岩沢国民学校初等科 修了記念写真
「昭和16年度 岩沢国民学校初等科 修了記念写真」、私の父親もこの時に初等科を修了しました。
岩沢国民学校は、木造の岩沢小学校があった場所、現在「中越住電装㈱岩沢工場(本社工場ではありません)」がある場所に建っていました。
修了記念写真には「教育勅語」も収められていました。教育勅語(教育ニ関スル勅語)は明治天皇が近代日本の教育の基本方針として下した勅語です。
一番下に明治神宮のサイトにあった口語訳を載せました。今日でも、むしろ今日にこそ大切な考え方が示されているように思います。
国民学校について、ウィキペディアでは次のように解説しています。
国民学校(こくみんがっこう)とは、支那事変後の社会情勢によって日本に設けられ、初等教育と前期中等教育を行っていた学校。
1941年の国民学校令によって設立される。教育勅語の教えを奉戴して皇国の道に則って初等普通教育を施し国民の基礎的錬成を目的とし、国家主義的色彩が濃厚に加味された。
小学校尋常科を国民学校初等科(修業年限6年)、小学校高等科を国民学校高等科(修業年限2年)に改組。
昭和16年度 岩沢国民学校初等科 修了記念写真です。
お名前は、この写真に写っているお一人に伺いました。
(敬称は略させていただきます。女子のお名前は書いてありませんでした。)
前列左から渡辺家二、高橋政栄、阿部孝市、田中昭二、杉本校長、徳永先生、<女子>、<女子>、<女子>、<女子>
2列目左から諏訪部隆司、藤田定吉、谷内啓安、<男子>、<女子>、<女子>、<女子>
3列目左から関口久彦、渡辺信市、駒井軒和、谷内和己、藤巻浩平、高橋善六、<女子>、<女子>、<女子>
4列目左から関口章、タケユキ、藤田信二、田中岩雄、岡村重義、<女子>、<女子>、<女子>
前列左から3番目の阿部孝市はサイト管理人の父親です。
写真の下・左側を切り取りました。
前左から渡辺家二、高橋政栄、阿部孝市。後ろ左から諏訪部隆司、藤田定吉。
(途中で切れている方ごめんなさい)
写真の下・中央部左側を切り取りました。
左から谷内啓安、田中昭二、杉本校長、<男子>。
(途中で切れている方ごめんなさい)
写真の舌・中央部右側を切り取りました。
左から徳永先生、女子4名。
(途中で切れている方ごめんなさい)
写真の下・右側を切り取りました。
女子5名。
(途中で切れている方ごめんなさい)
写真の上・左側を切り取りました。
前左から関口久彦、渡辺信市、駒井軒和。後ろ左から関口章、タケユキ。
(途中で切れている方ごめんなさい)
写真の上・中央部を切り取りました。
前左から谷内和己、藤巻浩平、高橋善六。後ろ左から藤田信二、田中岩雄、岡村重義。
(途中で切れている方ごめんなさい)
写真の上・右側を切り取りました。
女子6名。
(途中で切れている方ごめんなさい)
教育勅語の口語文訳
国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。
そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
明治二十三年(一八九〇)十月三十日
御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)
<明治神宮のサイトに記載されていたものをコピペさせていただきました。>