さらば、資本主義

佐伯啓思さんが月刊誌「新潮45」に連載している「反・幸福論」を新書化したものだそうです。

さらば、資本主義

 佐伯啓思さんは、東京MXテレビの「西部邁ゼミナール」で西部さんとの対談を見て知りました。
ちなみに、(西部さん自身がいくつかの番組の中で仰っていましたが)西部さんも経済学者として東大で教鞭をとり、後に経済学と決別したのだそうです。

 まえがきで『「戦後君」はいうでしょう。「自分の個人史を振りかえると、おそらく日本のもっともよい時代を経験した」と。しかしまた、いささかの危惧の念をにじませながらいうのではないでしょうか。「だけど、これから日本はどうなるのだろう。自分の子供や孫の世代は果たしてうまくやってゆくのだろうか」と。』とお書きですが、同感です。

 また『人口減少や高齢化社会に突入した日本は、もはや、経済成長を第一義の価値にする時代ではないのです。』ともお書きですが、これまた同感です。
移民を入れてまで経済成長を追い求め、日本国自体を日本と呼べないようなものにしてしまってよいのでしょうか・・・。

 佐伯啓思さんの「さらば、資本主義」 を紹介するために、以下に目次や目を留めた項目をコピペさせていただきます。
 興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。

さらば、資本主義 佐伯啓思

 


目次

 まえがき 3

 第一章 今こそ、脱原発の意味を問う 13
ゴジラを平和利用する?/脱原発は気楽な選択なのか?/「近代」を支える前提とは?/「アルキメデスの点」を探す

 第二章 朝日新聞のなかの“戦後日本” 33
朝日新聞からの依頼/朝日のあざとさ/「絶対的被害者」なるもの/歪んだ戦後認識

 第三章 失われた故郷をもとめて 53
巨大ショッピングモールの哀しさ/正しい偏見のもちかた/すでに失われたもの/奇妙な安らぎの正体

 第四章 ニヒリズムヘ落ち込む世界 75
悪夢の21世紀/奇妙な世界に生きている/疑わしき「アメリカ近代主義の福音」/サヨクもウヨクもない社会/事態を混乱させる「専門家」

 第五章 「グローバル競争と成長追求」という虚実 95
あまりにおかしな総選挙/「アベノミクス」成否の真相/たいへんに危険な道/敗北主義の脆弁/「成長しなければ幸せになれない」という幻想

 第六章 福沢諭吉から考える「独立と文明」の思想 115
明治日本で最高の書物/目的は独立維持/ナショナリテイの正体/貿易も戦争も国力の発動である/「かざりじゃないのよ、文明は」

 第七章 トマーピケティ『21世紀の資本』を読む 135
所得格差ではなく資本格差/格差拡大の原因/金持ちがますます富むメカニズム/「格差が階級社会を再現させる」衝撃/「資本主義はさして経済成長を生み出さない」

 第八章 アメリカ経済学の傲慢 157
現実とはまったく無縁な分析/「科学っぽく見せる」数学的粉飾/論理の奴隷になってゆく/科学たりえない経済学/「グローバル・スタンダード」の押しつけ

 第九章 資本主義の行き着く先 179
不等式「r>g」の意味/そもそも資本主義とは何か?/「フォーディズム」という革新/欲望は経済成長をもたらさない

 第十章 「がまん」できない社会が人間を破壊する 199
ITと金融の革新がもたらしたもの/「価格破壊」と「消費者絶対主義」という大罪/衝動が支配する社会と「自己実現」の市場/「空疎な個人主義」と「即席の欲望充足」

 あとがき 219
 


まえがき

 2015年で戦後70年がたちました。『論語』によると、70にもなれば「こころの欲するところに従えども矩をこえず」ということになっています。もちろん、これは国ではなく個人のことですが、果たして終戦の年に生まれたものが、こういう境地にあるのかどうか。それより少し下になる私には、あと何年かでこのような境地に達するとは容易に想像できません。
 個人はともかく、日本の場合、70年たって、果たしてわれわれは今、どういう時点にたっているのでしょうか。日本を占領したGHQ最高司令官のマッカーサーは、日本人をして12歳の少年だといいました。終戦から70年。その意味では、12歳の少年はすでに82歳で、そろそろ介護施設でも探そうという年齢となるでしょう。では日本はそれなりに成熟した国家になっているのでしょうか。とてもそうは思えません。
 日本の近代化は、まずは明治とともに始まったといってよいでしょうが、明治とともに始まった近代日本は、70年後には急激に戦争へと傾斜していきます。日中戦争が始まり、日本史のなかでももっとも凄惨な時代へと突入していきます。
 では、たとえば明治の初年に生まれた人にとって、人生はどんなものだったのでしょうか。彼にとっては、少なくともある時期までは、自分の人生と日本という国家の歩みは比較的重ねあわせやすかったのではないでしょうか。
 なぜなら、日本が、文明開化、殖産興業、富国強兵などと大騒ぎしながらあわただしく近代化し、日清、日露の戦争に勝利し、世界の舞台で一等国になってゆく、という日本の歩みと、彼の青年から壮年へという個人史は、ある程度、共振しあっていたでしょう。
 明治初年生まれであれば、21歳で憲法が発布され(ついでにいえば、この年に東海道本線が開通しています)、26歳で日清戦争を、36歳で日露戦争を経験し、51歳で第一次大戦の勝利、というわけで、世界史における日本の国力が目にみえて高まっていったわけです。しかしまたこのあたりから日本は少しずつ自己過信によって方向を見失ってゆくのです。
 では、戦後の日本は何を目指したのでしょうか。戦後の初年、すなわち昭和20年(1945年)に生まれた「戦後君」にとっては、戦後日本とは、平和や民主主義を掲げて、もっぱら経済的な豊かさを追求し、世界のなかで「名誉ある地位を占める」ことを目指してきた、ということになるでしょう。そして、彼が19歳のときに東京オリンピックが開かれ、25歳のときに大阪で万国博が開催され、45歳あたりで、日本経済はバブルの頂点に達するのです。
 しかし、その後となると、日本の経済は低迷し、1995年あたりから日本経済はデフレにあえぐようになります。「戦後君」はいうでしょう。「自分の個人史を振りかえると、おそらく日本のもっともよい時代を経験した」と。しかしまた、いささかの危惧の念をにじませながらいうのではないでしょうか。「だけど、これから日本はどうなるのだろう。自分の子供や孫の世代は果たしてうまくやってゆくのだろうか」と。
 確かに、表面上、戦後日本は、それなりの安定と繁栄を実現したといってよいでしょう。しかし、それも、ここへきていささか怪しくなってきました。戦後の日本は、それなりの平和も、民主主義も、経済的豊かさも実現した、といってもさしつかえありません。しかし、その結果はどうでしょうか。
 もはやますます不安定化した世界のなかで、おまけに近隣国からの脅威にさらされているにもかかわらず、日本はいささか硬直化した一国平和主義から抜け出すことができません。民主政治は、世論という不可視の魔物に翻弄され、そして、戦後日本の最大の誇りであった経済成長は、もう10年以上ほぼゼロという状態なのです。
 とすれば、改めて「戦後」とは一体何だったのか。それは今、大きく変わろうとしているのではないか、と問いたくなります。この場合、やはり最大の問題は、戦後日本の主たる関心が、もっぱら経済成長と物質的な豊かさにしか向けられていなかった、ということではないでしょうか。ともかくも、新しい技術を開発し、新たな市場を生み出し、それを大衆的な消費に結びつけることで経済を発展させる、ということにわれわれはもっぱら精神を集中してきたのです。
 もちろん、これは、日本だけのことではなく、アメリカを中心とする自由主義経済全体にいえることです。戦争が終わってから、どの国もすべて経済成長をめざしてきた。しかし、そのなかでも、戦争によって資本を大きく破壊された日本は、文字通りゼロからの再建にまい進したわけです。
 このことは冷戦体制下ではそれなりに意味はあったのかもしれません。しかし、それが終わってみれば、グローバルな大競争が加速し、そのなかで日本は自らの立ち位置を見失ってしまいました。人口減少や高齢化社会に突入した日本は、もはや、経済成長を第一義の価値にする時代ではないのです。では、何をわれわれは次の国家的な目標にするのか。それがまだ見えないのです。
 にもかかわらず、今日、成長戦略が政策の柱になり、相変わらず経済成長をめざしているのです。これも日本だけではありません。先進国も新興国もともかくもお金をバラまいて成長をめざしているのです。ともかくも「資本」を世界中の金融市場に集めて経済成長に結びつけようとしています。しかし、これが日本の採る方向だとは思えません。では日本はどうすればよいのか。
 この問題に容易に答えることはできませんし、しかも明瞭な答えはありません。にもかかわらず、過剰な市場競争が正義であるかに誤認されているために、われわれの社会はますます窮屈になり、政治はさらに不安定化してゆきます。確かなことは、まずは「資本」を金融市場にバラまいて成長をめざすという「資本主義」はもう限界なのです。本書を「さらば、資本主義」と名づけた理由もそこにあります。
 われわれは、これからどこへいこうとしているのか。また、どこへいけばよいのか。この問いには容易に答えはでないとしても、われわれ一人ひとりが自分で考えるほかないのです。戦後日本は、とてもではありませんが、70年たっても「矩をこえず」というわけにはいかないのです。


科学たりえない経済学 P167

 そしてその40年後にピケティはまさにそういうことを書いている。 「私は経済学が社会科学の下位分野だと思っており、歴史学、社会学、人類学、政治学と並ぶものと考えている。(中略)私は『経済科学』という表現が嫌いだ。この表現はとんでもなく傲慢に聞こえる」  また、次のようにも書いています。
 「本当のことを言えば、経済学は他の社会科学と自分を切り離そうなどとは決して思うべきではなかったし、経済学が進歩するには他の社会科学と連携するしかないのだ。社会科学全体として、くだらない縄張り争いなどで時間を無駄にできるほどの知識など得られてはいない」と。
 その通りです。と同時にいささか複雑な心もちにもなるのです。
 それは、今述べたように、こうしたことはすべて70年代に提起されていたことだからです。大学院生であったわれわれは、毎日のように、この種の議論をしていたのです。 そもそも経済学は「科学」なのか。いや、そんなものではなかろう。経済現象は果たして数学で表現できるのか。いや、無理だろう。経済学という閉じられた分野はありうるのか。いや、ありえないだろう。必要なことは社会科学の総合化であろう。
 ほとんど毎日、われわれはそんな議論をしていたのです。そして、それは決してわれわれ、一部の院生だけではなかった。当時、果たして「経済学は科学たりうるのか」というテーマは、実は、経済学者たちの論争の的でもあったのです。これは重要な問題だった。なぜなら、それは、当時、「新古典派」もしくは「新古典派総合」と呼ばれたアメリカの市場中心の経済学を認めるか否か、という大テーマとかかわっていたからです。
 この大テーマに対して、ある高名な経済学者が次のように答えたことがあります。 「経済学は科学である。なぜなら経済学は教科書になっているからだ」と。
 大先生がとんでもないことをおっしゃるものだ、と思いました。しかし、これはまさしくアメリカ経済学の立場をいいあらわしていたのです。
 簡単な理屈です。もし科学でなければ、思想やイデオロギーであって、それでは必ず反論がくるから教科書にはならない。とすれば、現に教科書がある、ということは科学であることの証拠である。こういうことです。
 確かにアメリカ経済学は、この理屈の上に乗っかっていたのです。そして、先に名前を出したサミュエルソンは世界的大ベストセラーの教科書を書いた人物だった。サミュエルソンのノーベル賞の受賞理由は本当は教科書を書いたことではないか、といわれたものです(理由は違います。しかし、私から見ればもっとどうでもよい理由での受賞です)。
 ここにアメリカ経済学の強みがあった。市場理論を教科書に仕立て上げてしまった。経済学を標準化してしまったということなのです。
 この「標準化」は、アメリカの得意とするところで、自動車モデルの標準化からスポック博士の育児書のような「子育ての標準化」、生活スタイルの標準化、今日では「グローバルースタンダード」まで、ともかく物事を標準化するのが得意な国です。
 かくて、市場理論は標準化された。教科書によってそれを世界中へ売り出し、また、アメリカへやってきた若い外国からの留学生に売り込まれたのでした。彼らは、アメリカの経済理論を「科学」だと受け取った。なにせ教科書なのですから。それこそがアメリカの主流派の経済学が意図したことだったのです。
 このやり方は見事に功を奏しました。アメリカ経済学の教科書を学習したものは、それを「科学的真理」だと思います。そしてそれを世界へ自動的に伝播してくれるのです。 たとえば、アメリカへ留学して日本へ戻ってきた若い日本人学者は、日本の経済の現実をみて、教科書との違いに改めて驚くでしょう。会社に対する忠誠心など、どこを見ても教科書には書いていません。終身雇用も年功賃金も、教科書にはない。政府の行政指導などという概念も教科書にはありません。そこで、これらの非合理的で不透明な制度を批判します。日本型経済は特殊なもので、市場の普遍的な形態ではない、という批判です。
 端的にいえば、アメリカの教科書を読みながら、日本経済の現実を批判しているのです。教科書が正しく、現実は間違っている、といっているのです。なぜなら、教科書は科学だからです。
 こうなると、つい噴きだしたくもなります。理論と現実が食い違ったとき、理論が間違っている、というのが「科学」というものでしょう。それを、現実が間違っている、というのですから。だけれども、現にこのような倒錯がたいへんな事態を招いてしまったのです。それが90年代の「構造改革」だったのです。
 いうまでもなく、教科書になっているから科学だ、などということはありえません。誰か、有力な経済学者があつかましくも、自己流の考えを教科書に仕立て上げてしまい、それをその弟子や仲間たちが使用して売り出し、いつのまにか学会で権威をもてば、それが「標準的理論」になってしまうのです。これは科学哲学者のトーマス・クーンによって「パラダイム」と呼ばれたものです。
 ある考え方が支配的な標準理論になるのは、それが正しいから、というよりも、それが学会で権威をもち、そのまわりに人々が集まり、それを標準的なものとするからだ、というのです。つまり、ある考えが正当な科学的理論だと見なされるのは、本質的にはその真理性によるというより、一種の社会的・心理的現象だ、とクーンはいうのです。
 このクーンの考えを借りれば、アメリカ経済学は単なる「パラダイム」ということになる。しかもこの場合、市場理論がそれなりに強力なのは、誰かの思いつきというわけではなく、高度な数学で武装されていたからです。「科学的装い」をたっぷりと施されているのです。まさしくピケティがいう以上に、この数学への偏執は、科学っぽく見せる手の込んだやり方だったのです。


「価格破壊」と「消費者絶対主義」という大罪 P204
(自分のサイトで1999年に「消費者でありかつ生産者なんだよね」という感想を書いたことを思い出しました)

 いずれにせよ、90年代あたりから「経済」の意味が変わっていったのです。仮に、戦後焼け跡から出発した経済が、「経国済民」を求めて成長を目指し、アメリカに追いつくという夢を語り、物的な富を追求したとしても、90年代ともなると、明らかにその段階は過ぎてしまいました。物的な富の追求、成長至上主義の経済が、もはやわれわれを無条件で幸福にするとはいえなくなったのです。「アメリカニズム」「個人の自由」「経済成長」を当然として追求してきた戦後日本人の幸福は、もはや自明のものではなくなったのです。
 しかも、このような変化は、実は日本だけのものではなかった。それは世界的な規模で、80年代に生じたいわば歴史的な変化でもありました。そのことを明らかにしたのが、これまで何度かとりあげてきたピケティの『21世紀の資本』だったのです。
 前章でも論じたように、90年代以降、世界の先進国経済は、もはや十分には成長できなくなっているのです。戦後世界経済が成長できたのは、せいぜい50年から80年にかけての30年間であって、それは、あの戦争によって産業もインフラも破壊されてしまったからだったのです。戦後復興が年率数%の成長率を可能としただけだ、というのです。 それが一段落つくと、いくらイノベーションを起こしても、もはや十分な成長には結びつかない。成長経済から脱成長経済への転換こそが求められていたのです。
 にもかかわらず、「アメリカニズム」「個人の自由」「経済成長」の三点セットは、90年代以降も日本を支配してきた。90年代に入って、「アメリカ的市場競争」がまさに標準化されてしまい「構造改革」が論壇を占拠します。集団主義的な日本的経営は「個人の自由」を抑圧するとして、規制緩和論がでてくる。そしてまた「成長戦略」です。
 何も変わっていないのです。より安く、より早く、より便利に、というわれわれの欲望はますます経済を過剰なまでの競争に追いやっている。いや、実は変わっていないどころではありません。本当は、大きな変化が生じているのです。しかも、それは、目に見えない、数値化されない領域での変化だった。だからよくわからない。GDPや成長率などという数値にはまったく反映されない変化なのです。
 90年代の半ばごろ、ちょうど構造改革が経済ジャーナリズムを席巻し、価格破壊、価格破壊と連日叫ばれていたころ、私は、こんなことを書いたことがありました。この「価格破壊」はやがて「雇用破壊」にいたり、その次には「人間破壊」へといたるだろう。
 ある友人が、「いくらなんでも人間破壊はいいすぎだろう」といっていたことをおぼえています。しかし、決していいすぎだとは思っていませんでした。理屈はきわめて単純なものです。価格破壊とは、日本の消費者は競争を阻害されているために、諸外国に比して高い物を買って損をしている、ということです。だから、規制緩和と市場競争によって価格を下げろ、という。それこそが消費者のためだ、というのです。
 しかし、物価を下げるには企業は生産コストを下げなければなりません。それは労働コストの削減を意味します。賃金を下げ、また派遣などに切り替えて雇用コストを削減するほかありません。だから、価格破壊はやがて雇用破壊になるのです。すると、雇用者所得が減るために決して消費は伸びないでしょうし、仮に消費者は得をしたとしても、労働者は状況が悪化するのです。消費者はまた勤労者であるという、あまりに当然のことがここではすっぽりと抜け落ちているのです。
 それだけならまだかまいません。ただ経済だけの話です。しかし、賃金が下がり、雇用が不安定になるとどうなるか。たとえば、これまで専業主婦だった女性もパートにでかけ、家族がバラバラになってゆく。親子関係が希薄になる。また、競争は、人をいっそう個人主義にし、他人との信頼を崩してゆく。競争によって全体のパイが増大するときはよいのですが、雇用が不安定化し、デフレ化する経済で競争を行うと、パイの取り合いになる。他人を蹴落とさなければ自分の生活が確保されない、という弱肉強食型になるのです。仮に、「人間」とは、ただ個人で生きるものではなく、他者との信頼を基にした社会的存在だとすれば、これはまさしく「人間破壊」になるのです。
 しごく当たり前のことです。しかし、当時、価格破壊、規制緩和、日本型経営の終焉などというスローガンの前に、こんな主張は全くかき消されました。
 この市場原理主義の前提になっているのは、「消費者絶対主義」とでもいうべきものです。経済活動は、消費者のためにある。消費者とは、常に、より安く、より早く、より便利にモノを手に入れて欲望を満たそうとしている、という。消費者こそがすべてです。
 しかし別の言い方をすれば、より安く、より早く、より便利なものを提供すれば、それは利潤をうむ。つまり、「消費者絶対主義」を掲げることでまた、企業やサーヴィス業者は利益をあげることができるのです。いいかえると、消費者を「より安く」「より早く」「より便利に」欲望を満たす存在とみなすことで、企業は大きな利益を手にできる、ということです。「消費者絶対主義」はまた企業の利益のためでもあった。いや、もっといえば、企業やサーヴィス業者が利益をあげるために、「より安く」「より早く」「より便利に」という消費者が作り出されている、ともいえるのではないでしょうか。
 戦後復興から高度成長へ向かい、大量生産・大量消費で、人々が年々改良されてゆく消費財に飛びついた70年代あたりまでは、これで問題はなかったのかもしれません。しかし、それなりの豊かさを達成し、低成長経済へと移っていった90年代以降はすっかり状況が変わったのです。ここでは「消費者絶対主義」という観念がとんでもないことをもたらしている可能性があるのです。


あとがき

 このシリーーズも5冊目になります。このシリーズとは、月刊誌「新潮45」に連載している「反・幸福論」の新書化です。この雑誌に「反・幸福論」というタイトルで最初の原稿を書いたのは、東日本大震災が起きる半年ほど前の2010年秋のことでした。連載が、これほど長く続くとは私自身まったく予想もしなかったのですが、何やら、「思えば遠くへきたもんだ」という気もします。連載がおおよそ10回分ぐらいたまったところで新書にまとめているので、これで5冊目ということに相成った次第です。
 雑誌連載が長く続くためには、どうしても編集者とのつきあいが良好でなければなりません。「新潮45」の場合、大畑峰幸さんという独特の生活スタイルと美意識と主張を待った編集者との出会いが大きかったことは間違いありません。ほとんど毎月のように打ち合わせに京都まで足を運んでくださり、打ち合わせ時間の大半を音楽談義に花を咲かせながら、いつのまにか、大事な用件も、次号の方針もちやんと決まっており、また、東京あたりの、面白おかしいゴシップめいた話まで置き土産にしてくださるというわけで、私のように、極端に人付き合いが悪く、情報難民である者にとっては、たいへんに貴重な存在でした。いや、まだそういう存在です。
 本書は、2014年9月号から2015年6月号までの「反・幸福論」をまとめたものです。基本的に、その時々の時事的なテーマを論じつつ、その背後にある思想的な問題を明らかにする、という方針なのですが、ここでは、「経済」や「資本主義」が関心の中心になっています。フランスの経済学者のピケティが来日して大きなブームを巻き起こしたこともありました。しかし、世界的に資本主義の転機になりつつあることは間違いなく、日本はその転機の先頭を走っているのです。そのことが本書のテーマの軸になっているのです。
 新書の編集においては、また丸山秀樹さんにお世話になりました。これも5冊目です。ここでもまた、いつもながらの丁重で整理の行き届いた几帳面な仕事をしていただきました。御礼申し上げます。

  平成27年8月 佐伯啓思

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