アメヤザカ ?
ある時、岩沢にある食堂「山紫」のご主人が、「市ノ口から岩山に通じる坂が3つくらいあって、そのうちの1つ『アメヤザカ』を上って行くと途中に石碑がある。」というお話をなさいました。
それを聴いて、小千谷市史には「明治23年ころから市之口に「飴屋」が船問屋を開業し、新光寺との間に運河を開鑿して、共同船着場として十日町盆地の入荷物資の陸継港として栄えた。」という記述があったのを思い出し、『アメヤザカ』であれば『飴屋』に因んだ名前かもしれないと、気分が高揚したのでした。
『アメヤザカ』の登り口から遠くない辺りの川辺には、河岸に相応しいような地形があるのです。
そんなわけで、お話を伺った翌日、早速現地に行ってみました。
現地に行った際いくつかの疑問が浮かんだので、山紫を再訪してご主人にお話を伺いましたが、その時に「『アメヤザカ』だったか、『アメザカ』だったか・・・」という補足があったことを書き添えます。
上述の理由で、私としては『アメヤザカ』の方が都合が良かったのですが、実際は何と呼ばれていたのでしょうか・・・?。
このページでは、とりあえず『アメヤザカ』という名称で進めます。
<令和2年6月4日追記>
6月4日、岩山地区で作業中の方(80代と思われます)がいらっしゃったのでお話を伺い、次のことをお聴きしました。
①:(このページで『アメヤザカ』と紹介している)坂は『アメヤノサカ(アメヤンサカ)』と呼んでいる。
②:坂にある石碑等は市ノ口地区の人が管理している。
②については、石碑等に紙垂が手向けられていることから、きちんと祀る人がいるものだと感心していたところでした。
そういうことなら、市ノ口にはこの辺りの神社を管轄する神主さんがお住まいですから、その方も管理に関わっているのかもしれないと想像しました。
<令和2年6月5日追記>
4日に伺ったお話について次のことを書き忘れていました。
③:坂の下に「アメヤ」と呼ばれる店があった。
これについて舟問屋飴屋の話をしたところ、「それは違う」とのことでした。
ただ、飴屋が所属した十日町通船も「後背地がせまいうえに通船上の難場が多かったので、陸運の発達におされて明治35年ころには6隻に減り、大正期はわずかに水沢の「金山船」が通漕しているだけとなった。(小千谷市史)」とのことです。
飴屋が舟問屋をやめたのは何時か分かりませんが、その後は別の商売をしながらその地で活躍したのかもしれませんね。
(令和2年6月1日)
国道117号側から『アメヤザカ』の登り口を写しました。
画像左方向は小千谷市街地方面、右方向は十日町方面です。
アメヤザカを上ります。
最初のカーブです。
最初のカーブのところ、別角度です。
だいぶ急こう配です。
2つ目のカーブです。
5つ目のカーブ(だったと思います)を曲がりきった付近の右側に石碑がありました。
この辺りは、ほぼ平坦です。
石碑と周辺を正面から写しました。
近づいて写しました、左端は石仏です。
左端の石仏は、十一面観音でしょうか・・・。
石仏の隣の石碑、一番上の文字は「八」、一番下は「しめすへん(示)」か「ねへん(礻)」の文字のように見えました。
間にあると思われる文字は不明です。
これは「大正二年」「紙垂(しで)のような図形」「〇の中に金」が刻まれているようです。
この石は、何か刻まれているのかどうかも分かりません。
上の石碑があるところから100mほど進んだ左側に石碑があります。
正面から写しました。
この場所には石碑が3つ、石仏が1体あります。
上の画像左側に写っているのは、この石碑と石仏です。
この石碑も何と刻まれているのか分かりません。
石仏は、千手観音でしょうか・・・。
「文政十三 〇△」 「百番観世音供□塔」「八月吉 大渕」と刻まれています。
〇△はどういう字なのか私にはわかりません。
□は前後の関係から「養」のことだと想像します。
この石碑は「百番供養塔」でしょうか・・・。
「百番供養塔」について
「西国三十三番・坂東三十三番・秩父三十四番計百か所の観音霊場の供養塔である。江戸時代には、この百番巡拝を行う人があらわれてくる。」と百番巡拝を記念し供養した塔だという解説をしたサイトがありました。
この石碑は「百万返」と刻まれています。
「百万遍」について、次のように解説しているサイトがありました。
百万遍とは「南無阿弥陀仏」を百万回唱える念仏行事である。
その行法には二種類あり、一つは一人が日を限ってその期間内に念仏を百万回唱えるものであり、主として僧侶の修行として行われた。
一つは、念仏講中が車座になって「ナミアミダブツ」を唱え、全員の念仏の総計が百万回に達すれば完了とする。
このように、念仏の回数が多いほど功徳もまた大であると信じられ、百万遍念仏の達成に庶民のささやかな願望が託され、その完了を記念して各地に百万遍念仏供養塔が造立されたのである。
上の画像の石碑から5mほど進んだ右側にも石碑のようなものがあります。
近づいて写しました。
何の石なのか分かりません。
中央のものは、祠を模ったもののようにも見えます。
市ノ口から岩山へ通じるアメヤザカの道も終点付近です。
上の画像の中央部付近から写しました。
ここから先は畑です。
畑の中を岩山集落へ向かいます。
岩山集落の手前、一本杉と小さな塚のようなものが見えます。
遠くから見ても、そこに何かあるなと思わせる風景です。
近づきました。
道側から写しました。
切り株だけ残っているのは、先代の木だったのでしょうか・・・。
別角度(集落側から)で写しました。
石には何か刻んであるのかどうかは不明です。