疫病2020
中国武漢発のコロナウイルスは人命や経済に甚大な被害をもたらしました。
同時に、改めて共産中国の恐ろしさや厄介さを我々に突きつけたように思います。
それにとどまらず、門田さんが「おわりに」で『政治家も、官僚も、省庁も、企業も、コロナ禍でこれ以上はないほどの情けない姿を晒した。右往左往するさまは、戦後日本そのものの姿であるように私は感じた』とお書きですが、日本自身の在り方こそ十分に反省しなければならないと思います。
門田隆将さんの「疫病2020」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
はじめに 3
第1章 飛び込んできた災厄 8
第2章 お粗末な厚労省 25
第3章 異変はどう起こったのか 53
第4章 告発者の「死」 80
第5章 怒号飛び交う会議 110
第6章 中国依存企業の衝撃 126
第7章 迷走する「官邸」「厚労省」 138
第8章 台湾の完全制御作戦172
第9章 リアリストたちの反乱 198
第10章 「自粛」という名の奮戦 235
第11章 武漢病毒研究所 254
第12章 混沌政界へ突入 297
第13章 中国はとこへ行く 322
第14章 未来への教訓 340
おわりに 355
特別収録 佐藤正久×門田隆将 日本の敗北はどこから 360
関連年表 372
参考文献 380
はじめに
この星を支配し続ける人類を脅かす
最大の敵はウイルスである
2020年は、33歳の若さでノーベル生理学・医学賞を受賞し、2008年に82歳で世を去ったアメリカのウイルス研究の第一人者、ジョシュア・レダーバーグが残したこの言葉を世界中が噛みしめる年となった。
ウイルスの「研究」と、それに対する「防御」は人類にとって最重要課題であることは、レターパーグの言葉を俟つまでもなく、数々のパンデミックによって膨大な数の人命が奪われてきた歴史からも明らかである。
世界は中国湖北省の省都・武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に地獄に叩き落とされた。新型肺炎の発生源となった人口1,100万人の武漢市は、1月23日に完全封鎖された。しかし、それまでにおよそ500万人が脱出したとされる。
1月25日に始まった春節では、世界中で中国人や華僑が30億人も大移動した。こうして新型コロナウイルスは世界中に拡散した。
一帯一路で中国との関係を深めた各国は、その深度に従って多くの死者を出し、やがて地球全体に広かっていく。それはアフリカの密林やアマゾンの奥地にまで拡大していった。
日本では、コロナ対策を「官僚」に依存して乗り切ろうとした安倍音三首相が信じがたいリーダーシップの欠如を露呈した。
感染国からの入国禁止措置という最重要策を採らず、ウイルスが拡大した欧州からの入国禁止も決定的に遅れ、日本国内に無症状感染者が蔓延する事態を創り出してしまったのである。経済対策も財務省に丸乗りした首相に、コアな支持者からも失望の声が飛んだ。
官僚だけでなく憲法をはじめとする諸々の日本の法体系が「非常事態」に関して全く無力であることも白日の下に曝け出された。
それは、真の意味で戦後レジームの脱却を果たさなければ今後「日本自体が生き抜いていけない」ことを物語っていた。そのことを最も訴えてきた安倍首相自身が国民に自らの“失敗”でわからせたというのは、なんという皮肉だろうか。
2020年5月末現在、全世界の感染者は600万人を超え、死者はついに36万人を突破した。まぎれもなく、第二次世界大戦以後「最大の悲劇」である。
新型コロナウイルスは、同時進行で世界各国のリーダーの資質と能力、国民をどう守るかという信念、安全保障への問題意識……等々、さまざまなことを炙り出す機会ともなった。各国はウイルス対策、医療体制維持への方策、中国とのつき合い方など、根本問題を次から次へと突きつけられたのである。
日本は、“政治の失敗”を医療現場の人智を超えた踏ん張りで克服するという闘いを展開した。その最前線では、国家としての「危機管理」や「基本制度」「官僚の能力」という呆れるほどの弱点も、まったく関係がない。
これまでの歴史で日本人が数々の困難に対して示してきた通り、並外れた“現場力”で最悪の事態に立ち向かったのである。
私は、新型肺炎発生からの事象を細かく追いながら、さらにSARS(重症急性呼吸器症候群)の際の教訓を徹底的に生かした台湾と、それを全く生かせなかった日本を比較しつつ、今回の新型ウイルス発生の意味を描かせてもらおうと思う。
政策決定を含め、後手、後手にまわった日本のありさまに、表現しがたい怒りを待った国民は多かった。しかし、その怒りの根源がどこにあるのかを確かめる余裕もないまま、人々は日々の生活に追われている。
果たして何が間違っていたのか、自分の怒りはどこから来ているのか。
そのことをあらためて考え、確かめる意味でも、本書を手にとっていただきたく思う。今回の「教訓」を、国は、自治体は、企業は、国民は、どう未来に生かすべきなのか。
そのことを一度、是非、立ち止まって考えて欲しいと願う。
筆者
危機感が欠如した官庁<第2章の中の一節>
1月26日、厚労省はホームページに「新型コロナウイルスに関するQ&A」を公表した。武漢が閉鎖されて3日後である。さすがにこれを見て驚きを隠せない国民は少なくなかった。
新型コロナウイルスがヒトからヒトヘうつるのですか、との問いに厚労省はこう答えている。
〈新型コロナウイルス感染症の現状からは、中国国内ではヒトからヒトヘの感染は認められるものの、ヒトからヒトヘの感染の程度は明らかではありません。過剰に心配することなく、風邪やインフルエンザと同様に、まずは咳エチケットや手洗い等の感染症対策を行うことが重要です〉
言葉を失う認識というほかない。1,000万人をはるかに超える大都市を封鎖に追い込んだウイルスに対して「ヒトからヒトヘの感染は認められるものの、感染の程度は明らかでない」というのである。もとの“宿主”がヘビかコウモリか、あるいはセンザンコウかはわからないが、少なくともヒトからヒトヘの爆発的感染が起こっていることは素人でもわかる。
たしかにコロナは風邪のウイルスである。種類は違っていたとしても「どうせコロナ(風邪のウイルス)だから」という専門家の固定観念もあるだろう。
しかし、現地・武漢から発信されている情報や映像は、もはや「風邪のウイルスだから」などというレベルであるはずはなかった。医療現場は完全に崩壊し、遺体がビニール袋に入れられ、積み上げられた映像までSNSにはアップされていた。
それでも厚労省は「ヒトからヒトヘの感染の程度は明らかでない」というのである。専門家より素人の常識の方が的確な判断ができることの典型事例と言えるだろう。
そして潜伏期間についての質問にも、厚労省はこう答えている。
〈潜伏期間は現在のところ不明ですが、他のコロナウイルスの状況などから、最大14日程度と考えられています〉
厚労省は、専門家と称する楽観論者たちの意見を完全に鵜呑みにしていた。いや、厚労省自体が楽観諭にしがみつこうとしていることは明らかだった。
Q&Aでは、現在の“対策”について、こう記述している。
〈中国からの全ての航空便、客船において、入国時に健康カードの配布や、体調不良の場合及び解熱剤と咳止めを 服薬している場合に検疫官に自己申告していただくよう呼びかけを行っています〉
第1章で記したように、すでに日本に入国するためには、中国では、微博や微信などのSNSに「搭乗前に解熱剤を飲み、発熱と咳の項に“NO”とマルをすればいい」との情報が流布されていた。
しかし、厚労省は堂々と中国人の良心に期待して自己申告を待ちます、というのだ。そもそも新型コロナウイルスを「たいしたものではない」「過剰に心配する必要はない」と本気で思っているのだから、それもあたりまえかもしれない。
ホームページで厚労省はこんなメッセージも国民に対して出していた。
「今後とも各関係機関と密に連携しながら、迅速で正確な情報提供に努めてまいります。国民の皆様におかれましては、過剰に心配することなく、マスクの着用や手洗いの徹底などの通常の感染症対策に努めていただくようお願いいたします」
また武漢から日本に帰国した人に対してはこうメッセージを伝えた。
「武漢市から帰国・入国される方におかれましては、咳や発熱等の症状がある場合には、検疫所で必ず申し出下さい。また、国内で症状が現れた場合は、マスクを着用するなどし、あらかじめ医療機関に連絡の上速やかに医療機関を受診していただきますよう、御協力をお願いします。なお、受診に当たっては、武漢市の滞在歴があることを申告してください」
武漢市が都市封鎖まで追い込まれ、医療崩壊し、多数の死者が出ていることを知りながら、厚労省はこれほど危機感のない呼びかけをおこなっていたのである。
ただの“ガス抜き”の場<第5章の中の一節>
世界と日本の差が出始めるのは、まさにこの日からだった。
2月初めより世界134か国が次々と中国全土からの入国禁止措置を実施していくのである。議員たちの怒りは、当然ながらさらに強くなっていった。
2月1目、日本政府はやっと「武漢を含む湖北省からの入国を当分の間、拒否する」と発表。しかし、その中途半端な制限に対して「なぜ中国全土じゃないんだ」という声が逆に一層、党内に満ちていく。
「誰が考えたって、ウイルスの発生国であり、最大の感染大国からの入国を禁止しないのはおかしい。なぜ湖北省、そして浙江省に限るんだ、とか怒声に近い会合の連続でしたね」
取材を続ける記者はそう語った。当然だろう。武漢市長自身が「500万人が封鎖前に武漢から脱出した」と認めているのである。すでに感染は中国全土に広がっていたのだ。
参加していた自民党の中堅議員の一人もこう嘆いた。
「2月5日の会議に政調会が政府への提言案を持ってきたのですが、そこにはまだ中国全土からの入国禁止が書かれていませんでした。俺たちの意見を聞いていなかったのか、と本当に怒りましたよ。
安倍政権は党内の最前線で国民世論と向き合っている私たちの声が届かないシステムなんです。安倍さん本人が信頼した、一部の政権内の側近以外の声は反映されません。その欠陥が今回、もろに露呈しました。
官邸は元経産官僚の今井尚哉(たかや)補佐官中心の経産官僚に牛耳られているし、その人物の意見にあまりに重きが置かれている。そのほかでは、今回どの派閥が一番影響が大きかったかというと“親中”の平成研(竹下派)ですね。ずっと叫びつづけた私たちの意見は全く無視で、一部の側近政治がまかり通っているわけです。それが安倍政権であり、安倍さんの限界です」
2月21目、BSフジテレビの「プライムニュース」では、中国全土からの入国禁止を当初から訴えつづける佐藤正久議員がこんな発言をおこなった。
「最初、私のような声は自民党の中で小さかったんです。“また過激なことを言っているな”ぐらいの感じでした。ところが今は、やっと“禁止すべきだ”という声が高まってきている。このままだと、これからピークが来ますからね。
高いピークが、治療薬ができる前に来てしまったら、おそらく医療現場も対応できません。治療薬がないんですからね。また、疫学的な情報も集まっていないから、未だに厚生労働省は現場に治療や診療のガイドラインを出せていないんですからね。
高いピークが来てしまって大変なことが起きたら、もう日本がレッドゾーンで、世界から見ると“何やっているんだ”と、中国と同じように見られますし、そういう意味でも、大きな目で見れば、とりあえず治療薬ができるまで“止める”ということが大事なんです。
アメリカもシンガポールも、経済的な損失を覚悟の上でやっているんですよ。だから、私が言っているのは、日本人はまだ止めなくても中国人、少なくとも観光客とかそういう部分を制限しないと本当ダメだということなんです」
まさに、仰るとおりである。画面からは佐藤議員の歯がゆさが伝わってくるかのようだった。
しかし、それでも官邸は中国全土からの入国禁止措置には出なかった。
2月27日の901号室での対策会議は、出席議員たちの怒りが特に凄まじかった。この日、午後一時前から始まった議論は、実に4時間近くに及んだのだ。
「この日も騒然となりましたよ。怒りが限界にきているという感じでしょうか。会議の冒頭から、なぜ入国禁止ができないんだ! という怒号から始まりました。最前線で有権者と接している議員たちにとっては、支持率が目の前で急落していることと、その理由がはっきりわかっているわけですからね」
とは、先の政治部記者である。もはや議員たちも“我慢の限界”が来ていたのである。
この日のやりとりは殊に印象的だった、と明かすのは参加議員のひとりだ。
「延々と議論が続いたのですが、4時間近く続いた会議の最後に、ひな壇から田村憲久本部長が“先生方はそう言うかもしれないが、違うご意見もありますので……”と発言したんですよ。その瞬間、“なに言ってんだ! 一体、どこに違う意見があったんだ! 全然なかったじゃないか”とか、あるいは“ちゃんと私たちの意見は(官邸に)伝わっているのか!”と騒然となったんです。会議は、そのまま罵声が飛び合う中で終わったんですよ。あれは4時半頃でしたか。とにかく、ひな壇にいる田村本部長のバックにいる人たちがすべてを決めているんです。腹立たしかったですね」
別の議員もこう語る。
「中国全土から入国禁止をしろという意見がほとんどなのに、結局、(党の提言には)まったく組み入れられませんでしたね。意見と常識が通じない世界ですよ。もともと厚生官僚はこの病気をたいしたものじゃないと思っている。致命傷になるようなウイルスなんて、全然、思っていなかったですね。だから入国制限など、全く考えていなかった。
自民党の医療族である武見敬三議員をはじめ、そういう人たちも同じ意見でした。結局、総理はその人たちの意見しか聞いていないから、総理自身に危機感などなかったんですよ。厚生族や厚生官僚は、“医療崩壊さえしなければ大丈夫だ”という捉え方ですからね。国民の命を守るべき厚労省が事態を深刻に受け止めていなかったんですから信じ難いことです。総理もそ
れに乗っかっていたわけです」
それに、と言葉を接いでこの議員はこんなことを語る。
「もともと総理は、私たち党内の声に耳を傾けるつもりはありませんよ。“政高党低”とよく言われますが、“安倍一強”というのは、野党に対してだけを言っているのではなくて、党内でもそうなんですよ。そもそも幹事長に二階さん、政調会長に岸田さんを置いて“よく党内を抑えてくれよ”ということなんですから。党が政策で官邸を動かすなんてことは、最初からないんです。議員たちも叫んではいましたが、どうせ無理だろうなあ、とはわかっていたわけです」
“現場”の自民党議員たちは、厚労省とは違って大いなる危機感を持っていた。しかし、その声は官邸には届かないし、まったく反映されることもなかったのだ。
この会議自体が単なる“ガス抜き”の場にしか過ぎなかったわけである。好き放題いわせて、結論は最初から決まっている。それが「安倍方式」だった。
この悪しきシステムは、のちに緊急経済対策を決める際も、さらに露骨な形で浮き彫りになるが、それは後述する。こうして現役議員たちのフラストレーションは溜まる一方だった。
自動車産業の中国依存<第6章の中の一節>
なぜ中国全土からの入国禁止ができないのか ―― 国民から、そして自民党内からも、「安倍政権は国民の命を蔑ろにするな」という痛烈な攻撃がつづく中、まことしやかに囁かれた“噂”がある。
「トヨタ自動車がサプライチェーン(供給網)を維持するため中国全土からの入国禁止を阻止すべく官邸に働きかけた」
「総理の信頼厚い今井尚哉首相補佐官に直接、掛け合った。さすがトヨタだ」
「トヨタは新型コロナの情報をいち早くキャッチしていて、一月半ばまでに中国駐在の社員をほとんど帰国させていた」
……等々、さまざまな噂が飛び交った。さすが連結で純利益2兆円を誇る日本を代表するグローバル企業である。
実際にトヨタは代々の政権に太いパイプを持ってきた。折々の政権への影響力は、他の大企業を圧している。
噂が事実であるかのように一人歩きするのも、トヨタならではだ。しかし、業界の受け止め方はまったく違う。
「そもそもトヨタは武漢に工場がありません。日産とホンダは揚子江のほとりの武漢の漢陽地区に工場を持っていますが、トヨタは天津に4か所、成都に1か所、長春に1か所、広州に2か所、江蘇省の常熟に2か所、計10か所工場を持っています。今回の直撃を受けたのは日産とホンダで、トヨタはそうでもないんです」
トヨタ系列企業の幹部はそう明かす。
しかし、中国での生産台数は、トヨタ、ホンダはほぼ拮抗しており、依存度の面ではトヨタも負けていない。部品も他国と比べて中国からの調達比率が圧倒的だ。
「サプライチェーンがずたずたにされたくないから官邸に働きかけたというその話は、うがちすぎでしょう。すでに武漢が都市封鎖になり、中国の各都市が同じように活動を止めていった段階でサプライチェーンは止まっていますから、それを理由に“全土からの入国禁止をやめて欲しい”というのは、そもそも実情と合っていません。
それに、サプライチェーンはことあるごとに影響を受けるもので、その度に右往左往することは自動車産業にはなかなかありませんよ。いわば“慣れっこ”ですから」
業界は、東日本大震災の時の貴重な経験もあり、サプライチェーンがどうなるかは状況に応じて全部わかっているのだそうだ。
「いつどこでどう部品が切れて、代替生産をどこでやるかなど、全部事前に決めています。私たちの業界は物流がストップしたら、慌てても仕方ないんですよ。少なくとも、サプライチェーンを理由に、時の政権に中国人の入国問題を陳情することなど、あり得ないですよ」
一方、事前になんらかの情報をキャッチして、駐在の社員にできるだけ早期の日本への帰国を勧めていたのは事実だと、こう語る。
「トヨタ系が、“(日本に)帰れる奴は帰ってこい”という話をしていたのはその通りです。今年は1月24日から春節休みでした。毎年、駐在の日本人は春節の前にはかなりの人がこの時期を利刑して日本に帰ってくる。しかし、今回は“できるだけ帰ってこい”という指令が早い段階から出ていました。
その判断は明らかに日産やホンダより早かったと思います。すでにウイルスの情報をキャッチしていたんでしょうね。だから今年は、日本に帰国していた人数は例年より多かったですよ。少なくとも駐在の7割が帰ってきていました。春節が終わって中国へ帰る際も、日本にいる人間は2月半ばまで日本にいるように、という指示が出ていましたね」
日中関係は、政治的な状況によって、何かある度に必ずデモの試練を受けてきた。それでも日本企業が中国への進出をやめない理由は何だろうか。
「やっぱり中国はGDPがアメリカに次ぐ世界第二位ですからね。人口も多いし、市場としての魅力が多いのはたしかです。購買力が高い上に、やはり労働の質ですよね。たとえばインドと比較しても、インドにはカースト制度があるので、生まれてからの環境の関係もあるんでしょうが、教育やモラルのレベルが階層によって明確に分かれている。何かあるとすぐストが起きるし、“工場長がこんなことを言った!”というようなレベルで、インドではストが起きたりするんですよ。
それに階層が同じ者同士を組にしておかないと、身分が違うと“なぜこいつと一緒に掃除しなきやいけないんだ”とか、トラブルになってしまうんです。平等に採用しても、名前と出身地で彼らには、たちどころにわかるらしいですよ。不良品率も高いし、稼働率もなかなか上がりません。やはり中国の方がいい、と皆、言いますよ。まあ、中国でなければ、ベトナムか、ミャンマーでしょうか。いくら中国で反日デモが起こっても、やはり中国に進出するのは、そういう事情もあるからですよ」
一般の国民からみれば、「なぜ中国に進出するのか」と腹立たしいが、企業にとってはそれなりの理由が存在するのである。
成果上げる“水際対策” <第8章の中の一節>
日本の迷走とは対照的に17年前のSARSの経験を生かしたのは台湾である。私か帰国した以後も、台湾は有効な対策を展開した。
武漢が閉鎖される前日の1月22日に台湾と武漢間の旅行を禁止した台湾は、中国が武漢を閉鎖した当日には「疫病情況」をレベル2に引き上げ、同時に蘇貞昌(そていしょう)行政院長(筆者注=日本の首相に相当)が中国へのマスク輸出を全面禁止にした。
注目されるのは、日本では自治体を中心に中国にマスクを寄付する動きが活発化する“この時期に”マスクの輸出を封じたことだろう。
「中国人は必ずマスクを大量購入し、高値で売る」
長年の台湾の友人はその理由を聞く私に「中国人がそういう特性を持っていることを台湾人はわかっているので、これは当然の判断だよ」と事もなげに言った。
覇権国家であり、謀略国家である中国と長期にわたって台湾海峡を挟んで対峙してきた台湾。その台湾自身も、かつては中国共産党を恐れさせた国民党特務によって、激しい大陸工作を展開した歴史がある。お人好しの日本とは、そもそも中国に対する認識と対応が「まるで違う」のである。
武漢封鎖の翌1月24日には、台湾は中国大陸への団体旅行を全面禁止した。そして、台湾に滞在していた数千人の中国人観光客をホテルに隔離し、「徐々に帰国させる」という方式を採った。
蛇口を締めることなくインバウンド収入欲しさに中国人の流人を止めなかった日本とは正反対の政策である。そして、ひと月後、ふた月後、その「差」は恐るべきものとなって現われてくる。
そもそも台湾には、おもしろい譬え話がある。中国人の訪問客について、自分たち台湾を大いに卑下しながら、こう表現するものだ。
「中国人は、一流の人たちはヨーロッパヘ行って大量にブランド品を買う。二流の観光客は日本に行ってウォシュレットの便座と、薄型のコンドームを買う。三流の観光客は台湾に来る。台湾では一個50円のパイナップルケーキを土産に買う。それも大いに値引きさせたあとでね」
大手紙の台北特派員によれば、それが幸運にも防疫に役立つたという。
「国民党に政権を奪回させるために台湾経済に打撃を与え、蔡英文政権の継続を阻止することは中国の至上命題でした。そこで中国は昨年8月から文化観光省が台湾への個人旅行を禁止したんです。台湾にお金を落とさせないためです。一人平均およそ約14万円の消費額と言われていますが、中国の観光客は実際には台湾にあまり経済効果をもたらしません。
というのも、彼らは中国の航空会社でやってきて、中国資本のバスを使い、中国資本のホテルに泊まって、買い物用の免税店も中国資本のところに行きます。だから台湾人は儲からない。日本でも同じですよ。中国資本のものしか使わないですからね。人数のわりには、儲からないのが中国人観光客なんです」
中国が蔡英文政権にプレッシャーをかけるために訪台の人数を絞っていたのは、台湾にとって、むしろ「ありかたかった」のである。
いずれにしても、当初から取った厳しい防疫措置は、台湾の人々の生活に著しい変化を起こした。“手洗い”や“うがい”の徹底はもちろん、建物に入るのも簡単ではなくなった。
ビルのセキュリティが発達している台湾では、ビル入口には警備員が常駐している場合が多い。来訪者は、そこでいちいち非接触型の体温計で体温チェックを受けることがあたりまえになった。37.5度を超えていれば入館を拒否される。
病院に入ることはさらに厳しい。入口での検温だけでなく、マスクをしていない人間は、そもそも病院内の立ち入りが許されないのだ。
総合病院では、薬をとりに来るだけの人も院内には入れてもらえない。病院玄関の横に掲げられている案内に従って移動し、外に面している薬専門の窓口でやりとりし、処方箋もそこで受け取らなければならなかった。17年前の和平医院の悲劇をきっかけに台湾全島の病院で起こった“院内感染の恐怖”が忘れられないのである。
創価学会“絶対権力者”の逆襲<第12章の中の一節 >
それは、あり得ない事態だった。
「私たちは“断頭台”に乗っているんですよ」
公明党の山口那津男代表がそう言った時、安倍首相は押し黙った。
4月15日午前10時、日本の政界をひっくり返すような事態が起ころうとしていた。官邸に駆けつけてきた山口のバックにいる人物が「誰」であるか、首相にはわかっていた。
事前に官邸には「創価学会の“絶対権力者”が激怒している」という情報がすでに入っていたのである。山口代表は、その絶対権力者の「意向」を受けて目の前にいる。
「“30万円”を強行すれば、政権の危機になります」
政権離脱まで匂わせて山口がそう言うと、ようやく安倍が答えた。
「これまでの積み重ねがありますから」
その時、山口の口から飛び出したのが、冒頭の“断頭台”という言葉だったのだ。
山口は、こう応じた。
「私たちの主張は、変わりませんよ。ここは政治決断していただくしかありません」
与党で合意していた緊急経済対策の「減収世帯への30万円給付」。これを撤回し、国民一人あたり「10万円の一律給付」に転換せよ、と山口は言っているのである。
政府・与党は、生活支援臨時給付金を盛り込んだ2020年度補正予算を4月下旬には成立させ、5月中に支給することを日指していた。その“核”が、コロナの感染拡大で困窮する世帯、つまり住民税非課税世帯等に30万円を支給するというものだ。
もちろん公明党も同意して、すでに閣議決定も終えている。今になってそれを反故にするなど、あり得ないことだった。
安倍が、「これまでの積み重ね」という言葉を口にするのも無理はなかった。この要求が理不尽であることは、安倍、山口双方が、もとより「わかっていた」のである。
だが、公明党の支持母体・創価学会の情報を独自ルートで人手していた安倍は、すでにこの時点で、「要求は聞くしかない」という思いに捉われていたに違いない。
山口が言っている中身が、そのまま創価学会第6代会長、原田稔(78)の要求であることを「首相は知っていた」からである。
その意味の重さを安倍自身がわかっていたのだ。
公明党の支持母体である創価学会の選挙におけるパワーは、今さら説明を要すまい。かつては900万票近い、とんでもない「票」を集めたこともある宗教団体である。
第3代会長の池田大作は今年、92歳。昨年、二度、聖教新聞紙上に写真が登場したものの、いずれも「座ったまま」の姿で、表情もまったくなかった。
かつてのカリスマ性はもちろん、強烈な個性そのままの肉声も伝わってこない。池田の意思そのものが窺えるようすは、すっかり「なくなっている」のである。
そのなかで2006年から14年間にわたって会長の地位にある原田稔は、徐々に権力基盤を固め、表向きは“集団指導体制”と言いながら、現在では“原田独裁”と言うに近い態勢を築き上げていた。
いわば池田に代わる現在の創価学会の“絶対権力者”である。
その原田と安倍首相との関係は知る人ぞ知る。二人の間にはホットラインがあり、選挙の最終盤など、「どうしても」という時には、これが使われる。
原田会長は創価学会内で権力基盤を固める中で、政界への影響力をここ数年、特に強めてきた。二人の関係を知る人物の話を紹介しよう。
「二人は、端的にいえば安倍首相が原田会長に恩義を感じている、という関係ですね。2018年2月の名護市長選のことを見ればわかります。公明党の沖縄県本部は、辺野古への移設にはもともと反対なのに、原田会長がわざわざ沖縄に乗り込み、名護市内に二千数百票あるという学会の最後の票固めをやったんです。
その結果、自民公明など与党が推す候補を当選まで持っていきました。会長が乗り込んで直接、檄を飛ばしたものだから、地元の学会員たちが“市長選でこれほど動いたことはかつてない”と誰もが言い合うような選挙戦になったんです」
それだけではない。その半年後の2018年9月にあった沖縄知事選でも原田会長の姿は沖縄にあった。
「ここでも会長自ら乗り込んで、自民党のために奮戦したわけです。知事選は残念ながら敗れましたが、この動きも安倍首相を大いに感激させたのです。
そして、2019年7月の参議院選広島選挙区の例の河井案里の選挙でも、原田会長は終盤に現地入りしているんですよ。公明党の候補者でもないのに、わざわざ河井案里をテコ入れするために、学会票を極限まで掘り起こしに行き、その結果、勝利させたわけです。
参議院選挙では公明党の候補者は、ほかにいっぱい出ているのに、広島にわざわざ入って自民党の議員を懸命に応援したわけですからね。名護市長選だって、沖縄知事選だってそうです。公明党の議員ではありません。自民党です。さすがに首相も原田会長に大いに恩義を感じるようになったのです」
こうして原田会長と安倍首相との関係は深まっていった。カリスマ池田には到底できなかったフットワークの良さを見せる原田は、安倍首相の心を“鷲づかみ”にしたのである。
その原田の強烈な意思こそ「一律10万円給付」にほかならなかった。
そこには、創価学会の厳しい内部事情があった。
おわりに
「もう世界はもとには戻りませんよ。コロナ以前か、以後か。BC、つまりビフォアー(before)の次にくるCは、コロナのCなんですよ」
本書の取材で会った遺伝子の専門家は、そんなことを言った。
たしかに6月8日、感染者数がついに累計700万人を超え、死者数も40万人を突破してしまった新型コロナウイルスのパンデミックは、世界の秩序と人類の営みを呑み込み、破壊し、人々の幸せを奪い去った。
亡くなった方々の無念を思うと、ご遺族にかける言葉も思い浮かばない。
本文に記述したように2020年3月、「中国に感謝せよ」と世界に向かって言い放った中国は、アメリカをはじめ、自由主義諸国とあと戻りできない戦いに自ら突入していった。
私は、日々の動きを観察し、その度に感じたことをツイートとして発信しつづけた。
本書を執筆するにあたって、これらのツイートをひとつひとつ振り返ってみた。さまざまなことが蘇り、特に中国について、多くのことを考える時間を持つことができた。
中国は、なぜこんな国になってしまったのだろうか。
若い頃、中国が好きで、何度、彼の地を訪れたか知れない。中国各地に赴き、もちろん武漢に滞在したこともある。原稿を書きながら、ゆったりとした大河・長江と武昌・漢口・漢陽の“武漢三鎮”の街並みを思い浮かべた。
決して裕福ではなかったが、当時の中国人は文化大革命の長い試練を乗り越え、改革開放路線の中で、ようやく見えてきた確かな「未来」に向かって走り始めていた。先進資本主義国のあとを追い、「追いつけ、追い越せ」という意欲が街中から溢れていた頃だった。
アメリカ人や日本人に対しても尊敬と学びの気持ちを 忘れなかった彼らは、華国鋒から胡耀邦・趙紫陽の時代に移って、何十年か先には、本当に「民主化」の可能性があるのではないかと国際社会に思わせた。
しかし、天安門事件以降、中国はまったく“別の国”になった。
世界はそのことに気づくことができず、中国自体が“世界の災厄”へとなっていくことを傍観した。いや、積極的に「手を貸した」と表現した方が正しいかもしれない。
中国は、自らイノベーションを起こすのではなく、ひたすら外国の技術と資本を国内に持ち込むことで発展を図ろうとした。
先進資本主義国との「差」はあまりに膨大で、これを新たに構築することを諦め、彼らを引っ張り込んで「資本」も、「技術」も、そして「ノウハウ」も、そのまま移転する形での経済発展を日指したのだ。
本文でも紹介した「千人計画」のように、将来、軍事技術に応用できる先進国の最先端技術者や大学教授などが、破格の厚遇に惹かれて中国へ赴き、大いに貢献した。
人材を引き抜けないジャンルは、得意の工作員による技術や設計図の盗み出し、あるいはハッカーによる情報取得という方法が用いられた。
欧米諸国が気づいた時には、中国はもはや制御不能な“異形の大国”と化していたのである。本書には、武漢病毒研究所の「P4ラボ」に協力したフランスの研究者たちの間に「中国への協力」に対して反対の意見が少なくなかったことも紹介させてもらった。
もし、何かがあった時、どうするのか。誰もが一度はその懸念を口にしても、どうしても正常性バイアスが勝り、「まあ、大丈夫だろう」となり、ついには世界に惨禍がもたらされる可能性について、本書では触れさせてもらった。
共産党独裁政権がすべてを牛耳ること、その国に惜しみなく物心両面で協力することの意味と危険性を感じてもらえたなら幸いである。
共産中国が決定的に勘違いしているのは、「人間の良心」をまったく無視していることである。力で押せば、必ず相手は引く。中国は、そう疑いなく思い込んでいる。
いま世界中で、そうした懐柔や脅しに決して屈しない人々によって、中国との戦いが展開されている。私は、この戦いは、日本が未来永劫、独立を保ち、国民が平和と幸福を享受できるか否かの分岐点であろうと思う。そのことも読み取っていただけたら、と願う。
本書の柱には、日本の統治機構と霞が関官僚の問題点もある。
使い古された言葉で恐縮だが、戦後日本の“平和ボケ”は、政治家や官僚など統治する側の主役たちから「国民の命を守る」という最大使命が忘却させられている事実を指摘した。
ただエリート意識と万能感に支配された霞が関官僚が、武漢のありさまを 情報収集することもできず、危機を認識もできず、国民の命を危機に晒したことに私は呆然とした。
政治家も、官僚も、省庁も、企業も、コロナ禍でこれ以上はないほどの情けない姿を晒した。右往左往するさまは、戦後日本そのものの姿であるように私は感じた。
そんな中で、高いモラルと使命感、そして責任感に支えられた医療従事者の方々によって「日本が救われた」ことを、感謝を込めてあらためて記しておきたい。
2020年を襲った疫病は、世界秩序も、国家防衛のあり方も、人々の生き方も、すべてを見直さなければ「生存」さえ危ぶまれることを私たちに教えてくれた。本書を手にとってくれた皆様が、そのことの意味を考えてくれるなら、本書が刊行される意義も幾許かはあったかもしれない。
数多くの協力者によって本書はようやく完成にこぎつけることができた。本来なら、その一人ひとりのお名前を挙げ、感謝の言葉を述べさせてもらわなければならない。
しかし、本書は、協力してくれた方々のほとんどが組織に属していたり、中国人であったり、それぞれのお名前を出すことができない事情がある。皆様のお蔭で本書が完成したことをご報告し、心より御礼を述べさせていただきたい。
幸いに本文でも記述させていただいた松田学、木村もりよ、井上久男、古森義久、藤重太、早田健文、百田尚樹、有本香、林建良の各氏には、この場を借りて、あらためて謝辞を申し上げたい。
なかでも、極めて専門的なジャンルに分け入ったこの作品で、ウイルスの遺伝子操作を含む難解な論文の読解に協力していただき、その意味と解説を門外漢の私に丁寧に、そして根気よくしていただいた林建良医師には衷心より御礼を申し述べたい。
尚、医療問題に関する貴重なアドバイスや指摘は、倉本秋、倉本玲子両医師から頂戴した。
今回も中国語の文献や記事の翻訳・分析に力を尽くしてくれた杉中学氏と併せ、心より御礼を申し上げる次第である。
さて、本書が日の目を見ることができたのは、産経新聞出版の瀬尾友子編集長の力による。短期間で膨大な取材をしようとする欲張りな私の手綱を引き締めて、無事、完成まで持ち込んでくれた情熱とパワーに心より御礼を申し上げたい。
産経新聞出版の皆川豪志社長、『正論』発行人の有元隆志氏にも大変お世話になった。この場をお借りして厚く御礼申し上げる次第である。
何度も襲ってくるだろうこの疫病に私たちは屈するわけにはいかない。そのための心構えと情報を些かでも感じ取っていただければこれに勝る喜びはない。
なお本文は原則として敬称を略させていただいたことを付記する。
門田隆将
いまだ感染拡大の予断許さぬ東京にて