竹林はるか遠く(日本人少女ヨーコの戦争体験記)
『竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』 (たけばやしはるかとおく)は、日系米国人作家のヨーコ・カワシマ・ワトキンズによる自伝的小説。1986年 (昭和61年) にアメリカで出版されたそうです。
作者のヨーコ自身が11歳だった第二次世界大戦の終戦時に体験した朝鮮半島北部の羅南(らなん)から京城(けいじょう)、釜山(ふざん)を経て日本へ帰国する際の、朝鮮半島を縦断する決死の体験や、引揚後の苦労が描かれています。
戦争の悲惨さを訴える資料として、また、中学校用の副教材として学校でも使用されているのだそうです。
『竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』 を紹介するために、以下に目次と日本語版刊行に寄せてをコピペさせていただきます。
興味が湧いて、他も読んでみたいと思ったら、本書を手にしていただければと思います。
目次
序 ジーン・フリッツ
第1章 擁子の章(1) 深夜に突然の来客。それ以降、私たちの生活が一変した。
第2章 擁子の章(2) 羅南駅への道のりも、いつも父を迎えに行くのとは違う気分だった。
第3章 擁子の章(3) 赤十字列車を降り、本格的に母子三人の逃避行が始まった。
第4章 淑世の章(1) そのとき兄・淑世は羅南の弾薬工場にいた。
第5章 擁子の章(4) 間一髪の危機を脱出し、再び母子三人で京城を目指す。
第6章 淑世の章(2) 友人たちと別れ、兄淑世は一人で京城へ向かっていた。
第7章 擁子の章(5) 朝鮮半島を離れ、ようやく祖国・日本にたどり着く。
第8章 母の章 母と離れ、女学校での生活はさらに不安なものとなった。
第9章 好の章 姉の後悔。そして私たちは、新しい生活の拠点で再スタートを切った。
第10章 擁子の章(6) 新年早々現実に直面。そんなとき、私は生活を一変させるきっかけに出会う。
第11章 淑世の章(3) 吹雪の中で力尽きた兄・淑世。彼が求めた明かりの正体は。
日本語版刊行に寄せて ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
訳者あとがき 都竹恵子
日本語版刊行に寄せて ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
この本がアメリカで出版されて20年経った2006年の秋、ボストン近辺に住む在米2世韓国人たちが突如怒りを爆発させました。
本書はアメリカで中学生の教材として採用されていたのですが、その内容について、「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」といった理由をつけて、本を教材からはずす運動をあらゆる手段を使ってやり始めたのです。
さらに、「著者の父親が731部隊に属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送った悪者である」といった事実に反することも言い始めました。そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったのです。
本書は、私が11歳のとき、母、姉と朝鮮北部の羅南を脱出したときの体験を書いた自伝的小説に過ぎません。私の意図は、個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うためのものでした。
どの国でも戦争が起きると、人々は狼狽し、混乱して下劣になりがちですが、その反面、人間の良さをも引き出させることがあります。私はこの物語の中で、自分たちの身の危険もいとわずに兄の命を助けて保護してくれた朝鮮人家族の事を語っています。これは「親切さ」についての一つの例えですが、彼ら以外にも親切にしてくれた多くの朝鮮人たちがいました。
羅南から釜山、日本の福岡へと帰ってきた少女時代の経験は、戦争とは恐怖そのもので、勝負はなく互いに「負け」という赤信号なのだということを私に教えてくれました。私はそのことを本書を通して地球上の全ての子供たちに伝えたい―それだけが私の願いです。
子供時代の思い出である故、歴史家から見れば、いたる所に間違いもあるでしょう。その点はお許しください。
なお登場人物は家族と今は亡き松村氏以外は皆、仮名とさせていただきました。
本書のタイトルともなった「竹林」については、こんな思いがあります。
私か住んでいた羅南の自宅の周りには、ヒョロヒョロとした竹があちこちに出ていました。それは森と呼べるようなものではなく、「ちょっとした竹林」というくらいのものでした。というのも、羅南には自生の竹はなかったのです。
母が育つだのは青森県でした。母の実家には大きな竹林があり、母は異境の地でもそれがとても恋しかったようです。そこで、父が東京に出張した際に、ついでに大きな竹の根っこを二つ、持って帰ってきてもらったそうです。その根っこを分けて、あちらこちらに植えたのが、自宅周りの竹林でした。
タイトルの「竹林」には、羅南の自宅への思いと、結局行くことが出来なかった青森の母の実家への思いという二つの意味が込められているのです。
最後に、本書の翻訳についての思いを語らせてください。
愛知県春日井市で学習塾を経営している都竹恵子先生が、生徒たちに本書の原文を勉強させていて、塾長は今では立派な社会人に成長した卒業生の前川智彦氏、岡嶋卓也氏、梅本いつか氏らの生徒たちと共に訳をしていました。英文の熟語や成句などは、日本語に直せない難しさもあります。そんなとき彼女は、遠慮なしに私にFAXで質問を浴びせてきました。
さらに塾長は、そのときの私の感情を正確に記するために、飽きることなく日本の文体に揃えるような言葉をさがすのに努力してくれました。そんな経緯もあり、私はいつか日本で出版され
るときには、立派に出来上がったこの原稿を用いたいと希望していました。
他に塾長のご主人である都竹久氏に御苦労をねぎらい感謝いたします。さらに国語の大家である森伊都江先生、塾のアシスタントであった河尻かほる先生に深くお礼を申し上げます。
本書を通して世界中の人々が、真の平和の中に生きて行く事を祈ってやみません。
感謝しつつ。
2013年5月
マサチューセッツ州ケープコッドにて
擁子