「カエルの楽園」が地獄と化す日

「カエルの楽園」の著者である百田尚樹さんと石平さんの対談本です。

「カエルの楽園」が地獄と化す日

 百田尚樹さんの「カエルの楽園」は日本国を題材にした寓話ですが、衝撃的な内容と示唆の深さに感心し、読み入ってしまいました。一部では「予言の書」とまで評されたのだそうです。

  その「カエルの楽園」を読んだ石平さんと百田さんが対談した内容をまとめたのが本書『「カエルの楽園」が地獄と化す日』です。
百田さんの寓話が現実のものとなれば、 ツチガエル(日本人)が暮らすナパージュ(日本)は地獄になるだろうという、恐ろしい対談です。
 順番的には、「カエルの楽園」を読んだ後に本書を手にしたほうが良いと思います。
 文庫本も出ていますよ。

 中国生まれの石平さんによる中国・中国人民の思考パターンや行動様式の解説も興味深く参考になります。

 『「カエルの楽園」が地獄と化す日』を紹介するために、以下に目次などをコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
 

「カエルの楽園」が地獄と化す日


 


目次

はじめに(石平)

第1章 戦わずして尖閣を奪われるシナリオ
 人目をはばからず涙を流した
  軍が侵入してきた
  中国は日本の報道を見て、侵略を加速させている
  中国、北朝鮮は戦争を起こさない、悪いのは安倍政権
  自分たちの逆立ちした考えに気づかない
  沖縄・反基地闘争とリンクする中国の動き
  「侵略してもOK」と中国に確信させた、六月のマスコミ論調
  国益追求の厳しさを知らない善良な日本人
  地獄への道は善意で舗装されている
  信ずる者は救われない 

第2章 中国はなぜ日本侵略を企むのか
 人が住めない環境、暮らせない社会
  生存空間とは何か
  最下層の流動人口、「男余り」、無戸籍者
  海洋強国建設の狙い 

第3章 チベット、ウイグルで見た恐ろしい支配の実態
 中華帝国と戦った異民族を取り込み、版図を拡大してきた歴史
  日本人は「消滅すべき民族」
  チベットで起きた虐殺と民族浄化
  ウイグルで起きた虐殺・核実験と民族浄化
  虐殺で権力を握った中国共産党史
  残酷殺人という伝統 

第4章 沖縄「独立」を足がかりにした侵略
  なぜ沖縄が大切なのか
  全面戦争は絶対に避けたい中国
  米軍を足止めできれば、すぐに尖閣は奪われる
  問題はやはり、日本のマスコミ
  日本の総理大臣は決断できるか
  沖縄の切り離し工作が進んでいる
  日本は「琉球独立」を容認する 

第5章 日本が中国に占領されるとき
  アジアのルールは中国が決める
  史上もっとも安全な時代に、最大の軍拡に走る異常な国
  日本を守ることに反対するおかしさ
  狙い目は日本のマスコミ論調
 沖縄独立後に何が起きるか―シミュレーション①
 沖縄の次は九州―シミュレーション②
 賠償請求と「詰めの一手」―シミュレーション③
 日本占領―シミュレーション④
  すべての「反中勢力」の肉体的消滅と徹底的な経済搾取
  日本人の奴隷化と強制移住
  待ち受けている地獄 

おわりに(百田尚樹)
 


国益追求の厳しさを知らない善良な日本人

<『カエルの楽園』の一部内容>
  ツチガエル(日本人)が暮らすナパージュ(日本)に亡命してきたアマガエルのソクラテス(客観的な視点)が、三戒<憲法第9条>を守ることで楽園が保たれると信じているナパージュの異様さに疑問を抱く。 そのナパージュはウシガエル(中国)に占領されてしまう。


石平 私が『カエルの楽園』を読んで、“デイブレイク<サヨク思想・戦後自虐史観>”よりもさらに日本らしいと思ったのは、“ローラ”というメスのカエルです。物語で最初に登場したツチガエルであり、最後に登場するのも彼女。手足をもがれて死んでしまいますが、ある意味、私のなかで一番悲劇的だと思い、心を打たれた登場人物です。普通すぎるキャラクターですが、しかし、日本にいると周りの女性がみんな“ローラ”に見えてくることがあります。

百田 はっはっは(笑)。

石平 命からがら逃げてきた、ソクラテスたちアマガエルが、ナパージュ<日本>で最初に出会ったのはローラでした。 「あなたたちはどうして、生まれた国から出てきたの?」 「ダルマガエルがやってきて、ぼくたちアマガエルを食べるのです」 「じゃあ、食べるのをやめてもらえばいいんじゃないの?」 「やめてくれないから、ぼくたちが出たのです」 「そんなおかしな話ってあるかしら」  日本以外の国の人は、このやり取りがピンとこないでしょう。しかし、日本で生活している女性たちはおそらく同じような感覚で、中国や北朝鮮には悪いことをやめてもらえばいいじゃん、と思っているでしょう。

百田 頼めばやめてくれると思っているんです。根が善良で、無知なのです。安保法制の時にも、シールズの学生が言いました。「中国軍がやってきたら、一緒に酒を飲んで歌を歌って戦争を止めます」と。「これが本当の抑止力だ」と。

石平 そういえばテレビで室井佑月さんも、それに近いことを発言されていました。攻められた時にやめてくださいと言えばいいんじゃないんですか、と。

百田 無抵抗で殺されればいいんだ、と言う人もいます。森永卓郎さんは、自分は徹底して無抵抗を貫く、殺すより殺されるのを選ぶ、とおっしゃってました。やくみつるさんも、徹底して無抵抗を貫いて奴隷になってもいいんだ、と。

石平 本人が殺されるのはかまいませんが、それを周りに強要するのは困るんです。自分の信念を他人に強制しないでほしい。あなたが殺されたいなら勝手にそうすればいいけれど、国家・国民全体を語る時にその議論を持ち出して自分と同じ考えになれ、というのはあり得ません。一億二千万人の日本人がみな殺されることになっても諦めるしかないというのは、カルト宗教でしょう。

百田 「私は死にます、みんなで一緒に死にましょう」・・・自分の信仰を人に強制しないでもらいたい。これは言い換えれば、無理心中です。

石平 自分たちの生き方が正義であり、素晴らしい理念だと信じ込むと、みんなこれを守らなければならない、と勘違いしてしまいます。結局、「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」というナパージュの「三戒<憲法第9条>」と同じことになりますね。

百田 さらに言えば、現実感、リアリティがない。本当は頭のどこかで、まさか殺されることはないだろう、と思っているのでしょう。現実を知らなさすぎます。心の底では、自分の娘が凌辱されるとは思っていない。想像の世界で、美しい理想論を述べているだけです。ただし、そういう空虚な平和主義しか発言を許されないのが、日本のいまのテレビ界なのです。

石平 それが、何千万人ものローラを日本中につくりだしている。中国人から見れば、ローラのような精神状態は、はっきり言って羊と同じです。オオカミが食べたいときは、いつでも襲って食べることができる。無防備で危機感がない。オオカミすら信じてしまうような存在。

百田 オオカミに食べられかけても、まだ「ひどいことにはならない」と信じている。もうすでに自宅まで侵入されているのに。

石平 私はうちの子供に、一歳の頃から絵本を読み聞かせています。嫁がご飯を作る間、絵本を読むのを日課にしているので、よく絵本を買います。本屋さんで、手あたり次第に目についたものを一度に5~6冊。またたくさん買ってきたのか、と時々女房に怒られるんですが…。そんな絵本の一冊に、オオカミの話がありました。いちいち内容をチェックしないので、教訓的な童話だと思って買ったんです。悪い人がいるから、ちゃんと自分の安全を考えて簡単に信じてはいけない、という話だと。 ところが違いました。この絵本を半分読まないうちに、私は捨ててしまった。息子にこれ以上読ませられなかった。 なぜかというと、オオカミは友達であり、友達にならなければならないというストーリーでした。一匹のオオカミが周りの羊から嫌われている。オオカミがかわいそう、悪いのは羊たちだ。なぜならオオカミに偏見を持っているから。 オオカミは実は優しい心の持ち主で、物語の最後、羊を助けることになり、羊たちはオオカミに感謝して、一緒にご飯を食べて歌うんです。こんな幼稚極まりない世界観を息子に吹き込んではいけないと思って、読むのを途中でやめたのです。

百田 日本文化は、本当にそれ一色に塗り潰されてしまいましたね。敵はいつも近くにいる、という意識がなくなってしまった。

石平 この絵本を描いた人も、ある意味ではローラなのです。

百田 戦後の“デイブレイク”教育を受けると、そういう善良で無知な人間が大量に生まれます。

石平 つまり、戦後の日本では“デイブレイク”が無限増殖したわけですね。一番上位で権威を誇っている組織は朝日新聞でしょう。大学もそうかもしれない。そこから個人に降りていって、絵本作家まで単一の考えに染まっている。 私は子供に、オオカミでも誰でも信用しなさいというストーリーを読ませられません。そんな教えは、子供の人生を台無しにしてしまう。しかも、オオカミが怖いのは偏見だなんて。日本の対中世論と同じ構造ですよ。中国が侵略してくる、そう考える我々の思考そのものがいけない、そういう発言は控えるべきだ、ということになるでしょう。

百田 私は比較的、寓話を好んで読んできまして、特に気に入っているものに、17世紀フランスの『ラ・フォンテーヌの寓話』があります。これは、ヨーロッパにある古い寓話を何百と集めたものです。そのなかにオオカミが登場する、私の好きな話がひとつあります。オオカミが森のなかの川で、水を飲んでいる子羊を見つけます。「俺様の水を汚したな」。子羊は弁明を試みます。「私のところからあなたまで20歩も離れています。しかも私は川下にいます」「お前は去年、俺様のひどい悪口を言ったな!」「誓って真実を申します、私はその頃、まだ生まれていません」。するとオオカミは、「では、お前の兄貴だ」「私には兄はおりません」「なら、お前の身内の誰かだ。この復讐はせねばならない」。そう言ってオオカミは子羊を食べてしまいます。この寓話が伝えている真理は、「暴君や強い奴の言い分はどこまでも通る」ということなんです。悲しいですが、これが現実です。

石平 そのとおりです。オオカミの言い分と行動は中国そのままですね。日本に対しての言い方も同じです。まず「尖閣は俺たちのものだ」と言う。尖閣は昔から正式の手続きで編入されたものだと反論されると、「うるさい!俺たちの遠い昔の先祖が住んでいた」と言い返す。そんな事実はない、船で近海を通っただけだと日本が反論すると、最後は「お前たちは昔中国を侵略したじゃないか!」と関係ない話を持ち出してくる。

百田 もうひとつ、『ラ・フォンテーヌ寓話』で好きな話があります。ある冬の寒い日のこと、農夫は凍えて死にそうな一匹のヘビを見つけます。彼は可哀想に思い、ヘビを拾い上げて自分の懐に入れてあげました。 ヘビは温まるや元気を取り戻して、本性を顕わにして命の恩人に噛みつきました。農夫は今際の際にこう叫んだ。「おお、これも悪党に哀れみを与えた、当然の報いだ!」。つまり、この寓話が伝える教訓は「助けてはいけない奴は、やはり助けてはいけない」ということですね。 私はこの話を読むと、戦後、日本が夥しいODAで中国を援助してきた歴史を連想します。日本のおかげで経済発展をとげた蛇は、今、日本に噛みつこうとしています。

石平 非常に深いお話です。これも日本の〝デイブレイク”たちにかかれば、善良なヘビの本性を現して農夫と幸せに暮らしました、などとするか、ヘビが襲ってきても絶対に抵抗しないで殺さなかったことが何よりも尊い、と結論づけて完結する。それが戦後の日本人にとって、最も共感が得られる筋書きかもしれません。

百田 そうですね。欧米の寓話というのは、ある意味で残酷な真実を描いています。

石平 だからといって欧米人に善意がないとか、人権を大事にしないわけではない。むしろ人権概念は欧米から生まれたものです。しかし他方で、現実世界の厳しさも子供にきちんと教える。それで初めて、健全な精神が育っていくのです。

百田 先日、ツイッターで面白い投稿を見つけました。なかなかいいことを言っているのです。 キッシンジャー「国家に真の友人はいない」 マキャベリ「隣国を援助する国は滅びる」 チャーチル「わが国以外は仮想敵国である」 西洋人は、このあたりの感覚がものすごくシビアですね。

石平 健全な国家観です。現実はまさにそのとおりです。

百田 ですから、こういう認識をまずしっかり持ったうえで、友好関係を築こうとするのが外交です。

石平 そのとおりです。それで初めて、バランスのとれた外交戦略が可能になる。戦後日本人の現実を無視した絵空事の考え方は、まず「相手の善良を疑ってはいけない、信頼せよ」からすべてが始まるわけです。

百田 日本国憲法の前文に、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてありますから。つまり自分たちの生存と安全は、周りの国々の公正と信義を信頼して委ねます、と言い切ってしまった。この精神が70年間かけて、日本人に染み付いたわけです。

石平 その意味では、憲法の改正は9条さえ変えればいいという問題ではなく、日本人の精神全体に毒が回ってしまったこと。たとえば憲法前文の精神と、先ほどのオオカミと友達になれると書く絵本はメンタリティが共通しています。日本国民の現実認識、リアル世界の政治で持つべき警戒心、民族の生存の本能すべてが、憲法の精神によって麻痺させられたわけですね。

百田 戦後、アメリカ軍(GHQ)が日本国憲法を押し付けたことで、日本人の精神が変えられてしまいました。

石平 宣伝工作による思想改造は大成功だったわけですね。アメリカ人はすごい。

百田 アメリカは徹底的に自虐史観を植え付けた。悪いのは日本人、お前たちがあんなひどいことをしたから東京大空襲を受けた。あんな侵略戦争をしたから広島・長崎に原爆が落とされた。だから誰も恨んではいけない。悪いのはお前たちだ。 すると、いつの問にか日本人も「自分たちが悪かったんだ」と思うようになって、広島の原爆碑に「過ちは繰返しませぬから」と書く

石平 あの文章をアメリカ人が読んでも、誰が誰に言っているのかわかりません。

百田 過ちは繰り返しません、と日本人が日本人にあやまっているんです。私達が愚かな戦争をしたから、あなたたちが原爆の被害者になりました、ごめんなさい、と。戦後日本は、自分たちが過ちを犯した、徹底して自分たちが悪い、と考えてきた。 日本はいくつか、深刻な国際問題を抱えています。中国相手の南京大虐殺。韓国を中心とした慰安婦。それから靖國参拝。これらはすべて、朝日新聞が火をつけて炎上させたものですが、日本人が事実と違うことを唯々諾々と受け入れてしまったのは、自虐史観を植え付けられてきたからです。つまり、自分たちは昔、悪いことをした、という意識があるから、朝日新聞が書くと、自分たちの祖先はこんな悪いことをしたんだ、とそのまま信じてしまったのです。南京事件だって、本当は大虐殺なんて存在しなかった。 でも朝日新聞がキャンペーンすると、日本人は、あ~自分たちの父や祖父たちはそんなに悪いことをしたのか、悪かった悪かったと条件反射で考えてしまうんです。

石平 すると、現実にどんなことが起きても徹頭徹尾、自分たちが悪いからだと考えるわけですね。

百田 ですから今回の中国の軍事行動についても、日本人はとにかく日本が悪い、安倍内閣が悪いことをしたせいだ、とまず考えてしまうのが習い性になっている。

石平 それが、先に引用した沖縄タイムスの社説。安倍政権が南シナ海問題に口を出したから、G7サミットやアジア安保保障会議で中国を批判したから中国が尖閣に来てしまった、悪いのは日本だ、ということになるわけですね。 ナパージュの楽園は「三戒」ともうひとつ、「謝りソング」で成り立っていることがよくわかりました。「我々は、生まれながらに罪深きカエル/すべての罪は、我らにあり/さあ、今こそみんなで謝ろう」という歌ですね。

百田 そう、「謝りソング」は日本中を覆い尽くしています。日本人は皆、無意識のうちに自尊心ならぬ「自虐心」をどこかに持たされているのです。

石平 むしろ自虐心を持つことが良識ある日本人の条件。良心の持ち主の証明になる。

百田 善良な日本人なら自虐心を持つのは当たり前、常識と見做されている。だから本当に根が深い問題なんです。 本来、自虐が知的であるかのように洗脳されていなければ。20万人が強制連行されて慰安婦にされたと聞いたり、日本軍が南京で30万人の非戦闘員を虐殺したと聞かされても、「ウソや!日本人はそんなことせんやろ!」と素直に反応するはずなんです。あるいは、「真実だと証明できるのか?」「証拠はあるのか?」と言うはずです。ところが、自分たちは悪いという価値観を問答無用で植え付けられているから、ほとんど条件反射で「あ~日本人はそんな悪いことした」と考えるのが当たり前のようになってしまった。疑問を呈することさえ許されない空気が支配している。 完全に捏造なのに。チンピラに言いがかりをつけられたらバーンとはねのけて当然なのに、戦後生まれの日本人はその勇気がなかったんです。
 


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