今こそ、韓国に謝ろう

百田さん:私は今こそ、声を大にして言いたいと思います。 「日本は韓国に謝らなければならない!」

今こそ、韓国に謝ろう

 日韓併合時代の話になって、「日本が朝鮮で行ったことは西欧列強が行ったような植民地支配とは違うよね。」というようことを言うと、中には「朝鮮の人が頼んだわけじゃない!」と半ば怒り出す人がいます。

 百田尚樹さんは「今こそ、韓国に謝ろう」のあとがきで次のようにお書きです。
 そのような切り口で論を進めれば、怒りはしないかもしれないと思いました。

<あとがきの一部抜粋>
 評論家や学者の中には、「日本は併合時代に朝鮮に対して多大な貢献をした」「朝鮮の発展に大いに寄与した」とおっしゃる方がいますが、それは傲慢極まりない言い方です。
 たしかに併合時代に日本が行なった数々の施策や投資が、朝鮮を大いに発展させたことは歴然たる事実です。これを否定することは誰にもできません。しかしそれは朝鮮人が望んだことではありません。
 彼らが学校を建ててくれと頼んだのでしょうか。ハングルを教えてくれと頼んだのでしょうか。川に橋を架けてくれと頼んだのでしょうか。鉄道を走らせてくれと頼んだのでしょうか。ダムを作ってくれと頼んだのでしょうか。近代的農業を導入して収穫を増やしてくれと頼んだのでしょうか。人口を倍にしてくれと頼んだのでしょうか。
 すべて否です。
 

 またあとがきの一番最後に『戦後、朝鮮半島と日本国内において、朝鮮人が日本人に対して行なってきた凄まじい暴力の数々は長らく歴史のタブーとして、公に語られることはありませんでした。しかしそれらの記録は厳然と残っています。いずれ機会が来たならば、書くことになるでしょう。 』とお書きです。
 出版を望む人は多いと思う。

 百田尚樹さんの「今こそ、韓国に謝ろう」 を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。興味深い文章がたくさんなので多目になってしまいましたが・・・。。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

「今こそ、韓国に謝ろう」 百田尚樹

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今こそ、韓国に謝ろう [ 百田尚樹 ]
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目次

まえがき 1  
 第一章 踏みにじられた朝鮮半島
教育の強制 13  子供の自由を奪った/劣等文字ハングルを普及させた/豪華校舎で目をくらませた/韓国人の勘違い
自然の破壊 28  山々の破壊/鉄道による自然破壊/河川の破壊/海岸の破壊
農業を歪めた 42  農業に手を付けた暴挙
産業形態を歪めてしまった 46  農業国を工業国に変えた/なぜ日本は朝鮮を工業化したのか
【付記】併合前の朝鮮 51  類を見ない不潔さ/貨幣が流通しなかった/民衆の中にある諦めの境地  

 第二章 伝統文化の破壊
身分制度の破壊 63  朝鮮の驚くべき身分制度戸籍の導入
【付記1】両班の実態 70  両班の恐ろしさ/両班は働かなかった
【付記2】朝鮮の奴隷制度 76  人権も自由もない
刑罰の破壊 79  凌遅刑の廃止/日本が行なった制度廃止
シバジの禁止 86  代理出産
乳出しチョゴリの禁止 88  乳房を出すのは女性の誇り歴史の抹殺
嘗糞(しようふん)の禁止 92  伝統の民間療法
【付記】朝鮮の民間療法 94  併合後に急速に姿を消した民間療法童便軍トンスルについて  

 第三章 「七奪」の勘違い
「主権を奪った」という勘違い 103  清への服従は絶対日本が朝鮮に主権を与えた
「王を奪った」という勘違い 113  李王朝に敬意を払った日本
「人命を奪った」という勘違い 118  「義兵運動」と「三・一独立運動」/本当に独立運動だったのか
「言葉を奪った」という勘違い 122  日本は言葉を与えた
「名前を奪った」という勘違い 124  日本は名前を与えた/日本名へ変更は認めなかった/朝鮮名で活躍した人たち/勘違いは「創氏改名」/「改名」の実態/日本は反省すべき/私の心配
「土地を奪った」という勘違い 136  朝鮮人農民に土地を与えた/消費行動に走り土地を失う/すべては総督府の責任
「資源を奪った」という勘違い 143  戦後の発展に大いに寄与した/濡れ衣に近い
【付記】朝鮮人労働者の強制連行について 146  強制連行という嘘/マスコミの嘘  

 第四章 ウリジナルの不思議
「日本文化のルーツは韓国だ」という錯覚 153  茶道は韓国が発祥/華道も歌舞伎も韓国が発祥/まだまだある韓国ルーツの文化/日本の名の付くものも韓国発祥/武道も韓国が発祥/味を占めた韓国が次に狙うのは剣道/反省すべきは日本
追記 現代韓国の剽窃文化 171  盗用?/韓国人のパクリは日本の真似?/恥ずかしいという気持ちがない?
韓国の整形ブームの原因は日本ではないか 177  女性の顔が皆同じ顔/整形手術はコンプレックスの現れ/韓国人は日本人になりたかった?  

 第五章 日本は朝鮮人に何も教えなかった
世界を驚かせた大事故 185  セウォル号沈没事件/船長、船員の唖然とする行動/事故後の呆れる事件/三豊百貨店崩落事故/モラルの無さが生んだ事故が多い/韓国のモラルが低いのは誰のせいか
国際スポーツ大会での恥ずかしさ 197  勝てば何をしてもいいという精神の貧しさ/真に反省すべきは日本
法概念を教えなかった罪 204 基本的法概念とは/国際条約を知らない?/条約無視

 第六章 慰安婦問題
慰安婦の強制はなかった 215  韓国の主張は証拠がない/すべての発端は日本人/朝日新聞が火をつけた/韓国に飛び火/作られた記憶/すべての罪は朝日新聞
【付記1】吉田清治について  謎の男/ミステリー
【付記2】妓生について  そもそもは外国人向けの娼婦/妓生の実態/売春禁止法の成立  

 第七章 韓国人はなぜ日本に内政干渉をするのか
異様な内政干渉 243  日本の集団的自衛権の行使に反対/韓国人は日本を自国と思っている/韓国人のアンビバレンツな感情/北朝鮮の場合/拉致はいやがらせ  

 あとがき 253  
 主要参考文献
 イラスト/はすみとしこ 監修/松木國俊 写真/共同通信・時事通信・アフロ
 


まえがき

日本が韓国に為した悪行の数々 韓国は日本に対して、この何十年も「謝罪せよ!」「賠償せよ!」と執拗に要求しています。
 韓国に対するすべての補償は、1965年の「日韓基本条約」と同時に締結された「日韓請求権・経済協力協定」において、「最終的かつ完全に」済ませているのにもかかわらず、年を追うごとにますますヒステリックに「謝罪と賠償」を叫ぶ彼らの姿を見て、私はなんという品性下劣な国であり、あさましい民族であるかと呆れていました。
 しかしこの数年、日韓併合の歴史を調べていくうちに、その気持ちが変わりました。
 日本が朝鮮および朝鮮人に対して行なった悪行を知り、愕然としたからです。その非道の数々は、私の想像を絶するようなものばかりでした。
 一つの国家と民族が、35年間の長きにわたって他国からここまでの仕打ちを受ければ、70年やそこらで忘れられるものではありません。朴槿恵前大統領が「千年恨む」と言ったのも理解できます。
 私は今こそ、声を大にして言いたいと思います。
 「日本は韓国に謝らなければならない!」  悲しいことに、現代に生きる日本人のほとんどが、70年以上前に、祖先が朝鮮半島でいかにひどいことをしてきたかを知りません。
 まずこれらを知ることが第一歩です。そしてそのことを深く反省した上で、私たちは韓国(および北朝鮮)に対して、心の底から謝罪しなければいけないと確信しています。
 そうしてこそ、初めて日本と韓国(および北朝鮮)は真の友好関係を結ぶことができるのではないでしょうか。
  2017年6月1日 百田尚樹
  


各章の導入文

   1章
 1910年(明治43年)、日本は大韓帝国を併合すると、朝鮮総督府(以下、総督府)を設置し、朝鮮全土を統治しました。総督府は35年の間に朝鮮半島でまさにやりたい放題をしてきました。その結果、朝鮮という国は無残にも踏みにじられたばかりか、元の姿をとどめないまでに、形を変えられてしまいました。
 この章では、日本が日韓併合以降に、朝鮮全土と朝鮮人に対して、どれほど非道な行ないをしてきたかを具体的に述べていくことにします。おそらく読者は、あまりのことに言葉を失うことでしょう。

   2章
 日本が朝鮮半島で破壊したのは、教育、自然、農業、産業構造だけではありません。伝統文化をも破壊したのです。
 どの民族にも、長い問かけて築き上げた固有の文化や風習があります。それらは「民族の魂」と言えるものであって、仮にその国と民族を支配したとしても、それらの伝統は尊重しなければなりません。
 他民族や他国家が自国の文化や考え方と合わないからといって、伝統に口を挟むようなことがあってはならないのです。まして、それらを禁止したり、破棄させたりしてはならないのは当然です。しかし日本は朝鮮独自の文化や風習をまったく尊重せず、それらの多くを破壊したのです。
 この章では、誰もが驚くような総督府の所業を紹介していきたいと思います。

   3章
 韓国は日本が朝鮮から「七つのものを奪った」と主張しています。俗に言われる「七奪」です。韓国の高校の指定教科書には次にように書かれています。
 「日本は韓国から大切な七つのものを奪った世界でも類を見ない悪辣な帝国主義者である」
 韓国人は十代の頃から、このことを徹底して学びます。そして韓国が今も国力において日本に劣っているのはそのせいであると教えられます。
 さて、韓国が主張する「七奪」とはいかなるものなのでしょうか。それは「主権」「国王」「国語」「人命」「姓名」「土地」「資源」の七つです。
 韓国から見れば、まさに「奪いつくされた」といった感じでしょう。しかし、これはすべて嘘です。と言いたいところですが、朝鮮人は嘘なんかつかない善良な民族だと思うので、おそらく大いなる勘違いです。
 この章では、それらを一つずつ検証して正していくことにしましょう。

   4章
 近年、韓国は日本独白の文化や伝統に対して、「それらは朝鮮が発祥である」とか、「日本が朝鮮のものを盗んだ」と主張し始めています。そしてそれを世界に向けて発信しています。
 もちろんまったく歴史的な資料や文献など何もない、でっちあげです。ただ、願望のみで主張しているデタラメに過ぎません。これらは「ウリジナル」とも呼ばれています。朝鮮語で「自分」のことを「ウリ」と言います。それと「オリジナル」という英語をくっつけてできた造語です。
 しかしこれを私たちが笑ってはいけません。「ウリジナル」を主張する心の底には、朝鮮人の悲しいまでの劣等感があるからです。そしてそれを植え付けたのは、私たち日本人に他なりません。
 この章では、韓国が主張する「ウリジナル」を検証しつつ、私たちの罪を見つめていきたいと思います。

   5章
 今、韓国人は世界で嘲笑され、馬鹿にされています。それは他の国の人々の目から見れば、信じられないほど愚かで分別がなくモラルに欠ける行動をしているからです。そのことにより韓国人は、欧米やアジア諸国で非常に嫌われてもいます。
 私はそういうニュースを見る度に心が痛みます。同時に、日本人として申し訳ないという気になります。というのは、日本は朝鮮半島を35年も併合しておきながら、なぜ大切なことを一つも教えてこなかったのだという思いになるからです。
 たしかに日本は朝鮮半島に5,000近くの公立学校を建てました。彼らを無理やりに学校に通わせ、ハングルを教え込みました。また数学、物理、化学なども教育しました。学校以外の場所でも、近代的農業を教え、また多くのテクノロジーを教えてきました(もちろん、これまでも書いてきたように、頼まれてやったことではありません)。
 しかし人間として最も大切な「モラル」や「良心」といったものを教えなかったのではないでしょうか。日本には「仏作って、魂人れず」という諺がありますが、総督府が朝鮮で行なってきたことは、まさしくその諺通りのことではなかったかと思います。
 この章では、私たちの反省の意味を込めて、述べていきたいと思います。

   6章
 この章では、今、韓国と日本の間で大きな問題になっている「慰安婦」問題について語りましょう。
 韓国は「従軍慰安婦」のことで、日本政府に謝罪をしろと執拗に要求していますが、これは無茶苦茶な要求です。
 まず初めに申し上げておきますが、戦時中に日本軍兵士相手に売春をする「慰安婦」という存在はたしかにありました。その数ははっきりしませんが、およそ数万人と言われています。そして実はその大半が日本人女性でした。
 今日、「従軍慰安婦」というのはすべて朝鮮人であったと誤解されている人が少なくありませんが、朝鮮人女性は約2割というのが実態です。当時は日本も朝鮮も貧しく、貧困の中で身を売らねばならなかった女性たちが少なくなかったのです。悲しい歴史ですが、現実です。そしてこれが戦時慰安婦のすべてです。

   7章
 韓国は現在も、日本への内政干渉を続けています。
 閣僚の靖國神社参拝に反対し、文科省が検定した教科書の内容に口を出し、自衛隊撤廃を謳い、特定秘密保護法を非難し、安保法制に反対する、といった具合です。これらは民間人だけでなく、れっきとした韓国政府が主張していることです。
 私は長年、この理由について考えてきましたが、ある時、はたと気付いたことかあります。そしてそこにもまた併合35年の暗い歴史があったのです。
 この章では、それを語りたいと思います。
  


教育の強制

     子供の自由を奪った P13
 日本は朝鮮半島の子供たちの自由を奪いました。
 その最も象徴的なものが、朝鮮人の子供たちに学校に通うことを強制したことです。
 日本が朝鮮(大韓帝国)を併合したのは1910年(明治43年)ですが、その5年前 の1905年に第二次日韓協約(日韓保護条約)によって朝鮮を保護国とし、漢城(現・ソ ウル)に統監府を置いています。当時、朝鮮半島には小学校はわずかに40校しかありませんでしたが、日本は統監府を通して、大韓帝国政府に対し、「小学校を作れ!」と内政干渉とも言える命令を下しています。
 現代の私か見ても、この命令の意図がわかりません。保護国とは言え、他国である大韓帝国に小学校を作っても、日本に何の利益もないように思えるからです。ただのいやがらせにしか見えません。
 大韓帝国がこの命令に積極的に従わなかったのは当然です。5年後、日本が大韓帝国を併合した時でさえも、小学校はわずか60校増えただけでした。
 1910年、日本が大韓帝国を併合した時、まっさきに行なったのが、朝鮮全土に小学校を建てたことです。
 この理由を推測すると、日本は、朝鮮人労働者を大量に生産しようと考えたのではないでしょうか。日韓併合当時、朝鮮人の文盲率は90パーセントを超えていたと言われています。「文盲」というのは文字を読めない人のことです。戦前の「東亜日報」には、1920年代まで、朝鮮人の文盲率は80~99パーセントであったという推計記事が載っています。
 日本政府は、こんな字も読めない人間がいくらいても単純労働にしか使えないと考えたのかもしれません。実際、機械の仕様書や仕事の割り当て表が読めなくては、近代的な工場では使いものになりませんし、また計算もできないようでは、金を扱う仕事もさせられません。そこで日本政府は朝鮮半島全土に一面一枚(一つの村に一つの小学校)を目標にして、凄まじい国家予算を投入して小学校を建設したのです。そして1943年までに4,271の小学校を開校し、なんと目標の倍の一面二枚を実現したのです。
 これは決して美談などではありません。日本政府は使える労働者を育成するためにやったことで、多大な国家予算をつぎ込んだのも投資に過ぎず、いずれは日本中の工場や会社で回収できると考えたに違いありません。要するに自国のことだけを考えてやっただけのことなのです。
 アフリカや東南アジアを植民地にしたヨーロッパ諸国は、日本のような考え方はしませんでした。彼らは自国に都合の良い労働者を作るために、植民地の子供たちに無理やり教育などは決してしませんでした。オランダはインドネシアを二百年も支配しましたが、その間、現地の子供たちが通う小学校などは一つも作っていません。これはアフリカや東南アジアを支配したイギリスもフランスもスペインも同様です。
 ヨーロッパ人たちは、自国では子供たちに強制的に教育を課しましたが、植民地の子供たちには、そんな無茶なことはしませんでした。あくまでも子供たちの自由を尊重してきたのです。
 考えてもみてください。子供は本来、奔放に気ままに生きるものです。勉強なんか誰だってしたくありません。それを他国が無理やりに就学させて勉強させるなどということは許されることではありません。
 日本は明治以来、「富国強兵」をスローガンに、子供たちの教育に力を入れてきました。日本の急発展はそのお陰とも言えます。しかし戦後は、「子供たちの自由」をもっと尊重す るようにという意見が強く打ち出されました。かつて不登校は恥ずべきこととされていましたが、現代ではそれも子供たちの自由だという見方が広まってきました。最近では、不登校の児童を無理やり学校に通わせるのはよくないこととされています。
 また、難しい勉強についてこられない子供のために、「ゆとり教育」が叫ばれ、どんどん易しいカリキュラムになりました。長い間、円周率が「3.14」だったのが、「約3」で いいじゃないかということにもなりました。週に6日も通わせるのは厳しすぎる、というわけで、最近の公立小学校では週に5日通えばいいということになりました。
 つまり現代の日本でも、かつての教育は厳しすぎたという見方が広まっているのです。それを考えると、日韓併合時において、それまで学校なんかほとんど存在しなかった国の 子供たちに無理やり学校に通わせることが、いかにひどいことであったかわかるでしょう。 これはもう人権蹂躙問題と言えます。
  


身分制度の破壊

    朝鮮の驚くべき身分制度 P63
 まず日本が手を付けたのは朝鮮の身分制度です。
 併合前の朝鮮は、「20世紀初頭の国家」とは思えないほどの階級社会であり、厳しい身分制度が敷かれていました。
 身分は大きく6つに分かれます。王族およびその縁戚である「貴族」、次に特権階級の「両班(ヤンバン)」、この2つが支配階層です。併合前の李氏朝鮮末期には、戸籍上、両班が半分以上を占めていたという資料がありますが、これはおそらく戸籍を持っていた人の中での割合であったと思われます。併合前の朝鮮人の多くが戸籍を持っていませんでした。
 両班の下には、「中人(チュンイン)」と呼ばれる階層があります。これは官僚機構を担った専門職ですが、両班からは激しく差別されていました。
 その下が「常民(サンミン)」と呼ばれる階層ですが、これは多くが小作農であり、彼らには実質的な人権はありませんでした。彼らは「常奴(サンノム)」と蔑称で呼ばれていま した。
 その下に位置するのが賤民階層です。朝鮮では高麗王朝時代から「七賤(しちせん)」とも呼ばれた賤民がいました(商人、船夫、獄卒、逓夫、僧侶、白丁(ペクチョン)、巫女)。李朝時代には賤民の種類はさらに増えていきます。有名な妓生(キーセン)もその一つですが、これに関しては第六章で詳述します。
 数多い賤民の中でも、最も身分が下とされたのが「白丁(ペクチョン)」と呼ばれる人々 です。白丁は戸籍もなく、したがって姓もありません。朝鮮半島においては、非常に厳しい差別にさらされ、いくつもの禁止事項がありました。それはもう想像を絶するほど過酷なもので、そのうちのいくつかを挙げてみましょう。
○姓を持つことを禁止。
○常民と結婚することを禁止。
○日当たりのいい場所に住むことを禁止。
○文字を知ることを禁止。
○他の身分の人に敬語以外で話すことを禁止。
○公共の場に出入りすることを禁止。
○葬式で棺桶を使うことを禁止。
○墓を建てることを禁止。
○一般民の前で胸を張って歩くことを禁止。
 他にもまだまだ禁止事項はありますが、このあたりでやめておきましょう。書いていて、気持ちがどんよりしてきます。
 そして、白丁がこれらの禁を破った場合、鞭打ちや足を折るなど、非常に残酷な刑が待っていました。時には刑罰以外に、リンチで殺害されることもありました。しかし白丁を殺した人間は何の罰も受けませんでした。白丁は人間ではないとされていたからです。
 これ以外にも、奴婢(奴隷)という身分があり、これは家畜同然で、他人に売買される存在でした。驚くべきことに、李朝末期の朝鮮は、奴隷が約3割いたとされています。
 今日の感覚で言えば、非人間的な身分制度とも思えますが、朝鮮半島では、これを千年以上にわたって維持してきたのです。つまり、この制度は朝鮮の伝統であり、朝鮮人たちもこれをよしとしてきたからに他なりません。
 ところが、日本はこの身分制度に手を付けたのです。

    戸籍の導入 P67
 日韓併合後、総督府は、朝鮮半島に長らく続いた身分制度を破壊しました。王族を除くすべての人を平等に扱ったのです。
 日本の戸籍制度を導入して、それまで人間とは見倣されていなかった賤民に戸籍を与えました。これにより姓を持ち、身分差別から解放された白丁は、子供を学校へ通わせることも許可されました。
 さらに奴婢を解放し、奴隷制度を撤廃させました。長い間にわたって行なわれていた、幼児売買や人身売買も禁止させました。こうして朝鮮の身分制度をほぽ壊滅させてしまったのです。
 これらはもちろん、両班や中人の許可を得てしたことではありません。したがって両班たちは、「こんなものは認めない」として、総督府に激しく抗議しましたが、日本政府は断固としてそれらの抗議を認めず、白丁や奴婢に人権を与え、それまであった禁止事項も廃止させました。
 そこには何の正当性もありません。ただ、日本人が自分たちの概念にそぐわないというだけの理由で、朝鮮の長年の伝統を勝手に変えてしまったのです。両班や中人たちが怒りまくったのも当然でしょう。またこれらの身分制度撤廃は、白丁や奴隷たちに頼まれてしたことでもありません。総督府が彼らの言い分も聞かずに勝手にやったことです。したがって、白丁たちにとっても有難迷惑であったかもしれません。
 ところが総督府が白丁の身分差別を撤廃して百年以上経ったにもかかわらず、今も韓国では罵倒語として、「白丁」あるいは「白丁野郎(ペッチョンノム)」という言葉が使われています。私はそれを知り、韓国の人々が今も古い伝統を大切にしているということに、ホッとした気持ちになります。
 ちなみに、併合時代も白丁は「元白丁」と呼ばれ、やはり差別を受けていたようです。済州島など白丁が多くいた地域に住む人々は、貧しさと厳しい差別から逃れるために日本に渡ってきた人も多いと言われています。彼らは出自の過去を消すために新天地にやってきたというわけです。
 在日韓国・朝鮮人たちの中には、そうした暗い過去を背負った人たちもいることを、私 たちは忘れてはならないと思います。
 


シバジの禁止

    代理出産 P86
 総督府が朝鮮半島の伝統文化を破壊した例は他にもあります。その一つが「シバジ」と呼ばれるものです。これは「種受け」という意味で、併合前まで存在した女性の職業です。またその仕事に携わる女性の呼び名です。もちろん身分は最下等の賤民です。
 シバジは、跡継ぎが生まれない両班の家の主人と性交し、跡継ぎの男の子を産むことにより、報酬を受け取ります。そして跡継ぎの男の子を出産すると、シバジはその子の顔も見ることなく、ただちに家を追い出されました。しかし産んだ子が女の子なら、その子は跡継ぎにはなれず、母親に引き取られて同じようにシバジとなりました。
 主人にとっては自分の娘である子を、引きとらずにシバジの運命にするというのは、現代の私たちの目から見れば理解しにくいものですが、それが当時の朝鮮人の普通の感覚だったのでしょう。
 シバジは日本の妾とは違い、ただ子を産むためだけに存在するものです。そこには愛情も何もありません。実にドライに見えますが、李氏朝鮮では実際にあった職業であり、伝統的な文化です。ただ、嫉妬した夫人に虐待されることも多かったといわれています。
 一見、前近代的な文化に見えますが、近年、欧米の先進諸国でも「代理出産」という行為が認められているのを見ると、朝鮮人の先進性に驚かされます。
 しかし総督府はその先進性に気付かず、日本的な古い価値観から、「人権上問題がある」という理由で、この仕事を禁じました。これまた暴挙と言わざるを得ません。いやしくも、その国が長らく行なってきた伝統的な風習を、独りよがりな価値観でもって禁じてしまうということは、到底許されることではないでしょう。
 これも日本が韓国に謝罪すべきことのひとつです。


乳出しチョゴリの禁止

    乳房を出すのは女性の誇り P88
 総督府が禁止した朝鮮の伝統文化の一つに「乳出しチョゴリ」があります。
 併合前の朝鮮は、「長男を産んだ女性は乳房を露出する」習慣がありました。これは辱め ではなく、女性にとっては誇らしいものでした。
 当時の朝鮮は凄まじい男尊女卑の思想があり、女性は性の快楽の道具か、子供を産む道具のようなものでした。それで、長男(嫡子)を産んだ女性は「女性としての仕事を立派に成し得た」と見倣されました。そしてそんな彼女たちに、チマチョゴリから乳房を出してもいいという「特権」のようなものが与えられたのです。これが「乳出しチョゴリ」です。
 この風習は18世紀くらいから始まりました。李朝時代の写真には、チョゴリの間から乳 房を出している女性の写真はいくらでもあります。
 ところが朝鮮を併合した日本人は、これを「恥ずかしくて、煽情的」な風習と見たようです。そしてあろうことか総督府は、「乳出しチョゴリ」を禁じてしまったのです。これま たとんでもない横暴です。自分たちの価値観で他国の文化を抹殺してしまう――こんなこと が許されていいはずがありません。
 しかし朝鮮の女性たちは自分たちの誇りを簡単に捨て去ったりはしませんでした。彼女たちは乳出しチョゴリをその後も着続け、1950年代までその風習は細々と残っていました。しかし朝鮮戦争を境に消えてしまったようです。

    歴史の抹殺 P90
 ところが奇妙なことに、それから50年経って、現在の韓国人たちはそのことを忘れてしまったようです。
 というのは近年、インターネット上で「乳出しチョゴリ」の写真が広まったとき、多くの韓国人が「こんな破廉恥な習慣は我が国には存在しない。日本人や中国人による悪意ある捏造だ」と非難したのです。彼らはわずか50年前にはあった自国の風習を忘れてしまったのでしょうか。いくら何でもそれは有り得ません。では、なぜ彼らはそんなことを言ったのでしょう。
 想像するに、現代の韓国人たちは「乳出しチョゴリ」の風習を恥ずかしいことだと思っているのではないでしょうか。それで、「そんな風習は朝鮮にはなかった」と強弁している のではないでしょうか。
 そんな彼らを健忘症と笑う人がいます。しかし私は笑えません。
 もし現代の韓国人たちに、乳出しチョゴリが恥ずかしいことだと思わせたのが、併合時代の日本だとしたら――そう思うと、とてもつらい気持ちになります。かつての朝鮮人女性が「誇り」と思っていたものを、「恥ずかしいこと」にしてしまった罪は小さくはありません。私たちは一つの風習を消しただけではなく、彼女たちの「誇り」をも奪い、汚してしまったのです。


嘗糞(しようふん)の禁止

     伝統の民間療法 P92
 総督府は朝鮮に伝わる民間療法をいくつか禁じましたが、その一つが「嘗糞」(サンプン)です。
 これは人間の便を嘗めて、その味によって体調を診断するというものです。親に対して行なう場合は、孝行の一つとされていて、逸話がいくつも残っています。
 ちなみにこれは中国でも昔からありました。もしかしたら朝鮮人は中国からその文化をいただいたのかもしれません。しかし日本はそういう文化を受け入れることはしませんでした。
 併合前の朝鮮に渡り、朝鮮人たちの風俗や民俗を調べた今村鞆(いまむらとも)が1914年に著わした『朝鮮風俗集』(龍渓書舎より復刻)には次のような記述も残っています。
「親の病のとき其糞を嘗める、此れは其味が甘くして滑かなれば全快せず、苦くして粗なれば全快すると云ふ、言伝へにより快否を験する為めである。糞には胆汁が働ひて居るから大抵は苦味があろふが、甘味のあるものは恐く有るまひ」
 便を嘗めることに抵抗がないことから、朝鮮では大便を原料とする「トンスル」というお酒が生まれたのかもしれません。トンスルについては後述します。
 この風習(健康診断法?)は後に娯楽の一つとなり、何人もの男たちが互いの糞を嘗めあって誰の糞であるかを当てる遊びが流行しました。
 総督府はこの風習を、汚くて不潔なものとして禁止しましたが、これもまた他国の文化を尊重する気持ちが欠如したゆえと言われても仕方がありません。

【付記】朝鮮の民間療法
    併合後に急速に姿を消した民間療法 P94
 併合前の朝鮮半島では、嘗糞以外にも民衆の間では奇妙な民間療法が広く行なわれていました。
 医学が発達するまではどこの国でも非科学的な民間療法がありましたが、朝鮮半島に伝統的にあったものもかなり風変わりなものだったようです。前出の『朝鮮風俗集』に書かれた民間療法をいくつか紹介しましょう。
○長男の胎盤を煎じて日に三回飲む(神経衰弱に効くと言われています)
○人肉の粥を食べる(肺病に効くと言われています)
○美人の月経の血を飲む(精神病に効くと言われています)
○犬の糞水を一日2~3回飲む(内腫症に効くと言われています)
○人糞を焼いて歯に含む(虫歯に効くと言われています)
○人の陰茎を食べる(ライ病に効くと言われています)
○雌犬と交接する(淋病に効くと言われています)
 また東京帝国大学を卒業後に朝鮮半島に渡り、朝鮮人の生活習慣、風俗、信仰などを調べた村山智順が著わした『朝鮮の鬼神』には、こんな民間療法も書かれています。
「流産したる時はその胎児を食せば産後の経過良好なり」「消化不良には豚糞を食せば直ちに消化す」
 他にもまだまだすごいものがありますが、このあたりにしておきましょう。
 これらの民間療法は併合以降、朝鮮半島から急速に姿を消しました。総督府が禁止を命じたという記録はありませんが、日本人が自分たちの感性に合わないということで、忌み嫌ったり、「そんなことをしても効かないからやめろ」と言った可能性は大いにあります(もしかしたら人肉食は禁じたかもしれません)。そのせいか現在の韓国ではほとんど行なわれていないようです。
 もし日本が何らかの圧力をもって、これらの民間療法を根絶に追いやっていたなら、これも日本が韓国に謝罪しなければならないものの一つでしょう。

     童便軍 P96
 李氏朝鮮時代には、「童便軍(どうべんぐん)」というものがありました。
 これは内医院(ネイウオン)に属した少年の奴婢(奴隷)で、薬用の小便を出す役目を持った存在です。 彼らは童便軍士とも呼ばれました。朝鮮の法『六典條例』によれば、童便軍士の定員は3名で、容姿端麗の少年(男児)が王宮に仕えたとあります。朝鮮医学の処方集『方薬合編』では、12歳未満の少年のおしっこは、虚労・頻尿・壮陽(=精力増進)・補陰(=漢方用語で口内や皮膚、目の乾燥を補う)・咽喉口舌の瘡腫(そうしゅ)などに、薬用効能があるとされ、これを調達するために所属させていました。
 新鮮な尿が良いとされていたので、王が旅するときは常に随行し、王が体調不良を訴えたら、すぐに排尿すべく訓練されており、足を冷水に浸すと尿意を催すように条件反射づけられていました。
 ちなみに子供の小便は漢方医学では一般に薬用とされているので、これも中国から伝わったものかもしれません。日本でも戦国時代には、戦場の療法の一つとして、兵が自分の尿を飲んだという記録が残っています。しかし江戸時代以降はそういう風習はなくなったようです。
 ただ、日本でも最近、自分の尿を飲む「健康法?」があるらしく、もしかしたら併合時代に朝鮮から日本が学んだ文化であるかもしれません。もっとも、いくら体にいいと言われても、私は飲む気はしません。

     トンスルについて P97
 朝鮮半島では昔から、人の排泄物を薬用として利用してきました。李朝時代の1613年に編まれた医学書『東醫寶鑑(トンイボガム)』にも、大使や小便を使った生薬が何種類も書かれています。たとえば「毒キノコ中毒になった時、人糞を一升食べさせる」と書かれてあり、朝鮮の昔の歌手がのどを通りをよくするために人糞水を飲んだという話も伝わっています。人糞を使った薬は後に民間療法となって広まりました。 「トンスル」は人糞を原料にした薬用酒ですが、もしかしたらその流れで生まれた酒かもしれません。古来、骨折や打撲や腰痛に効果があるとされてきました。
 地方によって様々な製造方法がありますが、そのいくつかを紹介しましょう。
○竹筒に小さな穴を開け、松葉でその穴を塞ぎ、汲み取り式の便所の中に3~4ヵ月入れておく。すると竹の中に液が溜まるので、それをマッコリと混ぜて熟成させる。
○幼児の大使に水を混ぜ、丸一日発酵させ、炊いた米と酵母と糞尿を混ぜて酒にする。
○赤ちゃんの排泄物を焼いたものに、複数の「韓薬」を酒に混ぜて作る。
 簡単なものは、田舎の汲み取り式便所に竹を差し込んで、竹の中に入った排泄物に酒を入れて混ぜ合わせて飲むそうですが、急ごしらえのトンスルは効果も弱く、臭みもきついので飲みづらいと言われます。
 またトンスル以外にも、乾燥させた人糞を焼いて水に溶かした「野人乾水(ヤイゴンス)」という薬もありました。これは「傷寒発狂」(腸チフス)からくる循環器系の疾患および意識障害のときに用いる三番目の薬と言われています。テレビドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』で有名な15~16世紀の李氏朝鮮時代の女医、大長今(テジャングム)が王に解熱剤として処方したことで知られています。ちなみに「発狂」に対する最も厳しい治療法は「火却法」と呼ばれるもので、火の中に顔を突っ込んで鼻の穴から炎を吸い込むという凄まじいものです。まあ、正気ならとてもできない治療法です。
 総督府がトンスルを禁じたという記録はありませんが、糞尿に嫌悪感を持つ日本人が忌み嫌い、かつ馬鹿にした可能性は高いと思っています。トンスルが併合後に急速に消えたのは、あるいはそのせいかもしれませ ん。
 トンスルは現在の韓国ではほとんど作られてなく、飲む人もいないということです。ネットニュースやタブロイド紙には、今も韓国の一部には愛飲者が根強くいると書かれていますが、真偽のほどはわかりません。


「主権を奪った」という勘違い

    清への服従は絶対 P103
 そもそも朝鮮には主権というものは初めからありませんでした。  朝鮮はずっと長い間、中国の属国でした。これは当時の世界の常識でした。また李氏朝鮮の古い国旗には「大清国属」(清の属国)と書いてあります(清の李鴻章によって編纂された『通商章程成案彙編』に収録された太極旗は、清の国旗、軍旗、商船旗の後に位置付けられています)。
 第一章の「教育の強制」のところでも書きましたが、世宗(セジョン)がハングルを広めようとした時、インテリたちは「昔から、中華の土地では、風土が異なっても方言を文字にした例はない」と言って反対しています。また李王朝が誕生した時は、宗主国であった明の元号を使っていました。他にも朝鮮は中国の属国であると彼ら白身が認めている文献はいくらでもあります。
 また気の毒なことに、朝鮮は中国の属邦の中でも下位だったのです。17世紀ごろの中国の宮廷のことを描いた『渓陰漫筆』には、「天朝(中国の皇帝)の朝賀の席でも、他の属国の使臣が赤色の礼服を着ることが許されていたのに対し、朝鮮の使臣だけは黒色の丸首の衣であった」と書かれていますし、また「琉球の使臣は駕龍に乗って宮廷に入ることが許されていましたが、朝鮮の使臣は駕龍に乗ることを禁じられていた」(『韓国は日本人がつくった』黄文雄著・徳間文庫)とも書かれています。実際、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いています。
 さらに李氏朝鮮には宗主国の清に対して守らなければならない厳しい規則がありました。
一、朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
二、朝鮮国内の事件はすべて清の皇帝に報告しなければならない。
三、朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
四、朝鮮国王の地位は、清の廷臣よりも下。
五、朝鮮政府には貨幣の鋳造権はない。
六、朝鮮政府には、清に食糧や兵隊を要求する権利はない。
七、朝鮮は毎年、清に細かく定められた穀物と、牛三千頭、馬三千匹、各地の美女三千人を選抜して貢がなければならない。
 まあ実に厳しいものですが、これを見ても朝鮮に主権があったとはとても思えません。清への服従は絶対的なもので、朝鮮国王が清の皇帝に奉呈した貢文の中に、たった一カ所気に入らない言葉があっただけで、朝鮮国王は銀一万両を罰金として支払わされたという記録があります。
 漢城には昔、清の使者を迎える「迎恩門(ヨンウンムン)」がありました。清の使者が来ると、朝鮮国王は自ら出向き、「三脆九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」で迎えました。
 三脆九叩頭とは、まず「脆(ホイ)」の号令で地面に土下座し、「一叩(イーコウ)」の号令で、額を地面に叩きつけます。「二叩(ツァイコ―)」の号令で、もう一度それをやり、「三叩(サンコー)」の号令で、さらにそれをやります。そして「起(チー)」の号令で立ち上がります。この一連の動きを合計三度繰り返すので、「三脆九叩頭の礼」と名付けられました。国王が使者に対して、ここまでへりくだっていたのです。ちなみに「三脆九叩頭の礼」をやり終えると、王の額は血まみれになっていたそうです。
 ちなみに「朝鮮」という国名ですが、高麗を倒して王位に就いた李成桂が国号変更を考え、「朝が静かな国」という意味の「朝鮮」と、「平和の国」という意味の「和寧」の二つを候補にして、明の皇帝に選んでもらったところ、「朝鮮」が選ばれたということです。
 国の名前を自らつけることができないというのも情けないものですが、実はこの時、中国が「朝鮮」を選んだのは、「貢物(朝)が少ない(鮮)」という意味で選んだとも言われて います。

     日本が朝鮮に主権を与えた P107
 少し長い説明になりましたが、李氏朝鮮は中国の属国であり、主権国家ではなかったということがわかっていただけたと思います。
 さて、ここで併合前の話になりますが、当時は列強による「弱肉強食の世界」でした。とはいえ、実質はヨーロッパ列強によるアジアとアフリカ諸国への侵略です。アジアでは、他の国々が次々に植民地にされていく中で、かろうじて中国と日本だけが侵略を免れ、独立国家としてヨーロッパに対抗していました。
 しかしながら日本にとって朝鮮半島は、大陸から突き付けられたナイフのようなものでした。もしここをどこかの強国に奪われたなら、国防上の大きな危機です。そのために日本は朝鮮を中国の属国から独立させ、日本のように近代化して富国強兵国家にしようと考えました。要するに、朝鮮を強い国にして、日本の防波堤にしようと都合のいいことを考えたわけです。
 同じ頃、朝鮮国内でも、近代化を進めようとするグループが生まれました。しかし王族たちの間で権力争いが起こったり、また清か朝鮮に対する圧力を強めたりと、このあたりの歴史は非常にややこしく、短い文章ではとても書けません。
 結論から言えば、1895年に日本は朝鮮を独立させるために清と戦って勝利します。清と結んだ下関条約の第1条が「朝鮮の独立を清に認めさせる」というものでした。ここに朝鮮史上初めて近代国際法に基づく独立主権国家が誕生しました。李氏朝鮮は「大韓帝国」と名乗り、清国に対する貢献・臣下の典礼の義務などから解放されました。
 つまり朝鮮に主権を与えたのは日本だったのです。もっとも、これも朝鮮人に頼まれてしたことではないので、有難迷惑の一つであったかもしれません。
 この時、大韓帝国は屈辱の象徴であった迎恩門を壊して、代わりに「独立門」を建てました。ところが不思議なことに、現代の韓国では、これを「日本からの独立」を記念して建てられた門と思っている人が少なくないということです。なぜなのかはわかりません。
 ところで、大韓帝国はせっかく独立を果たしたものの、近代化や工業化は遅々として進まず、経済政策の失敗などで、逆に国が混乱するばかりでした。さらに日本にとって困ったことに、大韓帝国が今度はロシアに接近したのです。千年以上も事大主義(支配的な勢力に迎合して保身を図る姿勢)を続けてきた朝鮮にとって、ロシアが清に代わる宗主国と見えたのでしょう。当時は日本よりもロシアのほうがはるか強大な国でした。不凍港が欲しかったロシアにとっても、これは願ってもないことで、朝鮮半島にじわじわと侵入し、勢力を伸ばしました。
 朝鮮半島がロシアの支配下におかれれば、日本の安全保障にとっては極めて危険な状況になります。そしてついにロシアと日本が戦争になりました(日露戦争)。これも結局は朝 鮮半島を巡って起きた戦争です。もし朝鮮がロシアに接近しなければ、日露戦争は起こら なかった可能性が高いと言われています。
 日露戦争は欧米各国の予想を覆して、日本側の勝利に終わりました。そして戦争終了後の1905年、日本は諸外国の承認を得て、大韓帝国を保護国にします。
 ちなみに日清戦争前に漢城を占領した清軍を駆逐したのは日本軍であり、日露戦争前に朝鮮に進出したロシア軍を撃退したのも日本車でした。1866年の丙寅洋擾(へいいんようじょう)と1871年の辛未(しんみ)洋擾の小競り合いはあったものの、朝鮮人は自国を守るために外国とは戦わなかったのです。だからこそ、諸外国は日本が大韓帝国を保護国とするのを認めたのです。
 日本政府は大韓帝国に統監府を置きますが、最初は朝鮮を併合する意思はありませんでした。あくまで独立国として、日本の防波堤にするつもりでした。しかし近代化がまるで進まないどうしようもない朝鮮を見て、次第に併合論が高まりました。そして1909年、併合に反対していた初代統監の伊藤博文が朝鮮人テロリストに暗殺されて、一気に併合へ舵が切られました。
 また朝鮮人の中にも併合を歓迎する機運が高まっていました。そして1910年、両国政府の合意のもと、日本は大韓帝国を併合したのです。これは武力を伴ったものではありません。繰り返しますが、朝鮮政府も望んだものです。
 もちろん朝鮮人の中にも反対派はいましたが、どんな政策にも反対派はいます。一部の反対派がいたからという理由で、この併合が朝鮮人の意に反して行なわれたとは言えません。繰り返しますが、併合は朝鮮政府が望んだものだったのです。つまり朝鮮は自ら「主権」を放棄したとも言えます。
 ちなみにこの時、列強の国々からはどこも反対の声は上がりませんでした。むしろ好意的に承認したのです。それでも生真面目な日本は、列強の国々に外交官を訪問させて丁寧に説明しています。
 日韓併合はどこから見ても国際的に合法だったのです。それを百年以上も経ってから、「主権を奪われた」と言われても困るというのが実際のところです。
 これは歴史のイフですが、もし日本が朝鮮を併合していなければ、おそらく朝鮮はロシアの植民地になっていたでしょう。となれば、後に起こったかもしれない日露戦争は、日本にとっては極めて厳しい戦いとなっていたのは間違いありません。しかしそんな仮定は無意味です。歴史をやり直すことはできないからです。
 ここで私か述べたいのは、「日本は決して朝鮮の主権を奪ってはいない」ということです。むしろ朝鮮史上、初めて主権を与えたのです。後に、併合で、それを取り上げる形とはなりましたが、それさえも決して力ずくで取り上げたわけではありません。  したがって現代の韓国人が主張する「主権を奪った」というのは、大いなる勘違いと言 わざるを得ません。


「日本文化のルーツは韓国だ」という錯覚

     反省すべきは日本P166
 ここまで韓国人の無茶苦茶な主張を述べてきましたが、この章の初めに書いたように、彼らを責めるべきではないと思っています。
 実は韓国には誇るべき自国の文化がほとんどありませんでした。韓国の中にある文化のほとんどは中国や他国のものでした。この本で何度も紹介するイザペラ・バードは『朝鮮紀行』でこう書いています。
 「ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡はわずかしかないし、公園もなければ、コドゥン(筆者注・王の行列)というまれな例外をのぞいて、見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく……」(時岡敬子訳)
 またこういう記述もあります。 「商店も概してみすぽらしいのは同じである。在庫品全部を買っても6ドル程度の店がたくさんある。(中略)安価な灯油ランプ、手鏡、安物くさい花瓶などといった外国製の不要品からいちばんくだらないものばかり選んできたような品々は、どれをとっても悪趣味のきわみとしかいいようがない」(同前)
 かつて幕末から明治にかけて日本にやってきた西洋人たちは、日本独特の優れた文化に触れて非常に感動しています。日本人が反故(ほご:ごみ)にしていたような浮世絵まで競って購い、祖国に持ち帰りました。茶器を入れた茶箱に貼られた紙にまで美しい絵が描かれているのを見て唸ったほどです。李朝末期の朝鮮から西洋人がこぞって持ち帰ったものはほとんどありません。
 悲しいことに朝鮮には独自の文化がほとんどなかったのです。唯一の食文化キムチでさえも、赤唐辛子は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に日本から入ってきたものと言われています。
 日韓併合時代、優れた日本文化が次々に入ってくるのを見て、彼らはどれほど羨ましく、また情けない思いをしたことだろうと考えると、胸が痛みます。日本人はよかれと思って、いろいろなものを朝鮮人に与えましたが、彼らの内心の屈辱感を想像した人がいたのでしょうか。
 併合時代に日本人が朝鮮人に与えたものは数多くありますが、実はその一番大きなものは「劣等感」ではなかったかと思います。35年間にわたる併合時代に、朝鮮人は嫌というほどそれを刷り込まれたのではないでしょうか。このコンプレックスを跳ね返すためには、「優れた文化と思っていたものが、実は朝鮮が発祥だった」と思うしかなかったのかもしれません。それを思うと、あらためて日本の統治時代の過ちの大きさに慄然とします。そして本当に心から韓国に謝罪しなければならないと思います。
 しかしながら、現代の韓国人たちのコンプレックスの晴らし方は正しいものではありません。事実でないことを世界に訴えるのは間違っています。私たちは勇気をもって、韓国人たちに「あなたたちは間違っている」と言わなければいけません。もちろん、その前には、深い劣等感を植え付けてしまったことを、誠意をもって謝罪しなければならないのは当然です。
 最後にひとつ、韓国人が「朝鮮がルーツだ」という究極のものがあります。それは「日本は朝鮮人が作った」というものです。これを怒ってはいけません。そんな妄言を吐くまで劣等感を植え付けた私たちこそ反省すべきなのです。

   追記
韓国が「朝鮮が発祥である」と言っているものは、日本文化だけではありません。
 たとえば、『大朝鮮帝国史』には「黄河文明もメソポタミヤ文明も韓民族によって起こった」と書かれています。培材(ペジェ)大学の孫成泰(ソンソンテ)教授は、朝鮮民族が紀元前にベーリング海峡を渡って、アステカ文明とインカ文明を建設したと主張しています。また世界最古の文明と言われるシュメール文明も韓民族が作ったと言う人もいます。面白いところではイギリス人の先祖も朝鮮民族であるという説もあります。
 世界史に登場するチンギス・ハーンやアッティラなどの有名人も実は朝鮮人であったといいます。唖然とするのは、孔子やキリストも朝鮮人であったという主張です。
 また世界の発明も実は朝鮮人が初めてだという説も枚挙に暇がありません。世界初の飛行機はライト兄弟ではなく、それよりも三百年も前に、朝鮮人が「飛車」という飛行機を飛ばしたと主張しています。韓国人によれば、「ロケット」も「紙」も「羅針盤」も「印刷技術」も、実は朝鮮人が最初に発明したということです。これらは素人が思い付きで言っていることではありません。韓国のれっきとした大学教授が様々な文献を引っ張り出して大真面目に主張していることです。
 近年、「漢方」も朝鮮がルーツであるとして、世界文化遺産に登録しようとして、中国医学界と論争を起こしています。極めつきは、「世界のあらゆる言語が朝鮮語を元にしてできた」という主張です。
 ところが上には上があるもので、北朝鮮は「人類の起源は朝鮮人である」(黒い山葡萄原人説)と主張しています。
 もはや、ため息しか出ません……。


あとがき

 この本を読 この本を読まれた皆さんは、いかに日本が併合時代の韓国にひどいことをしてきたかがおわかりになったことと思います。自分で書いていても、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。
 「七奪」と「従軍慰安婦の強制連行」は韓国人の勘違いですが、それ以外のことについては謝罪の言葉を百万言費やしても足りません。
 評論家や学者の中には、「日本は併合時代に朝鮮に対して多大な貢献をした」「朝鮮の発 展に大いに寄与した」とおっしゃる方がいますが、それは傲慢極まりない言い方です。
 たしかに併合時代に日本が行なった数々の施策や投資が、朝鮮を大いに発展させたことは歴然たる事実です。これを否定することは誰にもできません。しかしそれは朝鮮人が望んだことではありません。彼らが学校を建ててくれと頼んだのでしょうか。ハングルを教えてくれと頼んだのでしょうか。川に橋を架けてくれと頼んだのでしょうか。鉄道を走らせてくれと頼んだのでしょうか。ダムを作ってくれと頼んだのでしょうか。近代的農業を導入して収穫を増やしてくれと頼んだのでしょうか。人口を倍にしてくれと頼んだのでしょうか。
 すべて否です。
 本文でも繰り返し述べてきたように、それらは全部、日本人が頼まれもせずに勝手にやったことです。こういうのを「余計なお節介」「要らぬお世話」と言います。「未開の国を近代化させた」というのは、事実であっても免罪符にはなりません。
 今からでも遅くはありません。日本政府は、私かこの本に書いた、併合時代に総督府が行なった悪行の数々を正式に謝罪するべきだと思います。この謝罪なくしては、日本と韓国(そして北朝鮮)との真の友好はないでしょう。
 ただ、最後に一言だけ申し上げたいことがあります。
 それは戦後、一部(あくまで一部ということにしておきましょう)の朝鮮人たちが半島にいた日本人に対して行なった鬼畜の如き所業です。殺人、強姦、暴行、略奪――それはもう言語に絶する残虐なものでした。とくに多くの婦女子に対して行なったむごたらしい仕打ちを、私はとても冷静に書くことはできません。怒りと悲しみで精神が崩壊しそうになるからです。同時期、日本にいた朝鮮人たちの一部が日本人に対して行なった犯罪のひどさも同様です。どれほど多くの日本人が殺され、女性が強姦され、そしてどれほど多くの土地や家屋が奪われたかしれません。
 併合時代における朝鮮人たちの怒りは理解できます。しかしその怒りを罪もない市民や婦女子にぶつけることは許されることではありません。
 戦後、朝鮮半島と日本国内において、朝鮮人が日本人に対して行なってきた凄まじい暴力の数々は長らく歴史のタブーとして、公に語られることはありませんでした。しかしそれらの記録は厳然と残っています。いずれ機会が来たならば、書くことになるでしょう。

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