誉革命でした。その直後に議会が定めた「権利章典」は、マグナ・カルタ以来の議会の伝統的特権を王に再確認させたもので、イギリス憲法の一つとされます。王権も貴族制度も大土地所有制もそのまま残しました。「封建制を破壊してブルジョワ支配を確立した」というマルクスの市民革命の定義には当てはまらないのです。
 そもそも英語の革命/レヴォルーションRevolutionの語源は、ラテン語のrevoltio(回転する)。「ぐるっと回転して元に戻った」「伝統に戻した」という意味ですから、名誉革命はまさに「保守革命」と呼ぶべきものだったのです。


フランス革命の狂気、そしてマルクスの共産主義へ

茂木 ところがアメリカ独立革命とフランス革命は、まったく新しい体制を樹立したという点で、イギリスの革命とは違いました。両者は慣習法に従ったのではなく「自然法」なる新しい概念に従って国政を変革したのです。
 「自然法」もカルヴァン派のオランダで生まれました。スペインの圧政に苦しむオランダ人の抵抗は、スペインの法では「反乱」となります。だからオランダ人は、スペインという国家の法の上に、「神の法」としての自然法を想定しました。この自然法が、全人類の自由や平等、所有権などの「自然権」、あるいは「人権」を保障しているのであり、これに反する国法には従わなくてよい、と考えたのです。
 イギリス革命期の哲学者ホッブズは、「個々人が自然権を守るために争う戦争状態」を回避するため社会が生まれ、主権者(王)が選ばれた、という社会契約説を唱え、後継者のジョン・ロックは、「人民の自然権を脅かす主権者はクビにすべきだ。人民はもっとマシな人物を、新たな主権者に据えるべきだ」(『統治二論』)と主張しました。
 名誉革命を体験したロックは、暴君ジェームズ2世を廃位させ、オランダ総督夫妻を王に招いた名誉革命を擁護し、社会契約説によって理論化したわけです。社会契約説は、参政権が制限されていたアメリカ13植民地やブルボン朝絶対主義が続くフランスで、現状打破のための革命理論として受け入れられました。

宇山 アメリカの独立宣言ではこう明記されました。
 「すべての人は平等であり、生命・自由・幸福の追求という権利を持つ。もし政府がこれらの権利を侵害する場合には、人民はこれを改廃し、新たな政府を樹立する権利を持つ」
 また、フランス人権宣言にはこうあります。
 「政治的結合の目的は、自然権の保全である。その権利とは、自由、所有権、安全、圧政への抵抗である」

茂木 このような、理性によって「新たに発見された理念」に合わせて、「遅れた現実社会」を改変しようという思想を啓蒙思想といいますアメリカ独立革命とフランス革命は、まさに啓蒙革命でした。
 フランス革命の指導者たちは、「自然権を守る」という理念を実現するために、従来のさまざまな制度を「旧体制(アンシャン・レジーム)」と呼んで破壊しはじめました。先に触れましたが、最初は貴族が憲法を制定して王権を制限し、次にブルジョワジー(富裕市民)代表が王政の打倒を叫び、最後には下層市民が暴力で国王ルイ16世を処刑し、貴族とブルジョワジーをギロチンで殺しました。キリスト教も「迷信」として廃止され、教会は焼き討ちされ、聖書は焼かれました。歴代国王の墓も略奪され、遺骨はゴミとして捨てられました。
 このフランス革命の破壊と殺戮を賞賛し、いや不十分だったと分析したのがマルクスです。フランス革命は貴族制を廃止し、上地を貧困層に分配したが、土地の国有化にまでは至らなかった。だからブルジョワ社会がまだ続いており、労働者が虐げられているではないか。次の革命ではブルジョワジーを徹底的に根絶し、万民平等の地上の楽園、共産主義を実現しなければならない ―― 。
 このマルクスの考えを実行したのが、レーニンとスターリンであり、毛沢東と金日成であり、ポル・ポトでした。共産主我の犠牲者は世界で推定1億人に達するという試算があります(ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書(ソ連篇)』)。

宇山 ロックの社会契約説と啓蒙思想が、フランス革命の狂気を生み出し、さらにはマルクスの共産主義に繋がったということですね。

茂木 日本人は賢明にも理性に振り回されずヽ市民革命を起こさず、また共産主義を拒絶しました。社会をゆっくりと変容させ、良き伝統は守り、悪しき伝統は手放し、皇室の伝統と議会政治、民主主義が調和する社会を作りあげました。これは世界に誇るべきことです。
 「歴史に学ぶ」とは、こういうことなのです。


インドのアヘンと中国の茶を結びつける三角貿易

宇山 ここまでが、イギリスの第2段階の収奪でしたが、ここからが第3段階の収奪です。これが前代未聞の悪辣さで、どの国もマネができませんでした。
 奴隷三角貿易の衰退とともに、19世紀、イギリスはインドのアヘンと中国の茶を結びつける三角貿易をはじめます。イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国の茶を求め、銀で支払いをしていました。そのため、イギリスは輸入超過状態となり、銀の流出が止まりませんでした。そこで、イギリスはインド産のアヘンを中国に輸出し、銀に代替させ、茶を中国から得ました。
 ジャーディン・マセソン商会などの貿易商がアヘンの中国への輸出を担当し、大きな利益を上げて、逆に中国側の銀が流出しはじめました。ジャーディン・マセソン商会は1832年、マカオで設立されています。イギリス東インド会社の別動隊のような役割を担った民間商社で、アヘン貿易を取り仕切ります。

茂木 ジャーディンとマセソンは、もともと東インド会社の社員でした。アジア貿易のノウハウを学ぶと独立し、清国へのアヘン輸出を主な業務として巨利を得ました。日本が開国すると同社は長崎や横浜にも支店を開きました。長崎代理店勣務のトマス・グラバーは独立してグラバー商会を創業し、薩長への武器輸出を手掛けました。維新後ジャーディン・マセソン横浜支店長に抜擢された吉田健三も明治政府への武器愉出で利益を上げました。その養子がマッカーサーに協力し、自由民主党をつくった吉田茂です。

宇山 当時の清王朝は地丁銀によって、銀で納税をさせていました。アヘン貿易による銀の大量流出によって、中国の銀価が約2倍に急騰し、納税が滞りました。清王朝は財政を揺るがす事態を放置できず、アヘンを全面禁輸し、アヘン吸引者を死刑にするなど、厳しい措置を取りました。
 しかし、アヘン中毒者は既に広範に拡がっており、朝廷の高官まで中毒に侵されていました。皇帝からアヘンの取り締まりを命ぜられた林則徐が、高官たちを広間に集めて座らせると、中毒にかかっている彼らは2時間、席に座っていることができず、禁断症状が出て、バタバタと苦しみ始めたといいます。
 1839年、林則徐は広州に赴き、イギリス商人のアヘン2万箱を没収して焼却し、商館区の封鎖を強行しました。怒ったイギリスは清王朝を武力で制裁するため、1840年、アヘン戦争を起こします。


軍産複合体ジャーディン・マセソン商会

茂木 イギリスのパーマストン外相は、清国が朝貢外交を要求し、イギリス製品を事実上締め出している現状を打破するのは、武力行使しかないと考え、出兵のチャンスを狙っていました。林則徐によるアヘン没収事件は、これに絶好の口実を与えてしまったわけです。

宇山 アヘン貿易については、倫理的な面からイギリス国内でも激しい批判がありました。アヘン戦争の開戦に際し、イギリス議会でも、ウィリアム・グラッドストン(後に首相)らを中心に、「恥ずべき不義」とする批判が強まっていました。
 しかし、ジャーディン・マセソン商会は議員に対するロビー活動で多額のカネをばらまき、反対派議員を寝返らせます。その結果、中国出兵に関する予算案は賛成271票、反対262票の僅差で承認されました。イギリスは、軍艦16隻を含む40数隻の艦隊を派遣し、大砲の威力で清王朝を屈服させました。

茂木 アヘン戦争のとき、清軍の兵力や砲台の配置、イギリス軍の作戦計画に関する詳細なレポートを作成し、パーマストン外相に提出しだのがジャーディン・マセソン商会でした。まさに政商であると同峙に、軍産複合体だったというべきでしょう。

宇山 ジャーディン・マセソン商会は、アヘン戦争でイギリスが占領した香港に、本店を移転し、さらに上海にも支店を開き、中国市場に進出します。上海に外灘(ワイタン 英語名:バンド)という外国人商業区域がありますが、ジャーディン・マセソン商会は、ここで最初に土地を取得し、自社ビルを建てた会社です。ルネサンス様式のこのビルは現在でも、「怡和洋行(いわようこう)大楼(英語名:Jardine Matheson Building)」として残っています。
 ジャーディン・マセソン商会は、清朝政府に対して借款を行い、清朝崩壊後も鉄道の敷設権や営業権などを得て、莫大な利益を上げていきます。今日でも、ジャーディン・マセソン商会は国際的なコングロマリット(複合企業)として、中国・アジアを中心に、多角的な事業展開を行っています。
 アヘン戦争後、香港上海銀行(HSBC・The Hongkong and Shanghai Banking Corporation Limited)が設立されます。HSBCはジャーディン・マセソン商会をはじめ、サッスーン商会、テント商会などのアヘン貿易商社の資金融通や、送金業務を請け負いました。HSBCは香港で、アヘン戦争以降、今日まで続く通貨の発行権を持ち、中国の金融を握ります。
 このように、イギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です・悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。

茂木 その結果、イギリスは大英帝国を建設しました。そのイギリスと組み(日英同盟)、資金と情報を得た日本は、膨張を続けるロシアの南下に対し、日露戦争を挑んで独立をまっとうすることができました。このように国際関係とは、「善と悪の戦い」ではなく、「悪と悪の戦い」なのです。少なくとも明治期の日本人は、そのことを理解していましたね。


日本人に対する異常な人種差別意識

宇山 歴史の教科書では、フランクリン・ルーズヴェルトは英雄扱いされています。世界恐慌を克服し、第二次世界大戦を勝利に導いた英雄とされています。とんでもない話です。ルーズヴェルトの前の大統領ハーバート・フーバーは彼を「狂人」と表現しました。茂木先生も対談本を一緒に出されている渡辺惣樹先生が訳を担当されているフーバー著『裏切られた自由』の中でも、このことが詳しく述べられています。

茂木 日本の教科書のルーズヴェルト礼賛は、その根底にはGHQ史観があると思います。「軍国主義を倒し、日本に民主主義をもたらした」とGHQは自画自賛したわけですが、対日政策を決定したGHQ、特に民政局は、ルーズヴェルト政権下で台頭したニューディーラーの巣窟でした。

宇山 ルーズヴェルトは1933年から1945年の間、政権を率いていましたが、フーバーの言うように、ほとんど常軌を逸した政策運営がなされていました。近年では、ルーズヴェルトは共産主義の共謀者であったことが「ヴェノナ文書」の公開ではっきりしました。
 「ヴェノナ文書」は当時のソ連暗号の解読の記録であり、アメリカ国家安全保障局(NSA)が1995年に公開した公式文書です。「ヴェノナ文書」によると、ルーズヴェルト政権の中枢部に、200人以上のスパイやその協力者たちがおり、彼らはソ連・コミンテルンと通謀し、日本敵視政策を主導し、アメリカの反日世論を煽っていました(第5章23節参照)。
 ルーズヴェルトは3選を果たすと「日本の脅威」を執拗に喧伝し、危機を煽ります。前例のない3選の大統領権力は絶大であり、半ば独裁権を固め、太平洋戦争へと突入していきます。日本を滅ぼすというルーズヴェルトの個人的な野心はようやく実現しはじめます。
 ルーズヴェルトは日本人に対する強い人種差別的思想を持っていたことを、イギリスのキャンペル駐アメリカ公使はイギリス本国に以下のように報告しています。「ルーズヴェルトはインド人やアジア人種を白人と交配させることにより、彼らの文明は進歩すると考えている。だが、日本人は白人と交配しても彼らの文明は進歩しないと」。ルーズヴェルトはスミソニアン博物館の研究者の説を引用して、日本人の頭蓋骨は白人のものより約2000年、発達が遅れている(全く根拠はない)と説明したとのことです。

茂木 19世紀の「黄禍論」が、疑似科学の優生学(人種には先天的な優劣があるという説)と結びついて広まっていたんですね。ヒトラーもルーズヴェルトも、この点では一緒でした。

宇山 ルーズヴェルトは1941年のアメリカの対日開戦後に、アメリカ国内とアメリカの影響下にあったブラジルやメキシコ、ペルーなどの中南米諸国において、日系人の強制収容所を建設しました。多くの日系人の財産を一方的に奪った上、強制収容所に連行し、過酷な労働に従事させました。強制収容所は人里離れた地域や砂漠地帯にあり、周囲を有刺鉄線のフェンスで囲まれ、警備兵が監視していました。収容所は不潔であったため、食中毒が頻繁に発生しました。食料は農場で耕作し、自給自足せねばなりませんでした。
 ルーズヴェルトは「大統領令9066号」に著名し、日系人を令状なしに捜査・連行することを可能にしました。表向きは、アメリカは日本と戦っていたため、「敵性外国人」として、日本と関係のある日系人がスパイ行為及び破壊行為をする可能性があるとする理由でしたが、ルーズヴェルトは日本人に異常な差別意識を持ち、隔離しようとしていたのは明白でした。ルーズヴェルトはこういう考え方を根底に持ちながら、あの第二次世界大戦・太平洋戦争を遂行したのです。

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