私を通りすぎたスパイたち

日本はスパイ防止法も無いままでは駄目だと思う

私を通りすぎたスパイたち

 佐々さんは、独立主権国家にはインテリジェンス機関が必要だと説き、日本にも国家中央情報局が必要だと主張しています。
 その通りだと思います。
 

 佐々淳行さんの「私を通りすぎたスパイたち」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目(瀬島龍三に係る部分)をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

私を通りすぎたスパイたち 佐々淳行


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目次

 私とスパイたちとの関わりを書く 1

 第1章 父弘雄とスパイソルゲはいかに関係したか 13
小学生の時から、ソルゲ事件で逮捕され処刑された、あの「尾崎秀実」を間近に観察し、父が連座して特高に逮捕されるかもしれないと怯えた日々……。戦後、警察官になったとたんにラストボロフ事件が発覚し捜査にも協力。香港では台湾系スパイを運用するかたわら英国MI5に監視される。その姉妹組織MI6のスパイでもあった作家フォーサイスと知り合えば、作中、実名で登場する羽目に……。佐々流の波瀾万丈のノンフィクション・スパイ・ストーリーの開幕 ―― 。

 第2章 スパイ・キャッチャーだった私 71
一流のスパイ・キャッチャーになるために、秘密裡にアメリカに「留学」。ジョージタウン大学の聴講生という触れ込みだったが、実際は、CIAやFBI仕込みの猛特訓を受ける日々。ピストルの撃ち方、スパイの尾行や追跡のノウハウから、警官ならではの俗語の使い方やら、見るもの聞くものすべてを実地で学ぶ研鑽の日々だった。唯一、ハニー・トラップに関する講義はあったものの、その誘惑に打ち勝つための実地研修がなかったことが心残りだったが……。

 第3章 日本の外事警察を創る 103
戦前の治安維持法、治安警察法、国防保安法などがGHQの命令のもと、一気に廃止された。父への弾圧を思えば、喜ばしい限りだったが、あまりの行き過ぎはかえって、日本の治安の混乱を招いた。それを見て、「治安回復(ピース・メーカー)」こそ、自分の人生をかけてやるべき仕事だと思い、独立後復活したばかりの「警察三級職試験」を受け合格し、キャリア警察官としてスタートを切った。だが、まずはエロフィルムの摘発。エロショーが最高潮というときに立ち上がって「そのまま動くな!警視庁の風紀係猥褻班だ!」なんて叫ぶ羽目に。スパイ相手に、「そのまま動くな!FBIだ」と名乗るアメリカのようにはなかなかいかない……。日本の外事警察建て直しまでの長い道のりが始まった。

 第4章 彼は二重スパイだったのか? 147
聞いたこともない「“ネグシ・ハベシ国”大使」を名乗る詐欺師。実は、アメリカの諜報機関員だ……ともささやく。ならば、外事課の分野だろうとお鉢が回ってきたりすることも。亡命を希望したロシア人を西ドイツに無事送ったものの、あれはもしかして「二重スパイだったのではないか?」と悩むことも。一方、中曽根首相のブレーンでもあった瀬島龍三が実はソ連のスリーパーでもあった事実など……。スパイの世界は謎だらけ?

 第5章 八二-・トラップの実際 183
国際紛争を解決する手段として軍事力を放棄している弱いウサギ国家なら長い耳を持ち、あらゆる情報をなるべく(?)合法的に入手すべき。シハヌーク国王周辺の情報収集を、その愛人とねんごろになりながら入手した優秀な日本人外交官はなぜ主要先進国の大使にはなれないのか? とはいえ、首相から外交官までやすやすとハニー・トラップにかかる情けないニッポン。「美人局」から逃れるノウハウを伝授する。

 第6章 私を通りすぎた「スパイ本」たち 223
どこの国でも、「スパイ」「インテリジェンス」は学問の重要な一分野でもある。本章では「スパイの世界史」を学ぶために、半世紀以上前に拙訳で刊行したラディスラス・ファラゴーの『読後焼却 続智慧の戦い』をはじめ、どんな本を読めばいいか縷々紹介する。高度な学術書としてのスパイ本もあれば「情交」を通じて「情報」を狙う女スパイの裏舞台を覗くような本もある。玉石混淆と思われるかもしれないが、これ、すべてスパイを知るために役立つものばかりだ。

 おわりに 1963年の危惧 265
ゾルゲ事件関係者 270  ラストボロフ事件関係者 272  主要スパイ事件年表 277


大物スリーパー・瀬島龍三

 告発者・熊谷独の供述や警視庁の捜査の結果、不思議な人物が浮かび上がってきた。
 中曽根政権のブレーンであり、第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員などを務めた伊藤忠商事特別顧問、瀬島龍三氏である。親会社・東芝の佐波会長にはダミー会社・和光交易をソ達側に売り込む人間関係や影響力があるわけがなく、伊藤忠が大きな役割を果たしていた。
 この事件では、元大本営参謀にして「誓約引揚者」であった瀬島氏をどうするかという問題が起きた。私は後藤田長官に、
 「黒幕は伊藤忠の瀬島龍三氏であり、何らかの政治的社会的制裁を加えてしかるべし」
 と意見具申した。ところが、いつもならこうした黒幕的存在に峻厳たる態度をとる後藤田さんにかえって叱られた。
 「瀬島龍三氏のことになると佐々君はバカに厳しい。中曽根さんの経済問題の相談役なのに、なんで悪口ばかり言うのか」
 「私は警察庁の元外事課長ですよ。KGB捜査の現場の係長もやったんです。瀬島がシベリア抑留中、最後までKGBに屈しなかった大本営参謀というのは事実ではありません。彼はスリーパーとしてソ連に協力することを約束した『誓約引揚者』です
 私は警視庁外事課でソ連欧米担当の課長代理や、警視庁の外事課長を務めていた当時のことを申し立てた。
 すなわち、ラストボロフ事件の残党狩り、落ち穂拾いをやって、ソ連大使館のKGB容疑者を張り込み、尾行し、神社仏閣や公園などで不審接触した日本人や外国人を突き止める仕事を毎日毎晩やっていたころのことだ。
 「作業の過程で、不審接触した日本人を尾行して突き止めたのが、当時は伊藤忠商事のヒラのサラリーマン、瀬島龍三氏です。外事の連中は当時から知っています」
 後藤田さんは「そうか。瀬島龍三は誓約引揚者か」と独りごちたが、刑事捜査の面でも広報の面でも何の指示もなかった。ただしばらくして、
 「鎌倉警視総監を呼んで、佐々君がこう言っているが本当かと聞いたら、『知らないほうがおかしいんで、みんな知ってますよ』と言っておった。君が言ってるのは本当だな」
 と言われた。
 「私の言うことの裏を取ったんですか」と言って苦笑したものである。
 後藤田さんにしても、中曽根総理が信頼して顧問にしているような人物のことを「これ、いけませんぞ」と言うのは勇気がいる。
 東芝機械がココムに違反して不正輸出した工作機械によって、ソ連原潜のスクリュー音が静粛になった。アメリカ海軍に大きな脅威をもたらし、日本の安全保障を揺るがしかねない政治問題に発展したのだが、バレなければ、瀬島にとっては「スターリン勲章」ものの大仕事だったはずである。
 前述したように、我々警察としても、ラストボロフ関連の「残党狩り」をしていた時に、KGBの監視対象者を尾行していると、ある日、暗い場所で不審な接触をした日本人がいた。別の班がその日本人を尾行したところ、それが瀬島であり、伊藤忠の社員であったことを突き止めたのである。だが、当時はあまりにも「小物」と判断され、深く追及しての捜査対象者にはならなかった。なぜ、そういう結論になったのかは、当時の私としては知る由もなかったが……。
 ともあれ、そういう背景があったこともあり、私が内閣安全保障室長を辞めたとき、中曽根さんが会長を務める世界平和研究所の仕事を手伝ってほしいと、ご本人からも熱心に口説かれたことがあるが、お断りしたことがある。
 ブレーンとして瀬島龍三が常に中曽根さんの周りにつきまとっていたからだ。彼とはさまざまな会議などで同席することも多かったが、なぜか、彼は必ず私に対しては目を逸らすのである。お世辞めいた手紙を寄こしたこともあった。この点に関して、残念ながら、中曽根さんも脇が甘いなと思わずにはいられなかった。これは池田勇人首相が、宏池会の事務局長に、ラストボロフ事件で名前の出た、フジカケこと田村敏雄を起用した事例にも似ているといえよう。
 ただ、後藤田さんの名誉のために一言付け加えると、鎌倉警視総監に、佐々証言の裏を取ったあと、「佐々クン、山本(鎮彦)はなぜ、瀬島を見逃したのかな? 小物とはいえ、ワシだったら、捜査対象にして徹底的に取り調べをしたのになあ」とおっしゃったものだ。
 たしかに、なぜ、あの時瀬島を取り調べなかったのかは私にも謎であった。尤も、中曽根ブレーンとなっていた当時の瀬島にはえも言われぬオーラがあって、全官庁が「瀬島を敵に回しても良いのか」という雰囲気があった。とくに通産省(当時)の某幹部などは、瀬島のお陰で出世してきた人だったということもあり、瀬島の「過去」に関しては見て見ぬフリをする感はいなめなかった。


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