朝鮮属国史

国民性や民族気質が形成される要因を認識するとともに、それにふさわしい付き合い方をするべきだと思う。

朝鮮属国史

 私も、北朝鮮や韓国の言動を見て、異常さを感じることが少なくありません。
 どうしてなんだろうと腹立たしく思うところですが、その理由は彼らが辿った歴史にあったのですね。
 それを踏まえたうえで、古田博司筑波大教授が推奨する「非韓三原則(助けず、教えず、関わらず)を堅持するべきだと思います。

 著者は「はじめに」で、『北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのでしょうか。本書はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出します。』『我々は、隣人を「常識がない」と批判するだけでなく、なぜ、「常識がない」ようになったのかを知っておかなければなりません。 』とお書きです。
 

 宇山卓栄さんの「朝鮮属国史」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

朝鮮属国史 宇山卓栄

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朝鮮属国史 中国が支配した2000年 [ 宇山 卓栄 ]
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目次

 はじめに 9

 第一章 中国人に生み育てられた朝鮮 古代中国、古朝鮮~高句麗・三韓時代 13
なぜ、韓国人は手で口元を隠して飲むのか? / 中国と朝鮮の「奇妙な宗属関係」 / 朝鮮をつくったのは朝鮮人でない / なぜ「朝鮮」と呼ばれるのか? / 中国支配を否定する韓国 / 植民地にするほどの価値もなかった朝鮮 / 中国によって与えられた文明

 第二章 「高句麗論争」、朝鮮半島は誰のものか? 唐~宋、高句麗~高麗 25
「血の分断」、民族対立を利用する中国 / 満州人の野蛮な暮らし / 「高句麗論争」、中国と韓国のどちらが正しいのか? / 高句麗だけにとどまらず百済も「中国人の王国」か? / 韓人が勝利した新羅王朝 / 「渤海論争」、韓国の主張は通らない / 満州人の王朝、高麗 / なぜ、韓国で全羅道出身者が冷遇されるのか? / 朝鮮王朝の首都、その地政学的意味

 第三章 なぜ、朝鮮は中国従属の道を歩んだのか? 隋~唐、三国時代~新羅 41
キムチがつくられた背景 / 隋はなぜ、高句麗討伐にこだわったのか? / 隋はなぜ、負けたのか? / 外交戦略の転換 / 裏切りの国、新羅 / 小国は大国に利用される / なぜ、新羅は唐に勝てたのか? / 唐を手玉に取った新羅王 / 中国の模倣社会 / 過酷な運命の淵源

 第四章 中国への自虐的卑屈はどのように形成されたのか? 宋~元、高麗 59
韓国は被害者か加害者か? / 元寇、侵略の意図、その証拠 / 極端な自虐的卑屈 /唯一、中国の属国でない独立国 / 両班、なぜ文官が上なのか? / 外敵と手を結ぶという売国的行動 / 自分を王にしてくれた大恩人フビライ / たとえ自国民が犠牲になろうとも / 元・高麗連合軍はなぜ、負けたのか? / 日本侵略を利用

 第五章 中国が遠隔操作する「第2中国人」とは何か? 元末期~明、高麗末期~李氏朝鮮 75
どちらに付くべきか? / 朝鮮の自立へのチャンスだったのか? / 李成桂の軍事遠征 / 威化島回軍 / 李成桂とは何者なのか? / 「第2中国人」 / 中華思想はなぜ儒学と一体化したのか? / 中国に操られていた朝鮮官僚たち / 「小をもって大に事ふるは保国の道」 / 「朝鮮」は国号なのか? / 「朝鮮」を最初に言い出した男 / 遼東を取り戻す / 李芳遠が明を必要としたのはなぜか?

 第六章 中国への反逆とされたハングル制定 明、李氏朝鮮 95
聖君も「貢女」集めに必死だった / 「採紅使」 / 「貢女」の人数・規模はどのくらいだったのか? / 「貢女」は2度おいしい支配のツール / 「愚民」のために文字を / 文字ではなく、発音記号 / 「小中華」とは何か? / ただ中華に遵うのみ / ハングルのその後 / 福沢諭吉がハングルを復活させたというのは本当か? / 漢字を読めない韓国人

 第七章 秀吉出兵、名ばかりの中国援軍 明、李氏朝鮮 113
韓国の加藤清正像 / 馬の血を飲んで / 朝鮮通信使、2人の異なる報告 / なぜ、戦争はないと考えたのか? / ケチな中国の援軍 / 逃げまどう朝鮮王 / 李如松はウソの手柄を報告するために / 泣いて許しを請うた朝鮮の大臣 / 明にすがって いるだけ / ヨーロッパに売られた朝鮮人

 第八章 野蛮人にひれ伏す朝鮮王 明~清、李氏朝鮮 131
それでも朝鮮は「再造の恩」と言い、明に追従した / 分断統治 / 剛腕のドンと部族長の駆け引き / 朝鮮は女真族を「オランケ」と呼んだ / 揺らぐ「小中華思想」 / 墓穴を掘る親明派 / 丁卯胡乱 / 野蛮人排撃の大合唱 / 「三脆九叩頭の礼」 / 韓国に現存する「恥辱碑」とは? / 朝鮮のみが唯一の残された「華」 / 開明的な王、正祖

 第九章 中国と癒着していた王妃① 清、李氏朝鮮 149
儒林とは何か? / あのバカの息子ならば/ 「和を主するは売国なり」 / 大院君と閔妃の確執 / 閔妃とは何者か? / 閔妃は朝鮮を開国しようとした / 攘夷運動 / 壬午事変 / 逆転、執念の復活 / 中国と日本を天秤にかける

 第十章 中国と癒着していた王妃② 清、李氏朝鮮 167
閔妃と西太后 / 朝鮮王を恫喝する袁世凱 / 事大党と独立党 / 甲申政変 / 金玉均の誤算 / 日本が朝鮮を独立させた / 台湾人は来るが、韓国人は来ない /「独立門」を勘違いしている韓国人 / 大院君と閔妃の最期① / 大院君と閔妃の最期② / 閔妃のDNAを受け継ぐ北朝鮮

 第十一章 中国はなぜ、半島の分断を歓迎するのか? 朝鮮戦争とその後 187
ソウル、首都移転構想 / 中国に生かされる北朝鮮 / 中国に丸投げしたスターリン / 毛沢東は慎重だった / 朝鮮半島の泥沼化は韓国のせい / 戦上手な中国「義勇軍」 / なぜ、休戦しなければならなかったのか? / 「延安派」のクーデター未遂 / 「朝鮮王」彭徳懐の失脚 / 中国が北朝鮮を助ける法的根拠 / 中国や北朝鮮が朝鮮戦争終戦にこだわるワケ

 第十二章 隷属者には、隷属者の論理がある 中国、北朝鮮・韓国の現在 205
中国に冷遇された文在寅 / 「千年の宿敵」、しょせん口だけ / 石油パイプライン、便利な飼い殺しツール / 金正日はなぜ中国の支援を断ったのか? / 朝鮮の再属国化を狙う中国 / 中国は北朝鮮に痛い目に遭わされている / 金正日は「中国には気を付けろ」と遺言した / 「戦時作戦統制権」とは何か? / 韓国の核開発 / 韓国らしさを保て

 おわりに 222
 参考文献 229


はじめに

 朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国でした。朝鮮は属国として、中国に多額の金銭・物品を貢がなければなりませんでした。しかし、朝鮮は土地の痩せた貧弱な国であったので、充分な貢ぎ物を用意することができず、代わりに美女たちを送りました。彼女たちは「貢女(コンニョ)」と呼ばれ、多くが性奴隷にされました。
 第16代朝鮮王の仁祖は中国の清王朝皇帝に土下座して、平伏しました。仁祖は中国皇帝を讃え、自らを卑下する内容の文を石碑に刻まされました。この「恥辱碑」と呼ばれる石碑(「大清皇帝功徳碑」)が今もソウルの江南地区に残されています。中国に踏みつけられた朝鮮の悲惨な歴史は消えることはありません。
 中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招きました。朝鮮の支配者層は中国に媚びへつらい、中国のために国を売るようなことを平気で行っていました。彼らは中国と癒着することで、様々な利権を保証されたのです。
 
一方、支配者層は民衆を奴隷化して酷使し、中国へ貢ぐための物品を徴収しました。民衆の生活レベルは極端に貧しく、悲惨でした。民衆を搾取することが朝鮮の政治の中心課題になっていました。
 支配者層にも民衆にも、公益や公共の意識はありませんでした。支配者層が真面目に政治を行ったとしても、また、民衆が真面目に働いたとしても、結局、中国が奪っていくので、無意味でした。
 朝鮮には、政治や社会がまともに機能したという歴史的前例がほとんどありません。戦後、北朝鮮や韓国が新たに誕生しましたが、政治や社会が機能しないという内実は変わりませんでした。

 そのため、この両国には、国際社会が規範としている法や秩序などの一般常識が通用しないことが多くあります。北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのでしょうか。本書はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出します。  両国の政治や社会事象の一つ一つに「歴史的隷属」という共通の根源があり、その視点によって読み解いていけば、朝鮮(北朝鮮・韓国)が如何に我々の常識とかけ離れた存在であるかということを再認識することができます。
 「朝鮮属国史~中国が支配した2000年~」  この悲惨な「歴史的隷属」について、我々、日本人は学校で教わらず、メディアでも報じられず、ほとんど知る機会がありません。目を覆いたくなる現実の悲惨さについて、多くの人が敢えて触れようとはしませんでした。我々は、隣人を「常識がない」と批判するだけでなく、なぜ、「常識がない」ようになったのかを知っておかなければなりません。


なぜ、韓国人は手で口元を隠して飲むのか?

 韓国では、乾杯をする時、目上の人よりもグラスを少し下げて合わせなければなりません。お酌をされたら両手で受け、飲む時は相手の視線を避け、横向きになって、左手で杯や口元を隠すようにして飲まなければなりません。これは、目上の人の前で、むやみに酒を飲むことを戒める意味があります。
 「本来ならば、飲ませて頂ける立場の者ではありませんが失礼致します」という暗黙のメッセージが左手で口元を隠すことに含まれているのです。
 この飲み方はいわゆる「朝鮮飲み」と呼ばれます。ひと頃、議場や記者会見などで水を「朝鮮飲み」している政治家がいましたが、「あいつは日本人ではない」などとバッシングされました。一概には言えない部分もあるのですが、それにしても、日本人に、こういう飲み方をする習慣はありません。
 朝鮮の歴史において、「目上の者に逆らってはならぬ」という儒教倫理が徹底されました。儒学の教えとともに、厳しい身分制が敷かれ、身分の上下が絶対視され、上記のような「朝鮮飲み」の儒教的習慣が現在の韓国人にも受け継がれています。その習慣は体に染み付いて、簡単には離れないのです。
 


「血の分断」、民族対立を利用する中国

 朝鮮半島には、目に見えない分断が元々、ありました。「血の分断」です。古代において、異なる血統の2つの民族が半島に住んでいました。北に住んでいたのが満州人、南に住んでいたのが韓人です。
 
ソウルの南側を東西に流れる大河、漢江があります。大まかに言うと漢江を境にして、北側が満州人のエリア、南側が韓人のエリアでした。長い歴史の中で、この両者が混血し、朝鮮人となり、今日に至ります。
 韓人は朝鮮半島の南部から中部にいた農耕民族で、半島の中心的な原住民です。満州人は朝鮮半島の北部にいた狩猟民族で、中国東北地方の満州を原住地とします。満州人のエリアには高句麗、韓人のエリアには新羅、任那、百済が建国されました。
 古代において、満州人と韓人は南北で争っていました。この「血の分断」を中国の王朝は最大限利用し、朝鮮半島を巧みに支配しました。
 韓人というのは現在の韓国人の元となった民族です。では、満州人はいったいどういう人たちなのでしょうか。満州人は現在の中国領に属する満州を原住地とする人で、満州平野を中心に、遼東や朝鮮半島北部に分布していました。そのため、満州人は朝鮮人ではなく、中国人ではないのかと多くの人が疑問を持つと思います。17世紀に中国最大の王朝の清を築くのも、この満州人です。
 満州人は中国から朝鮮半島に至るまで広範に分布しており、韓人よりも人口が多く、強大な勢力を誇っていました。


裏切りの国、新羅

 (新羅の)金春秋は唐の援助を取り付けます。しかし、これにより、新羅は唐の属国に成り下がります。唐の衣冠礼服の制度を取り入れ、官制も唐に倣い、新羅独自の年号を廃し、唐の年号を用いて、唐に服属したのです。
 弱小国の新羅が百済・高句麗連合に対抗し、生き残るためとはいえ、その行動は売国的でした。超大国である唐の属国になれば、新羅の民は唐の事実上の奴隷となることは明白であり、それをわかっていて、新羅の王族はこのような選択をしたのです。
 百済、高句麗、新羅の三国は古来、激しく対立してきました。しかし、中国こそが最大の脅威であるという暗黙の合意がこの三国にはありました。互いに敵対しながらも、その共通認識に基づいて、三国の外交が展開されてきたのです。どこか一国でも、中国の脅威に侵食されはじめれば、朝鮮全体が中国に奪われ、隷属を強いられるということを三国は理解していました。
 新羅はその暗黙の合意を破り、一線を越えました。百済や高句麗も、まさか新羅が自分からプライドも何もかも捨て、唐の属国に成り下がるような真似をしてまで、唐と手を組みたがるとは思っていなかったでしょう。驚天動地、全ての前提を覆す出来事でした。
 新羅の裏切り行為で、三国のバランスは一挙に崩れ、もはや、中国の侵略を止めることができなくなってしまいます。


小国は大国に利用される

 「約束は破られるためにある」
 この言葉は国と国の約束に最も当てはまるでしょう。どんな条約や同盟も、どんな誓約や協定も、しょせん紙切れ一枚、歴史上の国家の数々が簡単にそれを破棄してきたのです。特に、唐と新羅のような大国と小国の関係においては、大国が一方的に約束を破るという「歴史の法則」があります。
 唐は新羅に「平壌以南の新羅の領有を認めるから、百済・高句麗攻撃に協力せよ」と言います。愚かにも、新羅はこの約束を信じ、660年、唐と同盟を組み、唐・新羅連合軍は百済に侵攻、滅ぼします。
 さらに、663年、唐・新羅連合軍は自村江の戦いで、百済復興を目指す百済遺民と日本(倭国)の連合軍を破ります。
 高句麗の淵蓋蘇文が665年に死んだことは、唐・新羅連合軍にとって、この上ない幸運でした。淵蓋蘇文の子らが争い、高句麗に内紛が起こります。この機に乗じて、668年、唐・新羅連合軍は高句麗に侵攻し、唐軍が首都の平壌城を占領し、高句麗を滅ぼすことに成功しました。
 ここから、唐はその本性を現します。唐は旧高句麗に安東都護府を設置、旧百済に熊津都督府を設置し、唐の領土に編入します。そればかりではなく、なんと、新羅にも鶏林都督府を設置し、新羅の文武王を鶏林州大都督に任命し、新羅も唐の領土に組み込んで、朝鮮全体を支配しようとします。
 唐が新羅と交わした「平壌以南の新羅の領有を認める」という約束は簡単に破られました。新羅はこの時になってようやく、唐に利用されたのだと気付いたのです。
 新羅は唐と組み、百済や高句麗を陥れました。そして、今度は、唐が新羅を陥れました。裏切りには更なる裏切りがあるものです。


韓国は被害者か加害者か?

 韓国の金泳三大統領はかつて、日本を「ポルモンジャリ」と言い放ちました。「ポルモンジャリ」とは、目上の者が目下の者を叱る時に使う韓国の俗語で、一般に「悪い癖」というように訳されますが、そんな穏やかな意味ではなく、「バカたれ」という意味です。金泳三大統領は1995年、中国の江沢民国家主席との会談の中で、以下のように発言しました。
 「自分は大統領に就任して以来、侵略行為と植民地支配について、日本は歴史認識を正しくすべきであることを繰り返し主張してきた。しかし、日本の妄言が続いており、今度こそ日本のポルモンジャリを叩き直してみせる」
 韓国は中国の2000年に及ぶ朝鮮侵略については何も言いません。金泳三大統領は江沢民国家主席にも反省を求めるべきだったでしょう。日本に言えて、中国に言えないという道理はありません。
 また、朴槿恵大統領は2013年、独立運動を記念する政府式典で以下のように演説しています。
 「日本は歴史を正しく直視し、責任を取る姿勢を持たねばならない。加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」
 いわゆる朴大統領の「千年の恨み発言」ですが、日本だけでなく、やはり中国に対しても大きな声を出して言うべきでしょう。
 韓国はいつも一方的に自らが被害者であることを主張していますが、加害者であったこともありました。それは、13世紀の元寇の時です。朝鮮人はモンゴル人とともに、長崎・対馬に攻め入り、男たちを殺し、女たちの手に穴を開け、紐を通して数珠つなぎにして連れ去りました。『高麗史節要』には、帰還した高麗軍の将軍が200人の子供を高麗王に献上したという記述もあります。
 「やった、やられた」の非難の応酬をしても仕方ありませんが、金泳三大統領や朴槿恵大統領らが言うように「正しい歴史を認識せよ」というのはその通りなので、彼らも元寇の歴史をよく見直さなければなりません。


「小をもって大に事ふるは保国の道」

 高麗末期の親明派官僚たちは中国に媚びへつらい、売国的な行動によって、自らの利権を肥え太らせていました。この親明派に便乗したのが野心家の李成桂でした。
 李成桂は遼東遠征を命じられた際、「小をもって大に事ふるは保国の道」と言いました。これは『孟子』の「以小事大」からとったもので、大国の中国に事えることが肝要とする考え方で、「事大主義」とも呼ばれます。李成桂の発言は親明派の文人官僚たちの意向を汲んだ忖度でした。そして、クーデターによって、実権を握った李成桂は高麗王家一族を都から追放し、1392年に自ら王位に就き、李氏朝鮮を築きます。日本は当時、室町時代の足利義満の治世の末期でした。都は開京(開城)から漢陽(現在のソウル)へと遷都されます。1395年に漢陽を漢城と改称しました。
 李氏朝鮮は成立時から、中国の明王朝に服属しました。明の元号を使用し、明の官服や制度を導入しました。
 李成桂は明に使者を送り、高麗に代わる新たな国号を決めて欲しいと依頼しました。
自分たちで勝手に決めることはできないので、主たる明に決めて欲しいというのです。世界史において、他国に自国の国号を決めてもらった国は李氏朝鮮だけです。
 
その際、「朝鮮」と「和寧」の2つの案を明に提案しています。「和寧」は李成桂の生地で、現在の北朝鮮東北部の咸鏡市道の金野郡でかつて水興郡と呼ばれた所を指します。「和寧」は本命案の「朝鮮」に対する当て馬候補の案であったと思われます。
 明の朱元璋は「朝鮮」を使うよう、指示しました。


野蛮人排撃の大合唱

 それでも「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、また朝鮮人官僚たちが口先だけの野蛮人批判をはじめます。丁卯胡乱で、女真族と和議を結んだのは明に対する裏切りになる、今からでも野蛮人との和議を破棄すべきだとする意見が相次いだのです。この期に及んでも、朝鮮は自分たちの置かれている状況を理解していませんでした。
 ホンタイジは内モンゴルのチャハル部を平定し、1636年、後金を改めて、国号を中国風に清とし、皇帝に即位します。首都は遼東の瀋陽に置かれました。ホンタイジはこれまで兄弟の関係であった朝鮮に対し、君臣の関係を認めるように迫りました。
 この要求に対し、朝鮮の廷臣たちは激怒します。自らの実力を顧みず、時代遅れの「小中華思想」で夷狄を蔑視する偏見に取りつかれ、野蛮人排撃の大合唱の下、清に宣戦布告します。

 1636年、ホンタイジは自ら10万の兵を率いて、鴨緑江を越えます。この時も朝鮮軍はただ逃げ惑うのみでした。ホンタイジは破竹の勢いで進撃し、開戦からたった5日で、漢城を落としました。仁祖や廷臣たちは慌てて、漢城から逃げ、ソウル南方の南漢山城に立て籠ります。清軍は漢城で略奪の限りを尽くしました。  この一連の騒乱を丙子胡乱と呼びます。


「三跪九叩頭の礼」

 仁祖はホンタイジに降伏します。仁祖は漢江南岸の三田渡に出向き、ホンタイジに拝謁します。その際、「三跪九叩頭の礼」を強いられました。「三跪九叩頭の礼」とは、清王朝皇帝に対する臣下の礼です。
 皇帝の内宮(宦官)が甲高い声で「跪(ホイ)!」と号令をかけると、土下座し、「一叩頭 再叩頭 三叩頭(イーコートゥ ツァイコートゥ サンコートゥ)」という号令の度に頭を地に打ち付け、「起(チー)」で立ち上がります。そして、また「跪!」で、土下座して同じ行動をします。この土下座行為が計3回繰り返されます。  仁祖はこの「三跪九叩頭の礼」でホンタイジに拝謁し、自ら清の臣下となり、服従を誓いました。三田渡の盟約が結ばれます。その主な内容は以下の通りです。
・王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
・清が明を征服する時には、遅滞なく援軍を派遣すること
・城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること
・清に対して黄金100両・白銀1000両、朝鮮人美女、牛、馬、豚など各々3000などの20余種を毎年上納すること
     『朝鮮王朝実録 仁祖実録』より
 この他、50万の朝鮮人捕虜が満州に連行され、強制労働させられました。まさに、清は朝鮮を「生かさず殺さず」飼い慣らし、搾取し続けます。朝鮮は長らく、中国の属国でしたが、この三田渡の盟約のような恥辱を与えられたことはそれまで、ありませんでした。  こうして、朝鮮人はどれだけ懸命に働いても、全て奪われるという搾取構造の中に貶められますが、それが当然、彼らの精神を長年にわたり、蝕んでいったことは想像に難くありません。


韓国に現存する「恥辱碑」とは?

 さらに、ホンタイジは朝鮮に「大清皇帝功徳碑」を建てさせ、清の寛大さを讃えさせます。この碑は大韓民国指定史跡第101号に登録されており、「恥辱碑」とも言われます。どのようなことが書かれているのでしょうか。

 罪在予一人 皇帝猶不忍屠戮之 諭之如此 予曷敢不欽承  「大清皇帝功徳碑」部分
 (朝鮮王曰く)、罪は予(仁祖のこと) 一人にある。それでも猶、皇帝(ホンタイジのこと)は屠戮(皆殺し)することを耐えがたく感じられ、諭(お教え)をくださった。予が欽(皇帝の意)を承らないことがあろうか。

 この碑には前面の左側にモンゴル文、右側に満州文、そして裏面に漢文が刻まれています。丙子胡乱で、どのように朝鮮が清に逆らい、負けたのかということの経緯が詳しく記されています。ホンタイジに「自らの恥を石に刻め」と命令されて、朝鮮王が建立したのです。石碑に自分の恥を刻まされた王というのは世界史の中でも、例がありません。
 「生意気なオランケ(野蛮人)に天誅を!」ということで、威勢よく、清に宣戦布告した結果がこれですから呆れます。
 この屈辱の石碑は何度も倒されては地中に埋められ、また掘り起こされるということを繰り返し、最終的に1957年に指定史跡に登録されます。その後も、洪水で流されたり、落書きをされたりします。2008年、石碑の原位置の考証が行われ(信頼に足るものではないでしょうが)、ソウル市南部の松披区蚕室洞に移設されました。


儒林とは何か?

 朝鮮各地に儒林(ユリム)というものがありました。儒林は表向きは儒学者たちが集う儒教研究機関でしたが、その実態は中国(明・清王朝)の出先機関でした。儒林は中国に金銭を上納し、中国のスパイを養成し、中国を賛美するように洗脳教育を人々に施しました。
 
李氏朝鮮時代、儒林の数は増え続け、19世紀には、全国に680の儒林が存在していました。中国の後ろ楯を持つ儒林は各地において、事実上、地方行政を取り仕切っていました。朝廷の役人には何の権威もなく、逆らっても怖くありませんでした。役人が税を徴収に来ても、追い返せばよかったのです。
 しかし、儒林に逆らうと大変な目に遭わされました。儒林は中国から資金援助を受け、大勢の私兵集団を雇い込んでいました。ほとんどが盗賊かゴロツキだったでしょう。儒林への寄付・献金を拒めば、彼らがやって来て、大暴れし、半殺しにされました。
 朝廷への税は集まらなくとも、儒林への寄付・献金は確実に集まり、その金の一部が中国へ上納されました。中国は朝鮮王や朝廷の高官たちに圧力をかけて、儒林を保護するように命令していました。王といえども、儒林の関係者の不興を買えば、すぐに中国から叱責され、下手をすると廃位させられる可能性もありました。
 儒林の不正腐敗と戦おうとした朝廷の高官もいましたが、不審死を遂げるか、行方不明になるかのどちらかでした。儒林の関係者たちは情報を中国に伝え、朝廷には伝えませんでした。そして、指示を朝廷にではなく、中国に仰ぎ、中国の意向に沿って、物事を処理していました。
 儒林は中国の朝鮮支配の拠点であり、中国は儒林を通じて、朝鮮全土を意のままにコントロールしていたのです。このように、朝鮮の政治行政はその根本から、中国によって歪められて、まともに機能していませんでした。
 孔子学院という中国の文化交流機関が世界中にあります。現在、世界146カ国・地域に525カ所設置され、小規模な孔子教室は1113カ所もあると言われます(2018年、産経新聞調べ)。日本には、孔子学院が14カ所、孔子教室が8カ所あり、孔子学院の多くが各地の大学内に設置されています。
 
中国は大学内の同機関を通して、中国人留学生を大量に送り込んでいます。少子化の経営難に苦しむ大学にとって、孔子学院はありかたい存在です。
 アメリカの大学教授協会は2014年、「孔子学院は中国政府の出先機関として機能している」と警告を発しています。中国人留学生か増えれば増えるほど、大学は彼らを無視できなくなり、経営理念を歪められることもあり得ます。大学が持つ科学技術などの情報流出なども懸念されます。
 日本はこうしたことに対する危機感が希薄ですが、孔子学院が「現代版儒林」にならないよう、充分に気を付けなければなりません。


大院君と閔妃の確執

 大院君に敵対したのが王妃の閔妃(ミンピ)です。大院君は王妃や閔氏一門による政治介入を極端に警戒していました。朝鮮の政治はそれまでにも、しばしば王妃やその外戚たちによって乗っ取られました。彼らは王を背後から操り、権勢をほしいままにしてきました。これを勢道政治といいます。
 大院君は高宗が封書係の宮女に産ませた子を世子(セジャ 王の後継者のこと)にしようとしました。封書係の宮女には有力な親戚も一門もいないため、勢道政治を防ぐことができ、大院君には都合が良かったのです。
 閔妃は義父にあたる大院君を憎むようになり、大院君に敵対している守旧派に接近しました。大院君の諸改革により、地位や役職を奪われた者、土地を奪われた者、権益を奪われた者が多くいました。閔妃は彼らを秘かに集め、連携し、大院君に対する包囲網を形成していきます。
 そして、大院君の独裁政治を批判する声が日増しに大きくなり、閔妃派が優位に立ちます。閔妃派は遂にクーデターを決行します。彼らは高宗に詰め寄り、1873年、高宗に親政(王が自ら政治を行うこと)を宣言させ、大院君を追放しました。
 大院君は子の高宗に会って、直談判しようとしますが、入宮禁止措置が発令され、門前で追い返されました。高宗も王妃に取り込まれていたのです。
 閔妃は大院君の一派を粛清し、閔氏一門を政権の要職に就け、実権を掌握しました。


事大党と独立党

 それまで、開化派は閔氏政権の主導で一致結束し、開国政策を進めてきました。しかし、清の介入で、清を排除するべきと考える独立党と、清と協調するべきと考える事大党に分かれます。開化派が分裂してしまったのです。
 当時の朝鮮には図10-1のように、4つの勢力が存在し、それぞれ激しく対立していました。これらの勢力を分ける基準が鎖国か開国か、親中か反中かでした。大院君が清に連行されて以降、開化派が政権を運営しました。
 急進開化派の独立党は清への従属を止め、日本に学び、朝鮮の近代化を推進していこうとしました。金弘集、金玉均、朴泳孝ら親日派の若い官僚たちが中心メンバーです。福沢諭吉や井上馨なども彼らを支援しました。
 閔妃らは親清開化派で、従来通りの事大主義(小が大に事える)に基づいて、中国への宗属関係を続けながら、日本や欧米列強との修好を図り、近代化を推進していこうとしました。ある意味、最も現実的な穏健路線でした。彼らは事大党と呼ばれます。


閔妃のDNAを受け継ぐ北朝鮮

 閔妃の外交はその時々で、目まぐるしく変わりました。日本→中国→ロシアといった具合に、手を結ぶ相手を替えたのです。
 『イソップ寓話』の中に、「卑怯なコウモリ」という一話があります。かつて、獣の一族と鳥の一族が戦争をしていました。両者の戦いを見ていたコウモリは、獣の一族が優勢な時、彼らに「私は全身に毛が生えているので、獣の仲間です」と言いました。鳥の一族が優勢になると、コウモリは彼らに「私は羽があるので、鳥の仲間です」と言いました。
 『イソップ寓話』は紀元前6世紀に、ギリシアのアイソーポス(英語読み:イソップ)という人物によって編纂されました。こうした寓話には、時代を超越した普遍の真理が隠されているものです。
 閔妃の外交はまさに、「卑怯なコウモリ」とまったく同じです。朝鮮半島は岩盤地質の山岳に覆われ、土地の痩せた貧弱な地域です。肥沃な中国大陸の東の果てに付随する半島国家として、中国など強い勢力に隷属するしかなかったのです。それが朝鮮人の悲しい宿命でした。この「事大主義」の隷属は李氏朝鮮の創始者の李成桂以来の国是であり、代々受け継がれていきました。
 我々にとって節操のない「コウモリ外交」でも、朝鮮人からすれば、「事大主義」という名のもと、儒教によって大義名分を与えられた立派な倫理規範であるのです。
属国という惨めな隷属の歴史の中で、受け継がれた朝鮮人の価値観は、我々の価値観と根本的に異なっています。
 このような「卑怯なコウモリ」のDNAは今日の北朝鮮にそのまま引き継がれています。北朝鮮は中国との連携を強めながら、2018年の米朝首脳会談でアメリカに接近しています。二股外交で、両者を天秤に掛ける手法は閔妃の外交と同質のものであると言えます。


韓国らしさを保て

 朴正煕大統領や全斗煥大統領は日本にも抱き付いてきました。朴大統領は一般的に親日とされますが、実態は「用日」です。「用日」というのは、日本から金銭や技術などの支援を引き出すために、親日のフリをし、日本を利用することを意味します。
 
朴大統領は1965年、日韓基本条約を締結します。これにより、韓国政府は日本から総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の支援を受けます。これは当時の韓国の国家予算の2倍以上の額でした。
 全斗煥大統領は日本に対して、「韓国は北朝鮮の脅威から日本を守る防波堤になっている」と主張し、「防波堤」があるからこそ、日本は安心していられるのだから、その代価を韓国に支払うべきと要求しました。日本はこの要求を受け入れ、1983年、中曽根康弘総理の訪韓の際、7年間で40億ドルを目途とする円借款を供与することが決まりました。
 このような隷属者独特の「抱き付き外交」が最も韓国らしい特性で、歴史によって培われてきたものと言えます。文在寅大統領が韓国らしさを捨て、自主自立外交などと言って、粋がっていますが、結局、自分の首を絞めるだけです。
 アメリカと北朝鮮との仲介役を気取っている文大統領は自ら、国を破滅に陥れかねない危険な冒険に、無邪気にも旅立っているように見えます。その意味において、習近平主席の前で、せっせとメモをとる金正恩の方が賢いのかもしれません。
 いかなる国も、長い歴史によって与えられた「実存」を越えて、新しい姿に生まれ変わることなどできません。


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