沖縄の不都合な真実

沖縄基地問題の根深さ・複雑さに、驚かされました・・・

沖縄の不都合な真実

これまで沖縄には3回行きましたが、4回目はどうしようか・・・。
本書によって、目に映る南国の美しい自然からは想像もできないことが繰り広げられていることを見せつけられると、再訪したいという気持ちも萎えてしまいそうです・・・ ^^;)

沖縄の基地問題はネット番組などをきっかけに関心を持ちましたが、本書を読むと問題なのは基地だけではないことが理解できます。
今も続く米国による宣撫政策、地元業者・県や市町村行政・政府が絡み合った利権構造、被差別意識を煽る沖縄・日本分断工作など・・・、様々な謀略が行われているようです。

さらにネット上では外国勢力による基地反対運動への浸透、工作活動も指摘されています。
本書は2014年頃までのことを纏めてありますが、 そこにはネット上で指摘されている外国勢力の暗躍は書かれていません。
2014年の段階ではそういうことが無かったのかどうか、あるいは承知のうえで書かなかったのか、気になるところです。

 大久保潤さん篠原章さんの「沖縄の不都合な真実」を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

沖縄の不都合な真実 大久保潤 篠原章

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沖縄の不都合な真実 (新潮新書) [ 大久保潤 ]
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目次

 序章 沖縄はこれからどうなるのか 9
現実はきわめて複雑である / 「心」「平和」以外の議論を / 「総意」とは何なのか / 沖縄ナショナリズム / 翁長知事当選の示すもの

 第一章 普天間間題の何か問題なのか 26
普天間問題とは何か / 普天間を巡る利権の構図 / なぜ政府は辺野古移設にこだわるのか / 建設会社の代理戦争だった衆院沖縄一区 / 振興策というエンドレスゲーム / 新たな取引材料となる「自衛隊配備」 / 「海兵隊の代わりに自衛隊を」でも変わらぬ本土依存 / 税金の還流システム

 第二章 高まる基地への依存 54
活発な普天間誘致の動き / 基地返還に反対する名護市 / 辺野古の分断 / なぜ「基地を返さないでほしい」という声が出るのか / 今も続く「ギブーミー・チョコレート」 / 米軍にとって「居心地のいい」沖縄 / アメリカの戦略的支配からの脱却 / 軍事基地の83パーセントは本土にある / 基地被害を都道府県レベルで比較するナンセンス

 第三章 「基地がなくなれば豊かになる」という神話 77
誤解を与える「経済効果」という概念 / 「年率14パーセント」という空想的な経済成長率の根拠 / 驚くべき計算過程の欠落 / 基地がなくなっても豊かにはなれない

 第四章 広がる格差、深まる分断 90
「下流の宴」の実態 / 振興策は大企業のみを潤す / 日本一の階級社会の実態 / 「結」(ゆい)の崩壊/琉球大OBという「支配階級」 / 辺野古も高江もエリート同士の戦い / 左翼がいない不幸 / 権力べったりの新聞 / 辺野古に仕事を / 分裂前夜

 第五章「公」による「民」の支配 118
反戦平和の島・癒しの島の貧困 / 「全国最低の県民所得」が意味するもの / 深刻な所得格差 / 公務員は沖縄の富裕層 / 百姓二人が士族一人を養った琉球時代 / 革命的な公務員改革だった「琉球処分」

 第六章 本土土つくったオキナワイメージ 139
沖縄の声を支える本土の知識人 / 大江・筑紫的沖縄観を自ら振る舞う沖縄人 / 「戦争と基地の島」という幻想 / 「自然の楽園」という幻想 / 「応援しよう」という根本的な傲慢

 第七章「沖縄平和運動」の実態と本質 151
普天間基地ゲート前の示威行動 / 沖縄平和運動センター / 基地反対運動を動揺させた普天間基地返還合意 / 県民投票はなぜ行われたのか / 「基地反対集会に10万人」の真偽

 第八章 異論を封殺する沖縄のジャーナリズム 174
ドキュメンタリー作家・上原正稔 / 「パンドラの箱」事件 / 大江賠償訴訟 / 訴訟になった「パンドラの箱」 / 「パンドラの箱」を報じないマスコミ / 自費出版拒絶問題

 第九章「構造的沖縄差別論」の危うさ 194
「沖縄人」と「日本人」 / 「部落解放同盟」の機関誌で展開 / 沖縄内部の矛盾を覆い隠そうとする知識人たち / 構造的差別論を支持する「日本」の識者

 あとがき 211
  


沖縄ナショナリズム

 私たちは、沖縄のこうした風潮を「沖縄ナショナリズム」の表れだと考えています。ナショナリズムは沖縄にかぎらず、どこにでも見て取れるものですが、ときとして民族や国家の対立を煽り、人々を戦争に駆り立てる動因となってきました。日本の歴史的経験や、近年の東欧、中東、アフリカなどにおける不幸な事態を引き合いに出すまでもなく、ナショナリズムが、宗教対立と並んで世界が超克すべき課題であることははっきりしています。容易に超克できない課題であることも確かですが、超克のための努力を重ねる価値はあります。
 時計の針を戻すかのような沖縄のナショナリズムと、そのナショナリズムの発信元である、保革同舟の支配階層の存在を明らかにすることこそ、実は本書の最大のテーマとなっています。私たちは沖縄をある種の身分制社会と捉え、基地問題そのものよりも、沖縄のこうした現状を自覚し、そこから脱却する道を探ることこそ、沖縄の未来を、ひいては日本全体の未来を、明るく照らし出すことになると考えています。基地問題は沖縄の抱える問題を象徴はしていますが、問題の根っ子はそこにはありません。
 


普天間を巡る利権の構図

 これまで普天間基地の九州への移転が何度も模索されてきました。それが実現しなかった理由は、米国側の同意も地元の同意も得られなかっただけではありません。沖縄には県外移設を望む民意だけでなく、望まない民意もあるからです。普天間の県内移設は巨額の公共工事ですから、県外移設はその利権を失うことになります。普天間を巡る利権の構図がどのように生まれたのか。その経緯を見ていきましょう。
 1996年4月、日経新聞が「普天間基地全面返還に合意」というスクープを掲載しました。この段階では、まだどこに移設するかは決まっていませんでした。ただ普天間基地を全面返還することに日米が合意したというだけです。
 移設先探しの日米交渉は当初、外務省主導で進みました。この時の中心人物が、当時北米局審議官たった田中均氏です。普天間返還を含む基地の縮小計画SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意をまとめたのは田中氏です。ところが、この外務省主導の普天間移設は思うように進まず、打開を図るべく新たな指揮官となったのが、2003年から防衛庁の事務次官を務めた守屋武昌氏です。
 沖縄側のキーマンは建設会社、東開発会長の仲泊弘次氏でした。当時、県建設業協会副会長で県防衛協会北部支部長。東村出身のプロゴルファー宮里藍の後援会長でもありました。その大物ぶりは元旦の地元紙に載る企業トップの名刺広告からも窺えます。「謹賀新年」の下に「琉球銀行頭取○○」などと肩書きを伴った名刺広告が並ぶのですが、彼だけは「仲泊弘次」という名前だけなのです。
 「守屋さんと仲泊さんは蜜月関係」(名護市議)でした。当初案「辺野古沖2.2キロ」は「反対派の抵抗で頓挫した」ことになっています。しかし、実際の抵抗はごく小規模なものです。火炎瓶が飛び交う成田空港反対闘争を取材した経験で言えば、辺野古程度の抵抗で折れるほど政府はお人好しではないだろうと思います。当時、沖縄県警本部長には「本気度」を確認しましたが、警察庁から「反対派を排除せよ」という指示が出たことはないようでした。私は政府の「やる気のなさ」を確信しました。
 むしろ「最大のネックは技術的な問題と費用」(防衛施設庁幹部)でした。辺野古沖の現場海域は水深が数メートルから最大40メートルもあります。そんな複雑な海底地形の上に20メートルの高波にも耐える滑走路を建設することは「海洋土木の技術を駆使しても難しい」(同)のです。別の技術者は「二兆円かけても安全な飛行場をつくれるかどうか」と不安視していました。一方、当時の稲嶺恵一知事も、沖縄電力の会長だった仲井眞弘多前知事も「ペストの案だ」と言っていました。稲嶺知事は「閣議決定は大変重い。実現できなかったのは国の責任だ」と辺野古沖案が頓挫したことついて国を責めています。それぐらい沖縄政財界にとっては夢のプロジェクトだったのです。
 辺野古沖案を断念した守屋氏は「キャンプシュワブ内陸案」を画策し始めました。要するに、反対派が抵抗できないキャンプシュワブの内陸部に移設する案です。これは建設費用が格段に安い埋め立てゼロの案です。
 これに対し仲泊氏らは反発しました。東開発グループは埋め立てで潤う砂利会社も持っています。また、政府との交渉にも同行していた当時の末松文信副市長は、設計会社の経営者でもある建設業界関係者です。
 地元の人たちが反発した理由を守屋氏は、埋め立て面積が減ったからだと率直に述懐しています。
 
「私は、沖縄の一部の人々に悪し様にいわれていることは承知している。それは『埋め立て面積が大幅に減る陸上案』をまとめ、その後もたび重なる浅瀬への移動要望を拒み続けたからだと思う」(『中央公論』2010年1月号)
 埋め立てが減る案に建設業関係者が反発するのは当然です。
 そして2005年の6月、仲泊氏は守屋氏に反撃を開始します。埋め立て面積が多い「浅瀬案」という変更案を、防衛協会北部支部長の立場で記者会見して提案したのです。
 この浅瀬案を米国も支持します。実は米軍は1960年代から浅瀬案そっくりの設計案を持っていました。仲泊氏は米国総領事にも根回しをします。岸本建男市長も同年9月に「浅瀬案容認」を表明します。
 こうして現在の県内移設案の原型が名護市主導でできあがりました。辺野古移設は守屋氏が環境保護を重視して内陸案を主張し、名護市は埋め立て面積が増える浅瀬案を主張する、奇妙な対立構図になりました。
 しかし、名護市と米国が連携する案に、守屋氏が抵抗しても勝ち目はありません。こうして名護市側の主張を受け入れてできあがったのが、滑走路一本の「L字案」と呼ばれる案です。
 ところが、これで終わりませんでした。岸本氏の後継の島袋吉和市長は、末松文信副市長を連れて何度も上京し「騒音を減らして欲しい」と額賀福志郎防衛庁長官に重ねて求めました。そして名護市の要望を受けてできあがったのが滑走路を二本にして埋め立て面積を増やす「V字案」という案です。回転翼機主体の基地の離着陸を二本に分けたところで騒音軽減には貢献しません。なぜこれが騒音軽減につながるのか訳がわかりませんが、それでもこのV字案が2006年に閣議決定され、現在も生きている日米合意案です。
 しかしまだ話は終わりません。次に名護市はこのV字を沖合にずらせと要求し始めたのです。これは水深が深い大浦湾の工事が減り、浅瀬の埋め立てが増える案でもあります。大浦湾は桟橋方式という高度な海洋土木技術が必要なので、本土の業者しか受注できません。建設場所が10メートルずれるだけで地元企業の受注額は億単位で変わります。移設場所と建設工法は沖縄側にとって決定的に重要なのです。
 これに対し名護市内部から反発の声が上がります。東開発のライバルである大手建設、屋部土建が「日米合意案を早く進めよう」という立場で東開発と対立しました。「守屋さんは当然、屋部土建に肩入れして反東開発の勢力を強めようとしました」(名護市の経済団体幹部)。こうして「守屋・屋部蜜月関係」が生まれました。
 守屋氏は那覇防衛施設局長に懐刀の佐藤勉氏を送り込みます。佐藤氏は「地元の久辺三区とはがっちりパイプを持っている」と自信を見せていました。躍進著しい屋部土建の支持派は、保守的な東開発派を「沖合移動で埋め立て利権を増やそうとする強欲な連中」という揶揄を込めて「沖出しグループ」と呼んでいました。そして、屋部土建VS東開発の代理戦争的な様相も呈した2010年1月の名護市長選で、反東開発派が推す稲嶺進市長が誕生します。
 県内移設の中心に東開発VS屋部土建の埋め立て利権争いがあることは、名護で話を聞けば多くの人が口にすることです。このカネを巡る県内の内部対立に対し、政府内にある対立構図が外務省と防衛庁の官僚同士の主導権争いです。
 この間の経緯について、主導権を守屋氏に奪われた格好の外務省は、「俺たちにできなかった問題を守屋に解決されてたまるか」という思いで見ていました。外務官僚から見ると、当時まだ「庁」たった防衛官僚は格下です。外務省幹部の中には「お手並み拝見と防衛庁を見ていたが、守屋さんがあれだけ辛抱強く沖縄側の要求を飲んだのには感心した」と敵ながら褒める声もあります。しかし、多くの外務官僚は自分たちの手から離れた普天間問題が膠着することを内心望んでいたと思います。一方の防衛庁は逆に何としても解決してみせる、という対抗心むき出しでした。
 東開発と屋部土建の利権争いも、外務省と防衛省のライバル争いもバカバカしいとは思いません。当事者は熱くなるものです。しかし、普天間問題が安全保障問題であるかのように語られる論調はバカバカしいと思います。


税金の還流システム

 2013年末に仲井眞知事は辺野古移設を認めました。今でも県外移設を求める声は強くありますが、「県外」となると、5000億円の工事を失うことになります。倒産が相次ぐ土建業界の現状を考えれば「県外」とは口にできないはずです。ところが大丈夫なのです。なぜでしょうか。基地の工事とは別の形でお金が落ちるシステムが確立されているからです。「基地反対」の声に政府が配慮して振興策を投じる手法は暗黙の了解になっています。「振興策」のかなりの部分は公共工事ですから、建設業者は潤います。振興策の一部は献金を通じて政治家にも戻ります。普天間問題はこの「税金の還流装置」を動かすカードとして機能しています。
 振興策に関係する利権業者にとっては膠着が続くほど都合がいいとすら言えます。普天間問題が膠着している背景にはこうした事情もあります。業者にとっては、普天間問題は問題として継続することに意味があります。
 那覇空港増設も沖縄科学技術大学院大学も「基地反対」の成果です。那覇市長時代に翁長知事が巨人軍のキャンプを誘致した沖縄セルラースタジアム那覇の建設費は約70億円のうち約50億円か防衛予算です。巨人誘致と日本の防衛に何の関係があるのでしょうか。「基地反対」の声がなければこんな防衛予算の支出が政府内で通るわけがありません。基地を誘致すれば税金で建設費用が落ち、反対すれば振興策が税金で落ちます。沖縄の被害者性を利用した税金還流装置が存在しているのです。
 
「カネを落とせば、沖縄はおさまる」。これが日本政府の沖縄政策の基本です。
 そして、沖縄の行政も多かれ少なかれこの政府の沖縄政策を利用して税金に依存してきました。振興策は、納税者の税負担をもたらしますが、本土側の企業には副作用がありません。本土のゼネコンやコンサル会社は振興策で潤い、沖縄利権がなくなれば沖縄以外の公共工事に乗り換えればいい。
 しかし、沖縄の企業や行政は振興策依存で自立心が奪われ、沖縄社会は自然破壊や地域の分断といった副作用に苦しむのです。そんな病状が本土復帰から40年間も続いたにもかかわらず、あと10年、沖縄自ら振興策の継続を望み、それが叶いました。
 これによって、沖縄社会は再起が難しい末期症状に入ったと思います。半世紀も薬漬けにされた人が投薬なしに自立することは絶望的に困難です。なぜ、こんなにわかりやすい依存症の弊害に誰も本気で声を上げないのでしょう。


なぜ「基地を返さないでほしい」という声が出るのか

 基地がある沖縄の自治体はみな財政を基地に依存しています。沖縄タイムスの渡辺豪記者が書いた「返還パニック」(2008年7月30日付夕刊)は、沖縄の自治体にとって基地の返還がいかに恐ろしいことかを伝える秀逸な記事です。
 「儀間光男浦添市長は、キャンプ・キンザーの跡利用事業費には400億円必要と説明。うちライフライン整備などで市の負担は少なくとも210億円かかるとの試算を示し、『とてもじゃないが市単独で資金調達できない。民間資金の導入を考えなければ跡利用は実現しない』と嘆息した。儀間市長の言葉で特に印象に残ったのは、嘉手納以南の基地返還で土地の過剰供給による経済的な『返還パニック』が起きる危険性を指摘した点だ。キャンプ・キンザー跡地でも、商業・住宅地として需要が見込まれるのは返還面積の三分の一程度だという」
 キンザーは近接する普天間とともに返還が決まっている海兵隊の基地です。国道58号沿いにあり慶良間諸島を望む海に面した絶好のロケーションです。そんな「真っ先に返してほしい」基地でも、「返還パニック」が起きるリスクに注目したところに渡辺記者の優れた視点があります。キンザーと普天間か消えたら土地の供給過剰が起きて周辺地価は暴落するでしょう。最も利用しやすいキンザーの跡地でも需要が三分の一しかないのが本当だとすると、沖縄の基地依存がさらに強まるのは確実です。
 政府が沖縄の基地削減に本気になれない理由の一つがここにあります。基地を減らせば、多くの県民や自治体から恨まれることになるのです。
 沖縄では基地が返還される時、必ず返還反対運動が起きます。2006年に「象のオリ」と呼ばれた楚辺通信所や瀬名波通信施設、読谷補助飛行場などが相次いで返還された読谷村でも、返還の際には「基地を使い続けてください」という看板が掲げられました。同じ年、嘉手納弾薬庫の返還予定地に陸上自衛隊の小銃射撃場を建設する案に反対する東門美津子沖縄市長に対し、地主は「返還後の跡地利用は困難。自衛隊の使用を認めるべきだ。借地料が入らなくなれば死活問題になる」と、継続使用を求めました。
 積極的に基地を誘致する動きもあります。宮古島市の下地島には航空機の飛行訓練用に3000メートル滑走路を備えた飛行場(下地空港)がすでに存在し、地元では自衛隊の誘致運動がかねてあります。石垣島や与那国島など八重山諸島でも、尖閣問題が起きる前から、人口流出対策や地域振興策として自衛隊を誘致する動きがあります。
 こうした基地依存の動きは本土から見ると常軌を逸しているように映ります。しかし、①基地は私有地や市町村有地が多い、②全産業に占める建設業の割合が日本一高い、③基地の見返りの振興予算や減税策が常態化している ―― という沖縄固有の理由があるのです。過疎化を食い止める実効的な施策を沖縄の行政が打ち出せないので、辺野古も安波も読谷も宮古も石垣も与那国も地域住民は仕方なく基地に依存します。住民を責めることはできません。
 2012年5月9日付の朝日新聞朝刊は沖縄タイムスとの県民への共同調査を掲載しています。「基地は沖縄の経済にどの程度役に立っていると思いますか」の問いに、「大いに役に立っている」が11パーセント、「ある程度役に立っている」が51パーセント、「あまり役に立っていない」が29パーセント、「まったく役に立っていない」が7パーセントです。ざっくりいえば、「基地は必要だし経済的にも役に立っているけど、将来的には減らしてほしい」というのが県民の最大公約数的な気持ち、「オール沖縄の心」だと思います。


今も続く「ギブーミー・チョコレート」

 沖縄の基地依存は自主財源が3割もない貧弱な県財政と振興策頼みの脆弱な企業体質だけでなく、米国が培った親米感情にも由来しています。沖縄には経済面と精神面で基地への根深い呪縛があります。
 
10月下旬のハロウィンには数千人規模の周辺住民が米兵からお菓子をもらうため仮装して基地に集まり、ゲートに続く道路は大渋滞になります。用意したお菓子がなくなり、締め出された魔女姿の女子高生やかぼちゃのお面をつけた子供の手を引くお母さんら数百人があきらめきれずに道路に座り込む光景を見た時、私は強いショックを受けました。今も続くこの「ギブーミー・チョコレート」状態は決して報道されません。
 辺野古の高台の集落は「アップルタウン」と呼ばれますが、辺野古区はホームページに「このまちづくりにおいて多大な協力をしてくれたアップル少佐に因んで『アップル町』と命名されました」と書いています。「基地との交流」というページには、海兵隊員と住民が運動会を楽しむ写真が掲載され「毎年、辺野古区民運動会に11班として参加するキャンプシュワーブの人たち」という説明があります。
 沖縄出身のお笑いコンビ、スリムクラブの「沖縄あるあるネタ」に「彼女はアメ女(あめじよ)だから告白しても無理だよ」というのがあります。「アメ女」というのは米兵と付き合う女性のことです。沖縄には「門中」という男系の子孫を重視する独特の親族関係があります。「トートーメー」という、位牌を長男が引き継ぐ風習もあります。こうした一種の男尊女卑文化を敬遠して米兵に憧れる女性は多くいます。基地に就職するための専門学校もあり、基地は競争率約30倍という公務員並みの超人気職場です。


米軍にとって「居心地のいい」沖縄

 だから、米国政府ではなく日本政府を攻撃する沖縄の反基地運動は、米国にとっては「一部の騒ぎ」にしか受け止められないのです。ケビン・メア在沖縄米国総領事もそういう認識でした。私も集会と新聞以外で「基地反対」の声を聞いたことはほとんどありません。逆に多くの県民の親米感情の強さを感じる場面にはよく出くわします。せっかく返還された米軍基地の跡地に「アメリカンビレッジ」(北谷町)と名付けてしまいます。沖縄戦で米国と戦った大田昌秀元知事は米兵の捕虜を見た時のことを「私には気の毒にという同情心が先立つだけで、国策的な憎悪や敵愾心などわきようがなかった」と『醜い日本人』(サイマル出版会)で書いています。
 このような状況を知っているからこそ、メア総領事は反基地運動を「カブキ」と呼んでいたのでしょう。何だか反対運動と歌舞伎の両方を馬鹿にしたような言い方ですが、大田氏に限らず県民が米国に好意的なのは事実です。
 韓国では強い反米感情に押される形で米軍基地が大幅削減され、フィリピンでも巨大な空軍、海軍基地が政府の要請を受けて全面撤退しました。一方、沖縄は親米感情が強い観光リゾートですから米兵にとっては天国です。「居心地がいい」から基地を減らしたくないのです。
 外務省の最高幹部が酒の席で「米軍が日本にいる最大の理由はコストが安いからですよ」と当たり前のように言ったことがありました。米国が大好きで借地料も光熱費も払ってあげる日本。これでは「嫌われている」と米軍が思うわけがありません。
 かつてラムズフェルド米国防長官は「歓迎されない所に基地は置かない」と言いました。米国は沖縄のことを、「歓迎されない所」だとはまったく思っていないのです。これは東京も同じです。首都に米軍の飛行場があるのは世界で東京(横田)だけです。ワシントンにもありません。「アメリカはきっと守ってくれるはず」という漠然とした絶大な信頼があるからです。


アメリカの戦略的支配からの脱却

 総じて沖縄人が基地に寛容なのは借地料に加えて米国の沖縄政策の影響です。米軍が沖縄上陸前の段階に書いた「琉球列島に関する民事ハンドブック」という資料にはこんな記述があります。
 「琉球人は粗野な振る舞いから、日本人に『田舎から出てきた貧乏な親戚』と差別されている。潜在的な不和の種は政治的に利用できる
 この方針は戦後、実践されます。沖縄を27年間直接支配した米軍は「守札の光」といった雑誌を家庭に無料で配る宣撫工作を進めますが、その中で「琉球」「琉球人」という言葉を多用して、本土と沖縄は違うという意識の植え付けをします。高等弁務官という軍人の最高権力者の下に「琉球民政府」が置かれ、中央銀行は「琉球銀行」、議会は「琉球立法院」と呼ばれました。「琉球大学」は米国主導でつくられ、創立記念日はリンカーンの誕生日です。日本の国立大学の創立記念日が、米国大統領の誕生日なのです。
 米国が「琉球」を意識的に使った結果、琉球処分から終戦まで65年間も「沖縄県」だったにもかかわらず沖縄では「琉球」が復活しました。「琉球」は今も社名や商品名で好んで使われますが、「沖縄」より一流感、老舗感が強いようです。米兵が「胡屋(こや)」「古謝(こじゃ)」を誤読して定着した「コザ」(現沖縄市)が好まれるのも、米国の上手な沖縄支配の名残でしょう。
 米国は沖縄の不満が反米に向かわないように親米感情を育て、沖縄と本土を分断させ、反基地感情が反日感情に向かうように丁寧に宣撫しました。宣撫工作や良き隣人政策が沖縄ほど上手に行われた自治体はほかにありませんから、反日・親米感情が強いのは当然です。
 そして、沖縄に根付く反日右翼的な姿勢を考える時、米国防総省の全面支援による留学体験で親米知識人の養成が行われ、現在も続く沖縄の支配階級が事実上、米国の指導で形成された点は極めて重要です。反戦を反日に転換させる構図に最も効果を発揮したのが、米国に学んだゴールデンゲイターと呼ばれる人たちです。米国は戦後、沖縄の優秀な若者を次々とゴールデンゲートブリッジ(金門橋)をくぐらせて米国民主主義の洗礼を受けさせました。別名「米留組」と呼ばれる親米エリートのゴールデンゲイターたちは、米軍幹部らと交流を深める「金門クラブ」を那覇(現在のANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューがある場所)につくりました。金門クラブは沖縄を解き明かす力ギです。ともに社民党の国会議員だった大田昌秀元知事と東門美津子沖縄市長も米留組です。
 一見「反戦」に見える沖縄の声の本質は「反日」です。その結果、本土と沖縄が分断され、基地問題が内政問題化してきました。そのことは、在日米軍の安定運用を図る米国の狙いとピタリと重なっています。
 被差別意識が「反日」に向かうように県民の「沖縄ナショナリズム」を上手に利用し、反戦・平和思想を弱めたのが米国の沖縄政策の本質だと思います。普天間を含む沖縄の海兵隊基地が具体的に日本の安全保障にどう役に立っているのか(あるいはいないのか)という本質的な議論を封じ、被害者意識が米国批判に向かわないように基地負担平等論として内政問題化させる。ともに米国の戦争被害者・基地被害者である日本人同士が「差別した、された」と対立している普天間問題の現状を見ると、私たちは今も米国の支配下にあることがよくわかります。


「下流の宴」の実態

 基地の見返りの振興策が40年以上も続いたにもかかわらず、沖縄は全国一の格差社会になってしまいました。振興策で公務員と大企業は潤いますが、貧困層にはなかなか行き渡らないからです。その結果、高失業率・低所得が定着し、経営者が圧倒的に強い前近代的な弱肉強食の資本主義社会になっています。琉球大学OBのエリートを中心とした閉鎖的な支配階級が県内権力と一体化しているため、沖縄には県内権力批判をするマスコミや労組、学識者などの左翼勢力が育ちませんでした。女性や子供、障害者ら社会的弱者が放置され、中小・零細企業の労働者は搾取されています。これが沖縄における最も深刻な基地被害です。
 毎日新聞が2009年に連載し、2011年にNHKがドラマ化した林真理子氏の『下流の宴』には、下流の象徴として沖縄の離島(「南琉球島」という架空の島)出身の女性が出てきます。下流の方が上流よりも人間的に描かれている点にかすかな救いがありますが、現実の沖縄社会では、下流社会に生きる低所得者が増え続けています。
 琉球新報に、本土復帰40年に際して渡名喜守太という方が、こんなことを書いています。
 「所得の低さは相変わらずであり、そこに外部から資本や人口が流入し、沖縄人は沖縄において下流化、低辺層化していく流れができている。外部の資本や移住者に搾取され、経済的、社会的にも地位や富、利益を奪われ、文化的にも独自の言語、文化が消滅させられ、その上に軍事的にも生命の危険に晒されている。にもかかわらずそれを豊かになったと思い込むのはいわゆる『奴隷の幸せ』に浸って、精神が奴隷化されているためだろう」(琉球新報 2012年5月12日)。
 外部資本や移住者が搾取しているわけではありませんが、10兆円を投じてなお「下流化」が進み、精神が「奴隷化」されていると沖縄で暮らす人が実感しています。
 沖縄における基地被害は大きく分けると二つあります。①騒音と事故と兵隊による事件②振興策が生む格差と貧困です。前述の通り、①は本土にも日常的にあります。しかし、②は沖縄に顕著な被害です。しかも①は基地周辺住民に限られますが、②は県民全体を巻き込み世代を超えて拡散する、解決が難しい被害です。復帰後、最も悪化したのが格差と貧困の問題です。復帰直前の1971年に0.8パーセントだった失業率は40年たった2012年5月で8.3パーセントに悪化しました。基地は40年間で東京ドーム1086個分減りました。つまり、①は減りつつありますが、②は深刻化し続けているのです。


反戦平和の島・癒しの島の貧困

 貧困層が多いといわれる沖縄県ですが、私は以前に、こうした問題を承知しつつ、沖縄を「貧しくとも楽しく暮らす癒しの島」と捉えて、底抜けに明るい側面を伝える本を何冊かつくりました。その出版には「皆、戦争の傷跡と基地の重圧に苦しんでいる」という従来の沖縄観に対するアンチテーゼという意味もありました。
 が、現実を知れば知るほど、「楽しい沖縄・癒しの沖縄」というイメージで脚色するのは危険だ、と思い始めました。「戦争の傷跡と基地の重圧」がやはり問題なのだ、というわけではありません。米軍基地は大きな重荷ですが、それはこの癒しの島を苦しめる悩みの種の一つに過ぎなかったのです。
 全国最低の一人当たり県民所得、全国最高の失業率といった問題はよく知られています。が、沖縄を苦しめる問題はそれだけではありません。離婚率全国一、父子家庭比率・母子家庭比率全国一、待機児童数比率全国一、DV発生比率全国一などといった家庭・子育て環境に関わる指標や、全国最低の高校進学率・大学進学率、教員を増やしても一向に改善しない全国最低の学力水準(小学校・中学校)、全国一の給食費滞納率といった教育関連の指標を見るだけで溜息が出ます。
 ネガティブな指標はこれだけに留まりません。最低賃金(664円/2013年)、一人当たり納税額、国民年金納付率、NHK受信料納付率、自動車保険(任意)加入率などは全国最下位、反対に、非正規雇用率、国税滞納発生割合、男性肥満率などは全国最高です。
 一方で、人口当たりのファストフード店舗数(ハンバーガー、フライドチキンなど)、人口当たりの飲み屋店舗数、人口当たりのレンタルビデオ店舗数、人口当たりのゲームセンター店舗数などは全国一です。もちろんこれらの数字が高いことは一概に悪いとは言えませんが、全体を見たときには、「失業や低賃金・不安定な雇用に苦しむ大人たちは、年金保険料など払うべきものを払えないまま、レンタルビデオ店で借りたDVDを見ながらファストフード店で買ったハンバーガーやフライドチキンを食べ、飲み屋で憂さを晴らす毎日。不安定な家庭環境とレベルの劣悪な教育環境の下で育った子どもたちは、ゲーセン通いでストレスを発散する」といったイメージがどうしても浮かんでしまいます。
 「米軍基地の存在が貧困の根本的な原因」という論者もいますが、その見方は大いに疑問です。復帰以来、米軍基地の代償として10兆円を超える財政資金が投入されましたが、経済実態はインフラ整備を除いて改善されていません。しかも沖縄県自身が、もう20年も前から「もはや基地に依存する経済ではない」と公言しています。そして、「基地さえなくなれば高成長が見込める」という試算は、第三章で詳述したとおり半ば虚言です。貧困の原因は基地以外にあると考えるのが合理的です。
 
基地問題の裏で依然として多額の振興資金が動き、特定の社会集団や政治党派が自分たちの勢力や既得権を守るために、米軍基地に対する賛否の運動を展開しています。「反戦平和の島」として注目されても、深刻な貧困に光が当たることはありません。マスコミ・出版の一部は「県民所得は最低だが、心の豊かさは日本一」などと癒しの島・沖縄を強調します。が、現状を知ると、とてもやるせない気分になります。以下では、各種統計数値も交えて、貧困の実態と本質を明らかにしたいと思います。


沖縄の声を支える本土の知識人

 「戦争と基地のかわいそうな島」というイメージをつくったのは本土の新聞とテレビと出版社です。この悲劇のイメージは基地を減らすことに全く役に立っていません。振興策を政府から引き出す道具としては大いに役立っています。「反戦・反基地」の主張は本土のマスコミにとって大事でしょうが、振興策によって沖縄の生活が破壊されるとすれば犯罪的ですらあります。
 「戦争と基地の島」「自然の楽園」というイメージは沖縄の一面であり、一種の幻想です。この沖縄幻想を支えているのが本土のマスコミや沖縄フリークの学識者です。この構図が沖縄問題をややこしくしています。
 沖縄を差別したとされる「舌禍事件」は過去何度もありました。本音を言うと「差別発言」と沖縄が怒りの声を上げ、それに本土のマスコミや知識人も同調し、声を増幅させます。結果、その声を抑えるために税金を注ぐことになります。つまり、たまに表面化する「差別発言」と、その発言を問題視して騒ぐ本土のマスコミや知識人の沖縄への同情は、税金還流システムを効率的に稼働させるための「燃料」のような働きをしてきました。鳩山由紀夫首相の「辺野古回帰発言」は、これまでで最も効果的な燃料でした。1972年以降の日本と沖縄の関係は結局、このシステムをいかにフル稼働させるかに腐心した40年間だったと思います。そして、沖縄を食い物にするこの理念なき税金還流システムを成立させている要因が二つの「沖縄信仰」です。
 一つは、日本で最も戦争の醜さと平和の大切さを知る「絶対平和主義者・沖縄」という信仰。もう一つが、沖縄は癒しのパワーであふれているという「自然と文化の島・沖縄」という信仰です。このイデオロギーと文化の硬軟両面の沖縄至上主義をつくってきたのが、本土のメディアと知識人です。戦争で迷惑をかけた、基地を押し付けて申し訳ない。そういう本土の後ろめたさが、沖縄を実態以上に持ち上げる「沖縄至上主義」をつくってきたのでしょう。私もやりました。この沖縄報道は自立を妨げました。振興策を支え、自治力を破壊し、沖縄の市民政治を弱体化させてきたと思います。
 本土のマスコミがいかに「沖縄」を多く取り上げるかをデータで確認してみましょう。記事検索システムの「日経テレコン」で、2012年の一年間に全国紙とNHKが「沖縄県」を含む記事をどれだけ報じたかを調べました。人口と県内総生産が沖縄とほぼ同じでいずれも米軍基地を抱える「青森県」、「長崎県」と比較してみます。

     青森   長崎   沖縄
朝日  4587   5238   2054
読売  5297   5705   2923
毎日  1210   1395   3233
日経    496    276   1480
NHK   575    318    2001

 朝日、読売の二紙を見ると、少ないと思われるかもしれませんが、これは先に書いたように、全国で沖縄だけは県版がないことを考えると非常に多い数といえます。毎日の「沖縄好き」はちょっと異常です。朝、読、毎とも青森と長崎の多くは県版に載った記事ですが、沖縄の記事は一面、政治面、社会面の全国記事として載っています。日経の沖縄報道が青森、長崎に比べて突出しているのは、全国紙で日経だけが「沖縄社会面」「沖縄九州経済面」という地元向けの紙面をつくっているためです。注目すべきはNHKです。NHKは三県とも地元の放送局が地元に密着した番組をつくっていますが、沖縄放送局は他二県に比べ圧倒的に多くの番組を流しています。これは、「受信料の支払いが全国一低い沖縄に配慮した受信料対策」(NHKの記者)という面があります。


大江・筑紫的沖縄観を自ら振る舞う沖縄人

 琉球史研究の第一人者で副知事でもあった高良倉吉氏が、こんなことを言ったことがありました。
 「いつのまにか、沖縄人は大江健三郎と筑紫哲也が言う被害者沖縄のイメージ通りに振る舞うクセが付いてしまった
 その後、「沖縄が自立できないのは筑紫哲也のせいだ」という言葉を、戦後60年の取材をしている中で地元の複数の人から聞きました。
 筑紫氏は、6月23日の慰霊の日には必ず『ニュース23』を沖縄から放送していました。そこで筑紫氏が強調したのは「今も続く沖縄の痛みと怒りを理解しないといけない」「少数派の声にきちんと耳を傾けるべきだ」ということです。これはその通りだし、とても大事なことです。同様の主張は大江氏が『沖縄ノート』(岩波新書)の中で強調しています。そして沖縄の人たちの中に、この「大江・筑紫的沖縄観」を本土人に持ってもらいたいという気持ちがあるのも事実です。沖縄に赴任する記者はみな「大江・筑紫的沖縄観」の呪縛にとらわれます。
 ところが、この沖縄観が県内でも定着し、戦争も基地も被害者の視点だけで語り、自立に向けた議論を阻む。「日本は何とかしろ」という依存体質、陳情文化が一般人にも蔓延したと、高良氏は解説してくれました。


「応援しよう」という根本的な傲慢

 沖縄への後ろめたさは、民間レベルの支援も生んでいます。本土のマスコミ関係者らが呼びかけた名護市への「ふるさと納税制」による支援もその一つです。本土から名護市に納税することで市の財政を支えようという試みなのですが、こうした外からの支援は振興策に頼らない自立の精神を弱めてしまうのではないでしょうか。
 中心地の商店街にあるモスバーガーでさえ撤退してしまう今の名護市が、振興策と決別することがどれだけ困難なことか。「応援しよう」と言いながら自立を邪魔する。こういう善意ほど、たちの悪いものはありません。善意に甘える姿勢が自立心を奪うからです。そんなことを繰り返してきた40年間ではなかったのか。沖縄をいつまでも子供扱いしてお金を注ぐこういう人たちは、本当は沖縄の自立など、どうでもいいのではないかと思います。沖縄への贖罪意識からの解放と自己満足が本当の目的ではないのか。 沖縄の周辺にはそういう人たちが多すぎます。
 余計なお世話はせず、沖縄の人たちに任せる。どうしても関わりたい時、支援したい時は、沖縄観光に行くか沖縄産のものを買い、きちんと対価としてお金を落とす。これで十分ではないでしょうか。「沖縄を助ける」とか「沖縄のために」などという不遜で傲慢なアプローチではなく対等に接するべきです。過度な振興策や民間の支援は、自身の努力でお金が島に落ちる当たり前の経済活動の仕組みを破壊し、自立心と創造力を奪うだけです。だからこそ、振興策を生み出す基地を本土並みに減らさなければならないのです。これ以上、本土側の自己満足のために沖縄を利用すべきではありません。ビジネス以外の特別な支援をすることは、根本的に沖縄を侮辱していると思います。


普天間基地ゲート前の示威行動

 オスプレイの沖縄配備が大きくクローズアップされた2012年春頃、配備先である普天間基地の野嵩ゲート(第三ゲート)前には、連日「NO」というプラカードを掲げた人たちが集まって「オスプレイ反対」の示威行動を行っていました。中にはゲート前を通る県道81号線にまではみだして、通行する車を通せんぼするかのようにプラカードを大きく振る人もいます。週末には若者も集まりますが、平日の参加者の大半は一目で高齢者とわかる人たちです。
 3月某日、70歳前後と思しき、たくましく日焼けした男性に話しかけてみました。
 「たいへんですねえ。毎日こちらに来られて旗振り役を務めておられるんですか?」
 「毎日じゃないけどね。週に3日ぐらい、朝7時すぎから夕方5時頃までここにいるよ。途中で帰ることもあるがね」
 「暑い日も雨の日も、ですか?」
 「お日様がカンカン照ろうが、雨が降ろうが、体調が悪くないかぎりは行くよ」
 「お仕事を休んでまで、こちらに?」
 「私はね、もともと教員で退職して時間があるから協力できる」
 「あちらで声を張り上げている元気な女性は奥さんですか?」
 「とんでもない(笑)。あの婆さんは元公務員。南部のほうから通って来ちょる」
 「元教員とか元公務員の方が多いんですね?」
 「普天間に率先して来るのは組合を支えてきた人間ばかりだからね。今は年金暮らしだけど、この年でもお役に立てるなら頑張らんといかん」
 「テレビのニユースなんかを見ると、若い人たちもたくさん来ているみたいですが?」
 「若い連中は土日や休日だね。東京や大阪からも来る。組合とはあまり関係ない市民運動の活動家が多いけどな
 オスプレイが岩国基地から普天間基地に移される10月1日を目前に控えた9月29日には、この野嵩ゲートも含めた普天間基地の主要ゲート3ヵ所が「市民」の実力行動によって封鎖されました。9月30日午後には、ゲートを封鎖していた市民や車を警察が排除しましたが、このときの騒然とした模様は全国版のニュースでも大々的に報じられています。オスプレイ配備に対するこうした示威行動・抗議行動の中心にあるのは、山城博治氏が事務局長を務める沖縄平和運動センターです。オスプレイ配備反対運動だけではなく、辺野古移設反対運動など沖縄における基地反対運動の推進力となっている組織として知られています。


「沖縄人」と「日本人」

 沖縄ではここ数年「構造的沖縄差別」という表現を用いて、日本政府のみならず日本国民全体を批判する傾向が強まっています。「沖縄人」と「日本人」を対置し、「日本人」が沖縄における米軍基地の本土移転を拒絶しているのは、「日本人」の「沖縄人」に対する歴史的な差別意識が背景にある。この差別意識を取り払い、「日本人」は直ちに基地を持ち帰れ、というのが主張のポイントです。代表的論者は、知念ウシ氏と野村浩也氏。「日本」側からも高橋哲哉東京大学教授がこの主張に同調して論陣を張っている他、佐藤優氏もたびたびこの観点から沖縄の問題を論じています。
 普天間基地移設やオスプレイ配備の問題をめぐっても、沖縄のメディアでは「構造的差別」ということばが頻繁に使われています。「構造的な差別」ですから、差別する側に自覚がなくとも、つまり差別感情がなくとも、沖縄を差別していることになります。米軍基地を沖縄に押しつけているヤマトーンチュ(本土の人間)は、ことごとく差別する側に立たされます。
 この「構造的沖縄差別」論は、10年ほど前から一部の地元識者のあいだで唱えられるようになりました。歴史家の新崎盛暉氏が旧世代の代表的論者で、翁長那覇市長も好んでこの表現を使います。最近では、新世代の知念ウシ氏(1966年生まれ)がオピニオン・リーダーです。知念氏は、沖縄語(ウチナーグチ)でライターを意味する「むぬかちゃー」(物書き)を自称する女性ですが、「日米安保や基地が必要なのは日本人。私たち沖縄人ではない。日本はもう沖縄に甘えるな」という趣旨の主張で、地元の新聞や雑誌のみならず、本土の新聞や雑誌にも頻繁に登場しています。
 「構造的沖縄差別」ということばが一般にも知られるようになったのは自民党から民主党への政権交代後のこと。鳩山元首相が普天間飛行場の「県外移設」を口にしながら撤回した時期に当たります。知念氏は「鳩山首相は多くの人の心の中にあったものを政策にしたが、日本人は彼を支えなかった。誰が沖縄に基地を押しつけているのかが見えたのです」「差別がある以上、差別する側とされる側を分けざるを得ません。覚悟を決めたところが話し合いの出発点です」(朝日新聞 2012年5月10日付朝刊)といった主張を繰り返しています。
 琉装(伝統衣装)にウチナーカラジ(伝統的髪型)でメディアに登場する知念氏。ライターではなく「むぬかちゃー」という肩書きを好み、日本語での「ウシ」という表記ではなく、沖縄語(ウチナーグチ・沖縄方言)での「ウシィ」という表記を求める彼女には血統、言語、伝統への拘りを明らかにすることで、「日本人」からの差別や「日本人」との対立を強調する意図があります。知念氏は「日米安保や基地が必要なのは日本人。私たちではない」とも主張しますが、彼女の主張は日本国民であることも拒絶しているように思えます。額面通りに受け取れば、その考え方は排他性の強い「沖縄民族主義」にも見えてきます。


「部落解放同盟」の機関誌で展開

 知念氏の「構造的沖縄差別論」に関するもっとも初期の著作は、『部落解放』(2002年9月号)に掲載された「空洞の埋まる日」と題するエッセイです。知念氏はこのエッセイで、沖縄好きが高じて彼の地に住みついたといわれる作家の池澤夏樹氏の沖縄に対する姿勢を「上から目線」で「沖縄に対する差別」だと断罪しました。
 「私は本屋でたまたま一冊の雑誌を手に取った。写真を主体とした、おしゃれでかっこいいと評判のその雑誌は9・11事件の特集を組んでいた。パラパラッとめくると池澤氏のインタビューが載っていた。9・11後の世界情勢や、それについて書くことの意義を雄弁に語っている。付いている写真もとてもかっこいい。このインタビューは次のように終わる。

 (中略)今のイギリスの文学だって、カズオ・イシグロもそうだけど、所謂イギリスから出て、周辺で俯瞰して見ている人が作品を提供している。だからそういう意味では、池澤さんが沖縄にいるということはメールマガジンの位相としても大きい役割だという感じはしますね。
 池澤 全体の構図を見てとりやすい場所というものがあるでしょう。その意味で沖縄というのは、僕が意図して、確信犯として選んだ土地ですからね。

 なんという冷酷な言葉なのだろうか。私はそう感じた。そして、沖縄の矛盾を背負わされて生きてきた祖父母や父母、友だち、顔も知らない強姦事件の被害者たちの姿が目に浮かんだ。私たちの苦しみや悲しみは、この野心的な日本人作家の足場にされているのか。気がつくと、私の瞳からはただ、涙がこぼれていた」
 池澤氏は自分のインスピレーションやイメージを高めるため居住地として沖縄を選んだと語っています。自分が「日本人」であるという立場から浮遊することが、彼の想像力の源泉であり、その先に見える「普遍性」を文学として表現することが彼の個性でもあったと思います。
 その気持ちは、同じように沖縄に惹かれた人間として痛いほどよくわかります。自分のいる場所を肯定することからは何も始まらない。自分が今いる場所から飛び出すことから新しい体験が始まる。絶対化からは隷従が、相対化からは自由が生まれる。それは冒険知(相対知)の世界です。新しいものを生みだすための、ひとつの有効なアプローチです。筆者自身も、「沖縄から日本が透けて見える」という視点を大切にしてきました。自分の経験知を相対化するための冒険知が沖縄にはあると思いました。
 慣れ親しんだ土地以外で刺激を受けるというのは、ごく普通のことでしょう。ところが、池澤氏のそのような姿勢は、「沖縄への甘え」であり、「沖縄に対する差別」だというのが、知念氏の主張の肝です。彼女の論法では、池澤氏や筆者だけでなく、ほとんどの沖縄ファンも植民地主義者というレッテルを貼られてしまいます。沖縄の歴史に絡めて平易な言葉でいえば、ヤマトという支配者の子どもたちが、自分の癒しを求めて被支配地域であるウチナーにやってきて、善人ぶりながらさんざん甘い汁を吸っている、というイメージになるでしょうか。
 池澤氏はその後沖縄を離れてしまいます。彼女からの批判に嫌気がさしたという噂さえ流れました。池澤氏が沖縄を離れていったホントの理由は知りません。こうした批判がなくても出ていく段取りだったのかもしれません。いずれにせよ、「被害者」の立場を強調するこうした批判に反論するのは簡単ではありません。
 沖縄在住の代表的な小説家・文化人として、池澤氏がさまざまな発言をしていたのはよく知られています。そのことの功罪はあるのかもしれません。口を衝いて出たことばが、不用意だったり、無思慮に感じられたこともあったのかもしれません。
 知念氏は、池澤氏の意識のなかにある植民地主義的・差別主義的な部分が露出したと言いたいのでしょうが、その程度のことは沖縄でなくとも、(それがたとえば北海道や島根であっても)いくらでも起こりうることです。少なくとも、前掲のインタビューを普通に読む限り「冷酷さ」は感じられません。
 知念氏の批判は、池澤夏樹という「日本人大作家」を日本代表として断罪することが目的だったのではないでしょうか。しかも、誰もが反論しにくい「被害者の立場」を持ち出し、思考停止させることが狙いだったのではないか、という疑念も残ります。
 部落解放同盟の機関誌『部落解放』に「構造的沖縄差別」を主張する論考が掲載されることは象徴的な意味があります。「自らを被差別民と捉え、抑圧者・日本人と闘う沖縄人」を部落解放運動が同志として認め、支援しているという構図が鮮明になるからです。部落問題と沖縄問題は同根であるという考え方につながります。同誌には知念氏の他にも、構造的沖縄差別論がたびたび掲載されています。
 同年6月号には、構造的沖縄差別論の主唱者の一人である野村浩也広島修道大学教授が論考「ポスト・コロニアリズムと日本人/沖縄人」を寄稿しています。沖縄市出身の野村氏は、ポスト・コロニアリズムの立場から、「被差別者・沖縄」対「差別者・日本」という構図に拘り、「日本人」を植民者・加害者とし、「沖縄人」を被植民者・被害者としながら、厳しい日本人批判・日本政府批判を展開する学者です。
 「日本人は、右から左まですべて、在日米軍基地の負担を沖縄人に押しつけることによって得られる利益を共有しているのだ。この利益を守るためのもっとも悪質な植民地主義言説こそ沖縄から日本への米軍基地移転に反対するものではないか。(中略)『在日米軍基地の平等な負担』というのも最低限の人権要求にすぎない。日本人がこの最低限の人権すら達成できないとすれば、日本人の植民地主義も終わるはずがない」
 野村氏の“沖縄には満足に「人権」が与えられていない”という論点も部落解放同盟の主張と重なります。知念氏の前掲エッセイが掲載された2009年9月号には、野村氏と新垣誠沖縄キリスト教学院大学准教授の対談「ポスト・コロニアリズムと沖縄・植民地主義は終わらない」も収録され、野村氏は次のように述べています。 「沖縄人はだいたい自分で自分を差別することから出発する、というか、死ぬまでそのままという人もいっぱいいる。自分で自分を差別する、というのは、日本人が沖縄人を差別するからそれでしか現実を見ることができない。(中略)方言というのは、ただ中立的な存在としてあるわけではないわけだよね。劣等な言葉という意味なわけ。劣等な言葉を日常の言葉として使ってるわけよ、ウチナーンチュは。『方言』って平気でまだ言ってる。(中略)沖縄の言葉は劣等な言語である、日本語よりも下位に位置づけられる劣等な言語である、と。この見方をそのまま沖縄人が反復してしまう」
 野村氏は、「日本の植民地主義」を糾弾しながら「差別」の実例として方言を取り上げています。ここでいう「差別」は、本土の人間から直接受けた差別ではなく、沖縄という「植民地」に生を受けたことにより身についてしまった自己否定に連なる被差別感情です。彼らにとっての差別は「基地負担」だけではなく、日本という「植民者」が押しつけたものすべてが対象となっています。
 が、方言が規制されたのは沖縄だけではありません。東北、九州もほぼ同様の状態にあり、沖縄同様「方言札」も活用されていました。学校で方言を使うと罰として首からぶら下げられた方言札は、明治以降の中央集権・富国強兵を達成する教育戦略の一環として用いられた手法です。標準語化教育によって政治的・経済的・社会的・文化的な国家統合を図ったのです。
 たしかに、明治以降、言語のみならず沖縄固有の文化を否定する傾向は強かったと思います。が、否定の対象には沖縄以外の地域文化・地域言語も含まれました。標準語化教育は、中央集権化の諸政策とともに地域語や地域文化の特性を奪いました。しかし、これらが近代化の一側面であることも事実です。
 植民化政策・集権化政策によって生みだされた「不幸」に対する憤りは理解できますが、植民化・集権化とコインの裏表である近代化に対する評価が欠けた議論はバランスを失しています。近代化しなければよかった、ということであれば、士族が農民を激しく収奪した琉球王朝時代のほうがマシだった、という結論になりかねません。


あとがき

<途中からです>

 彼らが「日本人は沖縄人を差別している」と主張する根拠はただ一点、基地の偏在です。沖縄戦や27年間の米国支配、さらに琉球処分や薩摩侵攻まで遡って日本の沖縄への差別の根深さを指摘することはよくありますが、それは、基地を押しつけて平気でいる現在の日本人の差別性を補強する文脈で持ち出されます。過去400年の沖縄差別の延長線上に基地偏在の現状がある、という主張です。問題は基地です。日本と沖縄の歴史に差別はあったと思います。だからこそ、その差別への慰謝料、あるいは損害賠償として10兆円の特別な振興予算が自民党、民主党政権を通じて支払われ続け、さらに10年延長することが決まりました。それでも「カネではないのだ。差別をやめろ」とい う思いが反対派の出発点にあるのは間違いありません。
 この思いにストレートに答えるべきです。歴史を変えることはできません。今、本土の私たちにできるのは沖縄の基地を減らすことだけです。安全保障をまじめに考えてこなかったことのゆがみが沖縄に集中して起きています。基地の見返りの振興予算の副作用が、格差社会の拡大、地域社会の分断、人間関係の崩壊、貧困の放置、自然破壊として現れています。基地が減りさえすれば何もかもが変わります。東京の横田基地をはじめ、本土にも基地問題は存在していますが、それよりもまず最優先で沖縄の海兵隊基地を減らす方策をこれからも考えていくべきです。基地被害を巡る加害、被害の関係を沖縄VS本土という属性だけでくくり、「構造的な差別」と断じたところで基地は減りません。
 大事なのは被害者沖縄に寄り添うことではありません。沖縄の基地を減らし、見返りの振興策と減税措置をなくすことです。沖縄に基地があることは、膨大な税金を消費するのですから本土にとっては経済的にはマイナスなのです。このことが理解されれば、「沖縄の基地を減らせ」という声は沖縄よりもむしろ本土で強まると思います。
 
ここで注意していただきたいのは、「なくせ」ではなく「減らせ」だという点です。ともすれば、現在の反基地運動は「米軍基地はすぐにゼロにせよ」という主張が主流のようになっています。しかし、それには副作用もある。だから地元においても対立構造が生じ、膠着状況が続いているという面があります。「なくせ」と「つくれ」の二択では話が進みません。その膠着状況で恩恵を被っている特定の人たちがいます。それはここまでに述べた通りです。
 日本政府と基地反対派は敵対しているように見えますが、振興策については同じ方向を向いています。つまり結果的には共犯関係にあるのです。政府と基地反対派が共犯関係にあるというこの視点はなかなか持ちにくいのですが、この共犯者による被害者は納税者だ、つまり自分だということに気がつくと、誰もが沖縄問題の当事者になれます。
 「沖縄の海兵隊はいらない」という主張が日米の専門家の間でも出ています。沖縄の基地の四分の三を占める海兵隊を減らせば、借地料も減り、振興予算も削減できます。本書で見てきた通り、振興予算は沖縄の地域社会を壊している元凶です。海兵隊基地を減らすことは、沖縄の基地周辺住民の騒音を減らし、事件や事故を減らしたうえ、自立経済に貢献します。国民の税負担も減ります。「減らす」メリットを全国民で共有すれば沖縄の海兵隊を減らすことは可能だと筆者は考えています。
 本書ではその具体的な削減プランにまで踏み込むことはできませんでしたが、筆者としては今後もこのテーマについてさらに考えていくつもりです。
 よく読んでもらえば理解していただけると思いますが、筆者二人とも「沖縄批判」はしていません。既得権益を守る公務員を中心とした「沖縄の支配階級批判」をしています。民族主義的な沖縄権力への批判がこの本の狙いです。振興予算をやめることこそが基地問題の解決につながる、ということを繰り返し書いています。私がこの本の中で沖縄に向けた批判的な言葉のすべては、結果として膠着状況を長引かせ、基地削減に逆行する沖縄内部の言動に対するものです。
 2014年11月に初当選した翁長雄志知事は、那覇市長時代に「振興策なんかいらない」と言ったことがあります。これを知事としても言い続けることができるかどうか。県民ならずとも注視していくべきでしょう。翁長知事は自民党の沖縄県連幹部として、選挙戦で戦った仲井眞弘多前知事とともに日本政府から振興策を引き出してきた人です。政府に依存してきた過去を振り切り、「振興策はいらないから基地を減らせ」と安倍晋三首相に面と向かって言えるかどうかが、沖縄の将来を決定づけます。

 <途中までです>

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